はてなキーワード: 武士道とは
筋さえ通れば反乱もやってのける命知らず。
不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、
俺たち、「佐賀の七賢人」!
(以下はWikipediaの内容をまとめただけです)
総合すると、
昨今の日本会議やらネトウヨの跳梁跋扈に対して喝采するばかりなのか?
そういう寡黙で誇り高いイメージなんだが、
負けた戦のことに関していつまでもウジウジ言うのは『日本人』には程遠いんじゃないのか?
ましてや自分を愛国者と自画自賛して他人を売国奴と罵る姿はどう見ても『日本人』じゃないんだが。
俺の武士道がこいつら醜いと言ってるんだが。
「武士道に於いて、上位者・支配者とは命がけで徹底責任を取る者である。これに対して欧米では上位者・支配者は白人とするものであったために、この思想の対立が大東亜戦争へと発展していった。形としては日本は負けたが、これは同時に白人優位思想の崩壊をもたらしたともいえる。」
とか
「たとえば、すぐに「すみません」と謝罪するのは、自分を下位に置く意味であり、自分を上位に置くと徹底責任を義務として求められるからである。」
とか書いてあるし。
この前の日曜日は参りましたよ。
ついにここも国際的観光スポットになったのかと感慨にふけってしまったでござる。
やはりのこの店の常連を自負する拙者としては、この海外からのお客さまを「お・も・て・な・し」しなくては。
同じロットのよしみとして、食券の購入をお手伝いする覚悟を決めていたが、拙者の覚悟は杞憂に終わった。
スマホを見ながら、食券の自販機をみごとに操作してみせたのだ。
この時点でヤバい!ヤバいですよ!と拙者の赤ランプがピカピカ点滅!
大豚Wを無事に購入した外国人の3人が拙者に軽く会釈をしてきた。
この会釈は柔道の試合開始の合図と受け取った。ついにバトル。国際バトル開始か。
拙者も大豚Wで応戦。ついに国際バトルのお膳立ては整った。
3人は、拙者にわからないことばで、ひそひそと話していた。
会話の内容が皆目見当がつかないので、このロットバトルへの不安がつのる。きょろきょろと当たりを見回し他の常連からの視線を感じた。
常連たちのまなざしは「がんばれ日本」という声援が感じられ、落ち着きに満ち溢れていた。
このオリンピックにも似た大舞台、拙者も落ち着かねば。修行が足りん!
外人さんはニンニク入れますか?の受け答えの困るのかと思い、ここは武士道の精神でフェアネスにコールの支援をせねば、常連が廃る。
ところが、隣の外国人さんは、「ニンニクいれますか?」ときかれて、
「ヴァーデュア・アーリオ・オーリオ・アマンターレアマンターレ」
とこたえていた。
「ヴァーデュア・アーリオ・オーリオ・アマンターレアマンターレ」て、何だよ。助手の人も聞き返すこともなく作業に戻っていった。
まじ国際化でござるよ。拙者のしらぬところで、お店がイタリア語対応していたでござる。
拙者、「お・も・て・な・し」するどころかうろたえてしまい、コールに失敗。ニンニク入れますか?に「はい」と、言ってしまった。
一生の不覚。一生の不覚でござる。
こんなハンデ戦。海外からのお客さまを「お・も・て・な・し」するには最低の舞台だ。
一心不乱にどんぶりと格闘していたが、大豚Wをたいらげた外国人の3人組みが先に「ゴチソウサマ」と店主に挨拶して出ていった。
拙者がギルティでござった。
デートのイニシアティブを早くとらない男性を「情けない男」と呼び、デートのイニシアティブがあまりにも早く行われれば「レイプ犯」とその男性を呼び、彼がうまく引っ張ってくれない場合「最低な男」と呼ぶ。
この文章が、恋愛について受け身な人の嫌な点を非常に的確に表現していると思った。
鶉まどかさんのブログに出てくる「クラッシャられ男子」は、男子だから情けなくて最低と評されるのであって、女子だったら許されているのが現状だ。そこそこ可愛い女子に生まれて愛想も良ければ、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生の王道を歩み続けることが出来る。
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。一方的にリスクを負わされていることに気づき、不平等な関係から降りたのが「草食男子」なのかもしれない。既得権は、得ている側は気づかないものなので、「草食男子」という降りた存在が現れたことで、女性が既得権を失う可能性が初めて可視化されたのではないだろうか。
しかしこれからも、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーは男女の恋愛における憧れの対象として語られ続けはすると思う。フィクションだけではなく、芸能人の結婚話などで定期的に実話が投下されるとも思う。男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。しかし「美」も「献身」も希少であり、非常に高い価値を持ち、凡人には手が届かないものだ。簡単に手が届くという勘違いは、その人にとっての「世界」を「敵」に変える。凡庸な多くの人々にとっては、メジャーリーグやセリエA、オリンピックを観るような気持ちで、遠巻きに憧れの視線を送る程度がちょうど良いのだと思う。
