はてなキーワード: 記念日とは
このご時世柄、それはもう転がり落ちるようにハマっていき、幸いにも絵が描けたのでファンアートなるものを描いてTwitterに上げるようになった。
人というのは贅沢な生き物で、そこそこいい年の私は『タグ』という文化に馴染みがなかったものの、ファンアートタグを付けることでVTuber本人がみてくれる、という事を知ってしまったのである。
死ぬほど悩んでタグを付けるようになり、本人が巡回してくれていいねやRTを付けてくれるようになった。
ここで満足しておけばよかったのだ。
実はVTuberがタグのついているファンアートを使いますよ!という文化に少し抵抗があった。描かせて貰うのだから使うのはまあまあいいとして、使って『もらう』ための透過画像まで用意する文化に、著作権やら肖像権やらに弱い古のオタクは戸惑い、まあ別に本人に見て貰えるだけ今まであったなによりも凄いんだしいいや、と透過画像も付けずファンアートをぽんぽんと投げ込んでいた。
段々ファンは増えていき、ファンアートも増えていく。それを微笑ましく眺めていた。VTuberもファンアートに対する態度は様々で、VTuber本人が絵を描ける場合は特に親切で、絵を描く大変さを理解していてリプまでくれるほど感謝をしてくれたりする。
私の推している人は逆にそこまで…というタイプで、感謝されるのは嫌いではないけどあまり構わないでくれる推しの方が個人的には合っていた。ファンアートもサムネにそこまで使うタイプでもなかった。
何かの記念日があった。勿論記念日おめでとうの絵は描いた。が、何を思ったのか私はその絵の透過画像をつけたのだった。
もうここまで読んでいれば分かるかと思う。そう、使われずやきもきしだしたのだ。分かっている事だった。使うにしろ気に入った物を何回も使う人なのだ。順番は早々回ってこなければ、そもそも使われるというステージにも上がれていないのだろう。多分そこら辺を皆は分かっているし、私も分かっていたのでその人のファンアートにおける透過画像は極端に少ない。
私より後に投稿されるファンアートが使われる度に少し心が痛んだ。なんで魔が差してしまったのかと。なぜ最初の心持ちである『見て貰えるだけで幸せ』でいなかったのかと。
まあ……きっと同じように思ってる人はいるのだろうと思ってわざわざここに登録してまで書きたくなったのだ。なんも考えずに推しを楽しく描こうぜ!と言いたかったし自分にも言い聞かせたかったのだ。
私は明日からも懲りずに描くし、恐らく透過画像も投稿することだろう。また最初にワクワクしながら描いていた気持ちに戻ろうと思うし、見てくれていると思うことで十分だった気持ちも思い出そうと思う。全てのVTuberが健やかに楽しく配信をしてくれと祈りながら。
お寿司って特別感もあって、ファミリー向けで注文も楽で各々好きなものが食べれる。私の弟は特に偏食で好き嫌いも多く、寿司屋でもサーモンかまぐろしか食べないから普通の寿司屋より回転寿司屋の方が良い。
でも23歳にもなって誕生日っていう記念日に家族で回転寿司屋行くのは嫌だな。しかも回転寿司屋の中でもくらとかスシロー系の超安価なところ。
特別な日に行く店じゃないよ、友達とも行くし何なら一人でも入れちゃう。
デニーズとか行くより安く済むし、何でもない日に友達とお出かけして食べるランチのが高くつく。
それに小さな子供がギャイギャイうるさくて憂鬱になる。全員成人している家族が行くような場所じゃない。
小さな子供連れた家族がごった返した待ち合いスペースにいるたび、周りからどんな目で見られているんだろう……と落ち込んでくる。周りはどうも思っていないだろうけど明らかに浮いている。
私の家は別に貧困層では無いし、公立高校の学費免除にならないくらいには親稼いでるのに何で……回転寿司屋を特別な店扱いするの………行くなら私抜きで行ってください……
いまはまだだれも広く交友関係に繋がりがあると思うけどまわりの人間の多くが結婚や恋愛みたいな関係性を築き始めると自分の相手をしてくれなくなる
そうなったとき自分の行動や時間を共有してくれる人がほしいと思うのはわりと自然なことのはず
自分の行動が人に認知されていないと存在しているのかどうか自信がもてなくなるというか お一人様の行動が心細くなる
自分の行動により強い関係性で共有をもとうとしてくれる相手がほしいなと思うようになる
ただそれだけの話 人はだれかといたくなるんだよ
そうじゃない人ももちろんいるとおもう あなたみたいにみんなが自分との関係をなくしていったとしてもなんとも思わない自分の時間を他人と共有する気のない人もいる
そういうお嬢さんもいるだろうしそういうおじさんもいるだろうと思う そういう人たちは結婚もしたくないだろうし恋愛もする気もないだろうあなたと同じだ
わたしは周りの友たちが結婚してもどんな状況でもいまのまま交友関係があるけど ないひともいるんだね というなら予想が楽観的すぎだとおもう
もちろんそんな関係もあるとは思うけれども自分の時間がほかにとられるようになっていけば自然と独り者のあなたにだけさく時間よりより多く複数の対象である自分の用事や家庭のほうにむくでしょう
結局単純にとどのつまり自分がさみしくならないように話し相手を一人確保しておきたいから結婚するってことだよ
旅行や食事や記念日やイベントがあったり商品や娯楽で共有や新しい発見とか影響をうけたり自分の世界が拡張したりだれかに影響をあたえたりということをしたいわけで
そういうことに興味も共感も必要とおもっていなければ友人も結婚相手もいらないでしょう
そんなの友人でいいじゃん とお思いなら それらは結婚相手の次にくるポジションなので全員が同じ価値観じゃないかぎり取り残されはするはず
それでもなんともないのなら必要ないのでは
辞めた会社は居心地良い会社だったけど、人財と書く昭和体質の中小企業で、
定年後に初のプロパー出身役員になると目される総務畑の偉い人に目をつけられたので辞めた。
「あーコイツ」って切り替わった瞬間の周りの目は忘れない。
一時は死にそうだったけど、このご時世でも良い条件で内定もらえたので記念日記。
もう辞めた会社のことは忘れようと思う。
いままで本当にありがとうございました。
と、ここで終えればいいんですが、
会社への予言(退職メールで送られてくるアレや送別会の二次会のアレです)したい衝動に今更駆られてる。
退職時は退職ポエムもせず、引き継ぎ資料や挨拶周りもちゃんとしたけどさ。
今更すぎるし、意味もない。そういうのを受け取ってはシラケてた側だし。
どうすればいいんだ。
ほっとけば衝動は消えるのか。
