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2019-10-23

anond:20191020103651

ルイス・フロイス基準は恐らく出身国ポルトガルで、当時のイベリア半島は同じカトリック教国のヴェネツィアあたりから見て割とドン引きするくらい狂信的厳格だったらしい、ということは知っておいても損はないと思う。

そしてフロイスの属した修道会であるイエズス会というのがその厳格化(「対抗宗教改革」を調べよう)の尖兵であったことも、ね。

ヨーロッパ一口一般化できるほどヨーロッパって一様ではないよね。今も昔も。

2019-10-20

anond:20191020230626

ルイス・フロイス批判をしてはいけないって決まりがあるわけでもないし文章それ自体への批判別に良いでしょ

こんなにも違う! 日本ヨーロッパにおける女性文化比較

こちらでは妻が夫の許可なくして家庭外へ出ることはあまりない。あちらの女性は夫に報せることなく好きなところに行く自由を持っている。


こちらの国の未婚女性は何より処女性と純潔が重視されるが、あちらの国では処女純潔も重んじない。非処女であろうが名誉さえ失っていなければ結婚できる。


こちらでは普通女性食事を作る。あちらでは男性が主に料理する。


こちらでは女性が酒を飲むことははしたないことと考えられている。あちらでは女性飲酒はごく普通で、イベントごとではたびたび深酒する。


こちらでは財産夫婦共有のものである。あちらの国では夫婦それぞれが自分のぶんを持っている。時には妻が夫に高利で貸し付ける。


こちらでは、離婚することは罪悪であるうえ、特に妻にとっては最大の不名誉でもある。あちらでは自由に何回でも離婚できる。妻がそのことで名誉を失うことはないし、いつでも再婚できる。


こちらでは夫が妻を離縁するのが普通。あちらではしばしば妻が夫に三行半を叩きつける。


こちらでは娘を結婚まで閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、ときに厳格に行われる。あちらの娘たちは親にことわりもしないで何日でも一人で好きなところにでかけることができる。


私たちの国では女性はあまり読み書きしないのがふつうである。彼らの高貴な女性は読み書きに不自由するのは恥ずべきことだと考えている。




――ルイス・フロイスヨーロッパ文化日本文化岩波文庫より

2018-10-17

聚楽第歴史改変

オタク戯言です。

刀剣乱舞イベントおめでとうございますー!楽しみです!

聚楽第なら秀次生存ルートかなと嬉しくて舞い上がっていたらフォロワーさんに破却されていない聚楽第という情報だけで秀次天下と捉えるのが分からないと言われたので、徒然なるままに三分を書かせてもらいました。

分かりやすさは放棄しておりますのでお許しください。また、あくま妄想ですので批判等はお控えください。


1.聚楽第とは

聚楽第とは豊臣秀吉天正15年(1587年)9月京都にて完成させた建物であり、文禄4年(1595年)7月秀吉自らの手で破却させている建物である。その期間四年余。その為、建物自体現在に残ってはいないが、聚楽第図(広島市中央図書館所蔵蔵浅野文庫諸国古城図』)を始めとする絵図や京洛の社寺などには移築したと伝わる建物などが存在する。

元より聚楽第という名は楽しみをあつむるやしきと言う意味であり、宣教師ルイス・フロイス聚楽快楽歓喜の集まり意味すると記している。見た目も絢爛豪華で…と語っており派手好きな家康の片鱗を垣間見ることができるだろう。見目を伺うために伝わっている平面絵図がいくつか存在する。例を下記に連ねる。

浅野文庫

尊経閣文庫

三井文庫

国立国会図書館文庫

桜井成広所蔵本

聚楽教育会所蔵

三井家所蔵「聚楽第図屏風」

堺市博物館所蔵「聚楽行幸図屏風」

三井文庫所蔵「豊公築所聚楽城之図」

①〜⑤は周囲の大名屋敷名称バラツキはあれども構造が似通っているものである。⑥は後世の天保14年になり名倉希言が作成明治17年に書写されたものになる。⑦〜⑧は景観を描いた屏風になる。それぞれの内容や絢爛さなどは自らの目でお確かめください。そんな聚楽第の意義とは一体何だったのだろうか。桜井成広氏の『豊臣秀吉居城』及び中井均氏の『聚楽第』にて述べられている①京都に於ける政庁役割であったと考える。しかし、秀吉政治に関して大阪城聚楽邸を行き来していたことがある。中井均氏はこれを聚楽第公家としての居城であり、大阪城武家としての居城であると書いている。

聚楽第が破却になったのは文禄四年の秀次滅亡後の秀吉による破壊である

秀次の死は切腹であったが、それは秀吉によるものである秀次秀吉に謀反を企てているとあらぬ疑いをかけられ、関白の座を追われて高野山追放高野山人質切腹を迫られたためせざる得なかったのである。これは秀頼誕生後に相続問題から疎遠になり秀吉との仲が冷却されたとともに目立つようになった不謹慎な性行なども関係していると考えられるだろう。更に秀吉親族切腹まで命じており、元より秀頼を溺愛していた秀吉秀次の謀反に対しての怒りを感じる。そして、秀吉は譲った聚楽第を破却。縄張り意識を中心に考えると、歴史から秀次を完全に消し去ろうとしたといえる。

