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2018-05-05

刀剣乱舞出会えて良かったというお話

刀剣乱舞というゲームがある。私は刀剣乱舞世界が好きだ。大好きだ。このゲーム出会えてよかったと心から思っている。

(もちろんこのゲームのことを嫌いという人のことを否定するものではないです。石を投げないでください!!個人的感想なんです)

刀剣乱舞というゲームにはまってから、本当に世界が広がった。色んな人と出会うことが出来たし、舞台ミュージカルにも足を運ぶようになった。

俳優さんで応援したい、と思える人が出来た。美術館博物館にも気軽に行けるようになった。リアル刀剣勉強はなかなか進まないけど、それでも多少の知識が付いた。

何より「刀剣男士と一緒に人生を歩んでいる」「刀剣男士は、私が私であることを許してくれる」というのが何よりも強い。私の本丸で、私だけの刀剣男士がここにいる。

これが何よりも私の人生を強く支えてくれている。

刀剣乱舞でどこが好きかを詳しく語る前に、少しだけ自分の話をさせてください。刀剣乱舞出会う前の話。

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私は大学3年生になるまでいわゆる「オタク」というものではなかった。いや、読書漫画ゲームアニメも好きだったけれど、だからといって

自分感想考察をしたり、他の人とそういう交流をしたりということはしてこなかった。

というか「誰かとこれについて語りたい」という欲求は無かったし、そんな術も知らなかった。

(二次創作という単語も知らなかった。コミケ?よく知らないけど、コスプレをする場所なんでしょ、程度の認識だった)

ツイッターアカウントは持っていたけど、鍵アカ大学友達や先輩、後輩とフォローしあう程度だったし、

呟く内容も「今日講義が無くなった」とか「パンケーキがおいしかった!」

というような本当に些細なことだけ。何もかも普通の、ちょっと読書が好きな大学生だった。

それがなぜ、青い鳥世界の端っこで「刀剣男士が尊い!!!!」と叫ぶ人になってしまったのかというと、まずはとあるライトノベル出会ってしまたこから始まる。

(詳しくは1930年禁酒法で調べてほしい。ヒャッハー!!)

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大学2年生の冬、私は歯の手術で1週間ほど入院していた。体は元気なので暇つぶしに、と思って簡単に見終われそうな、このアニメを見始めたわけですが、

たったの12話なのにすべてが綺麗に収まり登場人物はみんな魅力的で、見ていて本当に楽しかった。

アニメを見終わると今度は原作が気になり、外出許可が出た日に書店に向かい、並んでいる本を全て買い込んでしまった。全部読んだ。最高。

こんなに楽しい世界ってあるの!?とびっくりした。

まりにも私のドストライクすぎて、こんなにワクワクしながら読書をしたのは生まれて初めてかもしれない……と当時真剣に思った。

おそらくこれがオタクとしての第一歩だったのだと思う。

まりにも最高すぎたので、この感動を誰かと共有したくて友達にも勧めてみたものの芳しい反応が得られず、欲求不満に陥る。

この辺りから私のツイッターオタクライフが始まる。とりあえず、この作品が好きです、と書かれている人を恐る恐るフォローしてみる。

本の感想かにおそるおそるファボを付けて、皆様の考察とか感想を読みながら「みんなすごいな……言語能力が高い……」と思っていた。

こうして、ポツポツとその作品好きな人フォローしてはその人たちの呟きを眺める、ということをやりながら日々を過ごしていた。

感想を言い合いたい!という思いでツイッターアカウントも新しい物を作ったはずだと思うのだが、フォローした人たちが感想を言っているのを眺めていたら

それだけで満足をして、私自身は特に何か考察をする、とか創作を始めるということはなかった。

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刀剣乱舞出会

今思うと、ここが2番目の人生ターニングポイントだったのかもしれない(1番目は先ほどのラノベ出会たこと)

大学3年生の冬、私はとてつもなく暇だった。サークル活動引退し、就職に向けて何か行動をしないといけない、

でも何をやればいいのか分からない、という、今考えるととてつもなく

贅沢な悩みを抱えながら、ぼーっと就活サイトや、先輩の就活日記斜め読みし、TLを眺める生活をしていた。

そんな1月、突然フォロワーさん達が口ぐちに「薬研ニキ……」「薬研」「何この子」「三日月が」と言い出した。最初は何も気にしていなかったものの、

まりにも「薬研ニキ」「大将って」とか言い出すから気になって調べてしまった。

その結果、パソコンゲームで、刀?が人になって育てるゲームがあるらしいと知った。ふーん、暇だしちょっとやってみるか……と本当に軽い気持ちブラウザ登録をする。

そして、1月27日、私は山姥切国広を選ぶ。

最初に5人の中から1人選べる、と説明された。ポケモンみたい……と思いながらぱっと見たときに「あーーこの人、私が絶対に好きになるタイプ」と直感したのが

山姥切国広だった。こじらせ系は嫌いになれない。一応他の4人も見てみたけど、ピンと来たのが彼だったので、これまた軽い気持ち選択した。

顔も綺麗だったが、すごい塩対応だったのでちょっと困惑した記憶がある。

はいえ、やり始めたときは、ものすごくかわいい、とか格好いいとかは全然思わなかった

(いや、みんな格好いいと思ってたけど別にハマるほどではないと思っていた)

それが、今では……こんなことになってしまった……。

以下、刀剣乱舞を始めてから色んなことが変わったな、と思った点について。

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同人誌即売会楽しい

ツイッターって、色んな素敵なイラストが流れてくるじゃないですか。

私の推し前田藤四郎なので、主に前田イラストをよく探していたけど、審神者になった年の初夏、「同人誌即売会」という存在を知る。(遅い)

今までインターネットオタク活動してこなかったんですよ!!死ぬほど魔法のiらんどは読んでだけど!!二次創作とかは知らなかったんです!!

