はてなキーワード: 物言いとは
増 田「そういう事実を美談にするやつがいて苦しむ被害者もいるんだよ」
俺 「そもそも『美談』じゃなく、実際相手の不幸を願っても何の意味もないでしょ」
増 田「そういう風に考えろ、というのは暴力だ」
…とこういう流れだよね。若干誤解があると思うんだが、俺は「こういう風に考えろ」と言ってるんじゃなく、「こういう風に考えても苦しいだけだ」という事実の話をしている。そうせよ、とは言っていないが、少なくとも今あるのとは違う選択肢を示している。
それに対して増田は「この人は相手を呪わなかった、あの人は呪った。それでいい」と言う。でもそれって苦しんでいる被害者を目の前にして結局「何もしない」のとどう違うのか。
それとも、増田は「苦しんでいる、呪ってしまう被害者に私は赦しを与えているのだ」とでも言うつもりか。それこそどんな不遜な考え方だよ。「それでいい」って、何で何がいいか悪いか増田に決める権利があるのか。ものっそい高見から見た物言いをするな。おい。
俺には、結局、増田は苦しんでいる被害者に対して形だけ同情する風をしながらその実何の当事者意識ももってなくて、そこからそういう台詞が出てきてるだけなんじゃないかと思えるんだがどうだね。増田の考える『ミンナチガッテミンナイイ』的一般論とかじゃなく、人として自分がどうあるかどうありたいかという話をしようや。増田が被害者になったら呪いたいのか呪いたくないのか。それはなぜなのか。
そしてもう一つ。犯罪被害者である元増田に口を閉ざせといい、横から口を挟む俺にも口を閉ざせと言う。犯罪被害者に寄り添うこともなく、被害の受け止め方を考えようという提言も拒否せよとは、それこそどんな権利があって言っているのか。確かに「言論」は時に暴力的である。だが、一般論による「言論封殺」が、まさか暴力ではないとでも言うつもりか。暴力だと人をののしる言葉の暴力性には、まさか無自覚なのか。
近代法は、被害者から報復の権利を奪った。それは社会に不幸を増やさないための知恵だと俺は思う。厳しいことを言うが、不幸な人が周囲に新たな不幸を撒き散らすことがある、というのも人生の重要な事実の一つだ。「被害者の救済」は重要だが、「救済」のために新たな不幸を増やしては意味がない。
全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。
違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体はエイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。
前も書いたように、プリリズのアニメで最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲もエイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分でお金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。
というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。
プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。
もちろん、LISPも81とエイベックスのプロジェクトである。そこだけ見ればWUGもi☆Risと同類であるが、決定的な違いがあった。
LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。
いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界にはいるかもしれないが、オーロラドリームの放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル。
なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。
こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックスの中の人としては
「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募型オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」
そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソン・ヴォーカルオーディションが始まります。
といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。
エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。
2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押しで素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。
…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド
「養成所を卒業したばかりの新人や養成所在籍中の子を適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」
も発動。
演技力も歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。
それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。
初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。
2013年4月にアニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。
そういうわけでTRFとコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。
この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。
念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris、主題歌i☆Risなアニメが始まったわけです。
アニメを作るのに必要な時間の長さを考えれば、ほぼ全作業がプリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。
要するに元増田が「WUGの成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。
実際には単に「同時期に、同じレコード会社がお金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。
あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人とキャラのシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である。
2016年って「マウントを取る」が流行ってたような気がする(ネット上の話ね)。
あるエントリにコメントが付いてたら違う視点から自らの優位さを誇示するようなコメントを付け、
マウンティングに勝利した者が全部を掠め取っていく「勝者全取り」みたいなムーヴが気にかかった。
わたしからすれば思いもよらない鋭いマウンティングを成功させる人もいて、
頭の回転が速い人がいるもんだと感心することもしばしばだった。
こうした行為を「マウントを取る」という概念として認識出来たのが2016年だったし、
そもそもエントリそのものが、被マウンティングの餌食にならないように留意していたりして、
その読み合い一挙一足に緊張感が走っていた気がする。
それは批判されることを過度に恐れているようにも見えたし、
慎重で誤解されないような物言いに気をつけているようにも見えた。
>姉がそういう男と結婚するなら、自分も姉みたいな女と結婚できるかもしれないと言う希望になるから
俺は姉が結婚できさえすれば高スペックでも一向に構わないって既に書いてるんだけど
文章が読めないのか日本語習い損ねたのかどっちか質問するけど、どっちですか?
あのさあ、お前のその物言いだとまさにお前自身が結婚できない女で僻んできてるようにしか聞こえないんだけど
世間知らずなら教えてやるけど年収500万円って高スペックにはならんかもしれんけど貧乏でもないからな?
