2018-07-20

[] #59-2「誰がためクーラー

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あらゆるモノの価値一元的ではない、とセンセイはよく言っていた。

かにとっては無価値でも、誰かにとってはとても価値のあるモノだってある。

大局的に見れば、モノの価値順位などつけられないと。

逆に言えば、そこまで俯瞰して物事を見なければ、モノの価値には大抵ランクがつけられる、とも言っていたが。

特殊精神状態でもない限り、腹が減っている人には食べ物が、寝たい人には安眠できる場所、服がない人には衣服が上位になるだろう。

まり、今の俺たちにとっては電気、より具体的には冷房が上位になっているってことだ。

そして市長はそのランク付けを間違えた。

このご時世、「健康で文化的な最低限度の生活」にはクーラーも有力候補になっている。

それを使えない程度の電気しかない中、日々を生活するのは困難だった。


それは市長ですら例外ではなかった。

市長ともあろう者が、そんな格好……」

市長はいものスーツ姿から、くたびれたタンクトップに半パンという、恥や外聞二の次にした中年オッサンスタイルになっていた。

暑いのに、あんなのピッチリ着るのはバカげていますよ。ふさわしい、場所にあった格好だなんて考え方は時代錯誤です。汗ダラダラで、ビショビショのスーツ着たほうがふさわしい格好だとでも?」

「一理ありますが、汗ダラダラ服ビショビショ、かつラフな格好していると説得力に欠けますね」

クールビズ月間を打ち出した者として、「格好は気にするな」ってことをメッセージにしたかったらしいと市長は語る。

自分政策に率先して乗り出すのは、この市長の数少ない評価点だ。

だが、そもそもの話をするなら、今そんなことをしなければならない原因は市長にあるわけだが。

周りは、その姿に呆れるしかなかった。

市長の今の状態は表面的にではなく、本質的にみっともない姿だからだ。


…………

俺は家の中で比較的暑くない場所に座して、とにかく時間が過ぎるのを待つしかなかった。

団扇を片手に、水の張られたタライに足を浸し、少しでも体温が上がらないようにする。

他にできることなんてない。

現代で、電気を使わず出来る余暇の過ごし方なんて限られている。

その限られた候補も、「暑い」という答えで全て一蹴した。

それにしても、まさかこのご時世にこんな古臭い納涼をする羽目になるとは思わなかった。

だがこれが、案外バカに出来ないのが癪だ。

フィクションとかでやっているのを見たことがあるから試してみたが、確かに幾分かマシなのである

だが、それでも都会の夏は暑い

そして暑さの弊害は熱だけではない。

汗で身体がベトベトになる、この不快感も厄介だ。

俺の座っている椅子は皮製品なのだが、自分の体が付箋のように張り付く。

いや、もしかしたら、今の俺は付箋よりも粘着力があるかもしれない。

まらず俺は椅子から剥がれる。

そういえば、飼っている猫もいつもなら足元に寄ってくるが、今日は来ないな。

まあ、お互い暑苦しくなるだけなのは分かりきっているから当たり前だが。

猫は床に寝そべっているだけだ。

恐らく、あのあたりが比較的マシな場所なのだろう。

「涼しそうだな……」

俺はおもむろに、猫の真似をして床に寝そべった。

なるほど、かろうじて床がヒンヤリするような気がしないでもない。

しかし今の自分の姿はいくら家の中とはいえ、かなり不恰好だろうな。

だが、そんな体裁を気にしていられる余裕は、今の俺にはなかった。

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