個人的な拒絶を引き受けるよりもむしろ、若い男性は女性をセックスのための物として見るように変えることを学ぶ───物に拒絶された方が彼はあまり傷つけられずにすむ。物として扱われることは彼女に疎外感を与え、拒絶されることは彼に痛みと怒りと弱さを感じさせる。
「男性は女性を物のように扱う加害者で悪人で絶対的強者」という一方的な認識に一石を投じる解釈だと思う。
女性を物のように捉えることは、拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされ、そうした社会は変えられないという現状に対する、個人的な適応なのだ。夫に傷つけられ失望しきった妻の心が麻痺し、夫がATMにしか見えなくなるのも、一種の精神的な適応であると思う。非人間的な考え方の根源には、これ以上傷つくことを恐れるという人間的な理由がある。「だから女は肉便器、男はATMという考え方は正しい」と言いたいのではない。人間関係の問題を解決に向かわせるためには、加害者批判に終始するのではなく、加害者理解が必要なのだと言いたい。
男性は女性を性的に拒否すべきではないという強い規範も存在する。女性が幼い男性を強姦するケースもあるが、笑い話やポルノ的消費で片付けられてしまいがちだ。女性ストーカーに怯える男性も「男らしくない」と罵倒される始末で、男性被害者こそセカンドレイプに晒され続けている。男性がセカンドレイプに晒されることを当たり前と考えていると、女性をセカンドレイプに晒すことも当たり前になる。セカンドレイプの悪質さに、被害者が女性か男性かということは、一切関係が無い。
第二次世界大戦における日本人男性は、「武士道」の訓練をまだ受けていた。「武士道」は、屈従の方法であったので日本の軍人は、進んで天皇および祖先のために死んだ。死以外に勝利への代替方法は許されないと考えるように彼は訓練を受けた。神風特攻隊は、「武士道」、すなわち「他者」への総合的な奴隷になる道の結果である。
『男性権力の神話』には、これまで男性がいかに危険な仕事に従事し、いかに使い捨てにされ、いかに国家に殺されてきたかという話が繰り返し出てくる。若い男性の労働力や命を、「名誉」を餌にして権力者が根こそぎ収奪して富を得ている構造がある。現在も「生活保護という不名誉」から逃れるために過酷な労働をしている男性が数多く居る。「他者」への総合的な奴隷、というのは上手い表現であると思う。
歴史を振り返るに、女性よりも男性の方が、よほど従属的だ。発言や態度が挑発的であったとしても、実際の行動が集団に従属的なのである。最近、男性が従属的で自尊心が低そうに「見える」女性を好むのは、支配欲というよりも共感なのではないだろうかと思う。男性向けの創作で、巨乳の存在に萎縮する貧乳が描かれたりするが、「優れた同性」の存在にやたらと萎縮する傾向は、女性より男性の方が、実際には強いと思われる。身体的な特徴を優劣・上下の関係に単純化したがる傾向は男性によくみられる。強さ議論が好きであり、劣ったものを侮蔑することを好む。男性の自殺が多い原因もここなのではないかと思っている。これが男女の器質的な違いによるものなのか、社会的な扱いの違いによるものなのか、あるいはその両方なのかは、専門家ではないのでわからない。しかし男性は「男は強くあらねばならない」と考えているため、自分が弱者・被害者の立場だったとしてもその事実を受け入れられず、強者・収奪者の価値観を内面化し、「収奪の社会構造を肯定する弱者」となってしまいやすいのではないかと個人的に思う。その結果が「喜んで徴兵される」「経済的に失敗したので自殺する」などの、集団に屈従した行動ではないか。
性的少数派である「ゲイ」と「ロリコン・ショタコン」の違い http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ジェンダー論者による「モテるヒント」 http://anond.hatelabo.jp/20150129001630
男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ http://anond.hatelabo.jp/20150125162654
正義。力。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。
正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。
そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。
そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。
なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。
調べてみて貰えばすぐに分かるが、あれは正義ではない
以前、自分はVictimGirls3という作品に触れる機会があった
朝凪氏の描いたもので、ROのキャラクターが触手モンスターに媚薬を打たれて快楽墜ちをし、同胞を巻き込んでいくと言う話だ
作中、女の子がおぞましい触手を恍惚の表情で見つめ、キスをし、舌先から針を打ち込まれてしまうシーンがある
そこには尊厳はなく、正義はなく、倫理はなく、道徳も信仰もなかった
それを良く覚えている
朝凪氏はそれから、その世界観を崩さずに現在まで活動を続けている
緑のルーペ氏はどうだったのだろうか
商業的に氏が有名になった作品は、初単行本の表題作である「イマコさんシリーズ」だろうか
氏の作品にも、人が普段は忌避するような倫理観の冒涜が綴られている
作品内での出来事だと分かってはいても、読むことによって何らかの"汚染"が始まってしまうような感覚
それが、氏の作品には匂っていた
ただ、それは今になって思うことなのかもしれない
なにしろ、「イマコシステム」ではその冒涜にも「すべてはイチナの妄想であった」という解放感や救済感があったからだ
まあ、初単行本と言うことで氏本人が自重したか、編集に止められたのかもしれないが
また、次の単行本である「ガーデン」でも基本の傾向は変わらなかった
人の持つ倫理観を侮辱し、柔かく大切に思うものを徹底的に凌辱し、その背徳感で快楽を貪る
前述の朝凪氏の作品もそうだが、赤卵氏の作品にも通ずるものがある
そこが氏のバランスのとれた所だと思うし、作品の巧さに繋がっているのだと思う
どこまで意識しているのかまでは個人の人格の話になってしまうが、"それだけではない"というのが分かっているのだと思うし、センスが良い
きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。
ウィリアム・シェイクスピア著「マクベス」より魔女のセリフ
まさに、この言葉の通りだったのだと思う
何も知らない可愛らしい性欲を掻き立てられるような 女の子が
快楽に負け、自分の倫理観や尊厳や未来を無慈悲かつ理不尽に奪われ穢される
その背徳感を描き切っている
怒りや悲しみ、時として性欲を
冒頭の引用を読み返してほしい
人はきっと、綺麗さを信じ込むことはできない
だから人は他人の善行にケチをつけるし、美徳には汚点を加えたくなる
しかし逆に、それは人が完全には堕ち切らない事をも意味するのだ
それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
今回の作品「宇宙人の冬」では、主人公の青沙マコと地球人には救いがないだろう
朝凪氏がVictimGirlsで描くような救いのなさだ
おそらく、だからこそ、氏はこの作品を全力で描かざるを得なかっただろうし、今まで描けなかったのだと思われる
「それを 打ち倒さねば 己になれない」
そのために何もかもを引っくり返して叩き売りだ
そうだ 500年前の俺も! 今のお前も! アンデルセンも!! あの少佐も!!
私と闘いたかったんだろう?
でなけりゃ一歩も前に歩めなくなったんだろう?
進む術も知らんのだろう?
無用者になるのが怖いか!! 老いが怖いか!!
忘れ去られるのが怖いか!!
ジョンブル? ふざけるな!! ふざけているのはお前だ!!
この作品は、間違いなく氏にとっての闘争だったのだ、打ち倒すべき何かだったのだと思われる
そして、氏がこれを描くにあたっては、あるいは年月以外の何が介入していたのだろうか
それが気になる所である
取り消し線の付け方の訂正
引用元の明記
改行の追加
別エントリにて追記
ふと思ったのだが「イマコシステム」におけるイマコが時折"黒以外の装飾"を着けているのは意図的なのだろうか
「クロミツイマコ」には「常に真っ黒の服しか着る事が出来ない」というキャラクター的ペナルティを持つ。
その観点で言えば、商業において「クロイミツイマコ」は登場していない
ぱんつも装飾品に含まれるのだろうか?クロミツイマコの下着絵を確認できないので分からないが、黒ぱんつということなのだろうか、背伸び感が出ていて素晴らしい
「イマコはクロミツイチナと出会わない限り幸福になれない」というキャラクター的ペナルティを持つが
このシステムと、イマコとイチナのキャラクターを流用したのが"イマコシステム"だったのだと思われる
荒巻「さっきから聞いていたが、外部記憶装置無しにはさっぱり付いて行けない会話だな。
ここのエロ本は全て読んだのかね?」
「そこまでは」
集団で話題や空気を支配する人物を「ムードメーカー」という。物事がうまくゆくには「ムード」がとても大切なのは分かるよね。
それを自分という人間にも当てはめる。それが「自分のムードメーカー」だ!