俺が低スペックだと思ってるっていうのはこの時点で有り得ないから
まあこれが理解できてないお前みたいなやつは女だろうが男だろうがいっしょになるのはそりゃごめんだわ
それに最初の日記からして俺はもう結婚する気無いってことは書いてるのにそれさえ見落として
こんなちょっと前のトラバ読み返せないんなら増田で息するのもしんどくない?
どんだけ恥日記したいんだよ
任天堂はDSWiiで重厚長大な正統派のゲームをバカにして脳トレなどの子供だましゲームを作った、などという
任天堂は決して正統派(この物言いもバイアスかかりすぎだろと思うが)のゲームも疎かにはしてないし(ゼルダ、FE、ゼノブレイド等を見よ)、
だいたいその重厚長大路線をひたすら拡大していった先の結果が、MGS5やFF15のような(ある程度の成果物は出せたにせよ)
プロジェクトマネジメントに失敗してスタッフが追い出されたり交代させられたりした代物なんだぜ?
この手のいわゆる「ゲームらしいゲーム」的な言説は典型的なはちまjinチルドレンの持つ史観そのものなんだけど、
やっぱりこいつらの害は大きいなと感じる次第
ポンコツブクマカが責任がないから少なくて当然とか生産性が低いとか寝ぼけたこと抜かしてるが、一般意志を尊重するなら対正社員で100%支給するべきなのは明白。そもそも新卒なんて生産性ゼロなのにボーナス出て、1年目で有給ついてる理由がわからん。こいつらの利益圧縮で非正規に転嫁させてる理由は身分制度以外になにかあるのだろうか。意思に反して正社員になれなかった者に対して上から目線のよくわからない忠告をした者、無責任な物言いをした者に対しては、逮捕して施設で労働について学びなおしてもらったほうがいいのではないか。
物の値段に文句付けることを覚えると、あたかも自分が万能の採点者にでもなったかのような達成感が得られてしまい、そういう物言いが口癖になってしまうと、気づいた時には他人から孤立し、冷めた目で見られるようになる。
まあSNSでそんな奴が見えたら即リムブロ、気分的にはバニッシュっていうか異世界から出て来んな、って感じ。
だいじょぶ、俺がお前の存在を見えなかったことにしても、お前はお前の世界で生きていけるから。
これも社会階層の断絶っていう奴なのかな?
もうしばらく前からこの話を誰かにしたくてしょうがなかったんだけど、表で大声でこういう物言いをして五体満足でいられるかどうかにやや不安が残るから匿名でする。
例のアニメ、BLかBLじゃないかっていうか、そもそも、絶対どっちかであるとは言い切れないようになってるんじゃないの。
(※作品タイトルもキャラ名も伏せてネタバレってなんだよとは自分でも思ったけどあらすじを一から全部説明するのもダルいので省略も兼ねて伏せます。察して)
メインふたりのコミュニケーションはわりとしょっちゅうラブコメとか少女漫画とか月9とかみたいに演出されているけど、「ふたりは互いに恋愛感情を持っている」と明言されたことは一度もないし、どころか「恋人としての役割は求めていない」「わかりやすい恋や愛とは違うかもしれない」というような趣旨の発言さえある。(四話五話)
でもそれも一方からの偏った認識に過ぎないし、作中時間ではかなり前の方の話になるから、最新話では変わっている可能性もある。(最新話はこれまでの視点役(ふたりの一方)の内心が伏せられている)(更に、その一話からの視点役が「どれほど信用できない語り手か」ということも明かされた)
どっちの方が「よりありえるか」っていう話じゃない。
どっちも「同じぐらいありえるように」丁寧に情報を調整されている。
大変な祭りになった例の「キスなのかハグなのかはっきりさせてくれないと夜も眠れない」なシーン(七話)だって、「特集番組」で、「公式関係者」に(作中で描かれた情報と完全にイコールにするつもりはないけれど考慮する価値は十分にあると思う)「こちらからどっちかだと『解答』を出すつもりはないから各々で決めてね」と言われてしまった。
あのシーンだけで見ても、キスなのかハグなのかはどう頑張っても「主観で決め付ける」しかない(口元が隠れて見えない)し、どっちかだとはっきりさせたところで、果たして「どういう感情でその行為に移ったか」はめちゃくちゃ解釈がわかれるだろうし、だからこそお祭り状態にもなった。
多分、公式はこれからも全力でBLっぽい演出をやってくるだろうけど、それを「疑いようもなくBLです」と断言するつもりもなければ、「BLじゃないですよ」と言い訳をするつもりもない。(※個人の印象です)
「例のアニメはBLうんぬんかんぬん」なありとあらゆる言及は「個人の感想」にしかなり得ないし、どっちかはっきりさせなきゃ気が済まない人はめちゃくちゃ苦しむことになるし、このことについて発言すればするほど、我々(大きな主語)は自分のものの見方を自覚なく大衆に見せびらかすことになってしまうのだ。どうとでも見れるようになっているがために。
そういうちょっと恐ろしいところもある作品なんだと思う。し、これを書く私も現在進行形で恥を晒しているのかもしれない。
でも他の人の意見も見たいからどうしても大声で言いふらしたかった。
(※以下は蛇足です)
そして、例のアニメの「BLかどうかは絶対にふわふわさせとくぜ」の極め付きは最新話(十話)の「指輪プレゼント」からの、「誤解での結婚祝福」からの、「勝ったら結婚するよ宣言」
そんなやり方ある~~~~????
