はてなキーワード: ISBNとは
しかもこれに加えて一般レーベルで40冊、トータルで70冊書いてるぞ
追記:ブコメみたわ20周年で70冊ってことは単純計算で毎年3冊以上コンスタントにだしてるってことかすげーな
スイッチ (富士美出版 <富士美コミックス> 2003年1月) ISBN 978-4-8942-1513-9
PURE-PURE! (一水社 <いずみコミックス> 2003年9月) ISBN 978-4-8707-6543-6
デリカシー (富士美出版 <富士美コミックス> 2003年12月) ISBN 978-4-8942-1554-2
淫らな素質 (一水社 <いずみコミックス> 2004年10月) ISBN 978-4-8707-6585-6
Cloudy (富士美出版 <富士美コミックス> 2004年12月) ISBN 978-4-8942-1605-1
えっちな恋の味 (ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2006年5月) ISBN 978-4-8982-9994-4
Emotion (オークス <オークスコミックス> 2006年7月) ISBN 978-4-8610-5367-2
カノジョの媚態 (一水社 <いずみコミックス> 2006年9月) ISBN 978-4-8707-6645-7
Juicy 限定版 (富士美出版 <富士美コミックス> 2006年12月) ISBN 978-4-8942-1714-0[8]
カラダノ恋 (一水社 <いずみコミックス> 2007年8月) ISBN 978-4-8707-6676-1
ラブ・アフェア/LOVE AFFAIR (ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2007年11月) ISBN 978-4-8626-9039-5
したいからスルの (一水社 <いずみコミックス> 2008年10月) ISBN 978-4-8707-6728-7
Horny (富士美出版 <富士美コミックス> 2009年2月) ISBN 978-4-8942-1860-4
欲しがりっ! (ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2009年11月) ISBN 978-4-8626-9107-1
Guilty (富士美出版 <富士美コミックス> 2010年3月) ISBN 978-4-8942-1943-4
Juicy (富士美出版 <富士美コミックス> 2011年2月) ISBN 978-4-7995-0008-8
Girlie 限定版 (富士美出版 <富士美コミックス> 2011年7月) ISBN 978-4-7995-0037-8
肌色レンアイ (ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2012年1月) ISBN 978-4-8626-9188-0
Girlie (富士美出版 <富士美コミックス> 2012年9月) ISBN 978-4-7995-0151-1
Heavenly (富士美出版 <富士美コミックス> 2013年3月) ISBN 978-4-7995-0194-8[9]
Yummy! (富士美出版 <富士美コミックス> 2014年6月) ISBN 978-4-7995-0275-4[10]
色めく彼女(ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2014年7月) ISBN 978-4-8626-9314-3
やわらかなぬかるみ(ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2016年12月)ISBN 978-4-8626-9464-5
Heavenly(通常版)(富士美出版 <富士美コミックス> 2017年1月) ISBN 978-4-7995-0492-5
Yummy!(通常版)(富士美出版<富士美コミックス>2017年4月)ISBN 978-4-7995-0494-9
Sultry(富士美出版 <富士美コミックス> 2018年12月)ISBN 978-4-7995-0593-9
ココがキミのカタチ (ワニマガジン社 <WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL> 2019年2月)ISBN 978-4-86269-616-8
Lyrically(富士美出版 <富士美コミックス> 2019年4月)ISBN 978-4-7995-0608-0
NASTY (スコラマガジン<富士美コミックス> 2019年6月)ISBN 978-4-902307-72-6
Raunchy (スコラマガジン<富士美コミックス> 2019年12月)ISBN 978-4-902307-91-7
INSULT(スコラマガジン<富士美コミック> 2020年2月)ISBN 978-4-7995-0636-3
TEMPTATION(スコラマガジン<富士美コミック> 2020年7月)
とある増田経由でこのtogetterまとめにたどり着いたが。これはひどい。
山口先生の解析では山口(2008)で“男女の所得格差は男性に比べ女性に非正規雇用が多いことが一因ではあるが、より大きな原因は正規雇用者中の男女格差で、特に女性の管理職昇進率が男性に比べ著しく低いことが要因だ”ということが示され、さらに山口(2014ab)で勤続年数・就業時間・年齢・学歴・職場の種類だけでは男女の管理職割合/所得の格差を説明しきれない(これらの項目が全て同じだったとしてもまだ大きな男女格差が残る)ことが示された(※1,2)。
つまり、ショーン君の「山口一男氏を始めとして、多くの研究から所得の男女格差は女性が辞めたり時短にした結果によって生じているもので、そうしなければ女性の所得は男性並みであることが分かっておりますので、女性も自信をもって主たる家計支持者になって大丈夫ですよ。」は間違い。
