はてなキーワード: とんとんとは
喰いしん坊という漫画を読んでいて思った。
大食いの才能を持つ主人公のフードファイト漫画だが、一巻にして社長に呼び出され料亭でフードファイトしたのち、社長もひれ伏す大財閥会長のじいさんに才能を見いだされて大食いの選手にスカウトされる。
遊戯王やコロコロ漫画みたいな感じでやってることは馬鹿馬鹿しくても、キャラが真剣でスケールが大きくなると楽しい、強力な主人公補正やご都合主義もとんとん拍子な素早い展開に派手な出世がついてくるので気持ちいい。
読んでてやはり漫画の設定はゴージャスな方がいいと思った。
花より男子だって貧民女子と超金持ちな坊っちゃんの恋だからこそ楽しいし、どうせなら王子や石油王くらい出してほしい。
無邪気にスケールを大きくゴージャスにしていけるのもまた才能なんだろうな。
普通につくりゃもうちょっとまともな話が作れるだろうに、プロが作ってこれか?と思うような作品が朝の連ドラには多い。非常に多い。
最近は少なくなっていたが(「ゲゲゲの女房」以後)、「まれ」がまた見事にやらかしている。「やんちゃくれ」レベルにはまだ及ばないが。
どうして朝の連ドラは駄作になりがちなのか。それにはもちろん理由がある。逆に言えば、佳作・傑作はその理由を上手く逃れた作品だ。
なぜ朝の連ドラは駄作になりがちなのかを考えてみよう。
1.長い
朝ドラは15分。これが月曜から土曜まで6日間。つまり週当たり、90分。これは大河ドラマ2回分である。大河は1年、朝ドラは半年だから、大河と朝ドラの放送累計時間はとんとんになる。
大河は波乱万丈の人生を生きた人がテーマで、子供時代からおおむねその死までを描く。
大して朝ドラは現代劇であれば、その辺の平凡な女性のせいぜいが2年か3年かを描く。
そりゃまあ、話の種がなくて当たり前だ。そのために無理やりつまらないエピソードを延々と引き延ばすか、ありえないような奇天烈な展開をしなければならなくなる。
佳作傑作はこの問題をどう乗り越えたのか。
1.長く描く
主人公の人生をほとんどその死まで描けばさすがにいろいろな事件が描ける。(「カーネーション」「おしん」など)
一番多いのは夫婦をそれぞれサイドでねっちりと描く。一人がネタ切れになればもう一人がカバーする。(「花子とアン」「ゲゲゲの女房」など)
有名人の私生活への関心で、話を引っ張ることが出来る。(「マー姉ちゃん」「ゲゲゲの女房」「あぐり」など)
業界への関心が、話に膨らみを持たせる。(「花子とアン」「あすか」「ふたりっ子」「ひらり」など)
「ちゅらさん」のように沖縄を舞台にすることで、話に膨らみを持たせるのは「業界秘話物」に近い。こうした策を用いることなくそこそこの仕上がりになった「私の青空」はたいしたものだった。
2.予算がない
じゃあなんで、面白くするための方便がありながらそれをしないのかと言えば、予算がないからである。ロケ、頻繁な場面転換にはセット費用などの経費が掛かるのだ。なるべく同じ場所で、新しい登場人物もなるべくださずにやってください、ということになる。女子高校生が主人公なのに、学校の場面はまったくなくて描かれるのは放課後ばかりというのは学校のセットは案外費用がかかるからだ。
どれだけ予算をぶんどれるか。それにはその年の大河ドラマなど全体の予算枠があるでそのかねあいもある。製作時期でいえば、「坂の上の雲」が製作されていた時期に、朝ドラは「つばさ」「だんだん」「ウェルかめ」「てっぱん」などの箸にも棒にもかからないような薄味の作品が放送されていたのは決して偶然ではない。
「まれ」は朝ドラでは久しぶりの捨てシリーズだが、そういう捨てシリーズも時々挟まないと、毎回毎回、予算はそうつぎこめないということだ。「ゲゲゲの女房」以後、伝記物が多く、また、視聴率も健闘してきたが、あえてその流れを壊して「まれ」を差し込んできたのは、駄作を入れないと予算が厳しいからである。
ツイッターで「怖い話」を書くのが流行してるとの事だが、アカウント晒して書くとフォロワーが一気に消える上に変なフォロワーが沸いて出てきそうな、そんな「実話」を書いてみる。
僕自身は、これは「正真正銘、本当にあった話」として話すけど、この科学万能の世界ではまずまずあり得ない話。僕がキチガイであるとか糖質であるとか、そういうツッコミをしないと貴方の精神衛生が保てない、という方はそもそも読まないほうがいいんじゃないかなと思う。
多少フェイクを入れているので、矛盾あればフェイクが影響していると思って下さい。お約束。
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僕が大学1年生の頃。OBとしてたびたび出身高校の部室に顔を出していた。
部室にいた、とても可愛い女の子。メガネで、成績優秀で高1にして東大赤本を趣味で解いてるような、変わってる上に頭のいい子だった。
何故か、一目で彼女と波長が合ってしまい、お互い特に知り合いというわけでもないのに、ペラペラとしゃべってしまう、そんな関係だった。ちなみに出会う前から彼女には彼氏がいたので、恋愛的なことは全く無い。
ひと通り話をした後。
「?僕ん家知ってたっけ?(ちなみに通学圏の思いっきり端っこにある高校と、それまた真逆に有る自宅だったので相当離れていて、高校の友達は誰も僕の町自体を知らなかったぐらい)」
「いえ、波長を辿って行きますので」
という謎の別れ方をした。
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次の日の夜。
オナニーを終え、下半身裸で、明かりも消してベッドの上で横になっていた。いつもだったら、ちょっと毛布を引っ掛けてそのまま寝る流れだ。
いつの間にか、ブゥーン、ブゥーンと、飛行機が空を飛んでるような、空気が震える音がしていた。その音がするたびに、全身にグラビテの魔法をかけられたかのように締め付けの痛みが発生する。
ブゥーン、ギューッ、ブゥーン、ギューッという感じで、なんだこれと思ったら起きられないというか、金縛りだった。それがかなり長い間続いた。
僕は何故か来る!と「何か」を予感した。
すると、窓から真っ白い手がふわっと現れた。
その手は、僕の耳の穴を隠すでっぱりの部分を正確に叩いた。中指の付け根で。ものすごく痛い。
痛い痛い痛い痛い!
