はてなキーワード: バイヤーとは
高校の頃の友人は次々と夢を叶えた。
装苑賞受賞。伊勢丹のバイヤー。電通マン。芝居俳優。プロダクトデザイナー。
私には、語れるような夢はなかった。
別にその事自体は特に恥ずかしいと思っていない。
そんな人もたくさんいるだろう、
夢がなければ、適正のありそうな学部に行き、粛々と仕事をして、
自分を食わせていく事が役目だと思ってきた。
今現在、そのまんまの生活を送っている。
これになりたい、と思って決めた仕事ではないが
暇をもてあまさない程度に楽しめる趣味もある。
なにげなく生きているだけで、幸せを感じられる。
冒頭の友人たちと接する時だけ少しつらい。
私には、彼ら彼女らが活き活きと話す「ライフワーク」を理解できる土台がないことが
年々、しんどくなってきた。
(「すごいなー私そんなに深く考えて仕事してないよー」とか)
何で私ここにいるんだろ?って思うときがある。
もっと夢敗れて、現実に直面するのが世の大多数だと思ってたのに
みんな頑張って頑張って我慢して不安乗り越えて
夢を叶えたんだから、凄いよ。
これさえやればいい、って保険ばかりかけてきた私には向き合い方がわからない。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51259975.html
たまに定期的にこういった話題が出るんだけど、そのたびに三木道三ファンとしてはいたたまれない気持ちになる。
そもそも「一発屋をからかう」とはどういうことだろう?
読者も三木道三がどういった人物か詳しくは知らない人も多いと思うので、先ずはWikipediaのリンクを張っておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%81%93%E4%B8%89
1990年代初頭というとまだバブルの余韻をひきずってトゥナイトとかでお立ち台ギャルがTVに出てた頃。
クラブというと六本木の高級クラブが世間一般常識の頃に、アンテナの高い若者に支持されていたクラブミュージックがレゲエ、ヒップホップ、グランジだった。
(もちろん他にもロカビリーとかテクノとか、それぞれ好き好きはあったけどとにかくファッション&ミュージックはTVで全く取り上げられないほどマイノリティだった)
関西ではいろんなミュージックが試されていたけど、その中でも三木道三の歌う「ド演歌+レゲエ」スタイルは飛び抜けてうまかったんだ。
当時の関西がそうだったのか、今で言う「フィーチャリングなにがし」だったり「コラボレイトなにがし」だったり、仲間や後輩と一緒に組むスタイルも、関西のクラブシーンを熱くさせたし社交性や面倒見の良さが評価された。
この頃の三木道三のインディーズレーベルを知らない人は、ニューミュージックが好きならきっと損してると思えるくらい、すばらしい楽曲を提供してくれてる。
(「MIKI-FM 1997ヘルス」とか「MIKI-FM 1998メガヘルス」とか)
そのご「キミにミキ」みたいな楽曲をメジャーでも提供できたらひょっとして三木道三って全国でも通用するんちゃう??っていう関西の人たちの期待もあって、三木道三はメジャーレーベルと契約を交わす。
三木道三はやってくれた。きたいどおりに「Lifetime Respect」という名曲を生み出した。
今までマイノリティだった関西クラブシーンはこの曲を一斉にFM802にリクエストする。
もともとが名曲なので、FM802で聞いた他のリスナーも三木道三のファンになってリクエストはさらに伸びる。
(ちなみにFM802とは関西圏のFMラジオでアイドルの曲は一切流さないという関西の音楽ファンにとっては聖地のようなラジオ局)
あとのシナリオは皆さんもご存じ、三木道三は変に肩肘を張ったのか名曲を生み出せずその後はヒットに至らないわけだが、
関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋の三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。
ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。
そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの?
なにを笑ってるの?可笑しいのは「音楽」なの?「表現」なの?「流通」なの?
音楽を芸術から商品に貶めたのは他ならぬバイヤーなのは周知の事実だけれども、
そもそも音楽を商品として扱ってきたのは消費者なんじゃないの?
バイヤーはその期待に応えるのは人類歴史上連綿と続いてるだけじゃないの?
音楽を上から下まで「売れる」商品を集めてるだけで満足してるのは消費者で、
そういう行為が「日本のレゲエ」っていう音楽的文化を殺してるのに気付いていないの?もしくは気付いてるけど黙認してるの?
