はてなキーワード: 自己肯定感とは
誰に好かれずとも、むねをはって生きていいと思います。
たとえ障害があったり、
育ってきた環境のなかで人並みに成長できなかった部分があったとしても、
誰にでも起こり得たリスクです。
生きることは大変なことなのです。
食料の確保、安全の確保、
それこそが生きることの全てなのです。
人類は協力しあってここまで発展し、
生きることが当たり前になり、
生きる意味さえ求められるこの頃ですが、
生きることに意味などないのです。
遺伝子を残すための行動、
それこそが生き物の本能です。
生きることに必死なのが、
生き物の本来の姿なのです。
死ぬのがこわくて当たり前なのです。
世界中にどれだけいることでしょう。
個人の問題だと思わないでください。
他の人間にも必ず発現し得るのです。
育った環境が悪かったとすれば、
同じような環境で育ち、
同じような悩みを抱える人間が発現し得るのです。
同じような人間はきっと少なくないのです。
もしもそうであれば、いかにできそこないに生まれた人間の尊厳を守りつつ排除するかを、
あなたがそのような生きにくさを抱えながらも、
ここまで生きてきた。
それはすごいことです。
いかにすれば幸せになれるのか。
その答えが出るまで、
あなたが生きているだけで、
この広い宇宙で、ちっぽけな地球に生まれた人類は協力し合わねば生きていけません。
チーム人類の一員として、
悔しい。何が悔しいって自分がやればできることを
知らずに生きてきてしまったことだ。
自分ができないことは全て才能の差だと思っていた。
違うんだ。大体がある程度のレベルに達することができるんだ。
(適性の無さによるいかんともしがたい影響はあるかもしれないが)
当然の事ながら、教育熱心になるだろう。
本も読み、好奇心も旺盛になるだろう。
だったり、昔某かのスポーツをやってい
親の教育が受けられたりする。
人付き合いに関しては、人が好きな親と、
影で人の陰口ばかり言っている親に育て
原因もあると思われるのだが・・・
そう考えると、脈々と受け継がれてきた
憎むことなんてできないが、かと言って
本を読んでいる今日このごろ。
今まで、自分から好きになる恋愛は、他の人が選ばなそうなそして自分に対してぞんざいな扱いをしてくる人ばかりを選んできた。
相手が好きになってくれて付き合う恋愛は、こちらが親代わりをするような、身の回りの世話をするという話ではなくて精神的に満たすことを要求されるものだけだった。精神的に満たす、というのも、ただ一緒にいるとか話しを聞いてあげるということではなく、相手がどういう風に思われたがっているかを読み取りそのように反応することや、どんなコメントが欲しくて話しているのかを汲んで応える、というようなことに近い。
振り返ってみれば、高校のときから恋人が途切れたことはない。しかし、他人に詳細を話し、羨ましいと思われるような恋愛は一つもない。むしろどうして毎回そんな風なのかと言われたことすらある。
多分、親が大きな原因だと最近思った。
自分がドキドキして、この人と付き合いたいと思う相手は、親に似ている。
お前はありのままでは価値がないというメッセージを態度や言葉で常に送ってくる、支配的、そして他人からどう思われたいかが透けて見え易くそれを満たしてあげるとこちらの存在を初めて肯定してくれるような人だ。
親の顔色を見ながら機嫌を取って育った結果、当たり前に他人にもそうしてきた。そうすると、今度は自分を持て余してる人から過剰に好かれた。
話しをめちゃくちゃ聞いて欲しがってる人、自分は面白い人間だと思いたい(けどあまり人に相手にされない)人、昔親にあまり相手にされなかったりひどい仕打ちをされて愛に飢えてる人など。それが、自分のことを好きだと言って付き合ってきた人たちだった。その人たちは必ず増長して、どんどん要求を増やし関係は壊れてきた。
自分がドキドキして付き合いたいと思う人も、自分のことを好きだと言ってくれる人も、どちらもロクな人じゃなかった。培ってきたはずの自分の物差しはまったく使い物にならない。
自分が、異性と新しく出会いたい関わりたいと思うときっていうのは、自分を他人に承認させたいという欲望だと思う。腐るほど出会ってきたし覚えておけないくらい恋愛した。それなのに、まだ出会っていない異性に期待している自分が憎い。
自分を満たす術に他人を選んではいけないんだと思う。ニムラヒトシさんが言っていた、「一人でやっていて、誰に褒められるわけでもなくても自分がルンルンになれるもの。自分の居場所を自分で確保する」ということを、きちんとやらなければいけないんだと思う。
自分は恋愛経験が少ないこともあってまだ経験したことないけど、友達の話とか聞いてたら浮気されてもとりあえず話し合うみたいなこと言ってる子が多くてかなりカルチャーショック?を感じている
自分は浮気とかされた時点で絶対に別れるし、二度と目の前に現れるんじゃねえ、現れたら浮気相手ともども人肉シチューにしてやるからな みたいな思想なのでそもそも話し合うって何を?と思う しかも話し合うってことは双方で話がついたらまだ交際は続けるってことだよね? 一度自分を捨てたようなやつといっしょにい続けるなんてみっともないマネ自分にはとてもできない
自分は普段はかなりネガティブで自己肯定感も低い方だけど、この点においては普段自分よりよっぽどメンタル安定してて自分に自信あるような人のほうがとりあえず話し合うって言う割合が高いのでなおさら不思議に感じている
http://anond.hatelabo.jp/20160316231324
女性と男性、労働と結婚と出産などの、ここ100年くらいの状況って総括するとどうなるんだろ?
