はてなキーワード: バイヤーとは
ところで今週はロト7で1万円当たったんだ
これをどうする?
全部ロト7につっこむのが正解だ
実に正しいだろう
皆も参考にしてくれ
id:mouseion 毎年宝くじで10口買ってるけど300円しか当たった事ない。東大生曰く、あれは元々当たらないように出来てて、赤字補填するために宝くじを利用してるんだってさ。
http://www.takarakuji-official.jp/educate/about/proceeds/この数字は宝くじバイヤーとしては基本だから押さえとくといいぞ。その東大生はしばいとこう
id:ad2217 親に寄生してるなら、かあちゃんに一万円渡すのが一番効率のいい投資。
寄生しとらんわい
id:ore_de_work 働かずに済むほど稼げる確率は宝くじよりもっと高い
いや低い
id:sds-page 株は最低100万から始めるべき 増田 株 ネタ
id:sainokami 宝くじは貧者の税金。猫の話を真に受けるのはちょっとな。その時の地合とかあるし。
id:hungchang http://labaq.com/archives/51776550.html 増田
信託なんてできねえな
id:SndOp あぶく銭はやっぱり身につきませんな。
「全国1000超の自治体それぞれに、地方創生用のキラーコンテンツ(キラー農産品・特産品)を用意する」のは
「無理ゲー」じゃないか?
それぞれの自治体が「他の地域にない特産品」を用意すること自体は、大して難しくない。
そうじゃなく、
「全国の各自治体が1,000種の特産品を用意したところで、消費者サイドが記憶できる容量が、せいぜい100種程度だから、意味がない」のだ。
プロのバイヤーならともかく、一般消費者が「1000もの特産品」種類を記憶しきれる訳がない。
人間の記憶力は有限で、多分、その辺の消費者が記憶してる農産物の種類なんて100種類程度だろう。
「一つ新たな品種を記憶したら、多分以前記憶した別の品種のことを忘れてる」、それが普通の人間の脳
そもそも、「全国1000超の地方自治体の名前を知ってる」なんて人は地理マニア程度で、一般人ではほとんどいない。
だから、各自治体が1種類、つまり合計1000種のキラーコンテンツを用意したところで、覚えてもらえるのはその中の1割だけ
ランキングに入った食材やコンテンツは、ますますアクセス・クリックが殺到する。
「ベスト10入りか、惜しくも11位か」。この「たった1つの順位差」が、アクセス数に天と地の差をもたらす。
何故なら、「11位だとページが1ページ目に入れずに、2ページ目になったりする」から
つまり、キラーコンテンツも、結局勝ち馬現象で、上位10コンテンツしか生存できない。
「地域特産品で地域おこし」と言う発想 は、そういう発想する地域数が一桁から二桁ならなんとかうまくいく。
しかし全自治体がそういう発想したら、地域数が四桁になったとたんに破綻する
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
イオンの不誠実さも非難されるべきだろうけど、イオンの気持ちもわからなくもない。
なんでウチだけだ、というようなユッケ社長的な気分もあるだろう。
俺はちょいちょい中国方面に旅行に行くのが趣味なんだが、あちらの食い物など食って大丈夫か?との心配を頂くことがある。
確かに手放しで安全とは言いがたい。現地テレビ放送も、安全な野菜の選び方なんかを特集しており、現地人に危機意識もある。
しかし最低限のことに気をつけていれば、概ね問題ない。いや、問題ないかどうかは数十年経ってみなければわからないかもしれないが、現状特に健康被害はない。
あちらでは快餐というスタイルの、チョイスしたおかずぶっかけ飯を喰うことが多い。指差しだけでメニューを選べるので、外国人旅行者にも人気だ。
快餐屋は一食500円以上する店もあれば、20円以下の店もある。
件の20円以下の店は、そのイカレた安さから人気があるかというとそうではなく、汚い身なりの労働者がパラパラといるだけで、全く繁盛していない。店もボロく、匂いも臭い。
そんな店で何かを食いたいかというと、どんなに安くても御免な訳で、概ね200円ぐらいの店に入ることが多い。
お肉などは公設の市場があり、そちらをブラブラみて回るのも楽しい。
見たこともないケモノヘンの漢字の獣肉がところ狭しと売っている。貂なんて食えるのか、と感動することもある。
あちらでは、鳥肉は鶏よりも鴨の方が、比較的メジャーと思われる。
彼の鴨肉であるが、これまた一羽丸鳥で、千円近い品もあれば、百円以下の品もある。
件の百円以下の鴨が、これまた鳥だけに飛ぶように売れるかと言うと、無論そうではない。
