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はてなキーワード: お土産とは

2019-10-08

転売防止等の目的チケット代を高額にしたらどうなるか

ヒプノシスマイクという男性声優ラップをするコンテンツの、舞台化作品がそれを教えてくれている。

まずチケット当選やすくなった。良いことだ。チケットが取りやすいのだから転売需要も減る。転売屋に流れていた金が制作に入る。良いことだ。

チケット価格は18000円。その値段に見合うだけのお土産たっぷりついているから、ボッタクリというわけでもない。

しかお気持ち長文が次々とRTされ、「高すぎる。萎える」とネガティブ評価が多い。オタクとは勝手な生き物だなあと思う。転売対策しろ本人確認しろというわりに、そのコスト負担したくない。

2019-10-03

anond:20191002165016

アイモバiやってたが、位置ゲーを語るなら良くも悪くも議題に上げるべきゲームだと思うよ。

踏破欲(エリア制覇)、収集欲(お土産アルバム)、競争欲(ファン数→順位)という位置ゲー三要素を微妙バランスで満足させていた点で楽しかった、終わっちゃったけどね。

2019-09-27

岡山県民だけどお土産きびだんご貰うことある

こういうのって他の地域でもあるんかな。

2019-09-25

なんでドラクエウォークお土産スポット無許可なのが気に入らないの?

https://togetter.com/li/1408683

これに関して、無許可だったのがみんな気に入らないようだね。

そもそも、このような拡張現実タグ勝手につける行為許可がいる理由は何?

2019-09-24

お菓子をもてあます

お礼に、とか、お祝いに、とか、お土産に、とか、お菓子をもらう機会が割とある

しかしどうにも持て余して賞味期限を過ぎさせてしまう。

職場持っていっておやつ朝ごはんがわりにする? ジム行く前の糖質補給

一人暮らしなのでどの用途にしても余してしまう。

甘いものは好きではあるので嬉しいのだけど、一日にいくつも食べられないのだわ。

いい椅子いいっすね増田すまねすっいい水いい(回文

おはようございます

なんだかやっぱり平日の方がしゃっきっとするわよね!

違うかしら?

ひとえに椅子の違いがあるから家でずっと座り続けることができない説濃厚だったりするのよね。

木の椅子は固くて固くて仕方ないのよね。

いい加減ずっと座ってると、

痔になるんじゃないかってぐらい肛門ダイレクトヤバイと思う。

そんなわけでクッションでも買いたいと思いつつ、

椅子もいいのに替えたいっすよね!なんて思いつつ、

休みからってEテレ椅子人形劇を見てる場合じゃないわとも思いつつ、

休みの日出かけている最中で書く増田の方が、

だってあれは車や電車の中で書いてたりするから

座り心地がいいから筆も捗るのよね、

実際打ってるのはキーボードなんだけど。

やっぱりいい椅子欲しい説濃厚だわ。

いい増田はい椅子からとはよく言ったものだわと先人の智恵って思っちゃうし、

これってもしかしたら

いい椅子座ってるプロ増田はい椅子からこそいい増田書ける説もあると思うの。

あくまで仮説よ仮説。

でもさ、

店舗インテリアの本を読んでみると

飲食店のお店の回転率を上げるには

固い座り心地の悪い椅子を使いなさいってあるのも頷けるわよね。

一見おしゃれと見せかけて堅い木の椅子を置いているところはそう言う魂胆なのね!

なるほどー!

そう言うお店では良い増田書けないかも知れないわ!

逆にファミレスだとそりゃーソファーが柔らかいところがあるから

芸人さんがファミレスネタ書いて作ってるってのも頷けるわね。

なるほどー!

そう言えばロッキングチェアーって

アルプスの少女ハイジのおじいさんをはじめ、

世界名作劇場系のおじいさんがみんな座ってるわよね。

意外とそう言うロッキングチェアーって見たことないから、

どこに売ってるのかと思っちゃったし、

ロッキングチェアーのゆらゆら揺れる湾曲したところを一周させて

ローリングチェアー!ねって思ったけど、

これ私大昔に同じ事書いてたわ!

ヤバイ

私ったら考えること同じなのね。

ある意味危機感をもってネタかぶりないようにしていきたいものね。

今日おやつお土産で頂いた、

カントリーマーム名古屋小倉手羽先味噌カツ味をいただきましょう。

あら?よく見たら、

バンプオブチキンライブ会場で限定発売されてた限定バンプオブチキン味だったわ!