むしろ何で山口先生の名前出したん?たぶん読んでないでしょ君。それで本人から訂正されるって一番恥ずかしいやつぅ。
……とまあ本来はここで終わり。あるいは、少し後退して「賃金の男女格差の要因の一部には女性が辞めたり時短にすることが含まれうる」と主張を弱めるか。はたまた「貴方の論文/解析は間違っている」と文献を挙げるか自分の研究結果を出すか。
※1:就業時間と管理職割合の関係は因果が両方向(長く労働する社員は管理職になりやすい/管理職になると労働時間が長くなる)だが、前者だけを考慮している。そのため、就業時間の実際の説明力は解析結果よりもっと弱い。
※2:平均の就業時間ではなく、就業時間区分に分けてその割合で解析している。理由としては平均値だとあまり男女差は無いが、区分分けすると“長時間労働者”区分の割合で男女差が大きくなるため。平均差より区分分けして解析した方が労働時間の説明力が高くなる。山口(2014a)では具体的に述べてはいないが山口(2014b)では週当たり平均労働時間の男女差は約4時間だが区分分けすると労働時間50時間以上の区分で女性割合が男性の3分の1になる。
ここからショーン君は鮮やかな論点ずらしを見せる。「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」という自分の発端のツイートとそれへの指摘は無視して、別の話を始める。
まあショーン君も実際に解析結果見て「あ、ヤベ」って思ったんだろうなあ。他の人の研究でも女の時短とか離職は数あるファクターの一つに過ぎないし。
『「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」ではありませんよ。要素の一つにすぎません』に反論しようがない。
でも凄いよショーン君は。まるで最初っからそう言ってたみたいに論点ずらすんだもん。ネット論客かくあるべし、みたいな?尊敬はしないけど。
1) 日本でも同じ勤続年数・職位・職階であれば所得の男女差はない
2) 日本の所得の男女差はa.勤続年数・職位・職階の分布の違いとb.職種の分布の違いで説明できる
というのが基本かと思います。
うんうん。まあもう少し言えば補正後も男女差は残るし、職階の分布の男女差の説明変数の一つが勤続年数なんだけど、まあ細かいことはいいんだよ。
山口先生と私が違っているのはそのファクトの解釈です。山口先生は例えば《意思決定ラインの登用には男性が優先されていると考えられ》とここに男女差別があるのだという解釈になっています。ですが、この解釈には直接的なエビデンスがありません。
うん?差別?突然出てきたが何の話だ。実際に解析結果では「係長‐課長‐部長という意思決定ラインの登用には男性が優先されている」し、少なくとも引用元では山口先生はそれを差別と呼んでいないぞ。
事務職コースみたいな、女性が多く(というか実質女性向け職)かつ賃金・昇給が低く抑えられている企業内コース制度のことは間接差別だと言ってるけど。
2020年管理職30%目標など企業も努力しており、その中で問題になってくるのが「女性に昇進を打診しても断られる」「管理職候補だった女性が寿退社してしまう」という問題です。女性の昇進意欲については山口先生の間接的データの解釈とは別に直接的エビデンスが存在します。
うぅん!?“昇進意欲”なるものが唐突に出てきた。え?女の時短や離職で賃金格差が生じてるんじゃなかったの?
しれっと別の話始めないでよショーン君。たぶん山口先生も混乱したでよ。
例えば、『多様な選択を可能にする学びに関する調査報告書』(gender.go.jp/research/kenky…)では女性の昇進意欲は男性のそれの半分です。パーソルの調査(rc.persol-group.co.jp/research/activ…)でも同様の結果で、日本の女性はアジアの中でも管理職昇進意欲が最低で、男女のオッズ比も最も大きい。
「女性に昇進を打診したのに断られる」という企業の困惑は実際そうでしょう。引用先から図表を持ってくるとこのようになります。
この問題は日本に限った話ではなく、例えばスーザン・ピンカーが「なぜ女は昇進を拒むのか」(hanmoto.com/bd/isbn/978415…)という本を書いていたりしますが、この本の主張はともあれ多かれ少なかれ「女性に昇進を断られる」という問題は現実的な話ではあります。
いやしれっと進めないでよね。それに女は昇進意欲が小さいんじゃい!と連呼されてもさ、それが職階分布の男女差をどれくらい説明できるのかなんも言ってないじゃん?(※3)
いやはややっぱりすり替えがうまい。女は昇進意欲が小さいというエビデンスを、それによって職階分布の男女差ひいては男女の賃金格差が生じているというエビデンスに誤認させてる。
山口先生がただ結果を述べているだけなのを「男女差別があるのだという解釈」ということにして信頼を毀損しようとする。
やりますねえ!
※3:たしか昇進・労働意欲の影響を調べた解析もあった気がする。あ、これだ馬&乾(2016)。これだと係長への昇進は意欲で一部説明可能だが課長以上はできないって結果。ちなみにこの調査では、管理職割合については属性格差(人的資本の男女差)より評価格差(人的資本の評価における男女格差。例えば同じ人的資本を持つ男女では男性の方がより評価されるなど)の影響の方が大きく、男女の職階差は差別的扱いに由来するものと結論付けている。馬ら(2017)でも昇進意欲の影響を見てるがこちらはもっと説明力が少ない。
次に、寿退社の話です。スローター「仕事と家庭は両立できない?」とその種になっているコラム"Why Women Still Can’t Have It All"(theatlantic.com/magazine/archi…)やサンドバーグ「Lean In」では夫選びの重要性が説かれます。妻の出世に協力的な夫でないと出世は難しいと言う話です。
こらまたアクロバティックな方向転換。なぜに夫選びの話に?
