はてなキーワード: 数すとは
メジャーなカップリングで本をだしたこともあるが、今はマイナーカプで細々と活動をしているけれど、SNSでの疲れも感じていないし同人を趣味として快適に楽しんでいるほうだと思う。
数年前に友人(以下A子とする)から「私も同人誌を作ってみたい」と相談を受けた。
今まで海鮮で「作るの楽しそうだなぁと思うけど、私には作れないよ」と言っていたA子が、別ジャンルではあったけれど「同人誌を作ってみたい」と思うような出会いがあったことがとても嬉しくて、あれやこれやとできる範囲で相談にのった。
もともとA子が文章を書いているのは知っていたけれど、旬ジャンルで人気があったこと、またカップリングが人気であったこともあるのだろう。支部でA子の書いた小説がランキングに入った。「A子さんの書くお話がとても好きですって言ってもらえたんだ」と話すA子はとても嬉しそうだったし、創作意欲にも溢れていた。たった数人の感想が「同人誌作ってみようかな」と思ったきっかけの一つだったらしい。
ちょうどよく初のオンリーが開催されることも決まり、A子にサークルカット描き方、申し込み方。拙い知識ながらにフリーソフトならこれがいいとか色々教えつつ、無事サークル参加を申し込んだA子は数ヵ月後イベントで文庫サイズの同人誌を出した。
もともと30部ほどの小部数ではあったけれど、ありがたいことに完売したらしい。イベント後「色々ありがとう!イベントすごく楽しかった!!」と報告してくれたA子は本当に楽しそうだった。
私自身に友達が少ないこともあり、『A子が同人誌を作る側に回になるなら、印刷所や紙の話が一緒にできる』と現金な考えた方ではあったが、以降も私はA子の相談にのりつづけた。
さすが旬ジャンル、人気カップリング。イベントの回数がとても多い。A子はそれからイベントへ何度か申し込み、私が1からすべてを教えなくても一人で、もしくはジャンルの友人たちと楽しくやっているようだった。
そんなA子がある日「相談があるんだけど」と持ちかけてきた。内容を聞けば「同人誌の価格設定について」だった。
詳しく話を聞けばこうだ。
・A5サイズなら二段組にして文字数ももっと入ってる。その分同じ内容であったってページ数を抑えられて安く頒布できるだろう
私自身が漫画というフィールドにいるせいで文庫や新書の段組、文字数に関してはまったく知識が無かった。
ただ30部を刷ったA子に最初に価格の相談をされたときに「そこそこ冊数すれるなら3分の2を売れば印刷費回収ぐらいで設定してる人も多い」「(印刷費を値段を教えてもらった上で)ただ今回は30部だから、印刷費割る冊数でいいんじゃないか」「黒字がでるのであればスペース代、交通費ぐらい回収もありだろう」とこのようなことを伝えていた。
(個人的な意見としては趣味として長く続けていく気があるなら「印刷費の回収」「スペース代」「交通費」の回収は許されると思っているし、A子のような小部数でも「全部売れて印刷費回収」ぐらいの値段設定は許されると思っている。それがどんなに一冊単価が上がろうともだ。)
A子の相談を聞いて私は言った。
「同人誌は買う、買わないの自由がある」「どんなに安くてもくそみたいな内容ならいらんだろう」「そんな安く頒布しろっていうお客様の意見は気にするな」「A子が文庫サイズが好きだと思ったならそれでいいと思う」「同人は趣味で好きだからやるもんだ」と。
A子が私の意見に対して本当にどう思っていたのかは不明だが、それでも「そうだよね、気にしすぎちゃいけないよね」と次のイベントも文庫サイズで本をだした。値段も「印刷費割る冊数」だったらしい。
会って話せばカップリングについては熱く語っていたし、支部にも投稿している。SNSも楽しんでいるようだったし、私生活が忙しいという話も無かったので思い切ってこちらから話を聞いてみた。
A子は沈んだ顔でぽつりと「なんか、価格設定に疲れちゃった」と呟いた。
A子のいるジャンルは人気ジャンルだが、カップリングは新しいキャラのものだった。A子が最初に参加したイベントは、上記にも書いたとおり、初のオンリーイベント。その次に参加したのは初のカップリングオンリー。次は最初のオンリーの2、その次はカップリングオンリーの2。そういうジャンルでカップリングだった。
その界隈での価格相場がまだ決まっていない空気は、サークル初心者ながらに感じていたそうだ。
小説本で文庫や新書でだすサークルも結構いたそうだが、みんな手探りで価格を決めているところはあったらしい。
A子が仲良くなったサークルに、小説サークルで中堅。イベントでは結構な列を作る人(以下Bさんとする)がいたそうだ。
小説サークルだからこそ、そして新しいカップリングで界隈が確立していないからこそ、その人は壁でも誕生日席でもないだけで、確立されてしまえばそのレベルだろうと、支部のブックマークや作品の質を見て私も感じた。
その人の本が新書サイズ250P越え、オフセット、フルカラーカバー付き、箔押し、で800円だった。
これが安いと思うのか高いと思うのかは個人の判断によるだろうけれど、私は「それを大手がやったら死ぬな」とぼんやり思った。
A子が何度目かのイベントで130P、オンデマ、カバー付きで本を出したとき一冊が850円だったからだ。
これも実は原価割れしている値段だったらしい。
Bさんのイベント頒布価格は界隈で相当な悲鳴が上がったらしい。
それはそうだろう。Bさんの装丁とボリュームをそんな価格で頒布されれば「その部数を刷れない側はしんどい」だろう、と本を作る側として思う。
イベント以降A子の周りで「Bさんのあれはつらい」「Bさんの安すぎる」「Bさんきっついわ」と声があがってしまったのをA子は聞いてしまったらしい。
Bさんと仲のよかったA子は悩んだ末にBさんにやんわりと伝えた。「Bさんー!あの価格安すぎるよー!他のサークルからも悲鳴あがってたよー!次からもうちょっと取ってもいいんじゃないかな!」的なことをだ。
相場が決まっていないのだから相場のために「上乗せ」をするのがとても難しい状況だったとは思う。けれど、オールジャンルのイベントで同じカップリング、中堅小説サークルの本が新書サイズ(170P程だったらしい)を1500円で頒布していたサークルがあった。
