はてなキーワード: タレントとは
はてなブックマークのコメントを見てると、どうやらVtuberのことが教えられても理解できないらしい。
また、誤解というか偏見も多い。
例えば…
これら全部が誤り。
結論は最初に書くスタイルで。自民党総裁の岸田文雄の「議席力」というものを仮定した時にそれがプラス1される。それ以上でもそれ以下でもないと思う。
仮定として、各国会議員には基本能力として「議席力」が等しく1で割り当てられていると考える。また、その他の特殊能力や挙動が個人ごとに細かく設定されていると考える。例えば、「地元の建設業の景気が良くなる」「保育園の建設が進む」「ワクチン関連法案は欠席する」「任期中に不祥事で辞職する可能性がある」とかである。タレント議員が当選した場合には、議員自身の「議席力」が岸田文雄にそのまま付与されることになると考えることにする。
岸田文雄には、岸田個人の議席力に加えて諸々の特殊能力がある。タレント候補が当選しても、岸田のそれらの特殊能力には影響しない。例えば、総理として、どの国際会議に出席するかとか、誰と会食するのかとか、そういったことにはそれなりの意味があると思うが、例えば生稲氏が当選した場合に岸田が余分に会議に参加できるとかメシの回数が増えるとかではない。
ただ、岸田氏、さらにいえば自民党が行使しうる総数としての議席力がプラス1されるということである。
国会議員トータルで千以下、自民党トータルでも数百でしかない有限のリソースである「議席力」が岸田氏に余分に1割り当てられるということはそれなりに影響がある。国会における決定がやや微妙な状況では、党内の揺さぶりも含めて、ラストの数議席がキャスティングボートとしての意味を持ったりする。そういう微妙な状況でも、岸田個人に付与された追加の議席力1は基本的に揺るがない。国会や委員会やあるいは総裁選などでの微妙な票読が必要とされるシチュエーションでは、一年生議員の数は安定したものとして数えるのが通例であるのが類似した事例かもしれない。
これは、きれいな言葉で言うならば、岸田文雄や自民党に対して安定感と推進力を与えるということである。ネガティヴな言葉で言うなら、少々の悪事ではびくともしないような防御力を与えると言うことにつながる。
選挙区で、候補者の名前を見て投票するという仕組みのそもそもの意味は、政党だけでは決まらない候補者の特殊能力(つまりは個性)を加味して投票先を決めるということである。それは、有権者に与えられた権利でもあり、また楽しみでもあると思う。タレントが立候補した選挙区では、ポスターにタレントの名前と写真が掲載されていても、そのタレント本人に付随する何かに投票していることにはならない。今書いていて気づいたが、「特殊能力が無い」は漢字で書いた時には「無能」である。仮に岸田に議席力を与えるという選択をした場合であっても、無能な人間に投票しなければいけない虚しさというのはある。
議員個人に特殊能力やら個性を求めなくてもいいという見方もある。政党政治を行う上で、それぞれの党派の議席数がいくつかということのみが重要だという考えで、確かにそのような考え方でもいいのかもしれない。また、議員の特殊能力や個性にはネガティヴなものもあるのだから、変にそういうものを纏っていないという意味での後ろ向きな優位性もあるのかもしれない。
言い訳がましくなるが、ここまでの話とは反する事例は上げようと思えばいくつも上げることができる。例えば、三原じゅん子は、全体主義カラーと子宮頸がんワクチン推進、という個性を纏っている。谷亮子は議員活動の末期で小沢一郎に造反するような動きをしたりしていた。扇千影あたりも元はタレント議員だったと思うが、保守党の党首をやったりしてる(どんな能力なのか知らないが)。とはいえ、立候補する段階で、なんらの主義主張も見せていないタレント候補に、そのような変化が今後生じると期待するのは難しいと思う。
今回のアレン様の件について
私はアレン様を去年の一月頃から認知し、面白い人だと思ってずっと拝見していた。ネット上の交流が得意ではないので、クリマン語(アレン様のファンが使う言葉)を用いたファンアカウントは持っていなかったものの、YouTubeやTwitterなどでアレン様を楽しく拝見していた。そんな立場にいる私が、私なりに、今回アレン様が炎上した件についての”考察”をまとめる。
今まで、アレン様の少々モラルに欠けるめちゃくちゃな言動や、独特な記号を用いた文章等は、強烈なキャラクターが、面白おかしく言うことで、エンタメになっていた。
ファンとアレン様が直接的な関わりを通じていても面白が成り立っていたのは、ファンがアレン様を傷つける事など、無かったから。
実際、アレン様は、ファンと写真を撮ったり、フォロー返したり、いいねを返したり、リプライを送ったり…とてもファンサービスが充実していた。それはファン達がアレン様に対し、肯定的な事しか言っていなかったから。
私自身FCに入っていないので実態はわからないが、金銭が発生している分、ファンの信用を損なうようなコンテンツになってはいけない。
金銭を払っているファンは、それらに対して「意見」を言う権利はある。