2.天正15年(1587年)9月〜文禄4年(1595年)7月迄に起こった歴史重要

今回のイベント於いて歴史修正されたのは豊臣秀次生存であり、ひいては豊臣政権の存続だと考える。

まずこの4年間に起こった大きな歴史的要項を挙げよう。大きな出来事のみの抜粋は天下が歴史修正に置いて影響すべきところを考えたためである

朝鮮出兵

豊臣秀次切腹事件

それでは順に述べていこう。

朝鮮出兵

朝鮮出兵聚楽第存在時にあった秀吉が行った大きな出来事である大陸領土拡大を目指し、進行したものであるが敢え無く敗北している。歴史改変をする事が出来る場所とも考えられますが、否定として「歴史改変された聚楽第」と本家PVで言われていることをあげる。この“された”と言う言葉には「何かしらの作用や影響を受けているさま(weblio)」であり、この場合、影響をうけているのは聚楽第であり、朝鮮出兵は直接関係がないのでこの案は没になる。

(飛ばしてくれても構いません。閑話休題に余談ですが、憶測に過ぎないものであり、またステ本丸出来事のためあくま私的妄想範囲を出ない考察ですが、舞台刀剣乱舞において歴史修正主義者が関わる場面は必ず天下が関わってる気がします。それは、歴史修正主義者は人の強い思いと呼応して呼ばれている(と個人的に考えている)ので、朝鮮出兵関係ないと思います歴史修正主義者も刀も人の思いに応え現れてくれる。代わりに見る人によって善悪が変わる世界です。聚楽第において正史側の審神者と刀は歴史修正主義者になってしまう…。つらい。話を戻しましょう。)

秀次切腹事件がなかった世界。用に謀反の疑いがかけられなかった世界理由としては前項で述べた聚楽第歴史改変を受けていると言うところが大きい。まず聚楽第存在したのは4年間であり、大きな出来事といえば

1587年 京都聚楽第完成

1592年 秀次聚楽第を与える

1595年 秀次切腹と共に破却

しかない。その為、聚楽第が直接影響を受ける可能性があるのは1595年と考えたい。また、聚楽第が影響の象徴となるならば存在がある事が歴史改変であるとも言える。

この事から聚楽第存在するには秀次生存必要であり、切腹事件が起こらない過去改変が行われていると考えられる。

2018-06-23

anond:20180621231745

戦国時代日本へやってきたルイス・フロイス日本人は卑屈なあいさつをするってレポートしてるしな

悪いところ

2013-09-10

個人的に読んでおきたいと思う名著的なものリスト

最近暇なので、ブックオフとかで安く買えそうな所謂古典的名著?的なもの

色々読んでみようかと思った。

んで、「名著」とか「ロングセラー」とかで適当に調べて

なんとなく興味が湧いたやつをピックアップしていった。

適当につらつら書くので、参考にするなりツッコミを入れるなり好きにしてくれ。

あと他にもこれ読んでおけみたいなのがあったら教えて欲しい。

正直ありきたりのラインナップで面白みが無いと言うことは先に言っておく。

学術的?なやつ

一部、古典でも名著でも何でも無いやつが混じっているが、

これはまあ適当Amazon眺めてたら目に入って気にはなっていたので追加した。

「なんちゃら論」的なのは多分挫折しそうだから省いた。

日本小説

そういえば、時代小説とか全然読んだことないなー、と思って

食わず嫌いもあれなのでリストアップしてみた。

あと後半は青空文庫で読めるから金がかからなくてよかった。

外国小説

光文社古典新訳文庫で読みやすい新訳が結構出てるので

それを買ってみようかなと思う。

全部読み終わるのにどれくらいかかるだろうなー

まあ別に義務でもないし期限もないのでのんびり読もうかと思う。

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081119134153

社会形態によって貞操観念は変化するというのは歴史が証明しております。

ヨーロッパの未婚女性の最高の栄誉は純潔な処女性である。しかし日本女性処女性を重んじない。結婚も自由にできる。ヨーロッパでは娘や処女を家の中に大事に閉じ込めておくが、日本の娘たちは親にも告げずに、好きな所に一日でも数日でも出かけている。ヨーロッパでは、結婚した女性は夫の許可なしには外出しない。しかし、日本女性は自由にどこへでも出かけている。」

ルイス・フロイス

2007-07-06

anond:20070706151650

戦国時代は「ふしだらな生き方」の方が標準だったけど何か?

昭和生まれのえせ保守は「ええっ日本全体がゆとりの魔の手に襲われていたのか」と思うかもしれないけど、

「ふしだらな生き方」を発明したのは現代の若者ではないし、過去にはヤリ○ンのヤの字もない頃から「ふしだらな生き方」の方が標準だった。

ルイス・フロイスの手記を持ってる人は『ヨーロッパ文化と日本文化』を読み返してみては。

きっと、戦国時代の「ふしだらな生き方」の実態のような観察(時に奇妙なものもあるかもしれない)が残っているかも。

※欲望を制御する生き方が良しとされるのは、欲望を制御しない場合の社会コストが高い場合だけで、たとえば現在飽食というのは、倫理的な意味で真剣に問題にされることはないよね。

ギデンズなんか「近代の自由恋愛の発展は避妊技術の発達が大きな要因だ」というようなことをいっていたような気がする。

 
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