正直、あのアニメではっきり差別のない世界の描写をするならどっかでそういうキャラクターを出す(でももうその尺がなさそう)か、最終回でメインふたりが結婚するぐらいしかないし、まさかそれはやらないだろうと思っていた。結婚すると「BLです!!!!」と完全に言い切ることになるから。
でも結婚しなかったらしなかったで、「結局BLとしては描ききらないんだな……(しょんもり)」になるかもしれない。
それが擬似結婚からの、誤解でも全力の結婚の祝福。作中世界で同性カップルは完っ全に肯定された。もうメインふたりをきちんと正式に結婚させる必要はないし、同時にこの先無理に「BLじゃないです」と言い訳する必要も消えた。だってあの世界ではふたりの関係はなんであれ正当に祝福されることなんだから。それがこれ以上ないくらいはっきりと示された。
なめてた。本当になめてた。
しかも、結婚は勝ったらという条件つき。この先の結婚は「勝ったから」という意味も持つことになって、擬似結婚(指輪プレゼント)時点での感情と動機は永遠に伏せられた。
あそこまでやっておいてまだ、余白に夢をみることもできる。
すっごくないですか????
あざとい賢しいめちゃくちゃ上手いし怖い。
マジで最終回までこのスタンスでやり遂げるつもりだよ怖い。もう結婚をしなくてもいい(メタ的な必要性)、となるとこの先どうなるか全く分からない、それはそれで怖い。十話にもなってあんな乱暴な叙述トリックぶちこんでくる公式なんて絶対信用できない。安心したら最後不意をつかれるに決まってる。本当に怖い。
こわい。
今回はコミックウォーカー
老若男女、玉石混合っぷりが凄まじいが、それ含めての楽しさというのもあるのかも。
あと、訛りに客観的な自覚がないネタは、栃木だけじゃなくて割と共通かもしれない。
というか、訛りって喋るときに無意識に出るようなものだから、作中のは極端ではあっても、訛りに対してそこまで自覚がないってのは大なり小なりあると思う。
その地域で生活していれば、そこでの訛りは実質「標準語」といえなくもないしね。
そして番組本番、クオリティは出場者によって全然違ってピンキリながらも、平均的なレベルと出場者の年齢層からいけると踏む。
どこまで意図的に、かつそれが功を奏するかなんてこと分からないが、目標を掲げるなら多少のクレバーさはあったほうがいいだろうね。
私は漫画に限らず創作において、そういう利己的な手法そのものは否定しない(支持もしないけれども)。
なんか、元からそうだったけれども「主人公のスペックお披露目会」みたいな様相を呈してきたな。
どれだけ主人公がすごい発想とすごい魔法を使えるかをつらつらと。
私が中学生のころ、TRPGのキャラの設定とステータスとかを練りこむだけの遊びを仲間とやっていたけれども、要はそれにちょっと物語を付与しているだけだよね、今のところ。
そりゃあ、キャラの設定とかスペックとか書いているときは楽しいし、それを読者も疑似体験できるという意味でナシではないとは思うけれども。
客観的に見れば危うさがあるんだけれども、あくまで全体的なノリは楽しく描かれているんだよね。
どうでもいいけれども、ゲーム脳って私はてっきり現実をゲーム的なものの見方をする人を指すと思ってんだたけれども違うんだね。
勝負の内容もよく分からんが、その後の物言い展開のほうが本番ってのがすごいな。
「巨乳同士の(物理的)なぶつかり合い」という胸躍る展開にも関わらず、その後の物理的に過剰なインパクトと、物言い展開のハイテンションぶりでエロティシズムがまるでないのもすごいな。
そういえば、以前の夜の学校エピソードで懐中電灯を胸の上に乗せるとかいう、たわわチャレンジじみたことを「月曜日のたわわ」が世に出るずっと前からやっている位、この漫画の巨乳の扱いってバカバカしいんだよね。
同じく海外赴任したことのある身から想像するけど、海外赴任できるチャンスを得られたということはそれ自体が恵まれている。
もしかしたら貧しい中で必死にバイトして留学資金を貯めたのかもしれない。家族から見放され家を飛び出したのかもしれないが、それでもなお。
