はてなキーワード: 自己肯定感とは
女性の裁判官はみんなああだったとか、皆さん色々と言いたいらしい。
正直、自分にとってみたら今日は水曜日だったかというレベルでしかない。
つまりどうでもいいということだ。
本当にどうでもいい。
別に人の生き死にが決まるわけでもないし、自分の権利に関わるかと言えば全く無い。
騒げる人が羨ましい。
一瞬だけ、法学のロースクール進学前提の学科に転籍しようか考えた。
正直、自分を唯一幸せにしてくれているものであるお金のことを考えたいが、法学は若干遠ざかるのだ。
そして、その学科の人たちが読んでいる体系書などを読んだが、恐ろしいほどの面白くなさを感じた。
加えて自分のことにしか興味が無く、他人のことは正直どうでもいいので判例を読まなければならないのが苦痛でしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20151209054107
おっさん増田なんだけど、身近にいるわ、この人が35歳ぐらいの美人になった感じの人。
凄く熱しやすく冷めやすい。そしてモテモテ…というかアプローチが上手い。
いい感じで愛し合ってなさそうなのに長い付き合いをしているカップルを見ると「お前らなんか間違っているだ、そんなの本当の幸せじゃないんだからな」と死ぬほど負け惜しみみたいなことを考えてしまうようになり、すさまじいカップルコンプレックスを抱くようになった。
そしてこれをこじらせて夫キラーになった。
簡単に釣れると「浮気しないない男なんていないのよ」とニヤリ。
数回お世話になったので、大変ありがたかったですが、不幸になりますので、どうか自己肯定感を持つ自動思考をトレーニングしてください。
私もしかしたら結婚できねーんじゃねーのって最近めちゃくちゃ思う。
別に私は彼氏いない歴=年齢とかでこのままではヤバいみたいに悩んでるわけではなく、つい数ヶ月前まで恋人はいたし、経験人数も多い。いや、かなり多い。
先にも書いたのだけど、経験人数が多すぎることが最近コンプレックスになってはちゃめちゃに辛くなってきた。
何がどうコンプレックスかというと、こんなに誰かに好きになってもらうことはできるのに、どれ一つとして恋愛が長続きしない私は人として何か重大な欠陥があるのではないのか、と思えてきて、一人の人間と恋愛関係を一生をかけて築ける自信がまるでない。なくなった。
ここ1年くらいでトラウマものの恋愛経験をしたりして、自暴自棄になって数がいたずらに増え、つい最近、その人とは普通の付き合いをしていたんだけど、此の期に及んで「好きかどうかよく分からなくなった」とたった4ヶ月で振られた結果、本当に自信をなくした。
自分の経験人数の多さについての話になるけれど、高校入学してすぐに部活の先輩と付き合ったのが初めてで、現在大学4年に至るまでで10人。
将来、自分に気を持って近づいて来た人に「何人くらいの人と付き合ってたの?」なんて聞かれて正直に答えようもんならめちゃくちゃ引かれると思うし、加えて自分がどちらかと言えばサバサバ系に当たるあまり女らしくない人間なので(別に見た目も普通だ)、めちゃくちゃ驚かれるだろうし、地雷臭がするからやめとこうと思われるだろうな、と思う。
実際地雷なんじゃないかと思う。
この問いに対する適切な答えをわりと真剣に考えている。
男をとっかえひっかえするような付き合い方をしてきたつもりは、自分ではないつもりだけど、ほとんどの付き合いが、半年ちょい以下、次の交際までが長くても半年以下で、それをとっかえひっかえと人は呼ぶのかもしれない。
自分でも「私ってとっかえひっかえしてるのかな……」などと気持ち悪く悩んでるような時もあったが、同学年の友人が「そろそろ彼氏乗り換えよっかなって思ってる」みたいなことをカバン買い替えるかみたいな感じで話しているのを聞いて「マジか」ってなったし、自分の恋愛の話に対して「増田さんって結構とっかえひっかえだよね笑」とか言う人は大抵恋愛経験皆無の人だったので、一旦は気にしないことにした。
話がそれたけど、どの人もそれなり以上に、基本的には大好きで付き合い始めたし、それぞれに理由があって別れたりした。(たいてい私が別れを切り出ししている)
この経験人数の多さは、自分なりに分析するところによれば、私がかなり惚れっぽいところと、おそらく恋人関係の間に問題が生じた時にいちいち解決するほどの執着がないところにあると思っている。
そういう反省から、生じた問題に熱心に取り組んだ結果、立て続けに絶交案件が立ち上ってきてわりと死にたくなった。
あとこれは途中から気がついたことなんだけど、どうやら自分は好きな人に対して「女」を切り売りするのがなかなかうまいらしい。
し、大抵付き合った男性は恋愛経験がほとんどない人が大半なので、切り売りされた女をやすやすと買ってくれたのだろう。
自分で言っててかなり悲しい。
昔めちゃくちゃ好きでアプローチしていた(が、交際には至らなかった)後輩に、恋愛が長続きしないと相談した時に「増田さんのアプローチの仕方はすごくドキドキするから好きになってしまうんだけど、多分それじゃあ本当の増田さんを好きになってもらえないから、結果的に幸せになれないと思う。もっと時間をかけて自然に好きになってもらった方が良い」と言われ、真理すぎて理解〜〜となって、理想として頭に入れてはおいたが、好きになった男とは付き合いたいので、飽きずに女を切り売りしてしまった。
ていうか、誰でも好きになったら女を切り売りしてしまうだろ!!!?しょうがないじゃん!!!?とか書いてて思った。
その後輩は当時、運命の女とやらを見つけて交際に至ったばかりで、ひととしてのステージを一次元上にシフトできた自覚ある人間の心の余裕からくる発言だとそれなりに受け止めておくことにした。
その後輩はその女の子と長い付き合いを今も続けているらしく心底羨ましい。
私にも運命の相手をくれ。
まあいろいろと脱線が激しくて申し訳ないが、恋に落ちやすい性質と交際に至りやすい性質と別れを切り出しがちな性質を合わせ持ってしまった結果、飽きもせず恋愛サイクルを繰り返すことになってしまった。
あと恋愛が上手くいかないコンプレックスが、次へ次へと自分を走らせていたような自覚がある。