43歳でFacebookのCOO(その前はGoogle、さらにその前は米財務省の首席補佐官、その前はetc.)のスーパーウーマン、シェリル・サンドバーグが「女のリーダー少なすぎ!女だからって仕事辞めなくていいよ!子育ても仕事も両立できるし、バリバリ働けばキャリアだって男に負けない!頑張れ頑張れできるできる!!」と抜かすLean In (悪意的要約)と、それに「いや無理だし」と返しているアン・マリー・スローターを同じ意図で引用するってどういう脳みそだ。ほんとに読んだん?
夫選びに限定したって、サンドバーグは「理解のある夫くんが居れば無問題」、スローターは「夫は重要だけど、それだけじゃ無理」と言っている。
ちなみにショーン君の引用しているアン・マリー・スローターの文は日本語訳があるので置いとくよ。→https://courrier.jp/news/archives/77602/
最近の共働き志向の中では「出世に伴う転勤・引っ越しについてくる配偶者か否か」という問題で表出しやすくなっています。先生も研究者ですからポストを得るのに引っ越しが必要であり、現実的に引っ越しについてくる配偶者か別居を選ぶかしか選択肢がないのはご存じでしょう。
ただし、引っ越しについてくる夫を選ぶ女性が極めて少ないのは、中野円佳「育休世代のジレンマ」(kobunsha.com/shelf/book/isb…)4章2「なぜ夫選びに失敗するのか?」や、
あるいは有名どころで上野千鶴子のインタビュー(toyokeizai.net/articles/-/224…)にもそれは表れています。他人に白河桃子『「専業主夫」になりたい男たち』も同じ旨が書かれます。
女性が結婚相手選びで所得を重視するのは婚活産業や少子化関連の調査から明瞭で、言ってしまえば女性は自分の出世の邪魔になる夫を選んでしまうのですが、ここを変えようとしてもプライバシーへの干渉になるので、現実問題としてはここが非常に大きなボトルネックになっています。
まだまだ続くよ夫選びの話。ええい印象論はいい。エビデンスを出せエビデンスを。
って言うか最初に言ってた寿退社の話はどうなった。転勤・引っ越しと寿退社に何の関係があるんじゃ。
ちなみに山口(2014a)は制約は多いながらも「既婚および子供の有る女性/男性は、そうでない場合より昇進し難い/易い」という解析結果をだしている。あとさっき引用した馬&乾(2016)では結婚は女性の昇進に影響なし、男性にプラス。
しかし解釈は容易ではない(※4)。「夫が足引っ張るせいで妻が出世できない」のエビデンスには全く足りない。
あとこのツイートからわかるのはショーン君の「女が悪いフィルター」の強さかな。
「出世の邪魔になる夫」の問題じゃなくて『「出世の邪魔になる夫」を選ぶ女』の問題って言うんだぜ。賭けてもいいが、ショーン君ならDV被害はDV男を選ぶ女の問題って言ってくれるはず。
①/② 結婚が男性/女性(の昇進)にプラス/マイナスの効果を生じる
③/④ 独身が男性/女性(の昇進)にマイナス/プラスの効果を生じる
⑤/⑥ 昇進が男性/女性の結婚にプラス/マイナスの効果を生じる
①~⑥は全部同時に成立しうるし、①③⑤は⑦と、②④⑥は⑧と、⑦は⑧と排他である。
さらにプラス/マイナスが具体的に何によってもたらされるかも考えねばならない。超複雑!
最後に専門職の話。これは、実は「ジェンダーギャップ指数が良好な国ほど女性のSTEM系進学率が低くなる」現象があり、Gender-Equality Paradoxという名前で他国でも問題提起されています(eprints.leedsbeckett.ac.uk/id/eprint/4753…)。
問題提起?されたなあ確かに。その論文Stoet&Geary (2018)の信頼性についてだがね。
発端はこの論文に興味を持った他の研究者がデータから結果の再現を試みるも失敗したこと。よく見たらデータ自体も合わない(例えばポーランドの女性のSTEM学位取得率は43%だが、論文中では27%くらいになってる)ことが判明。著者らに問い合わせたんだ。
すると――聞いて驚け!――この論文の著者らはMethodsにも書いていない、非公開の独自の計算方法を用いて数値を算出していたのだと。
でまあ指摘を受けた著者は論文の大幅な――元論文の1割以上、1,113語にも及ぶ――修正をしている(Stoet&Geary, 2020)。
その訂正の多さもさることながら、元論文では言い切っていたところを「傾向(propensity)」という弱い表現に差し替えてる。つまり非公開の手法でデータいじって主張を誇張してたわけだ元論文は。
ぶっちゃけ個人的にはアウトもアウトな話だと思うんだけど、皆さんどう思う?
