はてなキーワード: 焦燥感とは
具体的に未経験でも光るものがあったとか、そういうところをもうちょっと知りたい。
「やってくれそうだった」「期待できそうだった」くらいのレベルでいいんで。
採用が困難な時期に妥協して未経験エンジニアを採用したけど、それが失敗だった。なぜ失敗なのかを話していきたい。
ただし未経験エンジニアといってもいろいろあって、子どものころからずっと学習してきたような人はただ実務が未経験なだけというように考えている。こういう人はあまり未経験と考えない。
自分への戒めもこめて。
失敗点
リターンがほぼ回収できない
エンジニアの生産性の違いが10倍、100倍になることは別におかしいことではない。
そのため、未経験エンジニアに費やした時間がリターンを産むまでにとてつもない時間がかかる。
たとえば、生産性100/営業日の人が10営業日かけて教えるのなら、教えられた人は、1000の生産をしなければ当然マイナスになる。これは泣こうが喚こうが世界の理なのでここは変えられない。
1000の生産は、生産性1/営業日であれば4年2ヶ月かかる。つまり生産性100倍の人を用いる場合は、教えられた人の基礎能力を4倍にしてようやく1年でペイ、半年でペイさせるためには8倍の能力向上が必要になるといえる。20営業日かけた場合は必要な生産性がさらに倍になる(1年でペイさせるには8倍の能力向上が必要)。1年の営業日を240日としている。
つまり能力1の未経験状態から1年で4倍の能力向上(当社比)が見込めない未経験エンジニアはだいたいその会社には不要ということになる。
それから未経験エンジニア以外も成長はするので、他のエンジニアの能力向上の速度がたとえば年間で2倍になるとするなら、10営業日を教育に使うと考えるとそうしたエンジニアが102%になる成長機会を奪ったことになり、これは機会損失という【(2^(1/(20*12)))^10】。これによりもともと1年後に生産性200/営業日になるはずだったエンジニアの能力が194/営業日になることになる。この差は大きい。
すべてを教えなければいけない
彼らは基本的に「すべてを教えてもらおう」とする。これによって他の人が疲弊する。どのように考え、何をやり、どう仕事をすすめるか、その手がかりを何ももっていないため、何もかも教えなければならなくなる。
未経験といっても新卒とは違うが、新卒の何も経験のなくバックグラウンドのない人を育てるのとほとんど変わらない。一方で放置すればただお金が出ていくだけとなる。
実は、ふつうのエンジニアは一般的にはかなり勉強している方にあたる。土日にコードを書いたり技術書を読んだり、仕事終わりに技術書を読むとか、そういうことは上澄みのエンジニアじゃなくてもしているというのが当然なので、当然みんなしているものだと思っている。とても怠けている人でもやっているのでそういうもんだと思っている。それに未経験エンジニアの中にはあまり技術に興味がない人も多く、働き方や収入などの面に惹かれているように見える。
エンジニアはわざわざ自分の休みをつかって学習する行為をべつに地獄だとは思っていないし、身の回りの人はみんなやっているから「誰でもやっているふつうのこと」だと思っている。認識に大きなズレがある。
仮に土日や平日終わりに勉強することも仕事だと考えると、エンジニアの給料は割に合わなくてかなり低い。地獄になると思う。
チームの空気が悪くなる
チームの他のメンバーはすでに状況を理解している中で、その人のためだけに説明しなければいけない事態が頻発する。これがコストになり、説明する人が「押し付けられた」という感覚を持ちやすい。
失敗しても解雇できない
日本の法律上解雇することができないため、その人を使っていくしかない。つまり失敗したらその失敗は永続し、取り返しのつかない失敗である。
他のエンジニアが辞める
早々に見切ったエンジニア・未経験エンジニアに疲弊したエンジニアから辞めていく。「未経験エンジニアが入れるレベルの会社」になってしまっているので、そもそも全体のレベルが落ちているという証明にもなっている。
「未経験を採用する」という行為は、それだけ既存の人員を舐めてると言ってもいいと思う。「誰にでもできるかんたんな仕事です!」と。
未経験エンジニアの人も仕事中に時間を費やして成果を出そうとしているが、成果がほとんど出ない。そして遅い。しょうがない部分もある。ただ、時間を使っているので「仕事をやっている」というふうに考えられてしまう。時間を使えば体力も使うから、疲れもするし、それは当然だと思う。
ただ、後始末されていることが理解できない。後始末されているということを言ってもわからない。「そんなことはない」「自分は仕事をしている」と思っている。仕事ができていないことがわかっていない。認めることは自己肯定感を破壊することに繋がるからだろう。「100営業日かけたのに生産は5」という事実を認識してもらえない。自分を過大評価しがち、人を過小評価しがちである。
彼らも別に努力していないわけではないので、「もっとやれ」と言ってもしょうがないし、結局そのやり方もわからない。「努力していないわけではない」というのも肝だ。頑張っているのはわかる。
書類上は、人員 +1 ということになっているため、生産性向上が求められる。たとえば3人チームに人員として投入された場合、単純に133%の生産性が期待される。これが正常な人間の感覚なのだからしょうがない。そのため、未経験だからとざっくり差し引いても、人員を追加したらまさかチームが70%の生産性になるとは思われない。3+1は2になる。
もちろんいいこともある
一応、ダメなことばかりじゃなかった。たとえば未経験エンジニアは会社の下限という明確なバロメーターなので、社内に「この人よりも生産性が低くなるのはまずい」という圧倒的な焦燥感をもたらすことができた。
逆に言えば、その未経験エンジニアの人さえ能力向上すれば、他のエンジニアは自動的に能力向上していく。自分の存在価値・生きている意味・今までやってきたこと・これまでの努力が懸かっているからだ。
ある意味、超優秀な未経験エンジニアを採用することはそれだけで引き締めになるとは思う。
なぜ採用したのか?
