はてなキーワード: とんとんとは
ないですよ、そんなもん。そんなキチガイロジック振り回されてどや顔されても。
どこにどういう法的根拠が?
知的障害者がこうむっている不利を、健常者があんぱん吸ってとんとんにしろと?
あんたの言っていることはそういうことなんですが。そもそもフェミニズムと言っても幅が広いし、フェミすべてがそんな主張をしているわけじゃないんですが。
置換冤罪を男性がこうむるなら、痴漢被害を女性がこうむっても当然だとなりませんかね?
自分で作ったものさしでさえ自分自身をソートすることができない。これがまさしくはてサですよ。
ま、それはともかく、buyobuyo氏のことを考慮してみましょう。
彼は論理学についてはこの国で一応、最上と言える教育を受けている。
しかし彼の言動には論理性は微塵もない。つつけば穴だらけだが、彼の経歴を踏まえれば、敢えてそうしているとしか考えられない。
なぜか。論理的妥当性ではなく政治闘争として彼ははてなで活動しているから。
彼に代表されるはてサも同様。
・ダブスタ
・言ってもいないこと攻撃
・言えることがないならとりあえず人格攻撃
無茶であっても暴力が場を支配することを彼は知っている。知っているから暴力を行っている。
はてサを攻撃している人は保守ではない。むしろ純粋な左翼。はてながこういう暴力に支配されてしまっていることに、ずっと警鐘を鳴らし続けてきた。
それに近似しているのはただの暴力団だ。
http://anond.hatelabo.jp/20120724021819
この日記が私の中でとてもタイムリーだったので、胸が苦しくなった。
まだカミングアウトはされていない。
彼氏とは小学校のときに出会い、十数年後に再会。そしておつき合いへ。
当初から彼氏の結婚願望が高く、私もこの人となら結婚したいとはじめて思えた人で
このままとんとん拍子に結婚するんだろうなと信じて疑わなかった。
来たときは車があったのでわからなかったけど、帰りは大きなポスターが、壁に貼ってあったのがしっかり見えた。
心臓がギューーーーッとなった。
彼氏とつき合う前は
「公明党なんてありえない!」
なんて平気でアンチ発言をしていたのに、いざとなったらパニックになるもんなんだと知った。
だけど、心の奥底では彼氏とは別れよう思った。
Googleで「彼氏 創価」「彼氏 学会」とかで検索しまくった。
だからそんなことをしなくても、ほんとは創価の人と結婚することの大変さを知っているのに調べまくった。
なぜなら、ただ、「自分は彼氏が創価というだけで別れることはひどくない、正当なことをしているのだ」という安心感を得たかった。
ネットで「彼氏が創価でした」みたいな相談を読み、別れた方が良いという回答をみて「そうだよね。どんな良い人でも創価ならダメだよね。誰でも別れちゃうよね」って思いたかった。
悩んでいる間も彼氏は自分にとても優しく気遣ってくれていたので、罪悪感がつのった。
とかムダにポジティブになり、やはり彼氏と一緒にやっていこう。創価であっても、きっとこの人とならうまくやっていける!
と思うときもあった。
だけど、姉のしんどさ、創価が結婚した本人だけでなく、本人の家族もまきこむことを思い出した。
うちの両親は姉の元旦那両親とのおつき合いも大変なのを見てきた。
母親が「孫をお宮参りに連れていきたかった」と言っていたのを思い出した。
両親が「創価とだけは結婚は許さない」と言っているのを思い出した。
将来、もし彼氏と結婚したとして「創価ってさーありえないよね」と、これまでの私みたなアンチな人が何気なく発言したことも、きっと心が痛むんだろうなと想像した。
こどもができたとき、彼氏の親が入信させたいと言ってきたと勝手に想像して、勝手に嫌な気持ちになった
前よりも創価が嫌いになった。
またGoogleで「彼氏 創価」を検索し、アンチ発言の記事を読んで落ち着かせた。
そして、やっと本当に決心がついた。
一人悶々と悩んでいたが、昨日やっと吐き出した。
今まで女性と二人きりでデートしたことは何度か(片手より少ない数)あるぐらいの男が性懲りも無く先日水族館デートに行って来ました。
まずデートに行き着くまでの顛末を書こうと思う。前置きしておきますがモテるための方法論とか一切書いてありません。そもそも文才も無いですし、ただ誰かに聞いてほしくて書いた自己満日記です。
学生時代は恋愛どころか緊張して女の子としゃべるのも苦手だった。なんとなく普通に話せるようになってきたのは社会人に出てから。社会に出てからの恋愛は、どちらかというと僕は年上の女性が好きでここ数年はそういう人にアタックしてきた。でも彼女たちが恋愛経験ゼロに等しい僕なんかを相手にするはずがなく。そして今年の6月にまた失恋というか、自分で諦めた。そして(両親には悪いけど)もうこのまま恋愛も結婚もしないで独りで生きていくのも悪くないや、と考え始めていた。このまま童貞で30歳になれば魔法使いにもなれるし。
そんな矢先、友人から女の子を紹介してもらえることになった。以前友人と飲みに行ったときの話の流れで紹介してもらえることになったのだ。僕自身は「紹介して欲しい」という気持ちもほとんど無く、そういった会話をしたこと自体あまり記憶に無かった。友人の好意を裏切るわけにもいかないし、とりあえず紹介してもらうことになった。
「会ってみるぐらいならいいや。どうせ1回食事して、(いくらこちらが続けたいと望んでも向こうが)あとはメールを適当にやって終了するんだろうから」と思って、特にがっつかず、トークが続かなかったっていいや、自然体でいこうと決めて会うことにした。
相手の子(以後A子さん)は、ルックスは正直なところ普通。1コ下で恋愛経験も普通に積んできただろうという子だ。この食事では話がある程度盛り上がったところもあったけれど、僕のトークは下手くそだからそんなに続くわけもなく。多分ダメだろうなと思ってた。けど、なんか知らないうちにお互い次に会う約束を決めてた。デート場所は水族館。水族館自体久しぶりだし人生で初めてだ。
休日ということもあって水族館は人、人、人。ただでさえ人ごみが苦手なのに・・・。それでも彼女に引っ張られる形で普通にデートをこなしていった。
デートも中盤に差し掛かった頃、彼女から腕を組んできた。あとで理由を聞いたら「迷子になるといけないから」ということだったらしい。正直心臓がバクバクして動物なんてほとんど記憶にないくらい。つーか普通に胸があたってるんですけど・・・。A子さんは僕の肘を持ったり、手首あたりを持つか持たないか具合の微妙な距離感で腕を絡ませてきたり。本当にドキドキした。平常心を保とうと必死だったと思う。
それにしても、たった2回しか会ったことのない男にこんなことをする女性はいるもんなんだろうか?過去デートは数回してきたことあるけれど、こんなのは初めてだった。そりゃ恋愛経験ゼロに等しい僕からすれば何もかもがきっと新しい経験なんだろうけど。
見出しバレだが手を繋ぎました、水族館からの帰り道に。もう人は少なくなってて人ごみの中でも何でもないけど、腕を組んで歩いていた。そしたらA子さんの右手がすごく近い位置にあって・・・。すごく勇気はいったけど思い切って手を繋いでみた。A子さんは拒否しなかった。むしろちゃんと握り返してくれた。そんな中でも何事もなく会話しながら歩く。今まで夏に手を繋いで歩くリア充(カップル)達を見て、「こんなクソ暑いのにバッカじゃねーの」って思ってきたけど、「手を繋ぐ」ってこんなに素晴らしいことだったんで初めて知った。
でもふと疑問に思う。まだ会ってたったの2回目なのに腕組んだりしていいんだろうか?お互いに「好き」ということでも何でもないのに。一般の普通に恋愛をしている、もしくは恋愛が始まろうとしている男女達はこれがデフォなの?俗に言う「基準」ってのはどんなもんなんだろうか?人それぞれ?