よくまとまってる記事とかブログとか本ってない? なるべく私怨が少ないやつで。
この辺の問題を論じるとき、参加者は背景の共有ができているのだろうか。できてないと話ズレるとおもう。
要点キーワード列挙するとこんな感じ
男女、歴史的経緯、政治の無策、教育、自分で考える能力のなさ(政治の無関心)、権力構造、時代に適応して価値観を変えたり次世代に引き継ぐことができない権力層
■昔
選択の自由がない単純化されたシステムだった。キツいが、役割を果たせば成立しているシステムであった。でも役割がキツすぎたのか反発が起きていく。
男性が労働して家族を養っていた。つまりそれだけの給料をもらえていた。ただ、家庭と職場の両面で社会的重責が課せられた。その反動か家庭内では暴力的だった。
女性は労働しづらかった。だから一人で生活が不可能なので、旦那を見つけて専業主婦するしか選択肢がなかった。たとえ暴力旦那でも。
男女がお見合いで利害の一致によってくっついて家庭になるので必然的に子供もできた。
このとき男性側のメリットって何なのだろうか?メリットというよりは社会的圧力だろうか。
あまり能力がなくても就職できさえすれば年功序列によって救われた。
女性は生きていけないので、旦那がイケメンかどうかとか言ってられない、なりふり構ってられない状況であった。だからブサメン男性も救われていた。
■現代
男性の給料が減り、家族を養うどころか自分一人を生かすのも危うくなった。男性一人の収入で家族を養えるのはごく限られた一部になった。
女性は能力と意志さえあれば働けるようになり、一人で生活が可能になった。とはいえ給料は男性と同じかそれ未満。給料的に置かれてる状況は同じ。金が無い。
このことから、子供を作る場合は共働きでないと収入面で辛くなった。それでも働いているので時間がなかったりしてかなり厳しい状況なので子供を作れなくなった。DINKSという。
仕事も育児もなんでもこなすスーパーウーマンなんかはごく一部である。共働きとはいえベビーシッターを雇えるような状況でもない。
親子間での殺人事件、ネグレクト、子供の騒音問題、ベビーカー問題、子供への犯罪、養育費の高騰、核家族化による育児サポートのなさ、大学まで行かせても低い就職率、ブラック企業、日本の将来性など、子供の未来にも暗い影があることも出産を抑制している。
それに子供以前に、結婚をしなく・できなくなった。女性は自活できるので、結婚への圧力は減り、恋愛は自由競争化しお見合いが減った。なので市場価値の高いものを志向するようになった。昔の男性のような家族を養える高収入、アイドルブーム、二次元の発達による美形、などを志向する風潮。
また、労働の能力や意思がない女性は、昔の時代の女性が受けた暴力の反動を根拠とするアジテートからか、都合の良いATM旦那や家事育児旦那を求めたり、痴漢冤罪や恋愛弱者男性の迫害といった、婚前・婚後を問わない男性への社会的暴力を開始した。昔の男性の罪など知らない現代の男性にとってはこれを不服とし、「イケメン無罪」「※ただしイケメンに限る」「メンヘラ」「(イケメンには良い顔をする)クソビッチ」などの揶揄・批判用語を作り出して応戦した。泥沼化している。
※昔の男性の罪は、現代の男性が負うべきなのだろうか。罪というかみんな別々の辛さだったんだけど。その批判なら男性でなく明治政府に対してすべきでは?
男性に対する結婚への社会的圧力も減ったので、男性側も結婚を選択しないで済むようにはなった。というか市場価値不足によってしたくてもできないのも大きい。女性の社会的暴力に辟易してしまう成分もあるし、二次元の発達、性風俗に従事する女性の美形レベルの向上もある。旦那がガンになったら捨てられたりする。熟年離婚。セーフティネット、互助機能が家族から失われている。「病める時も健やかなる時も〜」という宣誓は何だったのか。昔のところに書いたように、イヤイヤでも仕方なく結婚したケースも多いから仕方ないのか。
「労働の意思や能力があり、自活できる女性はDVから救われ自由を手に入れた」わけだが、「労働の意思または能力がないので高収入旦那ATMを必要とする女性」はあまり救われてない感じである。ATM旦那を見つけたとしても、そんな妻をもった旦那のほうはイヤイヤ結婚生活であり苦痛である。鉄道模型を捨てられたりするし。
恋愛市場価値の高い男性は引く手数多であり、未婚率が男性が高く女性が低いのは、そういった男性が再婚をするからである。
恋愛市場価値の高い男性と、低い男性との間でも溝ができた。「恋愛のアドバイスだって?じゃあさ、まず女の子と食事いくとするじゃん?」といった、前提レベルが違いすぎる分かり合えない溝を産んだ。
労働の能力や意思の無い(低い)男性は、強い社会的圧力にさらされている。
昔は年功序列によって無能も救済された。だが、徐々に能力主義になっていくにつれ無能は淘汰され、そもそも入社できなくなっていく。しかし昔の無能は年功序列によって上層部になっていくので、能力主義による淘汰を免れた。いまでは上層部の中・高齢者は無能と有能が混在し、中堅以下の中年や若年には無能が存在できなくなった。そういう組織構成になった。医療の進歩で寿命が延び、高齢化社会になったのもある。
それでもニートは200万人くらいいるらしい。「働いたら負け」の名言も産んだ。デイトレードと新小岩も産んだ。
