はてなキーワード: 芸術家とは
はてなブックマークの人気コメントであったように、“著作権は「模倣したらアウト」の法じゃない”。
はてブをよく読んでいないのか、いまだにお気持ちで足を引っ張る人たちが後を絶たない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/2cmkid/status/1489922359909707780
UhoNiceGuyUhoNiceGuy トレス絵をtwitterに上げるのはわかる。AKIRAって文字を書き換えてTシャツ売ろうって発想になるのが異次元
hazlitthazlitt 単なる無知とも思えないが「AKIRA」と書いてるものを商品化するのはすごいな/ああパーカーの字は変えてるのか。素で気付かなかったが、そうなるとなぜイラストはOKと思っているのかが余計に分からない
同人誌の頒布のように、商品化して儲けが発生すると著作権侵害の罪は大きくなるから、それを避けるために儲けの発生する範囲ではよりデリケートな扱いにするのは、自然だ。
それでも著作権を侵害されてると思うなら、元の絵の権利者は訴訟を起こせばいい。
著作権は自分の作品とその派生物をコントロールする権利だ。法治国家の日本では OK か NG かは裁判所が決定する。
ht_sht_s 当初はAKIRAの文字付で発表したものを、ANARCに差し替えて商品化。ANARCは大友克洋の息子とも仕事をしておいてよくこんな真似ができるな。女性は永野芽郁の写真をトレス。 https://livedoor.blogimg.jp/ps3jp/imgs/9/d/9d5b1528.jpg
懇意にしてる・されてる関係なら、むしろ他人同士より気を使わなくなるのは自然。
「こんな真似」のなにが悪いのかが書かれていない。さっきも言ったように、権利者が怒ってるなら裁判するなり、面倒なら直接クレームをつければ済む。当事者に許す・許さないのラインがあるだろうに、外野が謎モラルを説明なしに押し付けるのはただの迷惑だろう。
ippy0000ippy0000 しかしこうやって複数のトレス元を合体させてそれっぽく仕上げることが出来るのも一つの才能だよなとは思う。俺にはトレス元2個用意されても出来ん。真っ当な方向で発揮させれば良かったのに。
「真っ当な方向」などとナチュラルに印象操作してるけど、アーティスト同士が模倣しあってみんなで芸術界全体を発展させていくやり方も全然アリだろう。現行の著作権法はそういうスタイルを阻害しない。個人的にイヤだと感じたなら差し止めさせる力が著作権者にはある。客でもない外野がヤジを飛ばすのは、アートへの足引っ張りでしかないですよ。
SnailSnail 恐らく元のネタが無いと書けないし、画像処理で済ませられるならそれで行っちゃうしって事だろうな。やっぱり相当前からおかしいんじゃね?って思っている人は沢山いたっぽいね。
おそらく・おそらく・おそらく…
ツイートの人もそうだけど、相手方の内情を憶測で決めつけて評判を落とそうとする人も後を絶たない。他人の足を引っ張って何が楽しいのか。
プロの芸術家の先生が依頼されてレビューしてるならまだしも、コメントの人らって素人だよね?
この件、当人同士で十分に解決できる権利者間でのモメごとなのだから、無関係な他人が口を挟む必要は何もないでしょう。冷静な有識者の人気コメントにたしなめられても、まるで止まる気配がないのに驚いてしまった。
誰かが言ってたけど、ここ最近、よくない流れが来てると思うよ…
中心的人物のいないリンチは、原理的に謝罪を課される怖れがない。だからエスカレートする。コメントの素人評論家達も、Pixiv や Twitter で、パースの狂いとかを日常的に指摘してるような人ではないようだった。どこにでもいる普通に温和なコメンテイターたち。しかし炎上の現場に出くわした途端、スイッチが入る。
その手の診断で芸術家とか小説家向きって言われるのは要するに社会不適合者って言われてるようなもんだ。
普通に給料を貰うタイプの仕事ならどれでも変わらないと言い換えが効く。
就活は職種気にせず乱発して内定貰えた奴から選ぶ感じでいいんじゃないか、どれでも変わらんぞ。
■エニアグラム4(芸術家タイプ)なのですがどう生きればいいか教えて下さい
・診断結果から判定された向いている職業「芸術家」「小説家」「デザイナー」
・特技「なし」趣味「インターネット」学歴「なし」体力「なし」IQ[110(ネットで測っただけなので実際は90とかかも)」
正直言って、どうしたらいいのか分かりません。
たとえば「公務員に向いてます」と言われたなら公務員試験の勉強でもするのですが、「芸術家に向いてますね」と言われてもどうすればいいのか分かりません。
エニアグラムの結果だと他に高いのはエニアグラム5(研究者タイプ)でした。
4w5(4が一番高く次が5)というタイプはぶっちぎりで社会不適合者であるとのことです。
ネットの情報だとどうもプログラマーになればいいらしいのですが、私はインターネットが好きなだけでプログラミングは嫌いです。
エクセルのマクロを組もうと本屋で立ち読みしたときに「ウェッ……」となってそれからは全くそういうのには触れていません。
クロームでF12を叩くと意味不明な画面が出てくるのが怖いので止めたいのですが、止め方がわからないので間違ってF12をおしたらすぐF12を押し直してます年1000回ぐらい押し直してます。
私はこれからどうしたらいいのでしょうか?