そして何より一番心配なのが友人による壮大な釣りなんじゃないかと。こんなとんとん拍子で上手くいくはずがないと思ってしまう。
「※ただしイケメンに限る」と言うのはもうやめないか。あなただってもう、うすうすわかっているはずだ。モテ度が高い順に全ての男を並べた順番と、ルックスがいい順番に全ての男を並べた順番は全く違うものになるであろうことを。あなたよりルックスが悪いのにモテまくっている男を見たことがあるだろう。あなたよりルックスがいいのに全くモテない男の話を聞いたことがあるだろう。現実から目を背けてはいけない。「※」と言うことは、自分のコミュニケーション能力や内気な性格や人間性などを棚に上げて、自分の意思ではどうしようもないもののせいにして逃げているのに等しい。付け加えるならば、「モテるにはやっぱり金が必要だ。自分には金がない」と言って諦めるのも同じことだ。
だが、ルックスにしてもお金にしても、ほんとうにどうにもならないものかというとそれは違うだろう。お金の方はよりわかりやすい。自分を磨いてもっと収入の多い仕事に就けばいいだけだ。副業だってできるかもしれない。あるいは学生ならバイトをもっと頑張ればいい。それだけのことだ。
問題はルックスの方。これも努力次第でかなりのレベルまでいけるものだ。まずはファッションである。ファッションの研究がなかなか難しいこと、これは認めよう。ファッションの研究が難しい理由は、「この本をしっかり勉強すれば完璧!」というような教材がないから。なぜないのかは私にはわからない。ファッションを勉強するのは基本的に友達に聞いたり、ショップ店員と話したりといったことが必要になる。いきなり自分でファッション雑誌だけ買ってもなんのことかわからないはずだから。
だが、モテない男にはおしゃれに詳しい友人がいない。また、ショップに行こうとしてもどの店に行けばいいのかわからない。適当に店に入っても、高くて自分に似合わない服を買わされるのがオチだ。ファッションに詳しくなるには、地道にいろんな店を回り、自分に似合いそうなブランドを探していくしかない。また、店員と話しやすい店を見つけるのも大事だ。そういう店が見つかれば、あとはとんとん拍子におしゃれの階段を上っていける。まずは一つお気に入りのブランドを見つけること。それが近道だ。このような努力を続け、「自分はイケメンじゃないから」といういいわけを自分にさせない状況に自分を追い込むべきだと私は思う。
次に、私がファッションにある程度詳しくなるまでに自ら行った努力について少し書いてみようと思う。
私は、自分が所属する集団のなかで、いかにも女の扱いが上手そうな男がいることに気がついた。彼は、本来なら自分ととても相性の合いそうにないイケメンであった。私は彼と苦労して打ち解けた。最初は会話が弾まず、何を話していいのかもわからなかった。でも、彼が何に興味を持っているのか、どういうことを好む人間なのかということを丁寧に聞く過程で彼と親しくなっていくことができた。彼は、どこで服を選べばいいのかと言ったことを教えてくれたり、恋愛のアドバイスをくれたりした。一緒に合コンにも参加してくれた。
私は美容院についても、どこに行けばいいのか見当もつかなかったから、彼にオススメを教えてもらった。そしてその美容院に行ってみると、やっぱりかっこよくなったのだ。もちろん「当社比2割増し」(笑)というレベルなんだけれど、それでも昨日までの自分よりもかっこいい自分を発見し、なんか自信がついた。そこの美容師さんにオススメのワックスを教えてもらい、ワックスのつけかたも教えてもらった。いい美容院に出会うというのは非常に大事なことだと思う。あなたが恋愛したい、もっと輝きたいと思う人であるなら、カット1500円の散髪屋に通うことは自分を粗末にすることになると私は考える。もっと自分を大事にしてやればいいのではないか。
さて、そのイケメンと友達になることで、いろいろと恋愛に前向きになれたのは確かだ。でも、私が得た物はそれだけではなかった。彼の人間的魅力が見えたことがすごく自分にとっては大きい。彼は学歴もなく、裏の社会で生きてきたような男。おぼっちゃん育ちの私とは全く違う世界で育った。今までの私は自分と同じような育ちをしてきた人としか友達になれない人間だった。でも、今回彼のような友人ができ、彼の魅力が見えるようになった。恋愛のためと思って彼と仲良くなったが、大切なものを手に入れた。当たり前のことなんだけれど、偏った要素(例えば育ちや学歴)だけで人を判断してはいけないんだなということが肌で理解できたわけだ。これは自分にとって大きいなと思った。それだけ人間関係の幅が広がるということだから。
恋愛に関して努力するとき、いつも思うことがある。恋愛において何か自分のステージが上がったとき、副次的な何かが必ずついてくる。何事においてもそうなのかもしれない。努力して何かを成し遂げるといろんなものが見えてくる。スポーツにおいて努力し、金メダルを手に入れたら、そのとき自分の手元にあるのは金メダルだけではないはずだ。他の何かがきっとついてくる。そういう意味で、努力することは素晴らしいことだと私は思う。
だから、恋愛に関する努力をすることも馬鹿げたことだと切り捨ててしまうのではなく、できる限り努力してみてはいかが?と私は勧めたいのだ。
損益分岐点が400冊って分かってるなら、300~500冊売ったぐらいじゃとんとんどころか人件費で足が出ることぐらい分かるよね
いや分かってくれ頼む
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル
解雇しやすくなると、いつでもクビ切れる分、気軽に人を雇うから派遣社員でまかなっていた部分を正社員雇う、というような雇用がでてくる。
ただそれって、派遣社員>正社員の変更があるだけで全体の雇用人数は変わらず、全般としてはクビになる人数の方が多い可能性が高くて、どんなに良くてもとんとん、といったところ。
だから、雇用が増えるイメージが湧かない、ってのは(少なくとも短期的には)合ってるよ。