さらにそれを指摘した学者らの出したRichardson et al. (2020)では、国の数や男女平等の指標等が変わるだけで男女平等とSTEM分野の男女格差の相関は消えることが示された(=Stoet&Geary (2018)に再現性なし)。Richardsonら曰く「複数の指標や手法を試して結果の一貫性を確認すべき。自説に合う結果が出たやつだけ使うのはダメ」とのこと。
おっと、引用元の解説を長々しすぎた。Gender-Equality Paradox云々は置いといて、ショーン君が言いたいことは分かるよ。「女の選好のせい。女が悪い」でしょう?
良い手だが、それは結局ファクターの一つを提示したに過ぎない。それの説明力や、それがどの程度社会的に形成されたものであるのかが重要だ。
ちなみに山口先生の解析では、男女の専攻の選好は理工学部を除き、男女の職業分を説明しない。その理工学部にしても最大推定で約50%しか男女の職業分離を減少させない(※5)。
勘違いしないでほしいが、男女の選好の違いは男女のSTEM分野ないしより広い範囲の職業選択において重要なファクターの一つであることは間違いない。
論点はそれがどれくらい生物学的(対処不能)でどれくらい社会的(対処可能)であるかということだ。極端な主張の人達――100%生物学的 or 100%社会的――もいるがね。
※5:
男女の大学の選好の違いの多くは、男女の職業分離を説明しないが、例外は理工学部の女性の増大で、もし理工学部女性の割合が男性と同等になり、かつ彼女たちの職業分布が男性の理工学部卒の職業分布と同じになるという2条件が満たされるなら、タイプ1型(※6)の専門職割合の男女格差が最大の推定でほぼ半減すると期待できる。
※6: タイプ2専門職=教育・養育、医療・健康・看護、社会福祉分野の専門職から医師・歯科医師、大学教授(教員)を除いたもの。
タイプ1専門職=医師・歯科医師、大学教授(教員)およびタイプ2に含まれない専門職。
1) 元々出世意欲が低く打診しても断られる
まるで“山口先生が知らない問題”であるかのような口ぶりだが、2)と3)は山口先生の解析で男女の賃金格差の主因足りえないことが示されている(個別でも組み合わせても)。山口先生が研究で(たぶん)扱っていない1)についても要因の一つたり得るがエビデンスは少ない。
1) → 出世意欲の男女差では賃金/管理職割合格差を説明しきれない(調査も少ない)。
2) → 勤続年数が同じ(寿退社しない)でも格差は残る。また夫選びは勤続年数に影響を与えるファクターたり得るが、勤続年数そのものは
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室で彼女がこちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。
彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告したから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。
長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。
あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。
オナニー開始
私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつからか自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ。
死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものだからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。
それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校の図書館にある絵本や漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。
中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったからものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分で文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。
恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかったから告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。
彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするときに自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。
はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃんは彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃんを媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。
彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働きな彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。
それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。
偶然休みだった彼女の母親にも会ったときには挨拶して、彼女の父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。
ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。
そして、夏休みにはなんの因果か彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。
前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から)彼女とのちょっぴりえっちな関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。
その後学校が始まってからもそのえっちな関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。
どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。
その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。
二学期終業式の日に初めて彼女の性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってからお風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。
彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室で彼女がこちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。
彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。
話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分で自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女は最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。