正直困り果てています。
誰かに相談しても「好きなことはないの?」「インターネットが好きです」「そういうのじゃなくて」「他に好きなものはゲームと漫画ぐらいしか」「じゃあ出版社でも目指したら」「なるほど(何いってんだコイツ。倍率考えろよ。他人事すぎるだろ。もう何も相談せんわ)」という感じにしかなりません。
助けてください
芸術家なればいいじゃん
・診断結果から判定された向いている職業「芸術家」「小説家」「デザイナー」
・特技「なし」趣味「インターネット」学歴「なし」体力「なし」IQ[110(ネットで測っただけなので実際は90とかかも)」
正直言って、どうしたらいいのか分かりません。
たとえば「公務員に向いてます」と言われたなら公務員試験の勉強でもするのですが、「芸術家に向いてますね」と言われてもどうすればいいのか分かりません。
エニアグラムの結果だと他に高いのはエニアグラム5(研究者タイプ)でした。
4w5(4が一番高く次が5)というタイプはぶっちぎりで社会不適合者であるとのことです。
ネットの情報だとどうもプログラマーになればいいらしいのですが、私はインターネットが好きなだけでプログラミングは嫌いです。
エクセルのマクロを組もうと本屋で立ち読みしたときに「ウェッ……」となってそれからは全くそういうのには触れていません。
クロームでF12を叩くと意味不明な画面が出てくるのが怖いので止めたいのですが、止め方がわからないので間違ってF12をおしたらすぐF12を押し直してます年1000回ぐらい押し直してます。
私はこれからどうしたらいいのでしょうか?
正直困り果てています。
誰かに相談しても「好きなことはないの?」「インターネットが好きです」「そういうのじゃなくて」「他に好きなものはゲームと漫画ぐらいしか」「じゃあ出版社でも目指したら」「なるほど(何いってんだコイツ。倍率考えろよ。他人事すぎるだろ。もう何も相談せんわ)」という感じにしかなりません。
助けてください
能とかが顕著
洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない
歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある
文学もそう
大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった
現代アートなんかもそう
部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールをマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない
これらの現象が生じる理由は、芸術表現の技術の継承や習得の過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるからだ
その結果、技術的歴史的背景への理解が深まり、一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている
そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去の芸術家に対する解釈をさらに新たな作品として世に出すこともある
そのため、目の前のものだけでは理解に必要な材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識を要求するようになっているのだ
で
ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている
親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人もポップアートを理解できている気がしているから、批判も起きやすい
が、本当は能がわからないのと同様、ポップアートも全然わかっていない
歴史的には春画から始まり、戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモやあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念が誕生する
そしてスレーヤーズ的な絵柄から、ハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストやアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている
これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブ風イラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう
イラストレーターの技術の継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける
しかし、それらを「不快な萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう
イラストに関連する現代の文化そのものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ
この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵のドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう
歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる
絵や文字は、わかっていると勘違いしやすいものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう
「一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう
声優ユニットというものに多くを期待しすぎじゃないのか? 比較対象に出ているようなラブライブ等のコンテンツ主導型のものとは盛り上げ方や続け方が根本的に違うだろう。