ただ、海外に出て世界の広さを感じると別の部分が鈍感になる傾向がある。よく陥るのが「自分が努力してできたんだから他の人だってできるはず」という思い込みである。
そしてあなたは日本だけでなく多くの国で問題になっている「閉塞感」というものが理解できていない。
国がどれだけ恵まれていようがその恩恵に預かれない人がいる。そして自身の生活を打開できるだけの精神力を持つことを許されなかった人がいる。
この人たちは「恵まれない」環境にいるのだ。物理的に恵まれない人へは同情が寄せられるが、精神的に恵まれない人はあなたが敵意を向けるように理解を得られないことが多い。
物質的に「日々の食べるものにも困り、生きてくるだけで精一杯だった」人がいるのと同様に「精神的にぎりぎりで、ここまで生きてくるだけでも精一杯だった」という人たちがいる。
その人たちとあなたは90度くらい違う。私も英語とプログラミングができるので、別に何をしたってどこの国だって生きていけるという安心感がある。これだけで世の中がどれだけ悪かろうが夢を持て、生きていくエネルギーを得られる。
しかしそれもこれも基本的には努力できる恵まれた環境を用意してもらえたからだ。恵まれた環境を与えられずエネルギーが尽きかけてる人に、エネルギー源のある人の方法論を唱えても使えるものじゃないんだよ。
世の中に届かない方法論は国を良くしない。
「原発立地自治体はいままで散々おいしい思いをしてきたのに反対するとは何事か。俺が政治家ならすぐに再稼働するのに」という意味合いの発言を聞いた。
最悪である。
こいつは今までに政治家が地方にどれだけ頭を下げようやく原発を建てさせてもらったかをまったく分かっていない。事故は起こさないという約束を守れずどれだけ信頼を失ったかを理解していない。仮にこんな奴が政治家になったら失言の上、地方自治体から総スカンくらって即更迭である。国のために何の役にも立たない。足を引っ張るだけ。
最初から最後まで、皆うんうんと頷いて聞くだろう。そうだね、その通りだよ。今までの人生で1000回くらい聞いたよ。そして半年後には別の誰かの1100回目のお話で上書きされ誰もあなたのことは覚えていない。
あなたの意見が間違っているわけではない。個人の幸福の追求方法としては正しいが、多数の幸福を求める場合、思いが届く範囲が狭すぎるのだ。国を良くしたいならその方法は効果が薄い。
あなたのような意見が聞けるのはいいことだ。きっと日本をよくできる、個人でも頑張ろうという人が少なからずいるということは日本にとって明るい材料だ。
しかし閉塞感の蔓延した世の中には届かない。ここ20年間以上、無力感を蓄積させられた人たちに必要なのは「頑張れば日本は良くなる」ではなく「良い日本にするから頑張れ」だ。閉塞感→不景気→少子化の悪循環を止める現実的な少子化対策だ。
今回の「保育園落ちた日本死ね!」は結果として「お!?きっかけはともかく、実際に対策が打たれたぞ!?こいつは明るいニュースだ」と今保育園に入れられない現実に直面している人たちの背中を押しただろう。子供が一人増えれば、何世代か後にはGDP数億円分に貢献したことになる。
理想とは言い難いが「伝わる」物言いが世の中を変える。(途中で気づいたが、トランプ大統領誕生も一種のそれだな。私はトランプを支持してないので書いてて自分の胸に刺さったわ……)
なんと、仮想増田だったとのこと……『種明かし』http://anond.hatelabo.jp/20161205182802
やれPCは差別の根本的解決にならないだとか臭いものに蓋をしてるだけだとか批判があるが、それの何が悪いのかわからない。
心の中ではどれだけ思っててもいい。
ただ、口に出すのをやめることを求めている。
とてもそうは思えない。
差別を抑圧することによって歪みが生じるなら、差別を容認することの歪みが生じないとどうして言える?
俺には後者の方がよほど質が悪いように思えるが。
だいたい、臭いものに蓋をするなんてことは日常に転がってる。差別に限らない。
なんでお前は毎日クソ上司への憎悪を押し殺してニコニコ媚びてるんだ?