2015年7月開催の粟田口オンリーイベント「はっぴーあわーたいむ」覚えている人いますか?

ツイッターで、なんか知らないけど絵を描いている人が「はっぴーあわーたいむ」って言ってる……何の話だ……と思って調べた。

……何の話だ???そもそも同人誌ってなんだ……?

というレベル初心者だったけど(支部イラスト小説存在は知っていたけど、それを本として売り買いをしている、という概念を知らなかった)

「本!!!買いたい!!」と妙な行動力を見せ、漫研の友人にアドバイスを求め、小銭を大量に用意して、

動きやすい格好をして、地図場所メモして、生まれて初めてビックサイトに行った。

覚えている。日傘迷惑になると書いてあったのでフードとタオルサングラスで怪しい格好をしながら一般参加待機列に並び、

キドキしながら印刷したサークル配置図を眺め、回る順番を考えたあの日のことを。

会場は蒸し暑くて、至る所に粟田口の素敵なイラスト、本、グッズで溢れていた。そこらじゅうで「新刊下さい」「ありがとうございます」という声が聞こえた。

すごい。すごい!!!すごい!!!!!

オンリーイベントから当たり前なんだけど、どこを見ても粟田口!!かわいい粟田口イラストがたくさんある!!!

すごい!!!楽しい!!!お金??払います!!言い値で買います!!!

緊張しながらお目当ての本をゲットして、ふと辺りを見渡すと、刀剣男士たちが仲良く買い物をしている姿が目に入った。

そもそもコスプレ自体テレビ以外でほとんど見たことが無くて、テレビしかたことが無い光景だけど、

でもコスプレ姿の人たちが買い物をしてる……すごい……生きてる……なんだここ……

とっても興奮した。刀剣男士たちがお喋りしてるんですよ、小銭とか出してるんですよ、すごくないですか!!??生きてるじゃん!!!

いや、もう、本当にかわいいイラストが買えて、色んな刀剣男士が存在してて、すごい、とっても楽しかった!!!!というのが私の同人誌即売会初体験感想

この経験をしたおかげで、これの大きいバージョンコミケな訳ね、と概念を獲得した。これはオタクにならなければ絶対に知りえなかった概念だし経験だった。

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美術館博物館に行くようになった件

刀剣を見に色んな美術館博物館に行くようになったよ!!でも刀剣勉強はあまり……進まない……

なんだろう、用語がまだ耳馴染みが無くて、刀を見ても「綺麗だな」という感想しか出てこない。

もったいないことをしている自覚はあるのでもう少し詳しくなりたい。 そういって4年目になるな?という顔をするのは止めて山姥切国広。

私の友人で、刀剣のものに詳しくなって、刀を見ただけでこれはここがこういう刃紋だから刀派は~、とか分かる人がいて、本当に尊敬する。すごい。

知識はあればあるだけ世界が楽しく見えるんだな、というのを今実感している最中です。勉強趣味も全部最終的には娯楽につながる(かもしれない)

世界を楽しめる人になりたい。

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○ 創作がしたいと思った件

ここ3年ほどはずっと素敵な作品にファボを付けて、あとは私が神と崇める作家さんにはお手紙を出したりもしてたけど、今まで自分創作をするって考えたことも無くて。

文章はまだいいんだけど、絵は本当に私、壊滅的にダメで、ずっと興味が無かったんですけど、最近「絵が描けるようになりたいなー」と漫然と思い始めて。

なんでかっていうと、絵にも物語があるんだな、ってことを強く実感した絵師さんのイラストを見て、私もこんな風に絵が描けたらいいなぁ、とか少し考えてまして……。

で、でも絵なんて中学美術以来落書きレベルでも描いたことが無かったので、デッサン教室で少しだけデッサンとかやってきました。

結構しかったです!!意外に、私も絵が描ける(レベルは考えないでほしい)んだな、というのを体験しました。真っ白の紙から、例えばボールが描けたりするの、楽しいね。

でも、デッサンやりながら思ったんですけど、絵を描くって大変ですね!!!絵を描く人、超すごい……絵描きさんすごすぎでは?絵を描く人、というか創作する人のこと尊敬する……