※ニートはなぜか上限が35歳までで、そこまでしか統計を取っていないようだが、あまり年齢上限の意味はないと思う。
昔から現代を通じて「男性への労働圧力」はなんら改善されていないし、反発もされていないのだが、ニート200万人が無言の反発ともいえる。
昔の男女の役割固定の価値観は、現代の役割や生き方の自由化しようとしていることと相性が悪い。男だって働きたくない、男だって家事育児したい、女だって働きたい、女だって産みたくない。昔の価値観どおりにいくのはごく限られた一部であり、多くの現代人の足かせになり、もはや適さない。誰も得せず不幸にするだけ。
現代人は昔の人に教育をされたわけなので、昔の価値観が教育されている。それがもはや現代人を幸せにしない価値観なのにも関わらず。だから価値観を再構成する必要がある。そこに気づくことのできない、"優等生"現代人が、その意味も理解しないまま社会的圧力の次世代の担い手となり、自分自身をも苦しめている。昔の人の誰得価値観を守るために。20代-30代の労働における自己肯定感の低さと自殺率の高さたるや。棄民された氷河期世代も含まれる。
結婚・出産への社会的圧力は減ってはいるが、無くなったわけではなく、むしろ昨今の年金問題と少子化問題が深刻化するにつれて圧力が復活しているようにも見える。政治的失策を国民に責任転嫁する形で。
先述の「昔側の男性」に属する為政者による発言にもそういった圧力が増えた。産む機械発言とか。それが、男性へは収入(労働)への圧力、女性へは収入(労働)と出産への圧力となっていて、男女間でのさらなる火種となっている。というかすでに炎上しているところに油を注いでいる。
「あの子は分かってくれる」
少年のような心を持った男は得てして、特定の女をその他の女と区別したがる。
その結果、はてブさんのように女は図に乗る。
これは若年のゲーオタが、音ゲーをやっている際にカワユイ野次馬に囲まれるだけで、「どうも自分は神様になったようだ」と逆上せ上がるのに酷似している。
目つきは鋭くなり、傲慢に辿り着くほどの自己肯定感を獲得し、他者に対する愛を抑えてただひたすらに己の身だけに注入するナルシシズムゲーマーへと変化を遂げて行く。
つまり女に対して余分な期待を持ちすぎると、無意識にゴマすり男として接してしまい、それゆれに女は付け上がる。
些細なミスを見逃さず、一度や二度で終わらぬ百年続く愚痴を放ち、人が落ちぶれていく様を見て天国も地獄もざっくり一刺しして〝繋がり団子〟にするような規模の大きな高笑いをはじめる。
こうした傾向は、はてブさんたちの勢い余るコメントに通ずるところがある。
与えるエサを間違えるな。
ではどうすれば良いのか。
女を雑草と思え。
ぶちぶち引き抜くように接し、唾を吐きかけるように挨拶し、踏み荒らすように会話せよ。
女に種類などない。
たかだが女だ。
水槽の中を泳ぐ金魚のように口をパクパクして呼吸しているだけの生物である。
極端に思考を転換せよ。
女は男に対して、これ以上の悪意の視線を向けている。
俺らを産業廃棄物だと捉えるどころか、「産」と「業」と「廃」と「棄」と「物」を取り払い、完全な〝無の存在〟にしてしまう。
朝のラッシュ時、猛烈に肩をぶつけてくるのは大概女だ。
負けてられるか!
女の考えを、男の考えで叩きのめす。
そして俺は必ずや、故郷に錦を飾る。
あまり自己肯定感が高くはないタイプの人間で,それにあまり要領もよくない人間だったから,その分ちゃんと頑張って生きようと思ってよりよい人生を送るためのささやかな努力――自堕落な生活を送らないための自制心や忍耐,日常生活におけるPDCA――をいつもやってきたはずなんだけど,ここ一ヶ月くらいもうそれらが全部どうでもよくなっちゃって,全部だめになっちゃった。
たとえば早起きずっと苦手だった,だから,ありとあらゆる試行錯誤をして,負担少なく無理なく続けられるやり方を考え出そうとした。まず,睡眠時間の記録を何ヶ月も続けてとって自分の睡眠傾向の現状を調査をした。また帰宅後の自分の時間の使い方を手帳に逐一しばらく記録して,いったい何にどのくらい時間を費やしているのか調べた(たとえば風呂にはいつも30分かかる,とか)。それらの記録を元に予定を組み替えて,早く寝れるよう時間を捻出してみたりした。目覚ましのおき場所も工夫して。テレビやラジオのオンタイマーを活用して。そしたら早起きが無事できるようになった。やったね!朝ごはんをきちんと食べれることの幸せを得ることができた日々は本当に幸せだった。
たとえばファッションセンスが激ダサだった。アラサーなのに高校生みたいな服を着てた。クローゼットの中身は一朝一夕ではどうにもならない。なので三カ年計画でクローゼットを改革することにした。ファッション雑誌や指南本をいくつか読んで基礎を勉強した。不要な服を廃棄し,シーズン毎に手堅い定番品を買い足した。所有している服は全て写真を撮ってクラウド管理。すると自ずと次に買うべきものがわかってくる。以前に比べて服装に自信が持てたし,服屋のセールを眺めるが楽しくなった。道行くひとを眺めることでさえ勉強になる。ファッションはとても奥が深くて面白い。