(これが安い、とは決して思わない。このサークル主は素行が悪かったらしく界隈で嫌われてはいたそうだが、価格設定については本当に勇気がある設定だと思う。この価格にすれば書き手が死ぬことはないだろう。儲け主義、とたたかれる可能性があるなかで、このサークルさんはとても勇気ある値段設定にしていたと個人的には感じる)
A子からやんわりと言われたBさんは「あーやっぱそっかー!少し安いかなぁ!実は原価ぎりぎりなんだよねぇ。通販すると高くなっちゃうから申し訳なくて!次からはもう少し相場見てみるよー!」と言ってくれたそうだ。
けれど、Bさんがそれ以降のイベントで値段を上げることはなかったらしい。
それどころか中堅サークルたちがこぞってBさんの値段に合わせてきた。最初に1500円で頒布していたサークルもだ。
中堅サークルは顔の広いBさんに相談する→Bさんの価格設定が広まる→A子を含む小部数サークルは相場のために毎回原価割れ
という最悪の図式ができあがってしまったらしい。
さらにそこに海鮮が悪気無く追い討ちをかける。
A子がイベントで言われたそうだ。「Bさんのサークルはあのページ数であの値段なのに、どうして高いんですか?」と。
これについてはどうしてA子が聞かれたのか。名前も知らない海鮮に怒りが募るが、ただの不運でしかない。
ただA子はこれでぽっきりと心が折れたらしい。
A子がリアルタイムで悩んでいるときに相談されていたら「新書文庫サイズじゃなくてA5にしてみたら?」とも言えたけれど、A子はもうやめてしまったあとだ。
Bさんは、海鮮にとってとても良心的なサークルだろう。そしてBさん自身が海鮮のことを考えるとてもいい人なのだろう。
ボリュームがあって、装丁が綺麗で、値段が安い。それでもきっとノベルティが出せるほどの黒字がでる。
けれどA子や、A子の周りの小部数サークルたちは原価割れで相場価格で頒布していても、価格の高い、装丁が貧相なサークルなのだ。
この件で、いかに壁サークルが一冊に上乗せしていて、相場をよく見て値段設定をしているのか思い知った。
税金的な問題もあるだろう。ノベルティで対策をして、そのためにノベルティの作業時間も増える。それでも、相場を守るのは「小部数サークルを殺さないためだ」と思った。それが全てではないだろうが、それも含まれているだろう。
海鮮だったときは安く頒布してくれるサークルさんは本当にありがたかった。けれど、今自分が作る側になって。そしてA子を見て、Bさんを話を聞いて。なにより最悪の循環を見て思う。
安すぎる頒布価格はサークルを殺すのだ。Bさんの海鮮に対する優しさはA子を含む小部数サークルを殺してしまった。
「儲け主義」が正解だとは思わない。そして二次創作同人をするうえで儲けることに対しては賛否があるだろう。
けれど、「価格を上乗せする勇気」はジャンルにとってとても大事なことだと思う。
そして人の作った同人誌に「儲け主義だ」と言うやつは滅びよ、と思う。
海鮮を優先するか、A子のような小部数の弱小サークルを優先するか、は人によって価値観が違うだろう。
Bさんにとって、A子やその他サークルの声よりも、ノベルティを製作する時間、何より海鮮から思われる自分の印象を優先したに過ぎない。
どちらが正解、などは無いと思う。個人の判断だ。
ただ私は、できるのであれば作り手を優先したい。だって自分のカップリングが増えたら嬉しいからだ。
そして次のイベントでA子が別ジャンルではあるがまた同人誌を作ったことが嬉しかったので書き込んでみた。
小学校低学年の頃、500円拾って親といっしょに交番に届けた。
俺は損得が絡むと記憶力すごいから、半年待てば自分のものになるとずっと覚えててばっちりもらってほくほくうれしかった。
近所の2年生だか3年生だかの子どもと遊んでたんだけど、そのときにチューイングキャンディーをあげるあげないの話が出た。
俺だけ1年生だったから1個しかもらえなくて、でも相手は来年2年生になったらもう1個くれると言ったので、それでその時は納得して、ずっと覚えてた。
当然もらえるはずもなく、でもずっとうじうじとおぼえてた。
ほんといじきたねえな俺。
月500円。
当たったブタメンのフタもらったりとかね。
夏に買った30円のポカリもどきのパピコでかいばんのジュースっぽいのおいしかったなあ。
あと意地汚いといえば、小さいピンクやら青やらのもちが15個くらい入ってるやつ。
あれがお得感あってたまに買ってた気がする。
カードが受け取れなくてやめるの多分5回目くらいだと思う。初心者だから初期カードでも合成で消費したくなくて、とりあえず一通り持ってると所持数すぐいっぱいになってしまう。拡張すればいいんだけどこの拡張に費やすコストは今後課金でしか手に入らないもので支払わないといけないのだろうかって思うと怖くて気軽に拡張できない。どうせ拡張してもほんの少し増えるだけだろうし……。カードの役割も使い方も分からないまま手放す選択を強いられて、そんなんだからガチャも回せないしクリア報酬も受け取れない。どうせまた受け取り期限過ぎて消失してがっかりするんだろうから、これ以上シナリオを進める気もなくなった。ゲームそのものは面白いしカードの絵やキャラクターも好きなんだけどー。好きなタイミングで好きなだけやれる方式じゃなくて時間回復なのもイライラするけどそれはまだ我慢できるからいい。テレビのCMみたいなモンだから我慢してたら回復するし。あーあのキャラいいなーって思ってもどうせ手に入んないならやっぱ楽しくない。ストレス商法はストレス与える段階で与える側が好かれてないと意味ないんじゃなかろうかと思う。まぁ別にどうでもいいけど。DSします。
では、無宗教なあなたにオススメしたいのだが、浮世絵をみたらどうだろう。
まず、復刻版を数枚買え。復刻版で十分だ。いや、むしろ復刻版のほうがいい。美術館にある江戸時代のものは色は褪せてるし紙は黄ばんでしまっているから。
なんという、なんという躍動感。
なんでも、例のあの富士山をバックに巨大な波の絵、神奈川沖浪裏ってんだけど、あの水しぶきは1/5000秒のシャッタースピードで撮った写真と酷似らしい。
そうだよな、たしかにHD画質をよいしょしてた頃の、スローで水泳を写したりする映像が流れまくってたけど、あんな感じだよな。
どんな絵より、躍動感があるんだよ。
ドガのエトワールなんかより、北斎漫画の雀おどりのほうが躍動してる!