根本的には未経験エンジニアを採用することに決めた自分の無能さに原因がある
採用のときにそれを見抜けなかった自分が100%悪い。そのため、基本的には自分の能力不足が招いたことだと思っている。
もともと未経験エンジニアをとるつもりはなかった。でも、本当に全くエンジニアが採用できないということで優秀そうな未経験エンジニアを採用することになった。
これが浅はかな考えというか、未経験エンジニアというのは2〜3年目レベルのエンジニアとは違う。この差を軽く見ていた。「すぐに稼働できるようになるだろう」と、自分や自分の周りのエンジニアの能力を侮っていた。ある程度できるようになると、距離感がおかしくなってくるのかもしれない。実際には大きな隔たりがある。
これが分かってるのは有能。
ポンコツの非エンジニア(肩書はエンジニア)は全員が生産性が0.5倍であるべきと思っていて、それが仕事だと思っている
採用が困難な時期に妥協して未経験エンジニアを採用したけど、それが失敗だった。なぜ失敗なのかを話していきたい。
ただし未経験エンジニアといってもいろいろあって、子どものころからずっと学習してきたような人はただ実務が未経験なだけというように考えている。こういう人はあまり未経験と考えない。
自分への戒めもこめて。
失敗点
リターンがほぼ回収できない
エンジニアの生産性の違いが10倍、100倍になることは別におかしいことではない。
そのため、未経験エンジニアに費やした時間がリターンを産むまでにとてつもない時間がかかる。
たとえば、生産性100/営業日の人が10営業日かけて教えるのなら、教えられた人は、1000の生産をしなければ当然マイナスになる。これは泣こうが喚こうが世界の理なのでここは変えられない。
1000の生産は、生産性1/営業日であれば4年2ヶ月かかる。つまり生産性100倍の人を用いる場合は、教えられた人の基礎能力を4倍にしてようやく1年でペイ、半年でペイさせるためには8倍の能力向上が必要になるといえる。20営業日かけた場合は必要な生産性がさらに倍になる(1年でペイさせるには8倍の能力向上が必要)。1年の営業日を240日としている。
つまり能力1の未経験状態から1年で4倍の能力向上(当社比)が見込めない未経験エンジニアはだいたいその会社には不要ということになる。
それから未経験エンジニア以外も成長はするので、他のエンジニアの能力向上の速度がたとえば年間で2倍になるとするなら、10営業日を教育に使うと考えるとそうしたエンジニアが102%になる成長機会を奪ったことになり、これは機会損失という【(2^(1/(20*12)))^10】。これによりもともと1年後に生産性200/営業日になるはずだったエンジニアの能力が194/営業日になることになる。この差は大きい。
すべてを教えなければいけない
彼らは基本的に「すべてを教えてもらおう」とする。これによって他の人が疲弊する。どのように考え、何をやり、どう仕事をすすめるか、その手がかりを何ももっていないため、何もかも教えなければならなくなる。
未経験といっても新卒とは違うが、新卒の何も経験のなくバックグラウンドのない人を育てるのとほとんど変わらない。一方で放置すればただお金が出ていくだけとなる。
実は、ふつうのエンジニアは一般的にはかなり勉強している方にあたる。土日にコードを書いたり技術書を読んだり、仕事終わりに技術書を読むとか、そういうことは上澄みのエンジニアじゃなくてもしているというのが当然なので、当然みんなしているものだと思っている。とても怠けている人でもやっているのでそういうもんだと思っている。それに未経験エンジニアの中にはあまり技術に興味がない人も多く、働き方や収入などの面に惹かれているように見える。
エンジニアはわざわざ自分の休みをつかって学習する行為をべつに地獄だとは思っていないし、身の回りの人はみんなやっているから「誰でもやっているふつうのこと」だと思っている。認識に大きなズレがある。
仮に土日や平日終わりに勉強することも仕事だと考えると、エンジニアの給料は割に合わなくてかなり低い。地獄になると思う。
チームの空気が悪くなる
チームの他のメンバーはすでに状況を理解している中で、その人のためだけに説明しなければいけない事態が頻発する。これがコストになり、説明する人が「押し付けられた」という感覚を持ちやすい。
失敗しても解雇できない
日本の法律上解雇することができないため、その人を使っていくしかない。つまり失敗したらその失敗は永続し、取り返しのつかない失敗である。
