はてなキーワード: ビジネス書とは
こんなふうに思っているのは自分だけだろうか。
「残業をせず、定時に帰り、仕事以外の時間を大切にすることによって
のような表現をしたビジネス書がコンビニの本棚にも陳列されているし、
ネットの記事なんてもうくさるほどある。
こうすれば効率がよくなる、というような情報が氾濫してて、そういうのを
見ていると、ああ人ってみんな働きたくないのだな、と思う。
効率化して生産性をよくするってことより、残業しないことのほうが
えらくなってる。
自分の会社もそんな感じになってきた。たくさん働くと社畜だってさ。
ブラック企業とかいう曖昧な定義をして、自分の市場価値と給与を
天秤にかけたこともないようなやつが、9時から18時まで働いて日本人の
平均給与以上を求めているわけ。
そういう人が、上手に定時に帰るためのハウツー本とかタスク管理ツールとか
自分のデスクに並べまくって、ランチwをちゃんと食べて、たいして仕事も
しないで、定時になると自分はただしい、って胸を張って帰っていく。
会社も上司も、そんな風潮だからそういう社員にもっと働けなんて言えないし、
残業=悪(残業代支給でも)みたいな雰囲気で、会社が大変な時でもまともに
仕事が振れやしない。
長時間働くこと=悪 っていうのは、長時間拘束されて会社から無理に
労働させられている人の構図であって、働きたい人にとって働くなっていう
雰囲気のあるこの感じって、ほんと働きにくい。徹夜や働き過ぎが効率よく
ないのはわかってるよ。んでも、やるときはやらなきゃどうしようもないでしょ。
俺は働きたいので。
やっとありつけた仕事だし。
これって多分周りとの温度差なんだろうね。単純に。
なんだか寂しいや。
働きにくいや。
あんなものを読んで実行しているやつに碌な奴がいた試しがない。
ビジネス書マニアの発言や行動って、ビジネス書に書いてありそうなことばかりで、寒いし、上っ面しか学んでないからか不快極まりない。
「君の言うことは理解できるよ?」
というのがあるんだが、これがまた不愉快なんだよ。
多分会話術みたいな本に「まずは相手に同意していることを示せ」って書いてあるからよく言うんだと思うけど、実際は俺の言うことを全く理解してないから腹立つ。
俺の言うことを本当に理解してたら絶対にしないであろう行動をいくらでもしやがる。中身が全く伴っていないんだよな。
同じビジネス書好きの同僚も、ビジネス書の引用をして部下に指示をしたりアドバイスをしたりしてるけど相当寒い。部下に「それ、ビジネス書に書いてあったんですか?」って言われてるしw それでその後、部下のマネジメントのビジネス書を読み始めて、隣にいる自分は笑うしかなかったな。
ビジネス書に書いてあることは正しいと思うよ。でも、あそこに書いてあることをビジネス書を読むことで身につけることは不可能。ああいうのは実際の仕事の過程で自分で見つけ出すものじゃないの。そういうものではないと自分の血肉にならないし、上っ面だけ真似ているものは見抜かれる。
自動車の某T社が社外の中堅社員向けに行っている研修を受けてきた。
内容はざっくり言うと、工場見学と一個流し生産方式の利点について、受講者で簡単な生産ラインを使って学ぶ実習方式。
以下感想
・工場見学
社員研修の為に、目的別に専用のスペースを常設している事に驚いた。見学者に「弊社はこれだけ社員教育に力を入れています!」という事をアピールする目的ももちろんあるだろうが、それだけでは説明できない規模だ。
社員教育用のスペースを常設することのメリットとしては、社員教育に関する有形・無形の資産をそこに集約して可視化しやすくなるという事と、その場がどの程度活用されているかによって、社員教育が活発に行われているかどうかという事も可視化できるようになるという事。その結果、たとえば「社員教育スペースが有効活用されていない」となれば、それを有効活用しようという意識が社員に生まれやすくなるだろう。
某T社に関しては色々なビジネス書が出ているが、ほとんどはその成果物の表面的な事だけを取り上げているように見える。それを生み出す環境として、こういう場がきちんと常設されているという事は、もっと注目されて良いはずだと思った。
・一個流し生産方式についての講習
「ロット流し」と、「一個流し・多品種混合生産」とで、どのように原価構成が変わってどのような長所・短所があるかという事の講習。ぶっちゃけて言えば、ロット生産方式なんかダメダメ、一個流し・多品種混合生産方式最高!っていう内容である。それに関して、そんなの、ケースバイケースで色々だろ、というツッコミは当然有りうるわけだが、今更そんなことを社外の人間に向けて講習する事の意図は何なんだろうと考えた。
ロット流しをデフォでやっているのは、いわゆる家電メーカーのほとんどである。一部の業務用の商品は1個流しもやっているが、いわゆる民生用の商品は私の知る限りロット生産方式でしか生産していない。そして、その家電メーカーは今、どこも苦境にあえいでいる。それに対して、一個流し・多品種混合生産を随分昔から当たり前にやっているT社は、きっちり利益を出せている。その事実が、研修内容の正当性を裏打ちするものとなっている訳だな。そういう図式だ。研修中に家電業界を直接的に批判するような話は無かったけれども、「ロット生産方式なんかクソ」と言わんばかりの講師の態度の根拠が、そういう現実にある事は間違いなかろう。
で、なぜ今T社がそういう研修を社外に向けてまでやるようになったのかという事だが、1つは、自動車において電装部品の比重がどんどん高まっていることや、家電大手が自動車向けに色気を出すようになった状況を見るにつけ、いつまでもロット生産方式を改める気配の無い家電業界に、しびれを切らしているという事情があるのではないか。
この問題は、なかなか根が深い。自動車が一個流し・多品種混合生産を採るに至った背景としては、商品単価が高い事、そのために顧客が慎重な品定めをし、それに対してディーラーがきめ細やかなサービスをする、という体制があった上で、色々なオプションサービスが必要になり、それを実現する手段として、一個流し・多品種混合生産が機能しているという事まで考慮しなくてはならない。
これに対して、家電はそのような販売体制を採っていない。まず工場が大雑把な数量をロット生産する。それを販売会社に押し込む事で、見かけの目標は達成する事ができるので、とにかく大量生産して販売会社に押し込む事ばかりに熱心になる。販売会社と製造工場だと、多くの場合販売会社の方が立場が弱いので、販売会社は押し込み在庫を断る事が出来ない。やむをえず販売会社は、押し込まれた在庫をさばくことに奔走する事になる。小さな個人の電気屋なんかちまちま相手にしていても埒が明かないので、大手量販店を贔屓にした対応を採る。大手量販店は、大量に仕入れた商品を薄利多売で右から左に流すばかり。
要するに、家電メーカーには、ユーザーの声を直接聞いて拾い上げるような流通の仕組みも無ければ、それに対応できる生産体制も無いのである。