モノには適正な価格があるということは、実際誰でも知っていることであり、現地の人間はもちろんのこと、ポッと出かけた旅行者ですら、小一時間も市場をブラつけば、概ね把握できる。
その中で極端に安いものがあれば、それを警戒するのは、ごくあたり前の心理である。
その警戒を、果たしてスーパーのバイヤーが、冷食工場仕入れ担当が、共有しているかというと、当然共有しているだろう。
本部の人間は安くしろと要求する。日本の経済の仕組みでは安くするのが正義だろうから。
彼の国では、安くしろというと、下限知らずにどこまでも安くなる。数十円の丸鶏があるお国だ。
大阪西成に俺の愛するスーパーマーケット、スーパー玉出という店がある。
こちらの惣菜が実に象徴的で、精肉コーナーに豚バラ肉が100グラム120円前後で売っているのに対し、デリカコーナーでは豚バラチャーシューが100グラム80円で売っている。
パートのおばちゃんが手間暇かけてコトコト煮込んだチャーシューが、生肉より値下がりするなどという、河原の積み石よりやりがいのない過酷な労働を、彼女らに強いている訳では無論ない。
それら加工食品は、その出自を明らかにする必要がないから、原材料費をどこまでも抑えられる。
そしてそれが今後どのような影響があるのか、それはわからない。
今後、米農家の補助金が削減されていく趨勢にあるとのことらしい。
これに関しては全く恐ろしいという気持ちにしかならないが、ウェブ上では、補助金ジャブジャブの農家は潰せとの声が高い。
実際厳しい競争の中で生きている、都市部の住人にとって、不公平感があるのも理解できる。
しかしながら、総じて先進国の農業で、全く保護を必要としない分野はどれほどあるものだろう。
無論、規制を緩和して、やる気のある農家や企業の参入を推し進めるのは良いことだろう。
農業大国と言われる国々、特にアメリカ、フランスでは、補助も厚い。
アメリカでの農業補助金は、大別して5種類。作付面積に対する補助金。市場価格による差額の補助金。ローン充当補助金。最低価格保証金。作物保険への政府充当金。などなど、日本の補助金など可愛らしいと思えるような補助金の幅の広さ。
その上先般のバイオエタノール原料買い付け保証などなど、挙げたらきりがないほど補助金ジャブジャブである。
特に市場価格ベースの補助金は、WTOからお叱りを受けかねない、輸出補助金に触れると見られており、今般のTTP交渉では果たしてどうなるかというところでもある。
この恐ろしい規模での補助金によって、折角の国連の援助を受け殖産された後進国の綿花、穀物畑などが、価格競争で打撃を受けて青色吐息だそうだ。
例えばコーンだと、その金額の八割以上が補助金に依っており、俺達が喰うケロッグコーンフロストは、アメリカ人の税金によって八割増量してもらっている。
そして当然アメリカであるからして、その全補助金額の七割以上が、上位数%の大規模農家によって独占されている。
まさにアメリカというお国柄らしい、ビッグになるほど保証も厚い、悪夢的アメリカンドリームの類の補助金だ。
方やおフランスでは、アメリカ同様、斯様な大農家向けの補助金も充実しており、これまたグレーな輸出補助金の類も、ジャブジャブ拠出しているのだが、反面、小規模農業のみならず漁業、加工業への保証もこれまた厚い。
例えば農地のその周辺環境、景観への配慮などを目的とする補助金。また産品の国定ブランド化とそれへの国際的な法的保護、輸出補助金など、小規模でも国際社会で十分戦えるような保証が充実している。
彼の国の優良な小規模一次、二次産業への保証は、単にその百姓の生活、土地の景観、田舎ワイナリー、漁港を守るという小さな目的ではなく、それに付随する食の安全と文化、外食産業、観光業、ひいては国のイメージという、より大きな対象への投資なのだろう。
翻って日本には、果たして保護に値する農業、食産業が無いだろうかというと、全く実に多い。
地方地方に奇妙な郷土料理や農法やらが、険隘な国土ならではの多様性に富んでおり、港町に行けば、寿司屋の生ゴミかと見まごう奇妙な鱠が出てきたり、山国に行けばタクアンのままで美味いのになんで燻製にしちゃったかなーという漬物が供せられる。
狭隘な土地に無理やり作った田畑や、それにまつわる行事や伝統産業ら、それら無数の多様性が重層的に折り重なり、文化というものが形成される。
食にやかましい中国人に、俺はベトナム料理が好きだと述べたところ、中国人は鼻で笑って「ベトナムに料理なんかねーよ。美味しい菜(惣菜)ならあるけどな」とのたまう。
林檎×アイコンの人が「食べて応援しよう」と言ったことに関して、「おせーよ」「てめーらが風評広げたんじゃ」と非難gogoな件。
でも部外者なんてそんなもんさ。3年経過する前に応援派になってくれたんだだけ良かったよ!では駄目なんかね?