さて「未確認で進行形」で一躍脚光浴びた女性声優は?は?そう、「ぱるにゃす」。クイズ王なら常識だよね。
それを意識にも当てはめて意識にもパルスというものがあると気付く。脳幹網様体って知ってますか?
まあ意識の神経基板の研究についてgdgd言っても仕方ない。脳波なら誰でも知ってるよね?バイオリズムって言うよね。
さて物事がうまくゆくには自分のペースをつかむことが大切。マイペースは協調性の欠如とノロマのイメージがある。
協調的でサクサクなマイペースだってあっていいじゃな~い?おかしくな~い?
さてペースメーカーって言葉はペースの新規作成のイメージがある。でも自分の中に既にあるペースだってあるよね。
そういう場合は「ペースをつかむ」って言う。仕事のペースをつかむとは、自分のペースをつかむってことだ。
さて「それにしてもこの男ノリノリである」と言ってたナレーター誰だっけ?踊ろう踊ろう終わらないDance beat。
ノリがあるとスイスイ進みやすい。α波やθ波が関係してるらしい。
どんな仕事も小さな技能の組み合わせで出来ている。個↑々↓の技能を磨き上げ、組み合わせを磨き上げるのだ。
今はくっさい原石だけど磨き上げるとキラキラになる。熟練工は皆、珠玉の技能の数々を持ち合わせている。どんな美味しい料理も、結局は技能だろう?
「技術や知識なんかじゃねえ、心なんだよ」みたいな名セリフあったな。思い出せない。
でも、それは技能が偏ってたりチグハグだったりするだけで。結局は、技能だろう?そうは、思わないかい?脳神経外科医。
さてコーヒーを飲むとテンションがあがる。人に褒められると木に登りたくなる。それは単に「テンション」とか「ムード」って解釈される。
でも、結局、技能だと思わないかい?外科医だって結局技能。高度に発達した技能は魔法と区別がつかないだけで。
ブラックジャックをブラックボックスに閉じ込めるのは、もうやめちまえ。
その謎をとくカギが「ペース」。意識のパルス。自分の中にそれはある。そのペースをつかめるか、作れるか。
さて面白いことに技能は磨くほど「ノリ」やすくなる。モデルさんは見られるほど美しくなる。技能は乗るほど磨かれる。磨かれると乗りやすくなる(二度目)。
セントジュエルを探すんじゃない。磨くんだ。自分のなかに煮っ転がってるものをまず磨く。
逆に言うとね、磨けないならテンションで乗り切るしかないんだよ。武士道と云ふはテンションと見つけたり。昨日の農民は明日の剣豪。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。
戦争は終った。
特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
ちょっとトレンドに乗った感じの記事、というかこの記事、http://anond.hatelabo.jp/20140321060847に便乗した釣りなんだが、
数年前まで就活やってて思ったこととか、成長ベンチャーに対する感想とかを書かせていただく。
学歴的には早慶。やりたい仕事がいまいち見つからなかったため、
大企業ばかりうけず、あまり成長ベンチャー的な会社も幅広く受けてきたつもりだ。
で、結局非常に保守的な業界に入って、今はのらりくらりとやっている。
成長ベンチャーのCTOとかとはほとんど交わらない世界にいる。
人事はうちの部の隣で、若いということでたまにアドバイスを求められる程度。
それを前提に聞いてくれ。
成長ベンチャーの印象は、とにかく上から目線だ。もちろん全部ではなかったが、まず採用担当は若い奴が多い。
入社3年~5年くらいで新卒採用を担当するくらいだから、社内での評判はいいのだろう。
また今考えたら事務的なミスなど不手際が多かったのももう一つの印象だ。
社内には新卒採用のノウハウがゼロだから、自分で作り上げていくしかないのだろう。
それでいて、成長ベンチャーには社員教育にかけられるコストがないから、
社会人として基本的なマナーや書類の精査スキルが身につかないままやらされているからだろう。
ただし、担当者も「頑張ってる自分かっこいい」という自己心酔が出来ているのでwinwinか。