そんな感じで過去にお付き合いした人数が10人にも至った結果、「うぅ〜〜、女を切り売りすることでしか誰にも愛してもらえないんだ、誰も本当の私なんか好きになってくれないんだ、つらい〜〜」となるし、周りのお互いにいい感じで愛し合ってるようなカップルを見るとめっちゃ死にたくなる。
いい感じで愛し合ってなさそうなのに長い付き合いをしているカップルを見ると「お前らなんか間違っているだ、そんなの本当の幸せじゃないんだからな」と死ぬほど負け惜しみみたいなことを考えてしまうようになり、すさまじいカップルコンプレックスを抱くようになった。おそらく恋人もちの友人たちに人を殺すほどのガンを飛ばしてるので申し訳ない。
とはいえ、別れたばかりで未練があるからか(というか、ある)、「もう恋なんてしない」とセンチメンタルになるほど疲れてしまったからか、誰かとつがいになるような気分になれない。
もっと包み隠さず言えば、もう恋愛沙汰で傷つくのはゴメンなので次は最後がいいし、うっかり上手くいかなかったらめちゃくちゃ死にたくなるから嫌だ。
とはいえ、そもそも普通に結婚願望があるし、普通にひとりはいやだ!!!と思うので、このままうかうかコンプレックスをこじらせていたらいわゆる婚期を逃してしまうのではないかとめちゃくちゃ不安になってる。
今が一浪して大学4年で23歳、一留するので、新卒1年目で誕生日を迎えたら25歳。いわゆる普通に結婚する年齢を27歳と設定したら、社会に出てすぐお付き合いして、素敵な恋愛関係を築かねばならぬということになる。
先に長々と述べたコンプレックスからもう無理だろ!!という気持ちになってる。
きっと私は然るべき時が来ても、私はこの人と一生の関係を築くことができるのだろうかと疑心暗鬼になって結婚できない。子供も生めない。そんな気がする。
別に20代のうちに結婚しなきゃいけない決まりはないけれど、そんなにも長い時間を東京とか新たな土地で就職して、孤独な社会人女性として生きたくない。
幸せな恋愛がしたいのに、「恋愛 長続きしない」とググってみると、「あなたには自己肯定感が足りません」とばかり書いてある。
だけど、頑張って自分をひとり抱きしめ続けても私はひとりだ。
といいつつ、自分は惚れっぽいのでそのうちにそんなことは忘れて適当に恋人を作っていそうだなとも思う。
でもすぐまたそのうち別れそう。
という感じで、将来先5〜10年くらいに渡っての孤独に不安を抱えて時々めちゃくちゃうつになっている。
エントリーシートとかで10年後のビジョンを教えてくださいとか聞かれたら「殺すぞ」という心境になる。
だれか私を助けてくれ。
題名そのまま。
昔から、私には褒められていたポイントがあった。ある一人がずっとそう声を掛けていてくれた。だから辛うじて自分に自信が持てた。自己肯定感の源泉だった。
そのおかげで自分のやりたいこともできたのだと思っている。その位、自分を根本で支えてくれていたことだった。
でも信頼している上司には、そうは見えなかったらしい。
その、とある仕事には間違いも沢山あったので、そこは認める。それは自分の知識の至らなさだ。
けど、それを以て「AとBがあって、あなたはAの方が得意なんだよね?」と言われてしまう。Bを支えにしてきた中で。
Bが独りよがりの強みであるのでも良いから、その分、外からの評価だって独りよがりなものであってしまえと思う。そうしたら、自分が頼ってきたものが間違いではないと言えるのだから。評価が悪いと逃れられるのだから。
そんなことは、評価者は知らないままで。
この記事は博士課程 Advent Calendar 2015 - Adventarの5日目のエントリです。前回はid:kybernetesさんのこの世界への関心を諦めない人に博士課程はオススメ - 表道具でした。
(今年は無事に退学せず済みそうなので、退学 Advent Calendar 2015 - Adventarじゃなくてこちらに参加します。)
http://anond.hatelabo.jp/20141201200815]から大幅にテンプレート拝借。
Q1. 博士課程ってなんですか
A1. 大学院入試の面接で「進学するつもりはある?」って聞かれるあれ
たいていの理系人生において、ここに進むか否かで修士課程終了後の幸せ曲線が大幅に変わるともっぱらのうわさ。(私はまだ実感してないんですが、この手の話聞くたびおっかない)
Q2. なんで博士課程に進学するんですか
A2. 高校中退したあと某高専に潜り込んでたんですが、「高専の新卒」という最強就職カードをかなぐり捨てて大学編入しちゃったので毒食わば皿まで、ではないですがやるとこまでやったろう!というのがひとつ。
高専時代に言われた「好きなことを仕事にすると長続きしないよ」とかいうもっともらしいアドバイスを真に受けて転科する!って編入した先があろうことか原子力系で、在学中の3/11以降いろいろ考え修士課程でまたしても転科したので、たった2年じゃやるとこまでやれん!というのがふたつ。すごくいきあたりばったりですが特に2つ目はこればっかりはしょうがない。
Q3. 普段どんな生活してんのさ
A3. 後述のRAが勤怠とられるので、普通に9時5時で他の職員さんと同じような勤務体系です。
理論系だし実験と比べて体力的に楽かなーと思いきや、週末もけっきょく自宅で作業してしまうので気分的には週休ゼロ日っぽい
研究で頭ハチハチしてると朝の民放テレビとかマジで情報の洪水、うるさすぎてたまんないのでNHK教育ではなかっぱとか見て心を浄化してから出勤してます。
あとは平日休日問わず、メンタルのために趣味のゲームしたりピアノ弾いたり、こういうのがすごく大事な時間です。
A4. 某国研のRAで学費とか税金年金もろもろ賄ってるのと、実家暮らしで家にお金入れてるわけでもないので(お父さんお母さんごめんなさい!)あんまり気にしたことはないです。
一人暮らししたら学費免除通りやすくなるのかな…在学中に結婚したら学費全額免除もらえたとか、配偶者に養ってもらいながら(3号被保険者として)生活してたとか、聞くけどどこでみなさん恋人とか見つけてくるんですかね???