これが「叩かれる夢」ならさめたから!とっくに目覚めたから!と思ってから更に10秒ぐらい、その殴打が続いた。
自分としては、全部「起きていた」自覚があるんだけど、まぁ百歩譲って最初のほうが夢だったとしても、いくらなんでも殴打の時間が長すぎて、意識がハッキリして「絶対に今起きてる」状態になってから、更にかなり長い間、ずっと同じ部分を叩かれ続けた。
そして、ふっと、それは終わった。
ブゥーンという音も消えている。窓も外の真っ暗なのが見えてるだけだった。
しーん。
突然の「静か」。
僕は上体を起こして、耳を触った。まだ痛い。明らかにビンタされた後のあの痛みが耳に残っている。
もうパニックだった。まだ数発なら夢だと思ったけど、自分の中では、明らかに夢じゃない。
そしてここはマンションの4階であり、窓の下の地形は下り坂だし、ベダンダが無い側の窓で壁もひっかかりが無く、登れるはずがない。
ドキドキして、その日は眠れなかった。
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「あ、先輩、こんにちはー」
あのメガネの後輩とすぐに顔があった。
「あー、はい」
「……あの……ひょっとして……」
そうだ、そういえば彼女「会いに行く」とか何とか言ってたっけ。僕は少し固まった。
「……(マ、マジか?でも何か話を合わせてるだけかも知れん)」
「そう、こうやって手でとんとんって先輩の事叩きましたよ。覚えててくれたんですね、嬉しいなー」
と、手のひらを広げて、中指の付け根が相手に当たるような感じで手を突き出した。
「……え、あ……」
間違いない。本当だ。僕はこの話を誰にもしていない(大学でぼっちだったので)。誰にもしていない、手のひらのその部分で叩いたという情報。そして、暗闇にふわっと浮かんだ手と、彼女の手が同じだった。
「ああ、あのあれあの、すんごい怖かった!すんごい痛かったんだぞ!」
「私、会いに行くって言ったのに、あんな格好してるし……」
ああ、そういえば、下半身丸出しで、あそこから液が垂れてるような、そんな状態でしたよね……
その時の心境は「ほっとした」だった。その時まで「何か悪霊にとりつかれたのか」とか思ってすごく気に病んでいたのだ。正体がとりあえずは判ったので、ほっとした。本当にほっとした。
なのでその時は彼女に「ありがとう、取りつかれてるとか、そういうのじゃなかったんだ!ありがとう!」とお礼を言って分かれた。
単に絵を動かせばアニメーション、アニメ化だと思ってんじゃねえよ製作者さんよお!!
GATEはそもそも原作から政治的内容がアレすぎて星新一的アイデア一発勝負みたいな小説をそのまま漫画にした。
その漫画の絵、そのまま絵を動かしてるからつまらないものが動いてもつまらない。
それが声優は4コマ漫画だと面白いんでしょう。アニメ版は野沢雅子や田村ゆかりも出てきてアニメファンは楽しめる。
ただこれは、職業紹介ビデオや声優養成所説明会で流すVTRなら満点だ。声優の仕事がよく分かる。
だがそれゆえアニメとして見ているぶんには致命的に、物語がない。先に声優あるあるネタ先行でそのためにストーリーを作りキャラを動かしてるから
キャラはただ声優業界の説明のためにいるのだ。途中にやたら頻繁に用語など紹介するキャラが出てきてテンポが悪い。説明はこいつに任せて、
声優キャラはひたすら物語を追うべきじゃないの??オーディションを受けることすら困難な新人声優たちが出てくるが、それに比べて最初から恵まれてるメインキャラの3人たち。もうとんとん拍子にwebラジオだがなぜプロデューサーがこいつらに目をつけたか分からない。それくらいキャラに物語も魅力も伝わらない。
さらにズルいのは本当の業界の暗部なんて描こうともしない姿勢だ。SHIROBAKOですら政治的キャスティングが行われる会議がある。花澤香菜や雨宮天のようにゴリ推しされてる状況はみんな知ってても、知らないふりを強要するかのように「全てオーディションです」と繰り返される。
gleeをパクらなきゃラブライブの絵を作れない京極尚彦は、漫画をそのまま動かせばいいとしか思ってないから細かな設定を説得力をあるものに変えられないし、浅野真澄も4コマを動かせばアニメ化だと思ってるから、小ネタばかりに走ってだらだらした紹介VTRになってる事に気づかない。
俺がわりと好ましいと思っている男が、いわゆる色恋沙汰っていうのかな、それにおいてこの悩みを聞いてあげるポジションだったっぽい。なんか泣ける。どんなに女が綺麗な言葉で繕おうとも、ただ聞いてもらうポジションに配置していたんだと思うと、悔しい。利用してただけじゃねえか。
確かにそいつはもてないのかもしれないけどさ、いやもてないんだけど、だからこそやめたげてよ、変に褒めないであげてよ。絶対勘違うじゃん。目に浮かぶもん、利用しないであげてよ。
きみが傷ついてるのはわかるよ、けど、なら他にいるじゃん!もっと自分に跳ね返ってくるやつがいるでしょ?モテる男がさ。そいつに聞いてもらって、やられちゃえばいいじゃん。悩み事話して癒してもらったんだから、一発くらいやられてもさ、とんとんじゃね?ちがうんすか?違うかもしれないよ。でもあいつは選ばないであげてよ!
