あらゆるモノの価値は一元的ではない、とセンセイはよく言っていた。
誰かにとっては無価値でも、誰かにとってはとても価値のあるモノだってある。
逆に言えば、そこまで俯瞰して物事を見なければ、モノの価値には大抵ランクがつけられる、とも言っていたが。
特殊な精神状態でもない限り、腹が減っている人には食べ物が、寝たい人には安眠できる場所、服がない人には衣服が上位になるだろう。
つまり、今の俺たちにとっては電気、より具体的には冷房が上位になっているってことだ。
このご時世、「健康で文化的な最低限度の生活」にはクーラーも有力候補になっている。
それを使えない程度の電気しかない中、日々を生活するのは困難だった。
市長はいつものスーツ姿から、くたびれたタンクトップに半パンという、恥や外聞を二の次にした中年のオッサンスタイルになっていた。
「暑いのに、あんなのピッチリ着るのはバカげていますよ。ふさわしい、場所にあった格好だなんて考え方は時代錯誤です。汗ダラダラで、ビショビショのスーツ着たほうがふさわしい格好だとでも?」
「一理ありますが、汗ダラダラ服ビショビショ、かつラフな格好していると説得力に欠けますね」
クールビズ月間を打ち出した者として、「格好は気にするな」ってことをメッセージにしたかったらしいと市長は語る。
自分の政策に率先して乗り出すのは、この市長の数少ない評価点だ。
だが、そもそもの話をするなら、今そんなことをしなければならない原因は市長にあるわけだが。
周りは、その姿に呆れるしかなかった。
市長の今の状態は表面的にではなく、本質的にみっともない姿だからだ。
俺は家の中で比較的暑くない場所に座して、とにかく時間が過ぎるのを待つしかなかった。
団扇を片手に、水の張られたタライに足を浸し、少しでも体温が上がらないようにする。
他にできることなんてない。
現代で、電気を使わず出来る余暇の過ごし方なんて限られている。
それにしても、まさかこのご時世にこんな古臭い納涼をする羽目になるとは思わなかった。
だがこれが、案外バカに出来ないのが癪だ。
フィクションとかでやっているのを見たことがあるから試してみたが、確かに幾分かマシなのである。
だが、それでも都会の夏は暑い。
そして暑さの弊害は熱だけではない。
俺の座っている椅子は皮製品なのだが、自分の体が付箋のように張り付く。
いや、もしかしたら、今の俺は付箋よりも粘着力があるかもしれない。
そういえば、飼っている猫もいつもなら足元に寄ってくるが、今日は来ないな。
まあ、お互い暑苦しくなるだけなのは分かりきっているから当たり前だが。
猫は床に寝そべっているだけだ。
「涼しそうだな……」
俺はおもむろに、猫の真似をして床に寝そべった。
なるほど、かろうじて床がヒンヤリするような気がしないでもない。
しかし今の自分の姿はいくら家の中とはいえ、かなり不恰好だろうな。
だが、そんな体裁を気にしていられる余裕は、今の俺にはなかった。
資源が有限だってことを、俺たちは時に忘れる。 だけど有限かどうか気にするのは、それが必要なものであることの証明だ。 この夏、俺たちの世界ではそれを意識せざるを得なかった...
≪ 前 弟はというと、涼める場所を求めて仲間たちと各地を行脚していた。 だが、人ってのは悲しいものだ。 大衆の考えることなんて概ね同じなのに、自分たちがその“大衆”に含ま...
≪ 前 翌日、俺はカン先輩に誘われて、移動販売車でアイスを売っていた。 売り時だからだと、すぐに行動に移せるカン先輩のフットワークの軽さには感心する。 「暑いなあ。去年よ...
≪ 前 連絡をすると父は急いで帰ってきた。 父にとっても、母がそのような状態になることは初めてだったらしい。 すぐさま工具室で母の検診が始まった。 俺たちは自分の汗が垂れ...
≪ 前 俺たちは目ぼしい施設を間借りする。 借りる際、係の人間から節電を“お願い”された。 当然、このテの“お願い”に大した効力があった試しはない。 俺たちは充電に使えそ...
≪ 前 帰路の途中、すごい光景が目に映った。 その時間、辺りは暗くなり始めていたのだが、あまりにも暗すぎた。 どうやら停電はあの施設だけじゃなく、町全体の規模でなっていた...