まず、明後日(明日は日曜だからな)にクソ上司と大揉めして今まで自分にしてきた仕打ちの罪悪を認めさせて土下座させろ。
それが「臭いものに蓋をしない」自称サバサバ野郎のお前がまず取るべき行動で、何の恨みもないゲイを安全圏から卑劣な物言いでコケにすることじゃないはずだ。
人は建前で生きている。
結局分かり合えないからだ。
俺はそれを悪いとは思わない。まあ次善だろう、と評価する立場だ。
最近よく問題になる表現の問題、今なら東京メトロのキャラクターの鉄道むすめイラストとか、少し前なら海女キャラのあれとか。ああいうのが「性的な表現」として批判を受け、それに対して猛烈な反発が起きるというのが、まあ最近よく見る流れだ。
個人的にはやはり問題はあると思っていて、そういう批判は真面目に考えた方がいいぞと思うのだけど、どうしてもネット上では反発が目立つ。強烈、猛烈な反発。
まあ、一見なんでもないようなものまで性的な表現として潰そうとしている、と認識すれば、そりゃ猛烈に反発したくもなるだろう、とは思う。理解できる。
たとえば、一昔前なら、女性が露出度の高い格好をしていると、はしたないとかなんだとか許されなかったりだとか、性的な表現は不適切なものとして不当な扱いを受けたりだとか。
そういったことからだんだん自由になって、今があるのに、不快だという声によってまたしても弾圧されようとしている!政治的に正しいとか言って。反発するよね。押し付けられてる感じするよね。理解できる。表現は自由であるべき。そりゃそうだ。
じゃあ、自分が問題はやっぱりあると感じるポイントはどこなのか、というと、ある属性の一側面について、やたら強調される表現がやたらあふれていて、やたら当たり前になりすぎているということ。
話題のみちかさんの件とか、まあかわいい絵ではあるよね。でも性的な強調があるかないかと言われたら、あるよね。それは。エロ文脈など何もない!わけないよね。
この件に限ったら些細なことだといえばそうだけど、女性を表現するときに、身体のラインであるとか仕草であるとか、無駄に色っぽさを入れるのが当たり前にありすぎるんだよね。本当にありすぎる。自分だってそういうの好きだけど、ありすぎ。あんまりあるからお約束的に無視してることも多いけど、とある属性のとある側面が強調された表現が、あまりにもありすぎるってのは、どうなのかね。
性的な強調がだめなわけではない。性的な側面が描かれるのがだめなんてことはない。まあエロとグロは結構強い反応を引き起こす題材であるので、ちょっと慎重になるべき題材であるとも思うけどね。ゾーニング必要と思うしね。
ただ無意味な性的強調表現が当たり前にありすぎる。特に女性に関して、見えるところにも普通に、ありすぎる。これはステレオタイプである。障害者を健気な天使として描くのが問題視されるのと、同じようなことである。もちろん、健気なのがだめなわけじゃない。そればっかりが、ありすぎるんだよ。
それに対して、いい加減にしろよと当事者から声が上がるのは当たり前だし、その声を聞く必要は、あると思います。
まあ多くの人が不快だから引っこめろというのが危ういのもあるんだけどね。不快に思う人が多いとしたら、それも無視はできないけど、具体的な問題点は考えないといけない。
たとえば同性愛表現に不快だという声が多かったとして、それを引っ込めたらどうだろうか。異性愛表現に置き換えて、別に問題ないレベルなのに、当たり前に存在するものなのに、不快な人が多かったら引っ込めるべき?
快、不快の数も大事ではあるけど、問題の中身を考える必要はある。
まあ、昨今の件に関しては、萌え絵だから不快という理由で表現を潰そうとしてるって見方もあるのだろうと思うし、実際そのような声もあるのだろうけど。
ただ、絵柄というよりはステレオタイプな表現にすぎるというのが問題であると思う。
別にステレオタイプだってゾーニングできれば自由にやりゃいいんだろうけど、みちかさんの件とか、鉄道むすめの他のキャラ見れば普通にポスターとかでかなり目に入るものであろうからして。今はまだ出てなくてもね。
というかみちかさんのイラスト公式じゃないだろって突っ込まれまくってるけど、かなり公式っぽい感じに使われるキャラだと思うんだけどね。
みちかさんは公式キャラを元にしてるし、他に比べてもかなり公式よりだと思う。まあ、こういう流れになったわけだから、別のイラストを使うかもしれないな。
鉄道関連だから、かなり目に入る感じだと思うし、公共性問われるの別に変ではないと思う。