あんな線描なのに!!陰影もつけてなければパースも狂ってるに!信じられない!
もう、描いて描いて描きまくって辿り着いた境地なんだろうな。
富嶽百景っていう絵本、本編よりあとがきが有名なんだけど、「110歳までの絵を上達してみせる」っていう人生設計を宣言してる凄まじさ。
実際、90歳まで長生きしてたのに、その臨終の際の言葉も、「あと10年、せめて5年、」っていうまだ描き足りないという未練を残してるそうな。
そういう人格面は話が逸れるからさておき、画家はここまで、こんなにまで時間を切り取れるのかと。
一瞬を永遠にすることができるのかと。
カメラというものを知ってる僕らには、驚きは薄いのかもしれない。
はっきり言って、当時の人たちからしたらとんでもないよ。
プロゴルファー猿でショットの時の効果音が「ギャンギャンギャン」だったり、ジョジョでキスの時の効果音が「ズキューン」だけど、北斎を見た時の効果音ときたら、そんな幹事だよ。
で、広重もすげぇ。
北斎より後の時代の人だけど、北斎が長生きで現役時代が異常に長かったから、活躍してる時期はけっこうかぶってるんだけどね、これまた凄い。
絵の中で時間が流れてるの。
数々の発明を残してるんだけど、一番わかりやすい例だと、雨を線で描くっていう発明かな。
雨が線だよ?当たり前のようだけど、逆だろ?
絵がその瞬間を時間を止めて描くものだったら、雨は空中に浮かぶ粒でしかない。それが線!
1/5000秒のシャッタースピードの逆、露光時間を長くしてる!
なんなの?北斎という天才の仕事を全否定して、新しいワザを繰り出す。
色彩といい、視覚効果といい、もう語り尽くせないほどの発明をしちゃってるわけ。
来る日も来る日も描いて描いて描いて描いて、それこそ花が咲く瞬間から虫、天候に至るまで、ただただ描く。
なんのために?芸術のために?いや違う、芸術とは、もっと個人主義的でワガママなものだ。
自らの心の内から溢れ出るものであり、自己表現であり、俺が一番と叫ぶものだ。
だって、浮世絵は絵師と彫師と摺師と、言うなら版元と共同作業なんだ!
絵師の下絵は、版木に貼り付けられ、その線をなぞり彫られてしまう。紙くずとなり、版木からでた木くずとともにこの世から消えてしまう!
そんな下賎な商業印刷が、芸術としても芸術の分野で第一線の作品の遥か上のレベルなのはなぜか?
いや、商業印刷だからこそ、私の表現のための絵ではなく、絵のために自らを捧げるという境地に辿り着いたがため、そうなったんじゃないかと思う。
浮世絵師は、いや、彫師は、摺師は、版元は、売れるだけ摺った!売った!
即ち、それが世界に美しいものを広めること、ひいては美しいものであふれた世界になることを知っているから!
海を超え、時代を超え、人々を感動させている。
宗教だ!
もう一度浮世絵を見てみよう。
描かれているのは、喜びや楽しみだけではない。憂いや悲しみも描かれている。しかし、見た人が自分なんか死んだほうがいいと思わせるものはあろうか?
ない。
武士、すなわち役人も、飛脚や輿を担ぐ労働者も、老人も子供も、体を金で売る遊女でさえも描く、根底にあるのは人間賛歌!
人間だけではない!虫けらや一本の雑草に至るまで、生きとし生ける物への賛歌!
帰依しよう。
現実と向き合う、という言葉に影響を受けて、少し現実と向き合ってみた。
自分の欲求について書きだしてみたのだけれど、もちろんそれは自分の欲求であることは確かなのだけれども、
なんだか、こう、みればみるほど、考えれば考えるほど、実現可能性があまりにも未知数すぎるので、
先が見えなさすぎてわけがわからなくなっているというのもあるのだけれど、なんだか、
自分の欲求と向き合ってみて、本当に嫌な気分になった。
嫌というのは、叶わなさそうで悲しい、辛いという気分を総称して、とのことなんだろうと思う。
だけど、それをみて本当に嫌な気分にもなった。
欲求と向き合うべきなんだろうと思うけれど、それはあくまで明日以降のことであって、
今の自分は、少なくとも楽しい気分でいたいのだ。嫌な気分や辛い気分ではいたくない。
そこで、自分なりに考えてみた。
多分、なるべく楽しい気分でいながら、現実と向き合っていければいいのだろうと思う。
それができればこんな苦しい思いもしないんだろうけど。
ここまで書いていてわかったけれど、自分は「現実と向き合う」という言葉と、あまりに
真面目に向き合いすぎていると思う。
別にこの言葉に「24時間現実と向き合い、現実的な解決策を探れ」とは書いていない。
だけど、僕は「現実と向き合え」という言葉を見るたびに、24時間現実と向き合ってしまう。
向き合うべきことが多すぎて、解決策が見つからなさすぎて、結局解決できず仕舞い。
そうして、余計に不安と不満を募らせる。自分の感情を引っ掻き回してばかり。
いい加減、そんな事やめるべきだと思う。
あまりに真面目に受け止めすぎていると思う。
いい加減こんな事やめたいよ。
当方転職活動中。主にベンチャー企業を中心に受けてる最中。ベンチャーと言ってもカカ◯コムクッ◯パッドとかD◯NAとかまあそれなりに有名なところを受けているんだけど書類選考にまずとおらないし通ったとしても面接で落ちまくってる。ベンチャーなんで有名大企業よりは倍率低いと思ったんだけどそうでもないんかなこれ。
このあたりのベンチャーって一ヶ月にどれくらい応募があるかダレか教えて欲しい。
あんまり倍率が高いようだったら受ける先変えようと思ってるので。
追記
色々意見もらえて嬉しい。てか100倍とか500倍ってまじか・・。社員数すくないし人事部そんなに書類みれんのかって疑問。
すでにいくつかつっこみ入ってるけど、それほんとに普通かどうか確認した?