人が少なくて、このまま福島はゴーストタウンになったりしちゃうのかな?
もしかしたら自分も福島から避難しろ!とか追い出されちゃうのかな?
家庭も仕事も震災対応で疲れてたせいか、悪い方面に考えが走って泣きながら帰宅したよ。
今でも言うヤツは言わせておけって構えてるけど、内心ドキドキすることもある。
消費者の意向っつー見えざる大きな意志には立ち向かえないし、バイヤーは「消費者様が脳内に語りかけてくる・・・!!!」っつって福島産避けるしね。
それまでの残留農薬事件とかで経験してるから、世間が忘れても購買量に影響が長引くのは知ってるし。
それでもさ、今まで同様かそれ以上に福島を贔屓にしてくれる人もいるんだよね。
そういう環境だと、今からでも応援してくれる人はとっても嬉しいわけ。
だからさ、責めないでよ。
せめて責めないでよ。
一人でも応援してくれる人を増やしてよ。
非難してる人は、遠回しに福島の的を増やしてるって気付いてよ。
頼むよ。
そりゃあ
始発で来場した方がスタッフも買い手も楽だよ?
参加者に1限ループ禁止とかの制限を課せば本が欲しい人に行き渡る可能性は増すよ?
で?
だからなに?
お前らが言ってるのは
「売り手は部数制限なく本刷ればテンバイヤーが減る」みたいなもんだ。
馬鹿か。
そういう買い専はコミケなんか参加しなけりゃいいだけ。
(いい本はコミケで買わなくたってショップがちゃんと委託確保してる)
大多数の徹夜組は
生涯のハイライトとして生きていくんだよ。
徹夜組には今しかない、というどっかのスタッフの言葉は完璧に正しい。
涼しく期間が長く有明も使えず夏休みからも外れて売り手も書い手も企業ブースも少なくしたコミケで
で、誰が得するのそれ?
改変疲れたのでここまで
大筋納得してもらえたみたいでよかったです。
「英語でのビジネス取引を仲介するサービス」への反論については俺はこんな風に考えてるよ。
ちなみにここまでくると完全に元増田の話題からは外れるし、しかも俺ココらへんは完全門外漢だからね。
俺がもしそういうサービスやるなら、あるいは発注するならこんな感じかなという感覚で書いてみただけなのでよろしく。
反論1) 日本の英語教育は何十年も前からあるのに今さら英語話者は増えんだろ
ビジネスニーズが高まれば増えると思うよ。これは門外漢の俺でも断言できる。ビジネスニーズが高まれば間違いないです。
「仲介バイヤー」って「英語でのビジネス取引を仲介するサービス提供者」のことだよね。長いから「英語代行」にしようか。
で、英語代行とて自分たちが食える値段で仕事を受ける。当り前の話だよ。
そのことと「Web制作はオーダーメイドだから安くできない」て、関係なくない?