『兄』のときは彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のときは彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。
迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。
しかし、いつからか彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女は理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。
学年が上がり彼女とクラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。
3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。
『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリも希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。
可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。
でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。
私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。
その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかったから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。
そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。
立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。
同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○
のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。
大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからないから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強の意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。
そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計に負担はかけないと思ったからだった。
その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。
そして、19歳になった。
正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議な気持ちだった。それでも、10年も前からの予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。
そして、成人した。
こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか。
また、今まで『余剰分』と思っていたものが想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。
そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。
しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。
そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったことから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実は世知辛い。そもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣を渡り歩くだけだから悪いのだけれど。
あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いときは代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。
オナニー終わり。
ここからが相談。クソ長い私の人生のおさらいオナニーを見てくれてありがとう。
生きるモチベーションが無い。
死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。
もう前みたいに好きな文章で自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生のオーバーランの気持ちが拭いされないから、未来に希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい。死ぬはずだったのに、死に損なった。
そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者は未来に希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。
いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたい。ホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたから自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。
一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。
死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。
ツリーにされると読みにくい。リンクが多すぎるから分けてるのだと思うけど、アマゾンへのリンクならisbnとかasin貼り付けるでよかったんじゃないか。
例えば、isbn:4478103755 って感じ。ただこれも大量に書くと投稿できなくなるかもしれない。
ファイナンス理論全史とかウォール街の物理学者はおれも読んだことある。投資そのものより相場を科学的に見る話が好きで読んでる。中公新書の「統計分布を知れば世界が分かる」を挙げているのは意外だな。これは投資とは全然関係ない本だけど、相場を科学的に見ようと思った時にはヒントになるかもしれない。正規分布、対数正規分布、そしてべき分布、それらの確率分布を形成する現象の背後には、加算過程、乗算過程、そして複雑系がある。こういうのは、相場を科学的に見るうえでは役に立つ知識であると思う。ただ、これを投資に活かすのは難しくないか。
先日邪神ちゃんドロップキックを視聴してみました。クズっクマとしてあれは問題かなと思います。
彼女は召喚されたゆりねから度重なる虐待を受けています。彼女は本来ゆりをね殺す立場ですが、ゆりねの私情により飼い殺されて家に留まっているにすぎません。しかし邪神ちゃんは周囲から冷やかされたにせよ、二期最終話付近でゆりねにデレ始めます。もちろん隠れデレなんですけど、内心ゆりねのことを難からず思ってしまう。これは『ISBN:ほにゃらら』で言うところのストックホルム症候群に近い症状ですがクズっクマの書籍の方が詳しいので買ってください。買ってください。
――ISBN:ためになるえらいほん
邪神ちゃんにも問題があります。邪神ちゃんは極度のギャンブル依存症で、ゆりねからもらった買い物の駄賃をパチスロで溶かして帰ります。その上彼女は極度のお人好しであるメヂューサにお金をせびり、メデューサはまんまとお金を貸してしまいます。これはいわゆる共依存と呼ばれる状態で『ISBN:ためになるえらいほん』でうんたらかんたらと定義されます。うんたらかんたらです。クズっクマの書籍の方が詳しいので買ってください。買ってください。
