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2023-01-09

anond:20230109062837

した。そもそも説教動画元請けコンテンツすら見ないって言ってんのにちょいちょい見てるからすごいイライラしてる

Youtubeは本当にいま説教動画ビリビリになかったから見たぐらい。ビリビリ最近見なくなった。次からそういうの見たら背中ビリビリ流れるようになって欲しい。

2023-01-08

2人目作ろうか悩む

概要

首都圏在住40歳夫婦

子供1人(8ヶ月)

現在は夫の収入のみ(420万円くらい)

悩みどころ

・今後正社員仕事についたとて夫婦合わせてせいぜい700万円くらいの年収になる予定で、その年収子供2人って育てられるのか

そもそも小さい子供2人いる状況で正社員になれるのか

ほんまに悩むというか、不安だけどできれば2人目欲しい。1人でいいよねと思っていたけどあまりにも1人目がかわいくて、こんなにかわいいならぜひぜひもう1人ほしいと思ってしまった。

年齢的に迷ってる時間はない。

子育てされた方、子育て途中の方、大丈夫だよお金はなんとかなるよと背中をおしてください。

いつまでゲームをするのか。「若者」と「おじさん」の境目。

あんたいつまでゲームなんてするの。もう20歳も過ぎたんだから

大学生の頃、実家帰省していたときに、ため息をつきながら母親から言われた言葉だ。

私の母は高齢出産ということもあり、価値観昭和のままだ。

その昔、ゲームアニメは、子供とき一時的もので、いい大人が熱を上げているとその人は社会不適合者の烙印を押された。

だが、今やそんな偏見はだいぶ解消されている。オタク市民権を得たのだ。逆に、オタク馬鹿にする人種が、ネットの住人によってその非寛容な人間性糾弾されるケースがよく見受けられる。

当然、上記言葉を言われた大学生の私は、ゲーム馬鹿にしているほうが古臭い考え方で、もう時代は変わったんだよと、考え方をアップデートすることを放棄した母親に対し、やんわりと諭した。

振り返れば、あの頃の私は、若者代表ヅラをして、時代について来れない中高年を冷めた目で見ていた。あれから5年ほどの年月が流れた。もう5年、いやまだ5年。どちらとも言い切れない時の流れに妙に感慨深いものがあるが、気づけば私の悟りはどこへやら、少し雲行きが怪しくなっている。

一つだけ確かなことは、今の私はもうほとんどゲームをしていないという事実だけ。

私が抱いていたはずの、今の若者、つまりこの私は、大人になってもずっとゲームをやり続けるといった確信は、ただの勘違いだったのだろうか。

おかしい。こんなはずでは……。ていうか、むしろゲームなんてしないほうが、他のことに時間を回すことができて良い人生なのでは……。

ふむ。認めたくないものだ。若さゆえの過ちというものは。恐ろしいことに、あのとき鼻で笑っていた年長者のアドバイスが私の頭に浮かんでしまった。

すると私の頭の中に、一人の後輩の姿が思い浮かぶ。彼は未だにゲームに囚われていて、謎の使命感にかられて、必死ゲームランクを上げることに日々を費やしている。

さて、そんな後輩に、私はアドバイスをするべきなのか。

…‥大人になったんなら、ゲームは程々にしたほうがいいよと。

実際に脳内シュミレーションすると、少し背中のあたりがゾクリとした。その後輩が、私が母親を見ていた視線で、私のことを見つめ返してきたのだ。

あれ、もしかして、これが老害の始まり…‥。いや、真っ当な成長か……。

からない、分からない、私には分からない。

糞が詰まった葛藤を一人抱え、今の私はちょうど狭間を漂っている。

追記増田でボロクソに言われてた漫画を読んだ

年末年始暇なんでブックオフで安売りしてたぼくたちは勉強ができない(ぼく勉)を買ってみた。

増田でボロクソに言われてたのは覚えてたけど、漫画を一通り読んでネット感想も色々読んだうえである程度は言われてもしゃーないなと思った。

全体的に読者の期待を裏切った結果なんだろうなという印象。

せっかくなんで何をどう裏切ったのかについて自分が感じた感想をまとめる。

見立てと対比

ぼく勉は見立てと対比を多く使っている。

具体的な手法でいえば緒方理珠が唯我成幸への恋心を明確に認識したシーンでUターン禁止標識を同じコマに入れるという方法を取っていたり、桐須真冬と唯我成幸の指導方針真逆であることについて、床の線と足の並びを平行に描いて「(お互いの指導方針が)平行線」などと言わせていたりする。

このような見立て手法のみならず設定自体にも取り入れられており、例えば主要なキャラ童話アニメキャラクターに見立てられている。

キャラ童話アニメ
緒方理珠親指姫
古橋文乃眠り姫
武元うるか人魚姫
桐須真冬アナと雪の女王(エルサ)
小美浪あすみピーターパンティンカーベル
唯我成幸幸福の王子

対比については例えば桐須(キリスト教)←→唯我(仏教)のような指導方針の違いや名前の由来の対比については作者が言及しているが、

その他にも将来の進路についてヒロインごとのグループによる対比が見られる。

将来の進路キャラ
才能と希望が一致せず希望を選ぶ緒方理珠、古橋文乃、桐須真冬※1
才能と希望が一致せず才能を選ぶ武元うるか
才能と希望が一致小美浪あすみ※2、唯我成幸

※1本人の発言。また一生徒であり指導方法を学んでいない唯我成幸ですら達成できた緒方理珠と古橋文乃の成績を向上させることに失敗しているため。

※2小美浪あすみは受験科目の理科分野が苦手であるが、作中で患者の診断については得意であることが示されている。したがって研究側としての才能はないが、現場医師としての才能はあるものと思われる。