誤解してるのかな?英語代行業者にWeb制作なんてやらせないよ。Webの知識あれば超ウレシイし追加料金払ってもいいくらいだけど餅は餅屋だよ。
これはね、日本人に出すと40万かかる仕事が、英語代行に1案件8万、中国制作会社に12万、合計20万で済むんじゃないかとか、そういう話を俺はしてる。
単発仕事なら1/10でも、案件まるごとの発注だからこのくらいになるかと。もしこれ以上になると海外アウトソースのメリットはなくなっちゃうね。
ただ最初は数十万レベルの案件で実績積んで互いの信頼関係構築してより大きな仕事を発注できるといいけど。
現地語ネイティブで日本語ペラペラなら最強だけどそういう人は強気の価格設定してくると思うよ。
いずれにしても前述のとおり代行にはしっかり金かけないと。ここは制作でコスト削減する分のリスクヘッジだから。
そこでカネかけてでも中国、東南アジアに仕事出すのはコスト的に有りかも・・・っていう話です。
英語代行ってググると今でも結構あるんだよね。今後市場拡大するのかどうか。
Web制作者としての狭い観測範囲の中ではニーズはあると思ってて、他のいろんな業種でもそうならビジネスとして成り立つよね。
単純な目線で見た「供給が増えると案件が減る理由」は分かった。それは市場の原理だと思うし、まぁ、納得も行く。ただ、「そして今後、英語話せる日本人がどんどん増えていくと、英語でのビジネス取引を仲介するサービスも一般的になる。」これだけは納得行かない。理由を述べる。
戦後、一貫して英語教育を続けたわけだ。中高と最低でも6年は学んでる。随分前から小学校でも学んでるかな。でも、一般レベルで”英語を話せる日本人”が増えない。今後、爆発的に増えることは考えにくいし、それならSiriみたいな音声翻訳機の向上が先だと思う。
今でも「英語が話せる日本人」はいるし、中国やインドに案件を発注しているだろ。でも、だからといってWeb制作費が1/10以下になっているだろうか?他業種みたいに海外に工場作るよりも、よっぽど手軽に出来るはずだ。「英語が話せるWebディレクター」みたいな奴が市場価格の1/10で仕事受ければ、クラウドソーシングなんて目じゃない。でも、そうなっていないよね?一部ではなっているかもしれないけど、食品とか服みたいに一般人が気軽に発注出来るレベルにはなっていないと思う。なぜか。「バイヤーは日本に住んでいるから」なんだよ。日本に住んで日本で生活する以上、1/10以下の売上で生活できないんだ。
食品や服みたいに大量生産・大量販売が出来ればバイヤーの取り分も減らせるだろう。でも、Web制作みたいにオーダーメイドは無理だ。写真の切り抜きやテンプレ作成みたいな、ある種の「答えが決まっている」ものなら出来るだろうが、それとて大量発注・大量生産にはならないだろ。需要と供給のバランス的に。現在のWeb制作で「30~40万の仕事」がどのくらいのもんかは案件ごとに異なるだろうが、オリジナル性を求められるゆえ、少なくとも海外の人材を使って人海戦術的に出来る仕事ではない。
例えば、中国やインドに住む、日本語が話せる外人を使えば、俺の言う(2)は解決できると思うだろう。だが、考えてみて欲しい。日本語が話せる中国人やインド人が、彼らの母国の一般層と同じ給料で満足するだろうか?日本語は英語より難しいとされる言語だ。習得するのも大変だったはず。彼らが日本語を話せるようになったのは、スキルアップするためであり、より多くの報酬を得るためだ。日本に留学して就職しようとする人はいても、母国の生活レベルで満足しながら、Web制作を行うという人はいないと思う。
以上の3点から、俺の意見では「クラウドソーシングで解決できるような小さな案件なら、供給過多で価格競争にもなるだろうな。でも、30~40万の仕事がその価格競争に巻き込まれて、大幅に単価が下がったり、供給過多になることは無いんじゃないか」と、主張する。
http://anond.hatelabo.jp/20130327222045
内容は大概同意だけど、うちの場合はAmazonが月800~1,000万、楽天は800万前後って感じだなぁ、ちなみに自社サイトは3000万くらい。
AmazonはFBAにすると売れ方が全然違うが、独自の在庫管理システムとか、複数のモール店舗を一括で管理するシステム入れてるショップはFBAはやりずらいんだよね。
※FBAってのマケプレ商品をAmazonに納品して、売れたらAmazonの倉庫から発送されるやつね、これだとプライムの対象になる。
客層の違いなんだろうけど、Amazonでスゲー売れるけど楽天はさっぱりってのが結構有る、その逆も有るんだけど、その場合は大抵Amazonが最安なんでマケプレでは勝負になんない場合が多い感じかな。