(べつにここがレゲエじゃなくても「日本のロック」でもなんでもいい)
欲しくなければ買わなければいい。
流行ったからつられて買って、あとになって「一発屋一発屋」とからかう創作活動のどこに未来はあるのか。
「一発屋一発屋」というけど一発でも当たった凄い人をお前達は尊敬しあがめよ、とは言わない。
中には自分も2発目、3発目と当てるように努力してる人も居るだろうし、そうでなくても一発当たった人はやっかみの対象になるのも理解の範疇だ。
だけど、三木道三ほど日本の音楽文化にレゲエという要素を取り入れて貢献した人に対しても、メジャーレーベルでしか評価できなくて、その評価が一律「一発屋一発屋」というからかいがほとんどな現状を見ると、良質な音楽との接触の機会を自ら狭めているのはこういった「カウントダウン上から下までそろえておけば大丈夫」な層なのかもしれない。
「不当なルールを守る義理はないので「ルールなんだから当然」は全然当然じゃないだろう、当然。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない」をみて脊髄反射的にエントリ。
「私服の何がいけないのでしょうか」ってことですけど、まず、中学生ですよね。お洋服って、ユニクロで買ってもTシャツ一枚1000円前後しますし、セレクトショップにいった日には、ちょーーーーー安いところで4000円以上、普通の裏原系でも8000円くらいからスタートで質によって値段は色々、私がいつも行っている代官山の店だと13,650円~はします。
まあ、別にカリスマバイヤーがコーディネートしなくても、クオリティにこだわらなくとも、私服調達には最低1000~2000円はかかるということです。
そして、お洋服って、次々と流行が変わってきますから、放置しておくと、いわゆる「増田でファッション講義を受ける人」になります。それを放置しないためには、3ヵ月に1度は、頑張った私へのご褒美が必要になりますよね。中学生だと、義務教育の期間は普通、アルバイトとかできないじゃないですか。なのに、服を買うと、定期的にお金が出ていく訳です。
で、ですけど。そのお金はどこから出てくるのかっていう話です。
「カツアゲ」は言語道断ですし、カツアゲをしてなければ親からですよね?いずれにしても、中学の段階で、嗜好品に恒常的にお金を費やす行為に慣れていくのは、感心しない感じです。
ちなみにALL ABOUTをみると、中学生のおこづかいの相場は以下のとおりでした。
<中学生>
・最も多く回答された金額2,000円
・平均額2,738円
・最も多い回答の金額帯1,000-2,000円(27.7%)
・次に多い回答の金額帯2,000-3,000円(24.1%)
最も多い回答の金額帯が1000-2000円なわけですから、Tシャツ代1000-2000円だと、下手するとそれだけで1か月のお小遣い使いきっちゃうってことで・・・。下着代はこづかいとは別にもらっている子が多いかもしれないとも思いますが、Tシャツ代親があげちゃうかなぁ。あげちゃうとしたら、親も困った親ですよねぇ・・・。
そういう訳で、私個人の考えとしては、中学生の段階で、自分でお金を稼ぐ能力もないのに、お洋服のような嗜好品にお金をかけることを覚えるのはイクナイと思います。自分でお金稼げるようになってからしろっていうことです。そういう意味では、ニコニコ動画プレミアム会員も同様です。
固い話をすれば、そういうものに対してホイホイお金を与える親はわが国の戦後民主主義の弊害の最たるものと思うし、そうじゃなくて、こっそり自分でお金を調達しているとすれば、おおかたは、善からぬことにかかわらざるを得ないことになるのではないでしょうか。
あ、あと、教育的根拠はよくわかりませんが、思春期や中二病のときのようなホルモンバランスが崩れがちなときに、奇抜なファッションをさせると、心が乱れたり、社会のいち歯車としての自覚が根付かないとか根付くとかいう話もありますね。まあ、心への影響はいかほどかよくわかりませんが、受験の際の内申書には、なんだかとてもよくない感じはしますね・・・。
お世話になっております。
平素よりAlibaba Japanをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
お詫びとお願いがございまして、本メールをお送りさせていただいております。
この度、平成21年2月23日15:00頃配信させていただきましたAlibaba Japanメー
ルマガジンに関しまして、本来、中国サプライヤー様宛に配信すべきメールマガ
ジンを、誤って日本バイヤー様向けに配信するとともに、配信したメール内に
ウイルスを含むファイルが存在していたことが発覚いたしました。
みなさまにご迷惑とご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。
差出人 :service@japan.alibaba.com
■対応のお願い
●すでに開封済みのお客様
本件ウイルスに対応したウイルス駆除ソフトをトレンドマイクロ社からご用意
しましたので、下記URLからウイルス駆除を実行いただきますようお願い申し
上げます。
http://www.trendflexsecurity.jp/security_solutions/housecall_free_scan.php
