はてなキーワード: ももちとは
夕飯を食べた後、少し休憩して時間は7時ごろ。
すっかり日は落ちて暗くなっている。
しかし私の日課は時間で全て決めているので、暗かろうが明るかろうがウォーキングに出かけるのであった。
私は暗い季節には必ず白いTシャツに反射たすき、懐中電灯を手にして行く。
これは自分のためであり、すれ違うすべての人のためだと思っているからである。
?「なにすんだ!」
私「こっちのせりふじゃぼけぇ!」
人とぶつかった。
ぶつかった瞬間に何かが地面に当たる音がした。
地面には落下したのは画面の付いたスマートフォン。
もちろん私のものではない。
その後ろ姿を懐中電灯を当てながら観察する。
良く焦げた両腕もまた闇に溶けている。
スマホで明かりを取っていたわけでもない。
忍びか。
すれ違う寸前にわんちゃんが吠えた。
この人も、スマホを見ていた。
犬はなおも吠えている。
女性の方など一切見ない。
周りは一切見えていないのである。
夜に歩くのであれば、明るい服を着てくれ。
着ることの出来ない事情があるなら反射たすきやベルトを付けてくれ。
けっしてスマホを持つな。
そして前を向いて歩いて欲しい。
下ばかり見ていてもあるのは自分の脚だけだ。
言いたいことまだくあるが、今はここまで。
最初はその上司にパワハラ行為されるたびにまともに傷ついていたが、ある日から落ち込まないようになった。
その代わりにイライラするようになった。
ちょっとした事ですぐイライラするようになったし、思考も攻撃的になった。頭の中で暴言が止まらない。そして家に帰ってもイライラがおさまらない。忘れても、ふとした瞬間にフラッシュバックする。
Aの退職後、ナンバーツーだった上司(B)がトップになったのだが、こいつもまたやばい。
いや、今まではしていたのだが、Aが辞めてから本性を表したかのようにしなくなった。
手が空いてる癖に5秒で終わるような仕事をいちいち手が空いてない人に振る。
ただただ人に仕事を振ってぼーっとしてるだけ。それかスマホ見てる。そのせいで仕事が滞るしクレームがくる。
そしてBは仕事をしたとしてもすごく遅い。そしてやっぱりクレームが来る。
どんだけイラついてももちろん表には出さない。パワハラ上司と同類にはなりたくなし人を不快にさせたくないので。
でもこのまま毎日こんな感情でいると、そのうち頭がおかしくなって周りに当たり散らすような人間になってしまうんじゃないかって自分が怖くなる。
そして最近は夜寝れない。寝れたとしても2時間ほどで目覚めて、そこから3時間はまた寝れない。やっと寝れたと思ったら起床のアラームが聞こえてくる。
いつか落ち着いた気持ちで働けるようになる日はくるのだろうか。来てほしい。
ネトフリの「ケバブの全て」見たんだよ
すごかった
牧場から卸されてきた、まるまま一匹の牛なり豚なりを、バカでけえ謎の釜みたいなやつで焼いて、なんかバナナの皮みたいなのも使ってて、すげーデカくてカッコよくて意味わかんねえの
そんで超うまそうなの
ちょっと到底真似できねえような設備で焼き上げた肉をよ、釜から出して、刻んで、特製ソースと野菜といっしょに包んで、ケバブの出来上がり、とのこと
これでビックリなのが、べつに高級品ってかんじでもないってところだ
安物って感じでももちろんないんだが、普通に庶民がそこそこ日常的な感じで買い物に来てんだよな
俺はマジで羨ましいと思った
・他所では真似できないような
・すげえうまそうなものが
・日常的に食える
これなんすよ
絶対日本にもあるんだよな、と思って俺が思いついたのはラーメンなんだけども、どうですか
レディットのr/ramenとか見てると、外国人が食ってるラーメン、マジでpatheticって感じなんだよ
寿司は独自進化しててヘタしたら日本のやつよりうまそうなことも多いんだが、ラーメンはほぼ全部相当ショボく見える
そんでそういういかにもショボいラーメンが、1000くらいのupvoteを集めてんだよ
日本の、多少なりとも人気あるような店のラーメン、あのくらいのものが1000円以下でスッと食えるのはかなり恵まれてるのかもな、と思える
どうですか?ラーメン……
さぞお辛い状況と思う。
成人式を迎える年齢とはいえ、学生くらいの自立しきれてない頃の家庭不和というのは本当につらい。
私も高校出るか出ないかくらいの時に親の借金やらなんやらで家庭環境が最悪だった。
まず一番増田に伝えたいのは、あなたの事に使うためとは言え、母親が勝手に貯金に手を付けた事についてあなたに一切責任はないということだ(他の人はどう思うか知らないが私はそういう立場を取る)
たしかに、あなたがもう少し家庭の経済状況について把握していたり、想像をできていれば防げた出費かもしれない。
そういう意味で、あなたにも原因の一端(因果関係)があったとは言えるだろう。
あくまでお金を管理する立場にあったのはご両親で、あなたにはその権限はなかったはずだ(おねだりくらいはしたこともあったかもしれないが最終判断をするのは保護者である)
今回の件に限らず、責任は権限とセットで発生すると考えたほうがよい。
そうしないと口が達者な人や頭のおかしい人に無限に責任を押し付けられる人生になってしまう危険がある。
とはいえ、実際に自分にも原因があるとするとなかなかスッキリとした気分にもなれないかもしれない。
その気持ちは自然なものだし、時間が解決してくれるまでそのままでも良いと思う。
