はてなキーワード: アウトプットとは
増田に集う紳士淑女の近隣にいないか、無駄に職位が高くやることと言ったら、具体性を欠く「ご意見」をいうおじさんが。
「マスダ君!ここのデザインねぇ、もうちょっとシュっとできんかなシュっと!」「イメージをねぇ、もうちょっとスッキリさせたいのヨ、スッキリ!」「ホウレンソウが大事ですホウレンソウ!」
で、次の週ぐらいにほとんど変わってないけど「手を入れました感」があるブツを持ってくと「おお、だいぶシュっとしたじゃないか!いいよいいよガハハ!」「スッキリしたねぇ、アドバイスが効いたねぇガハハ!」「ね、ホウレンソウすると仕事が進むでしょガハハ!」つって、なんんんも変わってねぇのにすんなり通す奴。
#古い逸話で言えば、ミケランジェロのダビデ像の鼻を削れといったパトロンの話と同じである
つまり、「俺はえらいから、俺の意見は通って当然」「俺の意見が入らないと先には進ませない」っていうタダのバリア。本人は薄々わかってるけど、権勢をふるうためだけに無用の嘴を挟んでくる訳。で、ブツがどうなっても知ったこっちゃないのよどうせわかってないバカだから。やったふりをさせることに意義があると思ってるし、やらせたことに自己満足して、アウトプットなんか見てないわけ。
フェミも同じよ。「これはエロだから公共に出しちゃダメ」。しばらくほっとくとおんなじ物が出ても「あてくしたちの意見でよくなりましたなガハハ!オタク死ね!」。自己顕示がしたいだけよ。
友人の結婚式、二次会が終わった後、電車の中で一人になるとソープを速攻で予約した。
婚前の新婦と一日中どろくちゃした状況を事後に丁寧に送ってくれたLINE。
あんたの夫は変態やで!脱童貞の反動で何故か友人に状況送るようなテンションやで!!
そんなことを言えるはずもなく、幸せそうに微笑む新婦、こいつが初めて捕まえた人にしてはごっつ美人じゃねーか畜生と思った鬱憤が最後まで抜けなかったからだ。
拙者ソープ歴は6人ぐらい経験してるものの、アウトプットの快楽を知らぬ。お口では痛すぎて、中は緩くて、手では自分のほうが気持ちいいとどこかが頑なにこばみ、今まで鉾を交えたお嬢全てで敗北に泣いてきた。
大体の失敗シーンはこうだ。
部屋に入る
→ベッドに腰掛けて
→とりあえず脱ぎ脱ぎしましょうね。
→どこ住んでるんですか?趣味はなんですか?
ここで30分会話
マットは嫌いで即即はどっちでもといってるのだが、正直完全受け身なので手が出せずお嬢に誘導されるままに雑談。
いやそれはそれで楽しいのだが、己の武器は萎えるのだ。そりゃそうだ。色気ある会話などないのだから。
結果として時間は使うわ、その気になんないわ、経つし入るけどうーん?という気持ちになるわ散々だった。
今回も会話から入り、お風呂に浸かり、いつものパターンかと思った。
攻めてみる?お願いしますと始まったのだが、うまい。一番うまい。中も良かった。入れてから2分が限界だった。まじか。
全てが終わった後、別世界が待っていた。
賢者タイムとはこういうのを指すのか。
機械的に就寝するために行う一人ジョブとは違う。明らかな満足感かあった。
事後、お嬢が飼っているというイッヌの話で終始こっちが聞き役に回り、最後まで話していた。2回戦はする気にはならなかった。
なるほど、これが子どもを産むためのパワーなのか。なんて力強く心地良い。
幸せだな!
解説ありがとう。長文に思い入れというかこだわりのある人だったんだね。今伝わったからあんしんしてね!