うふふ。


今日朝ご飯

朝は抜いてしまったわ。

ビタミンゼリーけが頼りの綱のよりどころよ。

お昼はきっとお腹痛いの治るはずだから美味しいもの食べたいわね。

デトックスウォーター

ちょっと朝の風もひんやりしてきて窓を開けると気持ち空気が入ってくるわよね。

換気も大事なので、

気が向いたら朝だけでもユー窓開けちゃいなよ!って言いたいぐらいよ。

開けたこと忘れて閉め忘れないように。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーちょっと温めのやつ。

ホットレモンでお好みでハチミツも加えるといいわね。

薄ーいホッツはちみつレモンってところかしら。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-09-23

二十歳の恋の終わり

仕事にかこつけて、若い女の子軽井沢ドライブし、お土産屋に立ち寄る。別々の部屋をとってはいものの、今夜は一緒のホテルに泊まる予定だ。

「これこれ、見て!」

お土産屋を見ながら彼女差し出したジャムの瓶を手に取り、字が細かいので自然眼鏡を少し持ち上げる。その様子を見て

「おじいちゃんだ!」

と言って彼女は天真爛漫な様子で笑う。

「そうなんだよ、老眼が進んでね」

私は笑って肯定する。そう、全く嫌な気持ちにならない。

二十歳の頃、2度目か3度目の恋をした時にはじめてわかったことを思い出す。

ちなみに初恋小学生の頃、相手は手をつないで一緒に学校に行く近所の女の子だったから、右も左も分からない恋愛感情だった。その一方で、きょうだいが夢中になっていた歌謡曲や、手当たり次第読んでいた小説の中にもあった恋愛の話は、そのほとんどに共感できないし、興味もないと思っていた。むしろ世の中では、なぜこんなに恋の歌しか流行らないのだろう、と本気で疑問に思っていたくらいだ。

でも、その二十歳の恋意識した瞬間、多くの歌や小説や、そのほかのスキャンダル世界を動かす人々のモチベーションの半分か、いやそれ以上が、恋愛によってもたらされていることが手に取るようにわかった気がした。突然に、分かったと思った。

あれから長い時間が経った。

あの二十歳の恋以降、ずっと女性自分にとって、多かれ少なかれ「狩りの獲物」だった。自分のものにできるか、できないか。それが価値基準だった。でも、この歳になって、そうでない女性の側面を見るようになった。男性とは少し違う存在として、自分学歴キャリアを築いていく不安生活結婚病気などの不安、そういう女性たちの気持ちに多少なりとも共感できるようになった。二十歳の恋で、それまで見えなかった世界の半分が見えるようになったと思っていたが、残りの半分はいつの間にか見えにくくなっていたみたいだ。

自分にとって「狩り」に夢中になれる時代は終わりつつあるらしい。ときめくような感情は残っているものの、若い女の子を獲物としてではなく、一人の人間として感情移入し、また育てる対象として見る余裕が出てきたようだ。そういう自分に少し当惑しているが、でもこれも悪くないと思う。

デートの後、どうやって部屋へ誘おうかと悩む必要はもうないらしい。忘れかけていた世界の残り半分へ、自分がまた戻りつつある。

老いていくのも悪くない。

いじめ加害者だったので当時の事を書く

内容はタイトルの通りです。



まず現状として、私は現在高校受験を控えた中3で、小5〜現在まで不登校ではあるがテストだけ行っているという状態です。

 




ここから本題です。

私がいじめをやっていたのは小2〜小3の頃で、主なターゲットは2人でクラスが同じRと幼馴染のKでした。

Rは常にアンモニア臭いがしていてクラスの3/4からいじめられていました。主に覚えているのは「R菌が伝染る〜w」と掃除時間に言っていました。もしかしたら蹴っているかもしれないですが覚えていません。

Kとは幼稚園入園からの付き合いで、おとなしく優しい子でした。Kには休み時間に臀部に蹴りをいれていました。





これらは一般的に言われる「いじめ」です。

しかし、これが「いじめ」だと気づいたのは今年に入ってからでした。



当時の私はいじめもなくいい学校だと思っていました。いじめも嫌っていました。自分加害者だとも知らずに。

[そんな私がなぜ自らがいじめ加害者だと気づかなかったのか]

それは加害者から見ると抵抗しているように見えないのです。不思議な話ですよね。性暴力事件でも加害者が同じことを言っています

合意があると思っていた。」

いじめ加害者であったと気づくまでは意味のわからない犯罪者思考だと思っていました。しかし、思い返してみると私も冗談で「やめてよ」と言っていると思っていました。なので、クラス替えが行われない限りいじめは続きました。