そもそも、声優が「中の人」としてじゃなく「生身の人間」として芸能活動していくものは何と言うか、どうしても出た所がピークで、細々と狭く小さいコミュニティになっていかざるを得ないんだよ。
俺自身は90年代半ばからゼロ年代初頭まで、ユニットではないが声優の飯塚雅弓さんを推していた(推すなんて言葉は当時なかったが)。ポケモンのカスミ役などでそのユニークな声質に魅了されたからだ。
中部圏から微弱な電波を捉えて文化放送などのラジオを聞いていたし、CDアルバムやシングルも5作分くらいは追っていた、ライブにも行ったりしたが、そもそも声優というものには旬がある。
大御所と呼ばれるような人になれば例外だが、普通はいずれ本職(と我々が思っていたはず)のアニメ声優のお仕事ではほとんど見られなくなって、それ以外の多様な活動でお見かけするようになる、そういう存在だ。
これは今も昔も変わらず、声優は声優だけで食い続けることが出来ないからこそ、個人やユニット活動を通して可能性を探りつつ、ファン(というか太客)の動線が途切れることがないよう維持するものなんだよ。
太客は周りがどう移り変わっても家族のように常連でい続けてくれるものだし、そうでない大半のファンは自身の生活の移り変わりを経るうちに自然と離れていくものだ。
最近は音楽主体の芸能活動をするにしてもアイドル的に売り出す人や、そもそも声優ではないがアニメ系アーティストとして名前を売る人などが出てきて、「アニメ系人材の出口戦略」も多様化しているが、本質的には変わらない。パトロンシステムのようなものだ。
とにかく「生身の人間」を追うからには、そういった小さく狭い路地に入り込んでいくことは避けられないわけで、そういうディープな路地に潜っていくことに楽しさを感じる人のためのものだ。
ハイウェイを疾走する周りの旬なコンテンツと見比べてキョロキョロしていたらどうしたって見劣りするし、本来比べるものでもない。付き合っていく胆力が相応に求められる部類の趣味だろう。
一方で俺自身も10年代半ばには、旬モノにハマったりもした。音ゲー好き繋がりでリリース初期のスクフェスに触れたことで、ラブライブ(μ's)にどっぷり浸かっていた時期もある。
ライブも行ったし、ファイナルライブもライブビューイングだが目の当たりにした。そこで分かったことがある。
ラブライブという作品は、「区切りをつける」ことをコンテンツ展開の一環として非常に意識していた。こういうことは作品主導型だからこそ出来るアプローチだろう。
アニメ側のキャラ達が作中で人気絶頂になっていくのと連動して、リアル側の同名ユニットもSSAに東京ドームとハコをどんどん広げ紅白にも出て、という奇跡的なリンクを起こした。
そしてアニメ側のキャラたちが作中でグループを「終わりにする」と宣言したのと同じように、リアル側も人気絶頂のうちに解散ライブをした。
アニメ作品自体は登場人物とキャストを変えてシリーズ化していき、μ'sは名実ともにレジェンド扱いになっている。
アイドルとしては一種の理想的形態である一方、商業的にはもったいない、後続シリーズに乗り換える気持ちがついていかない、というファンの声も当然あった。
ここで「アイドル」というものが如何に難儀かが浮き上がってくるだろう。アイドルである以上、成り上がって華々しい何かを残していく骨太さを求められる。
一方で従来の声優アーティストのような在り方には、個人の才能をどうにか花開かせて行き先を探していく、芸術家的な長い道のりがあるわけだ。
声優アイドルユニットというものは、この2つのベクトルの違う生き方を同時に求められるアクロバティックな立ち位置で、競争の中で誕生してしまった茨の道だと思う。
作品と結びついているのならば、例えばミルキィホームズのように、コンテンツの寿命に伴ってリアルグループも解散することができる。
ラブライブのように、シリーズ化という形で太く短い生命を打ち上げ花火のように散らしていくこともできる。
けれど「本人」として活動しているものはそのへんの扱いが難しい。その背後にあるものが作品のような一過性のコンテンツではなく、一人の人間の人生だから。
付き合う人間側が、本質的にはアイドルオタクで好きになったのがたまたま声優さんだったのか、
本質的にはアニメ・ゲームオタクで、作品性にあてられてあくまで演者としての声優さんを好きになったのか。
後者だった場合、声優さんがもはや声優ではなくなっても追うことができるのか、できないけど熱がある時期だけ追っていたいのかに自覚的になるべきだろう。
俺はやはり後者でアニメ・ゲーム体験への感動が主軸にある人間だから、個人に対しては敬意や愛着こそあれどあまり深入りすることはなくなった。
でも最近は、ましゅまいれっしゅ!のようにアニメの外側でもキャラの形で楽しませてくれるコンテンツがあったり、
それこそVtuberのようにキャラのガワで個性をエンタメ化してくれるモノがあったりして、個人とキャラの境界が曖昧になっているのは感じる。
いい時代であるとも言えるし、受け手の精神力が試される場面が増えているとも言える。
どんな形であれ、多様な道が存在するようになったのは基本的に良いことだろう。
いち消費者である俺に、その道の先にあるものの是非などを語る資格はないが、今の所は楽しみ方を見いだせているので、楽観視している。
原神の推しキャラであるあの子の声優さんが、演技が違うもののよーく聞くとDMMのあのウン十億かけたブラゲーで主役のあの子を演じていたことに今更気づいたり。
キャラの性格的にはそこまでツボではないけどなんか好きだなーと感じていた原因はこれかっていうね。
そしてまた別の流行ってないがめちゃくちゃ可愛らしいDMMのご飯系ブラゲにも出演されていて、絵師がおう氏のキュートな立ち絵で、振り回され系の可愛らしいボイスでどストライクな演技をされていることを発見したり。
名義が違うのであんまり大きな声で言えないが、界隈を掘っているとアイマス系などで耳に馴染んだ方々の声もちょくちょく聞こえてきて楽しい。誰かがDMM沼に引きずり込んでるのか?
