夕方、散歩中に唐突に感じたことがあるので聞いてほしい。
そのときイヤホンはつけず、頭の中でアニソンをループさせていた。
すると歌詞だけ追っているのに何も考えていない自分を発見した。
何か考えようとしたけど脳内アニソンが気持ちよすぎてやめられなくて、今度はJ-POP。
ズンチャカズンチャカ。それだけ耳に残って結局何も考えずに帰宅してしまった。
それで思いついたわけ。
音楽と言うのは非日常を体験させて、人として「枯れ」させないようにする祭りに必要なんだと。
何も考えてはいけない儀式だからこそ、音楽やかけ声、リズムが必要なのだと。
それは宗教も同じ。信仰を唱え続ければ考えなくていいのと一緒。
一種、歌詞を過信する人も危ない。なぜならそれは自分で考えた答えではないから。
でも上に挙げた行為を否定しない。人には必要なことだと思う。
だけど、どうだ。一番考えていないのは誰だ。
家庭を見てみろ。リビングでは何かしらの雑音が響いているじゃないか。
笑い声、罵倒する声、無意味な効果音、うるさいだけのリズム音。。。
テレビばかりみると馬鹿になるというのは、テレビが何も考えさせないからではないか。
本ばかり読む人が本を読むだけで満足していると自分の発想力が育たないように、
テレビの音声だけをたよりに映像を見ている人は、たとえ静かな部類に入るNHKやBS放送でさえも、
考えろ。もっと考えろ。
日常のくだらないことでもいい。
なぜ友人が休んだのか、なぜ電車のサラリーマンは身のかわしがうまいのか、
なぜワイドショーはこんなにも感情を揺さぶるのか、
なぜ汚職は絶えないのか。
人間には考える時間があるはずだ。絶対に。
って言いたくなりました。自分に。
俺は脳内カラオケって呼んでる
歌詞だけ追っている自分を発見したっていう考えを考えてるだろアホ
人力で船を漕いでいた時代があってね そういう事してたよ
あんまり「意味」について思いつめすぎるとメンタル病むから気を付けてね、ほどほどに
何もしてない事に焦燥感を覚えてるだけだと思うけどね 仕事の事とか考えてみたら?月曜日からこうしようとか。