そして現在Rとの交流は無いですが、Kとはテスト前にプリントをもらったり互いにお土産を渡したりと交流が続いています

しかし、あくまでこれは親同士の交流です。Kは私以上に受験勉強が忙しく、K本人とは数年会っていません。






みなさんはここまで読んで私のことを「クズだなあ」と思ったことでしょう。

正解です










犯罪者戯言に付き合っていただきありがとうございました。

2019-09-17

拒否が伝わらない人っているんだね

毎年決まったところに行ってお土産スピリチュアルもの)を買ってきてくれる人がいるんだけど

正直その人のことが苦手だし、その人からもらうものが手元にあるのも嫌なので

「今年はもうなにも買ってこないでいいからね」と伝えた。

それなのに「いらないって言ってたけどやっぱり買ってきた」と言って買ってきた。

まりの驚きに思わず受け取ってしまったけど本当に後悔してる

どうしてこの人は相手の都合より自分の都合を優先してしまうのか。

そういうところが本当に嫌い

[] #78-ex夏休み足跡

≪ 前

バイト戦士 マスダ

睡眠計250時間

日常から通学という要素を省いただけのような夏休みを過ごす。

しかし十分な休暇になったとされている。

その是非は研究者の間でも未だ議論の的になりやすい。

夏休み探求家 マスダ

睡眠計274時間

ひたすら宿題に振り回される日々を過ごした。

自由研究テーマは二転三転し、最終的に辿りついた『夏休み有意義に過ごすには』は貴重な資料として重宝されている。

だが誇張して書かれていたり事実関係が疑わしい箇所も多く、参考資料として疑問視する者もいる。

資本概念 カン先輩

睡眠計240時間

様々な資料にて利己的な振る舞いが記されており、巷では資本主義の象徴として挙げられることが多い。

そうして夏休みに稼いだ資金は、現代に換算してなんと約5兆アノニものぼる。

物欲がなく、趣味携帯端末ゲームをするくらいだったため、埋蔵金になっているのではと噂されている。

変装名人 ドッペル

睡眠計250時間

旅行もせず、遠出もしない、これといったイベントもない毎日を過ごす。

一般的にみて決して華やかな毎日ではなかった。

しか自由研究で描かれた自分たちの姿は、誰よりも輝いているように見えたという。

近所に住む タケモトさん

睡眠計220時間

夏休みといっていいかからない日々を過ごした。

無能新人の後始末のせいで、タバコの本数が増えたらしい。

全てが終わったとき息抜きにかける時間も気力も残っておらず、残りの期間は意地で休んだという。

アイス売りの男

睡眠計?時間

新しい副業が見つかるまで、学校でのバイトで何とか食いつないだとされる。

ただ彼に関する資料は皆無に近く、存在が具体的に明記されているのはマスダの自伝のみ。

このため話の種で都合よく登場させた、架空人物なのではないかとする説が支配である

自称女性代表 タオナケ

睡眠計180時間

家族と共に、ほぼ海外で非日常満喫したとされている。

その後、お土産砂糖菓子を仲間に振舞ったとされるが、どのような食べ物だったかは判明していない。

マスダの書いた半私書で「これ要冷蔵じゃないのか?」という記述があるのみである

セラピスト ミミセン

睡眠計248時間

この夏に始めた、自宅で簡単にできるセラピーによってリフレッシュ

しばらくは耳栓なしの穏やかな日々を過ごす。

しかし後年の捻くれた言動は、この時の副作用ではないかとする向きもある。

ラジオマン シロクロ

睡眠計180時間

菓子目的ラジオ体操を続けていく中で、その動きは神の粋に洗練されていった。

最終日には1時間で1万回こなしたという記録もあったが、当時のスタンプ係が「ズルすんな」と語った記録もある。

そのため彼は超能力者アンドロイドなのではと目されている。

2019-09-16

教室健全精神を育成できなかった

あの空間底辺をさまよっていた自分は、のびのびと学び、正しい人との関わり方を学ぶということはできなかった

毎日消耗し続け、精神をすり減らしながら、少しずつ歪んで行った

いじめられることこそなかったが、下に見られて居場所を少しずつうばわれ続けた

そもそもいじめられなかったのは、ただただいじめられないように必死に異常な自分を隠そうと取り繕っていたからだ。それは苦しい毎日だった

少ないが本当に信頼できる友人ができ、やっと一息つける居場所を見つけたのは高校だった。それすらも部活内のことで、教室に戻るとわたしはまた、出来るだけ馴染もうと普通のふりをしようとするだけの存在に戻った

教室に友人は1人。プライベートでは連絡も取らなければ遊びにも行かない、ただ2人組を作るとき、移動教室に行く時に必要なだけの友人だった。彼女が欠席すればたちまち1人になった。彼女のいない選択種目の体育は、輪の外で、浮かないようにするという虚しい行為に徹した。