私としてはど真ん中ストライクというかナチュラル極まりないなあという肌感覚でいるのだけど、増田みたいな多くの人にとっては外している判定になるらしくて、いつもごめんねって思う。
なんかね、そういう感じの増田定義の「長文」(確かにこれ長文としか言いようがないね、もはやめちゃくちゃ紛らわしい同音異義語の域だね)を楽しみに増田を見にくる勢というのも確かにいるから、日記を書くにしてもなるたけご迷惑をかけないようにしようとは思っているのだけど、そんな思惑とは裏腹に私たちこうして出逢ってしまってほんとごめんね。
割と本気で申し訳ないから普段はあんま表に出さないし、今日はなんか我こそはインターネットなりみたいな気持ちになったので久々に増田にのーみそコネクトしたものの、びびりなのでいっぺん白紙投稿してから時間差で編集使って書いて、五~六ページは埋もれさせといたんだよね。なんで掘り返されちゃったんだろうねこれ。
なんだろう、ちょっとしたギャンブルというか、自分のアウトプットをインターネットのどこかに置き逃げして、誰の目にも止まらずスルーされたら勝ちみたいなのをちょくちょくやってて、今日はチートまでしたのに、増田とかを巻き込んで負けてしまった訳です。未必の故意丸出しでごめんね。
これは実はとても楽をしてるのではないかということに最近気づいた。
「こういう女の人にこういう風に踏まれたい、脚のこういうところに魅力を感じる、ああでもない、こうでもない、」
という煩悶と試行錯誤は脳で練ったあと絵に描くことで解決する。
長さのバランスもいろいろ、筋肉と脂肪の割合や太さ、いろいろ描いてる。
(ところで理想の1パターンしか追求しない人、つまりいつも同じ脚を描く人の絵はだんだんつまらなくなっていくとおもっている。
極端な話今は魅力を感じてないような脚も描いておくべきだ。どうせ自分の中でだんだんすぼまっていくのだから。)
ここで絵という欲望のアウトプットと消化があるから私は人に迷惑をかけずに生きていられるのかも知れない。
描けなかった場合、女性の足や脚に対する欲望をどうすればいいのか、コネクタがないようなもどかしさにかられる。
太ももに抱きついたり頬擦りしたりしても多分かなり違う。
よくある「踏まれたい」も、ピュアなマゾの人を除けばコネクタ追及なのではないか。
ダイレクトな衝撃や痛みを求めることで脚とのつながりを持とうとしているのだ。
それ以外では後は型を取るとか、食べるとかになっていくかもしれない。
これもなんか広義の性欲のにおいを感じる。
肉欲というか接触欲というか。
でも自分の場合はこういうことも「こんな可愛い子に触りたいなあ」というビジョンを脳内で作り上げて絵に描けばいいのだ。
おでこの丸さはこれぐらい、ほっぺたはこんな感じ、髪の毛の質感はこう、髪形はこう、服は最近のお洒落な子供服はこう、靴はこう、
ここまで出来上がってくれば別に触らなくても絵に描いてるだけで満足できるというか絵の方が充足度が濃い。
世の中の多くの人は自分の性欲を解消するベストなソリューションにたどり着けていなくて
その結果としてかなり達成感から遠い代替手段であいまいな満足を得ながら不満を持ち続けていたり、
ときにはその不満が自分の中でぐるぐるして人に迷惑をかけるような手段になってしまったりするのではないだろうか。
かといってみんなが絵を描きなさいというのも現実的でない話で、
年明けから新しい職場に配属されたのだけど、早々に病みかけているので現状を整理するために書いておく。
ここから先、さっきから書いたり消したりして全く進まないので適当に書く。思考力も落ちている気がする。
自社はソフトウェア開発子会社的な立ち位置で、現状でも自分で名乗るなら職種としてはソフトウェアエンジニアリングだけど、新しい職場では管理系のことを中心にやってほしいと言われている。
職場の配置転換は10年以上いた同じ部署から自ら希望を出して、1年後ようやく叶ったもので仕事の内容的にはモチベーションの高いはずのものだった。
この先、思考力の低下とここは書いたらまずいんじゃないかという常識のせめぎあいにより全く筆が進まないので個条書きしておく。
いままで、忙しいとかクソ環境とか割合経験してきたので、覿面にやられている現状に戸惑っている。