また逆に、表では活動されてないっぽいんだが若手っぽいこっち系の有望な声優さんも僅かながら発掘できたり、同人音声で有名だった人がゲーム畑に降りてきてたり。
はたまた売れっ子声優さんがDLsiteで続々とアダルトではないASMRを発表してたりと、アニメ・ゲーム軸の声オタ(≠声優オタ)な自分からすると最近は楽しいことばかりだ。
今日、本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった
日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議な小説だ
数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの
一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする
夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地裏から訪ねてくるルートを幾何学的に説明していたのを覚えている
小説の地の文で風景描写や位置関係を説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題の説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う
「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった
昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ
だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った
夭折したドナルド・エヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった
既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的な書簡まとめみたいな感じ
僕はドナルド・エヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている
ドナルド・エヴァンズは架空の国の気候や政治を想像しながら切手を水彩画で描いて作品にしてた人なんだってさ
著者は実際にドナルド・エヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前親しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身のドナルド・エヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ
こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい
小出しにされるドナルド・エヴァンズという人物の肖像と人生、旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルド・エヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしまう
こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルド・エヴァンズが好きになっていくんよ
少年時代に切手収集が共通の趣味だった親友の切手が誰かに盗まれてしまって、ドナルド・エヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手を作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった
皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手に想像していいな、うらやましいなとか思った
こういうのを洒脱な文って言うんだろうか
なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった
人間の醜さとか悲しさや虚しさみたいなものをぐちゃぐちゃに詰め込んだり性的な表現を盛り込んでいてなんかとにかく生理的に苦手なものが多いんだ
性的な表現も芸術だからストレートにエッチで最高みたいなのじゃなくてなんか気持ち悪い
もちろんそんなことない芸術もあるんだけど、そういうのが結構あるせいで美少女ばっかり描いてる芸術家もロリコン、気持ち悪い、と思うようになってしまった
だいたいなんで絵の仕事してるのにデートで美術館なんだよ。仕事か。
なんだかんだで勉強になったりするから現役画家のツイッターフォローしたりしてるけど、急に性器連想する絵をアップしたりしていてきつい。あーそういうの描く人だったのか…って。
映画が好きだった。いや、大好きだった。
こんな事を言ったら蓮實重彦に怒られそうだ。でも、有村昆なら許してくれそう。
本当に映画が大好きだった。
映画館には年に百回以上行っていた。TOHOシネマズ、イオンシネマ、ユーロースペース、シネマカリテ、ギンレイホール、シネマヴェーラ、新文芸坐、早稲田松竹、地域の映画上映会……。
コロナ禍になってからは行ける機会がほぼなくなった。そして、映画館の経営危機のニュース。SAVE the CINEMA の募金が始まったらすぐに入金した。世界が元に戻ったら、毎日のように映画館に通おう。そう思っていた。
2日程度で終わると言われたが、私の場合は終わらなかった。どんどん悪くなっていき、事前に言われてた副反応以外の事が起こり続けた。
たまたまだろうと気楽に放置していたが、放置すればするほど悪くなった。1ヶ月目あたりから色々な医者に診てもらったが何もわからない。やがて、通院すら厳しい体調になった。家でほぼ寝たきりの生活。
それぐらいから初めてネットで調べた。本当に珍しいようだが、私のような人が相当数いるらしかった。みんな困っていた。診てくれる病院が無い。
どうやら最悪のくじを引いてしまったらしい。
ずっと映画のことを考えていた。
接種直後から首と肩の激痛が始まって「これじゃ映画館には行けないな」と思った。