「ユーザーの声を直接聞いて拾い上げるような流通の仕組み」と「それに対応できる生産体制」は、鶏と卵のような関係と言えるだろう。家電メーカーは今、その卵も鶏も無い状況下で、腐った商品を垂れ流している訳だが、どうやらその自覚すら無いらしい。これはかなり深刻に受け止めざるを得ない。
大企業で5年間リクルーターをしていたので、就活戦士のみなさんの疑問にお答えします。
MARCH以下は「その他大学」と纏められ、採用のチャンスがぐっと低くなります。
なお、アメフト等についてはこの限りではありません。
[失点の少ない人間よりも出来る意識の高い系の人間よりも『運』]
・採用には関係ないと言いつつ、リクルーターは評価権限を持っています。
ペーパー→リクルーター→人事らによる面接という形になっているので、
バラエティを求めるとかいう話で人事部からも評価基準等の指示はありません。
なので、意識の高い社員だったら意識の高い系学生の評価が高いでしょうし、
なので、評価がつくつかないがかなり運です。
「予定が会わなかったから落とす」事もあります。なので、正直ガラポン抽選と何も変わりません。
まぁ、人と話をするのが苦手な人は論外として、
余談ですが、私は「地味で普通な頑張る女の子」を優先して評価をしてあげるようにしていました。
・親が高級官僚とか、社会的に非常に地位の高い人だと別枠が用意されているようです。
ここはリクルーターがあっても人事の人間が最初から選別に関わります。
人品に問題がなく、並みの能力があり、コネが利益になる人間は採用されるそうです。
あと、自分の大学のリクルーターに親しい先輩がいる場合などはシード枠獲得レベルで有利です。
・これはそうです。住んでいる場所や宗教だけでなく、CSR的にダメなものは非常に多くあり、
社内的な問題(セクハラとか不倫とか)を起こされたくないので一部では「逆顔採用」が作用することもあります。
・というか、採用側は資格あっても実務レベルで使える人は皆無だと考えています。
アピールしたい場合は「がんばって取得した」ではなく、
「取得した資格をこう生かした経験がある」とアピールしてください。
普段の飲み会で隅っこでずっと座ってる人はお帰りくださいのレベル。
・リクルーターにもよりますが、こざっぱりして目が死んでいないリクルーターは
だいたい意識高い人です。意識高い人は小手先の技にだまされやすいので、
話を合わせるためにお作法として読んでおくのもいいでしょう。
・これからはももクロや℃uteのメンバーが言えるといいかもしれませんねー。
[尊敬する人=親、でも問題ない]
・面白みはないですが、リクルーターと話が合うならよいと思います。
目が死んでて、オタクっぽいローテンションなリクルーター以外はだいたいルフィ大好きですから、
まぁ、兎にも角にもそこそこの対策をしておけば大企業の採用なんて抽選と大差ないので、
あんまり気負わず受けてくださいってことがおいらのアドバイスできることです。
がんばれー。
便乗お許しください。
http://anond.hatelabo.jp/20130825164553
http://anond.hatelabo.jp/20110824143747
http://anond.hatelabo.jp/20130826033127
[基本的にはまず学歴で落とす]
5年前は考えられなかったけど、うちのような中小でも今はこのフェーズに来てます。
5年前に比べると入ってくる層も受けに来ている層もかなり学歴が上がってるんだけど皆どうしたんだろう。
さすがにFランまでいかなくても中堅ぐらいの学歴は今だと1~2次の通過ラインギリギリですね。
[出来る人よりも失点のない人を]
失点のない人はうちのような中堅どころには来ないので、どちらかというと何かしら
大丈夫、うちのような中小だとメンタルやばくても疾患歴あっても役員やれてますよ(震え声)
[コネは案外きかない]
インターンさせることはあってもまあ正規採用は聞いたことがないですね。
どこ経由かはご想像にお任せします。これ以上は何も言えません。
単身世帯かどうかはどうでもいいけど、どんな家庭だったのか、どんなバックボーンを
持っているのか、家族との普段のコミュニケーションについては一応全員聞いています。
[意外と顔では選んでいない]
だって顔採用した女性は営業でも管理でもかなり使えるし、社内の士気も高まるんだもん。
寿退社?正直そんな中期的に考えてません。
即戦力に直結するような資格を持っている人って見ないなー、新卒でも中途でも。
[社交性は重要]
うん、業種的に超重要です。
古典読むようなインテリは社内の上位5%にいるかいないかぐらい。
なので入ってくる段階でそういうの見てもいません。
まあ、ありですね。
結局は面接官との相性というか話のテンポみたいなものは重要です。
全然問題なし。
というか「将来はベゾスみたいに世界を変え(ry」みたいな人はまず来ません。
ジョブズのスピーチとか坂本竜馬の実績を知ってる人なんて何人いるんだろう。
以上。
http://anond.hatelabo.jp/20130825164553
http://anond.hatelabo.jp/20110824143747
コレ読んで書きたくなったので。
・ベンチャーは大抵、創業初期~中期に「安い人材を育てよう」⇒「無理だコレ!」の流れを確実に経験してるので
学歴に関しては経験則として「能力とおおよそ比例する」という感覚を強固に持ってることが多いです。
あと、ベンチャー経営者は大抵「学生ノリ」を強烈に引きずっているので、母校の学生を好むことが多い。
低学歴の場合、突出した何かを持ってない限り面接もしない。してるヒマがないから。
ある意味、成功しているベンチャーの間口は大手より狭い。これは儲かってる中小企業にも言えることだと思う。
学生が入りたいと思うようなベンチャーは、意外に入社難度高め。っつーか、正直こんなとこ新卒で受けなくていい
とりあえず大手行っとけと、僕はベンチャーの中の人として本気で思います。
[失点の無い人なんかどうせこない。一芸あるキチガイ求む]
・ベンチャー勤務なんて、どうせどっかしらおかしい人しか勤まりません。
つーか、マジでやばい経理関係や金繰り系の事務ワークは大体創業メンバーの誰かがやるので、
新人に求めるのはリアルな意味で即戦力。戦場で言うと「おら、そこにAKあるから敵兵撃って来い」って感じでリリースするのが基本。
大企業のように大規模戦列を組んで号令で撃ったりとかしない。自分のやり方で勝手にやれスタイル。
そういうわけで、新人は大体「一芸あるキチガイ」しか入りません。尚、一芸のないキチガイはすぐ撃たれて死ぬ。
ただし、この場合の「コネ」とは利益に直結するものを指します。
[単身世帯かどうかそもそも興味がない]
・そんなとこ見てる余裕ないのでどうでもいいです。ムリなら辞めてください。
え、仕事が合わない?キツ過ぎる?ああ、辞職届のフォーマット今から作るわ。前の担当者が作ったのどっかにあるかもしれないから
ちょっと探しといて。
[意外と顔とかどうでもいい]
・利益出せれば人外でもいいです。
利益の出し方も別に問いません。顔とか気にする余裕はないです。
・育児とか結婚とかそういうものって会社と何か関係あるんでしょうか?