たったの2週間だし、客観的に見ると早すぎるのかもしれないけど、自己診断で考えるとだいぶまずい気がする。
まず最初にこの話を書いた理由は私自身の呪いを少しでも解く為でもあり呪詛撒き行為でもあります
今から書くトラブルが元で大好きだったジャンルを卒業しました。しかし、元の『好き』という気持ちは『憎しみ』に豹変しました。それ自体私にとってはとても苦しくて辛い呪いです。
呪いを分散させる為にこの文を書いています。もしかしたらこの呪いは読んでいる貴方にもかかるかもしれません。なのでこの記事を最後まで読む読まないは貴方の選択です。正直この恨みつらみは根強いので作品名自体は伏せてはいますが性格最低なので作品名分かる人には分かるし超村社会のジャンルなので正直傷跡残したい気持ちはあります。それくらい大きいショックを私に刻んだ出来事です。思った事つらつら書いた乱文なので誤字脱字、読みにくかったらすみません。
まず最初に私は数年前までとあるジャンルで元気よく活動していました。そのジャンルを「A作品」とします。A作品は10年以上前に連載されていた漫画で過去アニメ化や映画化、今はもう連載は終わっていますがA作品を描いた作者の次作も現在大変人気でA作品と共に原画展が開かれる程です。そんなA作品にハマった私は共に同じタイミングでハマったご新規さん達や20年応援しているという古参さんたちと共に楽しく二次創作していました。私は初めて同人誌を作りオフ活動を盛んに行ったり、未成年だったこともあって年上のフォロワーさんにR 18本を代理購入してもらい高校卒業と同時に本を送ってもらったりするくらいにはどっぷりでした。
しかし、しばらくした後に村社会的な閉塞感やつながりが強固になればなるほど私は少し息苦しくなりました。そのタイミングで別ジャンルの沼にハマってしまいそのまま私はA作品ジャンルとは疎遠になりました。その後私はまたとあるジャンルに大いにどハマり創作活動に勤しみました。その作品を「B作品」とします。B作品で二次創作活動をしている時に私は初めて絵ではなく小説を書きました。それをpixivに投稿したら思わぬ反響をもらいとても嬉しくなりました。
B作品の二次創作小説を上げた数日後にツイッターのDMに1件メッセージが来ていました。メッセージの送り主はA作品の小説を長年書き続けていた古参の1人でした。その方を「Cさん」とします。Cさんとはよく交流をしていて、私の駄目なところがあれば注意してくださったり当時のA作品のことを教えてくださったり、年賀状を交換するくらいに仲は良好でした。Cさんは私が別ジャンルに移動した際にフォローを外していたので私も外していました。なのでメッセージが来た時は驚きで。メッセージ内容は驚きでした。簡潔に書くと
「あなたの書いたB作品の二次創作小説読みました。しかし、この小説もしかして私を含むA作品の字書きさんの小説を参考にしていませんか」
でした。学校の休み時間中にそのメッセージを見た私ですがパニックになり、なんと返信していいか分からず私は「確かに過去のA作品の二次創作小説を大量に読みました。私が小説を書く際他の作品は一切読まずに書きました。しかしもしかしたらインプットされたA作品の小説が無意識にアウトプットされたかもしれません」と送りました。その後「私がそう思ってもあなたがそう言うならそうかもしれません。勘違いでした」という返信が来ました。Cさんの作品もCさんのことも好きだったので私はどうしても誤解を解きたかったのですが授業が始まり返信はできず。また時間が空いた後返信をしようとしたらCさんからブロックされておりCさんのアカウントには鍵がかかっていました。
私はとにかくパニックでした。でも性格が最低すぎてこのやり取り公開すれば炎上するなという考えがよぎりました。しかし、それはできませんでした。フォロワーにはたくさんのA作品クラスタがいたからです。下手したら私が潰されるんじゃないかと思いました。もしかしたらCさんが既に鍵垢内で私がA作品の字書きさんたちにパクられてるかもよ!と流布されててもおかしくないと思いました。CさんはA作品クラスタだったらおそらく知らない人はいないのではないかくらいの知名度で私がツイッターで繋がっていたAクラスタさんのほとんどはCさんと繋がっていました。