九月の終わりには自宅ですら映画が観れなくなった。5分ほどで強い症状が出てきたからだ。どうやら映画はかなりの負担がかかるようで「二度と映画は観れないかもしれない」と思った。
それから映画を観なかった。何度も試して、身体の反応と映画が結びついてトラウマになるのが怖かった。
4ヶ月が経ち、いろいろな出会いがあった。
いくつかの症状は対症療法で苦痛が抑えられる事もわかった。ほぼ寝たきりに変わりはないが、症状をコントロールするための武器が増えた。
ふと、ネットフリックスを見る。
『チック、チック…ブーン!』が配信されている。ずっと気になっていたミュージカル映画。『RENT』を作ったジョナサン・ラーソンの自伝的舞台が原作だ。
ラーソン自身は35歳で早逝している。大動脈解離による急死。ウィキによると、正しく診断されていれば亡くなっていなかっただろうと書いてある。妙な親近感を覚えてしまう。
テレビからドゥーンという音が鳴る。懐かしいネットフリックスのSE。
手元のApple Watchを見る。心拍数は安定している。
映画が始まる。
これは持論だが、テレビやラジオと映画の大きな違いは「出演者のカメラへの意識」だ。もちろん、映画であろうと演者はカメラを意識している。だが、原則として「俳優がカメラを意識していないように見えている事」がその良し悪しに直結する。テレビやラジオはその点がもっと緩いのだ。多くの映画監督が「俳優は演技しなくてよい」と言っているが、これはある種逆で映画観客こそが「演技をしない俳優」を求めているのだ。
妙なこだわりを吐露してしまったが、要は映画独特の演技をしている人間を久しぶりに見ることができたのだ。
それだけで嬉しかった。喜怒哀楽を揺さぶるシーンでもないのに涙が流れる。流れ続ける。
手元のApple Watchの心拍数を見る。心拍数は安定している。
物語は続いていた。
『チック、チック…ブーン!』は90年代のニューヨークを舞台にしたミュージカル。美しいメロディとウィットに富んだ詞、そして優しい物語。
主人公の三十路前のジョナサンはミュージカル作曲家を夢見ており、彼の周囲には貧しい芸術家たちがいた。ダンサーの恋人、LGBTの広告マン、そしてHIVの友達。
HIVなので「やあ、今日のT細胞は順調だったよ」なんて会話が出てくる。ああ、似たような会話、今日SNSでもやったなあ。
観ている間、ずっと涙が止まらなかった。
観終わった後、鋭い眼痛とやや強い頭痛が長時間続いたが、幸いにもひと眠りしたら収まった。どうやら通して観るにはまだ早いらしい。
それから週に1回だけ、30分おきに休憩を入れながら映画を観るようになった。
途中で止めるなんて、以前の私なら映画への侮辱だと思っていたかもしれない。
でも、いいじゃないか。
ラーソンのミュージカル『RENT』に「SEASONS OF LOVE」という歌がある。
歌詞がなかなか興味深い。
525,600分、この人生における一年分の時間を人はどうやって測るんだろう?というような内容だ。
歌にはいろんな単位が出てくる。コーヒーを淹れた回数、笑った回数、喧嘩した回数。
自分も思い浮かべてみる。
Suicaを改札にかざす回数。
上司に怒られる回数。
後輩に冗談を飛ばす回数。
朝の散歩で澄んだ外気を吸い込む回数。
映画館に行く回数。
8月を境に数えられなくなったものがたくさんある。
何で測ればいいんだろう。何で測れば救われるのだろう。
でも、いい言葉だと思った。
例えまったく外出できなくても、これから何かを、誰かを愛する事は出来る。
そして、こうなってしまってから助けられた、たくさんの愛を数える事ができる。
決して今までの人生に負けてない。
こういう記事を金を貰って書いてる人や脳死で崇める信者もいるのだろうな
世界中のデザイン・マーケティングのエリートをかき集めて特別な顧客体験を演出しているApple並みにしろとは言いませんけど
日本にだって美大があって、世界的なプロダクトに携わった経験は無くともたくさんの芸術家たちがいるわけです
三洋マルチメディア鳥取(現社名:三洋テクノソリューションズ鳥取) がデザインした
もしかしたらご存知ないかも知れませんが日本にも工学部も電子学科もあるのですか
あれで本当に良かったですか?
うちの母も、それはそれは料理がまずかった。
自宅にある料理本の充実ぶりから察するにミナミさんとは別のタイプで、創意工夫はするけれどそれが独善的で、オリジナリティ溢れるマズ飯を作る。
彼女たちや、あるいは、自分の周りのその他のマズ飯製作者たちの話を聞いて思うのは、みんな独りよがりであるということ。
自分の作りたいものを作る、という、へぼ芸術家みたいな料簡で食べ物を作っていて、食べる人間の満足度の改善なんて視点は一切ない。
彼女たちの作った料理の価値は、そのために使った食材の価値に劣ると思う。
さっき読んだ直後は、単なるジャンプラの読み切りなんだから軽く流そうと思った。
でも10分ぐらいしたらやっぱり口にしないと気持ちが収まらなくなった。
100字では、140字でも書ききれない。
言いたいことが多すぎる。
どこから書けばいいのか。
ああ、もう嫌いだ。
『写実の世界から抽象画の世界へ』というメッセージは一発で伝わった。
でも絵が気に食わない。
繊細な写実というには右の絵は稚拙で、意図的な子供らしさと作中で語られるにしてももうちょっとなんとかなるだろうと思ってしまう。
ゾッとさせるような写実が持つ、バランス感覚に対する驚嘆と、生まれつきの能力で絶対にかなわないと感じさせる認識の解像度が……。
抽象をテーマにしている左は、モヤモヤっとしたものをたくさん並べて配置しましたよとただそれだけで……抽象とは近視が眼鏡を外してクシャクシャのフィルム越しに遠くを見た景色のことなどでは……
つうか、この橋……モネ!雑!つうかそれなら左側にあるべきはこんなモヤモヤじゃなくて!
ああもう嫌!!!キレそう!睡蓮の橋だって分かったことで「なるほどね、分かってるじゃん」じゃなくて「分かってね~~~~」が出ることにキレそう!!
もう無理これ以上書きたくない!
既にもう無理!!!
ねーなにこれ ←それな なにこれ
で?
結局なんなのこれ?
またどっかのパクリ?
で?
もう考えたくないから次
客の方を向いてアニメ絵を描いて喜ばせた人間が馬鹿にされて、シコシコ自分の趣味を押し付けた奴らが文句を垂れる。
身勝手だよね。
こういう姿勢駄目だよね!