追加ヒロインである桐須真冬、小美浪あすみはそれぞれ同じグループキャラクターの将来のロールモデルとして見立てられている。

すなわち桐須真冬存在緒方理珠と古橋文乃が自分の才能がある分野ではなく、自分希望する進路を選んでも幸せになるということを示唆しており、

小美浪あすみの存在父親のいない唯我成幸の代わりに、父親対立したとしても父親の背を追うことは間違いではないのだということを示唆している。

この漫画テーマの一つが幸せになることであり、この2つのグループは将来幸せになることが示されている。

では自分の才能と希望が一致しておらず、才能がある分野を進路として選んだ場合ロールモデルのない武元うるかは将来どうなのか、というのがこの漫画の結末に当たる唯我成幸から婚約指輪を送られる部分であり、これを以て将来幸せになるということが示されている。

この点、作者は古橋文乃ルートで武元うるか失恋ときで不幸にさせるなと言わせているが、将来ではなく現在での描写であり、また幸せとは言わせていない点に本旨があろう。

できないことの克服

この漫画のもう一つのテーマとしてできないことの克服がある。

ぼくたちは勉強ができないというタイトルの通り勉強ができないというのは前提としてあるが、ここでいうできないこととは勉強以外でキャラクターが抱える問題であり、主として家族に関連する問題である

キャラできないこと
緒方理珠人の気持ち特に亡くなった祖母の)がわからない
古橋文乃父親や親しい人と向き合えない
武元うるか恋愛をうまくすることができない
桐須真冬家族の反対を振り切って選んだ道が向いていないと思っている
小美浪あすみ子供の頃から憧れた居場所父親診療所)を継げない
唯我成幸周りの幸せを優先して自分幸せを追い求めることができない

これらのできないことを各キャラ長編(①など番号を付された連話)で唯我成幸が尽力して克服するというのが基本的な流れになっている。(武元うるかと唯我成幸は長編がない代わりに本編の終盤がその流れに当たる。なお武元うるか家族ではなく他人との関係であるが、これは将来家族になる相手との問題であることを示唆している)

この点武元うるか恋愛ができないことについては他のキャラも同じではないかという批判があり、なんなら成就していないのだから他のキャラこそ恋愛ができないのではないかという指摘もあり得る。しかし武元うるか場合恋愛的なアプローチに失敗することが多々あるという点で他と差別化されている。

まり他のキャラクターの場合、唯我成幸の気を引こうとして主体的アプローチをした際にはドキドキさせたり意識させたりして成功しているが、武元うるか場合は好きな相手を唯我成幸ではないと言ってしまったりプールで溺れさせたりするなど明確に失敗してしまうことが多々ある。つまり作中での描写問題であり、そのため恋愛ができないのは武元うるかなのだ。(メタ的に言えば克服できなかったものをそのキャラ問題にするのは最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなるという問題もあろう)

将来の保証

上記のようにして各キャラが進路を選び、できなかったことを克服することでぼく勉のキャラ幸せになり、その幸せになった将来の姿が本編最終話に当たる150話で書かれている。

この話が卒業後すぐではないのは、緒方理珠と古橋文乃と違って将来像のロールモデルがいない武元うるかにとってはこの最終話こそが将来の幸せ保証するものからである

まり付き合い始めてすぐではなく数年後の将来においても、唯我成幸は他のヒロインたちからの誘惑を振り切って武元うるかを選び、お手製の婚約指輪を渡してプロポーズをする。

このエピソードを以て将来に渡って武元うるか幸せであることが保証され、同時に将来においても唯我成幸にとって武元うるかを選ぶことが彼自身幸せであることが保証される。だからこそこの最終話恋人になってから数年後の話であり、恋人がいるにも関わらず他のヒロインから誘惑されるという一見陳腐な展開が必要なのだ。(あのような陳腐な展開でなければならなかったかは別として)

物語構造

ぼく勉はこのように緻密な構造で作られている作品である。(構造を元にした話自体が緻密とは言っていないので誤解のないことを望む)

簡潔にまとめるならば、作品全体を通して周囲の人間幸せにしてきた一方で自分幸せをないがしろにしていた主人公が、最後最後で今まで幸せにしてきたキャラ背中を押されて自らの幸せのために好きな相手告白をして、恋愛がうまくできなかった女の子と共にできないことを克服した、という結末になるように作られている。

また見立てと対比の話に戻れば、人魚姫幸福の王子という他の4作と対比して不幸な結末で終わった童話モチーフにした2人が、童話と違って幸せな終わりを迎えたという形にもなっている。

作中のキャラの配置やモチーフなどを考えればこのようなストーリーを作者が想定しており、その結末になるように連載を進めていたことが読み取れる。

テーマへの裏切り

さて、ここまでぼく勉という作品の作りを辿ったが、最終的に作者である筒井大志は他のキャラパラレルストーリーも描くことを選択した。

作者のインタビューを聞くと編集との雑談の中で増刊で描けないかと言ってみたら本誌でやることが決まったとのことであり、連載中に急に決まったことがわかる。

このような形で決まったものであるから当然様々な弊害が生まれている。

例えば物語構造として今まで幸せにしてきたキャラ背中を押されることができなくなってしまっているため、主人公告白の重みがなくなってしまっている。(武元うるかには幸せにしてやるという決め台詞を言っておらず、逆に幸せにできないかもしれないけれど自分幸せのために付き合ってほしいという告白になっている。つまり幸福の王子というロールから脱却するというカタルシスがある)

また武元うるかには恋愛というできないことが残ったままになってしまっているため、上で書いたような克服できなかったものをそのキャラ問題にすると、最後まで問題を抱えたキャラがいることになるため読後感が悪くなってしまうという弊害がそのまま生じている。この点古橋文乃ルートセリフを反例として挙げられることが予想されるが、上記の通り現在時間軸であり幸せと言わせていない点に本旨があると考えられ、また結局のところできないままであるという問題は何ら解決していない。

これらの弊害は作中のテーマとしてそれまで書き続けていたことを自ら否定したものであり、それぞれの読者が気づいていたか気づいていないかは別として、無意識的に期待していたものを裏切ってしまった。