今回ファンが、FCについて意見したことで、アレン様はそれらを悪口や批判と捉えた。そしてネガティヴ発言と言い放ち、フォロー解除するなどしてファンを切り離し※、アレン様を過剰に上げるような発言※ばかりRTするからファンが引いてしまった。
※ここでアレン様自身、私も人間だしマイナスな意見を見たら士気が下がる。そもそもファンをフォロバする芸能人なんていないからね?等弁解しているが、意見に対しネガティヴや批判と捉えてしまっていること、自身がタレントとして、普段良い行いをしていると自身を上げる発言をして論点を変えてしまっていることが問題である
※「クリマンなんて所詮女の集まり」だし、と女性蔑視と見られるような内容の入ったツイートをRTした事に対し、「嫌なら黙ってさっさと辞めろよってことに同意した、女性蔑視かどうかは関係ない」等弁解していたが、あのツイートを見て女性蔑視と感じないところにも問題がある
FCについて、運営に言えば良い、アレン様に言われてもどうすることも出来ない、という言い分はわかる。実際、運営に向けてのツイートも多かったのではないか?アレン様も、運営を批判するような旨のツイートを過去にしていたから、ファンもそうして良いと思ったのだろう。
しかし、アレン様はそれらをネガティヴだからNO!と切り離してしまったため、ファンも当然困惑する。
アレン様は、嫌になったら、アレン様のファンをすっぱりやめろ、ぐちぐちツイートするな。と言った。
アレン様が好きで集まって、匿名で友情が芽生えていた集団である。アレン様のファンを辞めることはできても、そのファン同士の友情や繋がりを急に切ることに名残惜しいと思う人間もいる。だからその旨ツイートする。ここで辞める、とツイートするのはアレン様に向けてだけでなく、ファン同士でのコミュニティに向けての意味も大いにあるだろうが、残念ながらアレン様にそこまで汲み取ることはできない。
アレン様は今まで自分の気に食わないことは全てNO、恋愛はしない、性的欲求が満たせればいい、などの発言していることから、一般的な友好関係を築く能力が欠如している様に感じる。
ファンがアレン様を思って言った「意見」も、一度アレン様が良くないものと捉えてしまった以上、それはNOだし、分かりあうことはできない。ファン同士が交流する気持ちだって、多分わからないのであろう。
そしてアレン様がスペースで、弁解する際、イエスマンのファンで身を固めていた件についても、アレン様は「私も人間だし」と言っていた。この人間だし、というのは、私だって人間だから、わがままで不十分な部分もある。そこも認めてくれても良いでしょ。のような言い分かもしれないが、アレン様が傷つくことを避けて議論することは、問題の解決に繋がらない。とにかく、アレン様の中で、アレン様が良ければ良いし、嫌だと思ったらダメなのだ。覆すことは不可能なように感じる。
アレン様というエンタメは、金銭が生じたことで、崩壊してしまった。アレン様の哲学は面白い。でも言っていることは結構めちゃくちゃで、正しさはない。※その正しくなさに、ファンが当てられてしまい、どうしようもなくなってしまった。
※アレン様の破天荒さに元気をもらっていた人間が多いと思うが、今回の件でアレン様が私に歯向かうファンは許せない!と私のファンなら私に従順であるべき、と思っているような態度を見せたため、アレン様が自身を神格化しすぎていることで、更にファンとのすれ違いが生じた
アレン様は、結局、途轍もなく自分勝手で、自分の理想を裏切られるとブチギレる(その事は今までの動画を見れば大体わかる。)。今回の件で、ファンがアレン様の理想を裏切ってしまった。そうなっては、もう取り返しはつかない。アレン様に聞き分けはないのだ。
私自身、アレン様と深い関わりがなく、コンテンツとして、楽しく見ていた立場だったため、アレン様に裏切られた、失望した、等の感情はなく、寧ろ今までの性格を見て、こうしたことが起こりかねないことはなんとなく予想はできていた。それが今のタイミングだったのだなと思う。
これからも、アレン様はこうして好き勝手生きまくる人生を歩んで行くだろう。しかし、アウトデラックスが終わり、今回の件でファンが減り…と、客観的に見てかなり逆境に立たされている。一体どうなっていくのか、今後も見守っていきたい。
この価値観の申し子が水ダウのプロデューサー、藤井健太郎(1980年生まれ)だな。
現在進行形で放送コード内でできる限界の悪意のオードブルみたいなことやって強固な支持を得てる。
クイズタレント名鑑やテベコンヒーロの頃から、この悪意のオードブル趣向は一切ブレてない。
よく言われるのがさんまさん(&ひょうきん族)とダウンタウンの比較。
90年代はダウンタウンのような少しギークでシニカルな皮肉な笑いがウケた。
00年代以降はよく知らん。
■1980年代生まれで90年代後半~00年代前半に若者だった世代だけど今どきの若者からしたらキチガイ人物扱いなんだろな
この年代生まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは
「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい、面白い、カッコイイ」
みたいな価値観なんだけど多分今の若い人からしたら理解不能で唖然呆然なんだろな。
でもこれってマジで人から好かれたり絶対にイジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。
ド田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代や00年代って田舎も都会も東京も若者はそういう価値観に染ってた。
そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンとロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。
ダウンタウンやばかったもんなあ。
生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で
とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵が道化モードで止めに入るレベル)、
野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても
で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。
老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。
本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。
そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。
15年前の若者が有吉のあだ名芸や毒舌の猿真似をこぞってしたがったのと同じ。
あの時代の10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。
例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。
今だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。
ボソッと知的障害者をネタにしたり。ブスな有名アスリートや皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。
こういうイヤ~な感じで陰湿な価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志のバラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。
この年代生まれの連中が若い頃、男女問わず当然に共有されてた価値観があってそれは
「人を酷く傷つける、めちゃくちゃに恥かかせることを思いがけない角度や独特の言い回しで言える奴が強い、エラい、面白い、カッコイイ」
みたいな価値観なんだけど多分今の若い人からしたら理解不能で唖然呆然なんだろな。
でもこれってマジで人から好かれやすかったりする、絶対にイジメられたりしないイケてる奴ほどこの価値観強く持ってたのよ。
ド田舎だと今もこんなもんらしいけど、90年代や00年代って田舎も都会も東京も若者はそういう価値観に染ってた。
そんな価値観に基づいた無邪気な害意があちこちで飛び交ってたのは、全盛期ダウンタウンとロンドンブーツ(っていうか『やるキッス』とかやってた時代の初期ロンハー)の影響がめちゃくちゃ大きいと思ってる。
ダウンタウンやばかったもんなあ。
生放送特番でいきなりつぶやきシローに対してコンビ2人がかりで鬼みたいに顔で
とかサラ金の取り立てみたいに怒鳴り散らして萎縮させたり(見かねた上島竜兵が道化モードで止めに入るレベル)、
野球挙っぽいゲーム企画でお色気要員として呼ばれたけど、これ以上も脱ぐの?的に困惑して進行滞らせた無名女性タレントに対しても
で容赦ない強要したり(ビビり倒したナイナイが半泣きでその女タレントに「じぶんほんま頼むわ…はよしてくれや」と八つ当たりする始末)。
老人と化した今の彼らがよくやるヤクザ風のキレ芸じゃなくて当時はガチだった。
本当にどうかしてるんじゃないかってくらい彼らはことあるごとにイライラしてた。
そういうのに当時の若者の多くはモロに影響受けてたね。
15年前の若者が有吉のあだ名芸や毒舌の猿真似をこぞってしたがったのと同じ。
あの時代の10代はとにかく精神ぶっ壊れてた(歳食った今も人間性変わってないんじゃないか?)。
例えば、悪意丸出しの婉曲表現やニヤニヤ笑いで障害者イジりするとかにかなりの割合の奴がためらいなかったもんなあ。
今だって俺の同年代の奴らはふとした時にかなり際どいこと言うやつ多いもん。
ボソッと知的障害者をネタにしたり。ブスな有名アスリートや皇族とヤレるかどうかみたいなバカ話したり。
こういうイヤ~な感じで陰湿な価値観がよく表れた「働くおっさん劇場」っていう松本人志のバラエティ番組があるので、興味がある人は是非見て欲しい。