ここ一か月弱の感情の変遷を残しておきたい。いや、この二年半の、かもしれない。
初めてその報道を目にしたのは、仕事帰りの駅での事だった。呆然としたまま電車に乗ったのを今も覚えている。全く信じられなかった。たちの悪いフェイクニュースでは?とも疑った。スキャンダルとは無縁のグループで、頼れる兄貴分の彼が、まさか。
その後しばらくのことは、あんまり思い出したくない。四人の謝罪会見。生放送で毎日泣いている太一くん。そして退所が決まり、四人のTOKIOの写真がタヒチにアップされた。どうしようもなく悲しかったけど、受け入れるしかなかった。メンバーの方がはるかに悲しかったと思うから。やっぱりTOKIOが好きだったから。
DASHもトキカケも、四人で続けられた。続いているだけでもありがたいのかもしれない。でも、終われなかった、という一面もあるのではないか。様々なジャンルの仕事を抱えるTOKIOは、存在が大きくなり過ぎたのかもしれない。吹けば飛ぶようなグループであれば、一人の不祥事くらい抱え込んで、うやむやに続けられたんじゃないか。そんなくだらない事を考えたりした。
茂子のリサイタルで、「このままじゃ終わらない」と言う言葉を聞けて、嬉しくて悲しくて泣いた。でもその後、メンバーから、TOKIOのこれからに関する言葉は、きちんとは聞けなかったように思う。
もやもやした状態のままでありつつも、残ったメンバーのお仕事はとても順調なように見えた。それは今まで培った信頼の証であると思うので、誇らしいことでもある。ただ、汚れを切り捨てたからこそ、という面もあるように思えて、悲しかった(自ら退所したのだというのはもちろん承知の上で)
25周年には何かあるのでは?とソワソワしているところに山口くんの週刊誌インタビューがあって、四人で音楽を再開するのでは、と話題が上がったりした。それを歓迎できない自分がいた。
私は特に担当というのはおらず、箱推しというか、五人の絆萌え、みたいなタイプのオタクだ。TOKIOは五人でないとダメで、特に音楽活動は五人以外考えられなくて、でもそれは無理な相談で、自分でもTOKIOにどうしてほしいのか分からなかった。こんなに五人推しだったことに、四人になって気付かされた。それくらい、いくつになってもTOKIOは五人だと思っていたのだ。
彼が事件を起こして、失われてしまったものは数えきれないほどある。大好きな平家派もJフレも、存在が一人欠けてしまった。きっと盛大に祝われるはずだった25周年、それを記念したライブも。聴けるはずだった新曲も。音楽番組でのガヤも。
それらを奪った彼のことを、それでも嫌いにはなれなかった。本当は悪い子じゃないんです、とモンペみたいな気持ちにもなった。長いことファンをやっていて、もう勝手に身内みたいな感覚になっているのだ。
昔から、甘いところ、不注意で軽率な一面はあったと思う。ただそれを、持ち前の器用さソツの無さでカバーできてしまっていた。無免許も離婚もなんとなく受け入れられて、その後の仕事に影響しなかった。それも不幸の元だったのかもしれない。
起こした事は擁護しようのないものだ。それでも嫌いになれないのは、彼の今までを見てきたからだ。
24時間で、ゴールするリーダーを見つめる潤んだ視線。明雄さんのお見舞いで、その手を握る姿。東京に避難してきた北登を撫でて、涙ぐむ様子。まな板事件。思い出すのが泣いているところばかりなのは、彼は悪い人じゃない、と信じたいからなんだろうか。
何が彼をここまで追い詰めたのだろう。
村がまだあったらなら、明雄さんがご存命だったらまた違ったのだろうか、等らちもないことを色々考えたけど、もちろん答は出ない。
おそらくアルコール依存症だと思われる状態になるまで、誰も彼を救えなかったんだろうか。一連のことで私がもっとも落ち込んだのは、この事かもしれない。メンバーの存在は、山口くんの救いにはならなかったという事実。
家族でもなく友人でもなく同僚でもない、メンバーという特別な存在に、夢を見過ぎでいたんだろうか。
一時期話題になった、連帯責任という言葉がもし適用されるなら、彼が病んでいくのを止められなかった、という点ではないか。もちろん実際のところは全くわからないけれど、思ったよりメンバー間の繋がりというのは薄かったのかな、と。アラフォーにもなれば、それが自然なのかもしれないけど、やっぱり悲しかった。
もう彼は見たくない、早く四人で音楽活動を、という声もネットでよく目にした。理屈では理解できるけど、感情的にはまったく受け入れられない意見だった。私には音楽の専門的なことは分からないけれど、例えサポートのベースを入れたとして、それは果たしてTOKIOの音楽と言えるのか。あの甘い歌声、ツインボーカルやハモりの美しさも、TOKIOの音楽の大きな魅力なんじゃないのか。深い信頼をおいた存在が奏でるリズムだからこそ、生まれるものがあるんじゃないのか。表立ってはとても言えなかったが、そんなことをつらつらと考えていた。
ファンの感情をよそに、結局TOKIOが音楽を再開することはなかった。かわりにささやかれ始めたのが、長瀬くんの脱退説だ。まさか、いやでも。また感情が振り回され、DASHやトキカケのちょっとした発言に一喜一憂したりする日々が続いた。
そして7月、正式に長瀬くんの退所が発表された。ショックと同時にああやっぱり、という気持ちもあった。でも、そのショックを打ち消すような、タヒチでの太一くんの言葉で、全てが報われたような気がした。ツイッターで、「浄化」という言葉を使っていた方々いたが、まさにそんな感じで。それくらい、「TOKIOは五人」という言葉はありがたいものだった。
何がつらかったって、まるで始めからいなかったみたいに扱われることで、何かのバラエティの結成秘話VTRで、山口くんの存在が抹消されていたときはもうファンやめそうになったくらいだ(やめてないけど)
だから、ひっそりと彼の痕跡を流してくれるDASHには本当に感謝してたいた。
そんなところに、メンバー本人からの、五人発言だ。大げさでなく涙が止まらなかった。今までの自分の感情を肯定してもらえた気がした。五人のTOKIOが好きだと、堂々と言っていいんだ。それが何より嬉しかった。
その後の会社設立、インタビュー、そして921のサプライズプレゼント。
会報の中でも、彼の話題が出ていた。松岡くんの「兄ぃ」を久々に目にしてまた泣いた。校正でいくらでも修正できるところに、あえてそのままにしてある辺りに、覚悟というか決意というか愛情というか、いろんなものを感じた。そもそも退所した人の話題が載ってるのがすごいかもしれない。更に写真が最高だった。やればできるんじゃんアイドル!なんで出し惜しみするの!でもありがとう!