他のエンジニアが辞める
早々に見切ったエンジニア・未経験エンジニアに疲弊したエンジニアから辞めていく。「未経験エンジニアが入れるレベルの会社」になってしまっているので、そもそも全体のレベルが落ちているという証明にもなっている。
「未経験を採用する」という行為は、それだけ既存の人員を舐めてると言ってもいいと思う。「誰にでもできるかんたんな仕事です!」と。
未経験エンジニアの人も仕事中に時間を費やして成果を出そうとしているが、成果がほとんど出ない。そして遅い。しょうがない部分もある。ただ、時間を使っているので「仕事をやっている」というふうに考えられてしまう。時間を使えば体力も使うから、疲れもするし、それは当然だと思う。
ただ、後始末されていることが理解できない。後始末されているということを言ってもわからない。「そんなことはない」「自分は仕事をしている」と思っている。仕事ができていないことがわかっていない。認めることは自己肯定感を破壊することに繋がるからだろう。「100営業日かけたのに生産は5」という事実を認識してもらえない。自分を過大評価しがち、人を過小評価しがちである。
彼らも別に努力していないわけではないので、「もっとやれ」と言ってもしょうがないし、結局そのやり方もわからない。「努力していないわけではない」というのも肝だ。頑張っているのはわかる。
書類上は、人員 +1 ということになっているため、生産性向上が求められる。たとえば3人チームに人員として投入された場合、単純に133%の生産性が期待される。これが正常な人間の感覚なのだからしょうがない。そのため、未経験だからとざっくり差し引いても、人員を追加したらまさかチームが70%の生産性になるとは思われない。3+1は2になる。
もちろんいいこともある
一応、ダメなことばかりじゃなかった。たとえば未経験エンジニアは会社の下限という明確なバロメーターなので、社内に「この人よりも生産性が低くなるのはまずい」という圧倒的な焦燥感をもたらすことができた。
逆に言えば、その未経験エンジニアの人さえ能力向上すれば、他のエンジニアは自動的に能力向上していく。自分の存在価値・生きている意味・今までやってきたこと・これまでの努力が懸かっているからだ。
ある意味、超優秀な未経験エンジニアを採用することはそれだけで引き締めになるとは思う。
なぜ採用したのか?
根本的には未経験エンジニアを採用することに決めた自分の無能さに原因がある
採用のときにそれを見抜けなかった自分が100%悪い。そのため、基本的には自分の能力不足が招いたことだと思っている。
もともと未経験エンジニアをとるつもりはなかった。でも、本当に全くエンジニアが採用できないということで優秀そうな未経験エンジニアを採用することになった。
これが浅はかな考えというか、未経験エンジニアというのは2〜3年目レベルのエンジニアとは違う。この差を軽く見ていた。「すぐに稼働できるようになるだろう」と、自分や自分の周りのエンジニアの能力を侮っていた。ある程度できるようになると、距離感がおかしくなってくるのかもしれない。実際には大きな隔たりがある。
わかる。
大卒や修士卒で就職してった同期は、冬にボーナス6ヶ月分もらったり、海外旅行いったり、結婚してマイホーム建てたり、なんか人生謳歌してる。
もうSNSなんて見たくないし、友達からのたまの連絡とかもとりたくないし、返事したくない。もうひとりにしてくれ、集中させてくれって気持ちになる。
D1はやる気に満ち溢れてるけど、D2以降は、自分の知的好奇心のみがモチベーション。D3は、論文の筆がめちゃくちゃ重くて、心が止めてくるんだよ。
博士後期課程って、まじで頭おかしくなる修行。辛いけど、博士取らないとこれまでやってきたことが無意味になるんじゃないかって焦燥感でどうにかなりそうになる。
誰もいない深夜、無理やりカフェインとタバコで頭クラクラさせて、気持ちが乗らない自分自身を騙して、論文書いてた。
たまに、そんな研究生活を平然としてやってのけるヤツもいるけど、正直、精神構造は異形だと思う。超絶クレバーか、超絶鈍感のどちらかしかいないと思う。
博士課程、やめていいんだぞ。本当に辞めていいんだよ、まじで。
正直、30歳でも雇ってくれるところはある。
学歴だとか研究分野とか関係なく、試しに"研究以外の"やりたい仕事だとか、なりたい職業を考えてみてよ。
幼稚園とか小学生の夢みたいな感じでいい。研究に打ち込もうとしたときとおんなじくらい、ワクワクするものあるよ、ぜったい。
