はてなキーワード: アウトプットとは
社会人になってから三次の推しにハマり、趣味の絵描きを辞めた。
全通したり、雑誌を買ったり…三次のオタ活も金と時間が中々に忙しい。
三次の推しでBL妄想することはあれど、アウトプットしている余裕はなかった。
このままでは死んでしまう…と思い、また同人の世界に帰ってきた。
三次の推しを変えても良かったんだけど、三次の応援してる時って、推しを一方的に消費しているだけで、自分が何も生み出していない事に焦りを感じていたので、三次は卒業することにした。
しばらく漫画などを読み漁り、このジャンルで活動したいな、と思える作品に出会えた。
自分の年齢も年齢なので、若い子たちが好きそうなジャンルはなかなかハマれなかったが、おっさんや筋肉が出てきてストーリーも面白い!と思える作品。
十年以上絵を描いて居なかったので、漫画を描ききる自信がなかった。
こんな無名の奴が書いたお話なんて、1冊でも売れたら万々歳だな…と思っていた。
何事も記念だよな!という感じ。
気を良くして、二冊目の制作に取りかかった。
やっぱりマンガが描きたい!と思った。
まずは画力を取り戻そうと、三ヶ月くらいデッサン等の練習をした。
また三ヶ月かけて、何とかマンガが完成した!
めちゃくちゃに嬉しい。
コロナの影響とかもあるけど、いやぁこれは売れない。
自己評価だけど、私の小説力は100点満点中60点、漫画力は35点くらいだと思っている。
小説読みもかなり多いよ。
全盛期から比べれば何本か減ってきたけど、変わらず問題なく生きていけてるし、最低限の本数さえ確保していれば別にいい気がしてきた。
世の中的には可能な限り歯の最大数を維持しようという考えが主流のように思う。
でも歯を維持するために投入する種々のコストとアウトプットを考えれば、歯を維持するのって必ずしも人間を幸せにしないよなあと。
割り切って、歯は最低限でいいっていう領域として捉えることができれば楽そうだ。
こんなことを思ってはいるものの、じゃあ最低限の本数っていくつだと。どこまでが減っていい限界か。
歯が減るっていう不可逆性の現象に対してアプローチするの大変だよなあ。一回減らしてしまうと、値を増やして検証って訳にはいかない。
人が何か(ex.各種スポーツ、各種習い事になるようなこと、人との会話やあらゆるコミュニケーション、歌...他あらゆること)を習得するときは以下をポイントとして押さえると早く確実に習得できる。
・行動すること
実際に話す、体を動かすなどの行動(アウトプット)を起こし、その結果が目的通りか、目的通りでなければ補正して再度アウトプットを出して結果を判定する、を繰り返すことでのみ習得できる。「経験を積む」「体で覚える」があらゆることで有効。頭の中でシミュレーションすることはアウトプットを良質にするけどアウトプットまでやり切って身になるのでほどほどにして行動を起こすのが良い。要はたくさん失敗と成功を繰り返して安定した成功パターンを身につけることなので、失敗が許容されにくい場面ならシミュレーションを入念に行うし、許容されるのならシミュレーションよりも思った通りに行動してみるのが一番早く習得できる。
・言語化すること
ゴール(目的)は何なのか、今何ができているのか、何ができていなくて、それをクリアするためにはどうしたら良いと思うのか、言語化する。言語化する際にはまず思ったまま書いてみて、書いてみた結果を見てやっぱり違う、とか必要な補正を繰り返す。無意識にそんなはずないと直感していることでも自分の中にあるものを言語化してアウトプットしてから削除して次の思考に切り替えていく。言語化して決めたことを実際に行動してみる。行動する際には言語化した内容を拠り所にして、必要なら頭の中で復唱しながら身体を動かして結果に繋がる有効な動かし方の感覚を体感して覚える。体感で覚えるだけだといずれ感覚を呼び戻せないスランプになるので、安定したパフォーマンスのためには身体感覚や身体全体のバランス感覚をいつでも呼び寄せられるような拠り所になるような的確な表現の言葉を紡ぐよう努める。
・核となる信念、思想、思いを見つける
習得する(できるようになる)ためにはお手本を探して真似るのが早い。最初は10点くらいでもお手本の各ポイントを真似て50〜60点くらいには急激になれる。なれるがチグハグでおぼつかないものになる。お手本が優れたパフォーマンスを発揮するのは根源となる信念か思想か執着、こだわりなどの強い思いが核となった結果出てきた行動なので、全く同じパフォーマンスを発揮するなら同じ思いを持つ必要がある。形から入ることもとても大事で、形が出来上がったらその核を探り当てることまでやり切ることが習得には必要になる。
連休中に「マツコの知らない世界」の「写真アプリの世界」を見たのだが、
その内容が色々とクリエイティブというものについて考えさせられるものだった。