たとえば暮らしが貧乏だった。手取り十数万で一人暮らし。奨学金の返済もあるし,年に一回は片道1万円かかる実家に帰省しなきゃならない。当然家計簿はつける。月ごとに自前のエクセルで集計して分析。各種定期的な支出は積み立てをする。趣味も整理して無理なく出費を続けれるように支出を調整。給料日の幸福感は減ったけど,自分の家計の不透明さは減った。数年内に転職はしなきゃならないけど,家計簿のお陰でなんとか今もまあまあ楽しくはやれている。
全部やれてたし,それなりに全部楽しくやれてたはずなんだけどな。
どれもささいなことだけど,がんばったんだよ。自分なりには,がんばったんだと思う。
でもなんかもう全部どうでもよくなってしまった。
少しずつでも歩き続ければ今よりももっと素晴らしい自分になれると思ってた。今でも多少はそう思ってるけど,でもなあ,あんまり信じられない。1x2=2だけど,0.1x2=0.2なわけでさ。同じ「x2」の努力をしたところで,もともとのものが少なければ一歩前進できたところでそれは微々たる物なんだよね。そんなの当たり前で,だからこそ少しずつ進んでいくしかないんだけど。だけどさ。ものすごくがんばって,それでようやく人並みになれて,それって何が残るんだろう。
それにさあ,どんなに努力のやり方を考えて工夫しても,結局そのやり方を遂行するにはそのための,なんていうか,精神的体力みたいなのがさ,必要で。それって努力ではどうにもならないんじゃないかなあって最近よく思う。がんばっても精神的体力は回復しない。精神的体力をうまく回復させる方法を考えるけど,考えることで精神的体力が消費されて結局意味がない。
もっとパワフルな人間になりたいと思う。どうしたらなれるだろう。どうやったらなれるだろう。考えるけど,考えるだけでうんざりする。がんばってもがんばっても,わたしはわたしにしかなれないので,よりよい人生というのも幻なんじゃないかと思えてならない。でも向上心を全部なくしてしまったら,今以上に今後がよくならないなら,今すぐ死んでしまうのが最も合理的だっていう結論に辿り着いてしまう。死にたくない。でもやっぱり生きるのはつらい。
こういう生きるのがつらい系記事増田に最近ちょくちょく書いてるけど,仮にホッテントリ入りしたところで釣り認定されるんだろうか。まあ釣り認定は増田の華なので別にいいけど。でもいつも思うんだけど,はてブってよくライフハック記事があがってくるじゃない。みんなあれを実践しててつらくならないのかなあ。それとも世の中の大多数の人間は,自分よりも格段にパワフルなひとばかりなんだろうか。
まずはターゲットを決める。ここでは自己肯定感が弱くて、なるべく周囲との繋がりが無い相手が理想
とりあえず隙あらばヤル。褒めろ、前戯も後戯もきっちりやれ。愛してるかわいい気持ちいいって言葉を忘れるな
自分に好意をもたせたら、周りの人間との付き合いを断ち切らせろ。いざとなった時に客観性を取り戻されたら困るからな
向こうにとって俺が全てって状況になったら、相手の悪い点を徹底的に責め立てろ
それから徹底的に優しくフォローする。お前のそんなところも俺は愛してやるとでもいって、抱いてやる
これを繰り返すと相手が依存するようになるのでちょっとやそっとでは別れられない。殴っても蹴ってもいいし、大きい音で威嚇してもいいけどそこはDVなので自己責任で
キツく当たるときと優しくするときの幅はとにかく大きくする。甘やかすときは徹底的に甘やかすことが大切
アホなDV男でもできるので少し頭が良ければ簡単に身につくテクニック。あとはマインドコントロールとか洗脳の勉強すればもっと深く依存させられるよ
増田の問題点はだな、男と付き合う気がない女ばかり狙うところにあるんだよ。増田は低スペ女なら簡単にひっかかると童貞くさいこと考えてるのかもしれないが、女だってプライドもあるし、そもそも男と付き合う気がなけりゃいくらデートしたって無駄。特に貧困だったり障害持ってたりする人は自己肯定感が低い(場合が多い)から、増田と付き合う将来が想像できないくらい未来を悲観してたりする。もったいないってのはそういう意味。
口説ける女というのは、口説かれる心の準備ができていて、いい男にならむしろ口説かれたいと願っているような女。そういう意味で増田が狙うべきはもう少し上のランクの女だ。知人女性と擬似デートして好評価なら、普通のスペックの女なら何人かとデートするうちに上手くいくケースもあるだろう。
あとアラフォーのような年増女は色々とこじらせまくって負のプライドの塊だから、むしろ口説き落としにくい。これは常識といっていい。さっさと年増女は捨てて、30代前半で婚活で焦ってる普通スペックの女を手当たりしだいに口説きまくれ。
本当は挑戦したくてしたくてしたくてしたくてしたくて仕方がないんですね。
だけど、自信も勇気もなくて、挑戦する人に劣等感を抱いてる…。
まるで海外に行った事がなくて、羨ましくて地団駄踏んでいる子供ですね。
失敗も挫折も挑戦もいいですよ。多くの事が学べます。賢くなるんです。心が満たされるんです。自分は精一杯生きたんだ!力を出しきった
心は爽やかで悔いはないです。挑戦に対する目に見えない果実というのは山ほどあります。
心の底で感じてしまったんですね。