って漫画になると思ってました。
でも違いましたね!
大ゴマでこのシーンを印象づけるのと、場面の情報量を絞ることで次のページからの場面切り替えをやりやすくしたのはいいね。
は?
芸術家って感じでゾクっと?
池田屋って店名の直後に名字出して、服もわかりやすくすることで今なにしてるか分かりやすいのはいいと思うね。
キャラクターの状況説明に無駄にセリフ使わない工夫をしようと思えば出来るくせになー。
大きい画廊に絵を出せる人からも評価されてるなんてモネさんすごいな~~憧れちゃうな~~~。
中間のコマでセリフを右から左にグイグイ読まつつコマを埋めることで圧迫感出すの上手いな。
技術的には漫画ちゃんと描けるのに話がほんとな、まあ作画だけやってろというには画力がまだまだなー。
ネームだけって感じか?
どうなんでしょうか?
「売れるか」を「」書きしてるのは、あとあと引用するときのため読者に印象づけたいってのもあるけど、言い方がわざとらしいってのも含まれとるんやろうねえ。
と、ここでは評価できるのだが、それがあとあとね。
最初の吹き出しが後頭部から発射されていることで、そっぽを向いて話していることが分かる。
その次にイーゼルにセリフがかぶってることで、意識はそっちにあることが分かる。
若干吹き出しが下がっているのは視線誘導による宵宮さもだけど、発した側の意識の比重が周囲の会話から絵の方に戻ったことも分かりやすくなってていいと思う。
クソが、褒めたくねーんだよ本当はこんな漫画、でも誠実に向き合った上で批判してる感出したいからな。
「発想も描き方も自由でのびのび」
はい嘘ー。
せんせー、物語の都合のために嘘を演じさせられる子供たちが可愛そうだと思いまーす。
絵を目と心で見るんじゃないんだよな……。
それって作中で自分でも言ってるんだけど、こういうセリフは統一感持たせてほしいな。
咄嗟に言った感じを出すたびにブレを出すにしても、それならそういう作劇意図が分かるようにして欲しいんだよね。
そのあとの「こどもなら尚更」はモネのくそみてーなエゴがダダ漏れでいいと思うね。
ここでね、読者が「ヤベ、100点じゃん」ってならないと負けなんすよ。
作者の意図的に「子供が書く絵としては凄いけど……」を思わせたかったのかもだけど、そうだとしてもここは思いっきり嘘を振り切っておいた方が作品がビっと引き立つと思う。
いやー読者的にはそーゆーの関係ねーんで。
うーんここでカラーを使うって手もあるんだよなー。
とにかくここでのパワーの弱さが読者側に「おい、俺の作品に歩み寄れよ」って命令されてるような感じにさせるんだよね。
好意的にそれを受け入れてくれるやさし~~い読者じゃなくてごめんねー。
点数って概念がデジタルで抽象的過ぎるから、金払って評価貰う側としてはどうしたらよくなるのかを具体的に書いて欲しいって感じそうだけどな。
いやすまんね。
でもな~~んか、そもそも論として悪手にみえるんだよなあ点数をつけること自体がさ。
だってアトリエのオヤジ、やり手オーラ出してるキャラなんだからそういうことするかなって。
学校の美術でいい点取りたい子が集まってる教室って感じもせんしなあ……。
ああごめん、俺が勝手に「作者の人形劇っぽさを感じる小道具が出てきちゃったな」ってケチつけてるだけだから。
リアリティ 23点 ってか~^~^
ああなるほどね。
いや、でもそれにしちゃ用紙がしっかりしてんだよな。
やっぱ日常的に点数つけてるわコレ。
それなら店長からなにか注意とかありそうだけどそういう描写がない……。
まあそれより気になるのはさ、モネの「はいはい…で何がご不満なの…?」なんだよね。
お前よー「美術の先生にあんまりいい思い出ないなあ」と言った口でコレかー。
まあ初日っぽいし勘弁してやっか今回は。
ページの左下でコマぶち抜いてることの演出意図がいまいち分からん。
違和感でまっさきに目が言っちゃうけど、まず上から見てもらった方がいいページに見える。
100点じゃないんですか……?の寂しい背中が重要なページでしょこれ。
・ ・ ・
みんな って言い方にさ、「大衆は無知蒙昧なクズであり、芸術を介さぬ下等種族である」と言わんばかりなものを感じるんだよね。
それが演出意図として分かっていて、読者はモネのこういった発言にイラッとするのがこの漫画の誘導として正しいのかが引っかかる。
というか俺は終始そこが引っかかる。
モネをどう見てほしいのか。
そしてこの物語をどう感じ取ってほしいのか。
背骨とも言えるその部分にどこかゆらゆらとハッキリしない感じがある。
そうしたゆらぎの最中に、蛇行運転の酔っ払いが次々と不特定多数にタックルをかまして帰っていくような不躾さを覚える。
俺はそこが本当に嫌いなんだ。
それを分かっていてやっているのか分からないことが。
「心で見たら なにも見えなかった」
は?