・ベンチャー企業は大体「コレやりたいけどこの技能の不足がボトルネックだよなー…」
ってのを一個か二個抱えてます。それを解消する技能を持つ人間が来た時、
採用担当者は冗談抜きであなたを捕獲にかかります。採用じゃないです、捕獲です。
・というのも、ベンチャーは「利益が出るかそもそも全くわからない」プロジェクトに
カラ手で挑まなきゃいけない局面が多く、外注はたとえ安くても使えないことが割とあります。
試行錯誤する段階で外注使ってると幾らカネがあっても足りないので。
尚、当社では売買不動産系の技能持ちとフラマン語に堪能な新社員を超激しく募集してます。
採用の暁には、速攻肩書きつけて新プロジェクトのリーダーとしてぶちこみますので、興味のある方は是非。
・ベンチャー企業における「人事」とは、プロジェクトをたくらんでるけど人材が不足してる部署の長、という意味です。
採用は大体各部署の長が「こんなん入れたいんだけどどーよ?」って感じで決まります。
人事の専門家とか置く余裕ねーよ。つーか、人事って専門職域なのかそれってレベル。
[社交性はやっぱそれなりに重要]
というのも、ベンチャーにおける給与と裁量というのはおおよそのところ、「オラ、クビに出来るもんならクビにしてみろ、俺がいなくて仕事出来るのかアアン?」と
「クビにしてやんぞオラ、黙って働けクソカスが」の間の綱引きで決まります。
この資本主義社会を具現化したような交渉が出来ない人はそもそもベンチャーに向きません。
・技能と能力を持ってても、これが出来ないと使い潰されます。というか、使い潰します。
それを悪いことだと思う感性は、遥か昔に捨てました。
・我が社は割と教養主義なところがあります。メンバーほぼ院卒ですし。
ベンチャーって割とイデオロギーで回ってるところがあるので、主義主張や思想的背景が一致すると、
割と愉快に仕事が出来ることが多いです。というか、大手企業と違ってコミュニケーションにかけるコストがそもそもないので、
意思疎通をテンポ良く進めるためには、ある程度の教養が求められてしまう気がしています。
尖った思想を持ってる人は結構歓迎されます。我が社自体も尖ったイデオロギーで前進している組織なので、
それに共感するかはどうでもいいですが、理解はして欲しいと思います。
なにより、大手と違って教育のテンプレートが存在しないので、自己教育が出来る人でないと厳しいかと。
そういう意味で、本を読まない人ってのは多分ムリな気がします。ぶっ飛んだ一芸があれば別かもしれませんが。
・情報のインプットが早く、脳の体力があるって意味で野良博士はわりと採用したい人です。
フラマン語出来る人いませんかね?しつこいようですが。
・激しくどうでもいいです。
でも、自分の専門分野と大好きな領域を他人に楽しく話すスキルはあるととても素敵です。
オタクな専門知識を利益に換えるスキルって、そういうところから始まる気がしています。
[尊敬する人=親、でも問題ない]
・問題ないです。そもそも聞かないですけど、こんなこと。
あ、でも今もしこれを尋ねられたとしたら「流行モノ」は避けた方がいい気がします。
今だと「ジョブズ」はやめた方がいい。もちろん、ジョブズは尊敬すべき人だと思いますし、スゲーと思いますが。
それ言っちゃうとやっぱり「あー…この子夢観ちゃってんなぁ…」って思われます。
つーか、この答えで喜んで採用するベンチャーは若者の夢を喰って太るタイプの外道ですので、内定辞退しとけ。
ふわふわした夢を見てるタイプの人は、理想と現実のギャップでサドンデスする可能性が高いので、割と採用を躊躇います。
まぁ、必要な技能を持ってる場合は気にせず入れますけど。「育成枠」みたいな感じで採用するなら極力避けます。
もし、ベンチャーに特殊技能をウリにする以外で入社するなら、「現実の厳しさには強い方です」アピールが効果的。
でも、そんなことしてまで入る必要はないです。大手行ってください。
--
以上。今、「ベンチャーに行きたい」と考えている学生さんにとって何かの足しになれば幸いです。
正直なところ僕は、ベンチャーは新卒の学生が行く価値のあるものだとは思ってません。
しかし、世の中には新卒の学生を使い潰そうと手ぐすね引いているベンチャーが多々あることも事実です。
もちろん、あなたがスタンドアローンで利益を出せる存在であり、かつ給与交渉、要するに自分の存在価値を企業に見せつけ、
経営者と利害関係の綱引きを出来るほどのツワモノであるなら新卒で入っても問題ありません。
しかし、そうでないなら「とにかく大手!」は新卒の思考として限りなく最適解に近いと僕は思っています。
大手からベンチャーに渡るのはカンタンです。しかし、その逆は限りなく不可能に近い。
あなたがベンチャーで一旗あげたいと思っているのであれば、大手の持っている教育システムを食い逃げして
ベンチャーに飛び移るのがお得だと思います。つーか、ベンチャーで勝ち残るのって大体そういう人です。
基本的に、大手に入社する能力のない人は大体(余程尖った一芸が無い限り)ベンチャーでも生き残れません。
大手さんの育成システムは皆かなりのレベルで、そこで落ちこぼれた人も多分ベンチャーは無理です。
つまり、仕事は出来るけどなんかもうアレがアレで大組織の中で生きるのは不可能に近い、そんな人が
最後の駆け込み寺としてベンチャーに来るべきだと僕は思ってます。
一応、最後に「ベンチャー」ってものをちょっと擁護しておくと、大きな組織には全く合わないけど、
ベンチャーの水は最高に合った!って人も結構います。僕もそのパターンです。
そういう人は、大企業の中で緩慢に死んでいくよりベンチャーに飛び移った方がいいと思ってます。
そして、そんな人を僕は今日も探してます。組織の中での自分の未来に見切りがつき、どうせダメでもせいぜい死ぬだけだと思い切れたらその日が転職時。
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ツイッターでwww11bigorjpkkkさんが反応してて若干感動しながらワロタ。
僕、大学生の時あなたのHP読んでアウシュビッツ社で笑ってましたよ。
未だに僕が書く文章と労働への感覚にはあなたの影響がものすごく強いです。
今はアウシュビッツ社で働いてます。いや、ITじゃないっすけど。
さーて、仕事がんばろう。
年齢制限しかありませんが、ライバル校の就職者数ランキングに入っててびびった
[点数制]
点数の仕組みが分かりませんが筆記の点数を持ち越せます。
[コネはきかない]
超えちゃいけないライン。
当然ですね。
[顔?なにそれ?おいしいの?]