最寄りのコンビニの店員好きになるようなやつじゃん。引っ越すたびに、最寄りのコンビニの店員好きになるようなやつでしょ?そんなやつにさ、そんなのって残酷じゃん!絶対きみのこと好きになるじゃん!どうせ「◯◯くんって、やさしいよね…」とか言ってるんだろ?絶対勘違うじゃん。
やめたげてよ、自業自得なんだから、ホストにでも貢いじゃえばいいじゃん。きみが不幸になるのなんてしらないわ。でも、彼のことは不幸にしないであげて。
クソみたいな女に深入りする男なんて、クソみたいなやつに決まってるじゃん。きみは自分のこと頭いいと思ってるのかもしれないけど、絶対にただのバカ女だよ。
私には人には言えない悪癖が2つある。
1つ目は女性とお酒を飲んでいると、その女性に下の中以上の容姿があればセックスしたいと考えてしまうこと。
2つ目はその女性をセックスに持ち込む際、悪い反応ではないがあと一押しが必要な際心に、心にもない愛を囁く癖があることだ。
2つ目の悪癖は女性に全くその気がない場合は発症の機会を得ないし、幸いにして私は女性にモテるわけでもないのでこの悪癖で痛い目にあったことは数えるほどしかない。だが逆に言えば数えられるほどは痛い目を見てきた。今日はその経験を振り返ってみようと思う。
当時。私は初体験をした彼女に振られる人生初のまともな失恋を経験した直後で、寂しさを埋めるために色々と女性を物色していた。その中で中学の同級生だった女性と自室でお酒を飲む機会を得た。(未成年の飲酒についての問題は今回は割愛させてもらう)
流れとしては最初に書いた通りで、お酒を飲んでいるうちにセックスしたくなり、少し抱き寄せてみると悪い反応ではなかったので交際を仄めかしてしまった。
結果として交際、そしてすぐセックスをしたわけだが、この女性は私の中で最低限の容姿ランクであったし、特に人間的に惹かれる部分もなかったため、なし崩し的にすぐ別れたが、避妊具を用いなかったことで(最悪の結果はなかったものの)幼くして軽い修羅場を経験することになった。
2回目はその1年後であった。
バイト先の飲み会で、当時私に好意を寄せていた2つ年上の女性といい雰囲気になり、帰り道を送る際にキスをしたり胸を揉んだりしている中で2つ目の悪癖が発動した。
好意を寄せられていることを知りながらこのような行為に及んだことで、この悪癖の恐ろしさ、そして何より私の下種さが理解して頂けると思う。
この時は住宅街ということもありその場でセックスを行うことが不可能だったために交際を仄めかすまではいかなかったが、直後に私がバイトを辞める際に告白を受け、断ることに四苦八苦することになってしまった。
その後しばらくはこういった行為の無為さに疲れ、女性と距離を縮めることをしなかったし、男ばかりの大学に入ったために、この悪癖が3回目を迎えたのは24歳になってからであった。(余談ではあるが、女っ気のない環境で自らも女性を求めない状態になると本当にこういった機会が一切現れない)
しばらく女性と離れていたこともあり、そろそろという思いで初めて合コンに参加した際のことだった。かなり大人数の合コンだったため、私は5人程の女性と連絡先を交換し、そのうち3人に的を絞った。
1人目は容姿はギリギリアウト気味だが、3つ年上の軽い感じの女性。
2人目は容姿は中の上程度だが、少し堅そうな2つ年上の女性で、1人目の同僚。
自分があまり年下受けが良くないことは経験的に自覚していたので、上記のように優先順位をつけて攻略することにしたが、1人目はあっさりと攻略することに成功した。2人で飲みにいってそのままというほぼ最短コースであった。
この女性の容姿がギリギリアウト気味だったため正式に交際までは行かなかったが、かなりのところまでは愛を囁いていた。しかしそんな状況でも、久方ぶりの女性の肌におぼれた私は2回目、3回目とこの女性を抱いてしまった。
そのような状況だったため、やり辛い2人目は少し放置し、3人目の攻略を行ったがこれはあえなく玉砕。1人目の女性とも流石に不味いかもしれないというタイミングで2人目の女性から連絡が来たため攻略を再開した。
この女性が4回目にあたる。
彼女は初対面の時から私に多少の好意を頂いていたようで、再開すればとんとん拍子に話が進んでいった。が、2人目の女性に私とのデートの予定を仄めかしたせいで1人目の女性から私に冷ややかな連絡があり、肝を冷やした展開もあった。
直近での僅かな反省が心に残っていたため、私の2つ目の悪癖はこの女性にはしばらくなりを潜めていた。それに、後にわかったことではあるがこの女性は処女だったため非常にガードが固く、数度のデートを経てようやくチャンスが巡ってきた際にしびれを切らした私はこの女性に対して過去最大に悪癖を披露することとなる。
私の女性遍歴は、1回目の悪癖の前に交際した彼女から数えて4人目にあたり、おそらく当時25歳だった男としては平均的な経験数であったと思う。しかし、ほんとうにちゃんと付き合った女性としてはまだ2人目にあり、久方ぶりの心を交わす関係に(私側の心が偽りのものだったとしても)私は安寧を覚えていた。愛ではなかったかもしれないが、少なくともそこに情は生まれていった。
あれから既に3年近くが経過するが、私は未だにこの女性と交際しており、正式にではないが近く結婚する話が出ている。いかに私の人生がこの悪癖に支配されているか、私がいかに場当たり的でその場しのぎの人間であるかご理解頂けることであろう。
これで話が終わればいいのだが、私の悪癖にはまだ続きがある。
つい半年ほど前のことだ。同僚の女性とお酒を飲んだ流れでホテルに泊まって行為を行い、その数か月後にもほぼ同じ流れで行為を行った。
ただ、この女性は私に恋人がいることを知っていたし、終電過ぎたからホテルに行くかという流れだったために2つ目の悪癖の出番はなかった。
既に何度もご理解頂いているように、私は下種であるのでこの気安い関係におぼれ、当然ながら3回目も狙いに行ったが、その女性宅に泊めてもらった際に行為を断られたため諦め、直後私は転職をしたために、もうこの女性とはこれっきりだろうと思っていたのだが、先日思わぬ流れで悪癖を披露することになった。
個人的に連絡を取っていた前職の先輩と飲みに行く約束をしていたのだが、いざ現地に行ってみるとこの女性が居たのだ。過去その3人で飲んだことはなかったし、この女性は限られた同期以外の飲み会には職場のオフィシャルな飲み会も含め一切来ないことで有名だったので本当に驚いた。
なんでも、先輩が当日の昼に誘ったところ最初は断られたのだが、私の名前を出したところ快諾して着いてきたのだという。この時、私は心の中で2つ目の悪癖が発動したことに気付いた。
気付いたからと行ってどうすることもできず、終電間際で解散をする際、私はその女性を改札まで送ると言って先輩を引き離し、彼女に泊めてもらうよう誘いをかけた。が、断られた。