正直にいうと、1回めよりはショックは少なかった。もちろん、このタイミングでなにしてくれてんの!とは思った。
しかし、ここ最近のTOKIOの動向やら、五人発言やらが影響したのでは、ということの方が気になったのだ。まだまだ回復には遠い状態なのだ、というのが悲しかった。これもネットで見た意見だけど、人様に怪我をさせたりすることがなかったのは、せめてもの幸いだったのかもしれない。生放送でのリーダーの言葉には、少し救われた。メンバー自らの発言はやっぱり大きい。
TOKIOは五人です、と言い切るならば、こういう事も起こり得るという、リスクも伴ってくる。だからそれなりの覚悟を持っての発言だったんだと思う。(まさかこんなにすぐ事件になるとは思ってなかっただろうけど)
これをきっかけに、TOKIOの今後が何かが変わるのか変わらないのか、それもよくわからない。
ただのファンには何もできない。ただ、適切な治療を受けられて、人や自分を傷付けることのない状態にいることを、祈るだけだ。
他のメンバーもだけど、どこでどんな仕事をするにしても、とにかく健康でいてほしい。幸せであってほしい。それが今の気持ちだ。
今もずっと感謝しているし、TOKIO名前を残して、続けてくれることが本当に嬉しい。
何なら今も、コロナやら何やらで結構人生のピンチなんだけど、今はTOKIOに救いを求められない。私はV6との掛け持ちオタクなんだけど、25周年のお祝いムードにもついていけていない。むしろ温度差の激しさで病みそうな状態だ。あったはずのTOKIOの25周年に思いを馳せたりしてしまう。不毛だ。
アイドルのファンでいるって、ただの趣味で、本当はもっと幸せなことであるはずだ。こんなに落ち込んだり考え込んだりするならやめた方が楽だろう。
今まで行ったライブで味わった幸福も、CDもDVDも、大切な宝物でありお守りだ。
一時期聴くのが辛かったけど、今はふつうにTOKIOの曲をシャッフルして、久しぶりに再生したカップリングなんかを聴いて、めちゃくちゃ名曲だな⁈と改めて衝撃を受けたりしている。
未来のことは分からないけど、元気で生きていてさえくれたら、いろんな可能性があると思うので。当分はこんな感じで、低空飛行なオタ活を続けていくんだと思う、たぶん。
未だに人気のある某ジャンルでクソマイナーCPを愛で続けて、はや10数年になる。
最初の頃はサイト活動したりサークル活動したりしてたけれど、最近は年に1回記念日にイラストを投稿するくらいになってる。
けれどやっぱりずっと好きで大好き。
同士はほぼ見た事ないし、いたとしても本命CPのサブみたいな感じで本命だという人は見たことない。
Twitterで検索しても関係ない語句として扱われて、求めてるものは出てこない。
ただそんな感じでずっと過ごしてたから今更同士が欲しいとか、人の描(書)いたものが見たいとかいう欲求すらなくなってきてる。
ただ自分が記念日に描いて、勝手に祝えるだけで満足するようになってる現状だ。だって、好きだから。自分が満足すればそれでいいから。今年も描けた!祝えた!満足!!推しCP好き!!
そんな自分だから、「感想が無いから」とか「反応がないから」とかでそのCP、ジャンルから去るのもわからないし、わざわざそれを言うのもわからない。
好きで描(書)いてるんじゃないの???っていつも思ってしまう。
「わたしが描(書)かなくてもー」、とか「わたしが描(書)いても反応貰えないしー」とかわざわざ言ってる意味がわからん。
好きで描(書)いてるんじゃないの???
これが本を作るとなれば作るお金もいるからある程度考えないといけないけど、例えばpixivに投稿するのとかは基本的に無料。Twitterだって投稿するなら無料。
そんな無料のとこに投稿する時にもたまに上記の言葉を見かける。
じゃあ描(書)かなくてもいいんじゃね?と思ってしまう。
好きだったらそんな考えはないよ。
そんな言葉を呟いてなんの反応が欲しいの。そんなん呟いてるくらいなら描(書)いたらいいじゃん。
好きなんだろ??