履歴書に…書く欄がありません…。
[社交性は重要?]
そりゃそうだが…
し、知らんがな…
同上。
[尊敬する人?]
同j
め、めんどくさい…
・留年浪人どうでもいい。Fランはほとんど営業に回されるが、そこでエース級の活躍する奴もままいる。早慶でも早々にメンタルでリタイヤしてしまう奴もいる。結果としては、学歴よりも配属部署とそこの上長次第なので、最低限大学さえ出てればOK。
ただし、出世するなら別。Fランでなれるのは本社なら課長まで。地方なら部長まで。
[出来る人よりも失点のない人を]
・これはその通り。試験がペーパー→面接(人事によるもの、各部署から集めた課長によるもの、各部署から集めた部長によるもの、幹部によるものっていう4段階)と何度もある限りどうしても失点が少ない人が残る。
大学での突出した実績や、ペーパーでのダントツの成績、面接での突飛な答えによる一発逆転は、試験の仕組み上起こりにくい。
[コネは案外きく]
・きく。特に社内より他社(資本関係や取引関係のある会社)からのコネはきく。「コネもひとつの能力だ」という理屈から。ただし、コネで入社した人間がコネを生かせない部署に配属されるのがお決まり(客からのコネで入社した人間は、その客に関連する部署には配属されない)。
そこは非常に納得がいかない。「コネという能力」を生かせないと思うんだけど。なんか理由があるのだろうか。
コネが非常に効くのは第二新卒や中途採用。なぜなら、新卒採用よりプロセスが簡略化されてるから、上に書いた「試験の仕組み」に穴があるカタチになるため。
・人事の面接官も、人事以外の部署の面接官も「コンプライアンス上聞いてはいけないこと」の箇条書きが回ってくる。家族関係や宗教関係や政治関係は絶対聞いてはいけない。
今はブラックな面接はネットですぐにバレる。その時責任をとるのは人事なので、人事もピリピリしてる。
[意外と顔は重要]
・顔がいい必要はないが、不快なルックスのやつは落ちる。つまりブサメンでも短髪でおでこ出してジャストサイズのスーツを着てれば問題ない。清潔感大変重要。
当社では顔がいい女子は6割が本社の管理部門に配属されて、2割が本社・地方問わず営業に回され、あとの2割が開発。男子はほとんど営業。
したがって、地方の管理部門の残りカス具合が半端ない(地方の管理部門のイケメンはたいてい営業から異動になってきたやつ)。
あと、30代以下の男性営業のイケメン率が高い。営業のオッサン連中が野武士みたいな連中なのは、20年前くらいを境にして方針が変わったんだと思う。
・育児とか結婚は制度も整ってるが、全然活用されないので、面接で聞いたら大歓迎で対応されるし、マイナスされることもない。聞き方は重要だけどね。
職場でも育児や結婚を悪く言うのはタブーになってる(飲み会で独身の男性社員が「こんな時期に妊娠するなよなー」みたいなこと言っても必ず誰かがたしなめる)
結婚・育児の制度が利用されないのは「女の敵は女だから」というのがもっぱらの説。
・これはその通り。ただし、履歴書にどんな資格を書いたかは、配属後かなりの期間上長が認識しており、業務もまずはそれに応じたものが振られることが多い。
新人に振りたい業務はたくさんあって、現場としては順番に振っていって当たるまで本人の適性を試したいと思ってる。まずどれを振るか、という選択の参考にされるわけだ。
[社交性は重要なはずなのに]
・たまーになんか障害があるのかレベルのコミュ障がコネ無しで入ってくる。すげー声が小さいとか。あと、ここに並べるのも変だけど、吃音の新入社員もいるよ。盲目もいるし。
・だって面接する側にそれを図れる教養がないからね。読書アピールなら冊数とか速度とか教養がない面接官にもわかる指標が必要。
[尊敬する人=親、でも問題ない]
・親でも織田信長でも孫悟空でもルフィでもOK。理由による。あ、いま当社の営業課長の間ではワンピースが流行ってます。
就活戦士のみなさまの何かのお役にたてればいんですが、兎にも角にも就活は業界よりも会社によるし、入社後は会社よりも部署(とそこの上長)によるというのが転職経験ありのオイラの結論です。
ブログの人気ジャンルの一つに「書評ブログ」というものがある。読んだ書籍をもとに記事を書き、内容の紹介をして、アフィリエイトに誘導したりしている。
彼らは実にたくさんの本を読んでいて、とても感心する。記事にするのもとてもエネルギーのいることだろう。
しかし、同時に彼らを見ているとある疑問が湧いてくる。「いったい読書で得られることってなんなんだろう」という根源的な問いだ。
一般的に本を読むのは良いことだとされる。だから、新聞では活字離れが嘆かれるのだし、学校では朝読書が導入されるのだ。読書は読者の視野を広げ、思考を深め、よりよい人生に導いてくれる。
そんなことがまことしやかに信じられているが、書評ブログを見ていると果たしてそうだろうかと思ってしまうのだ。
彼らはたくさん読んで、たくさん書いているが、それによって何かが深められているという跡がまったく見えてこない。
さすが博識だなぁとか、すごくうまい文章だな、と思うことはまるでない。
本の知識はその本の記事のなかで完結していて、他の記事に生かされて絶妙に面白い記事が書かれる、ということがまったくない。
商業で活躍する優秀なコラムニストはそれをやってのけるが、彼らにはそういう兆しは一向に見えてこないのだ。
そもそも彼らがやっていることは厳密には書評ではない。内容の要約だ。彼らの記事にアクセスが集まるのは、彼らが書いていることが面白いからではなく、本の中身が優れているからである。
例えば、プロブロガーを名乗っているイケダハヤトさんのブログなんか、記事の半分以上が引用で構成されている。ほとんど本の内容を写しているだけだ。
とりわけ興味深いのはビジネス書を中心に書評しているブログだ。
彼らはたくさんの仕事術を紹介してくれるが、それが彼らの仕事にどう生かされているのか、まったく見えてこない。
この方法よりこっちの方法が良かった、という比較も書かれないし、果たして実践しているのか謎だ。
それで「夢がかないました」と言うのでどういうことか見に行くと、自分の本が出せたことだったりする。ビジネス書を読むのは本を出すためで、ビジネスとは関係なかったということだろうか。
思えば僕は積み重ねというものができない。
(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)
小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。
今はほとんど聞かない。
だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかわからないアーティストだし
未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!