俺も細々と手数料を抜いていく楽天よりもAmazonの方が手数料は確かに高いけど分かりやすくて好きだけどね。
ただ、Amazonの手数料に関してはFBA使用する事で結構変わったりする、FBAの発送手数料は梱包代、人件費、運送費で考えるとかなりお得になる。
コストのみを考えると、自社の発送部門の人間全員クビにしてAmaoznのFBAのみにした方が良いんじゃないかと思うくらいですよ。
ただ、Amaoznはよく売れる商品に関してはAmaozn自体が取り扱いを開始する場合があるんで、それが怖い。あいつら本気出すとあり得ない価格でやりだすんで超怖い。
本当かどうかは知らないけど、他の業者に聞いた話だと商品の値付担当は仕入額の確認は出来なくて、あくまで売れる額でやれって言われてるらしい。
バイヤーに対しても、そういった値付けを前提とした価格で仕入れをしろってプレッシャーにもなるって事だそうで。
(まぁ、メーカー系の商品は補填とかリベートとか有るんだろうけども)
本当、どの仕入先よりもAmazonが一番安い時とかあるもんな。
ちなみに手数料に関しては以前税務調査が入った時は、うちは田舎にあるんで税務署員がネット通販メインの会社に関して経験が少なく、説明しても頭を抱えてたのが面白かった。
Amazonに関しては注文1件につき、手数料はコレだけって金額が出てくるんで分かりやすいんだけど、楽天はそもそもの手数料がクソわかりづらい上に、送り状を発行するためCSVデータのダウンロードが注文1件につき何円とか、アフィ経由の手数料が取られてるが、どの注文に対しての物なのかは不明とか細々抜かれる手数料を一通り説明したら暫く沈黙した後に、「これ(楽天)に関しては、そのままで良いです」ってほぼスルーだったよ。
「制作者だけがコップの中」というのは、そうだと僕も思っています。プロフェッショナルの意識はあるけれども、コップの中で「クオリティー」とか「広告のグローバルスタンダード」とか言って、その意識がマーケティングとも社会ともリンクしていない。そんな彼らを"古典芸能作家"と僕は呼んでいるんですけど、そういう時代は恐らく15年前にもう終ってしまったと思っています。営業やマーケティングも、「制作とういうのは結局、わけ分かんないから」とあきらめている。長い間、広告クリエーターは表現至上主義でやってきましたが、やはりそれを一回忘れないと、2000年以降はやっていけないだろうと思っています。広告をつくる環境が大きく変わってきた根本には流通の台頭があります。コンビニエンスストアは全国で4万店に近づこうとしています。セブン・イレブンだけで七千七百店以上、ローソンも七千店を超えています。
例えば、毎年二月に飲料の新商品はほとんど出るわけですが、メーカーは、こういう商品をつくりたいとコンビニエンスストアのバイヤーのところに持っていって、そこで「面白いね」と言われない限り、商品開発ができないというところまで来ているといいます。以前、我々がある飲料メーカーに「そのネーミングもパッケージもまずいので、こういうふうに変えませんか?」と提案したことがありましたが、「社長の決裁を取っているから変えられない」ということで通らなかったことがありました。でも、今は、コンビニエンスストアのバイヤーが「それでは人々はつかめない」と言うと、ネーミングもパッケージも変わってしまう。もうそういう時代なんですね。ある意味では、メーカーの社長よりもコンビニエンスストアのバイヤーの方が強い時代になってきたということです。
また、コンビニエンスストアのようなところでは、棚落ちという問題があります。"週販"と言って、一週間に平均店舗で一定の本数以上売れないと棚落ちする。限られた面積に商品を置くとなると、売れる商品が中心になる。新商品でも売れないとなると、一か月以内に棚落ちになります。棚からなくなると、その商品のコマーシャルは完成していてもオンエアされない。僕もそういう目に遭いました。春編と夏編をつくっていたのですが、棚落ちして夏編はオンエア中止です。
だから、「流通が強くなり過ぎたから、いい広告ができなくなった」という人たちがたくさんいるんですね。僕が「古典芸能作家」と言うのはそういう人たちです。モノを売る場が強過ぎるとか弱過ぎるといった話にはまったく意味はありません。厳しい流通の現場で人がその商品を手にするための有効なコミュニケーションは何かを考えなければ、変化した市場に対する広告表現は提示していけません。
一昨年のカンヌの広告祭で日本が一作も賞を取れなかったことで、クリエーターの間でも議論があったそうですが……。
