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はてなキーワード: 両論併記とは

2024-04-27

「0歳児から投票権」はドイツでどのように議論されているのか?

 維新の会共同代表吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子投票は親が代理して行う)を提案し、維新マニフェストに加えたいという意向だという。

https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html

 これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートリツイート(リポスト?)していた。

吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベル心配になる

海外議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本SNS界隈の反応はそのレベルに達してない

吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが

それを「頭がおかしい」はさすがに乱暴すぎでは

https://twitter.com/Barrettm95sp/status/1783579344503529489

 ドイツ連邦議会議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。

 第一に、このPDFドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会議論されたことになるのだろうか。

 第二に、調査局の報告書タイトル:生まれた時から選挙権[構想]の諸問題)という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典日本憲法のような)にあたる法である

要約すると、

・親に子どもの数分の選挙権付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙原則に反するし、平等原則原則20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法憲法改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)

・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察必要になる。(同)

基本法38条2項(選挙権年齢)の改正必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれ平等選挙原則にこのようなモデルが適合するか否かである

・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身投票権行使と子の投票権行使区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度普通選挙原則選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)

・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的であるそもそも代理投票という仕組み自体子ども成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権一身専属的な権利であり、国家意思形成責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11

 ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能自治体」があるからかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義平等選挙原則も同様に要請するからドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。

 平等選挙原則に反しないというためには、親自身投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツ連邦議会調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツ議論は話の枕に使われているだけで、ドイツ議論を真面目に受け止めて、そのような制度可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票秘密を守ろうとすると、親の投票意向コントロールすることはできない。それでは子から投票付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つの母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。

 そもそも、ここから分かるように一口子どもといっても投票可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから投票可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権議論されていると聞いた覚えがある。このような議論真剣考慮に値すると思う。

 繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツ議論を踏まえて、この制度賛同者は、この制度平等選挙原則に反しないようになる制度可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義コミットしていないと思われても仕方がない。上記議論では、平等選挙原則基本法(=憲法改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。

興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会HP確認する限り、提案委員会付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。

https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939

※※

これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正限界という純法律的論点を脇に措いたとしても選挙権平等を真面目に考えないことが民主主義であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差問題にされることはない)が、平等選挙原則排除憲法改正限界に引っかかる理論可能性はあるだろう。

追記

 それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。

(再追記

 多重投稿状態になっていたものを削除しました。

(再々追記

 ブックマークコメントに触発されてさらに考えてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20240428001438

2024-04-25

anond:20240425123146

両論併記オープン議論は、両方の意見に等しく尊重すべき価値があって初めて成り立つ話で、

共同親権憲法改正違憲自衛隊違憲日米安保武器輸出と言った、

そもそも議論余地が全く無く完全に間違っている無価値もの」に対しては適用されないんですよ。

自由議論に耐えられないというのは敗北宣言なのでは?

こういうのが、自由民主主義尊重する立場を自認してそうな方々から出てくるのは非常に残念。

太田啓子弁護士マスコミの方にお願いです。両論併記はやめて下さい」共同親権反対派の集会にて

https://togetter.com/li/2355072

開かれた議論を憎んで抑圧したら、自由民主主義も死んで、政府関係者意向だったり世間多数派の気分だったりで物事が決まる社会になると思うのだけど。

共同親権反対派って、自分達は政府に強い影響力を行使できたり世間多数派だったりと思っているのかな?

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2023-12-17

anond:20231217145256

統一教会2世インタビューに応じたりしていて、その人を中傷する者が現実存在する

もしその2世情報流出したら、NHK2世謝罪するだろう

両論併記しろ2世だけではなく韓鶴子にも取材しないと平等ではない」

「謝る対象がどうして2世だけなのか。韓鶴子にも謝れ」

っていうようなことを暇アノンはやってるんだよね

異常者の集まりですわ

タコ部屋(笑)

2023-12-16

https://archive.md/irptG https://archive.md/xbysw https://archive.md/QjoRw#selection-564.0-690.0