そして、たぶん、めちゃくちゃ気持ち楽になるよ。
俺は当時流行ってた映画の主人公がかっこよくて、それと同じ業種・職業で就職した。そんなもんだよ。
---
穏やかな気持ちがほとんどだが、焦りというか、こんなことをしている場合なのかと不安になる。
いつも焦燥感に駆られている自分がいて、その自分をある意味で受け止められているということもいえるが、一方で、一社会人として、差をつけられているような気がする。アウトローな生き方だと思っていたけど、実は競争が好きなのかもしれない。
◯◯だが、一方で、という考えはまだある。
社会人として東京で揉まれることが人としての研鑽に繋がるとも思うし、でも、揉まれる中で大事な何かを失ってしまっている人もいると思う。親への感謝とか、人への優しさとか。
その間をうまくバランスを取ろうとして、結果不器用さが露呈しているのかもしれない。
自分の弱さを見つめ始めた2022年。その結果生まれた甘え。昔から甘えの要素は大きかった。
もしこうやって穏やかに過ごせる環境でなければ、真っ当に働いていたのかもしれない。
モテたいとも最近は思わなくなった。彼女ができて安定したのだろう。だから、金がかからない。
すごいなと思う人は学生の頃も社会人の頃もよく会う。昔は逐一刺激を受けて、または比較して自分を卑下していた。最近は、そういう人もいるな、としか思わない。
これが成長なのか。大人になるってことなのか。それとも、老いてしまったのか。
やりたいことがなくなったわけじゃない。現に、事業を起こそうとしている。でも、その割には暇だ。退屈。
業務委託もちょこちょことやっている。先月全部切ろうかと思ったけど、今月は業務委託に救われているようにも思う。
バランスを取るのって難しいな。そうやって人間が揉まれていくのかもしれないし、20代はバランスなんか考えずに偏ってしまった方が厚みが出るのかもしれない。
丸くなるな、星になれというキャッチコピーがあるが、あれが刺さる年代になった。
いまならまだまだ取り返せるとは思うけど、そうしたいかどうかはわからない。一種の精神病なのかも。
必要に駆られて動けるタイプと昔褒められたことがあった。それはつまり、必要でないと動けないということ。ドーパミンで生きてきた人間だから、ドーパミンを出すことでしか自分を動かせない。そうじゃない人もいるのかもしれない。もしかすると、ドーパミンを出さず別のところに源泉となるエンジンが付いている人こそが成功者として誉められる。
この感情・状態に模範解答はあるのだろうか。自分の心に向き合うというのが答えなんだろうが、その結果、あまり働かなくなった。
その人生は物寂しいと思うなどしている。
穏やかな気持ちがほとんどだが、焦りというか、こんなことをしている場合なのかと不安になる。
いつも焦燥感に駆られている自分がいて、その自分をある意味で受け止められているということもいえるが、一方で、一社会人として、差をつけられているような気がする。アウトローな生き方だと思っていたけど、実は競争が好きなのかもしれない。
◯◯だが、一方で、という考えはまだある。
社会人として東京で揉まれることが人としての研鑽に繋がるとも思うし、でも、揉まれる中で大事な何かを失ってしまっている人もいると思う。親への感謝とか、人への優しさとか。
その間をうまくバランスを取ろうとして、結果不器用さが露呈しているのかもしれない。
自分の弱さを見つめ始めた2022年。その結果生まれた甘え。昔から甘えの要素は大きかった。
もしこうやって穏やかに過ごせる環境でなければ、真っ当に働いていたのかもしれない。
モテたいとも最近は思わなくなった。彼女ができて安定したのだろう。だから、金がかからない。
すごいなと思う人は学生の頃も社会人の頃もよく会う。昔は逐一刺激を受けて、または比較して自分を卑下していた。最近は、そういう人もいるな、としか思わない。
これが成長なのか。大人になるってことなのか。それとも、老いてしまったのか。
やりたいことがなくなったわけじゃない。現に、事業を起こそうとしている。でも、その割には暇だ。退屈。
業務委託もちょこちょことやっている。先月全部切ろうかと思ったけど、今月は業務委託に救われているようにも思う。
バランスを取るのって難しいな。そうやって人間が揉まれていくのかもしれないし、20代はバランスなんか考えずに偏ってしまった方が厚みが出るのかもしれない。
丸くなるな、星になれというキャッチコピーがあるが、あれが刺さる年代になった。
いまならまだまだ取り返せるとは思うけど、そうしたいかどうかはわからない。一種の精神病なのかも。