無意識的に期待していたものを裏切った上でさらに個々の話でも、特に緒方理珠と桐須真冬について、読者の期待を裏切ってしまった。このように読者の期待を繰り返し裏切ってしまたことが今も批判される原因だろうと感じた。

結果としては自分の考えたストーリーがどのキャラ好きな人にも受け入れられると信じきれなかった作者の敗北だろう。

作中で武元うるか失恋ときで不幸にするなと言わせていたが、好きなキャラ失恋したらファンは喜ばない、不幸になると作者自身が思いこんでしまったのは皮肉である

その他入れられなかったこ

最終回無限未来があると言い、実際の作中のほとんどの女キャラクターが触れていると恋人になるというジンクス主人公成就させているのに、主人公以外の彼氏がいる女キャラクターは主人公に触れていないのは些か逃げ腰ではないかと感じた。

単行本最終巻の作者コメントの僕(作者)が描いたぼくたちは勉強ができないはこれで終わりというコメントはあまりにも無責任過ぎる。お前以外に本物を描くやつも描けるやつもいないんだよ。

特に後者の点でボロクソに言われるのはしょうがないなって感じがした。あやふやな土台の上に二次創作は実らないんですよね。悪いけど。

追記

もしそういう物語構造なら、うるか1話から出ているとは思うが、それはともかく、これだけ独自考察することが、まずもって素晴らしい。/「ボロクソ」は、うるか好きをこじらせた増田いるから…。

この解釈が正しいので「もし」ではないですね。事実です。

冗談はさておき1話から出ていないというだけで否定することができる強度の構造ではない。あらゆる要素がそう物語っているので。逆に1話から出ていなければならないということもないだろう。

才能がある分野ではなく自分のしたいことをするべきというのがこの作品の主張なのであって、その点はセンター試験合格緒方理珠と古橋文乃が衝突を繰り返していた桐須真冬和解するという形で結実するのだから、衝突のない分野に進みその主張とは直接関わらない武元うるか1話に出ていないのも不自然ではないだろう。

当初勉強恋愛の二本柱で進めて行くつもりだったが勉強要素が不人気か何かで早々になくなったために、勉強要素を担っていた2人が恋愛要素も担っているという誤読が生まれたのではないだろうか。

後段の件はちょっと調べたけどうるか派はそりゃキレて当然じゃねえかな……。(私が読んでボロクソと言ったのとは違うので必ずしも恨みの結果ではないと思うが)

パラレルは完全に逃げだったけどなぜパラレルやったかって「真冬先生が一番人気になってしまたから」だよ。先生を真エンドにはしにくいので全員分描いて一番最後真冬編を持ってきて読者の人気に応えた。

パラレルやった理由がそうなのは火を見るより明らか(順番通りなら桐須真冬→小美浪あすみになるはずなのに人気を鑑みて桐須真冬最後にしているから)なので、この増田でも別になぜしたのかとか言ってないよ……

真エンドにしにくいもなにも、話を曲げて人気が高いキャラのエンドにするようなラブコメほとんどない。ぼく勉の場合は桐須真冬人気を惜しんだ作者が話を曲げて描くことにして、その結果期待を裏切ってしまったのだろう。

どのルートでも幸せであることを保証するとか作者言ってなかったっけ

これ(最終巻でヒロイン全員どのルートでも幸せになることを僕(作者)が保証するなどという作者コメントがある)は言われそうだと思っていたが、ではその幸せとは何なのか。

できないことはできないまま残った上で、それでも別の幸せを得られるよという話でしかないだろう。

それが今まで描いてきたこととなにか関係があるかといえば何も関係はない。

幸せになるのはそうなのだろう。でも漫画で書かれてたできないことはできないままだ。それが変わることはないし、代わりに見つけた幸せを得た姿を見ることもできない。

ではその保証にどんな意味があるのだろう? 私はないとしか思わない。

(そういった事情考慮しないとしても、古橋文乃ルート最後唐突に今まで一切書かれていなかった平行世界解釈を語らせるなど言い訳をするような作風鑑みると、読者に批判された言い訳として書いたものと見るのが妥当だろう。そもそも当然のこととして作中から読み取れないことを考慮する必要はないので本文では触れなかった。もちろんファンが作者コメントに救いを求めるのは自由であるが)

anond:20230107234209

はじめて泳いだ海の底

とっても気持ちがいいもんだ

背中アンコはおもいけど

海は広いな ココロ

2023-01-07

 risuna-煽り諸刃の剣 ウケたら確かにおもしろいんだけどスベったらめっちゃ反感買う 上級者の使う技

10発やって10発決めれる人っていなくね だからやらないほうがいい

生物実験 モルモット ニュートリノレベル環境

あのおとこがすきなのかああっていってガン付き TNPO- コウフンスルナア ははっはははっはwwwwwwwwwww

悲しい習性 だれが生活費稼ぐの? みなさんですよ!! ぴしっと襟正して はははwwwwwwwwww

画面上でなにがわかる おれたちの場所にこないか リアルにいきろよ?

 満足か? 女を語るにはまずは抱いてから 真実ベットなかにある   トロピカルロートーク

やっぱりここだぁ♫ キッド キッズ ベット ベッド なぜ人類嫉妬感情進化させてきたのでしょう 歴史ハウトゥーはないよね なんだよその切り口wwww

すべてを受け入れることが大事 うまGONいってきな 子供オートバックスいってもおもしろくないよな トイザラスいってきな 人々は共感を求めるから

背中カバ潰してたことあったの そしたらかばああああああああああああああ ははっはwwwwwwwいったいぜんたいなにがおこっているんだあ!

君が欲しいんだよ 歌詞かけるね かっけえww ははははあwwwwwwwwwwwww

いまあるものだけは墓場にはもっていけない いまだけって気持ちですべてのものに接するのが大事

鈍感でサイコパスじゃないとヒモできないと思う 主婦は月給換算で35万だとか言い出す その図太さ

あんずるよりもうむがやすし なれるーー なれるだずー 

割られ割れるぞ イギリス人によお ジェケット野郎がよう じぶんがすきこのんで おれが選んだ人間大事にしたい

育てなかったら犯罪者   お前は悪魔か 二人三脚ゾンビw 環境適応してない場合もある 上司がいれば輝ける

安心してください できません! 