だって全然自分が描きたいような線出せないし、体力いるし、本当にすごいと思った。

『絵を描くことは大変』という知識はもちろんあるし、絵描きさんのことは尊敬しているけど、より一層尊敬の念が高まった。まじで。本当に。

デッサンイラスト、やることが違うのでは?と思ったそこのかた。その通り。

でも人間を描くのはもっと大変……まずね、人のシルエットにならないんだ。

目だけが肥えているので、「自分下手すぎ……」と落ち込むんですけど、描こうと思えば、何かしらは描けるんだな、と思ったので絵も描けるようにたくさん練習したいです。

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推し俳優さんが出来た件

オタクにならないと知らなかったであろう感情として、「この人を応援したい」というのがある。

刀剣乱舞には現在ミュージカル舞台と、2ついわゆる2.5次元舞台がある。

一番最初の刀ミュ『阿津賀志山異聞』からチケットを取れたときは必ず見に行っている。厳島神社の公演を生で見ることが出来たのは私の人生の中でもトップクラスの自慢。

刀ステでは毎回死んでる。山姥切国広オタク、強く生きよう。そして今夏、一緒に死のう。(矛盾)

刀剣男士を演じたとある俳優さんのことが気になってしまった。何が、と明確に言葉にできないけれど、舞台上で動く姿に目を引かれた。

キャラクター的に表情豊かでよく舞台上を動き回る役ではあったけど、気が付いたら目で追っていた自分がいてびっくりした。

気になってツイッターで調べると、なんと来月バースデーイベントが行われると言う。

いや、さすがにおかしいでしょ、私、その俳優さんのこと全然知らないのに行っちゃダメでしょと思った。俳優さんのイベントなんていったことも無かったし、

どちらかというと、舞台上のキャラ俳優自身については分けたい、と思っていたので、あまり詳しく俳優さんについて知るのはちょっと…と思っていた部分もあった。

でも、フォロワーさんから「興味があるなら行っておいた方がいい」と後押しされたし、もう自分経験上、自分が好きそうだと思ったことは遠慮なく飛び込んでいった方が

人生が楽しくなる、とこの数年のオタクライフから学んでいたので緊張しながらチケットを取った。

いざ!当日!……ダメだ、場違い感がすごい。みんなお洒落……キャッキャしてる……帰りたい。100回くらいそう思いながら開場待ちをして席に座る。

でもイベントが始まると、意外にも楽しかったです。(1年間の活動の報告、絵本朗読とかビンゴ大会とかやった)

そして、1曲だけ、ミニライブも行われた。彼はグループ歌手活動もしている人だった。ステージにその人が上がり、スポットライトが当たった瞬間、彼がキラキラ輝いて見えた。

この人は舞台が、スポットライトが似合う人だな……と思ったら、格好良すぎて何だか涙が出てきた。ファン期間が短すぎて歌っていた曲のことが分からなかったけど、素敵な歌声だと思った。

そして「この人のこと応援したい」「輝いている姿をもっと見たい」という感情が出てきた。

そのあとの写真撮影会で「刀剣乱舞舞台見て来てくれた人みたいです!」と隣の席でお話した方がわざわざ伝えてくださり(その節は大変ありがとうございました感謝してます!!)

「どうだった?」と直接聞かれた。やばい俳優さんに直接舞台のこと聞かれるってやばくない?やばい

私は本当にパニック状態になったので「最高でした!!演じてくださってありがとうございます!!」と半泣きで言うのが精一杯でした……。でも私は、その舞台が本当に最高だと思ったし、

俳優さんの演技も素晴らしいと思ったので、直接お礼が出来てよかった、行けて良かったと思った。

今まで3次元人間にハマったことが無かったから分からなかったけど、「この人を応援したい」と思う気持ちが初めて分かった。

その人が好きなことをして、この世界楽しいと思ってくれると私も嬉しい。そんな感じです。

(その人は別の舞台で、『演劇が好き、舞台楽しい』と仰っていて、演じる姿を見てファンになった私としては、推し俳優さんがそんな風に言ってくれるのが本当に幸せだと感じてます)

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○「私の味方がここにいる」

私は大学4年で審神者になり、その後、無事就職して社会人になりました。

ただ、業務内容が辛くて、10回くらい「ここで死ねたら楽だなー」とか思ってた時期があって、別に本気で死にたいわけじゃないけど、でも当時のツイッター見てたら相当病んでて、うん。みたいなやつ。

でも仕事で怒られても本丸に帰れば「主」として皆から声を掛けてもらえる。私の刀剣男士たちは何があっても私のことを見限ったりしない、という安心感がある。

初期刀の山姥切国広も、何があっても私の側にいてくれるんだろうな、という信頼感がある。これはたぶん審神者になった日からずっと、本丸に戻って、みんなの声を聞いて、

一緒に大阪城を掘ったり、楽器を集めたり修行に行く人を見送ったり、出迎えたり、色んな思い出を作ってきたからだと思う。

オケ福岡に行ってきたんですけど、「私の本丸」の思い出が流れてきて、声を上げて泣き出さないようにするのに必死だった。

クリックゲーだから脳死周回しかすることが無い、と思っていたけど、思い出作れてるんだなぁ、と思って泣いてしまった。

ありがとう刀剣乱舞

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刀剣乱舞出会わなかった世界も決して不幸だったとは思っていない。(この様子だと出会わなかった世界があったのか不明だけど)