「恋人がいるのだからよくない」ということだったが、今更の話だったしもう一押しで行けそうだと思った私は改札の前で彼女を抱き寄せてついに愛を囁いてしまったのだ。これで結局帰られてしまったのだから、なんとも醜態である。
この話にはまだ続きはないが、結婚が見えてきた段階でもこのような有様である。
今の恋人には確かな情を感じているが、それが愛なのかどうか未だにわからない。愛があれば悪癖が発症しないかどうかも私にはわからない。だが、私はこの悪癖によっていつか完全に身を滅ぼすことになるだろうという確信を抱いている。
かつて「結婚は人生の墓場だ」と嘯いていたにも関わらず結婚を決断することになったように、結婚後の火遊びが時に大火事になることを頭では理解していながらも、私はこの悪癖によって身を滅ぼすであろう。
この文書を読んだ男性諸兄が、私のこの経験を反面教師として生かし、この文章が諸兄の幸せな人生の一助になれば幸いである。
尚、この文章中ではわかりやすく「悪癖」と書いているが、これはこの悪癖が私の人間性と剥離した一種の病理的症状であることを主張するものではなく、あくまで文章上の便宜的のもので、これらすべての顛末は私の著しい人格的欠陥に因ることを書き添えておく。
http://jmatsuzaki.com/archives/14158
よくこういうことをいう人がいて若者は思わずそれに目を輝かせてしまいますが、お待ちください。それは火車です。
そこそこ好きなことをやるってのはいいと思うんです。俺もそれで未だにプログラミングしてるし。
けどそれに一生をかけたいみたいなものを選ぶと不幸です。
まず妥協ができない。なぜなら好きだから。つまり己との争いに消耗するわけです。
つぎに全然稼げなくて金がないときに、とんとん拍子でうまくいく人を見るとマジで死にたくなる。金がないと視野が狭まり、完成度は低くなり、余裕がなく、評価も気になります。負のスパイラルに陥るともうだめ。死にます。
おなじようなもんとして、やっぱり芽が出なかったってなった時に、他に自分の芯になるものがないとやっぱり死にます。ありますか?なら大丈夫です。好きなモノは二つ三つあってよい。一つしか好きなことがないなら、好きな道で食ってくのは諦めましょう。マジで死にます。
結構食えません。むしろ食っていこうと思ったら好きでないことを絶対にしなきゃいけない。妥協だってしなきゃいけない。あと食っていくにはスキルと人脈です。どちらも必要です、むしろ人脈が必要。
人脈作れますか? 好きでないことができますか? できるなら大丈夫です。
好きは滲み出るものです。炙りださなきゃ出てこないなら、それはやんなくても大丈夫なことです。
もしくは追い抜いたら全然しょうもない奴だったことがわかってしまう。人へのあこがれで歩を進めるのは危険です。まぁアドバイスもらうくらいはわるかないけども、信奉するのはいくない。そしてね、アドバイスする側になるとわかると思いますけど、結構しょーもないことしか言えないもんです。ちゃんとしたこと言おうとしたら準備が必要だし、めんどくさいし、時間もすごくかかる。ただでやるには労力がかかりすぎ→結果しょーもないことに。なんてのが関の山です。
お金は心の余裕。
人間には二種類います。心の余裕がなければ仕事を成し遂げられない人と、追い込まれて絶体絶命にならないと真価を発揮しない人です。あ、もういっこあった。常にすごいやつ。
ま、天才は置いておきましょう。
お金は大事です。道具を揃える必要がことなら、お金がないと始まりません。お金を稼ぐのは時間がかかりますし、余裕がなければ質の悪いものに手を出してしまいます。食うものを削るととたんに人間の力は半減します。どれだけいいものをもっていても、食べなければやっていけないのです。
なおサービス残業などが常態化している状態はよろしくないと思いますが、たまに超残業がいっぱいあるくらいならまぁいいかなと僕は個人的に思います。もとに戻すまで三ヶ月とか半年とかかかるけども。
バイトは結局損です。正社員で働いたほうがガッポガッポ入りますし定収入はでかい。あとバイトは休むと生活に響いてくるから余裕なくなります。余裕がなくなると好きは擦り切れます。
やめるつもりで常日頃から腕を磨き、人脈を作りましょう。会社で作る人脈も時には役に立つし。
世界で随一くらいのスキルがないならある程度体裁は整えておいたほうがよいでしょう。まぁ昇進とか結婚とかは諦めてもいいと思いますけども
共有する価値観がある仲間がいるのは幸せですが、ビジョンに振り回されるといつの間にか崖っぷちということもあるので気をつけましょう。あぶなっかしいな。
ビジョンは自分で持っていればいいんです。そのために日夜コツコツと積み重ねていけばいいんです。直接的ではなくとも間接的に身を助けてくれることがあるかもしれない。むしろまったく違う視点を求めに全然知らないところへ行ってもいいし、金を稼ぐためと割りきって居心地のいい場所に行ってもいい。いずれにせよ、自分で決めることです。他人と一緒で安心してはいけません。
まぁいずれみんな死ぬんですけどね。
仕事ではないからできることもある。仕事だからこそできることもある。そのバランスを上手く取れないと、墓場にダンプで突っ込んでいくことになりかねません。引き止めてくれる友達を持ちましょう。お金を生む人脈はなくても、心配してくれる友を持ちましょう。友はなくても気持ちを吐き出せる場所を作りましょう。そして毎日、小さな進歩と喜びを噛み締めましょう。
山には一歩ずつ登るしかありません。駆け上れば途中で力尽きます。しかし動かなければ登れません。動かないのはたしかにもっともリスクが低いふるまいですが、ついつい足を進めてしまうのなら、もう腹をくくって登りましょう。安全に、一歩ずつ、焦りをなだめ、恐怖に打ち勝ち、すすむだけです。
いのちだいじに。
○朝食:納豆卵掛けご飯(+おかか)
○昼食:なし
○夕食:焼うどん(おかか、炒り卵)
○調子
普通。
昨日「保留」となった、就職活動の返事はまだない。
就職活動をする! と言ったが、よく考えると、
このまま働いてもうまく働ける自信がない。
というわけで、来年からは図書館へ通勤する練習を初めてみようと思う。
(忘れないようにこの日記にも書いておく)
○ポケモンOR-悪ポケ縛り-
なぜかORを買ったのに、XYでダブルのレートを20戦ほどプレイ。
シナリオクリアはさくっと終わらせて、ゆっくり厳選しようかなあ。
○キラーインスティンクト
うちにはママがいません。
私が小学校の頃に家を出て行きました。
思春期の今、周りの友達は彼氏を作ったりしていますが、私はビアンバーに行き
自分の母親ぐらいの年齢の熟女によしよししてもらいながら、眠ると嫌なことが全部忘れられます。
興奮してふんふんって、匂いをかいでると熟女さんが「もう、恥ずかしいからやめて」と言ってきます。
それでも私は匂いをかぐことをやめられません。
脇をペロペロしながら、股間に手を伸ばすと、熟女さんのあそこが湿っているのがよくわかります。