Q5. 学振について
A5. 私は修士課程から新しい分野に来ていまだに業績ほとんどないから全然無理無理、って思って出してないんだけど、情報系とかみたいに早くからぽんぽん査読つき学会だの論文だの出せる分野だと申請書も見栄えするんだろうなぁ、って勝手に思ってます。物理の人もそんなみんな修士課程からポンポンPhysics Review うんちゃらみたいなのにポンポン載せてるんですかね…
Q6. インターンについて
A6. 来年に行く予定があるんだけど、大陸ヨーロッパなので日常生活で英語通じるのか?っていうのと最近はテロがちょっと心配。
他の人とか分野の事情まったく知らないんだけど、大学とか受け入れ先から予算が出るなら是非とも行っておいたほうがいいのでは。
Q7. 楽しいこと3つ
A7.
(1) 高専卒で就職した同期とかの話聞くと、「仕事の内容はいいんだけど人間関係が辛い」(脳筋DQNか体育会系みたいなのが多い、の意)というのを割りと聞くので、そういうのが理学系だとないなーっていうのが人間関係に恵まれてていいなって思います。高専の特に機械科とかほんと脳筋DQNのすくつだったしね。
(2) RAも実際のところ普通のホワイトカラーと違ってあんまり時間には厳しく言われないので、朝が弱いマンにとっては大変助かる。
(3) 本人はいつも自分には研究向いてない…辞めたい…って思ってるのに、親しい人とか親戚がすごく買いかぶってくれてるとこ。自己肯定感が全力で慰撫されますね。
Q8. つらいこと3つ
A8.
(1) 当たり前ですが自分の頭で考えて自分なりの意見を主張していかなきゃならないこと
いまだに自分の意見をいうのが怖い、いつもいつもフルボッコにされるんだろうなーって怯えながら進捗報告する日々。
(2) 将来への見通しが無い
(3) どうせいずれ死んでしまうのにこんな研究やってて何の意味があるんだ…
Q9. 現時点で後悔していること
A9.
(1) 高専から大学に編入するときに専攻を変えてしまったこと
高専から大学編入して学振DC1通ってる人とかけっこういるじゃないですか、彼らは高専時代からずっと自分の専門分野に一途だったんでしょう。
まさに「転がる石に苔つかず」で、転がってばかりだと成すものも成せなくなるんだなあ。
安定は、希望です | 参院選に挑む | 公明党みたいな人は博士課程に進学しちゃダメ!ゼッタイ。
(3) 人間関係を軽視しすぎたこと
いろんな人の話し聞いてると、高校や学部時代の人脈があとあと強い意味を帯びてくる、みたいなのあるじゃないですか。
高専で人脈とかまぁ無理にしても、学部時代に引きこもったりしなければ、留年したりしなければよかったな。
A10.
(1) 「正しさ」をめぐって駆動される権力の力学に無頓着な人
これだけで政治哲学上のひとつのトピックになりそうだし私が簡単にどうこう言えるものではないけど、教員側でもそういうのに無頓着な人がいますしね。本人の名誉のため名前は伏せますが
教員:「何でも良い、言え!」
なんていう地獄絵図はまったく想定していませんでした。
みたいなブログも見つけまして、大変脱力してます。一歩大学の外に出れば↑みたいなのがむしろ普通なのにね。そういう環境に適応してきた学生だけ一方的に責めるのはどうなの?
(2) 命令・指揮系統が崩壊している末期戦みたいな前線でも気にせず自分勝手に動ける・動きたい人
A8(1)と関係しますが、上から命令が降ってくるわけじゃないので、【北朝鮮】最高司令官同志、命令だけ下してくれ! - YouTubeみたいなのは決定的にダメですね。
(かの国における首領・党・人民の三位一体による有機的政治生命体、っていうのはたぶん研究職と相性悪いと思う。)
(3) 聞き分けのいい素直なお利口坊や/お嬢ちゃんじゃなかった人
高専の同期のDQNが「ああぁぁん?てンめぇナマいってんじゃねえよぶっ殺すゾ!!おおおぉぉぉん??(どうでもいいけどなんでこういう威嚇する声ってだいたいプロソディーが短調ぎみなんだろう?)」って言っててもあんなん慣れりゃ自分に直接は害が振らないから別にいいけど、自分の今後に生殺与奪を握ってる偉い人相手には「相手の意のままに動かなきゃ、自分から敢えてケンカ売るようなマネは…」というのが適応戦略としては普通なので。そういうまともな感覚が無い人のほうが博士課程向いてるんじゃない?