高校卒業を機に、人付き合いを9割たった。もう友人を作ろうとしなくてもよいのだと思うと嬉しくて、大学では友人を作る努力をやめた。はじめの方だけ数人、挨拶をする人もいたが、やがてグループというものに吸収されて、輪となったので、自分はまた外側の人間になった。1人で買い物し、1人で外食した。1人でも生きていけるぞと拳を突き上げた。過干渉な親から離れられたことも、その開放感を手伝った。勝った気でいた。苦痛しかないと思っていた人生抜け道を見つけたような気持ちだった。

中学生の頃、昼休み教室で1人本を読んでいたのを教育実習生心配された。一緒にドッジボール参加しに行こうか?と誘われた。しかし、それから5年も経ってわたしは勝った。1人でも平気だと証明した。わたしは1人が好きなのだ

そう思いながらも、生活の張り合いのなさを日々感じた。寝るか、ネット巡回するか、飯を食うか、寝るか、それだけの休日意味を見いだすのは難しかった。元来人間は嫌いではない。わたしはおしゃべりな人間だった。話し相手を欲していた。だが、友人を作るのはあまりに面倒臭かった。それに伴う多くの苦痛自分が摩耗していくのは目に見えていた。少ない友人に連絡を取るのも億劫だった。張り合いはないが特に不満があるわけではない現状を変える気にもなれず、成人式にも卒業式にも出ないまま大学を後にした。

すっかり人間嫌いになった。若い女の笑い声が嫌いだ。強いストレスを感じる。ガキが走り回ってる休日の混んだ駅も嫌いだ。うるさい外国人旅行客への嫌悪日本人にまで拡大していったと言えばいいだろうか。

就職して、また、少しだけ救われた。部署の2人の同僚と最低限の日常会話をして、上司業務連絡だけの関係を保ち、後輩にはお互い敬語で話す。1日の会話は、挨拶と、ほんの少しの立ち入らない雑談だけだ。時々、お土産に美味しいお菓子をもらえばみんなで食べる。だが、会話はほんの少しだ。わたしは今の部署がとても心地よい。こんなものでよいのかと思った。あの、30人も40人もひしめく狭い教室で溺れるような毎日はなんだったのだろう。

思うに教室特殊すぎる空間だ。最下層のわたしは「社会性を身につける」どころか、「人とうまくやれなかった体験」ばかりを積み上げてきてしまった。子どもの頃はあん場所が一生涯続くのだと絶望しながら生きていた。

教室は苦しい形だ。画一化された平等な形。だが、そこで生きていない子どもだっているだろう。そこで生きていけるようになれと、突き落としてしまうのはあんまり乱暴だと思うのだ。もっといろんな形の教室があったらよかったのにと思う。「通っている今」も幸せであれる形の教室。40人の同僚とたった1人の上司の下で仕切りもない箱の中働くなんていう架空の将来のために苦しさを我慢する場所ではなく。

ゆたぼん君には賛同はできないが、彼を一様にバッシングする人々には驚いたし反感を覚えた。

体育祭は嫌いだった。なくてもよいのにとずっと思っていた。でも、多くの大人体育祭を無くそうと言われれば、子ども可哀想だと反論する。教室制度否定すれば、そこでしか得られないものがあるという。1クラス40人だからこそ、我慢強さと社会性が身につくと。より効率的な、誰も取りこぼさな我慢強さと社会性を身につける方法なんか絶対に話さない。例えば同い年しかいない空間では上下関係のうちでのコミニケーション方法は身につかないといえば、それは部活があるという。じゃあ、ホームスクリーニング児童課外活動我慢強さを身につけさせればいいじゃないか。と言えば、それじゃあダメだという。社会は甘くないと。

ともかく何であれ、自分の受けた教育こそ正しいという。

訳がわからない。わからいか自分は1人だったのだろう。どうせもう、子ども時代に戻ることなんかない。学校大好き人間自己満足の城でいくら不登校児が苦しんで低学歴底辺に育とうがわたしにはなんの関係もない。だからもうどうでもいいのだ。教室好きな人間が教室を作ればいい。……こうやって、確固たる正しい教室ができたんだろうなあと思う。