なんだかんだ言いつつ、ほどほどに仕事をして、読書を楽しみ、友達仕事愚痴を言いながらおいしいご飯を食べて、そんな生活だって全然悪くない。

審神者業にかまけていないで、もうちょっと就職について真剣に考えていれば良かった、とかツイッターばっかしてないで仕事関連の勉強もっとやればよかった、とか後悔していることも沢山ある。

楽しいことも多いけど、後悔も多い人生送ってるな、と苦笑いすることもある。

それでも、私は刀剣乱舞という存在出会えて良かったと思う。このゲーム出会たことに関しては何一つ後悔が無い。

刀剣乱舞出会わなかったら、もしかしたら「この人を応援したい」という気持ちは一生分からなかったかもしれない。美術館博物館を気軽に行こう、と思えなかったかもしれない。

旅行趣味になってなかったかもしれない。もしかしたら、私の人生は私の住んでいるところ、知覚できる範囲だけに留まっていたのかもしれない。

そんな人生幸せだと思う。自分身の回り世界を大切にする、それはそれですごいことだと思う。

でも私は人生が広がる楽しみを知ってしまった。刀剣乱舞を通じて、色んな人と出会って、色んな世界があることを知った。自分の知らない世界を知るのが楽しい

そして、自分の知らない世界のことを想像して尊重することは、今後色んな場面で必要になってくると思う。

からもう以前の私に戻ることはできない。

沢山の後悔もあるし、もしかしたらまた「死にたい」って思うような絶望的な出来事もあるかもしれない。それでも私は、私の刀剣男士たちと一緒にこの世界で戦っていきたい。

きっとまだまだ、このジャンルで色んな世界を見せてもらえるだろうし、私も私の世界を広げていこうと思うし、広げることが出来ると思っている。

刀剣男士と出会えて良かった。刀剣乱舞出会えて良かった。

2018-05-02

anond:20180430214337

異世界ロボの系譜はまあ色々あるが、色々あるのだ。

ダンバイン(1983)は異世界現代ロボの系譜を、

ワースブレイドシリーズ(1988)は異世界魔法ロボの系譜を定着させた。

で、ライトノベル世界だとワーズブレイド系列の聖刻シリーズが1996から2016年まで20年間連載されていて大なり小なり影響は与えているのかなと。

三雲岳斗先生とかそれっぽいけど、コールドゲヘナ(1999)はロストワールド現代ロボでしたかね? 若干逸れます

また時代技術ギャップのある作品としてサクラ大戦(1996)やフルメタル・パニック!(1998)、ガンパレード・マーチ2000)もありますので、やはり90年代には確立していた感はあります

しか異世界ロボ自体自然な発想で生まれものです。

なぜなら二足歩行ロボット現代兵器に弱すぎるのですから可能な限り敵の少ない環境活躍させたがるのが親心というものでしょう。

2018-04-25

anond:20180425170144

感嘆符疑問符 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E5%98%86%E7%AC%A6%E7%96%91%E5%95%8F%E7%AC%A6

感嘆符役割疑問符役割を同時に表現する。文がなく、単独使用されることもある。主に会話の表現使用される。斜体にして使用されることもある。(⁉)

日本文学では、小林多喜二の『蟹工船』や二葉亭四迷の『平凡』など、用例を多く見ることができる。漫画ライトノベルなどでは多用される表現手法である

疑問符感嘆符 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E5%95%8F%E7%AC%A6%E6%84%9F%E5%98%86%E7%AC%A6

疑問符感嘆符の両方の意味合いを同時に表す。文がなく、単独使用されることもある。

主に会話の表現使用される。

斜体にして使用されることもある。(⁈)

日本文学では、感嘆符疑問符ほどは使用例はないが、小林多喜二蟹工船などで用例を多く見ることができる。また、「知ってるつもり?!」などテレビ番組タイトルに使われることもある。

2018-04-16

anond:20180416160920

ただ、数十年前はヤングアダルトってそのままライトノベルのことだったんだが、

現在では青い鳥文庫つばさ文庫あたりの低年齢向けエンタメ小説を指しているのでややこしい。

ラノベ文学、みたいな話になると絶対に「ライトノベル以外の小説をすべて純文学と思ってるマン」がやってくるから話が支離滅裂になる。

anond:20180416141848

アメリカだとライトノベルと大体同じ定義文学ヤングアダルト小説と呼ぶそうで

読者層の定義を見ると16歳から25歳ぐらいまでとある、確かにラノベから芥川賞を読みそうな層を内包してるわな

ラノベ芥川賞系の作品結構近しいと思う

anond:20180416125347

やる気なくしてるのを無視して歴史的な経緯を説明するけど、

2009年ライトノベルレーベルの最大手電撃文庫

ライトノベル一般文芸の棚に置いて売る」というアプローチを目指して創刊したのが「メディアワークス文庫」で、

これが現在ライト文芸」と呼ばれているジャンル本丸

そのメディアワークス文庫の「ビブリア古書堂の事件手帖」がヒットしたことで、

後を追う富士見ファンタジア文庫コバルト文庫などが姉妹レーベルとしてライト文芸レーベルを作りまくったのが2015年ごろ。

また、同じころに一般文芸側も「ライトノベル的な作品」をノンレーベルサブレベルで売りはじめた。

このあたりをまとめて「ライト文芸」と呼んでいる。

ライトノベル一般文芸化して、一般文芸ライトノベル化して、そのあわいを「ライト文芸」と呼ぶのだから

ライトノベル境界が拡大した話をライト文芸抜きで語るのは不可能だよ。

anond:20180416124408

ラノベ境界を拡大するたびに、その「オタク的」な領域からはみ出した部分を切り落としていくなら、そりゃ「どんどんオタク化がきつくなってくる」のは当然では?