他にも受けた企業で上から目線だと思ったのは、青色メガバンクや二文字の広告代理店などあるが、
そういった態度で接してくる社員の多くは、40代まで本体に残った幹部社員で、実績に裏打ちされた
若い社員とも接したが、成長ベンチャーのような「君の合否は俺が握ってるよ」的な中二的なものではなかった。
少なからず居たのが「俺の実績、志望動機」を説明会でたらたらと語り始めるお方。
「大手を蹴ってベンチャーにきた」とか「独立すると宣言して面接に望んだ」とか。
その時は、ふむふむと思っていたのですが、今考えればまともな会社の人は
聞かれても居ないのに、プチ自慢大会をはじめる人はいなかった。
ベンチャーは会社の看板が弱いから、そういう個人としてのアピールをしていく必要があるのかなと
思ったけど、今考えたらその自慢があまりにも低レベルで、やっぱベンチャーってこういう人の集まりなのね、
って思い返しているw
そういえば、うちに研修の営業に来たベンチャーがいて、そのプレゼンに立ち会ったのだが、
とか「成長させることには自信がある」とか面接でであった成長ベンチャーくんとまんま同じで吹いたw
もちろん丁重にお断りしたが、こういうところで中途半端な自信ついたら不幸だなと思った。
会社の評判も「うさんくさい会社」、個人の評判も「おかしな人」になっちゃう。
ここは同意。
なぜなら、ベンチャーは大手にいけなかった落ちこぼれがいくところをいう認識だから。
俺は早慶法学部だから、書類は簡単に通過したが、軸が定まっていなかったから、面接で苦戦して
なかなか内定が出ず、就活には苦労した身だ。まあ、それでも恵まれていた方だとは思うが。
なぜなら、残業代もまともに出ず、まともなトレーニングを受けないままキャッチセールスのような
そんな会社に入るのなら、もう一年やった方がいいとさえ思った。
そして、周りを見渡してもベンチャーに行った奴にまともな学生はおらず、
カンニングで留年になった先輩、誰とも話さないキモオタ童貞、自慢が大好きなビジコンくん
結論として、そんなことはないと思いますw
自分自身で培った力より、たいていの場合は応募条件に記載された年齢が優先されます。
・部下を持たない社員なら未経験なら35歳まで、できれば20代。
20年後会社がつぶれたとして、40代だと課長~部長クラスの転職ポストがメインとなります。
となれば、評価されるのは自分自身で培った力というか上司として部下をまとめる経験です。
面接でのしゃべくりで逆転できるのはせいぜい20代、1回目の転職までです。
「何をしてきたか」は同じ業界では聞くまでもなく知れ渡っていてごまかせません。
「成長ベンチャーでトップセールスマンでした、でも会社はつぶれました」より
「大企業で課長をやっていました。●●の案件はうちのチームでやりました、でも会社はつぶれました」
聞いたこともないベンチャーでバリバリやってたという方より、誰でも知っている会社の課長のほうが信用されるのです。
部下を持たない社員として応募するなら、若い20代や30代前半の方々と競合することになります
その場合、どれだけ力を持っていても、若い応募者を企業は選びます。
給料が安くて、化ける可能性が少しでも高いほうが魅力的な投資対象なのです。
元記事の方が、どのような人材会社の方なのでご存知だと思うのですが。。。
また、ベンチャーの方が大企業に転職できたって言うのも、20代を除いてあまり聞きません。
ていうか、それやるなら最初から大企業入ればいいじゃんって話でしょw
ベンチャーからベンチャーに移りやすいという点では、確かに元記事の方がおっしゃるとおり。
けどそんなことして意味あるの?w あえて茨の道をいく自分がかっこいいとか? 年取ったら後悔しますよw
とにかく強い社会人になれば全て解決するという昭和的な発想をひけらかすのは罪。
大企業に居たらルールや規制を知りすぎてしまいとても起業なんて出来なくなる。
もちろん、不安定が怖くなる。
起業の初期では必要ないかもしれないが、大きくしていこうと思ったら必ずぶち当たる。
IPOを目指しながら、大企業はくそだ何にも身につかない、というのは矛盾してると思う。