部屋が寒いから節約のためにフリースパジャマの上に上着着て座ってんだけど寒いのに脇汗だけはかくので困ってる

かいてる割に腕とか背中とか寒いのは寒い上着外すと当然もっと寒い

2023-01-06

anond:20230106203044

生きて…。自分生理が重く、仕事を休むレベル

お腹圧迫しないようダルダルズボンはいお腹背中にホッカイロ貼って靴下履いてこたつに入るとちょっとだけましになる。

腫瘍可能性もあるから念のため病院は行った方が良いかも(自分は毎度何ともないと言われる…)

大事にね。

少子化対策

全員が結婚するわけでもないし、全員が思った通り子供授かるわけでもない

まれ子供が全員必ず成長するわけでもない

そう思うと夫婦一組につき子供3人産むのは必須になるよね

じゃあそのためにどうするか?をひとつずつ考えたい

・年齢的な制約

子供産むのも子育ても体力が必要だし、馬みたいに毎年必ず産めるものでもない

とすると子供3人産むなら、3、4年程度のインターバル必要と考えれば、初子から3人目産むまで、6年から8年はかかる

35までに産み終わり、初子授かるまで1年かかると思えば、長くて10年程度は3人産むために必要

とすると、25歳で結婚して27歳までに初子が生まれてないと厳しい

30で結婚してたらほぼ絶望的だし、昔みたいに25過ぎたら行き遅れみたいな世の中にならないと3人はなかなか産めないよね

まずは27歳くらいまでに結婚してたほうが得だ、という明確な利点があれば、ダラダラ付き合ってるカップル背中を押せるかもしれない

お金がない

お金がないか結婚できない、お金がないか子供産めない、みたいな話があるけど、実際にお金があるかどうかは問題ではない

問題になるのは、お金が無くなったらどうしよう、という不安感が強いからで、お金のことは何とかなるでしょって楽観視できないからだ

これはもう、子供が2人以上いる家庭については市営住宅無償無条件で入居でき、食事無料提供、くらいあればいいのではないか

まずは住と食を自治体保証することだろうね

・とにかく子供いたほうが得にする

子供手当っていう雀の涙のようなお金が何か月に一度か振り込まれてるけど、あれを意識して生きたことはない

あれはお得を全く実感しないよ

市のごみ袋と米を現物支給とか、電気代や光熱費、住居費等を半額引き受けてくれるくらいの方が生活の維持費が軽くなるので、なんとなく現金貰うより未来希望が持ちやすくなるのではないか

・失敗を恐れない社会にする

ゲームですら攻略法読んでから試行錯誤全くせずにいきなり最高到達点目指そうとする人が多数派になってる世の中でしょ

そういう人たちにとって不確定要素の大きすぎる子育ては厳し過ぎると思う

成功とか失敗とか気にしない社会にならなきゃこれは変わらない

なんならリセマラが効くように、赤ちゃんポスト的な、子供引き取るサービス自治体中心に整備すればいいと思う

2023-01-05

こんな奴らがいるなら世界は滅べばいいのに、と思う瞬間

電車に乗って、特に混雑していると時々嫌な感じの人がいる。

からさまに寄りかかってくる人、スマホを懸命に操作して背中に突き刺して来る人、肘で背中を押してくる人、自分の居場所をずらさない人...こういった人たちに合う度に、やはり世界は滅んでやり直すべきでは、とか思う。

結局、他者同士では分かりあえない。公共の場においても自分の(何らかの)正義を通すことに懸命だ。SNS世界でも同じだろう。

生きることは「人と会う」ことだと思う。だが嫌な記憶ほどずっと残ってそれが積み重なっていく。何のための生存、なんだろう。ある時は譲り合いで気持ちよくなり、ある時は自分プライドで怒りが静まらない。

家庭でも、職場でも、どんな場においても、怒りは離れない。分断、の元凶かもしれないが、そんな綺麗事でもない。個人的問題から問題だ。

トランプ大統領にした力って侮れなくて。

アレは既存社会を仕切ってるエスタブリッシュメントへの反発とか嫌悪根底にあって、『あいつらの足元をすくえるならトランプがどんなにド阿呆だろうと構わない』って人たちがインテリや都会の人間には見えないところに沢山居て

そういう人たちに乗っかって行く共和党右派がいて、トランプがアタマの方が都合のいいパワーエリート金持ち背中を押してトランプを持ち上げた結果まぁアメリカの分断が拡がったというか、

陰謀論政治を動かそうとする人たちが幅を利かせ始めたというか。

リベラリズムを唱える人たち、そういうトランプを持ち上げる端緒になった『インテリでもなければ都会に住んでもいない人たち』が全然見えてない感じがずっとしてて。

まぁその上で田舎者は内心小馬鹿にしてるんですよねってのが透けて見えて。

この辺、トランプ支持者を追ったルポなんかで結構出てきてたけども。そこの反省が出来てるのかなって。

リベラルサイドの人たちは"田舎に住んでる非インテリ"のご機嫌うかがいをサボったツケが回ってませんか?

あと、そういう人を見下すことで自分立ち位置確認安心してませんか?って気持ちになってますねここんとこ。

フィットボクシングはいいぞ

年末年始時間ができたので、半年ぶりぐらいにフィットボクシング2を20分ぐらいやってみたら

背中と肩下の三頭筋がバキバキ筋肉痛になった

痛すぎて翌日も翌々日も続きができんかったわ

みんなもやろう

anond:20230104171410

子育てとか家庭を守るための仕事ってそうなんじゃねえの

そういう背中子供は見ないよね

楡の唄

誰かが繫く訪っていた

楡の切り株

死んだわけではない

楡の切り株


その断面は瑞々しく

今にも雫の湧いてきそう

誰の通うこともない広場

根を張っている


訪う度に、その誰かは

まだ伐り倒される前の楡に、背中を預け

寝息を立てていた


今はその誰かはいない

微かな呼吸が聞こえることもない

楡の木も、その偉丈を晒すことな

かに呼吸をしているだけだ


楡、いない誰かの呼吸の音

2023-01-04

神社でお祈りするとき合掌している?