必要に駆られて動けるタイプと昔褒められたことがあった。それはつまり、必要でないと動けないということ。ドーパミンで生きてきた人間だから、ドーパミンを出すことでしか自分を動かせない。そうじゃない人もいるのかもしれない。もしかすると、ドーパミンを出さず別のところに源泉となるエンジンが付いている人こそが成功者として誉められる。
この感情・状態に模範解答はあるのだろうか。自分の心に向き合うというのが答えなんだろうが、その結果、あまり働かなくなった。
その人生は物寂しいと思うなどしている。
大学入学してからしばらく経った時期、いろいろあってADHDが発覚しました。医療を頼ったけど特に改善はせず、ズルズル留年を続けた結果、ようやく今年度卒業予定の運びとなったんです。
卒業予定の年度ってことは就活するじゃないですか。(インターン? そんなものもあったね……)
就活早期化の流れの中で、遅まきながらも2月ごろから筆記対策やES作成に取り組み
今に至ります。
あれーっ、おかしいな。なんで周囲(※同輩後輩は既卒なので就活生の知り合いは一人もいません。この場合の「周囲」は統計やTwitterの就活アカウントやバイト先で私なんかに「やっぱインターンって応募した方がいいですかね?」とアドバイスを求めてくるキラキラ20歳のことを指します)は時期に対して適切な状態に移行しているのに、私はいまだに一社たりともエントリーしてないんだろう。
焦燥感と絶望感とちょっとの開き直り(週末は東京遠征してライブ!)のが上手いこと噛み合った瞬間しか自分の人生と向き合えません。
今日は6月頭に説明会参加した企業のESを出そうと思ったけど一社は必要書類が足りず、もう一社は〆切を超過していたため諦めました。
あーあ、n年前はADHDの各種統計の外れ値になる人生を歩もうと意気込んでたのに、いつのまにか統計そのものの人生になっちゃいそう。
相談所関係よく見るけど、いずれにしたって出会うタイプが変わるだけで成婚率が上がるわけじゃないんだろなあって気持ち
マッチングで一回目のオフ会した日にありがとうございました、というコメントを送り、LINE登録してるなら何かしら送らないといけないのか!?という焦燥感に塗れたまま翌日翌々日とメッセージを細々と送ったけれど音沙汰なくなったのだが、たぶん恋愛経験ある人は「こいつダメだ」と思ったらすぐにバッサリ切れるのだろう
こういうのは回数じゃないと思うし、根本的に友達いない自分にゃ恋愛はまず無理だなと諦めた
相談所のほうがまずは対面でいけるのだろうけど、結局その後のやり取りはコミュニケーションだし、人付き合いのスキルが不可欠なのは間違いない
というわけで、疑心暗鬼になって人の気持ちを勘ぐるより、1人で過ごす時間を満たす方法を探す方が建設的であろうと、ぼっちの道を選択した
これさあ、
赤ん坊を連れて来られる場にいる方が正社員ならば単にウザいだけで済むけれど
産休代理の非正規からしてみれば、それだけでは済まない焦燥感と屈辱感を覚えてマジで辛いんだよ
Twitterで「お披露目と称して産まれた子を職場に連れてきて社員の皆様ワイワイしてるのを横目に
『あの人が戻れば契約終わり』って思ってる産休育休代替の気持ち、考えたこともないよね…」というツイートを見て
特に今現在四十代の氷河期世代の女性には結婚したくても出来なかった人や出来ても子供は諦めた人が大勢いるんだから
二十代三十代の若い子持ちへの充実した『子育て支援』を尻目に自分達はまもなく首を切られる非正規として働かされるのは辛いんだよ
20代も後半だがもう生きることを諦めてしまったので、終活して人生を終わらせようと計画している。
生きているという状態がとにかくもう辛いので死んではやくこの状態から抜け出したい。
## 何故生きることを諦めたのか
### 障害
同じような障害を抱えていてもそれでも何らかの理由で生きている人もいると思うが、自分はもう生きることについてモチベーションを失っている。
### 嫌いなものが多い
これらはこの世界で生きていく上では避けて通れないものだと思っていて、これらなしで生きていくためにはそれこそ人間をやめて李徴よろしく動物のようになり自我を捨てて野生で生きるとかしか方法はないように思う。自分はそこまでして生きたい意思はない。自我というものをなくしたい。
障害がありあらゆる方面への興味を喪失していても、パートナーや子供がいる場合は扶養義務があったりなどで生きざるを得ない場合もあると思うが、自分の場合はそういう存在もいない。