そもそもこれは実際の謝罪のシーンではなく、来訪時の挨拶のシーンである。”

https://archive.md/wV2wk#selection-447.0-1654.0 https://archive.md/YUcTg

“この人物のこの投稿に限らず、Colabo中傷とかやってる奴らの攻撃ってほとんど全部がこのレベル言いがかりですよ。ほとんど全部が。そんなレベルのものを「両論併記しないのは偏向だ」と無茶苦茶なことを言うんだから、もう何をか言わんや。”

https://archive.md/VBEMq

謝罪に来たNHKの人が杖かなんて枝葉に拘るの、あの社会害獣共は予想通り何一つ反省してねえなってことだよね”

https://archive.md/DeuS7 https://archive.md/txOIw

“まず『これは三脚ではなく杖である』を突破したとして 次は『杖を付く人が立っている』というだけのことを目茶苦茶膨らませる羽目になる 膨らませれば膨らませるほど「そんな人を謝罪する羽目に追い込んだ奴はさらカスやな」になるんだけどな”

anond:20231216124435

避難所一般人から顔出しNGなだけだしな

流出したのは避難所インタビュー部分なだけで両論併記避難所中傷されたcolaboにもインタビューしてるようだし

報酬なんてないであろうNHKインタビュー時間を割いてくれたのに流出で潰れたという意味では仁藤も被害者だべ

2023-12-06

暇空茜最強伝説

「俺のことが報道されないのは陰謀

両論併記しないのは陰謀

「俺をインタビューしようとするのは陰謀

2023-10-21

anond:20230506011254

人間はいちいちマウンティング仕掛けてきてつまらんのでAIに〇〇について両論併記してくださいって話しかけるのが現実的かな

2023-09-02

anond:20230901202633

うちも親父が陰謀論に浸かりかけていた。

◇経路は2つ

①.テレビに付いているネット番組ボタン

複雑なことに、一定の年以上の人は「テレビ=実際を映す箱」という風に潜在的に感じているようだ。陰謀論にハマった人はテレビ情報は「悪!」と断じて見てないように思われるが、実態として、高齢者は膨大な時間をあの箱に捧げてるし、ボタンの配置にまで気にしていない。

テレビ番組東日本大震災以降はかなりディフェンシブになってて両論併記でふわっとした内容になっている。そこで、一部界隈でそれなりに支持のあるYouTuberが「あなた真実を伝えます」と話しかければイチコロだ。

しろスマホ陰謀論まで行き着くスキルはない

②.ゲートボールなどの口コミ共同体

上記ネット番組を見た複数参加者が集まり井戸端会議的にエコーチェンバー形成する。

藤井聡太大谷翔平とともに陰謀論跋扈する

対策

①.ベタだが同居に近い形で乗り込んだ。

令和なのにリモコン争いをふっかけ、若さ勝利BSの長閑な番組NHKアート番組などを独占的に見て、毒気を抜いていった。場合によってはネット接続ボタンに細工して切り替えられないようにして「あれれー?おかしいなー?」と白々しく惚ける。

結局、口コミ共同体も話について行けなければ冷静に眺めるようになるので、多少の時間はかかるが、おすすめする。本人には悪いかもしれないが、元々陰謀論で繋がる仲間意識なんて、ネチズン並なので非行少年ゲーセンでボッチにするイメージでやった。

②.新聞をとらせた

年金暮らし高齢者情報インフラ費として、月々のネット料金を払うか新聞代を払うかを天秤にかける。まあ、なんならこっちが出すくらいの気持ちでやるといい。口コミ共同体になんとなく所属する位の知識はあるし、リタイア組には編集フィルターのかかった情報でいいだろう。

どの新聞がいいかは各々に任せる。新聞文句いいながら読むのは、当たり前の姿だと思う。

③.以上を行なって、相手議論しない

毒抜きには多少時間はかかる。相手情報を得る接続元を押さえてあるので泳がしておく。ここで刺激すると、躍起になって接続しにいくので注意。風邪みたいなもので、薬飲んで温かくしたら、あとは寝て過ごす感じだ。

◇健闘を祈る

〈以下、追記

●いくつかブコメ稼ぎに返信

新聞勧誘

しろ新聞は切り捨ててた派。あれば読む。

自分情報出身だが、「新聞見出しはみたけど読まなかった記事」っていう逆張りしながら自身リテラシーをチェックしてる。あと、当人から接続元を単に取り上げるのではなく、代替物を与えておくの大事だよ。エンタメという指摘は同意