でもどうしてもこの事実無根の中傷(と私は捉えてました)を言われたことを誰かに共有したくて、私は最終的にAクラスタさんのほとんどをブロックブロ解をして鍵垢にしました。
その後、Cさんの事は伏せ「DMでこのようなメッセージをもらい大変心がしんどい」という旨のツイをしました。するとB作品で仲良くなったとあるお二人(DさんEさんとします)が慰めに来てくれました。DさんEさんは「あんないい小説にそんなことを言う奴はクソですよ!!誰か知らないけど!!」のように面白おかしく励ましてくれました。言ってしまえば彼氏に振られた…と泣いてる友達に「お前振るような男はチンチンちっちぇやつなんだよ気にすんな!!お前の彼氏の名前も顔も知らんけど!!」のような「どこの誰かは知らないけど貴方を侮辱するような人は軒並みクソなので気にしないでね!!」的な慰めをしてくれました。DさんEさんはこの時点で私がCさんからメッセージを受け取ったこともそもそもCさん自体も知らない状態でした。
そこからまた事件が起きました。なんとCさんはDさんのDMに突撃していました。Cさんなんと、私をブロックしていたにも関わらず恐らく私のIDをツイッターで検索して私のフォロワーさんとのやりとりを観察していたようでした。その後Dさんは場外乱闘を重ね、その中でCさんは「私は彼女の住所を知っていますので」ということを言ったらしいです。それを聞いたときあまりの恐ろしさにビックリしました。まさか年賀状交換したときの住所を脅しとして利用しようとしていたらしいです。その後色々ありEさんにまで飛び火しました。が、Eさんはとても大人の方でCさんと話し合いをした結果最終的に全てのことはなんとか収まりました。
色々省略しているところはありますが、最終的にCさんはどうしてあんなDMを送ってきたのかの理由ですが「私の小説がパクられてると思って言った」ということらしくもう、怒りで無茶苦茶になりそうでした。DMでは私を含む他の人の作品とかほざいてたわけですよキレそ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!
しかしこの事はA作品クラスタの大多数は恐らく知りませんしCさんは今でもぬくぬくA作品クラスタとして楽しくやってると思うと恨みつらみがすごいです。私はこの一件でA作品大好きなのに創作することが今でもめちゃくちゃ怖いです。即売会もCさんもしかしたらいるかもしれないと思うと行くのは怖いです。A作品クラスタにはもちろんCさんにも顔は割れてるので。今やっている原画展も行きたいですがもしCさんがいたらと思うと本当に恐怖です。Cさんは変わらずA作品の二次創作を楽しくできているのに私は何もできず、なんでできないんだろう好きでいられないんだろう…といつの間にかA作品自体に憎悪を持つようになりました。A作品好きな人がきゃっきゃっしてるの見ると本当に羨ましいなぁ……純粋に作品を愛せて…呪…という感じです。
そんなこんなで、私は日々この憎悪と戦いながら生きています。今はとある推しと運命的な出会いをしてその人を推しながら元気でやっています。でもCさんに関しての憎悪はなくなることは今でもないです。A作品の村社会的なところ(流れとか雰囲気合わないととことん合わない)自体は苦手でしたが作品の二次創作や考察などを読むことはジャンルを離れてもなお大好きでした。今ではそれもできずCさんの同人誌はシュレッダーにかけました。A作品の他の同人誌は好きだった頃のことを忘れられずに捨てられなくて部屋の隅で眠っています。また読んで、書いた作品に何か言われるんじゃないかと思うと怖くて開けないんです。
これが私にかかった呪いです。書きながら楽になってきました。呪詛マシマシ乱文でした。もしこの中で誰かに毒入りマシュマロや作品の誹謗中傷とかケチつけたことがある人。送られた側は呪いにかかるし、正直こちらも呪い返したい勢いです。私のこの呪いを分散させるためのこの文もCさんへ対しての呪い返しでもあります。もしこの文がバズったり炎上したらこちら側的にはやったね!なので。Cさん、私が名前出して直接炎上させてA作品界隈焼け野原にするまではいかずとも周りのクラスタさんたちを微妙な空気感にすることにだってできました。それやらなかっただけでもありがたいと思ってほしい。まぁ最初にも書いた通りなんのジャンルかは分かる人には分かるんですけどね!!
