2020-11-30

Vと絵のこと

最近は猫も杓子もVTuberなとこがある。

このご時世柄、それはもう転がり落ちるようにハマっていき、幸いにも絵が描けたのでファンアートなるものを描いてTwitterに上げるようになった。

人というのは贅沢な生き物で、そこそこいい年の私は『タグ』という文化に馴染みがなかったものの、ファンアートタグを付けることでVTuber本人がみてくれる、という事を知ってしまったのである

死ぬほど悩んでタグを付けるようになり、本人が巡回してくれていいねRTを付けてくれるようになった。

ここで満足しておけばよかったのだ。

実はVTuberタグのついているファンアートを使いますよ!という文化に少し抵抗があった。描かせて貰うのだから使うのはまあまあいいとして、使って『もらう』ための透過画像まで用意する文化に、著作権やら肖像権やらに弱い古のオタクは戸惑い、まあ別に本人に見て貰えるだけ今まであったなによりも凄いんだしいいや、と透過画像も付けずファンアートをぽんぽんと投げ込んでいた。

段々ファンは増えていき、ファンアートも増えていく。それを微笑ましく眺めていた。VTuberファンアートに対する態度は様々で、VTuber本人が絵を描ける場合特に親切で、絵を描く大変さを理解していてリプまでくれるほど感謝をしてくれたりする。

私の推している人は逆にそこまで…というタイプで、感謝されるのは嫌いではないけどあまり構わないでくれる推しの方が個人的には合っていた。ファンアートサムネにそこまで使うタイプでもなかった。

ある日、魔が差ししまった。

何かの記念日があった。勿論記念日おめでとうの絵は描いた。が、何を思ったのか私はその絵の透過画像をつけたのだった。

もうここまで読んでいれば分かるかと思う。そう、使われずやきもきしだしたのだ。分かっている事だった。使うにしろ気に入った物を何回も使う人なのだ。順番は早々回ってこなければ、そもそも使われるというステージにも上がれていないのだろう。多分そこら辺を皆は分かっているし、私も分かっていたのでその人のファンアートにおける透過画像は極端に少ない。

私より後に投稿されるファンアートが使われる度に少し心が痛んだ。なんで魔が差ししまったのかと。なぜ最初心持ちである『見て貰えるだけで幸せ』でいなかったのかと。

まあ……きっと同じように思ってる人はいるのだろうと思ってわざわざここに登録してまで書きたくなったのだ。なんも考えずに推しを楽しく描こうぜ!と言いたかったし自分にも言い聞かせたかったのだ。

私は明日からも懲りずに描くし、恐らく透過画像投稿することだろう。また最初にワクワクしながら描いていた気持ちに戻ろうと思うし、見てくれていると思うことで十分だった気持ちも思い出そうと思う。全てのVTuberが健やかに楽しく配信をしてくれと祈りながら。

  • 「VTuberから見たお気に入りファンのランキング」というのはどうしても可視化されてしまうのは、どのVTuberでも同じなんだなあ。 毎回かならず切り抜きが本人にRTされるファンと、一...

    • 常連のはがき職人になれなくて妬ましい的なやつか もっとライトに手広く愉しめばいいんじゃね

  • ファン活動ってのは自分のためにするもんだぞ。 俺が推しにとって大事な日に風邪を引いて寝込んでいても、他のファンがちゃんと祝福してくれる。 俺がちょっと他のゲームとかにハマ...

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