後半が「博士課程もう辞めたいこんなん嫌や!!」って思いながら書き溜めたやつで、前半がちょっと最近持ち直してきたときにかいたやつなのでニュアンスが違いますが
それは「目先のタスクに弱い」ということだ。
それによって、気づかないうちに数多くの生活習慣タスクが犠牲になっていたことに気づいた。
例えてみれば、目が覚めてからのちょっとしたストレッチの時間や、お風呂にゆっくりと浸かる時間、職場でのちょっとしたコミュニケーションの時間などだ。
最近のストレスの原因がそれらのタスクをしっかりと消化していないことだとわかった。
先日のエントリを読んだからというわけではないが、先日ソシャゲを断捨離した。
アイテムも沢山残っていたし、まだ成長の余地も次のイベントも控えていた。
だけどここ数日、なんとなく生活がソシャゲに圧迫され始めていることに気づいていた。
10分間隔でスマホに手を伸ばしては、それぞれのゲームを渡り歩きながらタスクを消化していた。
その消化時間は数分かもしれないが、積もり積もれば一日数時間になっていたことだろう。
しかもたちの悪いことに、1時間もスマホに手を伸ばせない時間ができると溜まっていくタスクが消化できないことにイライラさえ覚え始めていた。
その頃になって気づいたことは、消費している時間よりも、常にソシャゲのタスクを消化することが脳内タスクの上位にいることだった。
僕が同時に把握できるタスクはせいぜい5つくらいだ。
そのため、todoリストやリマインダーを駆使する毎日を送っている。
しかし、現実の生活はそうしたtodo化が難しいタスクに囲まれている。
ふと気づいた時には、かなりの量の生活習慣が疎かになっていることに気づいた。
家にいる間は家庭のことを優先しようと決めていたはずでも、育児にもかなりの影響が出ていたことに違いない。
後ろ髪を惹かれながらもソシャゲの削除を終えた今は頭の中がクリアになった自覚さえある。
とはいっても僕が同時に進行させていたソシャゲは多くても3つだった。
それも、できるだけ一回のゲーム消化時間が長くならないものを選んでいるつもりだった。
それでもこれだけの影響があったのだ。
全部をやめろとは言わない。
だけど、幾つかのソシャゲを掛け持ちすることは、それだけ脳内の優先的タスクを圧迫するということにつながるのだ。
もし僕のように、目先のタスクを消化しないと気がすまない性格の人は、今一度考えなおして欲しい。
たしかに次々に無駄なくタスクを消化していく自分に対する自己肯定感は気持ちがいい。
とりあえず、転部のためのTOEFL ITPは終わった。
自分がどうして容姿がものをいうクソ大学の底辺学部にいるのか良く分かる出来だった。
仕方がない。とりあえず来週TOEIC IPを受けてひとまず終わりだ。
どうせ醜いものはボコボコにするのに、心地の良いものは大切にする人間が多くて呆れる。
同性愛の人間が異常なのか、そうでないのかというのは、結局のところどこで異常にするのかというものである。
自分は容姿が醜い。容姿が醜いから、ひどい扱いを受けたことが散々あるし、自分が醜い者に散々な扱いをしたこともあるし、今もしているかもしれない。
だから、容姿がいい人間はセックスができるのに、醜い人間はセックスができない。
そんな社会は自分にとってクソだと思うし、異常なのだが、そんな社会を皆さん認めているし、醜い者がひどい扱いを受けているのをよくわからない科学的根拠でウダウダ肯定したりするのだ。
そのくせして、同性愛が異常だとかいう科学的根拠はあるのかとか言って怒るのだろう。
結局、容姿がいい人間がどこまでも肯定される。毎日、自分は生きている心地がしない。
同性愛の人間が異常だと言った人間に対して正義面して叩いている人間というのは、結局のところ自分にとって同性愛は受け入れられるから叩いているだけだ。
正義もクソもない。
つい最近まで、小さな会社を親がやっている男と食事をしていた。
小さな会社だけれども、男の親は金持ちだったので、普通の学生の数倍は高いものをよく一緒に食べていた。
男は自分よりも長くこのゴミ大学におり、このゴミ大学から素晴らしい大学へぬけ出すために勉強をしている人間だった。
男と自分はなんだかんだ趣味も考えも合わない人間だった。頭は良いがどこかDQN趣味で考えというような雰囲気がした。
そして、低い自分よりも背は低かったが、セックスには困らない汚くない顔だったし、健康だった。
最近のある日、そんな男と食事をしていた時に自分は軽く自分の父親が人魚飼いだと言った。
その時は男は聞き流していた。
無理ですと伝えた。そして、なにを話したいのか聞いた。
他の日なら来れるかと訊いてきたので、それも無理ですと自分は言った。
非通知でかけた。
すると、男は自分の父が大切に飼っている人魚の血が皆に売買される予定はあるかと聞いてきたのだ。
そして、まだ皆に売買されていない血を分けてほしいと言ってきた。
3000万円分の血を分けて、皆が売買し始めた時に、その売却益の1/3をお礼に払うとか言う、紛れも無く自分が損をする話だった。
もし、ダメなら自分から書類上だけ3000万円を受け取ったということにしても大丈夫だとかいう紛れも無く違法でこちらが得をしない話をしてきやがったのだ。
事実をいうと、決まりごとで、人魚の血を簡単に人に渡すことが出来ないので、残念ながら自分が応じたところでどうにもならない。
自分は、男に父の人魚のことは全くわからないと答えて、それ以降連絡を取っていない。
彼は自分の父が飼う人魚を調べて、そしてその人魚が予想以上の大きさで、富を生んでいるということを彼は彼の父親に伝えたのだろう。
そして、彼は彼の父親に言われたことを伝えてきたに違いない。
関係を壊す可能性があるとはなんとなく分かるはずだが、このようなことを真夜中に伝えてくるのだから、その程度の価値しか自分にはなかったのだろう。
結局、金なのだった。
もし、自分が顔がいい女だったら、あの男はセックスはしたいと言ってきたかもしれないが、人魚の血がほしいなんて言ってこなかったはずだ。
性的魅力がある女は、セックス目的で近寄ってくる人間と触れるごとに自己肯定感を得ていく。
しかし、性的魅力がない醜い自分は結局どこまでもいかに自分から金を分離させようかという人間しか来ないのだ。
肉体が愛されたかった。
冬が近づき、服に密接したセックスに困らない女性たちの胸が目に飛び込むようになり精神衛生上よくない。
いや、いつも精神衛生がよくない気がする。
相変わらず、容姿がひどい女は孤独だ。異性に全く相手にされない。醜いから以外の理由はない。
ついに、あと1年で自分は二十歳になりそうだ。
二十歳になるメリットとしては、ありとあらゆるものに親権者の同意が不要になることだ。
どうしようが、いやでも約365日で二十歳になる。
二十歳でできることの一つが保護者の同意なしで美容整形手術ができることだ。
隆起やら膿、毛穴、凹み、赤みで大学内でも1位、2位を競えるほど汚い肌にとりあえずできる限りレーザーを浴びせよう。
治らないかもしれないけど。
小さい目は取り合えず大きくさせよう。
父親の家の遺伝である腫れぼったい顔で色々言われてきたから、頰の脂肪を溶かそう。できる限り顔を小さくさせよう。
3年前に父親が千代田区の賃貸マンションの一室で大塚家具のソファーに座って言ったことは、「お前モテるぞ 家が金持ちだからな」
真面目にやっていたのに成績はひどかった。
そして元々よくない顔が腎臓の病気の副作用で肌が見ていられない状態だったし、顔全体がパンパンに赤く腫れていた。
あまりにも容姿が悪いので、まわりからの扱いはひどかった。父親も自分の容姿がよくないと言った。
あまりの醜さを不憫に思ったのか「金はある」と自分に言って元気付けようとした。本当に金はあるのかわからない。
そして、また持病がぶり返したら自分はその薬を飲むだろう。
父親は大昔、メガバンに勤めていた。そのときに、見合いで頭の悪い容姿のよくない女をもらった。
しかし、容姿が悪いもの同士の見合いだ。恋愛結婚ではない。そして、ひどいものが生まれて現代で惨めな思いをするのだ。
父の言う通り、金でモテるのか怪しいが、もし金ですり寄ってきたら苦痛だ。
自分ではない。金が好かれているのだ。体が好かれたい。
金なんていらなくて、綺麗な容姿が欲しかったし、それで好かれたかった。
金というのは大事というが、実はそこまで大事じゃないことがバレてきた。
もちろん金は必要だ。貧富の格差が広がっているといわれているし、金があまりにないと悲惨だ。
しかし、自己肯定感にあふれた楽しいセックスをするには金なんていらないのだ。
いい容姿 人的資本というのか、身体的資本というのか そういうものがものをいうのだ。
自分はあまり整形してもよくならないだろう。持病でダメかもしれない。陰毛みたいなくせ毛や身長の低さは治らないだろう。
具体的に感想が迷惑にならない方法はあります。継続する事です。
感想を送り続ければ、初対面の的はずれな感想でも、知己からの貴重な意見に形を変えます。
あと感想が迷惑、というより影響が大きすぎて書けなくなるタイプの人もいます。
感想をもらうとそれに応えようとするプレッシャーで、書けなくなります。
こういうタイプの人は感想に対して反応しません。(もしくはとても淡白)
商業作家はともかく、同人には意外と居るのではと踏んでいます。
送り続ける事により、「この人は私が好きなものを好きと言ってくれている」と自己肯定感が付き、