てきとーに本屋に足を運んで
気軽に読めるものだけ読む
せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。
意識高く熱くなろうと頑張る。
でもインプットしたものもアウトプットしたところで金にならず終わる。
何もやってないわけじゃないけど
何やっても単発でおわる。好きなことも
お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから。
絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。
自分に関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。
人の名前はほんとにそれが原因かも。
かなりドライ。ケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。
長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。
まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。
もちろん友達も少ない。
これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。
実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。
将来とかもどうでもいい。
みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?
でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾
何したら楽しいの。
何かを好きになるのは自分の自由なのに
それを好きと言い続けられる精神がない。
それはまわりの目を気にしているからだと思う。
何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。
一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。
今論文やってるんだけど
他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。
せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら
よろこんで参加するのになー。
仕事術って、「こう考えよう」とか「クリエイティブを意識しよう」とか、精神論というか抽象的な心構えみたいなのを語るものが多い気がします。
しかし、ビジネスっていうのは基本的に、具体的な成果をいかに効率よく出せるかが勝負です。「仕事を楽しもう」なんて生暖かいこと言うのもいいですが、子どもがいるような家庭では特にそんなこと言ってられないのが普通なんじゃないでしょうか。
実際、べつに特別なことでもなんでもありませんし、自己啓発書とかビジネス書に書いてあるようなことかもしれませんが、生産性上げるために私が意識してることを書きます。
「これができたら達成。できなかったら失敗」というように、具体的な達成条件を決めて仕事をしよう。勿論、そのためには具体的な目標も必要。
仕事の達成条件を決めるとき、成果を評価するのは誰なのかを考えよう。顧客なのか、取引先なのか、上司なのか、市場なのか。誰からも高い評価を得られるような仕事は素晴らしいけど、基本的にリーチを広げ過ぎると収集がつかなくなる。絞ったほうがいい。
せっかく時間と労力をかけて、達成条件を満たした仕事を仕上げても、駄目出しを食らってやり直さないといけなくなるときがある。予め駄目を出しそうな人を見つけて、簡単な大枠を伝えて確認をとるほうが、無駄な差し戻しがなくなってベター。
作業の進捗具合をチェックするのは重要。具体的な目標と、それに関する具体的な達成条件が決まっているなら、そこにたどり着くまでにあと、なにが、どれくらい足りないのか、埋めるためにはどうすればいいのかを把握するのは簡単だ。30分とか1時間ごとに、作業の進捗具合をチェックする癖をつけよう。
時間と労力をかけて車輪の再発明をするくらいなら、余所から車輪をパクってきたほうが速くて効果的なことのほうが多い。似たような先例を探すなり、過去に自分がやったもので流用できそうなものがないか調べよう。
ぜんぶを完璧にしようとすれば、キリがない。「まだ完成じゃない」「なんか違う気がする」と言い続けてると仕事が終わらない。時には「ここは捨てよう」という諦めも肝心。100点の答案を追求して提出期限が切れるより、75点の答案を期限内に提出するほうが絶対にいい。
難しい課題はなかなかやる気が起きない。軽い仕事をこなしてやる気が降りてくるのを待つくらいなら、「30秒だけ」と決めて少しでもいいから手をつけよう。30秒の間にちょっとでも仕事が進んじゃうと「中途半端だから最後までやっちゃおう」という気が起きるので、それを利用して一気に片付ける。
この春から課長になった。わずか200人くらいの会社。部下は5人。そんな課長。時間外がつかなくなってむしろ笑える。
人生でこれまできにしてきたのはとにかく「相手の立場」に注意すること。昇進なんて引き上げてもらうんだから、上げる方の立場を考えて動かないと意味が無い。
ビジネス書とか、ライフハックとか、役に立たない。僕には。単に、ただひとつだけ。相手の立場を尊重することだけし続けてきた。
世のビジネス書やライフハック系サイトやらの情報を見ていると、読者全員を経営者にしたいのかと見まごうばかりだ。そんな読むべきビジネス書なんてありえねーよ。そんなの読む暇あったら語学勉強しろ。もしくは他に稼ぐ方法考えろ。競馬は稼ぎすぎると脱税で訴えられるぞ。
そんなこと思った春。
http://anond.hatelabo.jp/20130223090512
三行でまとめると
PSのビジネスモデルを振り返ってみるのだが、この切り口から行くとPSはSONYの半導体戦略、そしてSONYは製造業と言う性質とと切っても切れない関係がある。
利用上の注意
なおすべて妄想となっておりますので、これを真に受けて被った損害などについては一切責任を取れません。皆様におかれましてはその旨ご了解のうえご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力頂けない場合につきましては、いい歳こいたアラフォーの髭ヅラ男が涙目になると言う非常にウザイ状況が発生することとなり、誰も得をしません。ご理解とご協力をお願いいたします。
SONYがゲーム機を一緒につくろうと言って任天堂に近づいたものの交渉が決裂してできあがったのがPSであったわけだがこれが大ヒット。