広告は当然、モノが売れたことが評価の大きな基準であるべきなのに、クリエーターの世界ではモノが売れなくても広告が評価されるという変なところがあります。カンヌは確かに話題にもなり、クリエーターの間でも議論がありましたが、「別にカンヌで賞を取る必要ない。我々のマーケットである日本でちゃんと棚落ちしない、商品に対してサポートできる広告表現になっていればいい」というのが僕の考えです。
一昨年からの議論は、広告表現とは何だということが非常に未整理のまま語られていたと思います。モノを売るための広告と「ここに私は居続けてますよ」というブランドを維持するための広告は違うはずなのに、一緒のところで論じられているのが問題だと思うのです。 例えば、商品情報は十分知りつくされたレンズ付きフィルムは別に商品力を語る必要はなくて、ただ「ここに居続けていますよ」という"マインドシェア"が大切です。それを買う時に、何となく○○フィルムが好きだからということであれば、そこに面白い広告が成立する。そのブランドを持続させるための広告と、流通のようにその場その場で売り切っていく広告というのはマーケットが違うはずなんですね。
もう過ぎた話だけど電書フリマ
当事者たちがえらい盛り上がって
「電子書籍はコピーできるけどあの場の雰囲気は絶対にコピーできないんだぜ」
とかいう発言してた
あの日は猛暑で渋谷の会場すごい暑くて、買い手にとって快適とはお世辞にも言えなかった
予約してないと入れないとか何とか言われたし入り口で大汗かきながら買った
正直、面白くなかった
つまんなかった
でもあとの当事者たちの盛り上がり見てそういうことはあんまり言えなくなった
非営利だったしね
けど正直、参加者だけが楽しんでいたって感じがした
読者のことは何も考えてないよな、とか
いや部活だからさ
お客様に失礼ないように、とかは言えないよ
ボランティアに近いし
アレが盛り上がればいろんな人にチャンスが来るんだろうし
でも
でもさ
もう行かないと思う
がんばってた人たちごめんね
でもさ
やっぱりもう電車賃使ってまで行かないと思うよ
バイヤーじゃないから
こんにちわー!
こんばんわー!
会社ってろくでもないよね。
なかなか最低な感じに打ちひしがれてる人って多いと思うんだ。
自分も含めて。
ちょっと偉くなって数字眺めてご覧よ。ヤバイぜ。
なんとなく安定を選ぶじゃん。
まぁこのままでいいかーみたいな。
けっこう仕事まわして忙しくしているみたいな人も
でも、だからといってそのままでいいのかい。
いいのかいよ。
20~30万もらって満足。って会社辞めてフリーでもできる職種の人ならバイヤーな考えだぜ。
このご時世だもんとかそんな眠たいこと言うなよ。
言い訳、諦めでもなくて、現状肯定で自分をとりあえず慰めているだけ。
将来云々みたいこと考えつつも、そういうことを思って
ダラっと生きてるだけでしょ。
とりあえずな感じに満足してるだけでしょうよ。
まぁわかるけど。
将来も不確かだしさ。
ただこれだけは言わして。
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/2009/11/gp.html
139 日出づる処の名無し sage ▼ New!2009/11/09(月) 02:04:49 ID:bCzftmTr
»85
>日本漁船への年間割当量は1船当たりわずか18トンです。(ミナミマグロ)
なんだか油代だけで赤字レベルになっておかしくないレベルの規制だ
>混獲されるサメの問題を大きく取り上げています。巻き網の場合、サメも一緒に漁獲する事はあまり多く有りませんので、この部分をクローズアップしたものと思われます。
ならば、捕られたサメの行方がヒレだけシナに行って、本体が捨てられているって現状も問題視されないと変ですね
158 地球の裏側 ◆/lYVcP7um2 sage ▼ New!2009/11/09(月) 06:33:19 ID:Rmr69ydm
»139
いぁ、まさにそれが問題になってるんですよ。
サメのヒレだけ切り取って、後は捨てるってのが。全部持ち帰って食べるのなら、多分、何も言えないと思いますけどね。
問題は、日本人がフカヒレを食う、と思われている事。ことあるごとに「あれは日本人じゃなくて中国人の食い物」っては言ってるんですがね。
あのですね、基本的に欧米系、特に大陸系は、マグロ=大きな魚なんです。
多分、鯨もそう言う感覚。淡水系で大きな魚ってのは、希少なんです。水系の広がりが皆無な場所ですから、大きな魚ってのは、偶然生き残れたヤツしか無い。そう言う感覚だってのが話してみて判った。