80年代生まれ的な異様な価値観がどんなものかよく分かると思う。
追記1
主語がでかいとかそんな価値観知らないとか白々しいこと言わないで。
ダウンタウンはそういう陰湿で攻撃的な人を傷つけまくる芸風で若者から絶大な支持を得ていたし、
学校では人を傷つけまくる陰湿な奴が友達多くて彼女も取っかえ引っ変えでお前らより充実してたじゃないっすか。みんな自由にやらせてたじゃないっすか。
追記2
大したリベラルだな。
お前らマジできしょいわ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
1999年の紀伊國屋書店における漫画撤去問題とは、1999年に児童ポルノ販売が禁止されたことをきっかけに、紀伊國屋書店で成年向けマンガやポルノにとどまらず、ヌードや性描写を含んだ一般向けの漫画までもが一時撤去された出来事である。過剰な自主規制の一例と指摘される。
1999年に児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(以下、児童ポルノ禁止法)が施行され、児童ポルノの販売が禁止されたことにより、各書店では児童ポルノに該当するおそれがある書籍や雑誌などが撤去された。そんな中、紀伊國屋書店が各店舗に対して、児童ポルノ禁止法施行にともなう注意事項を通達した。その中に、児童ポルノ禁止法の規制対象外であった漫画やアニメーションも注意が必要な物の中に含まれていた[1][2]。
その結果、BLを含めた成年向けマンガだけでなく、『バガボンド』や『ベルセルク』、『あずみ』などのポルノグラフィではない、未成年のヌード描写や性描写を含んだ一般向け漫画が、一時的に紀伊國屋書店から撤去される事態になった[3][4][5]。他にも山本直樹や『センチメントの季節』を初めとした榎本ナリコの一連の作品なども撤去された[6]。
『あずみ』は1997年、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した作品であり、また『バガボンド』は2000年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞、『ベルセルク』も2002年に第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞している。これらはいずれも芸術的価値が高いと評価された作品であった。
この影響はマンガだけにとどまらず、『本上まなみ写真集』などの有名タレントの出版物も撤去対象になった。売り場には「児童ポルノ禁止法が施行されました。当店は法律を順守します」という内容の張り紙が出され、この一連の撤去の影響は大手出版社を始め、数十社にも及んだ[6]。
山に登りたいから、と言う理由で上を目指さず、自宅から通えるそこそこの大学に進学して登山三昧。ところが、ある日、偶然(?)山小屋に来ていた准教授に、大学院の山岳教育プログラムなるものを知らされる。
下山後、准教授に誘われて研究室を尋ねると、何故かその場にここなさんが。准教授とここなさんに、一年中山籠もっても誰も怒られないどころか、それを仕事にできると騙されて と聞かされて、学部卒業後、その教授が所属する山岳教育プログラムのある大学院に進学。
さらに気がつくと大キレットを滑落する勢いで転がり落ち、ふと気がつくと先進地であるヨーロッパの大学に留学。
その頃、日本で山岳メディアのライターを始めていたひなたに強制され 頼まれ、現地からコラムとVlogをアップしはじめたところ人気に。それで手に入れた金を丸ごと山狂い山岳文化に関する研究につぎ込み、若手研究者として頭角を現す。
しかし、本人の行動様式はあまり変わっていない。(ただの山馬鹿)。しかしなぜそんな楓が学術界でもやっていけてるのか?その正体は、いつも論文のSecond Author以下に載っているYuuka Sasahara (Holy Hope High school)の名前にヒントがある。
特にこだわりも無く、父親も無いかを強制する事も無かったので、大学は得意な科目があるところに進学すればいいかなーと思っていた。ただ、両親と離れるのもなんとなく嫌で、自宅から通える条件の大学を選んだところ、なにげにかなりのレベルが高い大学に合格。
大学生活も楽しくやっていたが、その頃から父親の仕事に興味を持つように。ライター業、文章と写真だけでは無く映像を撮影しなければならない事も増えた父親のアシスタントとしてついていく。
いつの間にか撮影する側から、撮影される側になっていて大学在学中にライターデビュー。卒業後は、父親が法人化した会社に所属して、山岳と自然、それを切り口に地域などもテーマにした専門ライターとして、日本中、そして世界を歩き回る。
ヨーロッパに留学した楓を尋ねて行くも、楓のあまりにも無頓着な生活に、機材一式をを置いて帰り、ゆうかにチクると言う暴挙を働く。それがきっかけで楓をタレント研究者として父親の会社に所属させ、自分自身と二大看板で活躍している。