わけわかんねぇ。
うるせぇ。
俺に無断で俺を含めたみんなの物事を勝手に決めるんじゃない______。
学校でよくある話だが、声のデカい奴らの意見がクラスの総意のように扱われることがある。
わかったわかった。お前らが団結したのはわかった。B組の絆もわかった。だけど、それを俺にも押し付けるな。
とにかく、私には嫌いなことがある。
1つは、花言葉を“語られる”こと。
もう1つは、今日は〇〇の日だという“話題を振られる”ことだ。
だが、さも当然、私もそれに納得するものだという前提を持ったまま、その話題を振られるのがなによりも嫌いだ。
例えば、日本の園芸協会みたいな、とにかく花言葉を管理している団体(知らんけど)が、バラの花言葉が“愛”や“美”であると決める。そうか。勝手にやっていてくれ。
だが、誰かが私に対して「バラの花言葉は“愛”なんだよ」と話しかけてくる。
私はそれに同意していないし、私がバラに対して持っている権利、否、すべての人間がバラに対して等しく持っている権利を、団体という一部の人間によって侵害された気分になる。
私にそれを押し付けるな。
〇〇の日も同様だ。例えば2月22日をネコの日として盛り上がる。いいじゃないか。
だが、私に対して「今日はネコの日なんだよ」と2月22日に話しかけてくる。馬鹿言え。私がネコに対して持っている権利を侵害するな。私はそれを認めていない。
「みんなのもの」に対して「一部」が定めたルールを「みんな」に適用することが、非常に苦手なのである。
前置きが長かった。本題に入る。
私は塾でアルバイト講師をしていたことがあった。基本的になんでも教えるのだが、特に国語の授業を担当することが多かった。
そうすると生徒に漢字に関するアレコレを言われることがある。
答えは、“生”もしくは“下”だ。純粋な質問なら答えるし、自慢したい風ならば、わざと知らないふりをして生徒に言わせる。
だが、それは限定的な話だ。
そして常用漢字表の“生”の音読みは「ショウ」と「セイ」が、“下”の音読みは「カ」と「ゲ」が載っているだけであり、ほかの漢字と大差ない。
つまり、こいつらは「訓読みで読みの数を稼いでいる」のである。
例えば“生”は、「苔生(む)す」と読めるが、これは常用漢字表にはないし、“下”は「ひく(し)」など、おおよそ“低”のような感じで読むことがしばしばある。
そして“生”や“下”以外にもそのように色々な読み方(特に訓読み)をできる漢字は無数にあるわけである。
訓読みは「漢字の日本語での意味」を出発点としているから、どこまでが訓読みでどこからが意読かは判然としない。
したがって、どの字が一番読み方が多いか、などというのは、そもそも成立しない質問なのである。
多様な読み方ができるはずの漢字に対して、「文科省が設定した常用漢字」が、唯一絶対の真実かのように、私に向かってくる。
これが嫌なのである。
また、筆順の話もしておきたい。
筆順なんてものは文部省(当時)が設定したものであり、しかも、文部省ですら、参考であって絶対の基準でないと明言している。
そもそも、現代の筆順があるのは、単に「そういう順番で書くと伝わってきた」からである。
字というよりも図のニュアンスが強い甲骨文や金文などから当時の筆順を判別することは難しく、また、仮に史料から筆順を解析できたとしても、一定の基準があったかもわからない。
完全に推測なので根拠はないが、当時の人は特定の筆順を持たずに、その場その場で書き(描き)やすい順番で書いていたのではなかろうか。
日本において文部省(当時)が国語を教える上での筆順を策定する際には、流派によって筆順が違う字も多く論争があったというし、日中で筆順が違う漢字も多い。
また、常用漢字以外には筆順が設定されていないという現実もある。
もちろん、私は筆順が不要という論者ではない。
漢字を書く際の大原則(上から下、左から右、など)を理論でなく体で体得することは非常に重要で、それこそ教育漢字の筆順を習得することでその後の漢字も自然な筆順で書くようになることができると思うし、
しかし、筆順の問題を出題するような学校や塾のテスト、特に、テレビのクイズ番組は本末転倒であり、無意味と言わざるを得ない。
多様であるはずの筆順に対して、「文科省が設定した基準」が、唯一絶対の真実かのように、私に向かってくる。
これが嫌なのである。
いわゆる異体字というやつで、現代の活字文化で目にすることは少なくなってしまったが、手書きではよく見られるものである。
当然だが、文字の絶対的に必要な要件は、“意味を伝えること”である。私たちは本質的に意味を伝えたくて文字を紡いでいるはずである。
したがって、字形も当然“同じ字として認識できる範囲で”揺れていいはずである。
もちろん、学校の漢字の書き取りで異体字を書くのは勘弁してほしい。そこは国の定めた基準に従ってほしい。しかし、それ以外の場面で漢字が基準と違ったとしても、とやかく言うのはどうにかしてほしい。
伝わることに意義があり、伝わったから正しい字形を指摘できるのだろう。じゃあいいじゃないか。
当然だが漢字は漢字を使う皆のものであり、文科省が完全に管轄できる存在ではない。
しかし、子供たち(否、塾で対面するのが子供というだけで、大人の大部分もそうだろう)はそれを唯一絶対の真理として内面化している。
子供のうちはそれでいいだろう。一度型に嵌めて教えたほうが色々考えやすい(それでも筆順を徒に問うようなテストには反対だが)。
しょーもない漢字の雑学本やら、漢字のクイズやら、最近だと特にバラエティ系Youtuberのクイズ企画/学力テスト企画に顕著だが、大人たちが無意識的にこの基準を唯一絶対の真理かのように誤解しているさまは、見ていて虫唾が走る。
11月11日はポッキーの日。これはいい。ポッキーはグリコが完全に管轄しているから。
ながらくイライラしてるだけで理由について考えたことなかったけど、花言葉とか〇〇の日と同じなんだなって気づいた、だいたいそういうお話。
ーーー追記あれこれーーー
〇その1
当たり前だが私は瞬間湯沸かし器ではないので、他人に花言葉/〇〇の日の話題を振られたからと言ってブチ切れるわけがないし、たぶん不愉快な表情一つせず、無難な会話を続けることができる。
〇その2
誤読してほしくないが、常用漢字や教育漢字の否定をしたいわけではない。それが必要だから存在していることはわかっている。ただ、それを“ただ一つの真実”かのようにすること、
つまり“それ以外を誤りである”とするような態度に対して非常にイラついているのである。多数の正解を認められないことにうんざりしているのだ。
〇その3
花言葉は例が悪かった。バラが美の象徴であることは(記事と矛盾しているが)私は実は了承している。漢字という伝統を受け継ごうという意欲を見せている私がバラの花言葉(というか花のもつイメージ)に反対しているわけがない。