例えばこういうデータがあるhttp://www.tsr-net.co.jp/news/status/transition/
高度経済成長期でも結構倒産してるでしょ。バブルのころの倒産件数すごいでしょ?なんでこんなことになるかっていうと、たくさんの人が商売はじめたからなんだよね。たくさんの人がはじめて、たくさんの人が失敗する。
個人商店なんて昔からすぐつぶれるか、初代ががんばって2代目がつぶす(もしくは整理する)みたいなパターンばかりなんだよ(平均存続年数30年くらい)。
のんびりやってるように見えて土地担保に銀行から結構金借りてて返せなくなったら店畳めばいい程度にやってたり。
昔と今の大きな違いは店つぶしても再チャレンジしやすかったこと。
例えば私の身近にはあの高度成長期に3度店を潰した家族がいる。4度目の商売でやっとうまくいったんだけど今つぶれてまた再起できるかって言うと大変難しそう。
まあ確かに説明のほうが「ちょっとこれじゃなー」と思うことも
「…小学生なら恥ずかしくないけど大人がその理解度…」みたいなことも
あると思うが、わりと共通してるのが軽いヒステリー
なんと言ったらいいのか興奮状態みたいになってる
科学的に説明が間違ってても、それでどうして精神不安定になる必要が?
と不思議だった
(これ結構面倒なんだよ、環境にいい石鹸シャンプーとか分別とかそういう話で
いきなり叫び出したりする人いるし…多分男だと少ないと思うけど)
(でも男でも反論してるとなんかヒスってるよね、だいたい同調者いる)
あれ、なんだろうなー、と思ってたけど新興宗教への反発みたいなもんかな、と
よく考えたらスピリアルな話題が出てきた時の反応にわりと似てる気がする
ただなんというか…日本人てそういう反発する時軽くトランス状態入るよね
個人的には環境問題って科学だし、30年くらい関わってるので単語も理論も
わかるし、間違ってても「あれ、ここが違うな」で済むんだけど
ヒステリー起こす系の人って多分これが全て意味不明なんじゃなかろうかって…
よく考えたら文字読めない人が文字にヒステリー起こすってあったなぁ
ああまあ、環境問題って知らないって言いにくいよね…
結構理論が変化してて「今のは知らない」とか「ここがこう思える」だとかの
発言は私にとっては全く自然なことでヒステリーの入る余地はない
ひたすら一から十までわからないことが真実として罷り通っていたらまあ
トランス状態にもなるのかなぁ…
とりあえず、若い年齢の人にはこの手の知識付けておくつもりだからさー
(母親がずっとそっち系、というか多分環境系って言うと誤解する人もいるだろうけど
(申し訳ないけど反発するのは正直「非知識層」だと思ってる)
うん、割と「英語を直接法で」ならすごく簡単だと思う。
でも文部科学省は今のところ高校レベルで直接法は採用しない様子(大学受験の内容に変化が無いと、たぶんここは変わらない)。
オーラルコミュニケーション科目オンリーでやる程度かな?週に2回もない授業に意義はあるのか疑問だけど(汗)。
小学校の英語教育なら直接法でやりそうだし、あとは免許の問題かな。
言語系の教員免許を持つフィリピン系は今のところ知ってる範囲では片手で数えるくらいしかいないんだよね。
同じ英語圏出身でも、インド人の大学関係者なら周囲にけっこういるんだけど、
日本の教員免許のうちどれか一つでも取りに行くかと言ったら微妙。
実際「取ったよ!」って自慢しに来た人は少数すぎ。二桁が分母なのに分子は一桁…。
特に、紙一枚に意味を持たせるかどうかは、その自治体によるだろうね。
大学や院で教えることができても、免許無いとそれ以外ではいたたまれないし。
糞だという結論には変わりないが、新作アニメ、話題になった作品のキャラアカウントを次々量産するのはどうにかならないの?
「みんなを楽しませたい」などという割に、既に放置したアカウントはどれだけあるのかな。
私が知ってるだけでも、じょしらく、はがない、ラブライブ。ちょうど今は艦これだっけ?
どれだけお前が量産しているのかは知らないが。
キャラに合わない発言を繰り出して、「うわ、フォロワー数すげぇwwww」だの「RTされまくりwww」だの、キャラを汚すなと思う。
そして、そのキャラあっての事で、お前の影響力とはこれっぽっちも関係無い訳で。
何か勘違いしてない?
そういうキャラの私物化、そして使い捨てにしてる様に腹が立つ。
深入りせずとも、糞だという結論には変わりないが。
時間がない、だけど落とすよりはきっとマシ、と思って
ろくに仕上げてないやっつけ同人誌を立て続けに出したらジャンル内で完全に淘汰された
もともと、画力が高い、筆が早い、話が面白い、という取り柄があるわけでもなく
『特に魅力的な訳じゃないけどへたれ絵ではないから読める』程度の立ち位置だったこともあって
流石に猛反省して、また時間をかけて丁寧に描くようにしたけどもう遅かった
書店はまだなんとか取って貰えてるけどビーカーろくに動かず大量返本もざら
イベントでもみんなポスターを一瞥するだけで手に取ることもなく去ってく
そりゃそうだよね自分だって買ってガッカリだったサークルの本は立ち読みする気も起きなくなるし
今も見捨てずに読んでくれる人たちを二度とガッカリさせないようにしなきゃ、と念じながら描いてるけど
一度あんな酷い出来の本を売ってしまった以上、今後どんなに地道に頑張ったとしても
このジャンルではもう今以上の人数に見てもらえる機会はないんだろうな思うと
俺はクラウドソーシングというのは基本的には仕事単価を下げる方向にしか働かないサービスだと思ってる。
クライアントはネット云々関係なく昔から常にこう考えていて、そんな折クラウドソーシングが可能なネット環境というのがようやく整ってきた。
であれば今後クラウドソーシング市場が拡大していくのは間違いない。
現状ではあまりにも安かろう悪かろうで「やっぱクラウドソーシングつかえねー」的な話もあるんだろうけど、最初「つかえねー」のはどんなものでも同じこと。
それこそWebだってスマホだってSNSだって出始めのころはみんな「つかえねー」って言ってた。
あらゆる商品サービスの価格が需要と供給のバランスで決まるならば、クラウドソーシングというのは圧倒的に供給の選択肢を増やすサービスで、そうなると価格が下落するのは必然なんだよね。
そこに疑念を差し挟む余地はないよ。
じゃあなんで30-40万の仕事なのか?って話だけど、単価の高い仕事は供給がそう簡単には増えないんだよね。
単価高い仕事をうまいことこなせる優秀なディレクター/デザイナー/エンジニアというのはやっぱり数少ない。
数すくないから紹介だけで仕事がまわる。つまりそもそもクラウドソーシング市場に出てこないから価格も下落しようがない。
お遊びで登録してもあまりのクライアントの質の低さと単価の安さに驚いて「俺はまだいいやw」ってなる。
「30-40万の仕事」をこなせるやつはいっぱいいるという意味で「仕事減るよ」と書きました。
(それ以下の仕事は言うにおよばず)
なんか変なメールが来た!