今後そういった存在ができる可能性はゼロとは言い切れないが、ここ数年ずっと他人への関心が持てないので、この先もずっとこの人と一緒に生きていきたいと思えるほど関心が持てる人に出会う可能性はかなり低いと考えている。
幸いにも仕事に就いていて自立はしている。しかもここ数年は仕事について何のストレスもなく、趣味を仕事にできているため仕事しているとき楽しく感じることが多い。
しかし自分にとって所詮労働はおまんま食うためのものでしかなく、そこに対して向上心や生きがいは見いだすことができない。
典型的鬱症状ではあるが、もう「生きていたいと思えるほど興味がある何か」が全くない。し、今後それができるとも想像できない。
もちろん美味しいものを食べたり友人と遊んだり趣味の活動や仕事はその時一時的には楽しいことに感じるが、それらがあるからこの先もずっと生きていこう、とはならないくらいに興味がなく受動的になっている。
今は生きているから受動的にこれらをやっているが(やってる間はもちろん楽しいと思える)、全てにおいて「生きていたいと思えるほど興味がある何か」に思えない。
こちらももちろん今後そういった存在ができる可能性はゼロとは言い切れないが、もう諦めている。
---
ということで、総合して自分にとって生きることは苦痛のほうが圧倒的に多く、かつ、今後も生きていかなければいけない責任もないものと考えている。
## よくある Q&A
現状楽に暮らしていけるだけのお金は仕事で稼いでいて金銭面での困りごとは特にない。資産をあまり貯めてもいないが貧困にあえいでもいない。
5億円もらったとしたら終活と火葬に必要十分なお金が貯まるのでもっと早く死ねるので大変うれしい。5億円ほしい。
### 周りの人が悲しむ
それはそうだが、自分とともに人生を歩む人(パートナーや子供)はおらず、親のことも嫌っているため自分にとってそれらはストッパーにはなり得ない。
友人に対してはごめんね、あまり迷惑をかけないように辛い気持ちは最小限になるように努力するから、とは考えている。
現在は入院はしていないが、治療は長年ずっと受けていて改善もしていない。
10代後半〜20代前半は改善することについて希望を持って努力もしていたが、今は諦めていて希望も持っていないので特に努力もしていない。
### 自殺に救いがあるとは限らない
それはそうだが、現在がもうすでに地獄なので死んだ後にどうなろうがかまわない。もう自分に残されている能動的にとれるアクションが自殺しかなさそうと考えている。
なので死んだ後に今よりもさらに辛いことになったらそのときはそのとき考えようと思う。
個人的には、死後は意識の消失で夢をみない眠りの状態が永遠に続くものと考えており、その状態が望ましいと希望を抱いている。
今まで何回か自殺未遂を経験していて、その経験を元にして確実に逝く方法と苦しみを和らげる方法を考えている。
具体的には書けないが、ある状態で首を吊ろうと思っている。場所は迷惑が最小限になるような場所を選んでいる。
### いつ決行するの
さすがに今日すぐ自殺するのは会社や友人にかけてしまう迷惑が大きいので、終活と火葬に必要十分な貯金を貯めた後、身辺整理して逝こうと考えている。
それがすべて完了するのがだいたい来年の4月くらいになりそう。
## おわりに
自分みたいな人間にとって、死は苦しみではなく救済であると本気で思っている。もちろん自分に前述したような生きることに対するデメリットさえなければ自分はそのまま受動的に生きていたようにも思うが、現状深刻なデメリットで苦しんでいる以上死ぬこと以外の現実的な選択肢は残っていない。
>> やる気はあるけどやる事がないのが暇で、Youtube見たりゲームしたりやる事はあるけどやる気が起きないのは鬱では <<
鬱ではないです。切羽詰まってた時期はそういった気分の時もありましたが、自分は暇なんだということを自覚してからは心身ともに多分普通です。
>> 増田が暇に飽かして悪事に走らない善良な人でよかった。有り余った時間を全力で使って他人にストーキングとか嫌がらせをする人が世の中にはいるので。加害者に時間がありすぎるので被害者は防御がしづらく厄介なんよ <<
>> いやいやいやいや、それは超もったいないよ! 40代50代になった時に「あの頃の時間を今使えたらいいのに…………」って無駄に後悔することになるよ。将来の自分が昔やりたかったはずのことを今やっておかないと。 <<
的を得ているようで得ていない。