高校は、あおい、ひなた、楓とおなじ高校の、奨学金制度を利用して進学する。授業料の免除は受けられたものの、私立高校は授業料以外もお金がかかる。また登山も続けたかったので、アルバイトを始めようとする。
しかし、母親はそれは助かるけれども、せっかく良い学校に入れたのだから、学業に専念して欲しいと言われて反対される。思い詰めたここなは、先生に相談すると、先生から、学校の運営法人が小学生向けにやっているサイエンススクールのアシスタントバイトを紹介される。
そこの講師できていた准教授と仲良くなり、大学の研究室に出入りするようになる。(そこで、楓さんの話をしたところ、准教授は楓さんを捕獲に動く)
3年生になるころには単著論文が論文誌のプレプリントに発表。プレプリントとは言え大学のレポジトリであり、それを学校が宣伝したために一躍時の人に。しかしそれは大学の奨学金を問題なく得るための動きで、それをテコに大学に全面的に奨学金を受けて大学に進学。高校時代に執筆した論文は、当たり前のように査読を通ってインパクトファクターの高い論文誌に掲載。さらに2年時でスキップ申請(修士への進学)して修士号を得て製薬会社の研究所に就職。その研究所では開設以来最年で少採用であった。
普段は、世界中から集められた様々な植物から、薬になりそうな成分を探し、研究しているが、自分で趣味を兼々山々をさんぽ。なんでもない場所から新しい研究成果を見つけてくるので、実は天狗かなにかではないかと噂がある。
みんなの癒やし。
エイベックス会長・松浦勝人の発言が批判を集めています。YouTubeの生配信で、女性俳優やタレントの容姿を中傷するなどしたことが「女性蔑視」と報じられましたが、松浦は「悪意ある切り取りをやられた」と反論しています。今回はこの問題を考えます。
芸能界の闇、という形容をよく見かける。闇というか、ただ夜な夜な集まっている場所があるとか、誰それの交遊が派手らしいとか、その程度ではないかとも思うのだが、闇を用意しておくと、話がスムーズに進むのだろう。あちこちに事情通がいて、その事情通が、私はこれを知っていると積極的に漏らしている様子も常に見かける。度合いに差はあっても、反復運動のように続いている。反復運動に付き合っている人の中には、芸能プロダクションの勢力図のようなものを頭の中ですくすく育てている人がいて、「あの人がブレイクしているのは、事務所が強いから」という、すくすく育てている割には至って平凡な見解が飛び込んでくるのだが、そこで込み入った見解を言われても困るので、それくらいでいいのかもしれない。
「ああいうのが『切り取り』って言うのよ」
言ってはいけないこと、なかでもハラスメントに該当するものというのは、立場によって変わるものではない。偉いから免罪されるとか、偉くないから厳しく罰せられるという話ではない。ハラスメント自体、権力を持っている人からそうではない人に投じられるケースが多いから、なかでも権力を持っている人の言動には注視が必要である。
エイベックスの松浦勝人会長が、自身のYouTubeチャンネルで、女性の俳優やタレントの名前を並べながら、容姿を中傷するなどの発言を繰り返したことが問題視された。問題視されたものの、さほど大きく報じられることはなかった。その後、YouTubeチャンネルで、水素水を飲みながら、「俺の発言によって、もしも本当に傷ついた人がいるのだとしたら、俺は謝ります。本当に申し訳なかった」と謝りつつ、「(記事について)ああいうのが『切り取り』って言うのよ。自分たちの都合のいいことしか書いてないでしょ」「俺は女性軽視なんかしてないっすよ。言われたことに答えただけだよ。自分の感想ね。こちらから見た景色を言っただけだ」などと続けた。
その未熟性・幼稚性
「俺は子供みたいなものだから」とも言う。再び、水素水を飲みながら言う。権力者が、ハラスメント行為について、自分の未熟性・幼稚性を持ち出して弁明しようと試みるのはよくある行為だが、それを包み隠さずに言い放つあたり、本当に幼稚なのだろう。エンターテインメント企業のトップがこれほどの無知を晒すことに、彼の周辺が無頓着なことにも呆れるのだが、この状況が放置されること自体、この世界の未熟性を表しているのかもしれない。
未熟ゆえに暴力的な見識が放置されているという状態は、「エイベックスは、ともすれば今は非常識で、他人から『おかしいんじゃないの?(Mad)』と思われることも真摯(Pure)に追い求め、世の中にマジで!?(Really!)を届け続ける集団だ。」(松浦によるエイベックスの行動規範)を体現するスタートラインにも立てないと思う。
列挙するのが憚られる誹謗中傷発言が並んでいたが、これに対して、問題視する声がその世界の中からあがらない。知り合いのライターが、この件について書こうとしたら、編集者から「できればやめてほしい」と言われたそう。今後、所属アーティストとの付き合いで問題が生じるかもしれないから、との理由だったそう。実際に書いたところで何かがどうなるとは思えないが、「そうなるかもしれないから念のためやめておこう」は、特にしっかり反省しているわけではない人には好都合で、「言われたことに答えただけだよ。自分の感想ね。こちらから見た景色を言っただけだ」を機能させられる。つまり、「できればやめてほしい」は加担する作業である。