ぺこらもかなりの症状を抱えています。彼女は天国の法則に自らをてらすあまりに思想にがんじがらめになり、困窮に陥ってしまいます。おまけに食物を数度提供された事によって悪魔たちの印象が変わり、祝福あれとまで述べてしまいます。これは『ISBN:アフィ用の書籍です』で指摘されているハロー効果うんこらどっこいしょ部分の解説に対応しています。
そんなわけで紹介した書籍より屑籠の中のクズっクマのクズ本のほうが100倍役に立ちます。はてダが日照り状態なので名声がほしいです。買ってください買ってください。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC&diff=prev&oldid=74635875
AI研究者の[[大澤昇平]](東京大学特任准教授)は、『AI救国論』の中で「労働人口の減少を、産業用ロボットによって代替することが可能になる」という説を論じている<ref>{{Cite book|title=Ēai kyūkokuron|url=https://www.worldcat.org/oclc/1120736271|publisher=Shinchōsha|date=2019|location=Tōkyō|isbn=9784106108280|oclc=1120736271|last=Ōsawa, Shōhei.|last2=大沢昇平.}}</ref>。
[[筑波大学]]はコンピュータに関して先進的な教育を実施していることで有名であり、同世代(1987年生)の卒業生には同じ未踏スーパークリエーターの[[大澤昇平]]や[[古橋貞之]](MessagePack開発者)がいる。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%80%85&diff=prev&oldid=74635894
**大澤昇平(計算機科学)
「ソリューション型研究開発プロジェクト」は、代表的な修了者として[[大澤昇平]](AI研究者)や[[古橋貞之]](MessagePack開発者)といった高度IT人材を輩出している。
}}{{efn|AI研究者の[[大澤昇平]](東京大学特任准教授)は、「'''日本におけるAIの教材としては現時点でのベストプラクティス'''」と評している{{R|OHS1015}}。}}
Alembert(=大澤昇平) のwikipedia編集履歴
Alembert = 大澤昇平 の明示
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この先も安定そうなサービスってどこだろう。
1600冊以上のデータがある。同じものを複数買いたくないのでどうしても何らかのデータベースを作りたい。
しかも、ISBNはあるけども通販限定などで書店に並ばない本も持っているため既存のデータベースにない本はISBNを入力する形でプラスしたい。
できたらスマホ(Android)からデータのチェック(持ってるか持ってないか、既にWebで予約してるのかetc)をしたい。
いろいろサービス調べてみたけれども。
ブクログ→Android向けアプリのサービスを終了した。信用できない。
読書メーター→エクスポート機能がない。サービス終了するときにどうしようもない。
ブックフォワードの愛用者だったがスマホアプリがここのところかなり不安定なので心配。
もはやマイクロソフトのAccessとEvernoteあたりを組み合わせて自力でどうにかするしかないのだろうか。
誰か助けてほしい。この1600冊をこえ、日々成長し続けるデータの山を、どうにかしたい。
同人誌はISBNとか何もないので最近買ったやつだけはAccessで管理(サークル名、タイトル、サイズ、発行日、ジャンル、CPをデータ化するようになったらダブり買いがなくなった。イベント当日は「サークル名/タイトル/発行日」だけのExcelファイルをスマホから参照できるようにしといて、不安になったら見るようにしている。非効率なので改善したい)
ヴィレッジブックス社とかのISBNはあるけど書店で見かけたことない本もAccessで管理
電子書籍→プラットフォームを絞ってはいるがデータ化が面倒になるくらい大量に買うので今のところ放置
しています。やはり普通の本もAccessでやるしかないのかな。はてな民ならすらっと代替案持ってきてくれるかなと思ったら特に代替サービスがないみたいで目玉が飛び出そうです。
出版社はNetflixみたいに「こういう系統の本読んでるおまえならこの本も好きになるだろう。ここで買えるぞ」とかいうのを表示してくれるサービス作れば売り上げ上がるんじゃないか…
函数 ウィキペディアによれば https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%95%B0_%28%E6%95%B0%E5%AD%A6%29#%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
「函」が漢字制限による当用漢字に含まれなかったことから、1950年代以降同音の「関」へと書き換えがすすめられた[6]。この他、「干数」案もあった[7]。学習指導要領に「関数」が登場するのは中学校で1958年、高等学校で1960年であり、それまでは「函数」が用いられている[8]。「関数」表記は 1985 年頃までには日本の初等教育の段階でほぼ定着した[9]。
6. この経緯については、島田茂 (1981)「学校数学での用語と記号」福原満州雄他『数学と日本語』共立出版 ISBN 4-320-01315-8 pp.135-169 に詳しい。
せんべろは、「1000円でべろべろに酔える」ような価格帯の酒場の俗称。
一般には作家の中島らもと編集者の小堀純が、共著の著書『せんべろ探偵が行く』(2003年、ISBN 978-4163595009)で使い始めたのが最初と言われている。また、1980年代頃に中島らもの身内言葉から全国区に広まったとの記述もある。[1]
1000円でべろべろに酔えるという価格帯の酒場の俗称ではあるが、実際には1000円でちょっと気の利いたおつまみとお酒2~3杯飲めるという意味合いが強く、発祥と言われている『せんべろ探偵が行く』(2003年、ISBN 978-4163595009)でも、そういった酒場が多く紹介されている。
低価格で酒やおつまみ等を提供するという性質上、該当する店には居酒屋や立ち飲み、角打ちなどが該当する。
2007年のサブプライムローン問題発覚、2008年のリーマン・ショックなどを背景とした景気低迷の中で「一般的な低価格居酒屋チェーンよりもさらに格安で飲み食いができる店」として注目が集まるようになり、近年雑誌等で特集が組まれるようになったほか、「せんべろ」系居酒屋を専門に取り扱う書籍も複数登場している。
1990年 - 小説。地震による日本列島の危機の中、沈没クーデターを起こし、自衛隊を「日本軍」に改編した日本が、世界に誇る航空母艦「トヨトミ」や、脅威のウィルス「ヒデヨシ・ウィルス」で韓国人ホロコーストを計画。韓国人の主人公が計画を阻止する内容。
1993年 - 小説。作中に韓国が北朝鮮と手を結び、日本に核ミサイルを撃ち込むという戦略シナリオを読む部分がある。大ベストセラーとなり韓国で映画化された。朝鮮語版Wikipediaの記事
- 小説。
2001年 - 小説。韓国人が皇太子妃雅子を拉致する。NHKのハングル講座がとりあげ問題となった。
2002年 - 高校生が書いた歴史小説。天皇は百済人であり、敬宮愛子内親王が百済王家の子孫と恋に落ち、歴史「真実」を悟る。和田春樹が「良心的日本人」として登場する。和田の思想・主張以外、事実と異なるところが多い。
2011年 - 小説。北朝鮮の後継者の金正恩をめぐる権力暗闘を描いた。北朝鮮軍が北海道を侵攻するストーリーがある[1]。
ISBN 9788997790890、2014年 - 小説。日本を奇襲し、天皇を捕らえ、自分を謀殺しようとした宣祖が廃位され日本が降参。出版社は「イ・スンシンの帝国は私たちが夢見る帝国になり、私たちが願う理想的な国が繰り広げられることになるだろう」と伝えた。[2]
ISBN 9788970638225、2014年 - 小説。安重根が現在に蘇り、安倍首相を銃撃するという内容。[3]
『安重根が安倍に向かって発砲』なんかちょっと失笑ものだね。別に現代人でもできるテロだけど、歴史上人物に頼っちゃうのかそこ...