世の中に貢献できない惨めな自分。自己肯定感がない。人からも羨ましがられていないと感じる。色んなモノを苦労なく手にしているけど、むなしいと感じている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.black-gamer.com/entry/motenai_otaku_marunage
この辺の恋愛話で自己肯定感の低さ云々が話題になってますけど、この自己肯定感の低さをどう克服するのかってのは割りと生きていくうえでも難しい問題なんですよね。
個人的にも自己肯定感の低さを抱えたまま人生生きてるので共感できる部分もやっぱあります。
基本的に自己肯定感が低いと、自分の発言・行動に価値が無いと感じていたり、少し重くなると権利がないと考えるようになります。
自分から発言することが周囲に迷惑をかけてしまうのではないかと考えたり、そもそも自分みたいなクズの意見は発言するべきではないという強固な信念があるからですね。
困ったことに自分はクズという信念だけは心から信じてしまっているのでなかなか難しいところです。
周囲の人間に責任を担保させすぎてしまったり負担をかけてしまうことが実害としてあげられます。
一旦こういう状態になってしまうと積極的に自己を卑下したり、罵られることに寂しさと同時に安心感を覚えるようになるのでなかなかぬけ出すのが難しくなります。
基本的に自分の考えを肯定されることは少ないですから、「自分はクズである」という唯一の思想を肯定されちゃうので麻薬のようにはまっていくんですよね。
また、迷惑かけたので頑張ろうという気持ちもあったので意外と任された仕事は頑張る時もあるんですけど、頑張り過ぎると論理的に矛盾がドンドン発生するようになってくんですよね。
そうすると他人から褒められるようになったり、気づいたら数値で明確に他の人より成果がでるようになっちゃったり。
そうすると「自分はクズである」という思想から外れてしまうので途端に不安になります。
俺は屑だ、俺は屑だと思ってるのに数値では明確に自分が上の立場なのでおかしくなっちゃうんですね。
これをどう解決したのかというと、それは徹底的に「出来事」を客観視することでした。
これだけじゃちょっと具体的じゃないのでもうちょい書きますね。
「俺はゴミを捨てちゃ駄目だが、他の人は捨ててもいい。なぜなら俺は屑だから、権利がないから」
全体を俯瞰視する見方に変えて一旦自分を評価軸から消去します。
これをやったのが俺じゃなくて他人だったら?
っていう考え方に変えるんですね。
なるべく自分を世界にかかわらせることをやめることで普通の対応に見えるようになります。
自己肯定感の低い人がおかしな対応をするのって基本的に自分が関わっちゃうからなんですよね。
ただし、考えるのに時間がかかって結構ぎこちない対応になったりしちゃいますけど。
増田でしかできない、増田だからこそできる話をしようと思う。「苦しんでいる人はこういうふうにがんばって」というよりは、苦しんでいる頃の私がもしこういう文章に出会っていたら少しは救いになったのかも、という話。
もう大分長いこと、二次創作を続けている。絵を描くのも文章を書くのも、どっちも昔から好きだったけれど、私は文章を選んだ。生まれて初めてWebサイトを作ったのが小学六年生のとき。当時PCは高級品で、クラスでも家にPCがある子は少数派だった。内気で友達の少なかった私は定年退職した祖父のPCを(怒られながらも)使って、二次創作にのめり込んでいった。オリジナルも書かなかったわけではないが、余程の技量がない限り誰にも読んでもらえないオリジナルより、多少拙くとも萌えさえあれば読んでもらえて、反応がもらえる二次創作が好きだった。続けるうちに、友達が増え、引っ込み思案な性格も徐々に変化していった。二次創作は私の承認欲求を満たし、自己肯定感を与えてくれた。Web拍手の解析ページに毎日毎日アクセスし、コメントが来ていると飛び上って喜んで、ますます執筆に入れ込んだ。筆が早い事もあって、評判は上々だった。
ところが、書いても書いても全く反応がもらえない時期が訪れた。どんなに心を砕いて、言葉を尽くして、魂を込めて書いたところで感想が来るどころか読んでももらえない。つらかった。本当にしんどかった。マイナージャンルのマイナーカプ、しかも地の文濃いめのシリアス。負け戦なのは分かっていた。それでも誰かに届けたくて、この熱い思いを分かち合いたくて、書き続けた。しかし、変わらず反響は無い。毎日欠かさずチェックしていたアクセス解析を見る事もできなくなった。あるとき完全に心が折れた。半年かけて書き上げた本が、全く売れなかった日のことだった。サイトを倉庫化してpixivからも姿を消した。悔やんでくれる人さえいなかった。私は途方に暮れた。
しばらく経って、私はアクティブな書き手が自分しかいない古いジャンルカプにいた。楽しかった。感想の数なんか気にしなかったし、アクセス数すら目に入らなかった。実際に、長い間やっていたのに反応はほとんどなかったし、pixivに上げたところでブクマなんか付かなかった。それでも私は楽しく書き続けた。のびのびと、「部屋中にらくがきをしていいよ」と言われた子どもみたいに、好きなものを好きなだけ書いた。