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。
その流れに乗って私も技術書典に行き、毎回10冊弱程度買うようになった。
しかし買っても読めない。
2017年に買ってまだ1ページも読んでいないのもある。
そして読まないといけないというプレッシャーみたいなものもあって苦しい。
去年の秋くらいからなんとなく読まないといけないというプレッシャーに押しつぶされそうになっている自分が居て正直ツラかった。
が無くなっている事に気がついた。
アウトプットするために技術書を読んでインプットしているのに、これじゃ本末転倒だと絶望した。
この悩みを去年末の親しい友人と集まった忘年会で打ち明けてみると、
「通勤中に読もうと思って毎日持って歩くけど満員電車で読めないよね。」
とみんな同意してくれた。
CTOをやっている友人は
「今は同人技術書が流行ってるからみんな何十冊とたくさん買ってるけど、だんだん全部は読めない事に気づいてきて必要な1~2冊を買うくらいに収束するんじゃないかね」
という話をし、周りも頷いていた。
一番納得したのは
「買って読まないとどんどん情報が古くなるから必要な時に必要なのを買うのがベスト。新しい版では情報がアップデートされている事が多い。」
という話。
これは本当にそうで、2017年頃のフロントエンドの同人技術書を2020年の今読んでももう使い物にならないという実感がある。
その本は数ページ読んで使い物にならない事がわかったので捨てた。
2017年当時に読んでいれば有用だったかもしれないのにもったいないことをした。
なので私は2020年、技術書典で同人技術書を買うのを控えようと思っている。
とはいえ、何か知りたいこととかわからないことがあって、それを解決するために技術書を買うことはしようと思っている。
(今までは自分の見識を広げようと、特に課題もないのにいろいろなジャンルの技術書を買っていた。)
これを読んでくれている皆さんはどうなんだろうか。
みんな技術書典等で買った同人技術書は全部読み切っているのだろうか。
ご意見をお聞かせ願いたい。
Youtubeのおすすめに中田敦彦の近現代中東史解説動画が流れてきたので暇つぶしに見ていたのだが、あまりの酷さに絶句してしまった。(リプに続く) pic.twitter.com/etqc32NMqs— れおぽん (@PentanO102) January 11, 2020
例のイスラム教の動画で槍玉に挙げられて以来、ちょっとずつ中田敦彦の動画に対する内容批判が出てきているようだけれど、あのチャンネルの動画に対する正しい視聴方法を教えるので参考にしてくれ。
まず、中田敦彦本人が再三繰り返しているように「エクストリーム」の名のもと、かなり流れや内容を省略したエンタメにして物事を紹介している。興味を持つきっかけになれば、という旨のことも何度も繰り返している。主目的は詳細解説ではないのだ。その分野に対する興味を喚起することなのだ。
だからこそ、基本的にこのチャンネルの動画に対する正しい態度は、興味を持ったら追加の自習をすること。動画の中で紹介されている参考図書を買うなり、他の資料を手に入れるなり、動画をとっかかりにその分野の勉強を始めよう。その過程の中で、実は動画で紹介されている内容は大きく省略された事が分かったり、もしかしたらそもそも間違っている事が分かったりすることもあるかもしれない。でもそういう事実に気づいている段階で、知識がかなり血肉になりつつある。
動画で紹介されている内容は、識者から見ればかなり省略されているのだろう。省略で済めばともかくとして、おそらく誤った内容すら含まれている。これが問題だと指摘する声も大きい。でも安心して欲しい。あの動画だけで「為になった」とか言って満足している視聴者は、誰かにその知識を拡散するようなこともなく、ブラウザを閉じると同時にその内容も忘れてるよきっと。
基本的にはあの動画のおもしろさは中田敦彦のドラマチックなトーク力で、つまらない、難しいと思っていた教養的内容をエンタメとして見せてくれるところにある。扱っている内容が教養であるので、視聴者はなんだか賢くなったような満足感があり、毎日更新される動画を麻薬のように求め、中田敦彦のファンになっていく。でも実はその内容は身になってない。瞬間的な気持ちよさ。何のインプットもアウトプットも無いし、思考も行動も変わらないのに「なんか成長した気がする!」って自己啓発的な気持ちになってるの。
だから多少の間違いがあっても目くじらを立てる必要無いと思うんですけどね。というか、もし正しい知識を広めたいって気持ちがあるならば「中田敦彦のここが違うので詳細解説します!」ってやってよ。でも、そんなことは面倒だし、そもそもなんで間違った本人が訂正しなくて他人がコストかけて修正すんだよって話でしょ?。そんな手間暇かかることをやるような人は現れない。現れてほしいけど。そもそも識者に監修でも受けて、間違いの無い完全無欠な内容の動画を最初から作ればいいって?たぶん中田敦彦はそこまでガチガチに正しい知識を広める使命感があるわけでもない。内容そのものじゃなくて、学びの面白さを伝えているだけなのだから。