サウンドノベル「かまいたちの夜」の電波文的な怖さがあるが、ネットで検索掛けてもあまり情報が得られなかった。誰か知ってる人いるかな?
以下、引用。
※メールアドレスやURL、個人情報と思われる部分は引用者によって伏字にしています。
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Subject: NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある
NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある。
日本行政側の生活保護「持ち家なら一律家賃なし。住宅扶助4万1千円も未払い。」の規定及び、「一時扶助生業15万円以上未払い」の規定について。
私は23年前から両親に対して、家賃6万円(光熱費込み)を手渡していました。理由は、ほんみち宗教内に親の個室レンタルがあり、60年間の両親の宗教信仰に対して、私の信仰の反対や反発がある。しかし私も日本国及び公務員が、100年ほど前に国民を戦争のために、ろうごくや差別や処刑した過ち犯罪の手助けになれば良いと考えます。又ほんみち宗教の両親への愛着と重なり、家賃6万円(光熱費込み)を支払っている。
行政側が生活保護に対して、「持ち家ありき」を無条件で無許可で定義する事が証拠となっている。両親の様に「人助け教育や人生」だけしかできない国民がいる事を知りながら、又、私の「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」、「両親の宗教信仰関係者」、「左右両きき手」で脳神経シナプス電子の発達者の国民がいる事を知りながら、日本国及び公務員が、わざと私の生前からの徳育詐欺、脳波詐欺、精神詐欺の組織的犯行を繰り返して、私の「人徳の実例8項目」金銭価値を評価せずに、わざと私(長男)の人間や人生を亡き者にした。これは野田総理の「光と影の部分や」発言でも証明や証拠になる。
つまり、日本国及び公務員は、はじめから私の金銭性生活の取得が全く不当不可能になる様に、組織的計画的に犯罪を犯したため、私に民間人の生涯平均収入の相当額1億5千万円を支払う義務や責任がある。したがって、分割支払い給付の一時扶助生業では月額15万円以上の給付が当然になる。
「方針ありきでお金が動く?」とぼけてわからない?。時間がない??。裁判したらどう??京都府知事に言ったらどう??警察も私を捕まえないから犯罪ではないでしょ??資料なんか知らないよ??絶対に追加の給付金を払わないからな!!お引取りください!!君が何を言っても何をしても「わからない」「しらない」で通せば良い。「戦争ありき」とは何??「お金が動く」とはどういう事??どの法律かわからない??「気持ちを動かさずにワープしてみろ!」で黙る。「命育むピストルは、日本人なら月額100万円を自力で稼げて、子供でも月額10万円を自力で稼げる品物がある。」というと、「はぁ~何それ??」。公務員主権ではない??ほぉ~。そんなぁ~。
今の全日本人は、小さい頃から「あなたは神様信じますか??」のエホバの商人に大反発して、ちゃかして、「わかわからん」、「おもんない」、「かんけいない」、「あっち行って」、「じかんない」、「お引取りください」と今でも公務員が通用すると考えている。今後の公務員は、もしこれらの言葉を言えば、人間否定や人間殺害をしていると認定する。「不当な誓約書5時間事件」も宇治市役所で発生していて、「時間がなくどっかへ行け!」は通用しない。(2012年07月14日土テレビ)でも公務員給与が高すぎて、個人優先になっている。という発言ばかりだ。
私は全国たらいまわしにされて、司法、立法、行政も「私の体にお金がついて来る」という日本女性の言葉に、グループで便乗してあやかり、「方針ありきでお金が動く」の方針の私を人間否定し人間殺害しまくっている。「戦争体験者の方針」がそのまま「持ち家ありき」の定義になってしまい、私の住宅扶助4万1千円等も公務員がピンハネ詐欺をしている。
もし浜岡公務員も「何事もわからない」や「何事もしらない」等とはぐらかして、とぼけるならば、あなたは、他人に人間否定や人間殺害をしてしまう動物であり、今後は何をされても良いですね!!。
私の10年前の精神病院への拉致監禁からさかのぼって、住宅扶助4万1千円の追加給付及び、一時扶助生業15万円以上を追加給付してください。私に正しくすぐに追加給付をして、国民の目印にしてください。
(1)持ち家でありながら、私が家賃6万円(光熱費込み)を両親に対して支払っている。
(2)私が「おめくらさんの孫」で、戦争体験者の方針が通用しない。はじめから私が命育むピストル屋さんの方針を持ち、全て不正不当な自己都合退社にされて、収入が不正にない。
(3)行政側が一方的に、持ち家が人徳ではない事を、規則や定義している。
(4)行政側が一方的に、持ち家や国民を公務員の持ち物に定義している。
(5)行政側が一方的に、徳育詐欺、脳波詐欺、精神詐欺の組織的な犯罪をしている。
(6)行政側が一方的に、肉体自身だけがお金になる事を思い込む。精神自身がお金にならない事を思い込む。公務員が強制的に「精神自身がお金」のタブーな日本社会を作り出している。
(7)昔の間違った「ことわざ」を修正せずに、インターネット社会において5京円貧乏性になっている事に気づけない。
<<一番つらく厳しく価値ある方針に金銭価値をわざと与えない事が、公務員犯罪となる>>
日本公務員が、私の人間の方針(命育むピストル方針)を認めて生涯平均収入の相当額を支払う義務がある。
<人間の暗黙の法案>
基本的に徳育や人徳が、自発的な金銭の支払いをさせる能力として、一番お金になり優れている。又、脳波シナプス電子の「精神自身がお金」の方針も、同様に一番お金になり優れている。宇治警察(くぼた所長)も、これが一番強くてリッチでお金持ちになる事を認めている。
しかし現状では、公務員先頭に徳育詐欺、精神詐欺、脳波詐欺をして円高になり、日本人の命だけが犠牲となっている。公務員は、「脳波シナプスがお金」の法案も決めずに、一番つらく厳しく価値ある方針に金銭価値をせずに、国民の脳波を出し抜く大犯罪を繰り返すので、本末転倒になる。公務員は、一番つらく厳しく多額な価値ある方針の「命育むピストル方針」から逃げてはならない。現状では、女性や権力者だけを金銭化しすぎている。