いくつかは必ず、送った作者の心の支えになっているはずです。
いつも感想を書いてくれてありがとうございます。
自信がないことに長年悩んできたけど、どうも自信というのは、
他人からちょっと秀でていたり、優れていたりして持てるものじゃないらしい。
ちょっと意外だったけど、当たり前なのかもしれない。
何せ、上も下もいくらでもいるわけで、他人と比べていい悪いで自信をもっていたら、
しょっちゅう浮き沈みしなければならなくなる。
正しいというのに根拠がないと、自信なんて持てないよ、と思っていたけど、
自分が正しいということに根拠なんて特になさそうだというのが個人的な見解だ。
しいて言うならば、この世界を自分という視点から覗き込んでいるのだから、
自分が絶対的な観点だ、ということが、自分を正しいと思う根拠だ。
じゃあ他人から見たら間違っているかもしれないじゃないか、と思うが、
とにかく、自分くらいは自分を正しいと思ってやらないと、誰がほかに自分を守ってやるんだね、
よくよく話をきいてみてごらんよ、のたうちまわるような恥ずかしいことも、
眠れなくなるような後悔も、原因を考えてみれば、ちゃんと理由があるんだから、
そんなに卑下することじゃない。
くらいの自己肯定感で、なんとか、自信を持とうと日々奮闘している。
どうなんだろね。私は今40歳で今が一番たのしい。18〜20の頃ってまぁオタクで受験に失敗、浪人して、夢も希望もない感じだった。パソコンは詳しかったんだけど、それくらいしかない。
今は正社員SEで2人子供いて結婚9年目だけど嫁からのバレンタインデーのチョコは手作りなんだよね。いやまぁ私も頑張っているからではあるが。
あとアニメ観る習慣は今でもある(いろいろ理由つけて観てる)これも楽しい。キャバクラと風俗には行ったことがない。2次元で充分というか。
高校リア充の方がなんというか努力を避けがちみたいな事はないんかね。むしろ自己認識が虫けらみたいな人間の方が底辺でも努力するみたいな側面がないかな。それが良いこととも言えないが。あと私が幸せなのは自己肯定感が低いからかも、子供2人いて、こっそりアニメみる生活程度でも超楽しいと思えるのは安上がりだなぁ、とは思う。ダメ人間の方が安上がりなのかもよ。
フリーランスになって5年。
びっくりするくらい順調で会社員時代の半分の労働時間で倍のギャランティを得られるようになった。
元々自己肯定感が低くてブラック気味な会社に搾取されていることは自覚しつつも、
と思いながら働いていた。
実際コミュ症気味ではあるので今までの面接で嫌な思いをしたことも転職を考える気力を削いでいた。
常に不安でいっぱいだから心が壊れるギリギリでもニートやフリーターになる勇気なんかなかった。
辞めてしまったら現状と同じような会社でも就職する自信が無かった。
それでも、独立出来たきっかけはダメなりに今の会社の役に立とうと思って出席した業界の勉強会で、今までの実績を認めてくれてそのまま仕事を一つ振ってくれた人がいたこと。
その仕事は前に働いていた会社で受注することになったのだけど、ああ、こういう事で仕事もらえるんだなあ、自分の出来ることを認めてくれる人がいるんだなあ、と少し自信が生まれた。
それで、調子に乗って他の勉強会にも顔を出したり、昔一緒に仕事した人たちになんとなく独立したい話をしてみたら、仕事を紹介する約束をしてくれる人が数名いたことと
一年間全く仕事がなくても食べていける額の貯金があることを確認して独立した。
その間に確定申告のやり方も勉強したし、支払わないといけない年金、税金、保険料もなんとなく計算した。
当時自分に
「君には無理だよ。僕の知り合いはみんな失敗しているのに君なんかに出来るわけない」
「イ◯ダハ◯トにでも影響されたの?w」
「フリーランスって君が考えているより大変だよ?そもそも確定申告とか出来るの?」
「会社員って自営に比べると本当楽なんだよー」
と親切な顔をして忠告してきた人たちがいた。
自分がギリギリの精神状態でそこから抜け出すために考えた方法でもこんなことを言う人がいるんだとびっくりした。
ネットでもフリーランスや自営業になろうとする人に厳しい意見を見聞きする。
もちろん、何の技術もツテも無くて終身雇用の保証されたホワイトな会社に勤める人間が独立したいと言った時に反対する気持ちはわかる。
でもさー、退職金もボーナス残業代も無い会社をやめて自分の技術で食べていくことがそこまで無謀なのなあ。
ホワイトな会社が転職させてくれるならそれでもいいけど35オーヴァーのコミュ症気味な人間を厚待遇で就職させてくれるそんな都合のいい会社あるのかな?
とりあえず今は現状維持出来るだけの新しい技術は取得しながら、
ゆるゆるとやっていきたい。
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、
(http://anond.hatelabo.jp/20150929000832)
なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…
いやはや、こんな思考の駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。
少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…
まず一点目。
前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。
客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。
それを理解していただければ幸いです。
更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』
その、たった一例を出したに過ぎません。
誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法の言葉を言われたわけではありません。
当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています。
未熟者でお恥ずかしい限りです。
しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。
だから一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが
助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。
でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います。
親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…
難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。
さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…
私と考えが似ていらっしゃるとのことで、
色々と関連したもの(動画など)を拝見させていただいたのですが、
私の思慮の浅さが露見するばかりで…
こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。
この方のお言葉にハッとさせられたのですが、
「自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。
当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。
私は何も選んで生まれて来ていない。性別も容姿も親も何もかもです。
それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。
というか私には不可能に近いです。
じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。
だって好きで選んだものじゃないんですもの。しかも絶対に逃れることなんて出来ない。
そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。
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私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、
人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、
【カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】
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一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。
すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、
このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。
他者と関わり他者の鏡に映った自分を認識することによって自我が形成されるのだ。
【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】
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だからこそ私は他者を排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います。
人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…
私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしまう
でも得るのはとても難しい…
ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。
さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。
とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます。
気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。
二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います。
◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方
私はまずDVの話はしていません。
同じような「劣等感」からくる事件を持ち込むならまだ分かりますが
例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます。
そして加害者と被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。
もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。
なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。
そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。
私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。
どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています。
分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく
『止められなかったのか?』という『過程』と、
『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。
むしろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います。
『加害者擁護に感じる不愉快さは被害者の人権軽視の姿勢』についてのお話も
あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが
これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?
社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、
それはとても喜ばしいことに思えます。
他の場面でなら、彼女の体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。
こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます。
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犯人に自己を投影してしまうからこそその言葉が自分に返ってくるように感じてしまう。
コメントが賛否になるのは当然でどれに感情移入(主体として)するかによって風景が変わる。
コメントする人間は、自分がいちばん近い距離感に対し感情移入する。
であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。
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そういう見方も出来るのですね!
私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。
そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか
とても疑問だったのですが、すっきりしました。
トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。
こういったトラウマ的な部分は気をつけていても
反射で反応してしまうものなので、中々コントロールするのは難しいですね
そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います。
ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。
背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、
なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか
もしかしたら犯人の人生において共通の何かがあるのか、ないのか…
私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。
探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態は関係ないのかもしれない。
それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。
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今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会のセーフティーネットが機能していない深刻さ。
それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。
ここに集約されてる。
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なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、
だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。
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問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。
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残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。
本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?
そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?
家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?
直すべき形態はどこなんでしょうか?
殺人は犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、
それって何が悪かったんでしょうか?
遠くない私たちの問題なのかもしれないと、私は思ってしまいます。
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劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。
結び付いたらそれを「くだらない」といった母親の言葉が自分に向ってきた。
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そうですね、少ない情報から「同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。
もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人は他人だと分かりそうなものですが…
そして、私の書いたものを共感してくださる方がいたのも事実です。
割り切れない何がある?それってなんだろう?