それにしても鉄道むすめに対してゾーニングされてるコンテンツ扱いするの、割と悲しい。あちこち行くたびに親しみを持って見てたし、愛着あるのに。自分が見たのはほぼ公式マスコット扱いだったよ。地域やキャラによって違うとは思うけど。
ああ、長い。要するに女性キャラに性的強調要素くっつけるのありすぎるし、公共性の高い鉄道公式キャラ(まあ正確にはそうではないとはいえ)にまでそういう表現を持ってくるのはもう我慢ならねえという声、聞くべきと思った。という話。
自分もステレオタイプなオネエ描写とかやたら漫画に出てくるの物凄く嫌だし(自分が当事者よりだからだ!)、いい加減にしろよと言いたくなることはあるんだ。キャラクターとして好きだけど表現のあり方としてステレオタイプすぎるのが許容できないとか、そんな複雑なこともあるんだ。
誰も不快にしないなんてそんなものが完璧に実現するわけはないし、なにを不快に思うか、性的に思うかは本当に人それぞれなんだけど、だいたいの線引きは必要だし、今だってあれこれとある程度線引きはされてる。それがなるべく公平になるよう努力は必要だろと思うわけで…。
まあとにかく現状はだいぶ、バランス悪いぞ。
しかし物言いがついたからって安易に自粛することもないと思うし、面倒くさいこと避けてると前進がないよなーとか思う。落とし所を探るプロセスとか、未発達すぎるなあ。
ああ、長いな…。そうだあともうひとつ、あれこれあるけど、絵描きのせいじゃないと思うから。こういったバランスが必要な仕事のときにはそういうの考える人も必要なんだ… 描く人に丸投げしちゃだめだ…
タイトル獲得経験者(通算1期)。羽生善治七冠王を崩した棋士である。
顔つきは朴訥とした雰囲気が有るかもしれない。野武士という異名をとったこともある。なぜかニコ生で人気(だった?)。
ソフト指しが疑われているA級順位戦の三浦ー渡辺戦は角換わりの序盤早々にポンと▲4五桂を跳ねる将棋であった。前例はあって無いようなもの。話題になったお陰で棋譜は検索すれば簡単に見つかる。ちなみに将棋の棋譜に著作権は無い。素人目にはこの桂馬は、後手が△4四歩と伸ばせば簡単に取れそうである。プロから見てもそうであったらしく、順位戦の渡辺はそう指した。その後は後手は期待通りに桂馬を取り、引き換えに先手は馬を作り2歩を得た。以降は10手ほど穏やかに進み、先手が戦端を開き一気に後手陣を攻め潰した。馬と歩得の時点で形勢は先手が良かったようだ。実際、今日の竜王戦第一局(対丸山九段)で渡辺はほぼ同局面から△4四歩を見送り、ponanzaはこの選択をそんなに悪くないと評価した。
三浦の▲4五桂にはソフトによる研究が伺える。駒損して歩得と馬を主張するところがソフトっぽいと言われる。同時に三浦の棋風も伺える。端的に言えば研究将棋とはハメ手であり、毒饅頭を目の前にチラつかせる将棋なのだ。渡辺はまんまと引っかかり、自然と思われる桂取りの△4四歩からほぼ一直線の流れで、気づけば形勢を損なった。
行方尚史八段は三浦を表して「局地戦になると異常に力を発揮する人」「狭いところでの三浦君の計算力はすごい」と評した*1。一見して選択肢の狭い局面に誘導し、そこで相手を罠に嵌め、自身の計算力を頼りに仕留めるのが得意である、というわけだ。そして三浦はこの棋風を維持するために、自身の研究に加えて他の棋士の研究をも吸い出してきた。圧倒的な研究量が三浦のウリなのだ。
第68期名人戦(2010年)において三浦は羽生善治名人(当時)に挑戦した。梅田望夫「羽生善治と現代」ではこのシリーズの第二局を通じて、三浦の棋風すなわち研究将棋の極北について論じている。三浦はここでも羽生相手に罠を仕掛けた。当時流行の横歩取り8五飛戦法の、その最新型に一撃必殺の罠を仕掛けた、のだが、この罠は関西有力若手棋士(行方は豊島将之現七段か糸谷哲郎現八段か、誰かは知らないが、と言う)を二晩ホテルに缶詰にして聞き出した研究の成果であると言われる。
自分が出席しない研究会の成果をその日の夜に電話で聞き出したりもする。後日有力棋士に公に批判された。
三浦の将棋脳の特性と、それを活かせる狭く罠を仕掛けやすい展開を収集する研究力・人脈、これによって三浦はトップ棋士たりえた。
近年ではソフトが鬼強いので、誰でも棋力に関係なく高度な研究ができるハズだ。では三浦の強みが無くなったかというとさにあらず。現に順位戦で渡辺は三浦の研究手▲4五桂に対応できず、自然な手に乗って形勢を損ねた。プロより強いソフトが行き渡った現代でも、三浦の研究力は存分に発揮されている。