(2012年7月6日金テレビ)昔から日本のお金儲けの方法としては、「公共儲け」、「客儲け」、「店儲け」の3種類ある。今は徳育や人徳の「公共儲け」を隠して、組織的な犯罪をしている。男性は家畜を抱いて、「家畜犯罪の付け金払い」だけをさせて、他人にお金儲けをさせないようにしている。(戦争ありきの方針の思い込み犯罪とも言う)。
(2012年7月2日月テレビタックル)イギリスでは、就業不可能給付があり、年間105万円、合計600万円、子供6人、妻、祖母、本人の事例紹介がある。サラリーマンの平均収入350万円よりも多い。
(2012年7月4日水テレビ)肉眼に見えない粒(ヒッグス粒子)がお金になる事を立証される。このために脳神経シナプス電子もお金になる。精神自信もお金になる。「人間は脈2つ(脳波と心臓)で空間物質が有り」の私の方針もお金になる。
一番強くてリッチな言葉としては、「永久不滅」よりも「絶対皆無」の方針がお金になる。肉眼やきれいかわいいや物体にとらわれて、他人の否定に走る者が「永久不滅」を選ぶ。これは「戦争ありきの方針」、「人殺しピストル屋さん」、「家畜セックス依存症」を意味する。
私は、おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)だけで、全て不正不当な自己都合解雇の退社をされる。(IT業界100%)したがって、公務員が私に社会的なわな(トラップ)の代償や給付金として、人生や人間の生涯平均収入の相当額1億5千万円をすぐに支払う義務がある。年間350万円の30年間でも1億円で少なすぎる。当然公務員の生涯平均収入の相当額よりも多額な給付金が必要になる。
7月3日藤井公務員も私のおめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)を信じないレベルの電話をしている。日本社会が私に対して、生まれる前からのわな(トラップ)の方針をしている事を信じないレベルの電話をしている。本来、私の方針の可能性を否定できない以上、生活支援の最後のとりでの公務員は、私の置かれる「方針反対運動」に対して、給付金を支払う義務や責任のある仕事になる。公務員は、「脳波シナプスがお金」や「精神自身がお金」の方針を信じないレベルで生存する事が許されない。私のおめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)のために、不正不当に金銭性生活を完全破壊される人間が生存している。
日本は非常につらくかなしい人事システムになる。なぜ日本は、生活支援の最後のとりでの公務員に、最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を給付依頼するしか方法がないのだろうか??なぜ他の投資会社レベルで、最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を採用してお金を全く与えようとはしないのか??この理由も「戦争ありきの方針」のたくらみや陰謀で、他の方針を軽視させて、方針ではお金が動かないような暗示や催眠術になっている。「戦争ありきの方針」の力量が不当不正に強すぎるだけだ。逆に今の日本人全員が方針者として弱虫過ぎて「思い込み犯罪」や「便乗犯罪」を保身のために平気でやっているだけになる。
現在も本当に「方針ありきでお金が動く」という人間社会なのだから、「人間の暗黙の法案」が成立している。「私の体があるからお金がついて来る」という女性の言葉に、全男性が便乗犯罪をしてはならない。最優良な方針になる「おめくらの孫(命育むピストル屋さんの方針)」を採用して、私に給付金1億5千万円をすぐに支払う義務がある。生活保護の住宅扶助の4万1千円及び、一時扶助の生業として月額15万円の給付をしなければならない。私が不正不当な組織的犯行の方針のために、不正不当に資金を絶たれている。当然公務員の生涯平均収入の相当額よりも多額な給付金が必要になる。
今の日本は、どうしても新しく優れた方針に対しての出費や給付支援において、残念ながら各自各個人的にも、利益確保の脳波の発達が全くなくて、全日本人の特に権力者や女性が発達障害の統合失調症や誇大妄想病になる。でも、私が最優良な方針で存在するので、公務員は正当な給付をしなければならない。
NEVER GIVE UP HUMAN.命育むピストル9千兆円収入ある。
<<日本の労働市場縮小や少子高齢化促進事業を71年間もするな!やめろ!>>
私がアメリカFBI等に電子メールをした直後に、(1)警察も自殺防止対策本部を公表する。(2)自衛隊も東京の街中に緑の顔の自衛隊員を見せて反感を呼ぶ。(3)厚生労働省も生肉の禁止をいやがらせで発表する。等の確実な反応があった。又6月10日(日)総理大臣も「精神論だけではどうにも成らない。」と発言をした。しかし人間は、肉体論だけの公務員や富裕層では、減収減益であり生活できません。人間の精神や肉体の両方共の物質化が必要であり、特に精神社会においては、90%以上のお金になる精神の物質化(シナプスがお金の意識)が最重要課題になる。
インターネット社会では、脳波、方針、精神自信が、経済的な原動力になる。にも関わらず、昔以上にこれをピンハネ詐欺犯罪して、減収減益に導きごまかしている者が、日本公務員や富裕層である。日本公務員や富裕層が、世界中の正義、誠、真実を精神詐欺して吸い取り、世界戦争へ再度導いている完全犯罪者になる。
つまり、今の日本人が肉眼に頼り、肉体(オッパイ)がお金の普通意識を持ち、戦争ありきの方針を当然で当たり前の様に持っている。このために残酷で残忍なリストラをする上司や組織を見逃して、71年間も肉眼家畜の神様や人殺しピストル屋さんの方針で労働市場を縮小方向に荒らされた。
例えば、自動車部品の100人の従業員の社長が、昼は取引契約交渉で、夜はキャバレーかわい子ちゃんと一緒にいるとします。車の部品会社でお客に販売される時に、お客がその社長の資金や体質を見るなり、社員の性格を判断する事は、十分お客自信の労働市場の継続に関係する物事であり、購入の決定に十分反映されるはずです。しかし現在は、購入物品だけに心を奪われて、お客自信の収入源になる自分の労働市場を100%犠牲にしながら、車の購入をしてしまう。これは弱く貧乏な日本人になるだけです。