電話口のコールセンターのお姉さんもどうするんだろう いつも復唱してくれるんだけど ちんぽって言わなきゃいけないのかな 言わせなきゃいけないのかな
いや ISBNで注文すればいいんだけどさ お姉さんはタイトル確認で復唱してくれるよ ちんぽでよろしいですか?はい大丈夫ですお願いします。
本を探しているおばあさまに何かお探しですか?って声かけて、耳元で申し訳なさそうに恥ずかしそうに夫のちんぽがって本探してるのって囁かれた日からもうお客さんに声かけらんなくなったよ ごめんなさいあの日のおばあさま 恥ずかしそうに小さくなってた 私だって20代の小娘だ 20代の小娘の耳元でちんぽって囁くことになるとは おばあさまも20代の頃は思わなかっただろうな
ゾーニング問題がなんかやかましく言われてる ラノベのやつ あれとは全然違うけどさ うち 小さな書店で ラノベもエロ本も一切置けない立地なんだけど これ 扶桑社の単行本で講談社の文庫になった どうしようね いや 置かなきゃいいだけなんだろうけどさ でもさ
売りたい本なんだ。
とても真摯な方が書いてるし、このタイトルでなければダメだったんだろうし、この本で救われた人沢山いたんだろうな、書かれるべき話だったんだと本当に思う。
売りたい。売って救われる人がいる。売るべき本だ。この本は苦しむ女たちの味方だ。
センセーショナルに売るためにこのタイトルにしたわけじゃないの知ってるよ 覚悟があったのもわかるよ でも店先で 電話口で ちんぽと言わねばならぬものたちのことを あなたたちはどれだけ考えてくれたんだ 私たちも「ちんぼでいきましょう!」と言ったあなたたちの決意に付き合わなきゃいけないんですか?
性は忌むべきものじゃないと思うよ? 恥ずかしがる私がおかしいのかもしれないよ 恥ずかしがること 忌みきらうこと それ自体がなにかの差別意識の現れなのかもしれないって私も思うよ
けど じゃあ お前らが言ってよ 電話口で女の人に向かって夫のちんぽが入らないって私の代わりに言ってよ お客様のところに夫のちんぽがはいらないって書かれた伝票貼られた袋配達してよ 頼むよ
現役の書店員だけど先日バズった六本木TSUTAYAに暴言吐いてる人やその取り巻きがあまりにもアレなので暴言を吐きます。
あのさ、本って一年で何冊出版されるか知ってる?「読書好き」を自称するんなら当然知ってるよなあ。
七万冊だよ。七万冊。
それを365日で割ると1日200冊弱の本が出版されるんだよ。なあ、これ、タイトル出版社著者内容その全てを把握できると思うか?それに加え既刊本もあるんだぜ?社割でいくら本を買おうが一人の人間に把握できる量じゃないんだよ。口頭でタイトルだけ伝えられても、表記もなにもわかんないの。今までお前が口頭でタイトルを伝えただけで書店員が対応してくれてたんだとしたらそれは単に運が良かっただけだ。広い広い出版業界の観察範囲がその担当した書店員と偶然合致しただけ。
頼むから口頭でブワーッとタイトルだけ伝えてこっちが即座に対応できなかったらキレる前に、もう少しタイトルやISBNを紙に書くとか考えてくれないかなあ。
あと残念だけど六本木TSUTAYAのように純粋な書店としての機能以外を持つ書店って今後増えてくと思うぜ。
Amazonの登場で書店は半ば息の根を止められたような物なんだわ。「単に新刊買うだけだったらわざわざ書店に足を運ぶ必要ないなー」って書店員やってる俺も思うもん。「ほしい商品をすぐさま見つけて購入する」という利便性はどう足掻こうがリアル書店はAmazonに勝てそうにない。
利便性では勝てそうにないならどうするか。その他の価値を自ら創出して生き残るしかないじゃないか。
お前やお前の取り巻きが散々「オサレ()」と馬鹿にしまくってるTSUTAYAの店作りも、その生き残り戦略の一つなんだよ。
ひとつ聞くけど、TSUTAYAに足を運んだ客がお洒落な空間を味わいその雰囲気と気分の高揚の中で本を選んでお前らに何か迷惑かけたか?なぜ「意識高い系()」と自分とは異なる消費スタイルの客をそこまで嘲笑しまくる?なぜ自分とは解釈の異なる棚作りをしただけでそこまで発狂する?