もっとこう、バラがn本の時はこれこれこういう意味で~、とか、〇〇は色によって意味が変わってX色では~、とか、明らかにその品種“伝統”がないよな?みたいな花とか、そういうタイプの花言葉を私は了承していないのである。
了承していないだけなら問題がないが、そうした“話題を振ってくる”のが苦手なのだ。
〇その4
この話題は、誰もが経験したことがある「お前の普通を俺に押し付けるな」という話題に決着する。
子供に顕著だが、自分の常識は他人にとっても常識だと思ってしまうことがある。子供は平気で友達の名前に代表される固有名詞を説明なしに会話にぶち込んでくる。
これには理由がある。ピアジェの発達理論に従えば2~7歳の子供は自他の認識の区別がつかないらしい。
だからかくれんぼで目をつむれば他人から自分の姿が見えていないと思うし、自分の知っている友達は当然会話の相手も知っていると思っている。
子供ならかわいらしいが、大人にこれをやられると「自分への配慮を蔑ろにされた」気がして腹が立つだろう。
最初に言っておこう、私はVtuberグループ『ホロライブ』のファンであった。
そもそも、Vtuberからではなくニコ生も年代柄よく見ていたし、その中で感じていた生身の人間と言う致命的な欠点(そもそもニコ生を見るようなオタクは生身の人間が嫌いで二次元キャラが好きなのだからこれは致命的である。エロ同人のくっそキモい竿役の種付おじさんの方がテレビで持て囃されるハリウッドの誰々だとかジャニーズの誰々よりもまだ見ていられるほど、生身の人間嫌いである)を克服したVtuberと言ったものを高く評価している。
ホロライブもそんな生身の人間と言う弱点を克服したVtuberコンテンツに関わる一つの企業である。しかし、そのホロライブがここ最近立て続けに炎上している。個人的にそれはある程度、予想できた。それはタイトルにもなっているにわかオタク集団であることに起因する。
ここから、一部、いわゆるVtuberの中の人と言うV界隈のタブーについての言及もあるのでご了承いただきたい。
ホロライブの炎上と言ったら、真っ先にあがるのが無許可配信のことだろう。しかしだ、そもそもゲーム実況というもの自体がグレーなものであり、「黙認ベース」なのだ。アンチはこの黙認ベースに焚き付けたが、この黙認ベースは何もおかしくはない、そもそも著作権法第百十二条にて文句を言えるのは権利者だけと定められており、企業が示すガイドラインも一定の基準にしか過ぎず、ガイドラインを守っていても訴えることもありうるし、その逆、守ってなくても企業のさじ加減で黙認されるのだ。それに、実際、企業が行動を起こすかと言うと厳しい、他もやっているのにどうしてこの企業だけと言われたら、それが無罪ということにはならないが、減刑、著作権法は差止めと賠償なので、賠償額の減額、もしかしたら先例はセーフなのだから差止めも限定的になってしまうかもしれない。更に、追加するならば一度公開された著作物は自由に使われるのが原則としてあり、それだと大手しか生き残れないからフランスの音楽家たちが暴動を起こしたのが著作権の始まりであり、無断使用が悪いのではなく、文句を言われたら金払えと言うのが基本だ。
さて、この原則に則るのであれば任天堂やその他企業は黙認していたのだから無許可だろうと問題はない。黙認していたから。
そう、黙認していない企業、というよりは作品がある。そう、大神ミオが配信して削除された『ゴーストトリック』だ。
このゴーストトリックは、他の作品と違い黙認していた何てことはない。発売されて1年後、ゲーム実況界隈では当時、実況は発売してから1年は実況してはならないと言った暗黙の了解があり、案の定、逆転裁判のスタッフが作成したゲームとあり、発売から1年後の2011年には実況が多く上がった。
この時期にニコニコで実況を見ていた層はわかるだろう。ゴーストトリック、逆転裁判一斉削除事件だ。そもそも逆転裁判も権利関係は厳しく、定期的にプレイ動画は削除されてきた。このゴーストトリックも例に漏れず、すぐに削除された。
このことは当時、実況動画を見ていた層は記憶に今でも残っている、「逆転シリーズの実況は権利関係が厳しいからNGである」と。そして、逆転シリーズをメインにしていた有名実況者の何人かは引退を余儀なくされたので鮮明に覚えている。
さて、大神ミオのゴーストトリックの無許可配信に戻ろう。先述の通り、著作権法では黙認が原則であるが、ゴーストトリックはそもそも黙認されていないアウト中のアウトな作品である。そんなの知らなかっただけだろ!と言う声もするだろう。確かに警察や裁判に知らなかったは通用する(と言っても減刑だが)。だが、知らなかったのだろうか?それはそれで問題なのだ。
大神ミオの中の人であるメイアン氏は2008年から活動しているニコ生主、歌い手、“ゲーム実況者”である。私も歌い手が嫌いだったのでユーザーとして確認はしていなかったが、ピクミンと大神は当時観ていた記憶がある。そして、デビューこそ2008年だが活動は2010年~2012年が最も精力的に行っていた。
2010年~2012年…… そう、逆転シリーズ、ゴーストトリック一斉削除が行われていた時期ドンピシャである。当時、ランキング上位の動画も権利者削除され盛り上がっていたのだが、同時期に最も精力的に活動していた実況者がこの事件を知らないことはありうるのだろうか?ありえない、と結論付けることはただの憶測でした無いので、あくまで「配信を禁止されていると知っているゲームを無断配信した」と言う疑惑にとどめておく。あくまで以下、知らなかったと言う体で話すとし、とりあえず大神ミオのゴーストトリック無断配信のことは一旦切り上げる。
ここまで、徹底的に書いたからわかるだろうが、この無断配信の件を受けて私はホロライブの箱推しをやめた。
ここからは、タイトルのにわかオタク集団ホロライブについて解説する。
ホロライブのゲーム配信や雑談配信を聞いているとよく違和感を覚えることがあった。例えば最近の例だと、猫又オカユがペーパーマリオを実況しているときに既プレイだと言っているのにも関わらず「こんな展開あったっけ?」や「昔だから覚えてない」と言う発言がしょっちゅう出ていた。まあ、たしかに10年以上前に遊んだゲームの内容を覚えているかと言われたら……結構覚えている。まあ、記憶の問題は置いておくとして、この展開や覚えてないと言う場面、当時CMで嫌というほど流れたシーンやラスボス戦のシーンなのだ。(こういう言い方はあまり良くないが)真面目にゲームやってたら忘れないシーンだ。
それ以外にも現在、赤十字無断使用問題で燃えている白上ふぶき、日頃の配信から30代くらいのオタクみたいな発言をしているが、なにか突っかかるところがあると思っていた。それが確信に変わったのがクトゥルフ神話TRPGの配信である。自身の発信力も顧みず、間違ったルールを堂々とルールブックに書かれている通りと宣言し、結局修正はしなかった(心理学のシークレットダイスについての発言)。