2016年、自身の会社が労働基準法に基づく是正勧告を受けた際、松浦は自身のブログで不満を表明していた。「望まない長時間労働を抑制する事はもちろん大事だ。ただ、好きで仕事をやっている人に対しての労働時間だけの抑制は絶対に望まない。好きで仕事をやっている人は仕事と遊びの境目なんてない。僕らの業界はそういう人の『夢中』から世の中を感動させるものが生まれる。それを否定して欲しくない」とあったのだが、そういう「夢中」が生む問題点を是正するための勧告なのだ。それなのに、「僕の法律知識なんて乏しいから間違っていることを書いているかもしれない。しかし、納得できないことに納得するつもりはない。戦うべき時は相手が誰であろうと僕らは戦う。それが僕らの業界とこの国の未来のためだと思うからだ」と強気で言い切っていた。
法律知識が乏しいならば、それを学んで、どう間違っていたのかを考え直したらいいと思うのだが、すぐさまそれが、「僕らは戦う」になり、「僕らの業界とこの国の未来のため」と飛躍していく。それはあまりにも幼稚だと思うのだが、これもまた、「俺は子供みたいなものだから」的な感じで乗り越えてしまったのだろうか。
今回のような発言も、その人が偉いからという理由で見逃されてしまうのだろうか。この薄っぺらさを許容していいのだろうか。「他人から『おかしいんじゃないの?(Mad)』と思われることも真摯(Pure)に追い求め」て欲しいのだけれど、結局、真摯に追い求めないようなのだ。
乃木坂46、℃-ute、フェアリーズ、E-girlsと、女ファンを優遇する(ライブで女性専用スペースを設ける、優先入場、女ファンへのリップサービス)女アイドルはたくさんいるけど
長瀬智也、英国のバイク誌に登場 悠々自適な暮らしに「所ジョージ化している」の声
6/29(水) 7:15配信
土ぼこりひとつ付いていない車体が、彼のバイク愛を物語っていた。カスタムが施された1980年代製のハーレーダビッドソンの横に立ち、カメラをまっすぐ見つめるのは元TOKIOの長瀬智也(43才)だ。
【写真】長瀬智也がサプライズで登場した釣り雑誌の表紙。バスロッドを持ちハーレーに腰掛ける。他、お茶をする長瀬、首都高をバイクで流す姿、釣りの師匠と写る湖畔の姿なども
12ページにわたり、彼の愛車が紹介されたのは、英国のバイク誌「グレイシーカルチャーマガジン」の最新号だ。ページに登場したのは「ショベルヘッド」というタイプのエンジンを搭載したカスタムバイク。これは彼の友人であるバイクショップオーナーが作り上げたもので、30年以上かけて探し出したパーツも組み込まれているという。日本のバイク誌編集者は異例の掲載だと話す。
「長瀬さんが登場したのは世界中でファンを持ち、マニアもうなるようなバイクカスタムが特集される雑誌です。芸能人が取材されることはほとんどなく、本当にこだわりのあるバイカーしか載ることができない。長瀬さんのカスタムが世界レベルで認められたということでしょう」
長瀬といえば、2021年3月末にTOKIOを脱退後、テレビや映画への出演はない。いま、彼の軸足は芸能界ではなく趣味の世界にあるようだ。
たとえばバス釣り。日本のバス釣り誌「Basser」6月号では、釣り道具や工具が所せましと並んだ自宅のガレージを公開。神奈川・芦ノ湖での撮影では大型のマスを釣り上げ、釣り歴25年の手腕を見せつけた。そして16才から乗り始めたというバイク。冒頭の雑誌だけでなく、6月30日に発売される日本のバイク誌「RISER」創刊号でも、彼の特集が組まれる予定だ。
悠々自適ともいえる長瀬の暮らしを、大御所タレントの生き様と重ねる人も少なくない。ファンの間では「所ジョージ(67才)化している」という声も上がっている。実際に2人はプライベートでも親交があるようだ。
「長瀬さん自ら、遊びに行きたいと申し出て、所さんの『世田谷ベース』を訪れたそうです。到着するなり、長瀬さんは部屋に並んだギターを褒めまくり、気をよくした所さんは譲ってしまったのだとか(笑い)」(芸能関係者)
ジャニーズ事務所退所に際し、長瀬は「裏方としてゼロから新しい仕事の形をつくり上げていく」と語った。ファンは彼の“生存報告”を喜びつつも、作品への出演も心待ちにしている。再び、芸能界に舞い戻る可能性はあるのだろうか。
「長瀬さんはいま、相手の知名度やギャラではなく、フィーリングを重視して仕事を選んでいるそうです。オファーが彼が表現したいものと合致すれば、それが映画などでも出演するのではないでしょうか」(長瀬の知人)
たまに渋い武士の役とかで出演するとかでいいと思う
doycuesalgoza
でもハタチの舞妓でさえたった5~6年だけお稽古をした人であり、大きな金が動くならば「若さを愛でる」というキモめの価値が働いているように思える。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220628135027
にスターが大量に集まって上位ブコメになってるけど、みんな「若さを愛でる」のはキモい価値観だと思ってたの?