でも「切り落とさない」人たちは「ライトノベルはどんどん拡大して他の領域曖昧になってる」と思うわけよ。

桜庭一樹冲方丁有川浩らが活動の場を広げて「越境」と呼ばれ、またいわゆる「ラノベレーベル」以外でもラノベ的と言われるようなブックデザインが顕著に増えてきたのが2005年ごろ。

いわゆる「ライト文芸」の嚆矢としてメディアワークス文庫が生まれ、またラノベ作家が「ラノベレーベル」とそれ以外とを行き来することがすっかり当たり前になったのが2010年ごろ。

ライト文芸」が急拡大し、もはや一般文芸ライトノベルとを区別することができない、あるいはその必要もないくらいに境界が薄れてきたのが2015年ごろ。

いまさら一般小説の表紙がどんどんラノベ化していってる」ではてなが盛り上がるのが2018年

2018-04-14

1+9+1=10

今日三沢さんの記事、この部分でちょっとクスっとした。

自分で気づいてほしいのでまず増田で、明日になっても直ってなかったら自分ブログで書きます

ttp://misawa-black.hatenablog.com/entry/2018/04/13/222501

ぼくは、基本的に見下しているものが4つある。

ライトノベル

法的根拠拡大解釈した上でセクハラポリコレだとうるさい人(フェミズム)

哲学

社会学

…まぁ、これらに共通しているのは「俺が〇〇だと思ったものが、〇〇」というところ。

厳密な根拠がない(または、あっても形骸化されてしまってる)モノをいくらでも、なんなら無限拡大解釈できるものは、科学ではなく、宗教

1割の科学形骸化し、9割の宗教が独り歩きしてゴミを量産して社会悪に成り下がった学問を偽った市民運動…それが哲学社会学なわけ。

逆に言うと1割は真理を探求するアカデミックから尊敬している。




1割の科学形骸化し、9割の宗教が独り歩きしてゴミを量産して社会悪に成り下がった学問を偽った市民運動…それが哲学社会学なわけ。

逆に言うと1割は真理を探求するアカデミックから尊敬している。

時々生意気なことも言うけれど、格好つけて書いたときに、必ずこういうずっこけ入れてくれるところ、ほんと好き。

上半身決めポーズ取ってるけど下半身パンツずり落ちてた、みたいな良さがある。

2018-04-01

お前らもう付き合っちゃえよ

青二才ウォッチャー

possesioncdp いままで興味なかったものにいきなり目覚めて、ろくに勉強してないのに他人啓蒙始めるやつだ、、、青二才ラノベ語りしてるのと同レベルの浅さで、善意だとしても逆効果なんだよね。こういうの持ち上げるかー

青二才

TM2501 フェミニストにしても、ハラスメントにしても、9割は「あなたが○○だと思ったものが、ジェンダー問題」みたいな世界だもん。「あなたライトノベルだと思ったものライトノベル」が思想として成立する世界やで?

すげえなウォッチャー青二才ラノベ語りくらい浅いわって書いた記事で当の青二才ラノベの話してる。

ところで青二才文章フェミニストにしても、ハラスメントにしても、9割は「あなたが○○だと思ったものが、ジェンダー問題って。おかしいだろ。こいつ本当に書いてる途中で書こうとしてる内容わすれるんだな。発達障害から

2018-03-23

ブギーポップ炎生(炎上)を解説する

まず、原作者およびイラストレーター(以下絵師)がアニメ制作に参加するかは、ケースバイケースである

ほとんどのアニメでは原作者が多少の口出しをする程度で終わるが、近年は原作者アニメ脚本を書いたりするケースも増えてきた。

ただ、基本的アニメ制作制作会社におまかせするものであって、原作者および編集部が主導権を握っているわけではない。

アニメ化の企画も、出版社が立てているわけではなく、まずアニメ制作会社が立案して、それから出版社に打診している。

(でもカドカワが主導してそうなアニメ化前提のメディアミックス企画とかはどうなってるんだろう? 教えて偉い人!)