経営者の意識は、「レベルの高い製品だけを納品するだけで良いんでしょ!。」「精度の高い製品の納品だけなら、任して下さい。日本株式会社より。」だってこの理由は、技術開発者の1年経過した社員ならば、アイデアの絞れて組織の不正なリストラで退社させればいい。「このばあちゃん抱いて来い。」とか「電車に乗って痴漢して来い。」と言って、出来なければリストラ退社をさせて、自己都合の退社にして、ウソの女嫌いやウソの障害者を作り出しても良いんでしょ!。労働市場の縮小や少子高齢化の促進事業をさせてもらっても、犯罪にならないから良いんでしょ!!。
経営者の意識は、「夜になったらキャバレーかわい子ちゃんに通って、昼は綺麗かわいい物事だけを見張っていれば、仕事もしなくても良いし、ええ思いできています。さすが戦争ありきの方針であり、「オッパイ(肉体)がお金」の方針が、こんなにすごくおいしいなんて、夢にも考えていませんでした。」と日本全体が成っている。
本来は、日本人が脳波に頼り、「シナプス(脳神経)がお金」や「精神自身がお金」の普通意識を持って、「命育むピストル屋さん」が当たり前に成るならば、現在のような状況まで、悪い労働収入や市場にはならない。
日本のコンテンツ産業は、壊滅的な打撃を受けている。500業種、500万人の雇用や収入が無い状況だ。日本人だけが人助けの神様を強力に退けて、人助けの力量の収益が全部無い。アメリカやイギリスの様な利益の半分を公表的な寄付金に回す日本組織が、全部無い。日本人は、自分の労働市場の衰退を笑顔で71年間も100%の力量で、今もがんばっている。
<<再度の結論>>
日本公務員や富裕層は、「オッパイ(肉体)がお金」の戦争ありきの方針で、人間を人間とみなさない事業だけをしては成らない。インターネット社会では、完全にお金の先取りが出来ない方針になっていて、外国人に出し抜かれている。
生活保護者の私が、本当の仕事をしているだけです。日本公務員や富裕層は、仕事をしていない。このため、私が日本公務員に対して「早く仕事をしろ!」「本来の方針に沿え!」といわなければならない。私が社長として、人生丸ごともらっていないお金を、今やっと動かして生きていかなければ、成り立たない日本社会や世間一般になっている。つまり、日本公務員が私に現金を早急に動かして、方針の切り替えをしなければならない。人間社会の鉄則としては、(方針>お金)で方針ありきでお金が動く物事にある。お金の先取りにおいて、私の方針が最有力であり、絶対皆無なので、人間を人間と認めるためにも、先ず日本公務員が私に現金を支払う必要がある。(1)生活保護の住宅扶助41000円の支払い決定通知書。(2)最小指定金額1億1千8百5万円(100億円の人徳分よりも安い:人徳とは、人権よりも義務を先に実行する事)をただちに支払わなければならない。
私の提唱する実物案件「命育むピストル9千兆円収入」は不変の原理や原則であり、対応が遅れる程、日本公務員や富裕層のポケットマネーどころか、人生において日本人が各自10億円を大損する「人生の落ち」になっている。
私の100億円の人徳分は、今も300円の円高レートの1ドル60円の提示メールを多数する。なおかつ「戦争ありきの方針者のヘッド」を手紙等で自殺させまくり、日本公務員や富裕層の資金や財産を根こそぎ消滅させている。
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うちのブログに載せたので、興味ある方はどうぞ。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
これを書いた者です。http://anond.hatelabo.jp/20110707051147
人気のブックマークコメントに「一通り目を通してブクマはするけど、実際に勉強することはまずないっ!」と書かれていた。 はてぶで英語学習関連のエントリーをしたはいいけど、勉強しないで、ブックマークして満足しちゃう人は多いと思う。
今回はそれを防ぐために僕がどうしたか書く。
断言法という方法がある。ようするに叶えたいことを毎日十五回ノートに粛々と祈るように書くわけで、僕は「TOEIC990点取る」とノートに書き続けた。そんなことして何の意味があるんだよって思うかもしれないけど、全世界に宗教が存在し、人々の願いが祈られ続けられてきた。祈りが続けれたということは少なくとも願いが叶った者もいるということである。全く意味のないことを続けるほど人類はバカじゃない。神社に毎日参拝するということでもいいかもしれない。信仰心があるかは重要ではない。カルト宗教にはまっている奴らとか見ていると、救われたあと、つまり願いが叶ったあとに、教祖様に対する信仰心が生まれている。断言法の場合は教祖様を信じないで、自分自身を信じるということになる。最初は疑いでいい。それが実感として目標に近づいている時に自分を信じられるようになる。http://alfalfalfa.com/archives/13635.html
断言法の説明を見ると成功率は大体70%程度らしいが、これを100%に近い形で実現する方法を僕は見つけた。似た願いを複数すること、また、英語学習に関することを日記に書くことである。ちょっとした遊び心で「TOEIC990点取る」以外にも「彼女が出来る」「年収10億円になる」とか書いていた。願いが最初に叶ったものは「TOEIC990点取る」だったけど、「年収十億円」「彼女が出来る」は叶わなかった。僕はなぜこれが叶わなかったのか考えた。僕はノートに断言法を書いていたんだけど、それは日記帳と併用していて、日々のことを書いていた。今日は一時間勉強した、新宿で外人に道訊ねられたけど、けっこう答えられたとか、友達と遊んだとか、好きなロックバンドのライブに行ってきたとか他愛も無いことである。数ヶ月分眺めていて、英語力は上昇していると日々感じていたけど、全然モテないし、お金も増えないと思っていた。あれ?これ日記に書いてなくね?女の子のこととかお金のこととかほとんど書いていないのである。英語のことは書いてあるのに(笑)そう、実感として英語力は上がっているのは感じていた。これ何か関係あるんじゃね?