他にも企業案件での動画なのに他社版権作品(鬼滅)のなりきりを突然始める大空スバルなどでわかった、ホロライブはオタクコンテンツが好きなのではなくコンテンツをコミュニケーションの手段としか捉えていないにわかなのだと。
コンテンツをコミュニケーションの手段として捉えることは悪いことではないし、むしろ良いことだ。しかし、ここで問題なのはコミュニケーションの手段“としか”捉えていないライバー集団ということだ。
わかりやすく例えるならば、航行の文化祭で「クラスみんなでハレ晴レユカイやもってけセーラーふくを踊ろう!」て意見を出してクラスをまとめ上げる女子だ。そして、オタクくんにも理解あるよアピールをする女だ。本物のオタクが文化祭で催し物に参加せず、机置き場になってる準備室で仲間内でアニメやゲーム、漫画について語り合ってるところ、遊んでいるところに突如現れ、私はお前みたいなオタクにも理解がある、その漫画とゲーム知ってるし、クラスのみんなも分かってくれるから一緒に催し物を回ろうとか言ってくる糞女だ。良くてポプテピで目の敵にされてるサブカルクソ女だ。
奴らは、その漫画、ゲームと言ったコンテンツを見ていない、そのコンテンツに理解のある私が好きなのだ。コンテンツの名前しか知らないし、その名前もゴールデンタイムのクッソつまらないバラエティー番組のパチンコのCMで知ったとかそういう奴だ。
ホロライブのライバーは一部の例外を除きそう言ったにわかオタク、サブカルクソ女の集まりだ。青春をアニメ、ゲーム、漫画に費やし、好きなことを生命活動よりも追求するオタクに取って最も忌避すべき対象だ。敵対勢力だ。
数少ない例外は、マリン船長とぺこら、ルーナくらい(フレアはオタクであることを隠そうとして隠れきれてないオタク臭するけど配信頻度的に私が詳しくない)だろう。マリン船長は声優と生身の人間が嫌いな私には理解できないところもあるがガチのオタクだ。年代的にギリギリであろう作品も名作とあらば実際にプレイしてみて、ハマっている。コミュニケーションよりも自分の好き語りが優先されるガチのオタクだ。ぺこら、彼女も夢女子として一度ハマりだすと止まらない。やめろというが、夢かたりしててアッアッアッとなる感じが正真正銘のオタクだ。ルーナ、ジャンルはたこ焼きとあまり私は理解がないが彼女はガチだ。ぽこしゅけとしてニコ生時代の彼女を知っている人ならわかるが、記念日に家族との食事の約束をたこ焼き食いてぇと言う理由でドタキャンして突如たこ焼き生配信を始めるレベルでのオタクだ。たこ焼きについては知らないが、オタクとは好きなことをとことん追求するものだ、このムーブはオタクそのものだ。
さて、こうしてみるとにわかオタクとした白上や大神ミオなどとの違いがよく分かる。オタクとなっている少数のライバーは好き語りに徹しているが、(特に白上ふぶきは顕著)好き語りと言いつつ、語りではなく紹介なのだ。同意を求めたり、返しを求めている。語れよ。
以上、にわかオタク集団ホロライブだ。そんなにわかオタクでオタクくんに理解のある陽キャだから、本物のオタクとのズレが表面化してきて、そういった似非オタクを集めた結果、黙認されていないゲームの無許可実況、情報漏洩、赤十字無断使用のように調べたらそれが駄目だとすぐに分かるようなことに対して、オタクの基本である即調べるができていないことが露呈し、今の大炎上になったのだろう。
ことの発端は、
「スケベ絵が描きたいけど全巻購読してないから(解釈違いが怖いから)全巻揃えたい」
と交流のあった相互がツイートしたことから始まる。その時は、最初から身体目的の関係みたいですごく嫌だなwwwと笑っただけでその後も交流を続けていた。
しかしこれが所謂”エアプ二次創作”と呼べるものではと疑念を抱き始めると、草も生えなくなった。pkmn界隈で二次創作していた絵師が炎上、海外ゲームのUTは公式がエアプ二次創作の禁止をしているのを知ったからだ。エアプ二次創作は良いわけがないという危機感が高まった。
自ジャンルは原作コミックスが全十数巻。読者は多いが、ヲタクは少なく、更に二次創作をしている人間となるともっと少ない。pixivでの総作品数も約300作品くらいだ。
まさか自ジャンルでエアプ二次創作を、しかも自ジャンルがきっかけで繋がった、5年以上関わりのある相互フォロワーがしているとは思わなかった。まあ、”どこまでは原作を読んでいるのか”、”どこからがエアプなのか”、そこまではっきりとしたツイートはなかったためその日はスルーをした。
数週間後、新規フォローした人と、原作の具体的な巻数や頁や台詞を交えながら空リプで語るという機会があった。その人も漫画を全巻持っていた訳ではないが、途中までのキャラクター考察、今後の展開予想などで盛り上がった。そんな中、相互はまた「全巻買いたい」と呟いた。相互への空リプだと思われなくたかったのでスルーした。(新規フォロワーはありがたいことに、数日後には漫画を全巻揃えた。)
何故だろうか、相互へのツイートへの反応のしづらさを感じていた。相互も自分がミュートされてると思ってか、普段の私なら即いいねしているようなツイートをする。1日のツイート数が極端に増える。それらが更に反応のしづらさに拍車をかける。
某日のこと。
私の最推しには誕生日が設定されていないため、界隈では名前から連想した日付(語呂合わせ)を記念日として祝っている。自身も毎年タグを利用してお祝い絵をあげていた。普段は別ジャンルにいるフォロワーも、今日は推しの新規絵を描いてくれた。
相互が最推しの記念日絵を描いた。キャプションに「気になるから全巻買いたい」と添えて。
本来なら嬉しいはずだが、その絵を描くにあたって「どこまで履修しているのか」がとても気になった。
いつもの強弱がはっきりしている線画ではなかった。立体的なつやベタ、綺麗なハイライト、パッと見ただけで相互が描いたと分かる入れ方のアクセントカラー、印象的な加工、全てが無かった。
誕生日さえあれば誕生日に祝いたい、その複雑な気持ち。マイナージャンルだから名前を検索かけてもヒットしない苦しみ。新刊が発売されたのが5年前という絶望。だからこそ、記念日の数日前からタグを浸透させようとツイートをしていた。
マイナーキャラだからいいねなんて二桁いけばいいはずだ。故にいいね欲しさではないだろう。
好きだから描いたのか?最推しが初登場する巻数までは持っているということ?
一つ違和感を覚えれば、あれもこれも不信感に変わってくる。
通話した時に他ジャンルの話ばかり聞かされたのは、語れるほどの知識がなかったからか?
5年間以上ずっと自ジャンルの行方が気になったことがなかったということか?
何故今になって……?