書くのが楽しくなってくると、もっと良い文章を書きたくなって、トレーニングの一環として詩を書き始めた。その頃、実生活でもいろいろと変化や発見があり、詩にすることには事欠かなかった。はなから誰にも見せないつもりだったので、私は自分のためだけに言葉を紡ぎ続けた。言葉は溢れて、私はいつも言葉の渦の中にいた。
それから、勉強。「ホモ小説を書くのに、なんで勉強?」と思われるかもしれないけど、現役大学生の頃に難しくて放り出した本をもう一度読んでみると、面白いほどするすると頭に入ってきた。難解な本を読んでいると脳がぴりぴりと痺れるような感じがして、アイディアが次々に湧いてきた。レヴィ=ストロース『神話の構造』、キャンベル『千の顔をもつ英雄』、ベンヤミン『複製技術時代の芸術』、バシュラール『空間の詩学』、ユング心理学など。映画もたくさん観た。コメディからサスペンスまで、代表的なものをひととおり。物語の骨組みを分析し、レビューや批判にも目を通した。
本や映画、実生活から小説の種を見つけ出してはつぶさに書き留めた。2,3も合わせればすぐに1本書けた。ジャンル原作に関連する情報を求めて国会図書館に赴き、英語の情報を辞書片手に必死で読み込み、舞台となった街をこの目で見たくて海の向こうへも出かけて行った。どっぷりと原作世界に浸り、原作世界を愛し、原作世界に遊んだ。誰にも構われなくても、誰にも褒められなくても、こんなに楽しく幸せなことは他になかった。
そんな紆余曲折があって、現在、比較的人口の多いジャンルにいる。今も変わらず、感想も反響もアクセス数もブクマも全く気にならない(もちろん、あればすごく嬉しいけど、以前のようにはいちいち心配しないという意味で)。すると、私の小説を好きになってくれる人が徐々に現れ始めた。風化しつつあったメールボックスに熱のこもった感想メールが連日届けられ、そこには「○○さんの本は宝物」「○○さんのABが一番好き」「何度読み返したか分からない」「読んでいると幸せ」「○○さんは私の神様」など、およそ信じられないような言葉がたくさん並んでいた。なんだか「幸運のネックレス」みたいな話だけど、実際に私の身の上に起こった話だ。
そして、それはおそらく、誰よりも私が私の作った本を宝物のように思っていて、私の書くABが一番好きで、何度読み返しても飽きなくて、読んでいると幸せで、私の世界では私が神様だからだ。……と、自分では思ってる。私は技巧や内容云々というより、時間をかけて心を込めて書いたというだけで、自分の文章を我が子のように愛することができた。
私を"感こな"の暗闇から連れ出してくれたのは、「書いても書いても読まれることさえない」経験、「何物にも囚われず楽しく書きまくった」経験、それから地道なインプットの積み重ねだった。誰かに見て欲しくて認めて欲しくて藻掻く日々から抜け出してみると、枷が取れたように心と体が軽くなって、自分の書くものを初めて自分のものにできたような気がした。そして思うのは、「苦しみたくないから、誰からの評価もジャッジも受けない」と引きこもるのではなく、苦しみながらも書き続け、晒し続けることを選んで本当に良かった、ということだ。私の場合、その過程を経たからこそ、「苦しまずに書き、楽しく共有する」現在がある。
文章(絵)がうまくなりたい、感想が欲しい、自萌えできるようになりたい、褒めてもらいたい……二次創作に限らず、そんな欲求に苦しめられて創作を心から楽しめなくなってしまう人は少なからず居るはずだ。そんなときは一度、思い切ってそれらの欲求を手放してみて欲しい。つらく寂しい道だと思うかも知れない、けれどそれはきっと「つくること」のごくごくシンプルな楽しみへとあなたを導いてくれる、そういう明るい道のはずだから。
7,8年ほど昔の話になるけれど。文章の練習ついでに投稿してみます。
当時中学生の自分は「ラグ○ロクオン○イン」というオンラインゲームに学校から帰った後の自由時間の大半を費やすほどハマっていた。
そのゲームの世界は、中学のクラスの狭いコミュニティとは違って、様々な人がゲームを楽しんでいた。そこでは、自分よりも一回り二回り上の社会人が多くログインしており、年が近いといっても高校生や大学生のプレイヤーばかりで自分と同じ年齢層の中学生は滅多に見かけなかった。
そんな世界だったので、自分が中学生であると告白するのはちょっと怖くて、リアルのことを気軽に話せるぐらいに仲良くなったギルドの人にしか伝えなかった。
一回りも上の社会人の彼らたちに伝えたところで、どのような反応が返ってくるかと不安だったが、彼らは物珍しい対象だと思ったようで、年上として可愛がってくれたりもした。(リアル女子中学生プレイヤーという重宝される存在なせいで所謂ネトゲギルドの姫みたいな状態にもなりかけたが)
一部の人たちは今でも親交があり、私が成人した後も年に一度くらいちょっと高めなご飯を奢ってくれる。
そんな中、当時仲良くしてくれたプレイヤーの一人にいきなり「自分と付き合わないか」とwis(1:1でできるチャット)で告白された。
今思えば、完全に年下の女の子を狙った下心見え見えの事案なのだけれど、当時男性と付き合ったこともない女子中学生の私は舞い上がってしまった。
ゲーム内の彼は多少横暴な所もあり、性格がキツいことで多少トラブルを起こすこともあり、恋愛的な感情を持たなければあまり好きではないどころか苦手な相手だった。