結論として、こんだけの内容を無料で公開してくれるような人間、コストをかけてくれる人間は今のところ中田敦彦しか存在しないので、その存在は貴重であり、視聴者にも求められてチャンネル登録者が増えた。そして内容に多少の間違いを含んでいるかもしれないけれど、学びのきっかけになるかもしれない動画は存在していた方が良いと思うんだよね。
「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」内で2018/08/31~開催されたイベント『新しい季節、その前に』で実装された楽曲ガールズコードに関してのお話です。
ガールズコードはPoppin'Party11th Singleとして2018/10/03にリリースされ、イベントストーリーをそのまま書き出した様な歌詞になっています。
この曲の特徴としては今までのPoppin'Partyにはあまり見られない無い「語り口調」の歌詞で曲が進行していきます。
「明日みんな何着ていくの?」
「そんな事を真顔で言わないでよ」
以前私の友人が以前この様に言っていました。
私もこれには全くの同意見であり「語り口調」ではあまり考察の余地が無いと考えており、正直ゲームにて実装されたワンコーラスを一聴した際の感想としてはイベントストーリーと歌詞の照らし合わせ以上の「余白」が無い様に思えました。
初めてフルコーラスを聴き終えた後、私の楽曲に対する印象が一変しました。
「夜を止めて」
そしてこの曲自体が他のPoppin'Party楽曲に見られる、ある言葉の比喩になっていることに気付きました。
『永遠』
これは中村航氏がバンドリを通して描き続けてきたテーマとも言える言葉。
「昨日が今日になって、明日になって、未来になって、永遠になってた」(キラキラだとか夢だとか ~Sing Girls~)
「CiRCLING! 永遠の途中」(CiRCLING)
「夜空をいろどる 刹那の花 永遠を焼き付けて」(夏のドーン!)
この「永遠」は共有した想い、共有した時間、所謂「思い出」や「経験」それら全てを内包する確定した事象であり、永遠に変えることが出来ない「過去」の事だと考えています。
楽しいや苦しい、嬉しいや悲しい共に過ごし感じた全ての事象が「永遠」であり今のPoppin'Partyを構成する物である。
経験した一瞬一瞬を繋ぎ合わせ、永遠という言葉で表現し歌としてアウトプットする。まさにタイムラプスの様です。
その「永遠」という言葉で比喩された彼女たちが過ごした時間を、より多くの方にわかり易く伝える為の楽曲だと気付かされました。
『新しい季節、その前に』のイベストの各話サブタイトルに必ず「時間」という言葉が入っており、作中の彼女たちにも我々と変わらない「時間」が流れている事を意識させる工夫がされてます。
そしてガールズコードの歌詞構成にも曲タイトルの「ガールズコード」以外の言葉が重複しないという工夫がされており、『同じ時間は二度と無い』という事を意識付け、楽曲が進行して行きます。
決して止めることの出来ない時間。
学校が楽しみであり、夏休みが早く終わらないかと言っていた香澄。
それらを理解しながらも作中で「後十分だけ!」曲中で「後五分だけ!」と過ぎた時間に後ろ髪を引かれる香澄。
その思いが歌詞としてアウトプットする際に、作中では決して言葉にしなかった思いが香澄から溢れます。
「夜を止めて」
『永遠』を願った瞬間でした。
「夜を止めて」
曲中で初めて繰り返される言葉により切実な香澄の思いを感じることが出来ます。
多くの方々が一度は「この時間がずっと続けば良い」と考えたことがあると思います。
だからこそ、この歌詞を書いた時の香澄の心境は多くの方が理解できるものであり、彼女たちが歌う「永遠」という言葉に込められた物の輪郭がとてもわかり易く描ける様になれたのではないかと思います。
けれど義母は「本人がどう思ってるか興味はなくて、自分の子が自分の思い描いた通りに動くかどうかに1番の関心がある人」とは全くかけ離れたタイプです。
ですので、そのアウトプットを結論に結び付けるのは早計かと思いました。
私が観察した限りでは、義母は思考と言動が直結したタイプで、普段は年の功と経験からその性質を抑制出来てますが、危険に直結した部分となるとタガが外れるようです。子供が道路に飛び出さないよう気を張りっぱなしだった子育て時代に戻ってしまうのでしょうね。
私の夫が独身前の気持ちを書いているのではと思ってしまいました。
まあ独身だったのは20年も前の話なので、それはないでしょうけれど。
よいご縁がありますように。
あけましておめでとうございます。新年の抱負に、以前に勤務先のアドベントカレンダーで共有した内容を編集してインターネットに放流します。少し古い部分が残っているかもしれませんがご容赦を。