一昨日に神社作法増田https://anond.hatelabo.jp/20230102150139)が盛り上がっていたから、なんとなく神社作法を調べてて驚いたことがあるんだけど、神社でお祈りするときって合掌しないのが正しいんだな。

「二礼二拍手一礼」の作法最近広まってからやったんじゃなくて、それより前からその作法でお参りしていたというコメントを人を結構見かけたけど、昔から正しい作法を知っているなら、やっぱり二拍手の後で手を下ろして一礼していたんだろうか……?


かに「二礼二拍手一礼」と神社の参拝の作法になっているけど、この文言では合掌しろとは一言も言っていない。

で、そもそも論だけど、合掌は仏教作法だ。神道でそんな作法があるわけない。でもみんな合掌してるよな。

ちなみにお寺の参拝方法は「合掌して一礼」だから、合掌することが明言されている。


「合掌」のウィキペディアのページではこう書いてある。

日本では仏教に関する儀式の際に行われるだけでなく、お詫びをするときやお願いをするときに、相手を持ち上げるための仕草として使う例もある。また、食前食後の挨拶の際に合掌する例もあるが、これは仏教由来の習慣である神道では柏手として手を打ち合わせるが、その後は両手を下ろし、お辞儀して礼拝する(神道拝礼では、合掌はしない)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%8E%8C

神道拝礼では、合掌はしない」と明言されてしまっている……。なんてこった、これまでも俺の参拝方法は誤っていたのか。

ソースウィキペディア(笑)みたいな人が絶対いると思うから、ここはわかりやす権威を借りよう。神社トップ神社本庁のページでは以下のように記載されている。

まず、神前に進み姿勢をただします。

背中を平らにし、腰を90度に折り、拝をします。この時の拝は2回行います

胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらします。

肩幅程度に両手を開き、2回打ちます

指先を揃えます最後にもう1回拝をします。

https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/sanpai

合掌をするともしないとは文字では明言していない。「指先を揃えます。」は合掌を表しているんじゃないのか?と思うかもしれないが、これは文字通りの意味であって手を合わせることを説明していない。

なんでわかるかって、神社本庁のページの「拝礼作法」の欄には、丁寧に動画まで掲載してくれるという至れり尽くせりっぷりだから、それを見るとバッチリ正しい参拝方法がわかるぞ。

件の動画は34秒しかいかちゃんと見てくれ。動画の25秒辺りで二拍手を終えた後、手を下ろして一礼している。

から、二拍手した後、そのまま手を重ねて合掌して一礼するのが正しいわけではなく、手を下ろすのが正しいってこと。

「二礼二拍手一礼」「鳥居の前で軽く一礼」に続く第三の正しい神社の参拝方法として、そのうち広まると思う。

今のうちに正しい参拝方法を行って、君も参拝のマウント取りができるぞ!

2023-01-03

追求するな・ホットエントリ入りさせるな・はてブ以外でやれ

わずかながらもColabo擁護をしようとしている人たちは少なくとも一定論理を持って擁護しようとしてるのに、Colabo擁護派の一部に追求するな・ホットエントリ入りさせるな・はてブ以外でやれという論も理もへったくれも無い主張をしてる人が居て、しかもこの様な主張がColabo擁護派の背中を撃っていることに気付いてない様なので自覚して貰えるようにエントリ作った

追求するな・ホットエントリ入りさせるな・はてブ以外でやれは本当に逆効果だし、事実としてこういう主張がホットエントリしてブクマカの反感を買って火に油を注いでいるだけなので、もっとColaboのためになるような現実的な主張をした方が良い

おもいっきりテレビ電話相談って仕込みだったのかな?

やっぱりあれって仕込みだったのかな?

1987年から2007年までやってた番組だけど、個人的相談全国放送で流すかな?

今だったら絶対有り得ない番組だよな

16年前はまだスマホもないし大丈夫だったのか?

夫が不倫してるとか、自分不倫してるとか、そんな話ばっかりだったし、

客席も素人のおばさま方で、時々みのもんたが話を振ることもあった。

相談者も客も全部仕込みだったんだ・・・よな?