そんな彼に告白されると思わなかったけれど、人に厳しかった彼に認められたようで嬉しくて、交際関係を結ぶことを承諾してしまった。
匿名でも言えることは限られると思うので、深くは言えないが、彼は13個も年上で自分が住む地方とは新幹線と使っても3時間もかかるような遠いところに住んでいる人なのが分かった。
彼に私の住んでいる地方の話をすると、「それなら大学生になったら自分の住む所に来てよ!今は遠距離恋愛だけど、君がこっちに来たらずっとそばにいられるよ。」と頼まれ、大学生になったら自分の住む地方に来てほしいというお願いをされた。今思うとメチャクチャな頼みだし、これを実践しようと思って親に受験費や学費を出してもらったのは大変申し訳ないと思う。
当時の私は、ルックス、学力共にダメダメで、自己肯定感がとても低かった。そのせいで、会ったことがない人であっても、自分が求められることが分かるのが嬉しくて「この人が私を求めてくれるのなら頑張ってみよう」と一念発起した。
高校時代は彼に嫌われないように化粧やダイエットを頑張ってみたり、中学の時もネトゲ漬けでだいぶ低かった成績も、中三の時から頑張り始めたことで進学校に入ることができ、入学後も、学年順位の一桁をキープするぐらい頑張ることが出来た。年頃の女子高生ということで、クラスメイトの男の子に告白されたり自分と成績を競い合った男の子を好きになりけかたこともあったけれど、私を待ってくれている彼のことを考えると、どうしても裏切ることはできなくて、気持ちを抑え込めた。
そんな思い出を抱えながら、高校時代の3年間は、周りが初めてキスしただのセックスしただの話している中で何も経験をしないまま過ぎていった。だけど、その分勉強も頑張ったことで有名な私立大学の政治経済学部に受かることができ、親も褒めてくれたり友人たちも祝ってくれた。
だけど入りたかった理由が「ネトゲで好きになった会ったこともない男の人のために頑張った」なんて、はっきり言うことは最後までできなかった。
そして大学入学後、彼からすぐに「桜を見に行こう」とデートに誘われ、初めて彼に会った。
写真で顔は見たことはあって、やっぱり年齢通りオジさんだったけど元々顔立ちは綺麗な人だった(と思っている)事は分かっていたので、ネトゲのオフ会や出会い系でよくあるような初対面の相手の見た目に対して嫌悪感を持つこと等はなかった。
デートの道中では、今までずっと電話やメールでしていたような何気ない話をすることができて、それができるだけでも幸せだと感じられた。
帰り際には不意に深いキスをされてびっくりした。今まで異性とキスすらしたことがなかった自分にとって刺激の強い体験だったのだけれど、それを友達に話したら「桜の散る中でキスするなんてすごくロマンチックだね!」なんて言われたりもして幸せな気分のまま初デートの日を終えた。
だけど、確実に違和感を覚える出来事が増えたのは、それからだったと思う。
初デートの日の後に彼からメールがきた。「○○(私)の家に遊びに行ってもいいかな?」という私の家に行きたいという旨のメールだった。「でも引っ越したばかりだから何もないよ?」と返信すると、「いいよ、○○(私)がいるんだから!」とかなりクサい文面が返ってきて、当時純粋だった私は喜んで彼を家に招いてしまった。
そこからは、エロ漫画の展開のように、服を脱がされてあれよあれよと処女を捧げてしまった。クジラックスのエロ漫画で女子中学生が和姦で犯されてる漫画が最近LOで載ってたけれど、まさにそんな感じだった。
そんなことを思ったけれど、すぐに忘れて彼を見つめる事しかあの時の私は出来なかった。
ここでかなり驚くことが起きる。Facebookのメッセンジャーアプリを利用したメール機能から、彼のセフレを名乗る女性から彼の裸寝顔写真付きで「私は彼とセックスしてヤリ捨てされました。あなたはこれを見てどう思いますか?」と川本真琴もビックリの暴露メールが送られきた。たぶん彼女は、私や彼のTwitter等のSNSを監視していて、私の存在を既に大学入学前から知っており、私と彼が家でデートしたタイミングでこのメールを送ったのだと思う。
私はさすがに初めての彼氏とセックスして数日で浮気暴露メールが送られてきたのは衝撃的過ぎて、最初は涙を流すことすら出来なかった。とりあえず彼に伝えると「え!?これはなんだよ!?オレはヤリ捨てなんかしてねーよ!なんなんだこれ!?」と困惑するだけの様子で何が起こったか分からない模様だった。まず否定するのはヤリ捨ての方なのかよ。
その後彼は長文メールで謝ってくれたが、しばらくした後に彼の共通の友人に彼とのメールを見せると「なんかナルシスト男のポエムみてーだな」とバッサリ切られた。(このメールを人に見せる私も大概酷い人間であるが、当時は浮気されたショックが抑えられなく、知り合いに相談しまくっていた。)
普通ならこれがきっかけで別れているのだろうが、当時は彼の事を「処女を初めて捧げた運命の人」のように見ていたので、「これを乗り越えなきゃ、きっとこれからも続かない!」とダメな方のポジティブシンキングの発想で関係を続けることを決意した。
だが、その後も試練は続き所謂「デートDV」や「モラハラ」だと思えるような発言や行動を彼は繰り返すようになり段々心を蝕んでいった。