※最新のパターンファイルを組み込んだウイルス駆除ソフトですので、新種のウ
イルス含め、ほとんどのウイルスを駆除することができます。
※画面右上「オンラインスキャンを今すぐ開始する」をクリックし、画面の手
順に従って操作を行ってください。駆除の方法についてご不明な点がある場合は、
■再発防止策
十分な対策が講じられるまでの間、日本バイヤー様向けメールはHTMLメールを
廃止し、ウイルス対策上安全なテキストメールに切り替えさせていただきます。
みなさまに多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます。
本件に関しまして、ご不明な点等ございましたら、下記までご連絡ください。
------------------------------------------------------------------------
tel :0120-288-378(9:00-18:00/土日祝日を除く)
mail:info@alibaba-inc.jp
2/27(金)20:00まで延長
2/28(土)・3/1(日) 9:00-18:00
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ちなみに読者登録した覚えもない。
※主にリアルでの話
そんなこと言われなくても分かっているという人は
これはただの注意喚起と自分への戒めなのでテキトーに読み流してもらえればいいと思う。
自分がヲタであるということを他人に示すのはまさに自己主張の塊
ヲタ趣味が自己完結できる趣味であるというのはもはや言うまでも無い。
さらに良好な人間関係を築いていくというのは不可能に近いことではないだろうか。
そもそもヲタ趣味に限っては、人間関係を築くきっかけとしては有効かもしれないが、
「友達」と「ヲタ友達」というのはかなり異質なものである。
ヲタ友達を作る最大の目的となるのが「趣味の話題の共有」だろう。
共通の話題を持つ人間同士は会話が盛り上がり、一見すると大変仲の良いようにみえる。
しかし、本当に趣味が合う=仲が良いかといえばもちろんそうではない。
何万何十万といるファンのうちの一人でしかなくいつでも代替の効くものだ。
友達同士でオタク趣味を共有し、気づけばヲタ友達となっているケースもあるだろう。
しかし、そうなったら最後オタクな話題が先行し、ちょっとしたすれ違いから
「こいつとは趣味が合わない」と疎遠になってしまうことも珍しくはない。
何故そういったつまらないすれ違いが簡単に起きてしまうのか、
「モノ」が先行する世界であるという点ではないだろうか。
例えば普通の友人同士の会話でありがちなのが昨晩見たテレビ番組などだ
この程度の話題であれば、割と見ているものも共通で話題としても取り上げやすい。
凡庸であればあるほど、共通の話題は軽い内容でありさほど重視はされない。
そのため深く話題について議論する必要もなく会話は総じて個々人が尊重されて進んでいく。
たとえ芸能人の好き嫌いがあったとしても、オタクとは違い思い入れは薄い。後腐れの残るような会話もまず起こらない。
これがオタク同士になると、例えば好きな絵師について話題にしようとしたとする。
Aは「○又先生が好きでさ~」と話を振ったが、Bはデッサンの崩れやハンコ顔について指摘した。
(オタクというのは自分の趣向に総じて貪欲であるためこういった指摘は平気でする。)
Aはこのあとどのように快い会話を続けられるだろうか?
たとえ指摘まではしなかったとしても、あからさまに無関心そうな顔をするか話題を逸らすだろう。
たったこれだけのことでも友達となれる人が限定されてしまう、それがヲタ友達だ。
また、オタク同士の会話の中では「モノ」についての話題が不可欠となる。
その話題も多様で、入手方法・作者・価値・収集・保管・鑑賞など様々だ。
モノの入手について合理性を追求した集まりの典型が、同人誌即売会のバイヤー仲間だろう。
そのやりとりは時に「本当に友達なのか?」と疑問を抱かせる場面も少なくない。
良心で協力していたものが、気づけばただ利用されているだけになっていたなどということはしばしばだ。
遠方であり、その友人はなかなか行くのも難しい状況であったため快く引き受け、
早朝から午後まで半日以上並ぶことになったが、なんとか2限で自分と友人の分を手に入れることができた。
しかし1年後、別の友人づてから聞いたのだが、もうすでに飽きてヤフオクで処分していたらしい。
しかも、倍以上の利益を上げてだ。
「隠れヲタ」というものがあるが、
実社会で信頼を勝ち得て良好な人間関係を維持していくにはこれはかなり堅実な選択ではないだろうか。
ただし、ヲタの本質が強いほどこれはかなり忍耐を強いられるものだろう。
今幸いにも良好な人間関係に恵まれ、さらにオタク趣味も共有できる「友達」がいるのならば
「ヲタ友達」にしてしまわぬよう気をつけるべきだ。
特定の話題に固執するばかりに相手を不快にさせない、相手を尊重し思いやること。
これだけでも出来ていれば「まともな」友人関係は継続できるはずだ。
既に自分が相手にとって「ヲタ友達」でしか無くなっていた場合は手遅れであることが多いが・・・
それでもやっぱり「自分は○○が好きなヲタです」と吹聴して回るオタク
それは、ただ手放しで自分(が好きな○○)を絶賛してくれる誰かを待っているだけではないだろうか?