解雇規制撤廃は「経済成長・活性化促進」のための施策なんで、その観点からは別に失業者が増えることは問題ないんだよ。労働市場の流動化で労働者間の競争が激しくなり、労働生産性が充分向上すればいい、って話。失業者は景気が良くなると減るもんだけど、失業者を減らせば景気が良くなるわけじゃない。逆に増えた場合もしかり、ってことで。
ただ短期的な失業者増は、経済成長にともなって労働需要が増えてくれることで、かなり解消できることが期待出来るから、長期的に解雇規制時代に近い水準まで戻ってくれることは一応期待できる。長期的に見れば失業率はそんなにひどいことにならないだろう、っていうのが最近の経済学での解雇規制撤廃への一般的な見方。
俺は、いわゆる「おたく部」に入った。
確かに、駄目な連中ばかりだったね。俺は小説メインで当時は絵が書けなくて、絵の勉強したくて、漫画やイラスト描いてる人がいる「おたく部」に入ったんだけどね。
最初デッサンも知らず、頭の中に立体を組み立てるということもサッパリだったけど、1年ぐらいで出来るようになった。
そこまでは部活の連中の技術吸収だったけど、それから先は自己流だった。
「どうすれば面白いストーリーが組めるか」を思考することに、大学の大事な時期に費やしていた。おかげで、自分なりに「面白い漫画の描き方」を発見した。これに関してもサークルのメンバーはちっとも力にならなかった。というか周りの連中の漫画を見て「ここが悪いな」「どうしてここはこうしちゃったんだろう」と反面教師にしてた。当然、口には出さなかったけど。一人だけ凄過ぎなヤツはいたが、凄過ぎなのと自分とは方向性が違うので参考にはならなかった。
でも、色々と収穫はあった。
常日頃から落書き帳を肌身離さず持ち歩く習慣もこの頃身に付いた。とにかく描く量=絵の上手さ、その体現には落書き帳を持ち歩く。簡単な事だが思いつかなかった。
コミケという存在を教えてもらった(当時はネットなんてなかった)。一緒に行ってイベントのノウハウを教えてもらった。
俺は絵が描けない状態で部活に入ったので、部活ではかなり評価の低い扱いだった。イベントというものがどういうものか判った時点で「コミケに参加する、でもって大手サークルになってやる」と宣言。周りは笑ってた。
でもってコミケに申し込み。当選。コピー誌作る。部数の相談を回りにしたら20部ぐらいだろ、といわれる。
ムカついたので60部作った。結果、初参加でコピー誌60部が午前で消えた。それ以降とんとん拍子でジャンル頂点に上り詰めた。ピコ手の集団だったのでオフセの存在を周りが知らず、読者に教えてもらったりとか、コミケ初参加あたりの頃ぐらいからもうサークルのメンバーは完全に参考にならなかったな。
まぁ、他の環境で自分がこうならなかったかどうか、は判らない。自分ひとりでここまで来るのは無理だったろうな、とも思う。
また、今は社会人十ウン年目だが、この年齢になってもサークルメンバーは友達だ。
一人だけすごかったヤツはプロの漫画家になって今でも活動中だが、部数の割りにプロは収入が低いのと、編集との関係とか色々聞いてると「プロにならんで良かったなぁ」と思う。俺は社会人としても結構いい収入を得ている上に同人もかなりの売り上げだ。同人だから締め切りは気にせず生活を締め付けない程度にのんびりやってるし、描きたいものを自由に描いてるだけ。
ちなみに、一応は編集からお声がかかった時期もあった。ただ、なぜか夜の11時半に電話かけてきたり等、こいつら常識無いなぁと思うような感じのところだったので即断った。
俺を評価低く見てた連中は、ニートやら工場務めやらの集団。数人は大手企業の偉い人になってるらしいが、そいつらはもともとサークルに顔をよく出したが作品はサッパリ作らないような連中だった。創作に力を入れつつ、社会人として成功するのって難しいと思う。
大学で友達が出来て楽しかったのも事実だし、つまらん試験の対策に去年の試験問題とその回答のコピーが部室に置いてあるのも魅力的だし、俺の大学はマズかった学食だが部室でカップラーメンとか弁当とか食べられたりとか、創作以外の利益がすごく大きかった。
まぁ思いついた事を適当にゴチャゴチャ順序メチャクチャに書いたが、いいたいことはひとつ。
ゴールに必要だと思ったら、何でもやりゃいい。
あいにくとそのショップではiPhone4の料金体系がまだ取得できてなかったので、そこいらへんは今日の情報とマージしつつ。
[新規とか乗り換えとか]
http://mb.softbank.jp/mb/iphone/iphone4/price_plan.html
あと新ホワイトプランなのでその辺注意。
[3GSから乗り換え]
端末代の月賦残数分は負担増えるよ。結構高いよ。
あとのもろもろは多分変化なし。
旧パケット定額なら増えたり減ったり忙しいけど最終的に負担減るよ。
もう新パケット定額なら3Gの月賦残数分が負担増えるよ。まあまあ高いよ。
[iphone for everybodyまで絡むと]
http://mb.softbank.jp/mb/iphone/iphone4/price_plan.html
基本このとおり。
これにプラスで新規契約手数料が2,835円+乗り換え元の手数料(docomoだと2,100円だっけか)。
契約するプランはホワイトプランの新しいほう(24ヶ月目以外の契約変更が高くなるやつ)。
月賦の割引とかは確か変わらなかっただろう、ってことで1,920円 x 月賦残り月数。
残り月数が昨年6月末締めなら15回だろうってことで、15ヶ月は1,920円余計にかかるだろうとのこと。
# この辺は店で実際に聞くとかMy Softbankで月々割の残回数を確認するとかを推奨。
機種変更の端末代金は32GBだと月々2,700円、16GBだと月々2,220円。
↓とも一致してるので間違いはなさそげ。
http://wayohoo.com/ipod/news/iphone-4-price-question-softbank-call.html
これにバリュープログラムだと月々-1,920円、標準プライスだと月々-1,440円。