「5~6年だけお稽古をした人に大きな金が動くのは、若さを愛でるからだ」ていう理屈が通るのなら、アイドルなんてみんなそうじゃん。
歌も踊りも何十年と続けて芸に秀でた中年男性・女性が世の中には大勢いるのに、彼ら・彼女らを差し置いて、「たった5~6年だけお稽古をした」だけの
ジャニーズのファンクラブに女性(同年代だけでなく母親くらいの年の中年女性も)が何十万人も集まって会費を払ってグッズを消費して出演作品に金を出したり、ライブに何万人と集まったりたりするのも、
「芸でなく若さを愛でるキモめの価値」をもった女性が大勢いてキモい動機で金を注いでるからなの?
夢を追う努力してる人はいろんな分野に大勢いるのに、ルックスで選抜され美少年・美青年ばかり集まるジャニーズだけに金を注ぐ女が大勢いるのは、「若さと外見を愛でるキモめの価値」を持つ女がそれだけ大勢いるってことになるけど…
若さより芸を重視するなら、ジャニタレにダンスのレッスンをしてる講師こそ一番人気を得て一番大きな金を稼いでないとおかしいのに、現実にはそうなってないよね。
何十年と芸を磨いてきた講師よりも「たった5~6年だけお稽古をした」ジャニタレに黄色い声援を送ってる大勢のファンは、「若さを愛でるというキモめの価値が働いてる」からなの?彼女らにもちゃんと「この女達は若さを愛でるキモめの価値をもってる」て言ってあげた?
口が裂けても言いそうにないね。
ジャニーズタレントのおっかけしてる女の「推し活動は人生を潤す」みたいなツイートに「そうだそうだ、素晴らしいぞ」「幸せそうでなにより」「楽しそうな人の情熱ある文章を読むとこちらも楽しい」などと絶賛するブコメが集まってホットエントリ入りしてたこれまでのはてブと、今回スターを集めた上位ブコメが、あまりにも乖離しててびっくりしちゃった。
女が男の若さを愛でるのは人生を潤すすばらしい事で、男が女の若さを愛でるのはキモい価値観だという、たんなる男性嫌悪の性差別なの?
舞妓を楽しむ男性には「若さを愛でるというキモめの価値」と侮蔑するブコメに賛同しながら、いっぽうでは同じく芸でなく若さを愛でるジャニーズファンの女性の推し活は無邪気に肯定し持ち上げる、はてブブクマカの非対称性・性差別性を問うてるのだが。
舞妓業界の未成年への加害性が問題視されてるように、ジャニーズ事務所だって未成年への加害性があるじゃないか。なにが違うの?
なぜ前者を楽しむ男性だけ「キモめ」と侮蔑して、後者を楽しむ女性にはそうしないの?