アニメの「キャラクターデザイン」とは、原作キャラクターデザインをもとに、アニメで動かしやすいよう、アニメーターがアレンジすることである

漫画家絵師がいちからキャラクターデザインする」という意味でのキャラクターデザインは「キャラクター原案」と呼ばれる。

ライトノベル場合キャラクター原案作家なのか絵師なのか曖昧なところもあるので、「キャラクター原案」ではなく「原作イラスト」としてクレジットすることも多いようだ。

今回の騒動ではこのあたりを混同して、「緒方キャラ原案廃止して新たに別人がキャラ原案を作った」と勘違いしている人が散見された。

余談ながら、オリジナルアニメ場合でも、キャラクター原案は有名絵師キャラクターデザインアニメーターと、分担していることは多い。

俺妹』や『魔法科』のように、もともとアニメーターが絵師として起用されていたので、そのままアニメキャラクターデザイン担当した、という特殊なケースもある。

以上を踏まえた上で、今回の問題を整理しよう。

原作絵師に話を通さずにアニメ化されるなんておかしい」

緒方剛志がアニメ化発表時に素直に反応していることもあり、アニメ化の話が通っていなかったということは考えづらい。

「見たことねえ」「認めてねえ」というのは、あくまで「キャラクターデザイン確認が回ってこなかった」ということについてだと思われる。

原作絵師アニメ制作から外されるなんておかしい」

既に説明したとおり、原作者および原作絵師アニメ制作に「参加していない」ことそのものは異常事態ではない。

「参加したかったのに外された」のか、「納得の上で外れた」のかは、現状では判断しづらいように思われる。

「元のデザインから変えるなんておかしい」

そもそもアニメキャラクターデザインは「元のデザインから変える仕事である

今回はかなりキャラデザの癖が出ているが、このくらい原案と変わってしまうことはそう珍しくない。

「知らないデザイン販促イラストを描かされてかわいそう」

緒方剛志は「ブレザー着たヤツに日程を合わせる為に短期間で絵を描かなきゃいけないからムカつく」と言っているのであって、

「ブレザー着たヤツにキャラデザを合わせて絵を描かなきゃいけないからムカつく」とは書いていない。

マッドハウスではなくカドカワが悪いんだろ」

印象論だが、緒方剛志の怒りは「連絡がなかったこと」よりも「キャラデザがダメなこと」に向いているように思う。

まりキャラクターデザイン仕事に対する怒りなのだからマッドハウスと話をつけようとしたのではないか

「そうは言っても苦情の窓口はカドカワじゃね?」

マッドハウス広報アカウントリプライを送ったあと「無視ということでよろしいんですね?」からの「監督辞めるってよ」なので、

監督が辞めると言った」という話し合いはリプライの前に行われていたはず。

まり時系列としては、

アニメ化発表→緒方キャラデザを見て怒る→マッドハウスと話し合うも決裂→広報アカウントリプライ→返答がなかったのでぶちまけてすっきり

という順番なのではないか

この場合緒方マッドハウスの話し合いをカドカワがセッティングした可能性があるので、

本件で「カドカワが働いてない」と断言するのは保留したほうがいいのではないかと思います

「じゃあなんで広報アカウントリプライを送ったんだ?」

知らん。

「おまえはどう思ってんの?」

いまのところの印象では「アニメ制作からは納得の上で外れたがその結果として出てきたキャラクターデザインが(緒方目線で)あまりに酷かったので後から文句を言っている」の可能性が高いと思っている。

ただし、私はそんな極まったアニオタではないので、アニメ制作のところについては間違いがあるかもしれない。

まり根本的なところで怪しい記事なんだ。すまない。

詳しい人のさらなる詳説があったら嬉しい。

特にキャラデザってどのくらい原作サイドに確認するの?」「キャラデザの決定を原作絵師に伝えないってありうるの?」というのが分からない。

原作者絵師とじっくり相談して決定する

・決定直前に確認を取るだけ

原作者には確認を取るけど絵師には取らない

・決定後に知らせるだけ

白箱確認しろ

など、いろいろ考えられる。

現場による」って言われそうだけど。

2018-03-20

全く知らないライトノベルとかゲームとか漫画元ネタ大喜利ブコメに、スターがいっぱいついてトップになってる時の孤独感は異常。

その孤独感を紛らわすために、「内輪ネタで盛り上がってるんじゃねーぞクソオタク共が」と毒づく僕。ちくしょう

2018-03-19

乃木坂春香オタサーの姫の夢を見るか

乃木坂春香の秘密の続編、乃木坂明日香秘密が来る4/10に発売される。

涙は出なかった。

感動するには時間があまり経っていないし、そこまで人気のあるシリーズでもなかった。

アニメ特に面白かったというわけでもない。

作画は当時から見ても平均以下だったが、オープニングの曲が好きだった。

作品自体思い入れはそこまでないが、俺の青春の1ページと言っていいだろう。

この情報を始めて知ったのが昨日であり、自らのアンテナの低さには呆れるばかりだが続編発表に寄せて思いの丈を吐き出したい。

乃木坂春香の秘密電撃文庫から出ていたライトノベルで、記憶が確かなら2006~2012の間続いていたシリーズである

当時狂ったようにラノベを読んでいた学生の俺は当然存在を知っていたし、当時のアニメ化発表の時点で全巻揃えていたはずである

乃木坂春香の秘密ストーリーの大筋は隠れオタであるヒロインと当時流行っていたタイプの冴えない主人公ドタバタラブコメであり、隠れオタのご令嬢など身近に存在しない俺は特に感情移入することもなくしゃあ先生イラストのためだけに買っていた。