計算して書かれた上手な子供の絵を描こうとする子供の姿を、心で確かに見ておきながら、自分が気に食わないからとなかったことにしたのはお前だろうがモネよ。
お前な、相手の嫌なところが作品から見えたらそれは何も見なかったことにするのが絵画鑑賞だと思っとんのか?
悪意を感じ取らせることがコンセプトの作品もあるし、空虚さがコンセプトの作品だってあるだろう。
見えないのは、お前の心が、お前の見たいものしか、見てないからだ。
そういうところが嫌いなんだよなモネ。
抽象画について語るのはほんま難しい。
俺は火傷したくないから自分から語りたくねーので「ブルーピリオドとかに描いてあった気がするぜ?」とでも言って誤魔化すけど、この作品は火中の栗を拾いに行くんだから勇気があるなあ。
まあ~~~言ってるのは小学生と~~画家ですらないモネせんせ~~ですから~~~作者の意見じゃないし~~~いいんじゃないっすか~~??
でも冷めちゃうんだよね。
没入度 10点 ってか~~~^^
モネさんにじゅうはっ さい
絵画歴15年
いやまあこんな所噛み付いて「じゃあ小学生で絵が売れてるやつの何が分かるんだろうな」なんて言いませんよ?
雑に揚げ足取りたいってほどじゃないんで。
真っ向からぶった切ってる感出したいからここは、刃を縛ってフェアを演出ですよ。
あっいや違うよね。
無知蒙昧なクソ雑魚読者に対して抽象画について1から説明しても仕方がないから抽象化≒グルグルってこの作品では仮に定義してるんですよね。
あれ、なんで俺今一瞬アオスジピキってなったんだ。
無意識化で何かを抑えた音がしたわ。
絵を描く楽しみを、人からチヤホヤされることに求めちゃ駄目なんですかね?
ゴメン僕ホントこういうのわかんないんだよね
やっべフライングした
風が吹いている絵を見て、そういった概念を描写しようとしたことを理解するのと、実際に風が吹いている用に感じるのは別っすね。
膨大な価値がつく理由は様々で、投機目的だってあるからなんとも言えないっすね。
あえてズラして頑張ってる感の演出っすね。
歪みを入れてるのもわざとでしょ?
はい 23点
これはだいぶ浅い見方なんですよ。
そもそも論として、レンズを通った時点でそれはもう正確な風景とは言えない気さえします。
そういった疑問を人の心に浮かび上がらせてくれるのがカメラの魅力だと私は思います。
魚眼レンズは文字通り、魚の眼に映る世界なわけですが、もし人間の目が魚眼レンズだったら、正確な風景と呼ばれる写真は魚眼レンズの写真になったのでしょうね。
ではその世界において私達が見るような比較的フラットな景色はどう扱われるのでしょうか?
望遠レンズで撮ったときの遠近感を人は嘘と感じますし、広角レンズにしてもそうなのですが、それらは単に私達の視覚とは違う道具を……
人に見せて再生数を稼げるかじゃなくて、自分が気持ちよくなれるかだから。
それを、人に押し付けるなよ。
股間の筆を、SEXに使うか、オナニーに使うか、それを決めるのは本人の自由でいいじゃん。
お前のオナニー気にくわないよ、お前がSEXだと言い張っても筆を使うならオナニーだって俺は思ってるから、お前がSEXと言い張ろうとオナニーとして評価するから。
それがお前の考えるいい先生なのかよ!
そういう所だぞ。
突然人の髪触る奴……こわっ……
でもあれだな。
「教えたいことがある」のセリフに被せられるとエゴイストっぷりが引き立つからいいシーンだな。
自分の顔を鏡で見た時は鏡に写したキメ顔だけってのは、人間の人生が持つ欠陥の一つです。
そこが味わい深……あー駄目だまた話が長くなりそやめやめ
じゃあどう表現したら良かったんでしょうか?
難しいね!頑張って!
ここの背中から表情の違いを上手く出せると良かったんだろうな。
多分、それだけでもだいぶ変わる。
自分の知ってる悲しみを、他の人には味合わせないようにと考えられる人が、優しい人だと僕は思います。
私はそれを乗り越えたから、それについてはもうどうでもいいよと言いながら、他の人が同じように悲しんでも、自分と同じように乗り越えろは、優しさとしては3流、いや、そもそも優しさじゃなくて自己満足、エゴだよそれは!
