はてなキーワード: ヘンデルとは
ひとり思い出した! アーン。あの Rule Britannia の作曲家。フルネームはトマス・オーガスティン・アーン(Thomas Augustine Arne)
僕は彼のトリオ・ソナタが結構好きでCDのセットを持ってます。ヘンデルのトリオ・ソナタと共通する落ち着いた趣を感じます。あの時代のイギリス室内楽の傾向なのかな。
ヘンデルの同時代人でも、そこそこ活躍した作曲家たちはいるんだけどね。サンマルティーニ、ヴァルサンティ、レイエ、ハーシェル、、、 あれ? 全部イギリスに住んでた外国人だわい、、、
イギリス音楽はビートルズやローリング・ストーンズ辺りから知名度を上げた「UKロック」で、今なお大きな存在感を示している。
そんなイギリス音楽はルネサンスくらいから、一時代を築いた作曲家が何人もいる。
しかしながらこのイギリス音楽は実のところ、バロック時代に絶大な評価を勝ち得たパーセルから近代のエルガーまでの数百年間、国際的に有名になった作曲家が一人もいないのだ!
まあクラシック音楽でも古典派ロマン派はドイツ系が圧倒している感が強いっちゃ強いのだが、それでもイタリアのロッシーニからドニゼッティにヴェルディやプッチーニ、フランスならベルリオーズやサン・サーンスなどの巨匠がいる。
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
ナポレオンきたー!
か、かっこいいやん、、そしてまさかのコロナを逆手に取ってオケピ使って演出してくるとは
ベートーヴェン「タッタッタタッタタ」
「タッタッタタッタタ!」
こんなリズムあったっけ。
モーツァルトさんベートーヴェン君のこと覚えててくれてありがとう。
これは、自筆なのかな。
あ、これ一時期待ち受けに使ってたやつと多分同じ。やっぱ自筆だ。
あ、この3人ひとりひとりがfで、3人でfffてこと?
うむ。
ベートーヴェン「くらいよるーにめざめてー」
真彩さんどっかにきた!
お、史上初めてfffが使われたのは交響曲第7番だけどそこはやはり変えますね(さらにすぐ手に取れる手元のスコア2種を見る限り第九にfffは無い)。もっともっとじゃないのか。
?
ヘンデル「そうだ、この雲を、耳に入れるんだー!」
主要人物顔見せ(謎の女は声のみ)と、時代状況、難聴の原因の提示。
交響曲第3番もかっこいい(実在のベートーヴェンがすごいだけ。いやアレンジもかっこよかった)、よく動くセリと盆もかっこいい、ナポレオン軍・市民・楽団員の群舞もかっこいい。ナポレオン軍の衣装もかっこいい。ベートーヴェン、ナポレオン、ゲーテの登場もかっこいい。
https://kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2021/fortississimo/index.html
人並み以上にはクラシック音楽をやってた増田が、さらに結構気合を入れて改めて学習・整理して臨み、観劇した時に脳内で埋めた行間など記録。
公演開始後は一切情報を入れず(開始前も稽古場レポートは見ないようにした)、プログラムも買っていないので、場面のタイトル等の情報は記事を書くにあたりネットから拾った(ルサンク電子版だけ買っている。物理本は原則買わない主義。ルサンク以外も電子化希望)。場面の切れ目は感想の切れ目。起こしたセリフの文字遣いも脚本と違うだろう。
※ひょんなことからプログラムと紙版ルサンクが手元に。チラ見してそれぞれなるほどと思うことは多いが、今のところその内容には触れない方向でいく。ルサンクで脚本をしっかり見たの初めてだけど、面白いなあ。
(1808)
ケルビム「おつかれーさまー、じーんせーい」
これは、、タカラヅカ!しびれる
モーツァルト死去1791(35歳、ベートーヴェンの14歳上)
バッハ死去1750、ヘンデル(バッハと同い年)死去1759、テレマン(ヘンデルの4歳上)死去1767。ヘンデル30年以上、テレマンも20年以上審査待ち。
!