つまりカンニングしなくても、三浦は十分強い。序盤は優秀な研究があるので仮にカンニングするとしたら中終盤だが、この将棋は優勢な局面から一方的な攻め将棋で終わった。カンニングが必要とは、個人的には思えない。
ちなみに羽生との第68期名人戦、三浦は4タコで無残に敗退した。形勢良しの将棋を勝ちきれず、善悪不明の将棋を手品のように負けた。
第二局で羽生は三浦の罠を看破し、三浦の研究の隙の隙を掻い潜り、見事勝利した。
中学生でプロになった。20歳で棋界最高峰の竜王を取った。タイトル通算17期、史上初の永世竜王資格保持者。名人挑戦者に未だなれない。
生え際は若くして後退した。歯に衣着せぬ実直な物言いも人気。
自玉を固めて細い攻めを繋げて一方的に殴るのが一般に渡辺っぽいとされるが、最近はどんな将棋でも単純に強い。
研究家。ソフトを使用しているがソフトの評価値はあんまり重用していないとも語る*2。
渡辺は単純に強い棋士である。2000年以降、渡辺は将棋界のトップ3以上の実力者でありつづけた。研究家であっても、三浦のような極端さは無い。
人望の厚さが伺われるエピソードも多い。佐藤天彦新名人にも慕われている。
渡辺は正義と公正の棋士である。ゆえに、三浦の若手搾取が許せないらしい。村山慈明現七段から三浦に電話で研究会の成果を根掘り葉掘り何時間も訊かれたと愚痴られた渡辺は、NHK将棋講座誌上で三浦を名指しで、質問三羽烏として痛烈に批判した。
とばっちりを受けた残り二羽の烏は深浦康市九段と丸山忠久九段である。深浦は「羽生善治と現代」にて三浦の研究将棋を擁護し、丸山は今回の将棋連盟の決定に不服ととれるコメントを出した。前述の通り、丸山ー渡辺で開幕した今期竜王戦第一局の序盤は、件のA級順位戦三浦ー渡辺戦とほぼ同じ将棋であった。丸山の意趣返しであるが、渡辺の対策が良く封じ手時点では丸山苦戦の模様。
三浦のカンニング疑惑の聞き取りに、渡辺は理事に混じって同席した。
5人前後の三浦に負かされたと推察される棋士が三浦を告発したという。根拠はつまりプロの直感である。正義の棋士渡辺は告発者の一人であり、卑劣なカンニングを許せず、またタイトル戦の直接の対決者であるから、聞き取りに同席したのだろう。
聞き取りは聞き取りだけで終わり、証拠は一切示されないが、あるともないとも知れない。
三浦からしたら、タイトル戦の直前にタイトルホルダーが連盟を味方につけて、盤外戦術を仕掛けてきたようなものである。
三浦がカンニングしていたのなら、怖くて大舞台には出れないだろう。
三浦がカンニングしていなくても、怖くて大舞台には出れないだろう。
つまり三浦相手に連敗中の渡辺が三浦を竜王戦欠場に追いやったとも言える。
まさしく陣屋事件に勝るとも劣らぬ怪奇事件。なんと命名したらよいだろうか。
ぺるん氏 以下、ぺ氏
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/09/12/210000
ddrdaisuki氏 以下、D氏
http://possession.hatenablog.com/search?q=%E7%8C%AB%E7%AE%B1
二人の喧嘩を見た。
他人の喧嘩にコメントするほど不毛なものもないが第三者の目線が必要かもしれないとD氏が書いているので
第三者として書かせていただくと…どちらにも相当に非があるとしか言いようがない。
どうもこのお二人は過去にも因縁があるようで積り積った鬱憤が爆発したようである。
D氏がツイッターで叩く
ぺ氏がぶち切れる
という流れである。
感想なんて好き勝手に書けば良いのであるから、いくらつまらない感想だったとはいえ、D氏が叩けばぺ氏が気分を害するのは当然であろう。
もちろんつまらない感想をつまらないと書くのはD氏の自由ではあるものの、発端はD氏が悪いと思うしぺ氏の方の肩を持ちたい気分である。
□
これで終わりにできればこれほど簡単な事はないのだが、喧嘩が進めば進むほど私にはぺ氏の株が下がっていく一方なのである。
内容自体はD氏もぺ氏も共に相手に喧嘩を売っているのだが、D氏が慇懃無礼な書き方でちくちくと攻撃しながらもランス03の感想の書き方を問題にしているのに対し
ぺ氏はD氏をお前と呼び、人格攻撃を積極的に織り交ぜている。これは非常に印象が良くない。
たとえD氏がクズだったとしても、ぺ氏がD氏よりもまともだという事にはならない。そもそも人格の問題はあまり関係がなく、感想が問題のはずである。
少なくとも
[私の感情や感性が未熟なことを説明せずに滑稽だと語られてもどこにも妥当性がないんだが?]