そして少したれてきた大きいおっぱいに顔をうずくめて、おっぱいとおっぱいの間の匂いをくんくんします。
ここも凄くいいにおいがします。
その後は、お互いの乳首をこすり合わせたりしてエッチなことを楽しみます。
とにかく熟女さんは最高です。
いつかあのパンストを破いてみたいです。
でも、私は本当はそんなエロい関係じゃなく、ただただお母さんが欲しいだけなんです。
お母さんに「よしよし」ってしてもらいながら、優しくとんとんってしてもらいながら、眠りたいだけなんです。
お母さんに会いたいです。
お母さんの変わりに熟女さんに会うのはもうイヤです。
お母さんとエッチなこともしたいです。
お母さんの伸ばしっぱなしの脇毛をすんすんしたいです。
アラサーになるかならないかの頃に彼氏にフラレて、もう結婚とか恋愛とかいいや…と28まで仕事に没頭していた。
職場は異性しかいないので出会いがあると思われているが、実際は変な人が売れ残っているというのが適切なところだ。結婚できない人には結婚できない理由がある。自分を含めて。
28の時に関わった案件が死ぬほど辛くて、家に帰っておかえりって言ってくれる人が欲しくなって婚活を開始。
使ったサービスは主に、
Match.com
Pairs
時々興味本位でクリックすることもあったが、ちゃんと会うまで言ったのはその4つだけかと思う
Match.comは二日に一人くらいの割合で「気になる」とかなんとかそういうのが来る程度だったが、趣味が同じひとがいたのでメール交換して、二ヶ月たったあたりであった。いい人だったが非常に盛り上がるということもなく、自分もまだ若いつもりだったので二回目はなかった。ご飯などは綺麗に割り勘。
二人目もMatch.com。二回くらいあったが、女は早く結婚して子供を生むべきみたいなことを延々言うので嫌な気分になって断った。会話が途切れると小声で「えーと次何話すんだっけ」とか言ってるのもキモかった。まぁ悪い人ではなかったかと思うが…。この人も割り勘。
Match.comはどうもだめなようだということでヤフパに移り、そのうちの一人と会った。会うまではとりあえずという感じだったが、好みだったのでとんとんと付き合うまでいった。しかし相手がフリーランスになって仕事が忙しくなり、ふられた。とはいえ、ずっと目指している方向の仕事を持ってきてくれたりするので今はビジネスパートナーだ。付き合うまでのデートは6:4でだしてもらう感じだった。
失恋して悲しかったのでもう婚活なんてやめようと思ったが、三十を目前にして何故かあせりはじめたのでOmiaiに登録。Omiaiは一日20いいねくらい来るので怖かったが、3人くらい会ったと思う。うち一人と非常に趣味があって盛り上がり、一時はいい感じになったが、趣味以外の話になると沈黙が続くことがわかり、お互いフェードアウト。ただFBでは今も時々趣味の話をする。あとひとりやたら強引なひとがいて何度かあったが、どうしても強引なところが受け付けられずお断りした。それ以外の人は皆紳士だったと思う。基本的にみんななんだかんだと理由をつけて全額おごってくれるが逆にそういうのって申し訳ないしなんか怖いのでやめて欲しい。
あーでもOmiaiって以前はプロフィール画像をイメージ検索にかけられたみたいで、いいね返しをしてないのにFBアカバレしたことあった。そこからTwitter、ブログ、仕事用メアドとかばれて、なんでイイネを返さないんだみたいな感じで粘着されたことはある。
Omiaiは割りと年収も年齢も高めの人が多いが、年収高めの人ってやっぱちょっとアクが強いから合わないなということでPairsに重心を移動。Pairsのほうが悲壮感がない感じがするが軽い。いきなり名前呼び捨てするとか、合う前から好きなタイプを聞いてくるとか、会うとボディタッチが多いとか。ただほんとに朴訥な人もいるので、普通の人を探すならPairsかなと思う。が、ここに来て自分がそういう人からは好かれないことに気づき、FBでつながるめんどくささもあってヤフパにでもどった。Pairsも全額おごってくれる人が多く、割り勘にしようとすると「恋愛対象で見られてない!」と思っちゃう人が多い感じ。そしてびくびくした感じでLINEとかFBのメッセージを送ってくるのでめんどくさい。
現在ヤフパで非常に気が合う人とお付き合い手前という感じだが、あまりにもお互いに違和感がないわりに恋愛感情も特にないので、なんか普通の友達って感じになりつつある。しかもこっちは長期海外出張が決まったのでふられるかもしれん。
結構重複して登録している人もいるが(なんで同じ写真使うんだろうね)、各サービスの印象は、
Match.com:クソ真面目でほんとに恋愛とは縁遠い人が多い
ヤフパ:玉石混交だが、合う人がいれば長い付き合いになるかも。増田を使うようなタイプ(自分のことだ)はこっちのほうが良いのかもしれない。。。気持ち悪いおっさん(六十代無職病気持ちみたいなひと)からもメッセージが来るのでそれに耐えて玉を探せ
Omiai:年収年齢高め、アク強め、彼女がいた事があるのに結婚できない理由がわかる感じの人が多い。女性はかなりいいねが来る
Pairs:年齢年収はそれほど高くなくふつうっぽいがヤリ目は少なからずいる。ヤフパに近い雰囲気だけど、FBのいやーなノリを引きずってる人が多い。FBをよく使う人なら多分合うんだと思う。女性はめちゃくちゃいいねが来ると思うが、イイネ返ししてもそのまま音沙汰がないことは多々ある
ま、結局婚活サービスって数撃ちゃ当たる方式で頑張って頑張って頑張って最後は妥協しないと結婚まで辿り着かないんだなってことです。そしてだめなやつはなにをやってもだめ。そんなわけで自分は結婚を諦めました。
イオンを高級にしたようなショッピングモールとか作ってくんないかなー。
全ての商品の単価を4倍くらいの高級品にしてほしい。
シャツ一着25000円くらいで、食物はコーヒー1000円、ランチ6000円、ディナー12000円くらいで。
客は減るだろうけど、一人あたりの消費額が多くなればとんとんのはず。
ガラガラくらいに空いてたほうが気持ちいいし。
ヤンキーこないだろうし。
居心地がよければ、滞在時間も長くなって、比例して落とす金額も増えるでしょ。
ゲーセンにあるカードに記録してって後払いみたいなやつにして、店内は手ぶら。
映画なんかはもちろん、美容院や、風呂、バー、スポーツジム、スケートリンク、ライブハウス、プラネタリウムとかも完備で、一日中そこにいて楽しめる感じの。
一箇所で全部まかなえる施設ってないのかなー。
年取ると移動って面倒くさいんだよ。
かと言って、遠くのリゾートに行くのも面倒くさいし。
10代の頃からそう言い続け、大人になったら変わると周りに言われ続けてきたけど今のところ変更なし。
中学生の時分より、周囲からえ?!と言われるような男性としか交際してこなかった。