32GB+バリューで780x24=18,720円、16GB+バリューだと7,200円が月々の差し引き端末代金。
多分これは元の契約と一緒。のはず。
と説明されたんだけど、よくよく考えると店員の説明間違ってる気がする。
手元に図を書いて考えたら、月々割が解除+再契約なので月々割分は増減に特に関係なく。
今: 3GS端末代 2,700円 - 1,920円 = 780円
その後: 3GS端末代 2,700円 + 4端末代 2,700円 - 1,920円 = 3,480円
さらに後: 4端末代 2,700円 - 1,920円 = 780円
これで計算すると32GBで2,700円の15ヶ月で40,500円、16GBだと同様で33,300円が増分。のはず。
# 月賦残回数も同様にMy Softbankで確認できる。
基本的には3GSからの契約のうち、月賦の残契約月数が12回減っただけ。
んで、自分の場合は2008/07契約で残回数が3回だそうで。
# ここは3GS側の月々割残数が保証できないので店に確認するなり(ry
あとiphone for everybodyの2年縛りを嫌ってたもんでパケット定額の上限が今5,985円。
これが4,410円になるので月々-1,575円マイナス。
てことで月々割残数残ってるうちはプラスだけど終わったらちょっと安くなるよ!と。
言われておおーと思いつつ図に書いて考えたらやっぱりおかしい。
ってことで確認と計算したところ、端末代月賦が3,360円の残5回。
端末代 + パケット定額で考えると
今: 3,360 - 1,920 + 5,985 = 7,425円。
のちしばらく: 3,360 + 2,700 - 1,920 + 4,410 = 8,550円 (今との差+1,025円)
3G端末代完了後: 2,700 - 1,920 + 4,410 = 5190円 (今との差-2,235円)
# ただしiPhone4の月賦支払い開始時期とか微妙にずれるので、もちょいパターンがある。
というか今まで払いすぎ。トータルでは損してる。
頭金で一律5,250円かかりますーと言われてはてーと思ってぐぐって納得。
要は店単位で決められる金額っぽい。
というわけで頭金0円の店を頑張って探そう。あるのかしら。
あと仮予約(予約の予約)を既に受け付けてた。
頭金にしろ仮予約にしろ、3GSの時と流れは変わってない気がする。
店に行った意味はなんかあったんだろうかと激しく疑問が沸々。
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
つづき。
橋を渡って半島に入ると、二車線の道はくねくねとまがってトンネルに入り、そのまま半島の東岸を縫いはじめる。右手に真っ青な海が広がり、その青のまぶしさに彼女は表情を輝かせる。
「ごめん、逆がよかったね。西側からめぐるべきだった」
助手席の彼女は首を横に振り、徐行して下さいと嬉しそうに言う。速度を落とすとシートベルトを外してシートをまたぎ、彼女は後部座席の右側の窓ガラスに両手をそえ、カーブで揺れる自分をそれで支えて、海の美しさにみいる。
「晴れてよかったですね」
「うん」
バックミラー越しにはにかんで笑う。こっちのほうがお互いが見やすいかなどと思う。
夏が過ぎ去ろうとしている半島は交通量も少なく、のどかな田舎道は岬めぐりの巡礼者たちにはおあつらえ向きに思える。都会を離れ、人混みの孤独から離れ、何か嫌なことから離れ、ただただ陽光と、波の色と、緑のあいだを抜けてくる風のことだけを思う。それはとても贅沢な旅であると僕はもう知っているのだけど、彼女はまだそれを堪能してはいなかった。
「窓あけてもいいですか、ちょっと暑いかもだけど」
「ああ、そうですね」
思いつかなかったとばかりに彼女は目の前のガラスをおろしてしまう。そのねっとりとした海風に髪をなびかせて、窓枠を両手で掴む。それでカーブで揺れるのにバランスをとって、いいなあとのどかにつぶやく。僕も窓を開けると潮のにおいが車内を舞う。嬉しくなってハンドルをとんとんと指先でたたく。
「そういえば、坂田さんって、なんで岬めぐりなんて思い立ったんですか?」
不意打ち的なふしぎそうな目がバックミラー越しに向けられる。
どぎまぎするが嘘はつけない。
視線もそらせない。彼女は仲間だし、知ってもらったほうがいい事ではある。
「あー、長いですよ? それに退屈かも」
バックミラーのなかで頷かれると、もう逃げ場はなくなった。
「東京の仕事を辞めたって、話しましたよね? その仕事、雑誌作る仕事だったんです」
へーという顔をするので、軽くため息をつく。
「立派なものじゃないんです、下請けですから。営業用語ではプリプレスって言うけど、今ならDTPかな? その会社、雑誌だけじゃなくて、会社案内とか、IR資料とか、パンフレットとかもやっていて雑誌は半分ぐらい、でも雑誌は儲かってなかったと思う」
「どんな雑誌やってたんですか?」
「カード会社の全会員に配る旅行誌。その旅行誌でだいぶ儲けていたらしくて、けっこう力を入れていた雑誌だった」
ついこの間までの事とが、彼方の事に思えてくる。
「出版関係やりたかったんです。プリプレスは誌面を作れるけれど、文章も写真も自分のではなくて加工するだけ、下請けにしては給料が出ていたから続けられたようなもので、責了前は缶詰になるし、仕事はハードで、それで」
「やめたんですね?」
得も言えない沈黙が何か責めるように続く。やりたいことを諦めたですね、おめおめと実家の安定した楽な仕事をするんですね? そんな声が聞こえてくる。言い訳する。
「カード会社が合併したんです、別の会社と。それで会員向けにやっていたサービスを見直すことになって、対象になったのが旅行誌をはじめ定期刊行物で、合理化ってやつで。先方はコスト切りたくて、会社もねばったんだけど価格が安すぎて、雑誌の仕事がほとんどなくなって、残るはIRの仕事。で、もういいかなって。この業界先がまったく見えないし、この年でこの不況で転職もどうかと思うし、親はやくざな仕事はやめて、山形の実家を継げってうるさいし。やけばちだったんです」