・同居に近い形

近くに引越し日常的に出入りしてるってこと。当初、高齢者が火の元をどう扱うか怖くて来訪していたが、発言の異常さに気づく流れ。火事事故他人まきこんで晩節を汚すのは勘弁してほしい。

陰謀論の内容

他の親族にガン患者がいたため、反ワクは薄い。金融支配政府ウソ関連かな。でも旧統一教会問題ジャニーズ性加害も“事実”だったな〜というくらいのスタンスから、親父への対応は「それ新聞に載ってたの?」と返し続けた。

接続元を封じられてるから相手だんだん揺らいでくると思う。新聞は手元にエビデンスが欲しいだけなのでスポーツ紙でもいいよ。あとは相手が大問題(笑)を語るならBBC無料ネットラジオを聴かせる。「ロシアウクライナ情勢とかめちゃくちゃ早いよ!英語勉強にもなるし!」とか。

エンタメ

ペットの世話、野良仕事、金のかからない新たな趣味自己研鑽のための修練などが無いと、広大なセカンドライフ漂流してしまうみたいだ。あと、スマホの充電はリビング家族皆するようにしよう。何事もほどほどが肝心だと思う

2023-08-24

anond:20230823145057

そういうのは生兵法というか程度の浅い発想で、科学でいう理論がただの仮定から演繹に過ぎずどこまで行っても仮定が出てくる、実証が頻度論であれベイズであれ100%保証しない、ということくらいは分かった上で、それでも両論併記的などっちもどっちではなくほぼ科学者なら意見の揃うことがある、それは科学的に正しいと一般人説明しよう、としているだけなんだよ。科学的に正しいというのはこの世の真実ではないんだよ、なんてところはとっくに通過してるの。

2023-07-10

anond:20230709220017

山下達郎おそらく殺人犯フィル・スペクター神戸芸能(山口組)の美空ひばり同様に音楽評価は棄損されない自信あるんだろう(実際そうだし)。

これから(死後も)「両論併記」されていくことも本人はそれでよし、ということか。

2023-05-23

anond:20230523094224

それは、むしろ"正解"の意見に「持論」とか「主張」とかつけないようにする、という流れがあったのが先なんだよね。

 

大手マスコミで、両論併記無責任からやめろ、明らかな正解と誤りを併記せず区別しろ

みたいなムーブメントが立ったことがあって

今もその通りにやってると思うで。

正解を述べてる大学教授コメントに「持論」とかつけると、否定論者に揚げ足とられるからさあ

2023-01-08

両論併記しろ ← 本当にいいのか?

ミソジニーによる妨害報道するならば

同時に税金問題も報じなければ不公平だ。」


言ったな?

逆になってもダブスタするなよ?

2022-11-23

ジャーナリスト重要と考えていること・各国比較

https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434

https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592

WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。

わたしが注目していただきたかたこ

https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium

あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitter投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。

事実ありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ないこと

この点はあとで少し詳しく書きます

政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要役割という回答が比較国中で異様に突出していること

「いま国民議論対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査ざっと見たところ、日本韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本マスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます

萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本マスメディアは、社会主義的な思想ベースに、自分たち役割

「より良い社会建設のために世論を醸成し牽引する」

と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府権力的な言論を展開しましたが、政府世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。

アジェンダ設定のような能動行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズム重要役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要認識が低いのはそのためです。

「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ない

この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。

政治リーダー監視と精査」 「時事問題分析提供」 「人々の政治的決定に必要情報提供」については、それらへの重要認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実ありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます

特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たち重要仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。

たくさんのご意見に対して

全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます

日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?

はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズム歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、

という感じでしょうか。

それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実ありのままに伝える」トップにならないことの異常性です。

この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。

いわば、「あなたジャーナリストとして最も基本的動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。

無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手

あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」

と問うような質問なのです。

「勝つことだけが重要ではない」「ほかに大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。

まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実ありのままに伝えることはジャーナリズムジャーナリズムであるための最も重要要件」と学びます

別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います

たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズム学科ジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。

そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想政治的干渉を受けたとしても「事実ありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。

日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないか・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダー監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本ジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。

そういう思いから、日本ジャーナリズムを「異様」と書きました。

残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな

それは情報誤読です。「事実ありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。

・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。

日本ジャーナリストの65%が「事実ありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》

それは情報誤読です。この調査は「あなた事実ありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。

米国の98%はただの厚顔無恥嘘吐き
欧米ジャーナリズムだってそんなに言うほど事実ありのままに伝えてなんかいないぞ

さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習サボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習サボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。

フェイクニュース日本よりも米国のほうが酷い

これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本ジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます

読者・視聴者の側の問題もあるのではないか

現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。

マスコミ左翼のすくつ
マスコミネトウヨの手先
マスコミ政府イヌ
マスコミ中韓下僕
マスコミ米帝下僕

ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います

これらの評価罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論喚起政策アジェンダを設定していく役割もっとからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割ジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズム本来そのようなものではありません。「事実ありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価対象になること自体もっと減るだろうと考えています

日本ジャーナリストが「報道自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い

私もそう思います世界一般的ジャーナリストにとって「報道自由度が低い」とは「事実ありのままに伝えることや自由表現を阻まれる」を意味します。日本ジャーナリスト世界一般的ジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論形成されなかったりするのを「報道自由度の低さ」と勘違いしていると思います

日本ジャーナリズム他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本ジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなもの

これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実ありのままに伝える」というジャーナリズムというもの普遍的存在意義にかかわる話は、法律等の要請メディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本マスメディアがよくやる両論併記政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います

ジャーナリスト重要と考えていること・各国比較

https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434

https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592

WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。

わたしが注目していただきたかたこ

https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium

あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitter投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。

事実ありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ないこと

この点はあとで少し詳しく書きます

政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要役割という回答が比較国中で異様に突出していること

「いま国民議論対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査ざっと見たところ、日本韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本マスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます

萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本マスメディアは、社会主義的な思想ベースに、自分たち役割

「より良い社会建設のために世論を醸成し牽引する」

と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府権力的な言論を展開しましたが、政府世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。

アジェンダ設定のような能動行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズム重要役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要認識が低いのはそのためです。

「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ない

この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。

政治リーダー監視と精査」 「時事問題分析提供」 「人々の政治的決定に必要情報提供」については、それらへの重要認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実ありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます

特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たち重要仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。

たくさんのご意見に対して

全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます

日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?

はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズム歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、

という感じでしょうか。

それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実ありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。

この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。

いわば、「あなたジャーナリストとして最も基本的動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。

無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手

あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」

と問うような質問なのです。

「勝つことだけが重要ではない」「ほかに大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。

まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実ありのままに伝えることはジャーナリズムジャーナリズムであるための最も重要要件」と学びます

別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います

たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズム学科ジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。

そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想政治的干渉を受けたとしても「事実ありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。

日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないか・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダー監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本ジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。

そういう思いから、日本ジャーナリズムを「異様」と書きました。

残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな

それは情報誤読です。「事実ありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。

・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。

日本ジャーナリストの65%が「事実ありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》

それは情報誤読です。この調査は「あなた事実ありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。

米国の98%はただの厚顔無恥嘘吐き
欧米ジャーナリズムだってそんなに言うほど事実ありのままに伝えてなんかいないぞ

さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習サボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習サボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。

フェイクニュース日本よりも米国のほうが酷い

これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本ジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます

読者・視聴者の側の問題もあるのではないか

現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。

マスコミ左翼のすくつ
マスコミネトウヨの手先
マスコミ政府イヌ
マスコミ中韓下僕
マスコミ米帝下僕

ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います

これらの評価罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論喚起政策アジェンダを設定していく役割もっとからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割ジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズム本来そのようなものではありません。「事実ありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価対象になること自体もっと減るだろうと考えています

日本ジャーナリストが「報道自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い

私もそう思います世界一般的ジャーナリストにとって「報道自由度が低い」とは「事実ありのままに伝えることや自由表現を阻まれる」を意味します。日本ジャーナリスト世界一般的ジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論形成されなかったりするのを「報道自由度の低さ」と勘違いしていると思います

日本ジャーナリズム他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本ジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなもの

これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実ありのままに伝える」というジャーナリズムというもの普遍的存在意義にかかわる話は、法律等の要請メディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本マスメディアがよくやる両論併記政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います

2022-07-28

anond:20220728172356

このへんは諸説あるというか、多面性のある習慣なので一概に言ってほしくないな、と。

両論併記で。

血が汚れの概念デカいのは、そうなんだけど。

現代まで続いた習慣だから時代によって比重が変わるし。

感染症の予防とか、生理中の夜這い防止とか労役免除とかって面もあったのよ。

現代みたいな生理用品も無かったし。

て、解釈もある。

2022-07-18

在日認定の仕組み

ネトウヨの頭の中では「俺に敵対する=在日」ということになっている。

自分に突っかかってくる人が現れると、まず「竹島がどこの国のものか言ってみろ」と言う。それで論破できると思っている。

しかし、多くの人はぶっちゃけ領土問題なんて興味がない。竹島日本のものであるとも、韓国のものであるとも、どちらにせよ自信を持って答えられるほどの知識そもそもない。とはいえネトウヨなんかに向かって「その問題について私はよく知らない」と言えるほど素直な人もなかなかいない。

なので、多くの人はその場でググって、「両論併記」の適当サイトで付け焼き刃の知識を得る。

そして、「せっかくなので、ネトウヨをやり込めてやろう」ということで、「日本のものであるとは言いきれないんじゃない?」という、ある種冷笑的な答え方をする。

ネトウヨの中では「日本のものと即答しない=在日」なので、そこで「論破完了」。以後のコミュニケーションは成立しない。


というような現象が、今は「リベラル」界隈で起こっているんだろうな。

https://togetter.com/li/1917662

2022-07-13

リベラルネトウヨ関係なくない?

あるのは、統一教会お題目をそのまま信じているやつと、せめて両論併記なりで統一教会対策弁護団の話も聞いているやつだ。

2022-06-11

anond:20220611070753

まあここ10年以上のNHK報道なんか見ると「主張しています報道は増えてるな。安倍長期政権トランプコロナウクライナ報道があったせいだろう

ともかく「~と主張している」は基本的裁判事件報道で多用される言葉でありマスコミが使うときは「反論はあるよ」ってニュアンスが言外に含まれている。

「○○が~と主張していることについては」と続けて識者の反論を出したり、「一方、○○は~~と主張しています」と取ってつけたように両論併記したりな

元増田はそれを感じ取って「正当性がない」とか「バカにしている」とか理解してるんだろう

それは正しく報道意図を読み取れてるからこそだから問題ではないが、文脈の使い方でそういうニュアンスを表しているだけであって「主張」の意味が変わったわけではないし肯定的に「主張している」と報道記事で使っているケースは今でも少なくない。

 

まあ改めて俺も少し思いついたんで去年の衆院選報道NHKの各党の公約発表のときニュースの伝えられ方を確かめてみた。

今なら魚拓調べなくても全部記事が残ってるのよ

自民公明維新・立民・国民共産社民れいわ・N党の9党の公約発表報道NHKが「主張しています」との言葉を使ってるのはN党だけだった。

公約では「NHK受信料徴収のため、委託法人に行わせている訪問行為は、弁護士法72条違反だ」と主張していて「徹底的に追及していく」としています

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211008/k10013298911000.html

これは仮説に合致しすぎる結果でちょっと面白かった。あとの政党はこういう文章場合「~だとして『○○していく』としています」って書かれてるのにね

 

2022-05-02

anond:20220502185116

ウソホント両論併記フェイク側に有利にしたいようにしか見えん

宗教認定して分かったつもりになる前に臨床試験疫学調査とか科学的な知見を理解できるようにした方がいい

2022-04-05

anond:20220405121508

「30万人が殺された」というのを歴史的事実として認めない時点でお前も南京大虐殺否定論者だということに気づいてないんだな

両論併記余地はないんだよ

たとえば誰かが殺されたとして、犯人否認したら「両論併記ってことで死者数は中間の0.5人にします」と書くか?

「一人も殺されてない」も「最低でも20万人殺された」も同じ、日本の罪を少しでも軽くしようとする歴史修正主義者だという自覚を持て

「30万人が殺された」以外は認められてない

これは絶対条件だ

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