二人の喋っている言葉を聞くと、どこの方言かと思うくらい我々の世代の言語とまるで違う。
自分が直接会話したところを想像してみてもスムーズに意思疎通ができるとは思えない。
その言葉の意味を汲み取って会話を成立させるマツコはやはりタダものではないと感じた。
世間にはJKとお近づきになりたいおっさんたちが一定数いるようだが、
こういったジェネレーションギャップをちゃんと理解した上で言っているのかと理解に苦しむ。
むしろJK世代の娘がいるお父さんたちは夕餉の会話はさぞかし大変だろう。エモすぎ。
閑話休題。
私も妻も外食や旅行が好きなのであちこち行っては記念に写真を撮る。
光源や色味にはうるさく、彩度や明度など各色調パラメータをいじっては唸る。
iPhoneの標準アプリで納得できないときはPhotoShopなどを持ち出しては調整する。
もちろん専用のアプリを導入すれば手軽にキレイなものが作れるのは知っているつもりだ。
ただアプリでできあがる結果はいまひとつ足りないとか、やりすぎになってしまうことが多い。
だからもし撮った写真を綺麗にするぞとなった場合は細かいパラメータたちと戦うのだ。
もちろん写真家の作品との比較であれば大きな差がつくのは当たり前だが、
インスタのいいね獲得数トップレベルの人たちの作品はどれもプロ写真家の作品というわけではないが、
そのまぁまぁのクオリティの機能たちをフル活用し、多くの人達の評価を得ているからこそ、
この子たちはインスタユーザー代表としてしゃべっているのではないのだろうか。
エンドユーザーからすれば番組のプレゼンターとして登場している小娘二人のような、
今インスタをフル活用している世代が使っているアプリの方が圧倒的に強い。
だって無料だし簡単だし、なんといってもスマホ一つで事足りる。
しかも以前Adobeがドヤ顔でプレゼンしていた背景から余計なものを消す機能も、
今では無料アプリを使って指をなぞるだけで綺麗に消し去ってくれるというから驚きだ。
こうなってしまってはパラメータをいじっているうちに完成像がブレてきて、
あーでもないこーでもないと悩んで調整するよりも、
すぐに結果を確認することができるワンクリックアプリのほうが、
センスをよりストレートに作品に反映できるのではないかとすら思えている。
たくさん作品を完成させるほどセンスが育つのは、どのクリエイティブにとっても言えることだ。
特にインスタグラムが日常に組み込まれている彼女たちは日々センスが鍛えられているだろうし、
彼女たちも最初はキラキラした自分を演出することに躍起になっていたのだろうが、
その結果として新しい芸術作品が生まれているということなのである。
総合的に高いクオリティのものを生み出すには視野の狭いクオリティアップに時間をかけるよりも、
近道できる手段があるのであれば積極的に取り入れるべきであるのだろう。
これはプロのクリエイティブにもまったく同じことが言えるのではないだろうか。
効率化を意識し、空いた時間は勉強して未来に投資するなり、家族と過ごすなりした方がいいと思う。
そのさ、自分だけにしかできない事、みたいなものを「点」で考えるのをやめなよ。
「点」って言ったのは、一つの物事について、世界一の熟練度を持っているとか、そういうののこと。単一の頂点と言うか。
「点」はメジャーなものからマイナーなものまで世の中にたくさんあるけど、どれかでトップを取ることにそれほど拘泥する必要を俺は感じない。それが必要になる人は、アーティストとかパフォーマーとかアスリートとか、そういう人たちだけだ。
そんなことをしなくても、すべての人間は、各々が生きてきた中で既に「点」同士を繋げた「線」や「面」を持っている。各「点」自体の強度はNo.1じゃなくても、「線」や「面」として組み合わせたものは間違いなくユニークでナンバーワンのものになる。
まだ確信できないなら、「点」の要素として「自分が生きてきた時代」のような要素や、「自分が見聞きしてきたもの」すべてが入るとしたら、どうだろうか。
実際、誰にもマネできない素晴らしい作品などをアウトプットしてきた人たちも、自分が過去得た「点」を組み合わせて何かを為しているだけだ。
仮に何も生み出せていない人であったとしても、自分とまったく同じ環境でまったく同じ人生を歩んできた人間はこの世界に誰も居ない、ユニークであるという事実は変わらないのだから、すべての人間は存在しているだけで凄まじい潜在的価値を持っているんだよ。
生きていれば何かの拍子に「点」が繋がっていく時がある。何かと出会えた時、何かを為せた時、「点」を意識できていれば楽しくなる。自分が蓄えてきた「点」をつなぐボーナスゲームが人生なんだよ。
そのさ、自分だけにしかできない事、みたいなものを「点」で考えるのをやめなよ。
「点」って言ったのは、一つの物事について、世界一の熟練度を持っているとか、そういうののこと。単一の頂点と言うか。