さらにPSでは、内部で使われている半導体を自社設計・自社かそれに近いFabで作る事によって
など副次的な効果もあり、さらに「SONYの旗艦」といったイメージを作り上げることができた。この他に、CD-ROMを手がける部門や、SONYのCDプレス工場部門等々、PS景気により、直接的なPSによって生み出される効果以外に、PSという揺るぎない需要が存在する事で、設備投資などに積極的になれたといった効果がうまれた。
初代は始めどこまで意図されいたかは不明だが2台目ではそれらの経験が生かされる事となりより強化された。まず一番は半導体工場で有り、旺盛なその需要と、それによって得られた利益を投資に回し新プロセスを開発、シュリンクすることによって最終的な黒字を目指すことで赤字で販売をスタートすることとなる。
ゲームハードは赤字でも、ソフトが売れれば黒字。こんなの当たり前だろ、と言う話であるが、総合情報機器メーカであるSONYでは少し事情が異なる。これは、ソフトウエアライセンス事業による利益によって、間接的に半導体生産の設備投資を補填すると言う形を意味する。もちろんそれ以外にもSONYの製造部門にもPS2が赤字でも販売すると言う行為によってもたらされる間接的な利益が流れた。
ご存じの通り、PSは我が愛する芸術品たる至高のゲーム機Dreamcastを完膚なきまで叩きのめし世界最高の企業セガをプラットフォーム業から引きずり卸しパチンコ屋に買われる所まで追い込む等大成功をとげた。そしてゲーム機生産により、SONYの製造業部門を引っ張っていくという当初の見込みは大成功した。
PS3の時代になると、パソコンの旺盛な需要の元、急速に進化した集積回路は、プロセッサの新規開発コスト、さらに半導体のプロセス開発に必要な資金が膨大に膨らむという現実に、様々な企業が立ち向かうよう時代が来ていた。世界の巨人たるIntelと、それ以外という構図が生まれ、世界中でFabの統廃合が進んでいた。
その中で目をつけられたのがゲーム機という存在である。パソコンに対抗できるほどの膨大な需要を生むゲーム機は、薄利という性質を持ちながらも数が出るため、生産設備を拡大しやすくプロセス開発の資金を捻出する事に有利であった。さらにSONYは、ゲームハードウエアが、当時のパソコンなどに比べて圧倒的に高い性能を持っていなければ存在価値が無い、と言う観念を持っていた。これはかつて任天堂がもっていた思想であった。
さらにIBMなどの思惑とも一致、開発がされたのがCell B.E.であり、この存在がPS3を生んだ。そう、ここまで来てSONYは、半導体のためにゲーム機をデザインしたのである。
もちろんこの説にはいろいろな異論はある。しかし俺は順序としては、ソニーグループ全体の長期的な戦略にPSが生む半導体工場の増設という戦略が大規模に組み込まれていたのは間違いないのでは無いかとみている。そこで完成したマシンは、化け物であった。現在まで続く潮流であるGPGPU的な動作もこなすCell B.Eがもたらす高性能と、高い拡張性を備え、既にゲーム機では無いとまで言わしめるものができた。この性能は当時の最新鋭コンピュータを大幅に上回るものであった。
しかし……。GPGPUの概念は早すぎた。性能を引き出すことが、当人であるSONYでも難しかったのである。そしてこれはミドルウエアや開発ツールの乏しさにも繋がる。そのためスタートアップに失敗した。この失敗は、PSがゲーム機として優れていなかった、あるいは、他者装置に負けた、と言う意味で失敗では無い。製造業としてのSONYが、自社の思惑通りに事を運べなかったと言う事での失敗である。
結果SONYは、PS3の需要を当て込んだ生産設備をリストラ・売却するなどの対処をを迫られる。さらに韓国勢などの追い上げ、AV市場の急速な変化、SONY本体の体力の低下、パソコンの高速化などにも影響を受けることになる。
PS3そのものは、OSの改良、ミドルウエアや開発ツールの向上などにゆっくりではあるが立ち上がってきたが、製造業としてのSONYがPS3に期待した効果は得られず、ハードウエア屋、製造業がみた夢はここに破れた。
さらに時代は動き、集積回路は、Intelがプロセスで1世代以上先を行き、それ以外はすべて後から追うという構図が完全に定着してしまった。SONYも、SONYの半導体と言えば、集積回路ではなく画像素子、と言う時代が来て久しい。世界中で半導体製造業者の統廃合は進み、国内半導体産業は衰退した。新プロセス開発の難易度や、集積回路の大規模化から来る開発コストの上昇はいかんともしがたくなっていた。
ゲームが必要とするスペックはもはや飽和している。少しでもリアルに、少しでも高性能にと言う方面はすでにマニアのものだけになってしまい、それら需要だけで、そのとき販売されているパソコンを上回る高性能チップを開発、載せるコストを満たすことはできなくなっていた。具体的に言えば、ウルトラハイスペックの、GeForece GTX SLIクラスにも勝ちうるGPUを、専用設計でオーバーヘッドを極力少なくすることができるとはいえ新規設計することが難しくなっていたのである。さらにはゲーム機業界ではスペック競争を離れた任天堂がWii、あるいはDSを生み出し、ケータイ、そしてスマフォとと言う存在がカジュアルゲーム市場をかっさらうようになった。特に日本では据え置きゲーム機がリビングルームに置かれ、パーソナルな空間に置いてゲーム機は携帯ゲーム機になったのである。
そして決定的だったのが、ゲームエンジンの躍進と越境であろう。従来はゲームエンジンや製作環境はゲーム会社の門外不出のものであった。しかしそれらが会社を通じて流通し始め、さらには専門業者も現れるようになったのである。
家庭用ゲーム機と言えば、ゲーム機の性能を引き出すためにソフトごとにアセンブラで最適化チューニングを施す。それを行っても常に動作が一定になることがメリットとして、パソコンに比べてゲームは常に一定の動作をすることが担保できるためにゲーム製作に専念することができた。しかし、パソコンは十分に高性能になった。家庭用ゲーム機も十分に高性能になった。その結果、チューニングを行わなくてもそこそこの画面が作れるようになってきたのである。そこで余った能力はゲームエンジンのオーバーヘッドを許容するようになり、ゲームエンジンの躍進に繋がった。さらにゲームエンジンはプラットフォーム間の差異すら吸収し始めた。あるゲームエンジンを採用すれば、あまり手間をかけること無く、パソコン版、PS版、XBOX版、Wii版と複数プラットフォームで出せるようになったのである。これは、ゲームエンジンが新たなるゲーミングプラットフォームとして君臨する可能性を示唆していた。
しかし、チューニングなどといった、ユーザとは直接関係の無い部分に手間をかける必要が無く、作ったゲームがどこでも動く。これはクリエイタとしては非常にありがたい事なのでは無いか?