でも、YouTubeでいくつか見てみたんだけど、ガチっぽい話が多いんだよ

複雑すぎて視聴者もついていけない設定も多い

例えばこれ。

相談者は30代後半の女性

夫が過去に既婚である叔母と不倫して子供ができて、その後叔母は子供連れて出て行った。

その後相談者は夫と結婚子供をもうけたが、ある日突然家の前に叔母が現れ、

「お前が寝とったか慰謝料300万払え!」と言われた。

夫と叔母の間にできた子供障害者らしい。

相談者はそんな子供がいるとは知らなかったそうだ。

みのもんたは「あなたの話は、イヌとかネコ世界の話だよ」とバッサリ。

あなたにも責任がある。夫を見抜けなくて子供作ったんだから」と。

あなたは亭主の妻なんだから背中に背負って、頑張って。あなたはそういう星のもとに生まれてきた」

平成放送なのに、発言や考え方が昭和

やっぱり、仕込みだったと思うんだよな、ほとんど

ありえないよな

韓国アイドルNewJeansのMVが良くて泣いてしまった

K-POPに関しては大昔の少女時代くらいで知識ほぼ止まっていたし、最近だとせいぜいBTSなど見て楽曲の良さに感心したりする程度。

そんな中でついさっきたまたまYoutubeで見かけたのがNewJeansなんだが、このMVが最高すぎたのでその勢いでこれを書いてる。

このグループ最近出てきた5人組のガールグループデビュー2022年7月くらいらしい。

ことなく親しみやすさを感じる王道アイドル路線という印象。

曲名は「Ditto」でMVとしては同じ曲でSide A とSide Bというふたつのバリエーションがある。

https://www.youtube.com/watch?v=pSUydWEqKwE

https://www.youtube.com/watch?v=V37TaRdVUQY

以下内容についての自分解釈を書く。




ある少女学校ビデオカメラを回しており、NewJeansのメンバーがそこに映って一緒に楽しく学生生活を過ごしてる風景が続く。

教室屋上、校庭などで楽しそうに踊るメンバー。ポップでありながら儚さも感じる美しい楽曲と併せてなんだか切ない気持ちにもさせられる。

曲が終わりかける頃、とつぜん子鹿が現れる。

そしてビデオを撮っていた少女が急に一人になってしまう。

教室屋上ビデオを撮っているシーンが繰り返されるが、NewJeansのメンバーはそこにはいない。

え、なに、こわ・・・

MVはそのまま一人ぼっちで雨の中下校していく少女背中を写して終わってしまう。

自分解釈では、映像に映り込むNewJeansのメンバー撮影してる少女のイマジナリーフレンドであり、実在してしない。

はっきりと説明されてるわけではないけど映像的にそう考えるのが自然かなと思える。

まり孤独少女が心の支えとすべく、NewJeansのメンバーを生み出したということなんだろうと。

これ、つまり同時にアイドルという存在のものメタファーにもなっているのだ。

人がアイドルに夢中になるときってどこか現実逃避だったりする部分が大きい。MVとしては少女の頭の中に存在するものとして描かれているが、

そのまんま現実のNewJeansのファンになるというストーリーでも成り立つと思える。しかしそれだと陳腐すぎる。

思春期不安定さを感じさせるのに、ビデオカメラを回してその映像にだけ存在するというのは絶妙演出だと思う。

ただそれだけだと、なんとなくアイドル批判っぽさが出てしまってないだろうか?しかしこのMVにはさらに展開がある。


SideAではよくわからないんだが、SideBではある男の子重要な鍵となることが分かる。

序盤こそSideAと同じように踊ってる場面などが出てくるが、SideAに比べると引きの絵が増えていく。

カメラを回してる少女とNewJeansのメンバーとの距離が出ているのだ。

そしてMV後半ではまた少女一人ぼっちになっていく。

下校時に雨が降っている中、少女は一人で、ただし今度はちゃんと傘をさして歩いて行く。それをNewJeansのメンバーが見送る場面。

そしてSideAでも一瞬出てきた男の子が再登場し、少女その男の子と手を繋いで帰っていく場面が出てくる。

孤独だった少女は恋に落ちて満たされていくのだ。

メンバーの一人から少女携帯に着信がある場面もあるが、少女は出ようとしない。

では少女彼氏が出来て心の支えができたからNewJeansのみんなを忘れちゃったってこと?あんなに仲良く楽しそうだったのに?

そうなんだと思う。思春期の頃なんてそんなもんだ。

しかMVはまだ終わらない。終盤で少女大人になって再び現れ、箱の中からビデオテープを出して再生する場面が出てくる。

そのビデオテープには楽しそうにはしゃいでいるNewJeansのメンバーがしっかりと映っている。

そう、少女孤独で心の支えとしてNewJeansに出会い、そして現実の恋に落ちて彼女たちから離れていった。

でも彼女らと一緒に過ごしていた事は彼女に取ってウソではなく、間違いなく存在していたという事実であるということ。

これぞまさしく「アイドル」そのものだと自分は感じて感動してしまった。

現実がどうあれずっとアイドル応援し続ける人もいて、そういう人がいても自分全然良いと思ってる。その熱量がうらやましいくらいだ。

ただ自分にとってはアイドルって子供時代思春期に夢中になることはあっても、大人になるにつれ興味が薄れてしまうようになった。

だけどそうだよな、アイドルってそういうのだったよなというのが一気にこみ上げてきて思わず泣いてしまった。

MVの中でNewJeansがけなげに楽しそうにはしゃいだり踊ったりするのを見ればみるほど楽しいような切ないようなよくわからない感情になった。


ちなみに曲名の「Ditto」というのは「私も」というような意味らしい。

誰もがアイドルに対して感じたことのある気持ち、そういう根源的なものがこのMVの中には表現されているように思う。

anond:20230103182503

背中ぁにぃ、まといつくぅ、陰りぃわぁ、

オトコぉ、とゆうなのぉ、ものがあたありぃ~

赦されるぅ、はずもないぃ♪

母が重い、35歳女の脱出

2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京ホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。



子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンポスターこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。


「どこ行くの?」

今日から東京に行こうと思って」

「3日からじゃなかったっけ」

「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」

「そう」


しばらくするとまた父が来る。

「なんで行くの? お母さんが泣いてるから理由を教えて」

泣くのか……少しは想像してはいたけれど。

仕事とか渡航準備の関係があるから

「そう…」


父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。

ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。

私はベッドに座って、ポーチ化粧水を詰めているところだった。


「なんで?」

悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。


仕事とか渡航準備あるから、やっぱり早めに行こうと思って」

「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」

正座した上半身ゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。


「いや、別に……」

「教えてください。私があなた子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」


正座ゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。


これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。


「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」

ネガティブなことってなに? 教えてよ」

「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」

「そのときに言ってよ。言われないとわからないよ」


母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ


***


母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。

煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。


文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母ご近所さん芸能人を悪く言うときも一緒だ。


子どもの頃は、これに必死賛同していた。賛同したほうが、家庭内平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧対応できるのが、誇らしかった。


母の文句合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。


20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。



母は自分にも、ネガティブ言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。


私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。



母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。


そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。


「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。


最近は、夫や弟夫婦帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。

弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。

彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。



そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。

それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。


12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。


31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。


こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のとき自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間ときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。

今回は急遽海外への引っ越しスケジュールがずれこんで、直前に長く実家滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。


ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。


年末に駆け抜けた引っ越し渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。

私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人自分に戻っていた。



私は実家にいるとき、3つのモードがある。


①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。


②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。


③母の愚痴ニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。


もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。


③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。


***


修羅場に戻る。


「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」


母は一人で話しつづけている。

しかに、そうなのかもしれない、と思う。


「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」


こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。


から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。


虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験領域ではあるけれど。


ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。


その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。


「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」

「まぁ、それはそう」


弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。


「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」

「こういうふうになるってわかってるからおかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」


一度肯定すると、私も感情的になって、涙がでてしまう。


「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」

父がとぼけて言う。

だって家にいなかったから、知らないじゃん」


ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。


だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中DVだったときのこと、忘れたの?