それで、やりたいことを諦めて現実逃避。
バックミラーを見るとふしぎそうな顔をしている。
「それでなんで、岬めぐりなんですか?」
「ああ、実は先方に提案してたんです。担当者の方が、いいアイデアないかなって言うので、多いんですそういうの、クリエイティブってあんま垣根ないから。見透かされてたんですかね、出版やりたいの。で、けっこう夢中になっていろいろ調べて」
彼女は窓枠に片肘をついて海風に吹かれながら、嬉しそうにする。
「こんなすてきですもんね」
それで救われる。
「インターネットやりたいんです。ずっと紙だったから、ネットの双方向性というか、でもネットの事は全然わからなくて、でも紙だと刷るのにお金がかかるけれど、ホームページを作るのってそんなにお金がかからないから作ってみたいと思うんです」
「どんなページなんですか?」
「旅行サイトです。雑誌みたいに。あちこちまわってそれを記事にする。それでたくさんの人が読んでその旅をしてみたくなるような、そんなサイトがいい」
彼女は考え込んで、しばらく黙る。
「じゃあ、写真は必要ですよね。もしよければ、写真を撮りましょうか? だって、こんな素敵な景色を撮らないなんてもったいないし、あなたは運転中だし、私以外撮る人いないし、これ撮りたいし」
僕の答えは明確で、不良資産になってるカメラを処理してくれるなら、嬉しい以上の言葉はなくて、後部座席のカメラ機材を教えた。彼女はわくわくと、すぐにシャッターを切る。それを見た瞬間、その同乗者がすごい才能を持っていることに気づく。嬉しそうに見せられたプレビュー画面をみて、これはすごいと、わかる。
・女の子ひろった
http://anond.hatelabo.jp/20100116012129
・これこそ逃避
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
・すごい彼女
http://anond.hatelabo.jp/20100123005026
・ふたつ恋した
この前、彼女さんの家でくつろいでたら、
「何?」って振り向いたら、さっきと違う服を着た(着替えた)彼女さんがいた。
押し黙ったまま、身体をブリッジするかのように反らせて、ゆらゆらと揺れる。
なんだ、この不思議な踊りは……って思っていると
あまりにも珍妙だったので「なにそれ、創作ダンス?w」と茶化すように言うと
電源を抜いたかのように動きが止まって、浮かしていた腰を床に落下させた。
膝を引きずりながら消えていき、さっきまで着てた服に戻って、一切口を開かなくなった。
こりゃマズい……と思い、こたつ石像になった彼女さんをケアしてたら、
すんすんと泣き出して、「セクシーなことして、喜ばせたかったんだよぉ」と漏らした。
……可愛いやつ。
普段は絶対にそんなことをしない人間だ。
甘えた声でくっついてきたりもしないし、
そもそもスカートなんてめったに着ない。
だから、急にそんなことやられてもギャグにしか思えなかったんだよ。
「無理しなくていいんだよ。でも、ありがとう」と言って仲直りの合体。
今日、仕事帰りに「(500)日のサマー」っていう映画を見てきた。渋谷なんて今じゃめったに行かないし、場内はカップルだらけだし、最初は来るとこ間違えたなと思ったけど、映画が終わる頃にはガン泣きで、これはおれの映画だって思っていた。他にもそう思ったやつがいたら、そいつとはいい酒が飲めそうだ。
以下おれの話。
当時、おれはある居酒屋でバイトをしていて、バイト代のほとんどを近所のレコ屋に費やしていた。
ある日、そのレコ屋に新しいバイトの女の子が入ったって話を聞いて、休憩時間に制服のまま、見に行ったことがあった。第一印象は「地味」だったけど、黒髪がつやつやしてんのと、表情が明るいのはちょっといいなとおもった。
でもそれだけ。おれはカウンターを通り過ぎ、いつも通り新入荷とエサ箱だけチェックして店を出た。
それから数ヶ月過ぎた頃、朝まで飲んだ帰りで、めずらしく午前中にそのレコ屋に行ったときのことだ。
店内には彼女だけがいて、かかっていたのは、あんまり有名じゃないかもしれないが、当時おれが一番好きなバンドだった。
気になってちらちらとカウンターを見ていると、彼女は店内に客が少ないのをいいことに、レコードプレイヤーとCDプレイヤーを使って次々と好きな曲をかけているようだった。信じられないことに、そのどれもがおれが好きな曲で、正直おれのためにかけてるんじゃねーかと思うくらいだった。
それがきっかけで、おれは彼女を意識するようになった。彼女がカウンターにいるときを狙って、彼女の好きそうなレコードばかり買った。一度、今かかってるのは何か、とたずねてみたこともあるが(もちろん知っていてきいた)、対応はそっけなくてひどく落ち込んだ。
彼女とはじめて話をしたのは、彼女と同じレコ屋に友だちがいるバイト仲間がセッティングしてくれた飲み会でのことだ(合コンではない)。
シフトあがりで少し遅れて飲み屋に行くと、すでに飲んでいたらしい彼女は笑って手を振り、「ずっと話してみたいと思ってたんです」と言った。きいてみると、あの朝にかけてた曲も、おれが好きそうなの選んでかけてくれていたらしい。その日どうやって口説くかばっかり考えてたおれは、こりゃ運命じゃなきゃ嘘だろと思った。
そこから先はとんとん拍子だ。おれたちは連絡先を交換し、休みの日に映画を見に行った。その帰りに、俺は彼女に付き合ってくださいと言った。彼女は、付き合うとかよくわからないと言ったが、おれのこと嫌いですかときくと、そんなことはないと言った。「じゃあいいじゃん」といって、おれたちは恋人同士になった。
彼女といると話題は尽きなかった。彼女は良く笑ったし、笑うのを見るたびにおれは安心した。デートにはいつも、彼女に貸すものを持っていき、それを返してもらう口実でまた次の約束をした。
しかし彼女は大学生で、おれはフリーターだった。そのうち、学校で何してんのかなと考えるだけで不安になった。いちど、彼女の大学に遊びにいったことがあるが、大学に通ったことのないおれには異世界に思えて、具合が悪くなった。