ビジネス書に出てくる例えがある。ユーザはねじ回しが欲しいのでは無い。ねじを回したいのである。同じように、客はゲームがしたい、もっといえば楽しいことがしたいのであって、別にゲーム機が欲しいわけでは無いのである。クリエイタはゲームを作りたいのであって、ゲームハードウエアを使いたいわけでは無いのである。ここに合致したのがクロスプラットフォームなゲームエンジンであり、そしてこれらはクリエイタに作りやすい環境を提供し始めた。さらにゲームエンジンは新たに現れたライバルである、タブレット/スマートフォンにも対応している。
しかしゲームエンジンの躍進は、プラットフォームビジネスの崩壊を意味したし、PS3は性能を引き出すには高いレベルの専門的チューニングが必要であった。しかしゲームエンジンはそこにコストを払う事を選択せず、PS3は高い性能を持ちながらも、それ以外のあまり高性能ではないプラットフォームとほぼ同等、せいぜい高解像度のテクスチャーに入れ替えられた程度のゲームしか提供されない、と言った事が発生するようになっていた。
そしてPS4が出た。
PS4は有り体に言って、x86-64アーキテクチャのコンピュータに、OpenGL/CL対応のGPUを搭載した、本質的にはそこらのパソコンと変わらない構成である。
さらに言えば、最新のCorei7+GeForce GTX…と行かなくとも、そこらのパソコンに較べ、性能は高くない。しかし、根本的にゲーム専用機が持つ、汎用パソコンには無い特徴
を備えている。さらには、GPUを扱いにくくする要因の一つとして上げられる、GPUとCPUのメモリ転送をほぼ考えなくて良いと言う仕様を打ち出してきた。これはCellとCPUのプログラミングが分断され、非常に開発を困難にしていたPS3の反省をダイレクトに生かしてきたと考えられる。これはAMDが出していたコンセプトだ、と話題に上がるが、あくまでもパソコンの話であって、ゲーム機の分野では少なくとも、PS2がプログラミングが困難な部分を、高速なバスで繋ぐことで隠蔽するよな仕様であったように記憶している。
さらにx86-64アーキテクチャにしたことで、ゲームエンジンがPC向けエンジンの次に、素早くPSにも対応できる素地を整えた。Power向けに施す必要のあるチューニングを不要にしたのである。従来はパソコンで開発されたクロスプラットフォームのゲームは、パソコン向けと、家庭用ゲーム機向けの2種類作られた。そして家庭用ゲーム機向けは往々にして、ターゲットとなるハードウエアの中で一番性能の低いところに合わせたデータで作られた。平たく言えばPS3の方がXBOX360よりもはるかに映像表現は優れているのに(※ただし使いこなせれば) XBOX360との差異はテクスチャやムービーの解像度程度の違いだけになってしまう事を意味していた。しかしx86-64にしたことで、家庭用ゲーム機向けに統一してダウングレードされたデータからPS版を生成させるのではなく、パソコン向けのデータから生成させた方が早いと言う状況を作り出し、他の家庭用ゲーム機にくらべてアドバンテージを得ようとしているのでは無いだろうか。これはPS VitaがARMを採用したことも同じ事である。
さらに、SONYは、PSVitaから進めてきた戦略として、自社による強力にプラットフォーム感の差異を吸収するミドルウエア群…これはゲームエンジンと読んでも良いのかも知れないが…を提供してくるだろう。x86ならば従来の資産を生かすこともできるし、世の中に出ているコンピュータ向けのライブラリも利用できる。急速に開発しやすい環境を立ち上げているのではないだろうか。これはゲームエンジンにより脅かされる、プラットフォームビジネスへの対抗措置でもあるだろう。
これにより「雑事に捕らわれること無く、ゲームの楽しさ・表現そのものに専念する」と言うクリエイタの夢を叶えるハードウエア、それがPS4であろうと思う。
平たく行ってしまうと、自社の半導体商売が死んだことにより、その死絡みから解き放たれたPSは、クリエイタ主導でゲームを作ると言う根本に立ち返って作ったのがPS4だ、と言う話である。
しかしこれだとハードウエア、製造業の夢はどうなってしまうのだろうか?そしてユーザは別にクリエイタの夢などはどうでもいい。下手をすると高性能なハードウエアを所有していると言う欲を満たせなくなる分だけこちらの方がまずいかも知れない。それをどうカバーするのか?と言う話になる。
SONYは、次世代戦略として明らかにソフトウエア重視に舵を切っている。SONYは今、収支から見ると製造業では無く金融業であるが、その次に利益を生み出しているのは音楽・映像ソフト部門とゲーム部門である。
まずはここを潰してしまっては会社として立ち行かなくなる。それはまずい。ではどうするかというと、従来の「製造業としてのSONYを強くするために、PSの需要を利用する」のではなく「コンテンツ・製造複合体としてのSONYの核にPSを据え、関連商品を生み出す形で恩恵を得る」と言う形に舵を切ってくることになる。PS3でも一部行われているが、たとえばPSのリモートプレイを可能にするパソコンやタブレット、PSを再生装置としてコンテンツを供給できるメディアサーバといった具合である。
しかしこれらに対応させるために大切なPS本体の魅力を失わせては困ると言う事は強く意識されなければならないし、意識されていくだろうと思う。
ユーザの夢は、将来的には作りやすいゲームプラットフォームが生み出す新しいコンテンツという形で満たされることになるだろうが、直近では、ソーシャルへの展開という形で示されていると思う。将来的にはいかにコンテンツを集められるかと言う事にかかっている。が、ぶっちゃけていうとユーザから見たら、これほど夢の無い話は無いと言わざるをえない。
今回発表されたタイトルのデモなどは実際にはチャンピオンで有り、実際にプレイして得られるのはPS3とそれほど感覚的に、革新的に良くなったと感じる部分は薄いと思う。この点で、PS4は、PS3と実働コンテンツはそれほど変わらないと思っている。マイナーバージョンアップ程度。パソコンがWindows XPで評価が固まったようなものである。これはおそらく次に発表される新型Xboxでも同じだ。任天堂は少し別格の応えを出したが苦戦している。
かつてセガが出した芸術品とも言える至高のゲーム機、DreamcastはOSにWindows CEを搭載した。プロセッサこそ独自であったがそれは当時のWIndows CEではあたりまえであり、むしろそこにWindowsと言う汎用のソフトウエアを利用したことで非常にゲームが開発しやすく、PCゲームが移植しやすい環境を作り上げた。それらはアーケードのnaomiプラットフォームや、ワンチップで埋め込まれたパチンコなどで今でも生き続ける。