そんな私だが、一昨年出会った素晴らしい男の人(仮にAさんと呼ぶ)とお付き合いをはじめ、とんとん拍子に同棲。
短気で喧嘩っ早い私にとっては奇跡的なことに、一緒に暮らしてからも一度もこじれたことがない。
家族仲があまり良好でなかったこともあり、日常という意識が乏しかった私にとって、初めて帰りたいと思える家が出来た。
(大人になってからは家族とはうまくやっているけれど、帰る場所という感覚はあまりない)
ところが、一点だけ影を落とすのが表題の件。
一緒に暮らし始める前にも話し合いをしたが、その時点ではお互いに歩み寄れる可能性に賭ける、ということになっていた。
お互いに若いし、生活スタイルが変わる節目にいたこともあって、価値観が変わる可能性も多いにあったからだ。
でも、どんなにうまくいっていても、幸せな日々を送っていても、
結婚したいと思えない。
子どもが欲しいと思えない。
何の不満もないのに、仲良く暮らしているのに、どうしてかわからない。
3ヶ月ほど前、同棲解消について話し合い、ひとまず目安の時期が決定した。
Aさんは、私にとって99%の人で、この人と共に過ごせば幸せでいられることはわかっている。
でも彼は家庭を子どもをもうけるべき人なのだという確信がある。
彼の友人に聞いてもみなそう答えるだろう。
家族ができることがものすごくプラスに働くタイプの人っているじゃない。
仕方がないけれど、切なすぎる。
結婚願望がない自分の子どもも欲しくないと思う私は、女として何かが欠けているのだろうか。
そう思った矢先の、
番号を登録していなかったため、うっかり出てしまったのだ。
子どもながらに、この人が私の運命のひと、と心に決めていた人。
不器用ながらに、愛していた人。
まともに付き合っていた期間は、よく覚えていないけど一年にも満たなかったと思う。
あとは主にkに恋人がいるとき、いるかすらわからないときもあったが、いつでもお互いのための特別枠があった。
どんなに酷いことをされても、憎めなかった人。
しかし8、9年ほど前に、いわゆるリベンジポルノに匹敵するような出来事が発覚した。
後からわかったのだが、ほぼ実名で、私がkを信頼してかつて託した出来事を、たくさんの知り合いに晒された形。
(未だに、それにコメントを残していた本来人畜無害であろう同級生たちとは関わることができない。
そんなこと誰も覚えていないと頭ではわかるが、心がついてこない)
それまではなんでも許してきたけれど、さすがにこれを許してはいけない、と、断腸の思いで連絡を絶った。
それまでなかなか捨てられなかった思い出の品もすべて捨てた。
共通の知り合いとも、ごく少数を除いて全員と縁を切った。
忘れよう忘れようと自己暗示をかけ、数年前からは思い出すこともほとんどなくなっていた。
旧友として再会して、まあ順当に世間話でもして、例の件はとりあえず謝罪させて、お互いの幻想を打ち破り今度こそさよならをするつもりだった。
だったのだけど、信じられないことに、また恋に落ちてしまった。
それで、不思議なことなのだが、急に結婚願望とでも呼ぶべきものがふつふつと湧き上がっているのだ。
過去の執念を清算しているだけかと思いきや、新しい未来への妄想がつい膨らんでしまう。
kを目の前にすると、やっぱり昔のように、この人と会うために生きてきたと感じる。
いい歳して、まったく成長していないことにがっかりだ。
ただ、kは無事に添い遂げられるタイプの男ではないのかもしれない。
99%ダメでも、私が絶対に妥協できない1%をkは握っている。
少し、違う気もしている。
全員を平等にレベル上げするこだわりがある人間にとってはかなりの苦行。
レベル上げ自体はそこまで苦ではないが、100人以上いて、弱いタイプの子は結局レベルを上げても限界があるから。
好きな子だけ育てればいいって割り切れる人はいいんだろうけど、全員に惜しみなく愛を注いでハーレムを築くのが趣味の俺みたいな人間にとっては、レベル上げ作業時間が半端ないことになる。
でもいいんだ。
声もいいし。
妄想もはかどるし。
形のないものに課金(笑)なんて思ってた俺がすでに3000円も課金してしまったよ。
一度課金すると抵抗なくなるね。
それでも簡単に終わりが見える課金だから、ハマりすぎてお金やばいってことにもならないし。
文月ちゃん、待っててね、おじちゃん仕事終わったら帰るからね。
あー暁ちゃんもそんな寂しそうな顔しないで。無理して背伸びしなくてもいいんだよ。ほらお昼ごはんのときの米粒が口元についてるよ。とってあげる。
雷ちゃんにひざまくらしてもらいたい。
響ちゃんの、普段はそっけない態度してるけど俺が帰ったときに少しだけ顔が明るくなるところ、俺しか知らないわからない区別がつかないその顔を早く見たいよ。
榛名はわかりやすいね。そんなに慌てなくても俺はいなくならないから大丈夫だよ(笑
潮ちゃんもようやく心を開いてきてくれたね。編成で選んだときのはにかんだ笑顔を早くみたいよ。
北上様に無表情でその振り上げた足を振り下ろされたいよ
球磨と遊びたいよ。
漣ちゃんの宿題を見てあげたい。
不知火ちゃんに肩とんとん→人差し指でほっぺぷにしてすっごく蔑まれたい。
陽炎ちゃんの幼なじみになってふたりきりの新聞部を作って活動したい。
書ききれない。
書ききれないよ。
全員愛しているよ。
予備校でいつも髪の毛を弄くって手が動かない生徒を退出させた - Togetter
で、なんか賛否両論なんですけどね。予備校にも大学にも行ってた人として思うことをつらつら書いてみようと思う。
結論から書くと、お金払って授業受けに来てる人に対し、髪の毛弄るくらいでその対価を与えないのってどうなの?っていう意見は大間違いだと思います。
お金を払って来てるの、その髪弄ってる奴だけじゃないんで。その教室内にいる生徒みんなそうですけど。
その髪の毛弄るっていう行為、隣の席の人もそうだけど、その生徒が視界に入る人間全員気になって集中できないんですよね。
ペン回し、髪の毛弄り、机とんとん妖怪、もう本当めちゃくちゃ気になる。夏とか修羅場ですよ。必死こいて汗かきながら受講しにきて、髪の毛いじってる人を視界の端に受け入れ続ける一時間半。あ、この時間は自分の過去の受講時間です。
鼻息荒いのとかはもう気を付けようがないから全然気にしないけど、上の三つって我慢しようと思えば出来るじゃないですか。
どう表現すれば分かりやすいだろう。映画館に行って、前の席の人がぺちゃくちゃ会話してるのと同じかもしれない。
その人達だってお金払って映画見に来てるんだし、映画を見る権利自体はある訳です。
でも、他にも同価格払って同じ空間に来て同じ映画を見に来てる人達いますよね。
すっごい気になりませんか?「話すくらいなら出ていけよ…」って苛立ちませんか?「集中できねえよ…」て思いませんか?「家で見ろよ…」って呆れませんか?
帰り道、その人の印象で「あー、この映画お金払ってまで見たのになあ」って後悔しませんか?