自分の経験から、英語のべんきょうに役立ったと思われるものをピックアップしてお伝えします。本年こそは継続的に時間を作ろうとい う決意表明をかねて、記事にします。気張った感じがするのを嫌って、「勉強」と書くのを避けました。
大学生の頃でした。当時、研究室配属になり英語論文を読み始めたのですが、さっぱり読み解くことができません。そこで英語学校に通うことにしました。駅前留学系は料金前払いで絶対失敗すると思ったので、当時2ちゃんねる英語板で最も厳しいと評判だった渋谷の通訳翻訳養成学校に通いました。
結果的にこの厳しい学校に半年通ったのが大きな成果でした。毎週カセットテープ(!)をもらい、全く意味の分からないCNNニュー スを聞き、書き取るところからでした。英語であることだけは分かるものの、まったく訳が分からず苦行そのものでした。しかし意味が分からないまま2週間聞き続けたところ、ある夜、突然文字で聞こえるようになった感触を今でも覚えています。
英語学校の期末となり、進級試験に落第したタイミングでTOEICを受験したところ、770点でした。聞こえるようになりましたが、依然として話せる感じは全くありません。
その後就職し、そのまま数年が経過しました。社会人生活が徐々に進むにつれ、英語で説明を求められる機会が増えてきたところで、再び同じ通訳養成学校に通いました。このときは新聞記事中心の宿題で、半年経過後のTOEICは820点だった記録が残っています。
この頃から毎週、夜の22時から電話会議に出席するようになっていました。日本からの参加者は自分一人だったため、なんらかの責任を感じていたような気がします。幸い、言っていることは大体分かるのですが、話題に飛び込めない。ときおり日本からの主張を挙げる必要があったのですが、即座に文を作ることができず、ほんとうに辛かった。主張しなければいけないトピックがあるときは全部スクリプトを下書きし、発音練習してから臨んでいました。
ここで一念発起して、快読100万語!ペーパーバックへの道 (ちくま学芸文庫) ( http://www.amazon.co.jp/dp/4480087044 ) という本を参考に、絵本から復習を始めることにしました。すると、Oxford Reading Tree ( https://global.oup.com/education/content/primary/series/oxford-reading-tree/ ) や "I Can Read!"シリーズ ( https://www.icanread.com ) といった絵本から、小学生低学年向けのマジックツリーハウスシリーズ ( http://www.amazon.com/dp/0375813659 ) と読み進めるうちに、読書スピードが格段に速くなっていきました。計測サイトで試したところ、ネイティブの小学校1年生くらいまでになったと記憶しています。
リーディング強化と同時に、podcastで配信されるNHK英語ニュースを毎日聞いていました。その修行の成果があり、900点となりまし た。同じ年に初めての海外出張があり、会議でためらわず発言できる程度になっていた記憶があります。具体的な方法は後述。
数年後に留学機運が高まったタイミングがあり、IELTS対策をしました。このときは留学支援会社の英語学校に通い、文法と定型的に書く方法をやりました。結局留学しませんでしたが、正しく英語を使う意識がついたようで、今でも役立っています。TOEFLは興味のない分野の語彙を覚えるのが苦痛でまったく合わなかった。IELTSは英語で国語の試験をやっているような感じで、自分に合っていた気がします。
だまされたと思って、近所の図書館でOxford Reading Treeの実物を見てみてください。品川区立図書館や目黒区立図書館には所蔵されてたはず。3才児レベルの1ページ1単語から始めるのですが、これが馬鹿になりません。日本語の絵本を考えると瞬殺ですが、英語になったとたん、各 ページの理解に一瞬引っかかりを覚えます。どうやら、この引っかかりがなくなるまで、同レベルの絵本をたくさん読むのがいいようで す。少し値段は張りますが、セットでまとめ買いする価値はあると思う。ただ、今ではアプリで似たようなことができる教材があるかもしれません。
自分の場合、途中で絵本を卒業し(飽きたとも言う)、マンガに移行しました。ドラゴンボールの全巻セットと、よつばと!(Yotsuba&!)をamazon.comから輸入して読んだのが、本当に力になったと思います。辞書は引かずに読みました。ドラゴンボールはほとんどストーリーを忘れており、新鮮に楽しめました。数語で端的に状況を表す表現がたくさん出てきたように思います。1ページあたり、30秒から1分程度掛かっていました。よつばとは日本語版を読んだことがなかったのですが、評判を聞いていたので挑戦しました。生活に関する言い回しを、英語でそのまま覚えたりできました。おつかいは errand.