彼らの感覚ってのは、クリークでの釣りの感覚。だから延縄で6000本も釣鉤を入れる、っていうと「乱獲だ~」になっちゃう。海の広さを感覚として理解してない人が多いのです。GPなんかはそこにつけ込んでるんですね。
誰が得するか、なんですが、人間が一生に食える食物の量は無限じゃ無いんで魚の旨さを知って、食べる人が増えれば、その分他の食物の消費が減るわけでマクナマラ方式の数値予測を取り入れてる米系食肉業者なんかは、如実に敵視してますね。実は米国は環境保護団体を他国への圧力用具として使ったおかげで、国内での水産物、特に遠洋系の生産が減少してまして、マグロなんかは、ほぼ完璧に輸入に頼ってます。
で、その輸入最大手が例の統一協会関連なわけ。
で、この輸入業者にしてみると、国内生食用の価格が世界の価格から乖離してる日本は敵なんですわな。日本のバイヤーが手を出してる所からは事実上買えないわけで、彼らが買えるのは、二級品以下。だから敵なんですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100215204224
デパートの閉店が相次ぐのは何故か。
品揃えが「そごう」でも「三越」でも「伊勢丹」でもどこでも一緒だから、
一般人が一店舗に飽きたら日本中全てのデパートに飽きたことと同じことになるから。
コーヒー器具売り場に行ったら、今じゃどこもハリオ社製品ばっかだよ。
カリタ社の製品が駆逐され、メリタ社の製品はどこにも置かれていない。
フジローヤルの「みるっこ」なんて高い人気があるけれど、置いているデパート、ないだろ?
ひょっとしたらフジローヤルの方で断っているのかもしれないけど、
そこを説得して仕入れるのがバイヤーの腕の見せ所のはずなのに、やらないんだから閉店も仕方ないじゃん。
町のコーヒー屋なんかで器具を売っている店はメリタ社扱っているとこがある。
デパ地下の和菓子エリアで鶴屋吉信鶴屋八幡とか、虎屋が入っている店舗がどれだけあることやら。
けどそういうことはどこも報道しないんだよねー。
タイトルのような議論は、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』という結論に落ち着く。大抵は。
なんか違うよな、と思ってたのだが、少し前に下のようなスレを見つけてから、さらにモヤモヤが増してきたので、少し書きたいと思う。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1260455702/
>「僕らは作品ではなく商品を作っている」という発言だった。
>ゲームそのものではない。宮本氏は普段から、スタッフにも自分たちが作っているものを
>「作品」ではなく「商品」と呼ぶよう指示しているという。
ttp://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/27/news082.html
金儲けしか頭にないんだな、この老害は・・・
自分も過去ログが見れない状態なので、記憶で書くしかないが、私が見た時には、いつも通りに荒れていたし、例の如くコテハン叩きもやっていたりと、まさにゲハだった。ただ、あまり決定打的意見はなかった印象もあった。宮本氏を守銭奴扱いする人間もいれば、「当たり前じゃないか!」という人間もいて、色々意見が分かれていた。
じゃあ、お前が決定打的意見を出せるのか?と言ったら、まあ、怪しいものだが、自分なりの落ち着き所が欲しいし、モヤモヤも何とかしたいので、書きながら考えを整理してきたい考えだ。
……と、能書きはこの辺までとして、本論に入ろう。
まず、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』というのは、正確じゃないよね?というのが私の立場だ。単なるとんちに聞こえるかも知れないが、『ゲームは全て作品であるが、中には商品として売っているものもある』がより正確だと思う。(フリーで遊べるのもある訳だから)
要するに、「商品」と「作品」は一つの対立軸にはなり得るけれど、「商品」と「作品」は対照的な存在という訳でもない。
「無料」と「有料」は「0か、0でないかだから」、TrueとFalseの条件式に使えるけれどもだ。
販売者の側から見ると、「作品」は、単なる「商材」である。
「商材」を消費者から見て「商品」に仕立て上げるのが「商人」である。
アップルは良い見本で、安く「商材」を仕入れて、手を入れ、磨き上げ、組み上げて、大勢の人間が良いと思わせる「商品」に仕立て上げている。
その結果、スティーブ・ジョブズは、オープンソース教徒には守銭奴に見えるだろうし、アップルファンには神の使いに見える。