ストーリーなどあってないエロ主軸の話ではあるが、当時の風潮としてオタク比較迫害されており、ヒロイン乃木坂春香も周囲の無理解に悩むような描写が多かったように思う。

その娘(おそらく)である続編のヒロイン明日香が言ってしまえばオタサーの姫ポジションであるというのは、時代の流れを感じずにはいられない。

乃木坂春香の秘密と似たようなテーマ作品は、浅学非才にして、俺妹ぐらいしか思い浮かばないが、俺は俺妹が嫌いなので多くは語るまい。

とにかく、時代が変わったということを強く実感したのだ。

ラノベも変わった。

今やメインストリームは電撃でも富士見でもなく、なろう書籍化である

いぬかみの完結から気持ちが離れだし、とらドラの9巻で決定的にラノベを読むことを辞めた自分も、ここ数年はなろうしか読んでいない。

オタクに対する風当たりが変わり、ラノベ界隈であまり存在感を示せていない電撃文庫で、今の時代象徴するような続編が出る。

アニメイトにラノベを買いに行くのも久しぶりである

話の筋は好みではないが、作者もイラストレーターも続投と恵まれている方ではないか

とりあえず、買って読むしかあるまい。

2018-03-15

炎上必要な物

ある弱小アフィブロガーが、「炎上上等」というタイトルで持論を展開する記事を書いているのを見た。
タイトルに「炎上上等」と付けているが、記事の中で書かれている持論は相当に日和っている上に具体性の無い物だった。
タイトルに「炎上上等」と付ける事で記事の読者を増やしたかったのだろう。

最近、このブロガーに限らずだが、"炎上"という物を勘違いしている人が時々見受けられる。
炎上すれば注目を浴びる→注目を浴びれば宣伝になる」と、意図的炎上を起こそうとしている人も居る。
だが、「"炎上"とはそういう物ではないんじゃないか?」と思ったので今回記事にした。

ここから私的見解となるが、私はこれまで様々な炎上を見て来て、炎上には共通して必要な物が有ると感じる。

少し前の話だが、こんな出来事が有った。
著作(ライトノベル)のカバーイラストがポルノ認定され広告を禁止された件についてTwitter日本支社に行ってきた話 - Togetter
あるライトノベルの作者がプロモーション...つまり宣伝のためにTwitter広告料を支払っていたのだが、
宣伝ツイートの内容が不適切である判断され、広告から除外されたという物だ。
これについて、この作者はTwitter日本支社に異議を申し立てに行った。
そして、この異議申し立てに行った事が話題となった。

こういうのこそ正しく「炎上」だろう。

では、炎上には何が必要なのか、それをこの件を例に示してみよう。
第一に、「多数の人間共通して憤る対象となる存在」が必要だ。この案件で言えば「Twitter社」がそれになる。
次に、その憤る対象に対して実際に異議申し立てや抗議を行いに行く存在。異議申し立てや抗議に行く存在がいる事で、
その出来事現実に起こっている事なのだという「リアルさ」が見ている側に増す。
そして、「リアルさ」が増す事により見ている人達に「一体感」が生まれる。
後は、実際に異議申し立てや抗議に行っている様子を実況ツイートする等で生で見ている感じ、つまりライブ感」を皆に与えれば良い。

炎上は起こそうと思って起こせる物ではない。
炎上を起こすには「多数の人間共通して憤る対象」と「その対象存在現実の物であるというリアルさ」
リアルな物を見ているという一体感」と「それが現在進行形で起こっているライブ感」を見る側に与えなければならない。

机の上やパソコンの前に座って文字を打っているだけでは炎上は起こせないものなのだという事を、その弱小アフィブロガーには学んで欲しい物だと思った。

2018-03-05

東野圭吾白夜行以外の一般書籍ヒロイン主人公の親類に寝取られてるのが判明する作品ってある?

主人公の友人に寝取られてるとかならごまんとあるだろうけど

主人公の親類にっていうシチュはそうそうないと思う。

漫画でもライトノベルでも一般小説でもアニメでも良いから何かあれば教えて欲しい。

2018-03-04

エロマンガ先生』論:度重なる奇妙さとその正体について

※おれは原作を読んでおらず、アニメを全話視聴しただけ、つまり原作三巻までの内容しか知らない。
※『エロマンガ先生』という表記は、原作ではなくアニメ作品を指す。

この論考もどきの楽な読み方について

結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。

もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうマジで


ラブコメ発生装置として学校を使わない=もう学校はいらない

エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本舞台にした中高生ラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。

エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編ラブコメとしてはめずらしい。

1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。

まりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。

まったくもって小説家小説ではない

原作小説家小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。

通常の小説家小説には、小説家あるある小説への熱意・展望愚痴小説論、作者自身体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつうもっと自分の好みを推したり、もっとマニアック作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。

以上の二点からエロマンガ先生』は、本来的な意味小説家小説をやる気がないとわかる。

ストーリー人間関係は「小説小説」にたくし、恋愛はおいしいところだけを抽出する

では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。

第一層目は、「小説小説」(作中でキャラたちが書いた小説)を媒介とした人間関係の構築とストーリーの起伏だ。

まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。

エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説小説」によって関係が構築されている。正宗エルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的正宗アプローチをかけていく。