マンガでやっていく場合、ポイントがいくつかあったと思います。
PodcastでNHK World Radio Japan ( https://www.nhk.or.jp/podcasts/program/nhkworld.html ) を毎朝聞きます。聞くだけでなく文字を目で追うのが重要。
出勤前など事前にダウンロードできるやり方として以前の方法を残しておきます。今では通信環境が太いことも多いと思うので、通勤中のストリーミングに抵抗がないのであれば、直接NHK World - Japan ( https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/ ) で各記事を読みながら音声を聞くのでも良さそうです。
これを数件繰り返していました。対象ニュースを探すところで真剣に聞くので、ヒアリング力が上がったのと、音と文字が結びついた のが実感できた記憶があります。
Netflixが頭一つ抜き出ているのは、Chaos Engineeringによるオペレーションです、いやこの記事はそういうトピックじゃなかった。Netflixは英語字幕を提供してくれているところが本当に素晴らしい。Chrome拡張に、英語と日本語の両方の字幕を同時に出せるものがあるので、これを有効にしてダラダラ見ているだけでめちゃくちゃ力がつきます。すべての作品が英語と日本語の両方を提供してくれるわけではないですが、動画を見るのが嫌いじゃなければ、今ならマンガよりもNetflixだけでいいかもしれない。
ここ1年ほどDMM英会話を続けていますが、他の学習をすべてサボっており、単に1日25分会話しているだけだと本当に伸びません。上で挙げたようなインプットがあって、25分の会話のアウトプットに意味が出てくるのかなと感じます。
今年こそ再開していくぞ!
思った以上の反応を頂いて驚いてます。
コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事にしました。
興味あったら見てください。
https://anond.hatelabo.jp/20200102201209
釣りっぽく書いたけどほんと。
結構色んな意味で読書や知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった
なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます。
書きたいのは100分de名著シリーズを対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。
スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。
いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。
だから最初の20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。
勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。
さらに、その要素が「影響を与えられた」ものの解説として出てきたり「影響を与えた」ものの解説として出てきたりする。
何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。
なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。
まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。
そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。
実に20年ぶりくらいに読書にエンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。
よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。
今みたいにリアルタイムに意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。
ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。
アインシュタインの相対性理論だって、洞窟で暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。
それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、
現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。
そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも、歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。
文系の学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。
果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家や哲学者だけれど、
天才の誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通の文学者の役割で、
アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。
これ、理系のブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。
(天才、と呼ばれる人間も自身の業績についてちょっと違う視点で物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)
「かなりいい勉強になった」
「大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」
「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。
そこで計算した。
100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。
以下、とても雑な計算だけれど。
100冊なら、約11単位。計算してみて驚いたが、たったそれだけ。
一般的な大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。
定義上サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。
嘘でしょ?
驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。
こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間の講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。
http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html
原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。
「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家の解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」
場所だ、ということだ。
ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。
私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあんな無駄な時間を、、、
可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。
なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。
活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味で読書を趣味にすることは出来ないと思った。
ていうか、楽しむ余裕がない。
スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。
この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割を果たしてくれたと思う。
練習のための練習として、この「解説書読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ
週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。
平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置にしおりを挟んで寝ることが出来る。
進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。
価値が保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、
読んでいた時間が無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)
という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。
つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。
いろいろな本の中で語られていたことだが、
日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。
下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので
自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが
考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。
実はこれが一番の収穫だと思っている。
というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。
の前に
解説本読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。
これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論はまさかの高校教科書だった。
今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識の統合がすすむすすむ。
なぜ俺はあんな無駄な時間を、、、と思うけど、おそらく解説本読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。
さて、年末に山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、
途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。
来年もシリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。