だんだんと、おれは彼女をうたがうようになった。学校が忙しいというのは嘘だと思った。不機嫌そうな顔をしていると、彼女は必ず心配してくれるので、おれはそれを繰り返すようになった。彼女はあまり笑わなくなってしまったが、自分でもどうしていいのかわからなかった。
なんでいつも機嫌が悪いのか、と彼女がきいたとき、おれは何も言えなかった。いつまでもだまっていると、彼女は泣きながら「もう無理」と言った。おれのこと好きですかときくと、彼女はだまって首を振った。
付き合った期間は半年。キスはしたけど手はつないでない。最後の方にいちどだけ、無理やりつないでみたけど、手に全然力が入ってなくて悲しかった。セックスは2回だけ。お互い実家だったしな。
まあそんな具合で、彼女とおれは別れた。
そしておれはなぜか怒っていた。最初から彼女はおれのこと好きじゃなかったんだなと思い、ムカついて仕方なかった。見返してやりたくて、すぐに別な女とつきあったが、そうこうしているうちに彼女はレコ屋を辞めてしまい、会うこともなくなった。
いざ会えないとわかると、おれはすげー落ち込んだ。お約束すぎて笑えるが、酒とパチンコにハマったりもした。
当時の彼女は、そんなおれの愚痴を嫌な顔ひとつせずにきいてくれ、おれは感動のあまり「おまえと親友になりたい」と言い、うまれてはじめてビンタされた。それが4年位前。
で、「(500)日のサマー」の話だけどさ、ダラダラと書いたおれの思い出話とは、音楽がきっかけってくらいしか似てない。
ただひとつでかいのは、ラストシーンのサマーをみて、ああ彼女も幸せに暮らしてるといいなって、たぶん初めて思えたことだ。
おれは彼女が好きだった。でもうまくやれなかった。それが運命だったってやっとわかった。
こんなこと書いてるの、嫁にばれたら恥ずかしいので、はじめて増田に書いた。読んでくれた人ありがとう。
お題:外向、内向、直感、感覚、感情、思考、判断、知覚 / 殴り書き。
直感の反対は経験だと思っていた。
直感の反対は感覚らしい。経験的な物を感覚と言うからかも知れない。学習した内容を言葉にするよりも、体感で目分量をよく使う。直感というのは勘であるけれど、本能的な勘であるから不得手。経験的な勘を頼るので感覚だろうと思った。俺は、どっちも苦手なのだけれど……。
自分は内向肌だと知っていた。そんな俺はいつものように酒の席で、外に向けてギャーギャー騒いでいるように見せかけて、派手に散らしていた。ある程度した後、いつもいつも部屋に閉じこもったりお手洗いと言って一人の時間を作る。そうしてその日もいつものようだった。俺は適当に言い散らかした後、酸素不足に陥ったような気分で、酒の席を後にした。個室で息を吸い治し、手洗い場の水を飲んで顔を洗った。酷い面だった。そうして席に戻る前、我ながら醜悪なことに部屋の様子をそっと探った。いつもいつも自分が好かれているのか嫌われているのか、話題に挙がっているのかいないのか探ってしまう。もう癖になっていた。部屋の様子が自分がいたときよりも和やかであるとか、そういう風なのを肌で感じようとする。感じて、その場から即刻さろうと思えた。
しかし、即刻バックレルのは許されない。
俺は何もなかったかのようにこっそり戻って「いやあすいませんでしたあ」といった。どの口がいえたもんだろう。再び息苦しさから口早に言葉を吐き出していらないことまで言ってしまう。わざわざ陶酔に浸るように酒の数を増やしたり、何かの興味に飛びつこうとする。バカみたいだと思っている。息苦しさから金魚が口をぱくぱくと開けたり閉めたりしているような物なのだ。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が足りない。酸素が。酸素が。酸素が!
こんな俺に思慮なんて合ったものじゃない。いつもなら思考好きからその場では黙っていた。けれども俺はそんな柄じゃないと知っていた。いつだって感情を重視している。判断よりも知覚を重視している。頭がいいと何人かいってきたけれど、そんなことはない。知覚を重視して判断を捨て、思考を捨て去り感情を重視すれば如何に内向的な人間でもバカをやる。感情も知覚も制御しているのは論理・経験・思考であり、判断が全てを司っているからだ。気取ったバカなおしゃべりはもう沢山だ。
ある程度わざと酒を飲んで、もう一回個室に俺は戻った。
戸を開ければ、中年のふとっちょが「おい、大丈夫か?」と問うてきた。
ああ、平気だと俺は返す。
それから、ふとっちょは俺と話した。そうして俺は「如何にあの場が嫌だったか」と嘆いた。
席に誘ったのはふとっちょだった。ふとっちょも席の連中もみんな悪くない。悪いのは俺だとひたすら嘆いた。
ひとしきり話し終えた後、ふとっちょは俺の肩を叩いて、もういいといった。
友達がセックルしまくりだというので、どこで相手を探してるのかと聞いてみたら、出会い系だった。
その友達は援助交際とかは一切せず、トークの腕で勝負しているらしい。
俺は出会い系なるものは利用した事が無い。
正確には、ネットで無料のを使ってサクラが多い事を確認し、無料のうちに退会というのを何度か経験しただけだ。
その友達に、利用している出会い系サイトを教えてもらった。
---
さて。
やり方がようわからん。
それに来週から仕事が忙しくなりそうで休日は家族が家にいるから、平日しか使えないし。
という事で、出会い系サイトの掲示板で「すぐ会いたい」というところを見てみた。
近くに住んでる女性が「明日昼から会える人募集」と書き込んでいた。その女性にメッセージを送る。話はとんとん拍子で進み、20代中盤の女性と会う事になった。
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相手は自宅警備員との事。まぁそりゃこの景気だから自宅警備員は多いだろう。で、やり取りの最中に「仲良くなったら一緒に自宅警備員やろうね!」というメッセージがあった。
最初は読み飛ばしてしまったが……何?