というぺ氏の文章に関しては、この喧嘩を見る限りぺ氏の感情が未熟な事は一目瞭然である。感性は知らない。
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ぺ氏はD氏に主張の論拠を求めているが、これもよくわからない。
第三者から見て、D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベルの悪口である。
それがウザいというのはよくわかるが、便所の落書きに対して論拠を事細かく求めるのはあまり意味がないように思う。
D氏はぺ氏の感想をつまらないと言い、ぺ氏はなぜつまらないのか理由を挙げろと怒る。
それに対してD氏は一応つまらない理由を挙げている。しかしぺ氏は納得せずに怒り続けている、というのが私から見た今回の流れである。
D氏の挙げた理由はぺ氏の感想の方向性とは明らかに異なるものであり、ぺ氏がそれを受け入れないのは客観的に見て当然だと思う。
さらにぺ氏のランス03の感想は、少なくとも万人が読んでつまらないと判断するような酷いものではない。
誰か1人でも面白いと思う人を連れてこいとD氏は仰っていたが、私は面白いと思ったし、他にも面白いと感じた人はいるだろうと思う。
とはいえ、D氏はD氏の価値観に従ってきちんとつまらない理由を挙げている。
それに対して、まともな根拠も反論もできずたじたじになっているというぺ氏の反論は、的を外しているように私には映る。
気に入らない人間から悪口を言われて怒りにまかせて逆襲したものの、予想以上に手ごわくてたじたじとなる、だが負けず嫌いの性格で後には引けないぺ氏…という方が私の印象に近い。
喧嘩の発端は明らかにD氏が悪いのだが、議論の筋を読めば読むほど、ぺ氏の論のおかしさの方が目立つ。
自分以外のランス03のダメな感想を数え上げて、なぜ自分に対してだけ批判をするのかといった逆ギレなどは書いていておかしいと思わなかったのか。
ネットに存在する全てのダメな感想を叩いてからでないと、ぺるん氏の感想を叩けないというのはムチャクチャな話だ。
便所に悪口を書いた相手に対して、立証責任が云々というのも非常にバカげた話である。
元々喧嘩を売りに行ったのはD氏なので、D氏の肩を持つ気もあまりないのだが…。
余談
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/08/17/070000
http://sessions.hatenablog.com/
http://bern-kastel.hatenablog.com/
ぺ氏自体が積極的に他者の感想へと攻撃を行っているという驚愕の事実が判明する。
俺は好き勝手に感想を書くが皆の感想を尊重する、だからお前らも文句を言うな、ならばわかるのだが
俺は好き勝手に感想を書くし、気に入らない感想は存分に叩く、だけどお前らは文句を言うな、という態度なのである。
自分は他人の感想にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、自分が他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。
あまつさえ他人への悪口を裏ブログに堂々と書いて、悪びれもしない。
更に言えばD氏は問題にしていないようだが、
ぺ氏が普段語っている外部文脈を排して作品を虚心に見つめるという内在的読解とは、作家、時代性、商業主義、声優や俳優、などなどを外部情報として切り離し、作品そのもの…たとえばランス03という作品のみを
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/11/22/120000_1
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/04/26/222449
ひょっとしたらぺ氏の主張を私が読み違えているのかもしれない。
しれないが、もし私が読み違えていないのならば、氏のランス03の感想は「戦国ランス」といった別作品の存在や「ランスらしさ」といった外部情報=スキーマを積極的に取り入れた感想になっている時点で
なお、氏の普段の主張と異なっているからと言って悪いレビューかといえば私はそうは思わず、なかなか楽しく読んだことを白状するが
少なくとも氏の普段の主張と異なっているのだから、普段の主張自体が問題といえば問題になるのだろう。
人間なのだから、気に入らない相手に対して厳しく当たってしまうのは仕方のない事である。
しかしぺ氏の普段の主張は前述した通りだ。ならば、作者=テクスト主=D氏という外部文脈、もしくはスキーマを排して文章を虚心に読み込んで対応するのが筋というものではなかろうか。
D氏がクズであることやD氏との過去の因縁という外部情報を、今回のD氏のテクストと切り離す。
特に争点にはなっていないはずのD氏の悪行=外部情報を積極的に攻撃している現状を見るに、
ぺ氏が普段声高に唱えている内在的読解の質についても疑問が生まれてしまう。
他ならぬぺ氏自身が、[製作者の人間性と絡めた作品批評は最も唾棄すべきもの]だと言っているではないか。
ならば[ツイート主の人間性と絡めてツイートを読み、判断すること]は唾棄すべきことではないのか。
[物語解釈の障害であるスキーマに対抗するには]、と書いた本人が、[テクスト解釈の障害であるスキーマ]に嬉々として身を委ねているのはどうしたことだろう。
気に入らない人間のテクストだというだけでこれほど否定的に反応する人間は、気に入らない作家の作品に対しても、先入観を持って読んでしまうのは自明の理。
外部情報に踊らされないというのは非常に難しい事で、ほとんどの人間には出来ないと思うが、
ましてぺ氏にそれができるようには全く思えないのである。
その辺りのところを、ぺ氏が説明してくれると有難いなと思うし
その辺りのことが説明できないようでは、残念ながら氏のお題目は見かけ倒しと判断されてしまうだろう。
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D氏はD氏で、つまらない感想につまらないと述べるのは自由だとは思うけれど、それが相手の目に触れれば怒りを買う事もあるだろう。
ぺ氏ほどの理不尽さは感じないものの、D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており、それ自体
第三者としてはなるほどと思わされる事もあるし面白いとは感じるものの、自分がその標的になったらと考えると辛い。
もし私が同様の絡まれ方をすれば、ぺ氏のようにまくしたてたりはしないだろうが、煙たがってブロックぐらいはするかもしれない。
厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得がたいものではあるが、のん気にてきとーな事を書きたい者には歓迎されないだろう。
ぺ氏の感想の行き詰まりを危惧するならば、もう少し別のアプローチがあったはずである。
結論 どちらも怖いです