1793処刑
モーツァルトが亡くなる2年前にフランス革命。モーツァルトが6歳の頃アントワネット(モーツァルトの1歳上)にプロポーズしているエピソードを思い出して微笑ましいことこの上なし。そしてアントワネットは天国に行けるんだな。
資本主義…
智天使ケルブ「奢るな人間よ、ひとりの短い人生で決着のつく問題ではない。お前たちの後継者が、受け継いだ音楽をどうするか。神のお与えになった美しい音、その連なり、それを人間が何のために使うのか、最後まで見届けてから全員で連帯して裁かれるのだ」
大事な箇所なのでたくさん。
ケルブが話すときにBGMがチェンバロのバッハっぽい音楽に変わって清々しい。
偉人オンパレードすぎて大きく出たなと。市民社会創成期の芸術、自由主義という大きなテーマを持ってくるなと思っていた。(トップ娘役が謎の女であることはまだ謎。)
事前に配役を見たときに、音楽史やベートーヴェン(古典派〜ロマン派)との絡みという意味でも、
のエントリーは納得。古典派ハイドンはまだ生きているし(1809死去)。問題は、バロックからのもう1人のエントリーが、なぜバッハではなくテレマンなのかだった(しかも若手路線男役)。答えは、尊敬とか影響受けたとかじゃなかった。
しかしバッハは役としてはなくても、やっぱり名前は登場するよね!
そういえばテレマンが一番歳上(死んだ年齢も)なのに、なぜ縣さんだったんだろう。背の順?一般的なネームバリュー?
彼らももちろん配役にあり、しかも専科の重鎮。どのように絡んでくるのか、第九の歌詞に出てくるし、第九でも歌うんかな歌うまい子もいるし、と思っていた。ちがった。ケルブ様おこだった。
第九の歌詞「智天使ケルビムは神の前に立つ」。なおこの前にトートさまがいる「死の試練を受けた友」。どちらも予習時にスコア見ててたまたま見つけた。昔ドイツ語詞の下に英単語書いたりして学んでいた模様。
芸術史・音楽史の流れ、芸術という概念自体が最近のものであること。それ以前は芸術家は例えば大工と同じような職人という扱いであったこと。"art" は芸術ではなく技術を指していた。"fine art"になって芸術が誕生。アーティストではなく、アルチザンだった。
このあたりは美学史や風景画の講義で叩き込まれてきた。高校生の時に読んだ渡辺裕『聴衆の誕生』も。確か高校の国語の教科書に載ってた阿部謹也氏の文章もかな(ぐぐっても何だったかわからなかった)。暗い中椅子に座って静かーに聴くクラシックコンサートの今当たり前の風景は、ベートーヴェンよりも後、ワーグナーが始めたもの。
今回テレマンが引っかかって新たに電子書籍で購入して関係しそうな箇所だけさくっと読んでた片山杜秀『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』も役に立った。
ピースがはまって大変に納得感のある第1場。
フランス革命が起こった年、ベートーヴェンは19歳(ナポレオン20歳、ゲーテ 40歳)。神から王侯貴族のものになった音楽を、彼はどうするのか(それはそのまま現在まで続いている)。それは如何にして起こったか。ケルブ様のご機嫌はなおるのか、テレマン・ヘンデル・モーツァルトは天国へ行けるのか。
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
たぶん言葉が生まれるより前から人類は歌ってたと思うんだけど、
それなのに音楽史の説明がだいたい17世紀から始まるのはどうしてだろう。
いやもちろん音楽自体は連綿と続いてきているんだろうけど、古代や中世のことはほとんど語られないよな。
その当時の代表作がいまでも知られていたりするよな。
でも、音楽でそういう「古典」の位置にいるのはバッハやヘンデルで、彼らは17世紀に生まれた人物だ。
バッハなんて、あんな貫禄のある顔をしておいて、松尾芭蕉や近松門左衛門より年下なんだぜ。
なんで音楽だけこんなに新しいんだろ?
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
何がどうデタラメなのか書けばいいのに。これだからクソオタクは。
おすすめの作曲家は推薦する人にも推薦される人にもよるので、元のツイートから変えずに年代の修正だけしてみた。年代は増田の指摘が正しいものとして裏はとってない。下表の年代について、たとえば1800年代は3段で書いているが上段が前半、中段が中盤、下段が後半を示す。登場順と表記名は増田に合わせた(とはいえ国内で一般的でない現地読み的な表記は検索時に初心者を困らすだけだと思うが)。ワーグナーは前期後期があるとか、リストはハンガリー人だがドイツ・オーストリア音楽とか初心者には余計な情報は割愛。
年代 | ドイツ オーストリア イタリア | フランス スペイン | チェコ ハンガリー他東欧 | ロシア | イギリス | 米 |
---|---|---|---|---|---|---|
1600 | ||||||
1700 | バッハ、ヘンデル モーツァルト | |||||
1800 | シューベルト、ベートーヴェン ワーグナー、ヴェルディ、リスト、ヨハン・シュトラウス ブラームス | ビゼー サン=サーンス | ショパン スメタナ、ドヴォジャーク | ムソルグスキー、チーコフスキー | ||
1900 | マーラー | ドビュッシー、ラヴェル | ラフマニノフ ハチャトリアン ストラビンスキー | エルガー、ホルスト | ガーシュイン |
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↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。