そうやって考える自分がいるのも確かです。
そして、私のことを「少ない情報で犯人と自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら
「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います。
だって、わたしのこと、この2つの記事でしかあなたは知らないんです。
女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。
やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまいますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。
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犯人が違う理由を言いだしても増田は投影し続けられるんだろうか。
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「人を殺せば刑務所に入って人生をリセット出来ると思ったこと。」
よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…
ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」
「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」
この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、
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自分の人生の責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分でしかない。
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その通りですね。自分の人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。
ただし、ご自分の人生へ責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、
やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います。
持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。
私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。
この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、
その点に置いては私は自分の発言に責任を持とうと思っています。
◯自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方
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「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う
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そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。
どうかその考えることを大事にしてください。
とてもいい環境で育てたのですね。それはあなたの財産であり、誇りになると思います。
どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。
そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。
うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。
でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。
きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから。
時々、休みつつ、問題に真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。
ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います。
その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。
そして、時にものすごく得ることが難しい。
「自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。
そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます。
書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう。
きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。
あなたの人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。
私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。
以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌の範囲でお願いします。
そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。
この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと
心のどこかで思っていました。
でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。
きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?
それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。
これが現時点での結論です。
きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います。
この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら
これほど書いてよかったと思うことはありません。
長文、失礼いたしました。
http://anond.hatelabo.jp/20150929000832
自己肯定感も、誰も始めから上手く持てるわけでは、ないんだろうと、思う。
人から、助けて貰って、小さなところから、肯定しあうのだと、思う。
話をただただ聞いてもらう経験が、少なかったのかもよ....
自己肯定感を自分では、持てなくなるぐらいの自己否定を繰り返してきたんだろうと、思います。
私も、そうです。
自分一人だけの力で、自己肯定感を持つことが、辛いことが辛い。
つまり、一人の力で、自己肯定感を持つことが理想だし、目標とすべきところで、現状はそうでないままに成人をしたわけですよね。
でしたら、それも、人の力を借りるってことですよ。
その絵を褒めてくれる人や、ここで、ポジティブな意見をくれる人の言葉に、こそ耳を傾けるのが、良いと思います。
増田で、ブックマークで400集めるってことも、それだけ、アンチも含めて認識されていると、言うことだよ。
これって、すごいんじゃないのかな?
水準以上の文章力があるってことだよ。
余計なお世話かもしんないけど。
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)を投稿させていただいたものです。
ちょっと苦しい思いを吐き出したいがためにこちらのダイアリーを使わせていただきました。
コメントを読んで、ぼんやりと言いたいことが浮かんできましたので、
お付き合いいただける方だけ、どうぞ。
徒然なるままにってやつです。
さて、前回の記事の前置きとして二つの事柄に触れておきたいと思います。
私をメンヘルとご指摘くださいましたが、その通りです。
もうひとつの記事でも触れましたように、私は精神病を患っています。
そのため、そういった病気に無縁の方とはかなり違った解釈をしている部分も多々あると思います。
なのでメンヘラと呼ばれても仕方のないことかもしれません。
なので、先ほどの記事で不快になった方は「メンヘラがまた何か言ってるよ」
くらいの気持ちでブラウザバックしていただいた方がいいと思います。
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確かに、この記事は異端と捉えることが出来ると私も自身も感じております。
元々、創作活動も盛んにしているので、創作というオブラートに包もうかとも考えました。
しかし残念なことに私が感じたことはひとつも創作ではありません。
それに創作というきちんと綺麗にお行儀よくラッピングされたものではなく、
創作になんてしたくなかった。
しかし、これを身バレのするところで呟いて、私と周りに迷惑をかけるのは避けたい。
取捨選択の出来ないコメントをぶつけられるのを相手にするのは、
ちょっと私の心の体力に自信がないので…
多数の前に少数は圧倒的に無力です。
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さて、以上の2点を述べさせていただいたので、
エゴと私個人の主観が多分に含まれるということを前提で話を続けさせていただきます。
私は確かに「この犯人の心境の一部に共感は出来ます」それは間違えようのない事実です。
しかし、「こんなに苦しんでいたんだから犯罪を犯していい」と、犯罪の容認をしたいわけじゃありません。
これからも申すつもりもありません。
私はこの犯人とは違いますし、多くの精神病で苦しむ人達もそうです。
精神病を患っていたとしてもこの考えに賛同できない人などかなりいると思います。
私は彼の気持ちを「共感」出来ます。それは「想像できる」ということです。
しかし、当たり前ですが、私は彼になれないのです。
どうか、その点だけは間違えないでいただきたいのです。
現実に起こしたことは消えません。まして、かけがえのない命を奪うことは大罪です。
誰もいなくなった人の代わりにはなれません。どんな理由も免罪符にはならないんです。
同じ人は二度と還ってきてはくれないのですから。
匿名で説得力に甚だ欠けるのは重々承知しておりますが私自身、警察にお世話になるようなことは、
でも、それって、たまたま運が良かっただけなんじゃないかとも思うんです。
犯罪や殺人に手を染めなかっとしても、自分で命を絶たずに、ここでポチポチと文章を打っていられるのも…
「取り返しの付かない過ちを犯してしまう前に誰も救いの手を述べなかった」
ということです。
今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会のセーフティーネットが機能していない深刻さ。
それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。
「ありのままの人格を認めることが大事」だと言えばいいでしょうか。
私がいいたいのは、「ここにいてもいい」という安心感、
「自分は自分のままで生きてもいい」という自信が大事だと言いたいのです。
このひりつくような渇望は一度体験したことがない人だと、
(それくらい普通の人は当たり前に持ち合わせている感覚らしいので…)
コメントで、『誰を憎めばいいですか→自分ですってのと同じロジックで
「そのままでいいんだよ」って誰が言うんですか→自分 とならないのがふしぎ。』
と言ってる方がいましたが、おっしゃる通りです。
でも、そんな当たり前のことが上手く出来なくて苦しんでる私のような人もいる。
どうか心の片隅でいいので、それを覚えていてくださったら嬉しいです。
そして、もしこんな風に苦しい人がいれば「こうやれば楽に生きられるかも」
と提案してあげてください。
ただし「やることをなんでも肯定する」
それはコメント欄でおっしゃられていた通りとんでもない間違いだと思います。
そんなこと容認してたら世の中は犯罪の横行する恐ろしい社会になってしまいます。
ここで中庸という言葉を引き合いに出させて話したいと思います。
過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとされています。
簡単にいえば、勇気という徳が過剰であれば無謀、不足であれば臆病ということになります。
だからこそ、私は極端な答えである殺人という犯罪を否定しました。
さて、上記であげましたように私が言いたいことが
「人を肯定すること」は「なんでもかんでもゴーサインを出す」ことではない
ということがお分かりになられたでしょうか?