(この図のように→http://i.imgur.com/YRoqC.jpg)
例えば、記憶で書くので間違っている部分もあるかも知れないが、ハリウッド映画にもなった映画「Shall we ダンス?」は、本家の日本版も米国で公開されていて、(米国では)200万人を動員したそうだ(Wikipediaより)。
米国で公開する際、米国のインディペンデント系が買い取ったらしいのだが、そのバイヤー曰く、「私が発見した」という言葉を使ったらしい。監督の周防正行氏曰く、「私はすでに商業作品を作って成功している(から、発見したという表現はおかしい)」。
周防正行氏は、バイヤーから見れば「(今まで現地で紹介されてこなかった新しい)商材」に見えるのだろうし、氏自身から見れば自身を「(立派に成功した)商業作品」の監督であると思うのは当然だ。その視点(立場)の違いによって意見の相違が生まれているということなのだと思う(私の記憶の違いもあるかも知れないので、詳しくは「『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)」を見て下さい)。
話がさらに脱線するかも知れないが、アニメーターの労働条件が酷い件についても、似た様な違和感を感じる。
具体的には、あまり電通がどう、中間搾取がどう、とかという時代でもないだろう、みたいな気が非常にする。
ゲームもそうなのだが、無料でも見ないような「作品」、遊ばないような「作品」がネットやレンタル、廉価版、ワゴン、中古にいくらでも転がっている。今の時代、それこそ、インディーズや映像全体まで枠を広げると、YouTubeだって一人の人間で見きれない状態だ。
しかしだ。それでも、売れているものは売れている。
例えば、任天堂のゲームなんてあまり値下がりしないし、それなりの値段がするが、売れている(おお、ゲームの話に戻ってきた)。
つまり、「作品」があふれる時代に、「作品」で金を稼ぐにはどうすればいいのか?という問題に戻ってくる。
「作品」をどう「商品」に仕立て上げるか?ということが問題になってくる。
編集者のいない漫画雑誌であるコミックギアは三号で潰れたそうだが、金を取るなら「作品」である前に「商品」であることを求められるという訳だ(例え、作者が不本意に連載を続けていても)。
当たり前だが、人は、欲しい時に欲しいものが欲しい。
果たして、みんなが持っていたオモチャを買ってもらえなかった時の気分はどうだったろうか。
要するに「商機」をつかめばものは売れる。
つまり、たった一杯の水でも、砂漠では高く売れる。
何でもないものが希少価値になる。
そして、需要がある所に商品を適正価格で供給してやれば、感謝される。
満足感があれば、リピーターになってくれる。
それがまっとうな商売だ。皆の幸せに繋がるのだ。
そういった「商機」を見抜く目があり、実際行動する人が尊敬される商人なのだと思う。
果たして、廃人育成MMOやマルチ商法ソーシャルアプリがまっとうな商売か?と聞かれた場合、ハイ、と答えられればそういうゲームの営業をやればいいと思うし(別に非難している訳ではない。悪意はあるが)。
もちろん、「商品のまっとうさ」というのは実に微妙なものだ。特にエンタテイメント業界においては。
だが、売っている人間が自身の商品のまっとうさを信じられるかというのは実に大きなファクターだと思う。より悪意のある書き方をすれば、詐欺的商売でも、自身の商品のまっとうさを営業が信じていれば、ものすごい力になるから。
もう一つ気になるのは、クリエイティブ性の問題だ。
クリエイティブの敷居がこれだけ低くなると、もう、プロのクリエーターは好きなものを作れなくなるのではないか。
当たり前と言えば当たり前だが、仕事というのは、いやな作業をする代償としてお金をもらうようなものだから、クリエイティブはアマのものになるのかも知れない、的な雰囲気がなんだか漂っている気がする。
例えば、米国では、10年くらい前までは業界を引っ張っていた制作者が半分趣味で作っているようなPC大作がほとんど出なくなっている代わりに、クリエイティブなインディーズゲームが活性化しているようだ。
……すると、ものすごい安い賃金の本業と儲けの高い同人活動をこなすアニメーターみたいな訳の分からないものがこれからの本道なんだろうか?
とすれば、プロ活動とアマ活動を両輪にして生き残る、というのも一つの考え方という訳だ。
もちろん、いやいや、プロは今のハリウッドの様に空虚になるのではないか?とか、CGMはどうよ?とか、まだまだ言及が足り無いこともあるが、疲れたので寝ることにしよう……。