と本当の私は言いたかった。


宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。

部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。

日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。


でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。


今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。


ある一定の期間だけだった気がするので、仕事ストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。


そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。


「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」


楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。

母の憐れさに飲み込まれていく。罪悪感で、頭がぼんやりする。


あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」


母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。


しかに、15歳のモード言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。


「そんなふうに被害者っぽくされるのに、もう疲れたので…」

被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」


被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか


プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。


節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。

どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。


母にも辛くあたった塾の先生祖母を黙らせた私の全国模試順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。


母がヒートアップするほど、だんだんと冷静になってくる。


母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。

この人は、本当に自分可哀想で仕方ないんだなと、思う。


過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから

「本当に行くのね?」

「うん」


これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月実家家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。


海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日から義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。


今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。


私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。



「私はお正月家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」


母が地元に娘が残って、べったり子育てサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。


それが嫌だから上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月誕生日と、GWお盆帰省した。旅行もした。

でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。



「もう何十年も、十分やってきたでしょ」


そう言うと、母は静かになって、去っていった。


私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。


母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。


それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋カオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。

母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。



母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。


娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。

10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。


だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。


誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。

こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。


それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。

脱出した私は、その夜、東京銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。

2023年、はじめの自分へのプレゼントだった。


——-


けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。

まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。


迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html


もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。

自分ブログ用に書いたけど、さすがになぁという内容なので、ここに載せます

腰なのか背中なのかわからないところが圧迫痛

やっぱり一昨年に尿路結石やったときの、まだ続いてるのかなぁ

2023-01-01

anond:20221231214410

自分が妻の立場なら、きちんと伝えてほしい。

夫婦って、互いに背中を預け合って一緒に人生を生きるパートナーから、しっかりした信頼関係がないと、木の根が腐るようにグズグズになって、倒壊するか、どこにも道が見えないまま腐り果てた人生になる。

この状態元増田が妻としっかりした信頼関係を維持できると思わない。

から、言ったら離婚されるかも知れない。

でも、妻の意思を決めていいのは元増田じゃなくて、妻だけだよ。

ただ「大事な人だ」と、言ったり、思ったりしているだけだと、かえって相手を傷つけることも多い。

毒親だって本気で子供を「大事だ」と思っていたりする。DVするやつだって、本気で相手を「大事だ」と思っていたりする(信じられないかもしれないけれど、マジで)。

そういう人みたいに一方的に「大事な人だ」と思うだけじゃなくて、大事な人に、正しい事情を伝えて、元増田謝罪気持ちも伝えて、相手ちゃん判断できるようにする。

そして、死ぬほど苦しくても、その人の判断意思を受け入れる。

それをやって初めて、相手大事にしたと言えると思う。

2022-12-31

コロナ禍の中で鉄道乗務員やってるけど世界なんて滅べばいいと思う

鉄道乗務員自分にとって「ああ、ついにこの日が来たか、もう終わりだ」と思いたくなるような出来事があってから一週間と少しが過ぎた。

思ったより何もなかった。残念な気もするが広く周知していないので当然と言えば当然か。


出来事というのは、コロナ対策放送についてだ。

今月後半になって、どうも国の方針がアフターコロナ社会を見据えたものに転換したらしく、現在鉄道車両内での

コロナ対策放送は朝夕の通勤時間帯に社内が混雑している場合に限って行うようにとの指導が入るようになった。

しかしたら乗客の中には、最近以前よりコロナに関してあれこれ言わなくなったなと思っている人がいるかもしれない。

少し前まではコロナ対策を呼び掛ける放送は、放送出来る時間の余裕があれば積極的ねじ込んでいくような具合で

放送をしていたが、それが出来なくなってしまった。

お国の方からあんまりコロナコロナと騒ぎ立てるんじゃないよ」と釘を刺されてしまった形だ。


もう今となってはデータイムノーマスクで騒ぎ立てるアホどもを見かけてもどうもこうも出来なくなった。

精々申し訳ないそぶりを見せつつ腰の低い態度で「申し訳ありませんがマスクをつけるか話をやめるかどちらかお願いしても……」

とペコペコしにいくぐらいの事しかできない。

先日、十数人単位で大騒ぎする集団にそうやって声を掛けに行った帰り、乗務員室に戻る自分背中に「マスクを付けたら騒いても良いんだ」

というクソガキの呟く声が飛んできた。

そうか、死んでくれないかな。と思った。


当たり前だが、公共交通機関ほど客層を選べない仕事はないと思う。

他の多くの商売だとサービス商品の内容や価格である程度客層を選ぶ余地があるが、公共交通機関は料金面での制限がかかっていて、誰でも使えるようになっている。

さらに言えばある程度小さなコミュニティをつなぐバスタクシー、料金面でのふるい分けが出来る航空機と比べても、鉄道は広範囲かつ不特定多数の人が居合わせる。

始発まで繁華街で騒いできたノーマスクゴミと出勤や外出で朝から出かけないといけない人が同乗するのが日常なのが鉄道だ。

そして酔っぱらったアホが嘔吐して、アホと乗り合わせてしまっただけの普通人間繁華街で騒いできたアホと同レベル感染リスクが降りかかる糞みたいなスペースが鉄道の車内だ。


コロナ対策最前線はどこだ、と言われれば間違いなく医療機関空港等での検疫関係施設だろうと思うが、

自分鉄道もそれに匹敵する場所だと思っていた。

理由は上述の通り。誰でも使えるし、使いたくないと思っても使わないわけにも行かない公共的スペースの極致みたいな場所からだ。

ここでコロナ対策の呼びかけをすることは世の中にとって意味のある事で、誰かがしなければならない意味のある仕事なのだと信じていた。

それを今回封じられた。よりにもよって国からのお達しで。

お達しを出したのは、感染対策から厚生労働省なのだろうか?