小さな個人商店でいたいんだ!って方は、資格業を目指したほうがいいと思う。
就活生は内定が欲しいからあなたと会っているし、社員に会いたいと思ってもいない媚を売り続けているのです。
あなたと道端ですれ違っていたら、ただのオッサンです。就活生は一つでも内定をとって安心したいだけで、
別に何かを学びたいからあっているわけではありません。副次的に何か学ぶことがあるかもしれませんが、
それは人と会うという行為に遍く存在するものです。別に路上でホームレスと話していても学ぶことはあるはずです。
たぶん一つくらい。。。
第一義に考えるということは、冒頭で紹介した痛い採用担当くんと同じ思考回路なのではないでしょうか。
バイトして、授業にたまにいって、ふらふら遊んでただけなんだから。
それが彼らの全世界であり、パワハラや有無を言わさぬ業務命令を受け続けた社会人からしたら
赤ちゃんと同じなのです。そもそも学びを期待すること自体が、間違いなのです。
ただ個人的には若い人と話すのは、まっさらな発想・疑問や自分の過去を振り返る機会が得られるので、
とても勉強になると思っている。何よりオッサンばっかりの会社にはない活気をもらえる。
これは元記事とは関係ないが、今にして思うのが
どんだけ頭が良くて、努力家で勉強家であっても最初は必ず苦戦するし、
仕事を処理しているのを見て、かっこいいと思ってしまうのが新入社員です。
(まあ半年もすれば実際にやっている仕事のしょーもなさを知ってその評価は撤回されるのだが)
そういう意味でいきなり起業して生き馬の目を抜くごとく売上あげちゃう人は天才だと思うし、
ベンチャーにいきなり入ってうまく行っている方も天才だと思います。
ただ、ビジネスというものは武士がチョンマゲをこしらえ、騎士が紋章を崇めるごとく、
武士道や騎士道が重んじられる世界です。そういった積み重ねが信用となり、円滑な経済活動を許しているのです。
名刺交換が出来なかったり、メールの「お世話になっています」が書けない時点で、
就活生時代は全く気にも留めなかったのですが、今思えばそういう部分の軽視が
就活を苦戦させた一因なのかもしれません。。。菣
こんだけ国内にチャイナタウンとかあって、ユニクロが中国に進出していて、中国と組むことがないと本気でいっていたらすげーなと思うぞ。
そんな発言はブラフ。これまでどおり日米同盟強化でいいんじゃね?
よく考えろよ ふらふらしていて イザとなったら敵と組むかもしれない そんな国と 同盟組みたいか?
おれなら 多少雑に扱っても 裏切らない そういう国と 同盟を組みたい
雑に扱った分は どこかで 返すよ。
いつも 愛情100%は無理だからな。 雑に扱わなきゃいけない時は雑に扱う。そのかわりどこかで返す だから 信じて雑に扱われてくれ。
欧米人は、日本人に、「武士道」だのなんだのと、オリエンタルなものを、東洋の神秘(苦笑)みたいなものを求めるらしい。太平洋戦争などで命懸けで戦闘をしたり特攻をしたり(つまり自爆だ、自爆攻撃)した理由も、武士道だだのなんだのと言う。切腹だの自決だのという面がやたらと強調されている。
しかし、日本兵が命を捨てた理由は、武士道なんかではなくてむしろ、儒教なのだと思う。
例えば、「天皇は国家の家父長なのだから、天皇のために粉骨砕身、命を懸けるのは当然」という理屈が出てくる。また例えば、「男は妻子や父母・兄弟姉妹を護衛するものなのだから、戦場に赴いて命を懸けて戦うのも当然」という理屈が出てくる。
欧米人(とりわけ英国人など)が「武士道」だとか言うときには、騎士道が念頭にあるだろう。その騎士道というのは本質的には、主君と騎士の間の契約でできていて、個人の論理である。
それに対して儒教というのは、個人の論理ではなくて、家・血族の論理、個人ではなく全体の論理である。儒教の価値観というのは、時空を超越している。個人の観念も、現在の観念も超越する。個人の観念から跳躍したところに価値観があるから、個人を捨てて尽くすのも不可解ではない。過去現在未来という時間の壁も跳躍してしまうので、自分ひとりの人生どころか、何十年後でも何万年後でも先の発想をする。(儒教というのはそもそも例えば、先祖から子孫の血族代々を通じることで不老不死になる(永遠の命を得る)という発想だ。)おそらく、国歌の「千代に八千代に」のような時間感覚もその発想から来ているのだろう。