どうして俺がこいつと一緒に自宅警備員をするって事になるんだ?一緒に住むって事?俺も無職になれって事?
意味がわからない。
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違和感。
俺は毎日鍛えてるから、走って逃げる自信はある。ヤクザ相手に戦うという選択肢は選ぶべきじゃない事は、これまでの経験で知っている。連中とは喧嘩の経験値が違いすぎる。逃げなら、土地勘と体力とスピードがモノを言うし、待ち合わせ場所とラブホ、それぞれ800m圏内に警察がある。
だめなら逃げられる。それに股間がギンギンだ。会う。うん。
---
駅についてから、ついたよメールを送る。出会い系サイトを経由してのメールなので、お互いメールアドレスはわからない。いいシステムだと思う。
20分待たされて、出てきたのはすごく小柄な女性だった。
「○○さんですか?」と聞かれ「はい、そうです」と答えた。
怖い。
化粧が顔の中心が乗ってなくてバサバサになってる。白目が白くない。茶色い。目尻が妙。
異常に小さい。140センチ無い。
髪の毛は綺麗に染まっている。
格好も、そんなにおかしくない。と思ったが、何故か長靴を履いている。レインブーツじゃなく長靴。
それにしても、顔の中心の化粧が気になる。顔の中心に火傷か裂傷かを負って、化粧で無理やり誤魔化してるって感じに思えた。
「顔色悪いよ。大丈夫?」
すると
二人で一緒に歩き始める。
移動と同時に、こちらから見えないように、彼女がどこかにメールを送信した。
え?
何で?
……歩く。会話は無し。
「顔色悪いけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫」
本当にこんな感じ。まともに受け答えしてくれない。声に感情が無い。
ここまでの情報を整理する。
ヤバいだろ、俺。
すぐさま、メールを着信したフリをする。
「え、マジかよこんな時に……嘘だろ?
ごめん、用事が出来た。この用事、ちょっとはずせないんだ。
普通、そんな事を言われたら「えーっ!?」とか少しは反論するだろ?その女性は全く反論せず、ふっ、とあきらめたような顔をして、すぐさま携帯を取り出してメールを開始した。
俺、拉致られるか?
すぐさまダッシュ。彼女がメールでやり取りしているのを確認したから、多分大丈夫。なぜならメールには送受信にタイムラグがある。急げば連絡先がメールを受信する前に駅に入れる。
駅に向かうと、強面の兄ちゃんが数人居た。俺と関係あるかどうかなんて関係ない。そいつらに気づかれにくいルートで駅に突入。
そのままホームへ行き、電車に乗った。
---
ちなみに上の会話で、省略した部分は無い。本当にこれだけのやり取りだった。
不自然すぎるのが判ると思う。
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まぁ単なる管理売春なら、身の危険は無いからいいんだけど、美人局だったらコンクリ東京湾なんてルートもある。
本当に怖かった。
でも股間はギンギンだった。
という事で、そのまま錦糸町に行った。そして初めて「無料紹介所」に行き、そこの紹介でおっぱいデリヘルに行った。
本番無しでレンタルスペース代込みで17000円。高いって事は無いと思う。よく判らないが。
出てきた子は、若い子だった。そして優しかった。俺好みの「ちょいブス巨乳」。性格は明るくて、人懐っこい。絡めてくる掌が小さくて、かわいい。
「俺、こういうの初めてなんだ。」
「私も昨日から働き始めました!よろしく!」
「レンタルスペースってのも初めてでさ。どんな場所なの?」
「私も行った事無いですー!楽しみ!」
行ったら部屋=ベッド、みたいな超狭い部屋。元々バスルームだったのを、ベッドを置いてそのすぐ横に仕切り板を後からはめたらしい。隣の部屋がシャワールームでそこも超狭い。
シャワーは共同。シャワー他の部屋のやつとタイミングあったら恥ずかしいどころじゃない。
まぁいいや。かわいい女の子といる部屋は、狭いほうがいい。
緊張気味のこちらの様子を察してくれて、至れり尽くせりの大サービスをしてくれた。大好きなブリーフ女子高生のコスプレもしてもらった。着てる最中に勃った。
本番は無しだけど満足。
幸せな気分で家に帰ることができた。
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しかしこうして思い返してみると、とても怖い一日だった。
王楽泉・書記はこれまでの更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価された。
中国共産党のやり方は世界の常識の百八十度反対側にある。血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である。
さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名。犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。
「世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。
ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。
さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。正式名称は「新彊生産建設兵団」という。
▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除
既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には五十万人といわれた。
簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。
『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。
現有は十四個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。100万人と推定される構成員の89%が漢族だという。
同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、おりからの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。
もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。しかし十六年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
綱領なき「選挙集団」 政策は二の次?