あきらかに何の見識も能力もない女性タレントが自民党の後ろ盾を得て国会議員になっていく。同じ作戦を自民党は何年間も繰り返しているので、それを観察している人間は同じような指摘を何度も繰り返すことになる。
タレントがすでに持っている知名度は選挙に役立つ資源だ。タレントに少し金を与えるだけでこの知名度は買えてしまう。大多数の日本人は知能が低いので、たんに知っている人に投票する。国会議員の給料は税金から出るので自民党の懐は痛まない。
女性タレントを議員にすることで、自民党は女性議員の比率を増やすことができる。当選した女性タレントはなんの能力もなく、なにも考えていないので、自民党の方針に従わせて自由に操ることができる。女性タレントは自民党にとって国会の道具だ。
自民党の方針を決めるのは基本的に男だ。女性タレントを全面に打ち出して、自民党は「女性活躍社会」に貢献している外面を見せつつ、男が重要なことは全て決める男性優位社会をそのまま保存することができる。
映画好きの被験者に英語+字幕版のピノッキオをまず10分見せて、その後日本語吹き替え版を10分見せた。
その後、別々の部屋で「どちらの映画のほうがよかったか」と質問したところ8割以上が「字幕版」、残りの2割も差はなかったと答えた。字幕版と答えた人に理由を聞くと「吹き替え版は口の動きと音声が一致していなくて気持ち悪い」「本人の声であるほうが感情が伝わりやすい」などというような回答が帰ってきた。
ピノッキオはイタリア製のイタリア映画で、被験者が見たのは「英語吹き替え字幕版」と「日本語吹き替え版」で口の動きと音声はどちらもあっていないし、どちらも本人の声ではなかった。
だが英語吹き替え字幕版でその口の動きと音声のズレに気づいた被験者は一人もいなかった。
目線カメラで被験者の視線の動きをチェックしたところ、字幕版では上映時間の4割以上を「字幕を見ること」に費やされており実際に映画を見ている時間は6割程度しかないことが分かった。
③字幕版を見る
の順になることがわかる
関係ないが、昔の香港映画は基本的に全部吹き替え版になっている。
中国は広すぎて中国内でも北京語、上海語、湖南語、広東語など様々な言語が入り混じっており
撮影現場で言語の統一が難しいため、後から統一した言語で声優が吹き替えを行っていた。
なので古い香港映画スターは映画内で本人の肉声を一切聞けない俳優も存在する。
今では役者本人の声が聞ける作品のほうが多いが今でも吹き替えで撮っている作品もある。
また日本の映画(に、限らないが)でもアフレコ(アフターレコード)といい、後から音声だけ録音して映像と組みわせる技法も昔から多く使われている。特に録音環境の整っていなかった昔の映画は外で撮影を行うと風の音や衣擦れの音、騒音などが多く入り、役者の声を鮮明に録音することが難しかったため、多くの映画がアフレコとなっている。
中日スポーツの初報以降、猛烈な大江キャディーバッシングが沸き、ブコメでも厳しい意見が相次いだ。
※発端となった記事
女子ゴルフで珍事件 キャディーが選手に“キレて”立ち去る→大西葵は号泣でティーショットしばし打てず:中日スポーツ・東京中日スポーツ
https://www.chunichi.co.jp/article/494971
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a240437c235d427583eca168fe9e74d375ba72e
女子ゴルフ選手に“逆ギレ”で職務放棄の男性キャディに批判殺到…“社会人として失格”の声(女性自身) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecac7af69c7fd8953a0d4330c8e97a1c4637c690
なぜ前代未聞のキャディー”職場放棄騒動”が起きたのか…トラブルメーカーの”過去”と女子ツアーの特殊事情(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5a5492fad2bd8f0555e15d2ca5977c796ace78d
選手に“ブチ切れ”男性キャディ、以前から囁かれていた悪評「挨拶ができないし、言葉遣いが乱暴」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/45561ac2edc2ef97cc03490a7bc2f9611f3b55ac
「18番ホールの映像」を見た人から、事実と異なる可能性を指摘する声が出てきた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/99a3213867c2f1d30753a7c0bf357b45c80c1dc0
・発端の記事と印象が全く異なる
※どの動画を差すのかは不明だが、下記からどれのことかは何となく察せられる
この流れで思うのだが、なぜネットユーザー諸氏は、毎度毎度軽々しく「事実」を決めつける上に、不要なバッシングに走ることを好むのだろうか。
自分は初報が出た時点で、書かれた通りならひでえ話とは思ったが、
それをもって、即、大江キャディーをぶっ叩く気にはなれなかったし、
※念のためだが、自分は大江プロに問題がなかったとも、大西プロにも問題があったとも言いたいわけではない
現状は、あくまで一面を切り取った記事、動画が出ているだけである。
あくまで一部の情報に流されているだけということを自覚してほしい。
情報から事実を推測することは簡単だが、その推測が事実であることを証明するには大変な労力が必要なんだよ。
昔っからその労力を怠ってアレコレ語ることが当たり前になってるから、
テレビ・ラジオの書き起こし記事が乱発され、タレント同士の不仲記事が事実のように報じられ、
自分にとって身近でない陰謀論を笑う一方で別の陰謀論に支配されてしまうんだよ。