実際には、国家や社会というのは、個人の集積でできている団体だ。家というのも、家族ひとりひとりの集積でできている。だから、全体のために個を捨てろというのを強調して偏向すると、結果的に全体も破綻する。自滅だ。
ただ、現行憲法ができるまでは、日本国の主権者は天皇だった。民主主義国では主権者国民であり国は国民で構成される団体なのだが、国民主権でなく天皇主権だった当時の日本では、極端に言えば、国民はコマ、鉄砲玉だということにまでなりかねない。だから実際に、多くの人が命を懸けて、そして、死んだ。我々は、同じ国家の家族を、仲間を、死なせた、殺した。
オレの個人的な意見を書かせてもらうと
「金銭の授受がよろしくない」のは「ヘルパーとして仕事を続けてゆく」上で支障が発生するからに他ならない。
つまり「仕事を度外視して考えるなら」金銭の授受は法律の許す限り自由だと考える。
勤務上の規律はこの際無視してよいと思われる。
親戚が現れるであろうとか、どんどん我侭になっていくとか、実は財産など一銭もないとか
そういう問題が発生する可能性はあるが、元増田には失うものが少なくチャンスに賭けるべきだから程度のリスクは仕方がない。
むしろ、生きていく上での方針というかポリシーみたいなものが問題となると思う。
「人に頼って生きるべきではない」といった武士道的な矜持があるのであれば、
分不相応な相続はそれを折ることになる。
最近暇なので、ブックオフとかで安く買えそうな所謂古典的名著?的なものを
色々読んでみようかと思った。
なんとなく興味が湧いたやつをピックアップしていった。
適当につらつら書くので、参考にするなりツッコミを入れるなり好きにしてくれ。
あと他にもこれ読んでおけみたいなのがあったら教えて欲しい。
正直ありきたりのラインナップで面白みが無いと言うことは先に言っておく。
一部、古典でも名著でも何でも無いやつが混じっているが、
これはまあ適当にAmazon眺めてたら目に入って気にはなっていたので追加した。
それを買ってみようかなと思う。
全部読み終わるのにどれくらいかかるだろうなー
これらを持ち出し同等に扱う意味が不明。
それらが堕ちる、と言う意味になるのも不明。
堕ちたら処女を刺殺す、これはまだ100歩譲って筋が通ろう。
だが堕ちたら武士道をあみだすは不明。それらは堕ちないために、というのであればまだわかる。
だが、あなたの主張は誰でも何をしても堕ちる、ということだから武士道だろうが天皇だろうが宗教だろうが扱っても仕方なかろう。
0点。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130814/bbl1308140728003-n1.htm
「たとえばあなたが同じ2年生エースだったらどうですか? 3年生の思いを背負っている。ずっと目標にしてきた甲子園のマウンドに立っていて、またここに来られるかもわからない。それが決勝だったら? 春夏合わせて4000校ある内の4校しか立てないわけです。おそらく一生に一度でしょう。監督に投げたいと言いませんか」
──高校生の立場なら、投げさせてくださいと言うと思います。それでも…
「あの子たちには『いま』しかないんです。それを高いところから、冷静な判断で取り上げることは、私は高校野球の指導者じゃないと思います。止めたことで彼らに一生の悔いが残るかもしれない。もちろん2、3回戦なら投げさせません。でも決勝になれば、私は投げたいという本人の意思を尊重してやりたい」
──安楽君は米国からも注目された。球数制限のルールや、もっと余裕のある日程なら体への負担も軽減されるのでは
「球数の問題はプロでもよくいいますね。でもそれは日本の伝統ある高校野球にはそぐわない。肉体の限界を精神力で乗り越える。武士道精神のような厳しさもまた高校野球だと思います」
花巻東・佐々木監督の信念と後悔「済美・安楽君は大谷よりも上」
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130816/bbl1308161603007-n1.htm