>> うちに来て4歳男児と一緒に遊んでくれないかい?美味しい温かいご飯作ってあげるよ。 <<
>> 院羨ましい。19で生活費稼ぐために日雇肉体労働していた <<
こういう人もいることもわかっているのでちょっと申し訳ない気持ちにはなる。いや、あんまりならないかも。
>> 似た進路問題で一時的に暇になった事があったが焦燥感が強く”本当の暇"などという感覚はなかった。増田も多分似た心理状態にあるだけ。そこから"人間は自由に耐えられない"みたいな人生訓を引き出すのは間違い。 <<
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
やる気ある若者って大体就職してからこんなんじゃダメだ!って言って隣の芝が青く見えて転職して後悔するよね
何度も見てきた
大企業はでかい仕組みの中で歯車として機能することが求められるから、根回しが必要なスキルになる
しかも組織間のレベルでの根回し、交渉力で、他所で通用するか怪しかったりする
お陰で低レイヤーのスキルが得られた感じがしなくて焦燥感を覚える
コスパ良いなはずなんだけど、これで一生やっていけるのかと不安になるし、無理やり上を目指そうとすることも中々できない、あくまでチーム戦だから
簡単に死ぬけど、一人一人がワークしないと死ぬ状況だから自ずとスキルが身につく
ただそれは教科書的なスキルというより野生的なスキルだしダメなやつは死ぬ
新人を育成するような余裕はゼロだから自力でなんとかできる人しかいない
これが案外楽しいんだけど、会社レベルで見ると勝ちパターンが未完成であるため激務だし給料が安い、生産性が低い
チームがクソな場合は簡単に地獄になる、労基はベンチャー見逃すし
あと基本儲からない、経営者すら儲かってない、夢のためにやってる感じ
儲かってると思うならよく計算してみて、もちろん上場したら儲かるけどそんなの狭き門だよ
IT業界でイキリ散らかしてても実態は小規模なラーメン屋なんかと同じ(てかラーメン屋のほうが儲かってそう)
メガベンチャーはそういうサバイバルをしたくないけど大企業は嫌いみたいな中途半端な奴が多い
まあ良いとこどりしてるし賢いとは思う
年配が少なく年収がまだ硬直してないから若手にもチャンスがある
ただ意外と仕事内容は金儲け主義的なものが多い、やりがいがあるものに限って儲からないため安い(ここ10年で幻想は消えた)
結果みんなやる気を失っていき、外に出るか大企業的になっていくか、普通の中小になるかだと思う
いいとこ取りに見えてぶっちゃけ悪いとこ取り、大企業の下位互換
ただ、スキルは身につけたいけど最初からサバイバルしたくない人には丁度いい環境かもしれない
下請けとか受託とかの環境は下のレイヤーを理解するのにはいい環境だ
中小でめちゃくちゃ頑張って大企業に就職すれば強力な人材になれるかもしれない
もちろん大企業が衰えた結果中小になったような古い会社はこれにあたらないから気をつけよう
成功するやつは周りから何言われようがやるからそういう奴に任せておくほうが良い
キャリアパスとして組み込むべきではない
チャンスがあったらと準備しておくぶんには良いかもだけど
出ないことには悶々とするだろうし
せめて出戻れるようにできればいいんだけど、転職するときってその会社に絶望してるだろうしね
___
大中小なんて雑な分け方だよな
とりあえず隣の芝生が青く見えてないかよく考えて、よく調べてほしい
3年目くらいで焦るのは皆そうだから
起業・ベンチャーがまだ儲かると思ってるやつ多いの困ったもんだと思う
調達して上場やバイアウト狙うのはコスパ最悪だぞ、超優秀な奴が運を味方にできてようやくっていう確率
番組は「KAZU1」が知床で運航を始めた当初から船を知る元船長に話を聞くことができました。
すると当時、船体に“ある改造”を行っていたことが分かりました
▽「エンジン取っ払って2基→1基に」
これまでで最大規模の集中捜査が始まった、きょう29日。
新たな手掛かりが見つからないまま捜索を終え、先ほど、対策本部が会見しました。
(国交省 木村次郎大臣政務官)「4月28日以来、行方不明者が発見されていない。ご家族の一部の方からは焦燥感、焦ったような思いの中で、そういったお話ぶりがありました」
沈没の原因究明が急がれる中、番組はKAZU1の船体について詳しい人物に接触。その構造について意外な証言を得ることができました。
(元船長 Aさん)「2005年の時に知床の観光シーズンが終わってそれから岡山に取りに行ったの、あの船を…北海道まで持って来たんだ」
Q.KAZU1を?