例えば、ここで言える限りだと私が泣きかけても身体を痛めつけてきたり(彼が言うには『プレイの一環』)、私に対して暴言や「もっと可愛らしい口調で話せ!今のお前は可愛くない」「ちゃんとダイエットをして40キロ切らないと
別れる」などと、今の私を否定するようなモラハラ発言をするようになった。
その後交際を8か月程続けたが、結局彼から別れを切り出されて気づいたらフラれていた。
理由は、「お前の入っているサークルが男ばかりのオタクサークルでそこでお前がチヤホヤされてると思うとイライラする」といった私のオタサーの姫疑惑(実際はもっとほかにかわいい子がいたのでそのようなことはなかった)と「俺の命令通りにダイエットをしなかったからムカつく」といった終始ずっと私の体重の対する注文だった。ここは彼の頼み通りにしたかったけれど中々思い通りにダイエットできず体重を大幅に減らすことはできなかった。
今思い返してみると分かるのは、出会いからして、彼は私自身を見つめて好きになったというよりも「自分の言いなりになってくれそうな年下の女の子」を彼女にしたかったのだと思う。
だから、結局は彼は私のことが好きなわけではなかったのかなぁ、とも思う。最後まで彼の思い通りの女の子になれなかったのは悪かったと思うけれど、私の口調や体型を彼の思い通りに変えることは果たして彼のためになっても、私のためにはなったのだろうかと考えてしまう。
そう考えてしまった時点で私はもう彼のことより自分のことの方が大切に思えるようになってしまったのだろう。
そんな経験を経て、人のために何かをするより自分のために行動した方が人生うまくいくな、と考えるようになったのは彼のおかげもある気がする。
彼からは別れた後も何度か「会わないか」とセックスの誘いを匂わせる連絡は来たが、自分のために生きることを決めた私は彼に振られた後、大学内のサークルのかっこよくて優しい先輩と距離が接近するように行動し、交際を始めていた。
だから、彼には「あなたと会うと今の彼氏が心配するだろうから、会えない。ごめんなさい。」と送ったところもう返信は返ってくることはなかった。
彼が何しているかはもう分からないけれど、私が幸せに生きるためにはこれでいいんだと思う。
今でも親交のあるネトゲの友人にこの話をしたところ、「まぁあぁROではこんな出会いがあったけど次やるToSでもきっとまた新しい出会いが…」と言われたが『いや、ネトゲの出会いはもういいです』と即返答した。
オンラインゲームで大人と関わることは悪い事だけではないです。だけど、良い意味でも悪い意味でも人生を変えるような出会いをしてしまう経験をする羽目になる可能性もあるので、今ゲームにハマっている中高生には気を付けてほしいです。1回大怪我した方が人生上手くいくこともあるかもしれませんが。
http://anond.hatelabo.jp/20160119175701
そうだったのか。配慮が足りなくごめん。
うつ状態程度だとおもってました。
うつ病だから認知が歪んで増田みたいな気持ちになってるのかも。
姫路 心療内科|前田クリニック うつ病の治療方法(心理療法)
http://www.dr-maedaclinic.jp/da0702.html
体を鍛えないと相手にされない風習?右向け右に加担する気はない。俺は絶対に鍛えないぞおおおうおおおおおおお!!!!!!!!!!
モテルためだけでなく、身体を動かすとストレス解消にもなるし、
肩こり腰痛の心配も減るし、飯はうまくなるし、成果が出れば自己肯定感も
あがるからおススメ。
付き合ったことないけど(手を繋いだことはあるぞ!)。
まだまだ若いんだし、焦らないでいればいいこともあるよ(多分w)
とりあえず2増田はきちんと読んだつもりでした。
年下好きのウケの増田は事実なんだけど、ちょっと変態って言葉が多いから
同じくw
何なんだろうね、あれ…
明けない夜はない、お気楽にねー
自信をね、持てればいいんだけどね。難しいよそれは。
それこそ、創作活動を始めたのも、自信を持ちたかったからというのがある。
もちろんもともと物語が凄く好きだったからなのはあるけど、それでも二十代半ばまで消費専門だったのが急に創作しだしたのは、作品という成果を作りそれを受け止めてもらうことで自信を持ちたいって気持ちがグワッと上がったから。
けど今のところは、創作物を読んでもらえるのは凄く嬉しいけど、それだけが私の許される部分、私の価値であって、作らなくなったら何もないし見捨てられるんだろうなって思う。
こんなのは別に私個人の特別な悩みじゃなくて、ちょっと前にツイッターで交わされた「人間のコンテンツ化」みたいな話なのだろうな。
自分の人生の面白い部分をツイートして人気アカウントになった人が、その面白い部分だけでしか承認を得られないから生活を壊してまで自分をコンテンツ化することの是非、みたいな。
私の創作の面白さなんてタカが知れてる上に創作のネタにするために生活壊す取材してるわけじゃないけど、「エンタメを発表する機能としての自分だけが受け入れられてる」っていう感覚は凄くあるし、その拭い方=根本的自信や自己肯定感の持ち方は分かんないや。
人との繋がりがこれを改善してくれるかとも思ってて、それが「繋がるために創作してる」と思われそうな雰囲気になってるのかもしれないけど、創作で繋がりを持つ努力も結果はかんばしくないしね。