昨年10月下旬、民主党の若手衆院議員、長島昭久は国会内の廊下で同党政調会長、直嶋正行に詰め寄られた。
「あれはどういう意味なんだ」。数日前、長島は衆院テロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策で海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を首相、麻生太郎に提案していた。自衛隊の海外派遣につながることを懸念する直嶋が、長島に真意をただしたのだ。
長島は、安全保障はじめ国家の根幹にかかわる基本政策で路線が異なる国会議員と同居する同党の実態を思い知らされた。
「長島案」にとびついた政府・与党はトンビが油揚げをさらうごとく、ソマリア沖への海自派遣をとんとん拍子で決めた。
民主党は平成8年に旧社会党と旧新党さきがけの一部が合流して産声を上げた。10年には民政党、民主改革連合などと合流し、15年に代表、小沢一郎率いる自由党と合併した。しかし、党の追求すべき理念や目標を明記した基本文書たる「綱領」をまとめたことがない。
10年の合流直前に当時の民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫ら政策担当者が合併に向け基本政策の調整を行ったときのことだ。「綱領をつくるのはやめよう」と切り出した枝野に異論は出なかった。結局、「最低限の共通項」(同党関係者)を確認する「基本理念」を作成するにとどめられた。
もともと結党の原点は、自民党に対抗する二大政党の一角となるための「プロジェクト政党」だった。このため、民主党はいまも憲法や教育、安保、外交など足並みのそろわない基本政策は事実上、棚上げにされてしまっているのだ。
政権を担う政党として、あるべき国家像をどう描いているのか-。最後のとりでの基本理念でも「地球社会の一員として、自立と強制の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざす」と書かれているだけだ。
党中堅はこう言う。「原則を言い始めるとバラバラになる。理念で集まっているわけではなく、何が何だか分からない政党だ。綱領なんかない方がいい」
綱領なき政党のひずみは、個別政策の一貫性のなさに如実に表れている。
終身刑創設、永住外国人への地方参政権の付与、人権侵害救済機関の創設…。民主党の基本政策を網羅した「政策INDEX2008」について党内の保守系議員から「第2社会党とみまがうような政策が並んでいる」という批判も聞こえてくる。
小沢の変化も激しい。小沢は平成5年に上梓(じょうし)した自著『日本改造計画』には、規制緩和や自己責任、「小さな政府」を志向する政策を打ち出し、少子高齢化の到来に備え、消費税率を10%に引き上げ社会保障費に充てるべきだと訴えていた。
ところが小沢はいま、「国民の生活が第一」と唱え、消費税率の「現行5%の維持」や「子ども手当」と農業者戸別所得補償制度の創設など社会的弱者に配慮する政策を掲げる。かつての持論は吹っ飛び、「バラマキ」路線をひた走っている。内政だけではない。
「第2次大戦において歴史、民族、言語、文化などまったく異にする2つの国が死力を尽くして戦い、戦いが終わると太い絆(きずな)で結ばれた。その太い絆が日米安保条約だ」
日米同盟について『日本改造計画』でこう力説していた小沢は、米国が主導するテロとの戦いに背を向け、「米国の極東での存在は米海軍第7艦隊だけで十分だ」とまで言い放った。
11年に小沢が党首を務めていた自由党が自民党との連立を組む際にも、小沢の変化を象徴する出来事があった。関係者によると、自民党サイドが事前に「自由党の安保政策はのめない」と小沢に通告したら、小沢は「いいよ」とあっさり受け入れたという。
新進党時代に小沢と一緒に行動をともにした自民党閣僚経験者はこう振り返る。「小沢の口癖は『公約は膏薬(こうやく)。張り替えれば効き目がでる』だった」。友党の国民新党代表代行、亀井静香も「小沢にとって政策はアメのごとしだ」と指摘する。
「民主党は政党ではなく『選挙集団』。小沢にとって政策は二の次だろう。100年に1度といわれる世界不況の中で、このまま政権交代となれば国民は小沢に白紙委任状を渡すようなものかもしれない」
最近、生きたいと思うようになった。
これまでの人生、私はあまり生きたくなかった。別に明日死んでもかまわないし、世界が消滅してもよいと思っていた。けれど、そう思いつつも自分で死ねなかった。理由は第一に、痛いことや苦しいことに対する恐怖に負けていたから。第二に、親に面倒をかけたり悲しませたりすることを避けたかったから。私の勝手で死ぬのに、私以外の人にダメージを与えたくなかった。私が死ねば、私を知っている全ての人から私の存在がすっと消えて無くなってしまえばよいと願ったが、そんな都合のよいことができるわけもなく。
こういう思考に至ったのはいじめられた経験が原因なんだろうと思う。田舎に引っ越した小学生半ばから中学生の間は、波はあれどもいじめられ続けていた。悪口とか仲間はずれとか無視とかの程度だったけれど、人間不信を植え付けるには十分だった。そんな子供に学校以外の世界を見いだせるわけもなく、そこで否定されれば自分の大部分を否定されたに等しい。負けず嫌いだったので、その場その場はこんなくだらない奴らに負けてたまるかという気持ちで乗り切ってきたけれど、正直もう勘弁とずっと思っていた。
1999年の7の月に人類は滅びるというノストラダムスの大予言、私はこれを七割くらい信じていた。そこまで生きれば合法的に死ねる、解放されるのだろうという望みだった。そこまでとりあえずそれらしく生きていけばよいと、そう思い続けてきた。
けれど世界は滅亡しなかった。正直焦った。話が違うじゃんか。私は将来のことなんかまるで考えていなかった。大学は全くもって趣味の学部を選び、就職難の中どうにか中小のIT企業にもぐりこんだ。どうせその先は無いんだから何だってよいと思っていた。
そんな裏切られた気持ちの中、仕事が辛く上司のパワハラも加わって鬱病らしい状態になる。逃げたい死にたい。毎日女子トイレや電車で声を殺して涙を流す。ちょうど家の近所にマンションが建築中で、あそこに忍び込んで飛び降りたいと毎日思う。朝晩駅で電車に飛び込みたいと思う。足を踏み出したこともある。負けず嫌いの性格が災いして、仕事にはどうにか行けるものの、休日は外に出られなくなる。最低限の家事を歯を食いしばってこなし、あとは過眠と不眠を繰り返す。明確に死にたいと思いながら生きることはさらに苦しいと思い知らされた。
その後、状況の変化によりどうにかまともに戻ったものの、根底ではやはり生きたくない気持ちは続く。とりあえず親が死ぬまでは自分では死ぬまい、それが子供としての義務だろうと。そこを目標に生きよう、まだまだ長いけれど、楽しいと思えることを少しずつ増やして乗り切って行こうと考えた。
さらにその後、思いがけず恋人が出来てとんとん拍子に結婚に至った。あ、これで死ねなくなったと思った。けれどまあ結婚したといっても何があるかわからんし、結婚生活も平和に続くばっかりじゃないと覚悟していたのだが、その心づもりが幸いしたのか結婚4年、至って平和に暮らせている。この先も何があるかわからない、けれど明日を迎えたい、生きたいと思うようになった。明日世界が消えて無くなるのは嫌だと思うようになった。数ヶ月前に流産したことも大きかった。望んで妊娠したのだけど、子供というのは未来なんだとつくづく実感した。そしてその存在を突然失った時に、私は再び子供が欲しいと心底思った。初めて未来を切実に望んだのだ。
ここまでくるのに二十余年。長かった。けれど生きてきてよかった。今やっとそう思えるようになった。そしてこれから、生きていきたい。