「うん。そう。太平洋をずーっと。」
以前、知床遊覧船で船長兼、船のメカニックとして働いたというAさん。
17年前の2005年秋、前社長の指示で岡山県からKAZU1となる中古の船を約500万円で購入。北海道まで3カ月かけ運んだ人物です。実は北海道に運んだ後でKAZU1はある改造が成されたといいます。
「エンジン2基掛けだった最初はね。(エンジン)2台で2つのスクリューシャフトで、エンジンを取っ払って1台のエンジンにしたの。2台積むというのは1つのエンジンがトラブル起きても片方が生きているから何とかなるんだけどさ…」
Aさんによるとスクリューやシャフトの故障により2基あったエンジンを取り外し、別の船のエンジン1基を流用したといいます
▽「構造が悪い」KAZU1船底の“空洞”
さらに、AさんはKAZU1の船体構造に、ある違和感があったといいます。
(元船長Aさん)「これ(KAZU1)乗っている時に俺メカニックもやるから、その時船底に潜った印象としては、スペースって80cm角ぐらいの通り道があった。要するに人間が入っていけるように、船底に。」
Q.つまり船底の中が空洞ということ?
「空洞、漁船の場合は仕切りがあるから、だから1つ穴空いたって全部には(水は)行かないから」
通常の漁船などは船底部分は仕切りとなる隔壁があり仮に水が入っても他のスペースには浸水しないよう対策が取られているといいます。しかしAさんによるとKAZU1の船底は改口(あらためぐち)と言われる穴がほとんどの隔壁に開いていたといいます。
エンジンルームの隔壁にも中央部分に80cm角ほどの穴が設置されていたといいます。
「普通はエンジンルームって隔離している。水が入らないように。先端の方で穴開いてバーッと水が入って機関部までダーッといっちゃうからエンジン止まっちゃうでしょ。だから構造が悪いんだ…これ危ないから塞いだほうがいいと言ったんだけどね。」
おととしまでKAZU1の船長をしていた元従業員への取材でも少なくとも3年前まではエンジンルームの穴は開いたままだったといいます。
(横浜国立大学 村井基彦教授)「隔壁があっても、一番下が抜けていたら何も関係ないですね。一番下に(穴が)あったら最初から水が(全体に)すーっといっちゃうので、こういう事が起きた時のリスクは高くなっていた。」
さらに村井教授は、かつて撮られたKAZU1の写真に着目しました。
「まず水を一番被るところなので、嫌なところに(傷が)ついてるなと。」
去年5月、KAZU1が漂流物と衝突事故を起こした後の写真―。
指をさす船首部分には、衝突の跡でしょうか、大きな傷のようなものが見られます。事故当日まで豊田船長と連絡をとっていた、知床遊覧船の元従業員は、こう証言します。
(「知床遊覧船」の元従業員)「船首に傷があったということは存じ上げているんですけども、その部分に関して一番不安があったので、それを豊田船長に『そこはちゃんと直したんですか?』って聞いたんですけど、豊田船長は『いや直してないよ』と。『じゃあなんで(KAZU1を海に)おろしたの?』って(聞いたら)『社長がおろせって言ったからしょうがない』っていう形」
事故の2カ月前に撮られた写真を見ると、やはり、同じ位置に傷が確認できます。傷は、航行の時に海水に浸かり易い位置でした。
(横浜国立大学 村井基彦教授)「(KAZU1は)小型の高速船ということで、波を切り裂くように進んで行くんですね。衝撃的な力がこの上にかかる。水中にある傷っていうのは、かなり致命傷になることは当然、想像つく。」
こうしたKAZU1の傷や構造と、沈没の関連性は、未だ分かっていません。知床の海を知る地元漁師は船底などの強化は重要だといいます。
Q.船の前方は強化している?
(第三幸洋丸 石渡淑朗船長)「FRPの他に鉄で囲ってますね」
Q.船を造った時に?
「そうです」
(第三幸洋丸 石渡淑朗船長)「船が波に持ち上げられて船底が叩き付けられるから、船の上にあがっているもの自体の重さ、それを加味して船底を厚くしないとプラスチック船の場合は波で破壊される。瀬戸内海で走っていた船が外海に来てどれだけ外海仕様にしていたのか、それが一番問題だと思う」
なるほど。
これを指示したのは元社長だから、元社長もかなりヤバいことがわかった。
やはりプロの船員を切って放置経営したところが焦点になりそう。
あとここの部分か。
船長は『いや直してないよ』と。『じゃあなんで(KAZU1を海に)おろしたの?』って(聞いたら)『社長がおろせって言ったからしょうがない』っていう形」
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。