任天堂がWiiUでコントローラに画面をつけDreamcastに追いついたように、SONYは、PS4で作りやすいゲーム機という点で追いついたと言える。
またしてもセガは早すぎた。時代がセガに追いついていなかったのである。Dreamcastはその名の通り「夢を投げる」存在であったのだ。
田舎のベンチャー(零細企業)に昨年の4月から新人の男の子が加わった。
1浪後、四年制大学を卒業してすぐの入社。23歳。いわゆる新卒だ。
事務周りの人手不足が予想され、次年度に向けて国の補助金を確保した。
さあ募集開始しよう、というタイミングで取引先から紹介されたのが彼。
田舎では(たぶん)よくある話だ。
田舎のベンチャーの有期雇用に新卒で飛び込むなんて相当な覚悟と度胸がいるものだが、
彼からはそういう類の人たちが持つ芯の強さを感じられなかった。
入社前に一度話をしたことがあるけれど、将来の夢をぼんやりと語ってくれただけで、
具体的なビジョンも持っていなかったようだし、正直なところ、あんまりピンとこなかった。
「田舎でインターネットってもっと可能性があると思うんすよね」
それ以上のことを彼は語ってくれなかったし、語る必要を感じていないようだった。
Officeも普通に使える。業務もそれなりに引き継いでくれている。
本人も仕事に関して特に希望がないので、フロントに出さず、事務作業をお願いすることにした。
とりあえず楽しんでやっているようではある。
文書中の不自然な敬語を指摘したり、来客時のお茶だしを徐々に仕込んだりしている。
当然「ほうれんそう」もできないが、まあこれは一般的な新卒ならしょうがないところか。
とにかく無難にこなすようにはなったが、まだひとり立ちさせるには不安がある。
なにより、コミュニケーションに難がある。
端的に言って、人の話を聞かない。他人のアドバイスを次に反映できないケースがある。
どうやら、優先順位を調整することができないらしい。
要は「ずれている」ということ。
先月のMTGで他の社員から指摘があり、先輩社員数名で彼のOJTを再考することになった。
そう結論づけるに至った。
「こんな人間を雇ってどうするんだ」と不満を言わない社員は立派だと思う。
みんな、彼を一人前にするために知恵を絞ろうとしている。
ビジネス書を読ませよう!と誰かが言った。
彼は歴史オタクだった。司馬遼太郎を愛し、ビジネス書を手に取ることはまずない。
そういえば学生時代に勝間和代は読んだみたいだが、これまた「ずれている」。
活字に慣れている彼なら、もしかしたらビジネス書も面白く読んでくれるかもしれない。
ところが、彼は明確な目標も持っていない(ように見える)。
そんな人間が「こういうスキルを身につけたい」と考えているとは思えない。
(実際、半年たっても彼は業務に関する希望をほとんど言わない)
勤務態度はまじめで、人当たりも悪くない。
事務周りの人手不足はひとまず解消している。
事務作業を延々してもらう分には問題ないが、
3年の雇用期間後に、彼を戦力として迎え入れるほどの成長は見込めないのが現状である。
まじめだが向上心のない彼にどう接するべきだろうか。
"びじねすまいんど"を叩き込めば、自ら仕事をつくれるようになるのだろうか。
仕事振りからして成長を望んでない彼を一人前に育てようという発想が、そもそも正しいのだろうか。
まず注意していただきたいことは、残念ながら「漫画」というコンテンツは出版業界の全てではないことだ。「がっちり読者がついている人気漫画家”赤松健”」だからそう言っちゃえるのだろう
例えばビジネス書など「専門家が書く一般書」のニーズを想定して見よう。この場合、電子書籍時代が到来しても、出版社(が現在行っていること)の必要性が無くならない。
「普段は学会などに閉じこもっている金の卵を発掘して説得し」、「コンテンツを企画し」、「議論を交わしながらパッケージとして作り上げ」、「方々にマーケティングする」という、売るための仕組み作りは、それなりの苦労とノウハウを要する。
一方で、それでも製作から販売まで垂直統合して自己完結型でやりたい著者は出てくるだろうし、電子出版・流通はたぶんそういう人を排除できない。
また取次ぎ、書店、書籍印刷、これらは間違いなく衰退するので、そこへの影響力という大手出版社固有の優位性も霧消する。流通への影響力という意味で差別化要素がなくなるので、企画出版を行う新規参入者が山のように出てくるだろう。
その意味で、出版社は消えるのではないが、きわめてフラットな競争環境に置かれる。
ネットで展開される電子書籍関係の議論はやたら権利関係に矮小化されたものばかりだが、著作隣接権等の話が最終的にどう転ぼうとも、将来像としてはこうなると、業界に所属するものとしては予想している。
数年後か、10数年後になるのか・・・。覚えていれば、これもできれば後で答え合わせをするつもり。
俺も気分転換によく読むのですが、成功してちょっと有名になった社長さんがご高説をたれて下さいます類の本(またはブログ)がありますよね。俗に言う社長本、ジャンルはビジネス書とか自伝(エッセイ)とかになるのかな。インタビュー式のもあった気がするけど。
そこでよく見るのですが、「こういう社員がいました」「こういう上司がいました」「こういう取引先がいました」などと実話かどうかわかりませんが、社長本人の体験の中で出会った人物(当然本の中では匿名ですが)が悪い例として、話のネタにされていることがあります。具体的な内容は単なるミスやマナーの指摘から不誠実な行いの糾弾まで様々ですが、こういう形でネタにされた本人がこれを読んだらどう思うのかと、他人事ながら時々気になります。書いてあることが客観的な事実ならまあ大抵書かれた方に非があるわけで反省はしてるかもしれないですが、本人が読んで「そんな風に思われていたのか」とショックを受けたり「関係者が見たら特定可能な話で、俺の株が下がる」などと恨まれたり「これは事実ではない、話盛って書きやがって」等と不満を持たれたりすることにならないんですかね。
書く側がいちいち事前に根回ししたり、本人に承諾を取ったりしているとも思えないので、実在の人物に関わる実話だとしたら無用に敵を増やしたり刺激したりすることになるわけで、あまりよろしくないんじゃないでしょうかね。本を書くほどの社長がそこに気付かないほどアホや無神経でもないでしょうから、何か対策をしてるか、話を創作してるか、そんなことを気にしてたら経営やっていけないと割り切ってるか、このうちのどれかなんでしょうか。