それとも、コロナ後の経済を見据えた話だから経済産業省だろうか?

どちらでもいいけどとにかく死んでくれないかなと思う。

そもそも「条件付きで○○しても良い」とか「○○を呼び掛けるのは特定時間帯だけ」とかい方針提示するのをやめてくれないかな。

それが一般庶民にとってどれだけ高度な事を言ってるか分かってないんだろうな、頭の良い省庁の人たちには。

熱中症対策で「人が疎らな屋外ではマスク外しても良いよ」とか言い出した時もそうだったんだけど、

あれを聞いて「国の方針マスクを外しても良くなったのにマスクしろと呼びかけるのか」と乗務員に食って掛かる人間がどれだけ出たと思ってるんだ。

マスクを外してもいい」だぞ、人間の都合のいい頭の前では「屋外」すらカットされて解釈されるんだぞ。

そもそも鉄道の車内はそこそこ人が居るし屋内のカウントからアウトだというのに、何度説明しても理解しようとしない。

挙句の果てにこちらの名札をジロジロと眺めてスマートフォンを弄り始める始末。

そうですか、文章は読めないのにクレームの送り方は理解できるんですね。貴重なご意見ありがとうございます、ケッ。

まあその時は「変な意見がくるかもしれない」と上司に報告したっきりで何も言われることはなかったけれど、

そもそもコロナ関係に関して会社の上からどう対処するか明確な指針が出されないのが終わってるんだよな。

精々が「他のお客様から注意がなかったとご意見が来た時に困る」ぐらいの話しか出てこない。

それは積極的に声を掛けろという意味なのか、波風を立てないように注意して後は他の人がご意見を送ってこないか運ゲーに賭けろという意味なのかどっちなんだ。

自分は途中までは声をかけていたし、その対応は正しいと上司から言われたこともあったが止めた。

メンタルが持たない。

世間の人々は知らないと思う。というか知らなくていい。ノーマスクのアホに「失礼しますがマスクの着用をお願いできますか?」

とお声かけした時に帰ってくる「持ってません♪」という言葉の、人をとことん馬鹿にした響きと、

それを聞いて「そうですか」と返し乗務員室に戻るしかない時の心境を。

あの頃は日々「ノーマスク人間に突然ドロップキックかましても合法になる法律とかできないかな」とか考えていた。

正しい正しくない以前にこれでは自分メンタルが持たない。そう思って声をかけるのはやめた。

アホどもの前には鉄道マンの誇りとか犬の餌にもならなかった。

どうせ今回もコロナ禍の終わりには向かわないんだろうけど、正直コロナ禍が終わった後の未来が来てほしくなさ過ぎて辛い。

一つはマスク関連。ノーマスク関連に頭を悩まされ過ぎて、マスクの有無で最低限の人間性の有無を判断するようになってしまった。

公共スペースにマスクを着けて出てくることすらできないあいつらが、コロナ禍に打ち勝ったと誇りながらマスクの無い日常

溶け込んでいくのだという事実を受け入れたくない。というか同じ人類だと思いたくない。

もう一つは鉄道車両の話だが、電車の窓の開け方が世間一般に周知され過ぎた点だ。

長々とノーマスクへの恨みを書き連ねてきたが、過敏すぎる人間も過敏すぎる人間で厄介だ。

連中数駅で降りるのに車内の開けられる窓という窓を全開にして降りていきやがる。

数駅移動すると天気が大きく変わるなんてよくあることだから、その度に窓を閉めたり対応余儀なくされる。

というか雨が降ってても全開にする奴もいる。

これがコロナが終わった後も続くんだろうと思うと堪ったもんじゃない。

これが一番の不満なんだが、そもそもこのコロナ禍で鉄道業界大人しすぎる。

今月の大雪で依然として公共交通機関が「そこにあって当たり前のものであって、止められると迷惑」といったイメージ報道されてるのをみて、

きっと鉄道業界コロナ禍においても何も問題はなかった、いつも通りの日常を守りましたという顔をしてコロナ後の世界に向かいたいんだと感じた。

どれだけ尽くしても尽くしても尽くしても社会イメージ権力側の犬か誠実な鉄道マンの二択しかなくて辛い。

100~200円程度の初乗り運賃で高い利便性と速度、ここまでやって権力側なのかと言いたい。

当たり前にあると思ってるものに鈍感すぎるだろ。

インフラなので売れないからと即座に減らすわけにも行かないが、他のインフラの様に生産調整で何とかしたり、

そもそも親方日の丸だったりとかそういうプラスになる要素もなかった。

定時運行を守るという名目の下で赤字を垂れ流し、外に出ていくためのツールから当然巣ごもり需要恩恵ゼロ

こんな糞みたいな状況で苦しくないわけがないのに鉄道会社は聞こえの良い事しか言わない。

まあ当然だ。

鉄道というものがあって当然のインフラであって、当たり前の維持が求められる都合辛いとか苦しいとかそういう話を

会社からするはずがないのだから。それが交通従事員の自覚を持った行動なのだろう。

問題はそれを言ってるのがコロナ禍での負担を直接受けていない本社連中なわけだが。

苦しい所は全部こっちに押し付けて何が誇りだ死んでくれ。

早くコロナで滅亡してくれないか人類

崩壊してくれないか公共交通機関

滅びろ人類。それでは皆様よいお年を

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