引き寄せの法則というのがあるんだけど、その方法の一つに自分の願いに関する事をとにかく日々記録していくというのがある。英語学習の場合だったら、一時間勉強したりとか、外国人に道を訊ねられたとか、この洋楽のバンド歌詞いいな、とかそんなんです。書いて行くとそれが実感になっていき願いが叶うというものである。http://netaatoz.blog21.fc2.com/blog-entry-1289.html http://www.amazon.co.jp
断言法も引き寄せの法則もというか自己啓発系のほとんどがカルト宗教並に胡散臭いんだけど、僕なりの解釈を見つけた。「戦略」(strategy)と「戦術」(tactics)という言葉ある。勘違いしている人も多そうなので、説明するが、戦略というのは目標や目的の事で、戦術とは戦略を成功させるための方法のことである。具体的には「対テロ戦争」という戦略があって、その「対テロ戦争」を成功させるためにイラクを攻撃したり、外国人が米国に入国する際は指紋が取られたり、テロ対策の部隊が編成されたりとかが戦術である。あんまり良い例じゃなかったかな。まあ、話を戻すと、僕の場合は「TOEIC990点を取る」という戦略があって、そのために戦術をどうするかって話だ。TOEICの参考書を解きまくる、洋楽を聴きまくるとか、まあ、それも立派な戦術だ。ただ、”この段階”では戦術が正しいかどうかは重要ではない。戦略達成のために自分自身を戦略に向けさせることが重要なんだ。洋楽や洋画が英語学習に向かないというのは説明したけど、僕自身がかつてやっていた勉強方法でもあった。それが自然に英語学習に向かないと気づき、別の手段(戦術)に移っていった。ただ、それに気づくためにはそれに向き合っていなければならない。それが日々日記を書く事に繋がる。間違った手段、正しい手段に関わらず、僕は英語学習に関する事を書き続けていた。それは僕を目標まで導いてくれる懐中電灯みたいなもんだ。例えば、宇宙飛行士になりたいという願いを叶えることは難しい。そこが引き寄せの法則などの自己啓発の批判の元なんだろうけど、むちゃくちゃなことを叶えることは難しいが、宇宙飛行士になることも不可能ではない。いきなり真っ暗闇の山中に放り込まれて、ここがどこだかわかりませんが、あそこにうっすら街の灯りが見えるでしょ。あそこ東京ですから頑張って行ってくださいと言われたら、大抵の人はどうするだろうか、灯りが東京だということは分かるが、足下は不安定で、足を一歩でも踏み出してみたら崖かもしれない、周りには野犬がいるかもしれない、ここでじっと救助を待っているほうがいいかもしれない、そんな風に考えるだろう。ただ、そこで、LEDの懐中電灯を持っていたらどうなる?見えなかった足下は見えるようになり、数十メートル離れた先ならなんとか把握出来るようになる。崖もないことを確認した。これなら東京まで帰れるんじゃないか?灯りに照らされた途端に思考はポジティブになる。国道まで出れば下ればいいし、あ、飴も一袋持っていたんだ。飲みかけの午後の紅茶もあった。なんとか帰るんじゃないんだろうかという実感を強める。それでも、山中が暗く危険に溢れているが、戦略を叶えるために、視界の先、足下、体力などの状況に合わせて、進め方を変えていくだろう。そして、進めば進む程に街の灯りは強くなっていき、帰れるという実感が増えていく。その実感を掴めるものだけが目標(戦略)を叶えることが出来る。懐中電灯や飴を始めとする様々な戦術と共にね。
話が長くなって恐縮だけど、話は戻って断言法で「年収十億円」「彼女が出来る」と書いていたのに叶わなかったのが分かったでしょうか。英語学習は様々な戦術を使い実感を得て目標に近づく度に、やる気が出て来た。「年収十億円」が叶わなかったのは僕自身がLEDの懐中電灯を持っていなかっため、戦略は持っていたが戦術は持っていなかったということになる。戦略を叶えるためには戦術が必要である。東京には帰りたいという戦略があっても戦術がないと帰れない。ただし、むちゃくちゃな非常識な願いほどLEDの懐中電灯のような強力な戦術を持つことは容易じゃない。宇宙飛行士になる、村上春樹のように世界的に有名作家になるとかである。それでも戦術を練り、それになれるという実感を持てば戦略を達成することは可能だろう。流石に僕は実感が得られないので無理ですが(笑)
「TOEIC990点取る」というのも英語に苦手意識がある方は非常識な戦略に思えるかもしれない。僕もそうだった。非常識だと感じるのを弱めるために断言法と引き寄せの法則を組み合わせたのを使った。実は「TOEIC990点取る」の他に、「海外で働く」というのも書いていた。残念ながらそちらはまだ叶っていないが、英語学習のモチベーションの上昇に繋がったんじゃないかと思っている。断言法に関しては、やる気増産装置のようだと考えている。英語学習者にありがちな挫折パターンとして「あの本いいんだー」「あのエントリー参考になる」「俺は外資系企業に勤める」とか思ってもロケット花火のようなもので急加速はするが、すぐに急降下し地面に落ちてしまう。断言法はある種のジンクスを作るようなもので、自身が「TOEIC990点取る」という目標に対する燃料を投下していくようなものである。不思議なことに、ジンクスというのはそういうものであると思うけど、断言法を三日もサボると急にやる気がなくなる。勉強するというジンクスを無くしてしまったからであろう。言わば、断言法はジンクスのない人にジンクスを作るための装置である。まあ、やる気は作れるもんだぜ?ってことです。さらに似た願いを書く事は燃料投下を倍増させることになるのでおそらく願いが叶う可能性は高くなるんじゃないのか。また、 知らず知らずの内にしてしまっていたが、英語に関するということ日記を書くということは方向性を定め戦術を作っていく作業であった。断言法でやる気を作り、引き寄せ日記で戦略に体を向けさせ、戦術を精査していく。
ちなみに「彼女が出来る」というのも年齢=童貞だった僕にとっては非常識な願いであったけど、これに気づいた後に「女友達が出来る」と書き加えて、日記に、今日は女性にこういう話がして受けていたとか、趣味の話が出来たとか、そういうことを書いていたら、彼女が出来た。いや、マジですよ。まじまじ。なんとなく、女の子と最近話す機会多いなーって思い始め(目標達成が見え始めている)、女友達も増えて、遊ぶ機会も増えていて、あの女の子とちょっと良い感じかなって思っていたら逆に告白された。ありえない。非常識過ぎると少し前の僕ならそう思うかもしれないが、そんな非常識は僕から消え去っていた。実感としてこういうことになるだろうと思い始めていた。