「大谷が1年時には絶対に登板させませんでした。当時は骨が大きく成長する時期だったので野手として下半身を作ることに専念させました。秋の東北大会でセンバツの出場が懸かった試合で負けたときは『なぜ大谷を投げさせない』と批判も受けましたが、あいつは野球で飯が食えると思っていたので、迷わなかった」と佐々木監督。大谷の将来を考え、目の前の勝利にもこだわらなかった。
佐々木監督は選手の健康を第一に考えて起用することを心がけているものの、実際には、迷いや後悔の念が生まれることがあるという。大谷を大事に育てたのは良かったが、結局、最後に甲子園に連れて行くことができなかったことは痛恨だったという。
「安楽君は2年であれだけの速球が投げられて、勝ち方も知っている。正直、当時の大谷よりも上だと思います。私は大谷を勝てる投手にしてやれなかった」
お前の論法が雑だねって言ってるだけだよ。
「江戸時代の武士=現代の公務員」という比定の妥当性は認めるがおまえの論法が気に食わない、
ということなら事足りているのでこれ以上の言葉は費やさないけど。
おまえの論法も気に食わないし「江戸時代の武士=現代の公務員」という比定の妥当性も認めない、
ということでも面倒なのでそれでいいです。
うん、ありだよな。
別にそのレベルの与太話をしたいならそれを咎める気はねーのよ。
何度もそう書いてんじゃん。
俺はどっちでも困らねーもん。
ただ元増田君がやり始めたのはね、
「武士道なんてものを○○に当てはめることの不適切さ」っていう話だから。
むしろ武士と現代人の条件に細かく差異を発見して(発見するまでも無く差異だらけなんだけどな、馬鹿以外が探せば)
「こんなに違うんだから現代で武士道なんて唱えるな」っていわないといけない立場よ。
武士を部分的な共通点で持って公務員やらサラリーマンやらに比定するような大雑把な論法をするなら
はあ?
定義なんかお前が考えなよ。
お前の論法が雑だねって言ってるだけだよ。
そんなアホみたいな雑さでいいなら
例えば禄なんかサラリーマンももらってるので
なんで公務員に限定するのかすらよくわかんねえ。
>江戸時代以降、武士道っていうのは既に武士以外の階級にもある程度知られてて
>部分的に好ましく受け止められたり内面化されたりもしてたわけ。これに限らないよ。
「従って武士道を武士階級限定の道徳とするお前の前提はおかしい」
って書いたんだけど。
>意味がわかりません。
ええと、既にやってると思うけど、とりあえず「武士道」でググってみたら?
お前の主張はいちいち論拠を欠いていますね、って言ってるんだよ。
google先生に聞いたってお前の穴だらけの主張の論拠なんか教えてくれませんよ。
論拠があるならさっさと書こう。
まあそんなもん無いから逃げ腰なんだろうけどよ。
さらに言えばさあ
お前が繰り返してる
「武士道は公務員用道徳なので生活保護需給者に押し付けるのは間違ってる!」っていう馬鹿論法は
逆に言えば「公務員には武士道を押し付けてよろしい」ってことだよなあ。
なわけないよな。
つまりー
物を知らない奴は武士道どうこう語らなくていいし
「生活保護受給者に優しくしよう」って言いたいならストレートにそれだけ言えばいいの。
馬鹿の癖して無理すんな。
うん、だから雑な議論でいいんだね?
江戸時代の武士の職分が現代の公務員のそれと被っているのは事実なんだからさ。
「食わねど」「食えない」という文字を無視して頑張るのはやめなよ。
江戸時代以降、武士道っていうのは既に武士以外の階級にもある程度知られてて
部分的に好ましく受け止められたり内面化されたりもしてたわけ。これに限らないよ。
ああ、軍事や社会問題に武士道を適用したがる人は、本物の武士ではなく、単なる武士道好きの庶民だって言いたいわけですね。
それには同意しますよ。っていうか、そういうことを延々と論じてきているわけだし。
お前がそういう方向の話をしてるんだよ。
え、どこでどこで?
意味がわかりません。
馬鹿です、と開き直られても困るんだけど。
ええと、既にやってると思うけど、とりあえず「武士道」でググってみたら?