すべては「小説小説」でつながっている。

正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説小説」が根っこにある。

ストーリーの起伏は「小説小説」に依るところがとても大きい。

第二層目は、おいしいところだけを抽出した甘々な恋愛要素だ。

ふつうラブコメでは、主人公ヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。

エロマンガ先生場合は「小説小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい

男女間の摩擦のない恋愛描写批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。

やたらと凝っているエロシーン

ふつうラブコメエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子パンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂ヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。

エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合エロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。

たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗エロマンガ先生が妹であることに気づき配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっと重要なシーンだ。

三話の冒頭では、となりの無人洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。

このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割果たしている。これに加えサービスカット豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。

エロマンガ先生構造をまとめるとこうなる。

一般的な学園ラブコメの一例

学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係ストーリーサービス)←―サービスを強化――エロ

エロマンガ先生場合

【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐

      ↑                           │

     サービスを強化                      │

      │                           │

第一層】小説小説人間関係ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ

学校は出てこないのに制服ちゃんと出てくる

あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。

普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だからあなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。

とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。

ここまでの話を三行でまとめる

エロマンガ先生』とは!?
学校なんていう公的領域は信じられない!!
信じられるのは己の仕事と、楽しい恋愛描写オナニーのためのエロネタ制服萌えだ!!というアニメ

でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。

幼なじみキャラのあまり空気感山田エルフのお隣さん感のなさ

学校もいらないけど、「となり近所」もたいして重要じゃない。

智恵という幼なじみキャラがいる。この幼なじみほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗ラノベ談義に花を咲かせているだけだ。

また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。

幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域重要ではないということだ。

みんな「家族」になりたい

学校」「となり近所」といった公的領域重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。

第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。

正宗打ち上げ、楽しかたか?」

沙霧「ふつう……」

正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」

沙霧「兄さん、寂しかったの? あのとき電話、なんだかおかしかったから……」

正宗そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるとき事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」

花火の上がる音)

沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」

正宗「うん、おれは家族がほしい」

沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがいから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」

おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。

正宗は沙霧と「家族」になりたい。そして、沙霧も正宗「家族」になりたい。でも、いまふたり「家族」ではない。

複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。

正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」

沙霧「それが兄さんの夢?」

正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」

正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたり家族になるための第一歩目という具体的なイメージ正宗はもっていることを示している。

まり正宗ヴィジョンはこうだ。ふたり作家イラストレーターとして協力して仕事成功させる、その成功は「家族になりたい」という夢につながる。
単純化すれば「仕事 → 家族」というヴィジョンだ。 

正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。

エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せ結婚生活イメージを、自分正宗が築くてあろう幸せ結婚生活イメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せイメージは淡い。

ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。

主要キャラはみんな家族の夢を支えに生きている。

ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。

ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。

率直にいうと、家族をつくるのに恋愛結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。

前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説小説仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛あくまサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。

エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。

このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事小説小説)はストーリー人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。

よって「仕事 → 家族」が成立する。


結論エロマンガ先生』はこういうアニメだ。

家族になりたい」という夢を叶えてくれるのは学校やとなり近所といった公的領域ではないし、家族をつくるために恋愛をする必要はかならずしもない。家族の夢を叶えてくれるのは己の仕事のみであり、その仕事に耐えるために100%甘々な恋愛エロネタ制服萌えといった癒やしが必要だ。

おれは『エロマンガ先生』に共感してしまう。

家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくま金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵あやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。

エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽エロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。

※追記 指摘のあった箇所を修正

老害になってしまった自分

ライトノベルブーム記事を見た。自分認識では漫画ラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説アニメ映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間無駄だったなと後悔している。

こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画ラノベアニメ小説映画かにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐ものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐ものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。

真性オタクは底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味40代50代になっても依然として続けている。現代出版事情においては彼らのような真性オタク漫画ラノベ買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。

あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。

話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙限界を感じる。毎日無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞ちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。

とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害ぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害から作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単AIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐ものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいもの創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。

こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しか自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。

世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかそうかもしれない自分はつまらなくなった。射精快感最近全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころ自分が本当の意味人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。

すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。

まあとにかく結論はない。昼食はカントリーマアムコーヒー。これだけは欠かせない。

2018-02-21

昔のオタク

昔、自分学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラス教室に集いました。

当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベル教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。

私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。

自分積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。

オタクCDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。

その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分無意識価値観を揺さぶられたような経験でした。

彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。

それは本質的には数学検定必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだなのだと。(数学検定が外の人から評価されやす資格かはともかく)

 

その後、電車男書籍として販売され、秋葉原にわかテレビ特集が組まれニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。

いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。

今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います

 

私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレ情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます

必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきますアニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます

なぜなら、オタク流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。

いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲーム覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。

だったら、アニメスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます

 

同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしま同人作家を「いなご」と言いディスる

おかしものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。

今でも真実冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタク象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまコンテンツ」だと認識されているのです。

オタクって本来そういう意味ではありませんか。

もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。

オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります

私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種しか見えない。

そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。

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