今、愚痴を吐くためにあえて1ページずつ見てるんだよね。
それでさ、このページを1ページだけ見たんだよ。
そしたらさ、頑張って描いた絵の上に「お前の絵は心に正直に描いてないよ」ってセリフが被ってたんだ。
お前の絵は無価値だよ。
本当は0点だ。
そう言わんばかりだった。
悲しみが、胸に押し寄せてきて泣きそうだった。
ゴッッホーンってな。
はぁ……31Pの悲しみのせいで内容がうまく頭に入らねえ。
うわああああああ急に白黒に戻るなああああああああああ
ぶっちゃけ見開き2ページぶち抜きでこの振り向きで良かったと思います。
そもそもの話なんだけどさ、描いてる最中にチラっと横見てなんとなく何描いてるか途中で分かったりしない?
完成まで間に衝立でもあったのかな?
わりい。
俺2周目だから超冷静なんだわ。
こまけーなわりい。
場面が転換してるけど台詞が直前の事象を引きずりすぎてるので「え?なんか急に生徒生えてきてない?」ってなるんだよなー。
レオの席が空席なのを先に見せてワンテンポ落として、それから教室全体とかにするといいのかなーって。
気に入っているから居残るってのはどうなんだろう。
俺は今、大嫌いな漫画のためにこんな夜中までひたすら居残りしてるんだけど?
すごいお家……以外の情報はないなこのページは。
俺もちょっと他人に無関心な所あるけど、最悪の出会いをして今夜ふかししてこんなの書いてるよ。
この辺、状況説明みたいのばっかで文句をつけようにもそもそも何もないって感じだ。
しかしあれだな「気に障るようなこと」と口にしては具体的にそれがどうなのかは考えないんだよなモネって。
休憩していいぞ。
待ってるやつがいるぞ。
どっちだよ。
「」の中身がなげーよ。
どんな時でも描きたい気持ちに素直になれるかで定義するのもなんかモヤモヤするしな。
前半部分いらなくね?
いるか?
自称画家じゃないのモネが半分だけ定義を満たしているのってキャラ的に正解なのか?
看板を背負う勇気さえできりゃ俺こそが画家なんだよ!ってキャラだったのか?
そのへん混乱するぜ。
上半分は回想ページだから雑な絵柄じゃん?
でも下半分だと偉い人から「本当にいい絵だと思っている」ってオーラを出すために書き込まれてるじゃん。
んでこれってレオの回想だからレオの思い込みの光景なんだよな?
いやそこが分からん。
実際にあった光景に対してレオの印象だけが吹き出しで追加されているのか、絵も含めて全部レオの妄想なのかが分からないんだよ……。
多分だけど、上半分のオヤジと画家をもっと丁寧に書いて、吹き出しは思い込みで、映像は事実そのものですってした方が漫画的にいいのかな。
そして、それがこのページを読みにくくしてる。
やっぱ父さんの顔のタッチ、さっきのページの上だけおかしいんだよな……。
どうあってもレオの絵はレオの絵であって、そこに世界はやはりあるんだろうな……って演出でいいんだよなコレ?
この辺のわかりづらさ本当なんとかしてくれよ。
光ってるのはお前だぞ派
それが読者に分かるのがいい漫画なんだぞ派
君はどれ?
「大したやつだ」
「やはり天才か」
上から目線で語ってんじゃねーよババァ俺より稼いでねーくせにと言ってえーんやぞレオくん。
俺は許すよ。
『「世界」が描きたい』って話さっきまでしてたのに「描きたいものが分からない」って話にいつの間にかなってる!?
編集も読んであげて!
うーん。
ビジネスマンと漁師のアメリカンジョークみたいになってきたな。
あの稼ぎまくって最後はのんびり釣りをするんだぜって既にのんびり釣りをしてる人に説法を始めるやつね。
俺あれ好き。
この漫画嫌い。
最初に髪の毛触ったコマでもうちょっと分かりやすくしたほうがいいよ。
この石何?ってなる読者いると思うからね。
それか完全にゴム紐にしちゃったほうが逆に分かるかなー。
目線の高さを合わせて喋ってる感出してるはずのシーンで高さがあってないの苛つく人ー ノ
いやお前ゴム紐に向けて喋ってるわけじゃないだろ?
扉絵のクソ雑い睡蓮の橋を思い出して思い出しギレしそう!!!!!!!!!!!!
なにいきなりフェラ顔してんの?
ここ1Pずつ読むとそんな違和感ないけど見開きだとなんかバランス悪いんだよね。
どっちで読ませたいのこの漫画結局?
縦読みだと多分この構図でいいんだろうけどー。
友人再登場してるけどコイツのこと読者だいたい忘れてると思う。
会話させるために引っ張ってきたんだろうけど……。
つうかなんであれモノクロだったの?
なんで?
白黒にしたの?
なんで?
でもさあ、あのサイズ(3mぐらい?)で描かれてる設定ならなおさらもっと精緻なタッチでよかったんじゃないの?
小学校の頃の僕はこれぐらいの画力でしたとかだとそれこそ「世界」がないよね。
バリバリに写真みたいな「世界」の中にいた僕を先生が引っ張り出してくれたんですにするのが、あの絵でやるべき「世界」だろぉ?