それがあるから、映画の前のマナーフィルムで「えいがーかんではおしずかに!」って注意を促すフィルムが流れるんだと思います。
喋っちゃいけないっていう厳格なルールがある訳ではなくて、そうしないと観に来ている人からのフラストレーションが爆発するからで。
貧乏ゆすりもそれに近いかもしれないですね、視界の端で何かしらの動きをされてるっていうことなので。
じゃあ予備校ではどうなのかって、そんなフィルム流す訳もなく。注意出来るのって、講師しかいないんですよね。
隣の席の人とか、後ろの席の人が「ちょっと、その髪弄るのやめてください」って注意したら、軋轢しか生まないですから。
でも講師が注意したことで、後ろの席の人は少なくとも「うわー、やっと言ってくれたよ」ってなったと思いますけどね。
件の講師の方と、受講生の方にだけ注目したら、「そんな髪弄るくらいで退室させんなよ」って思うかもしれないですが。もう少し視野を広げて、周囲の人達を自分に当てはめてみてください。
社会人の方は、取引先の人がずっと髪の毛を注視しながら髪弄ってる時に「ああ、この人って話聞いてくれてるんだなあ」って思えるんでしょうか。
というわけで一本何か書いてみようという安易な意識からキーボードを叩き始めました。名も無きはてな民です。よろしく。
さて、今回は巷でネット民の熱い羨望を浴びながら、同時にドス黒い憎悪と嫉妬とを育み続ける孤高のネットライター、ドリー氏の行う書評について、何か適当に書いていこうと思います。正直言って資料を用いながらの適確で分析的な記事とかは書く気がしないんで、フィーリングで書いていくことにします。
さて、ドリー氏については説明不要だと思います。あの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をamazonレビューにてけちょんけちょんに叩き、その軽快でユーモラスな批評において人気を博した、ネットの出身の新鋭ライター・ブロガーでございます。あ、ちなみにこんな風に書くとまるで私自身がドリー氏のモグリか何かのように見えるでしょうが、その心配には及びません。この記事は売名を目的にしてはおりません。
ドリーさんには、今回のamazonレビューを切掛にして、何と出版社からのライターとしての依頼が飛び込んできたようです。何ともまあ、驚くべきことです。ネットからの躍進というものが、こんなに身近な部分で行われているなんて……と、些かめまいのようなものを覚えてしまう塩梅でございます。そんなこんなで、今更になってドリーさんの名前を広める為に誰かが努力をしたりステマをしたりする必要は、今の時点ではおよそ皆無だと言えるでしょう。何たって既にその名前が広がっていく余地が取られているわけですからね。
さてまず、彼の批評について述べる上で、彼の書く批評文においては幾つかのポイントがあるわけですが、それについて紹介していきたいと思います。
自分をアッパークラスならぬダウナークラスに位置付け、そしてそのような低きからの視点において、批判対象(アッパーな雰囲気を纏うものや、ハイソな雰囲気を纏う書物)を叩いていく、というのがドリーさんの基本スタイルとなっております。
こういう風な「ダメ人間」としてのキャラ付けで文章を書くのは、ドリーさんの特徴でもあります。ちなみに、これまで「ダメ人間」としてのキャラでエッセイを書いてきた著名な作家を挙げるとすれば、例えば滝本竜彦とか、あるいは穂村弘などが該当するんではないでしょうか。ともかく彼のレビューは低い視点から行われます。そして必然、そのような視点が読者からの親しみを呼んだり、あるいは共感にまでこぎつけることも当然起こります。こういったことで、ドリー氏はネット層のナイーヴで、どちらかと言えばハイ・カルチャーには属していない人々の人気を勝ち取ってきたというわけです。
ドリー氏がamazonにて村上春樹を批評した手段はまだはてな民の皆さんには記憶に新しいと思うのですが、ドリーさんの真骨頂は、この「形而下ツッコミ」にあります。
ときに、今年の四月中旬に発売された、『色彩を持たない~~』という小説。これは村上春樹の発売した新作なのですが、この小説にはこれまで村上春樹が取り組んできた様々なエッセンスというものが生かされており、また、その他にも新奇な取り組み、挑戦的なメッセージなどが込められた作品でありました。
そのような『色彩を持たない~~』ですが、特にこの作品に込められたメッセージの中で重要なものを上げるとすれば、それは次のようなものになると思います。つまり、「我々の見る〈夢〉と、現実に起きている様々な事象の間には、ある種の相関関係があり、そして我々は夢というものを通じて現実の事象における幾らかのレスポンシビリティー(責任)を共有している」というものです、こうやって一文に纏めると分かりにくいんですが、もう少し分り易くまとめると、要するに「我々は社会的責任や個人としての責任というものを、夢という通路を介して確認することになる」、ということです。このようなメッセージは、恐らく村上春樹氏がこれまで取り組んできた、ユング研究者との間のやりとりや、あるいは彼の人生経験というものを基立ちにして書かれているものだと思われます。そのような点において、村上春樹の主張している文学性というものが光っているのです。
ドリー氏の批評のやり方は、そういった〈文学性〉。いわば、〈形而上学的〉な分野においては、全くタッチしないという、そういう方法論を使ったものだったのです。
これは、私が主観的な立場において評している事柄ではありません。
というのは、こういう「形而下的ツッコミ」とか、あるいは別名「表層ツッコミ」という言葉は、誰でもない、他ならぬドリー氏自身によって発された言葉であるからです。正に彼自身が、彼のレビューのやり方を評して、「表層ツッコミ」。あるいは、「形而下的ツッコミ」と呼び習わしていたのです。
つまり、彼の特徴を一言で述べるならば、その作品の奥深さというものに関してはできるだけ発言を控える。というものなのです。そして、そういった「奥深さ」に関しての発言よりも、もっと身近で物質的な、そういった部分に関して照明を当てる、というのが、ドリー氏の批評術なのでした。
アレ、ちょっと待てよ? という意見が、そろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。
というか、若干キレ気味な方というのが、現れてきてもいいんじゃないか、という風に僕は思ってます。なんなんだそれは! と声を荒げてもおかしくない方法論じゃないのかこれは? と、むしろ僕自身がそんな風に思ってきているところです。
ドリーさんのやり方は、例えば以下のようなものです。
『色彩を持たない~~』にて、以下、主人公とその友人「アカ」とのやりとり。
アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」
「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」
アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」
こういった、ちょっとオサレというか、まあそれらしい描写に関して、ドリーさんは以下のように述べています。
なるほど……。と思えるようなツッコミです。確かに、アカの言い方からは、極普通の社会生活を営んでいる方々から見れば、少し苦笑いをしてしまうような、あるいは軽く眉を顰めてしまうような、そういう素振りが端々から匂わされています。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」というものなのです。読者にとって、距離の近い何か、つまり、作中の人間における特徴的な発言とか、あるいは、そのキャラクターが行なっているファッション、あるいはスタイルというもの、そういった身近な位置に存在するものに関して、一つ一つツッコミを入れていく、という技術。これが、ドリーさんが主に自称しているところの、「表層ツッコミ」という技術なのでございます。確かに、このツッコミは面白い(笑)
ぶっちゃけ僕も何度か読み直して笑ったくらいのものです。それくらいに、この「形而下ツッコミ」には効果があります。
しかしです。
実際に、この『色彩を持たない~~』を読み込んでいくと、このようなツッコミに果たして正当性を認めてよいものなのだろうか? というようなメッセージが改めて浮かび上がってきています。
と言いますのは、まず、このアカという人物。なんと、未読の方にはネタバレになってしまうのですが――
――ですから、この先の部分に関しては未読の方は注意して読んで下さい、お願いします――
――同性愛者なのです。しかも、そのような事実に関して、何と自身が女性と結婚関係を持ち、暫くしてから気付いてしまった、というかなり不幸な人物でもあるのです。彼は、結婚後自分の性癖について自覚してしまい、かなりの苦悩を感じていた模様です。
その辺りは、『色彩を持たない~~』本編においてかなり描写が尽くされております。
ところで、ここで、「アレ?」と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?