お前らが嘲笑している六本木TSUTAYAに足を運んでいるその人達は、競合他社である俺達もほしくてほしくて堪らない、出版業界にお金を落としてくれるご新規様なんだよ。なにをきっかけにしても良い。とにかく「書店に足を運んでくれる人」をどんどん増やしていかないと書店全体の未来はないの。
そんな貴重な新規客を嘲笑するオメーらみたいなスノビズム拗らせた排他的な人間が市場の縮小に拍車かけてんだよ。「書店とはかくあるべし」「読書とはかくあるべし」と勝手に定義して業界を私物化してんじゃねーよ。書店はお前らのための空間でもあるけどお前らのためだけの空間ではないんだわ。「全てのジャンルはマニアが潰す」だとかなんだとか言ってた人いるよな。お前らまさに「業界を潰すマニア」そのものだぞ。
不毛な「暴言」なんて吐いてる暇があるんだったら他の書店に行ってどうかその店を買い支えてやってくれ。お前やその取り巻きはTSUTAYAのターゲット層ではないんだ。なにか本を買うんだったらダーウィンの「進化論」とかお勧めだよ。
趣味でっていうのは言い訳っていうか、稼げないことのエクスキューズでもある
せどりやってる人のブログとか見るとさ、皆めっちゃ稼いでんの、めっちゃいろいろ努力したり工夫したり、前進してる
本のせどりっていうのは、基本的にブックオフなんかで、amazonのランキングや相場なんかをツールを使って調べて買う
スマホで、本についてるISBNって番号を打ち込めば、その本のランキングがわかるツールがある
自分は目についた本の番号を手打ちで入れるんだけど、もっと本格的にちゃんとやってる人は、手に収まるサイズの小さなバーコードリーダー使って、
目についた本とかじゃなくて、端から順番に全部、おそろしい速さでばばばばーっとデータを読み込んでいく
(そういうのを、全頭検査とか言ったりする)
自分の場合は、これどうかないけるな、これどうかなあーダメだなって、のったらのったらやってるだけだから
自分の勘(と一応今までの脳内データ)に頼ってて、そういう意味で趣味
リーダー使ってやるのは恥ずかしいし(正直ちょっと異様な雰囲気を感じる)、あと、やっぱり、楽しくない
本が好きで、本屋が好きだから、本屋さんごっこしてるみたいだから、せどりは楽しいし
https://twitter.com/0830yukkey/status/764047717567832066
ユキオ0830 @0830yukkey
@Fruskiy001 はじめまして。先生の記事やご本を買いまして勉強してます。ところで、先生の本のない言おうを内田弘樹という作家が盗作した疑惑がありますがご存知ですか。http://anond.hatelabo.jp/20160627202408 調べたほうがいいと思います。失礼します。#盗作
https://twitter.com/0830yukkey/status/764048377247961088
ユキオ0830
@0830yukkey
@Fruskiy001 先生の本は、見つからないのでもできる限り新刊で買いますので、がんばってください。盗作だったら悪いことなので許しちゃいけないと思います。
https://twitter.com/Fruskiy001/status/764073832046927873
敵国のご隠居 @Fruskiy001
@0830yukkey どうも拙書をお読みいただき、有り難うございます。その件は当方は存じ上げておりませんが、体調が回復したら、少し調べてみようかと思います。 本当にわざわざご連絡いただき、有り難うございました。
以下経緯
内田弘樹氏寄稿による雑誌「丸」掲載の記事に対し、2chにて当該文には、アイオワ級に関するWikipedia記事
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AF%E7%B4%9A%E6%88%A6%E8%89%A6)
からの引き写し、および当該Wikipedia記事の底文となっている、
『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』 学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2。
大塚好古 『【第6章・第1部】3万5000トン型新戦艦「ノース・カロライナ」級』。
上掲記事からの文章剽窃が認められるのではないかという疑義がなされたものである。
====
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
https://twitter.com/0830yukkey/status/764047717567832066
ユキオ0830 @0830yukkey
@Fruskiy001 はじめまして。先生の記事やご本を買いまして勉強してます。ところで、先生の本のない言おうを内田弘樹という作家が盗作した疑惑がありますがご存知ですか。http://anond.hatelabo.jp/20160627202408 調べたほうがいいと思います。失礼します。#盗作
https://twitter.com/0830yukkey/status/764048377247961088
ユキオ0830
@0830yukkey
@Fruskiy001 先生の本は、見つからないのでもできる限り新刊で買いますので、がんばってください。盗作だったら悪いことなので許しちゃいけないと思います。
https://twitter.com/Fruskiy001/status/764073832046927873
敵国のご隠居 @Fruskiy001
@0830yukkey どうも拙書をお読みいただき、有り難うございます。その件は当方は存じ上げておりませんが、体調が回復したら、少し調べてみようかと思います。 本当にわざわざご連絡いただき、有り難うございました。
以下経緯
内田弘樹氏寄稿による雑誌「丸」掲載の記事に対し、2chにて当該文には、アイオワ級に関するWikipedia記事
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AF%E7%B4%9A%E6%88%A6%E8%89%A6)
からの引き写し、および当該Wikipedia記事の底文となっている、
『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』 学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2。
大塚好古 『【第6章・第1部】3万5000トン型新戦艦「ノース・カロライナ」級』。
上掲記事からの文章剽窃が認められるのではないかという疑義がなされたものである。
====
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
文章が問題なく読める状態の商品。ページやカバーに傷などがなく(カバーがない場合も可)、ページにはペンやマーカーでかなりの書き込みや線引きなどがあっても、その書き込みや線引きによってテキストが読めないほどではない商品。付属品が紛失している商品。(付属品とは、従来の商品から付属しているもの。特典とは異なり、付属品の有無でISBNを付与することはありません。例:CD付き書籍等。注意:付属品のみの販売はできません。)
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と記載されている
文章が問題なく読めるかってのは微妙なところだが、その辺は主観の問題だからな
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学術的なアプローチは元増田のお好みではないかもしれないけど、ブコメに書ききれないので置いときますね。
恥感情の進化適応性は現在も研究対象であり、広く認められた結論はまだなさげ。現在の淘汰圧がどっち向きなのかも必ずしも明らかではないのではないかな。ざっと調べたレベルのメモなので入り口程度に。