ここで私の実体験を話させてください。
私はとても自己肯定感が低いです。
殺人を犯した彼に似た「自分はダメな奴だ」という囁きと常に葛藤を続けてきました。
そうするといつまでも、何をやっても満足できません。
私が患ったのは、そんな目に見えない病気です。
死にたいと何度願っても、実行に移そうとした時も
いつだって描く手を止めることがありませんでした。
当たり前ですが、初めはお世辞にも上手くもなく、他人と比べてばかりいました。
それなにに、苦しくならずに、どうして続けられたのか。簡単なことです。
「私、あなたの絵好きだな」これだけです。
たったこれだけの言葉が私の胸に何年も残って私を支えてきてくれました。
死のうと思った夜を何度も越える勇気をくれて、私を自殺から守ってくれました。
私は、その言葉が私を支えてここまで生かしてくれたと、これだけは胸を張って言うことが出来ます。
この言葉をくれた人は私を救ってやろうなんて気構えは、ひとつもなかったと思います。
それに、そんな上からかけられた言葉で人の心は動くものでしょうか?
理屈じゃないんです。嵐のような強烈さで、私は実際に救われました。
ただ一言、「頑張ったね」「頑張ってきたね」それだけでいいんです。
結果なんかじゃない。その人の頑張りをただ認めてあげればいいんです
たったこれだけで、私は生き汚くても人生を歩んでこれました。
「その人の人生を引き受ける覚悟がないと肯定してはいけない」といったコメントを見かけました。
私は引き受けるなんて気負わなくていいと思います。
あなたは、あなた自身の「こう言った」という発言には責任を持つべきです。
こうすべきだった、言うべきだったと悩んだりするのは、あなたの自由です。
でも、その言葉を自分なりに受け止めて、選択し、変わっていくのは『自分自身』であるべきです。
人は変われます。でも一人で元気になるのは難しい。
そして、人は元気になれたら勝手に歩いて行けます。それこそどこまでだって。
だから、喉の渇いてたまらない人に水をあげるのを惜しまないであげてください。
この言葉を浴びせ続けられた私の心は、もっとちゃんと出来ないとと、
急き立てられるようにそればかり考えていました。
でも頭のなかはパニックを起こして安全な操作の仕方なんてポンと飛んでいる。
それだけ言ってあげてください。
一から十まであれこれ口出ししないで、補助するだけでいい。
心のブレーキを思い出させてあげればいいんです。
誰でも利きの良し悪しは違っても元々、持っているものですから。
信じてあげてください。
私は少なくとも「お前は駄目だ」という言葉で救われなかった。
悲しかった。苦しかった。まだ、頑張らないといけないのかと死にたくなった。
でも救うことも出来ます。
「私、あなたの絵好きだな」
たったこれだけで、私は馬鹿なことをしなくてすみました。
人生を投げ出さずにすみました。
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お恥ずかしながら、誤字脱字はどうぞ多めに見てやってください。
あー書いたらスッキリした!
この言葉でまた救われました。ありがとう。届くかは分からないけれど、あなたは私の人生の恩人の一人です。
他にも励ましてくれた方、ありがとうございます。個別に返信は出来ませんが許してね。
消えたいといったみなさん、消えたいという誘惑は強いです。
でも、それとどうにか折り合いをつけて生きていこうとしてる人がここにもいます。
まだヘコタレてしまうことも多いのですが…
酷い時と比べると、確実に変わっていることを実感する日々です。
私もあなたも無理せず元気な姿で、また会いましょう。
そのカスは仕事ができない。具体的に言うと、物覚えが悪いのと、決められた通りに(書くとか喋るとか一切の)作業できないので、いつまでたっても0.3~マイナス0.5人分くらいのマンパワーしか発揮しない。おまけに、どうでもいい事項や書式などにこだわって、全部やり直したりするからクッソのろま。
で、改善しようともしない。他人を見習おうするとか、迷惑をかけているという意識がそもそも存在していない。でも、明らかなミスをやらかしたりするとメソメソ泣いてたりもして、うっとうしい事この上ない。
なんでこんなカスなんだろうか、と俺は考えた。
そして、原因らしきものに思い当たった。(日ごろの人間観察の賜物である。)
おそらく彼女は、自分に全能感を持ちすぎているのだ。それゆえ、強い自己肯定感を持っている。
思えば、カスは自慢げに話したものであった。やれ離婚の調停で勝った、痴漢撃退したなど、妹のヒモを包丁持ち出して追い出したとか、自慢げに。気持ちよさそうに。そして一方的に。
間違ったイメージトレーニングをやっているようなものなんだろう。彼女は理想と現実とのギャップが認められないのだ。それで泣く。だが本質的に、自分が変わる必要があるなどと考えようとはしない。努力はしない。
ある意味ではおめでたい性格であるが、それが通用するほど社会は(増税でケツ毛も毟り取られた中小企業は)甘くはなかった。カスは今月で退職することになった。遠隔地に異動を申しつけられてからの自主退職という形式であった。
カスは一年前にはJDだった。あと数年すればニートになるだろう。ここで、村上春樹先生なら聞くかもしれない。この話の教訓はなんだろうか、と。
私は答える。多分、自分に全能感を持ってしまうとろくなことにはならないってことだと思います。先生は、そうかもしれない、と言った。