「点」はメジャーなものからマイナーなものまで世の中にたくさんあるけど、どれかでトップを取ることにそれほど拘泥する必要を俺は感じない。それが必要になる人は、アーティストとかパフォーマーとかアスリートとか、そういう人たちだけだ。
そんなことをしなくても、すべての人間は、各々が生きてきた中で既に「点」同士を繋げた「線」や「面」を持っている。各「点」自体の強度はNo.1じゃなくても、「線」や「面」として組み合わせたものは間違いなくユニークでナンバーワンのものになる。
まだ確信できないなら、「点」の要素として「自分が生きてきた時代」のような要素や、「自分が見聞きしてきたもの」すべてが入るとしたら、どうだろうか。
実際、誰にもマネできない素晴らしい作品などをアウトプットしてきた人たちも、自分が過去得た「点」を組み合わせて何かを為しているだけだ。
仮に何も生み出せていない人であったとしても、自分とまったく同じ環境でまったく同じ人生を歩んできた人間はこの世界に誰も居ない、ユニークであるという事実は変わらないのだから、すべての人間は存在しているだけで凄まじい潜在的価値を持っているんだよ。
生きていれば何かの拍子に「点」が繋がっていく時がある。何かと出会えた時、何かを為せた時、「点」を意識できていれば楽しくなる。自分が蓄えてきた「点」をつなぐボーナスゲームが人生なんだよ。
俺はこの言葉を聞くと嘔吐が出るような心地になる。皆で仲良く……的な相互憐憫みたいな雰囲気も、逆に「進め一億火の玉だ」的な全体主義も大嫌いなのだけど、それ以外にも理由があるんだ。
会社である目的でプロジェクト立ち上げるとして、ある単一の方法論でワンチームで進める、なんて、こんな不合理はないと思う。複数のアプローチに沿ったチームを組んで、互いに一種の対立関係を持たせる(この対立の塩梅が難しくって、対立させ過ぎても駄目だし、逆になぁなぁになっても駄目なんだけど)方が、余程アウトプットに執着するだろうし、ディスカッションもシビアなものになるじゃん。なのに何故「ワンチーム」なの?って、そういう話だ。
パソコンスクールでおじいちゃん・おばあちゃん達にパソコンを教えている。
仕事だから言えないけど、ハッキリ言わせてもらう。スクールでの勉強は意味が無いよ。
「ここがわからない」。そうして1年後もまた同じ質問をするんだろう。
教えてもらってる間は覚えた気になるでしょう。でも、アウトプット前提じゃないからすぐに忘れる。
俺自身がそうだった、教えるために勉強してるけどすぐに忘れるんだ。日常的に使う予定が無いから。
かつて居酒屋の厨房で働いてた頃、「ABC料理教室より、こっちの方が100倍料理覚えるじゃん。死ぬ程キツイけど」ってマジで思ってた。
片や、お金を払ってお友達とわいわい料理を勉強。片や客に先輩に社員に怒られながら、必死に料理を作る(らないと外される)。
そりゃ、居酒屋の方が覚えるわ。今でも体に染みついてる。半年しか働いてねーのに。
ExcelもWordも、何か強い目的があってそれを行うために覚える。ならいいんだけど。
とりあえず使いたいから覚えたい。
だと一生無理です。
大切なの無目的に言葉を連ねないことだ。音声入力はそれだけでも面白い。日記ならば良いのだが他者に価値を提供したいと言うのであれば他者が求めているものを書かなければならない。他者が求めるものは何なのかどのような形でアウトプットするのかを意識することが大切である。さもなければ自己満足に陥ってしまう。
ゲーテが教えてくれているようにアウトプットの形を意識していかなければならないのだ。
何を目的としてこの情報与えるのか。一般的な事柄であれば他の誰かが既に大量に公開しているので自分が提供する意味は無い。意味のあること重要な事に注力しなければ無駄な時間になってしまう。それは避けなければならない。価値ある行為、価値高い行為に注力しなければならない。
web広告では「うわ、私の年収低すぎ…」的なネガティブな広告と
twitter界隈(特にweb系、コンサル系フリーランス)の躁気味な呟きと行動力を見ていると
どんどん心が病む。
できるだけこういったものは見ないようにしているんだけど、
こういう人たちの行動力は見習う必要があると思って時々眺めている。
例えば「初めて○○日で月収〇〇円しました!」みたいな意識高いやつ。
情報商材的なものと本当に意識高く行動している人が混在しているこの手の人たちは
それにも関わらず中にはメンヘラ経験有りもいてどうやったらその境地にたどり着いたのか
本当に不思議で仕方ない。
というかあの人たち、自分は未経験と書いて成功するまでのサクセスを書くけど、
その期間が圧倒的に短すぎたり、アウトプットが凄くて、明らかに未経験に見えないのが気になる。
それに文化系のようでマッチョイズムがすごい体育会系に見えるし。
自分もこういった人たちのようになれればいいのだが、どうやってもそこに行ける気がしない。