いや、今ようやく興味を持ってくれたと考えれば喜ばしいことだ。
スパチャを投げている人には2種類いる
どちらが多いかというと圧倒的にコンテンツに対する対価として払ってる人だろう
スパチャは基本的に金額でコメントに表示される色が変わるが、1万以上払った場合に表示される赤スパは1時間の配信の中で1人か2人ぐらいだろう
投げられる額は圧倒的に500円や1000円といった金額が多い
スパチャ1位の桐生ココが3Dをお披露目した記念枠では1時間で累計で1000万のスパチャが飛んだと言われている
ちなみにこの放送では10万人超の同接(リアルタイム視聴者数)を叩き出し当時のVtuberとしては圧倒的1位の記録だった
https://www.youtube.com/watch?v=9a7_lq72xlk
どういったタイミングでスパチャが投げられるかは後は配信者毎の文化になる
たとえば同じ桐生ココの文化では配信者がトイレにいくと100円の青スパを大量にされ水を流すという遊びが行われているらしい
メッセージや名前を読んで欲しくて貢いでる人はどんな人かというと有名なのは昆虫食おじさんだろう
色んなVtuberにスパチャの限度額である5万円で赤スパを投げコメントに「昆虫食べてほしい」と書いているおじさんがいる
他にも無言で5万円のスパチャを投げつづける人とかいておそらく石油王か何かなんだろう
最近ホロライブに加入した5期生の配信では初のスパチャ解禁で大量のスパチャをされた結果、スパチャ読みを3時間させられ喉がやられた人も出た
結果として他の新人はスパチャ読みではなく画像にしてまとめて御礼といった方法をとったり試行錯誤をしている
https://www.youtube.com/watch?v=mdCLfvdkG24
https://twitter.com/yukihanalamy/status/1297083709263237121
2年以上実績があるホロライブの Vtuber でも試行錯誤中なのは現在爆発的にホロライブの人気が高まっており、想定されない量のスパチャが飛んでるからである
つい2週間程前にデビューしたホロライブの5期生のチャンネル登録者数が20万を突破したり同接も初配信で10万、通常の配信でも2万といった異常と呼べる状態が続いている
別会社のにじさんにも同じタイミングで新人がデビューしてるがこちらは登録者数10万未満で同接も6000程であり比べるとホロライブの異常さがわかる
まず1つは切り抜きといわれるユーザーが配信のおもしろかった所だけを切りぬいて自分のチャンネルに動画として投稿してそこから認知されていくパターン
https://www.youtube.com/channel/UCkZ8g26jWgbf5q5yqm5AM-w/videos
桐生ココがデビューの翌日から毎朝6時に行なっていた配信で、ホロライブで前日に配信された動画の中からおもしろかった所を切り抜いてニュース風に紹介していく
桐生ココがネイティブな英語をまじえながら話すので海外の視聴者がここから認知していく
最近では桐生ココがホロライブの公式redditのクソコラを配信でいじる事で海外勢も配信に参加できるようになって認知度が増えている
戌神ころねの長時間レトロゲー配信も海外のユーザーにバズって海外視聴者の導入先となっている
ころね本人は英語をしゃべれないのでほぼ日本語だけでの配信だが「Hey Guys」と呼びかけるとコメント欄に大量の海外視聴者(英語コメント)が発生するような状況だ
他にも兎田ぺこらのキッズに向けた配信も子供の視聴者を増やす要員となっていると言われている
増田に投稿するのは初めてなので読みづらい長文だと思うが許してほしい。
自分が他人に恋をできるかわからない。もうできないかもしれない。
何年も恋をしていなかったけどこんな恋愛してるよ、とかあったら教えてくれ。
前提として、自分は出歩いているとちょっと周囲の目を引く「そこそこかわいい」部類の人間だ。自他ともに認められているので多分そう。
人付き合い>趣味(オタク)なタイプで、特定の人と会うのは月1くらいで満足するようなドライと言われがちな人間だ。
これまで24年の短い人生の中で一度も恋愛したことがないわけでもなく、それこそ多感な高校生辺りまでは一丁前に好きな人が居て、ドキドキや不安やわくわくなんかに駆られていた。
(今思えば思春期特有の周囲の恋愛至上主義的な雰囲気に流されていた節はある)
好きな人ができて、自分なりにアピールして、デートして手つないだりなんかして、相手に告白してもらうように仕向けるというプロセスを経て、高校生らしさ全開のかわいいお付き合いもしてきた。
それがどうだろう。大学に進学していやいや化粧を覚え、外見をメンテナンスするようになると幾人かに惚れられ、「今度は好きになれるかも」と不誠実な内心を抱えつつ付き合い始めてみるものの。
付き合えたということは相手に対してそこそこの好感度を有していたはずなのに、好きになれないし信頼しきることもできない。(自分は若干人間不信のケがある)
心を開ききれないのでキス以上の関係を持つこともなかった。いざそういう雰囲気になっても相手の体格や匂いなんかが気になってセックスしたくないな、と思ってしまう。
幸い自分の相手は優しい人間ばかりだったので全員こちらに無理を強いることはなく、セックスには至らなかった。
部活の後輩で、ジャニーズjr.にちょっといそうなかわいい系の顔で背が低い男の子だ。
部活体験に来たのを少し指導して、その時にはすでに彼が気になっていた。多分一目惚れ。もしそれが言いすぎだとしても一目見た時から惹かれていたことに間違いはない。
当時の自分の好みのタイプは優しい年上だったので「年下なんて好きになるわけねえ!」と抵抗もしていたが、
顔見るとドキドキするし何かしてあげたいし部活以外にも会いたいしなんかうまく話せないし少しでも長い時間を一緒に過ごしたかったので、恋愛的に好きなんだと認めざるを得なかった。とにかく顔面が好きだった。今思い出しても彼はかわいい。性格はそこそこくそだった気がしないでもないが。
好きだと認めて交際に至るまでが春~夏だったので、数回のデートを経て2回花火大会に行って2回目で勝負に出た。成功。やったぜ!
その後デートをしたり一緒に勉強したり映画見たりと幸せな日々を送っていたが進路の事や2個下でちょっと価値観が違う事などを理由に11月に振られた。
高校生っぽく短期間の交際だったがこっちは無茶苦茶好きだったので傷ついたし半年くらい引きずった。
自覚している中で一番恋愛っぽかったのはこの人が最後だったと思う。
交際したのはバイト先の先輩、後輩の2人。それぞれ期間は全く被っていないが、どちらも私に一目惚れしたといっていた。そんなことある?