つまり、ドリーさんのツッコミの内容が、果たして本当に妥当なものなのだろうか? という感想を抱いた方が、ここまでの文章を読んでいて幾らかいるんじゃないかということなのです。
ドリーさんのツッコミの内容は、以下の通りでした。
「『アカ』の臭わせている『自分大好き』臭がひどい、彼の自己陶酔的な態度がヤバい」
しかし、上のような本文の描写を読む限りで、そのようなツッコミはぶっちゃけ間違っていることが、明らかになっています。つまり、むしろ「アカ」の根底には、「自分大好き臭」などではなく、徹底的な自己嫌悪が存在しているということなのです。
付け加えるならば
この「アカ」は、その父親が何と名古屋大学の経済学部で教授職を務めている人物であったりするのですが、そのような父親に対してアカは名状しがたい反感のようなものを抱えて青年時代以降を生きてきていた、ということが本文にて言われています。しかし、多崎つくるが生きている現代の世界、彼が36歳になっている時点において、アカは一般企業向けのサラリーマン育成サービス会社の代表を務めているのですが、何と彼は、自分が忌み嫌っていた父のような、尊大で狭量な振る舞いを、そっくりそのままその会社経営やスピーチにおいて行なってしまっているのを作中で嘆いているのです。つまり、繰り返すように彼の中にあるのは、「自己嫌悪」というべき以上の何物でもない感情なのです。そしてそれを無視したまま、ドリーさんは「自分大好き臭がすごい」、などなどと形而下的ツッコミに終始してしまっているということなのです。
ドリー氏は他にも、レビュー中で多崎つくるのファッションについて言及しており、彼の終盤におけるファッション、「オリーブ・グリーンのバスローブ」について批判しております。
曰く、その色は「クソ緑」とのこと(笑) なんともまあユーモラスな表現ではありませんか。
しかしです。このような緑の色、というのは、西洋においてはいわば「嫉妬」というものを表す象徴的な色でもまたあるのでした。
主人公の多崎つくるは、本編の終盤において、交際相手の女性の浮気現場を目撃してしまい、そのことで苦悩します。そして本作は、作中において何か特定のスタイルや生き方、つまり「色彩」を持てなかった彼が、最終的に嫉妬の感情を表す「オリーブ・グリーン」のバスローブを着込む、ということを最後に、幕が降りることになります。結局のところ、この『色彩を持たない~~』という物語は、多崎つくるというプレーンで如才ない特徴の無かった男が、嫉妬という、これまで無色だった彼にとってあまりにも大きすぎる感情を背負うことになってしまうという作品なのです。そんなテーマが描かれた小説なのでした。
しかし、ドリー氏はこの「オリーブ・グリーン」の比喩に関して、「クソ緑」とただ一言切り捨てたのみなのです。それ以上の言及を、彼は避けております。
これが、いわゆる「形而下ツッコミ」の正体なのです。その、暗喩や文学的比喩といった奥深さに関しては常に除外し、表面的な部分にのみ視点をおいて俗っぽい言葉によって吐き捨てる、というのが、結局のところドリー氏の行っている批評の正体と言えるでしょう。
ドリー氏は、これは個人的な意見になってしまうのですが、はっきり言ってそういった「奥深い部分」に対する想像力、というものを発揮しない(あるいは表立って発言しない)といった批評のやり口に、あまりにも慣れきってしまっている感があります。何というか、そういった相手の表現したい奥深い分野については言及せず、大体において「表層的」あるいは「形而下的」な部分に対してのツッコミだけを行う、というのが彼のスタイルになってしまっているのです。
さて、ここまで長々と書いてきて、結論としては、ドリーさんの批評(クリティーク)においては、あまりにも想像力や文学的表現に対する理解というものが欠けてしまっている、ということが言いたいわけなのです。そんなこんなで、ドリーさんの書籍批評に関しては、以下の言葉でまとめることができるでしょう。やはり、ドリーさんの書籍批評はまちがっている、と
うちの場合は、上の子が1歳になって断乳もできたお疲れ様のシャンパン一杯を飲んだ夜に子づくりしてしまって、思わず2人目ができてヤバかったわ。
○保育園の送りは僕、迎えは妻。
僕は仕事柄(上場企業の役員室の管理職です)、残業は必須です。なので、時間拘束が僕ほどきつくない妻が朝早くから出勤し、18時には保育園に迎えに行けるようにしてます。といっても妻も17:30に必ず仕事をあがる約束を取り付けるためには雇い主とはかなり厳しく交渉したらしく、時々仕事が余ったら週末のどちらかに出勤しています。そんな時は僕が週末面倒見るか、体力の限界が来たら一時保育に預けます。
○料理は、平日は妻、週末は僕。
妻は朝の5時に起きて、その日の夕食を仕込みます。週末は朝昼晩とも僕がやります。
○買い物は、妻は平日には行きません。
平日の献立は平日分は妻が考えて、必要な材料を生協でネット購入します。週の途中で足りなくなったら、メールで指示が来るので僕が仕事帰り(大概、深夜です。)にまいばすけっととかで買います。週末は僕が食事係なので、子供を連れて材料を買いに行きます。その間、妻は家の掃除とか、昼の仮眠をとるとかしてます。服とか家のものは、月に1回くらい計画的に週末に夫婦で買い物にでかけます。そんなときは子供は当然僕が抱っこしてます。
お洋服へのこだわりが理解困難なので。なお平日は朝5時に起きてすぐ、週末は朝から洗濯してます。
○寝入りは妻、朝方は僕です。
子供を寝かすのは妻です。一緒に9時前には寝てしまいます。妻は5時には起きてしまうので、そのあと子供がむずかったら僕がお腹をとんとんして6時30分まではなんとしても寝かします。6時くらいに子供が起きてしまった時の妻の形相は鬼のようです。「あたしにはやんなきゃいけない仕事があるのよ!なんで子供を寝かすくらいできないの!子供が泣くまで寝ぼけてたんじゃないのこの二日酔い酔っ払い!」と罵詈雑言をしながら子供を時間まで寝かしてくれるので、そんな時は僕が洗濯物を干して、朝ごはんを作ります。時には晩ごはんも仕上げます。
こんな感じかなぁ。元の文章を読んでも夫の影が見当たらないのが謎なんだよね。うちの場合は、共働きで収入はそれなりなので、できるだけ職住近接で、二人とも玄関から職場まで30分のところに住んでいるのも大きいし、あとは都心の区って福祉施策が意外に充実しているので、病児保育とかファミリーサポートとか週末の一時保育とかには事欠かないという利点はあります。本当に助かってます。なお、保育料は収入が減れば、翌年度には減るんじゃなかったかな?公立園ならだけど。
まあ、夫婦で頑張ってくだされ。子育ても家事も、夫婦共通のお仕事なんだから。夫婦とも育児とか家事に「参加」するんじゃなくって「分担」するのが大事だと思います。僕もサラリーマンとしてはそんなに暇じゃないって言うか会社の中では最激務と評価されるポジションにいるけれど、この程度のことはできますよ。仕事は60までだけど、家庭は一生だから。
でもそれにしても仕事的にはかなり家にコミットしにくい状況の夫がいるのに、家のことをきちんとマネージして夫の状況を把握しつつ的確に家庭における部下として使ってくれる妻がいるのはありがたいことですわ。妻には心から感謝してる。ありがとう。