そう思えば、今の学校教育にはなんの不満もないな。クーラーがつくのはずるいもの。下の世代だけ教室から逃げていいなんてあっていいことじゃない。苦しめ。

2019-09-14

anond:20190913183634

地球名物といえばたこ焼きだな。

地球と同じ球体で、地表のような固い表面の内側にマントルのようなトロみがあって、中心部には地核のごとくプルプル高密度でアツアツなタコ

まさに地球という惑星のもの食べ物だし材料も海のものと平地のもの、山のものと漏らさずカバーしてるし一口サイズからみんなで食べるのにも適してるしでお土産には最適だよ。

地元人間たこ焼きは大好きでコンビニにも売ってるしハレの日にもたこ焼きを売る屋台が必ず出店してるし街中でもたこ焼き専門店がふとしたところにあったりして、観光客に売りつける専用じゃなくてちゃんと現地民にも愛されてる真の名産品だから本当におすすめ

冷凍で持ち帰るのもいいけど思い切ってたこ焼き焼き機買ってくのもいいかもね。

2019-09-13

anond:20190913183634

讃岐 ( さぬき ) の 造麻呂 ( みやつこまろ )やん!!

せっかくやからさぬきうどんやろ👍

👵これをお土産に💝

天竺てんじくにある佛ほとけの御石みいしの鉢はち、

東海うかい蓬莱山ほうらいさんにある銀ぎんの根ね、金きんの莖くき、白玉しらたまの實みをもつた木きの枝えだ一本いつぽん、

唐土もろこしにある火鼠ひねずみの皮衣かはごろも、

龍たつの首くびについてゐる五色ごしきの玉たま、

つばめもつてゐ子安貝やすがひ一ひとつ

そろそろ月に帰らなきゃいけないんだが

なんかおすすめお土産ある?

2019-09-11

anond:20190911102947

夏休み明けに出社したら、おそらく配ってほしいお土産であろう菓子折りが私の机の上に置いてあったけど

その日1日誰も何も言ってこなかったから持って帰ったことならある

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-09-06

[]2019年9月5日木曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
009222145240.731
01506506130.156
0248418187.155.5
03215347254.650
04134648357.563
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0756418874.822.5
0851503298.735
0998788780.537
1010810915101.141
111281152990.146.5
121201133294.434.5
131241063885.846
141511100672.935
152001080054.033
161611371885.229
17145967666.729
181801053158.525
1988635372.234
2011212379110.548
217610254134.951
2282800797.641
23758274110.342
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2019-09-05

凄くえっちお土産を頂いた

「なごや嬢……栗……」だって

栗のお土産を買ってきてニヤニヤ笑う先輩

部署内全員に配るんだけど

女性社員が「栗」っていうと異常にニヤニヤしてるように見えるの気のせい?

ありがとうございます!って言っているときより喜んでるように見える。

2019-09-03

お土産屋さんとかで店員の人が良い人だと

ついつい買う気が無くっても

少しでも売り上げに貢献したいと思ってしまうんだが

それを「情に厚い」と言われたがなんか違うそうじゃないんだ

って思うけどうまく説明できない

 

2019-08-27

毒親と疎遠にしていたら義親がキレてきた

私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。

実家山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。

親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値大学に進学させた後は地元名家見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。

中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳食卓放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。

高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験はいい影響のはず、という割と軽い気持ち父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。

大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学最初GW駅前中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応なおざりだったのだろう。夜に一人でリビングゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子ゴミ箱突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。

バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはい底辺高校フリーター契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親バラされて実家大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学卒業したけど、勝手合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。

他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通感覚なのかな。私は嫌だけど。

とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避

大学自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生必死単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。

そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドファミリーセールチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎ電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事行事台無ししたことで落ち込んでいたらしいけども。

就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。

時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。

クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏ちゃん大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったか相対的評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。

出産。娘誕生妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母家事の達人、まさにプロ主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞ゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザ流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱から直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。

それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。

私は遺伝性病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたもの放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。

その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症リスクは低く、そこまでのもの必要ない。主治医ウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているか携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのもの必要ないと副作用説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。

翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。

それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通メールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感吐き気がこみ上げてきて、LINEブロックした。もう解除するつもりはない。

一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。

母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。

まずは昼間にスマホをいじっていて子供相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかたから。自分引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかまし子供相手をしていたところから気が抜けて、子供アレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的ものを含むいじめ経験があるので…。

その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。

その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから一方的こちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。

私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。

そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情ほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。

正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。

とにかく最初に義親に嘘をついた親が本当最低だな。これ以上義親を使って探ろうとするならこちらにも考えがある。

2019-08-21

anond:20190821210514

本当に?対立煽り男の子じゃなくて女の子

うちの会社のおじいちゃん、背も小さいし頭もツルツルだけど、家で取れたトマトとかお土産とかくれて優しいし、女の社員で嫌ってる人いないよ

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