この2人は私のことを爆裂好いてくれてとてもよくしてくれた誠実な人たちだったが、残念ながら恋愛的に好きになれなかった。
とても優しくて紳士的で尽くしてくれたり私を第一に考えてプレゼントもくれたけど、好きになれなかった。雨天や気分次第でドタキャン上等だった不誠実くそ野郎な私にはもったいないくらい良い人達だった。その節は本当にごめん。幸せになってね。
あと先輩の方は1か月記念日に赤いバラをくれたがうれしくなくて「重いな…」としか感じなかった。帰りに最寄りのコンビニで捨てた。くそ野郎である。
後輩はやたら私の頭の形が好きで二人でいるとめちゃめちゃに頭を撫でてきた。私は愛玩動物ではないと2千回くらい思った。
大学4年間そんなかんじで人を恋愛的に好きになれることはなく、2人きりで会う男の子は居たがお互いクズで関係に名前を付ける気がなく安心感のある「友達以上恋人未満」だった。こいつは私のことが明らかに好きだったが「わかってるでしょ」とストレートには伝えてこなかった。はっきり言葉にされるとこちらもちゃんと答えなければいけなかったので言葉のない関係性がとても楽だった。キスはなんとなく避けていたが抱きしめあったりネカフェで一晩だらだら過ごしたり胸揉まれたりはした。
一通り都内の定番デートコースはこいつと楽しんだが、クズゆえに当日ドタキャンをお互いに繰り返してなんとなく授業も被らず疎遠になっていき、やつの留年を契機にもう連絡は取っていない。
いつか恋愛できる日が来たらこのくらいの緩さと温度感がいい。かっちりしすぎてたり愛が重いと私は答えられない。誠実すぎる男とはすぐに別れたくなる。居心地が悪い。
なんとなく今までの恋愛っぽい経験書き連ねたが、書き出してみて
「もしかしたら私は自分から好きにならないと恋愛対象として見ることができないんじゃないか」と一つの仮説にたどり着くことができたのでこの記事を書いた意味はあったと思う。
社会人として漸く落ち着いてきたというか自分の生活に若干の余裕が見えてきたのでそろそろ恋愛したいなーと思っていたのだが、
ここ数年で私の中のトキメキセンサーが故障していて誰かを好きになれそうな兆しがない。そもそも出会いもないが、出会いがないのはコロナのせいという面もあると思いたい。
数年間趣味第一に過ごして、人間不信で人にあまり興味がない干物な自分に、この先恋愛の好きを抱ける相手ができるのだろうか。
自分が他人を好きになれない性質なのかもしれないという懸念もある。
性差別がどうのこうのうるさいからね。僕みたいな変なヤツが湧いても仕方ないね。
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いつも怒られている上司や先生の言うことを聞こうと思わないように、印象というものは大事だ。
マイナスイメージを持っている相手をいきなりプラスにさせる方法など存在しないので、
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いつも笑顔。目を見てしゃべる。キホンだな。鏡見てるか?
芸能人は、好印象持たれるために当たり前のように実践してる。毒舌系だろうがニコニコしながら喋ってるぞ。
目を見るのは、言葉を使わずに「あなたのことが好き」と言ってるようなもんだ!どんどん使え!
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いつも暗い話題ばっかり喋ってると、お前が暗い人間だと思われるから、明るい話題だけ出せ!
人間、笑うと気持ちよくなるようにできてる。気持ちいい会話に人がよってくるのは当たり前だろ?
「ない」「悪い」「嫌い」も「ある」「良い」「好き」にすり替えて使うんだ!
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無言にはなるなよ。日本人の大半は無言に恐怖しているからな。相手の話を聞け、という意味だ。
返答はイエス縛りな。相手に「この人合うな」と錯覚させろ。ついでに好みの調査もしろ。
言いたいことを吐き出し、相手は気持ちよくなる。もっと深いことも喋りたくなる。
こっちは喋ること考えなくて良い。ヌルゲーだなぁ?
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これだけのことが実践できたら、二人きりの時間を作ったり、飯やデートに誘ったりすればいいんじゃね?
普段から会話が続かなくて、飯食いに行っても楽しくなる想像ができないなら、時期尚早だな。
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男は都合のいい女を好きになるって、聞いたことあるだろ?その通りなんだよ。
せっかくプラスイメージ持たせたんだから、都合のいい女にはされたくないだろうけど。
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玉の輿には乗りたいだろうが、相手の収入チェックは隠れてしなきゃダメだぞ。
メシに行くときも、割り勘だろうが嫌な顔はするな。
奢ってもらいたかったら先に奢れ。「元気出して欲しかったから」とかなんとか言ってな。
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うまいレストランを教えてもらって、一緒に行って、メシがうまかったとしよう。
だが、褒めるのは相手だ。うまいレストランを知っている相手がすごいのである。
男はすごいと思ってもらえるところに寄ってくるからな。
それだけ気をつければ、あとはほっぺた落としながらニコニコしていればよい。
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「楽しいですね」
この一言が言えれば十分だろう。ただし、何度も繰り返すこと。
徹底的に、お前は自分の人生を楽しくさせる存在なのだと刷り込むのだ。
男は、自信を持つと化けるからな。
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それと、書き忘れていたが連絡しすぎでうざがられるのはNGだぞ。
逆に記念日なんかには積極的に行け。いい日に一緒にいる女になるんだ。
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女の気持ちなんてわからないと思うだろ?その時点で負けなんだよ。
女に取り入るには、共感することが大事だ。むしろそれだけでいい。
何せ女は善悪で判断して欲しいんじゃなく、味方になって欲しいんだからな。
会計は、通すべき芯があるときに強い、と思わせるいいタイミングだ。
会計を持つという姿勢を崩さない!ということが重要で、相手が奢りたいときはその限りではない。
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同じ話題でも、相手にとって汲み取って欲しい気持ちが違うこともある。
それを察知しろ。「そういうことじゃなくて…」というサインを見逃すな。
どういう気持ちをわかって欲しがっているのか、常に考え続けろ。
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楽しいねと言ったり、楽しそうな顔してると言ったりするんだ。
褒めることもとても効果的だ。半分嘘でもいい。
楽しんでる時のあなた、などと限定的にすればいいし、楽しんでいる上に褒めたら、相乗効果が出る。
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ちなみに、誘いをかけるのも自分からガンガン行ったほうがいいぞ。
楽しい予定を立てないのはなんで?などと思わせないように。
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さようならー。