必要以上に責任を感じてしまうのは良くないが、自分が関わっていることに当事者意識を感じること自体は悪いことではない。
あえて言うならば、この経験(親の失敗)を何らかの形であなた自身の人生に活かすことが子供としての責任とも言えるかもしれない。
一方で、ご両親の責任はとても重い。
それは、あなたの学費への責任ももちろんあるが、それ以上に本人たちの人生や家庭運営への責任だ。
それぞれに言い分はあるだろうし、いろんな観点から見てどちらが悪いみたいな話はできるだろうが、どちらか一方にまるっと責任がある話ではないと思う。
だから増田もどっちを責めるとか、あるいは許すとか無理に決める必要はない。
別の見方をすると、学費に影響があった増田は被害者とも言えるが、あくまで両親の庇護下で生きてきたわけで、責任問題についてとやかくいう権利はないという捉え方もできる。
住人(特に持ち家をもっている人)にとって、洪水は水がひいてからが真の戦いになる。
うちは避難所ではなく自宅2階に避難した。周囲が3mの水深、床上1.5mの浸水。今回は自宅避難メインで災害後にやったことを記録しておく。
被災後は呆然としてしまう。頭がまっしろになって、なにから手を付けたらいいかわからなくなる。だから結構細かく書いた。全部つめこんだから長いけど、読み飛ばしてもらって構わない。もしもの事態に遭ってしまったときに、この記事を思い出してもらえたらとても嬉しい。
被害にあった場合、まずはとにかく写真を撮る。撮りまくる。可能なら水深が一番あるときの室内の写真も撮っておきたい。また、床下浸水であったとしても写真をとっておくこと。床下浸水でも中規模半壊に認定されて保障がもらえる可能性はあるし、家の補修(消毒作業)は必要。
写真を撮るポイントはウェザーニュースのサイトがわかりやすい。https://weathernews.jp/s/topics/202007/050075/
①建物の全景を撮る
あと新宿区のやつがわかりやすい https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000291807.pdf
この写真が、これから申請するあらゆる支援金や保険のベンチマークになる。というのもこの写真(プラス客観的な情報)で罹災証明書の内容が決まるからだ。罹災証明というのは災害被害にあったこと、その被害の程度を証明する書類で、保険適用するとき、支援金の受給対象かどうか、支援金の額、税金の免除、会社に特別休暇を申請するとき、ありとあらゆる後処理にこの書類が関わってくる。
床上浸水になると、棚は倒れ、畳は泥水に浮き、ひどい有様になる。正直目も当てられないので一刻も早く掃除したい、元にに戻したい気持ちになると思う。が、やけにならず、落ち着いて、写真を撮ってほしい。
これがすべてうまくいけば、1階床上浸水でも大体1カ月程度で元の生活に戻ることができる。ただ自治体の動きの速さや、情報収集能力の差がでてくるのでかなりばらつく。うちの場合は3カ月で8割片付いた感じ。
もちろん全壊の場合は元の家には戻れない。今も仮設住宅に住んでいる人がたくさんいるのが現実である。
これは洪水中に避難所に行っていて、片付けのために帰宅した人向け。ガス漏れしていないか、ブレーカーは落ちているかを確認する。火花が散っているとか、ガスの臭いがするとかあれば、近づかずに最寄りの消防署とか役所とかに相談する。断水状況も確認する。水と電気が使えると片付け作業が楽になるので、つながっていたら天に感謝したいところ。
増水して家が沈んでいく速度に比べて水が引いていく速度は遅い。増水していくときは、家が河川に飲まれていく感じなので流れも早いが、水が引いていくときは次第に流れがゆるやかになり徐々に水かさが減っていくという感じ。これが厄介で、押し流されてきた漂流物や泥が様々な場所に堆積していく。室内ももちろん例外ではない。めちゃくちゃ粒子の細かい泥がヘドロになって室内にも積もる。うちの場合は5cmくらい積もった。
最初に直面する敵にして、最大の敵が泥。この泥がまじ厄介ということを書きたくてこの記事を書いているといっても過言じゃない。
臭い。とにかく臭い。洪水によって流されてきた泥はいわゆる川底の泥ではない。ヘドロだ。これを吸うと病気になりそう、と本能に訴える臭いをしている。
実際洪水の後は感染症のリスクが高まる。サンダルで作業してて落ちているガラスを踏みケガして破傷風になるとか。土埃と一緒にレジオネラ菌を吸引して肺炎になるとか。無知だったので素手で作業して手がかゆくなったりもした(おそらくなんらかの虫が泥の中にいて嚙まれたんだと思う)。
可能なら片付けを本格的に始める前に、衛生面で気を付けるべきポイントをまとめてるサイト、例えば下記サイトとかを一読しておくことをおすすめする。ほんとはゴーグル、長袖・長ズボン、長靴、ゴム手袋とか徹底しないといけないわけだが夏のクソ暑い中、外で作業するのは普通に無理げーなので、ポイントを押さえつつ自己責任でうまいことやってください。
泥の話に戻るが、流れてきたそのへんの板でいいのでとにかく泥を屋内から掻き出す。ある程度掻き出せたら、ホースまたはバケツリレーで水を流す。
高圧洗浄機があると非常にはかどる。これがあるとないとでは天と地ほどの差がある。思い切って購入するか、借りるかしてなんとしてでも確保したい。
掻き出したらいったん気安めにアルコールスプレーをかけまくるのがおすすめ。なければハイターを薄めたものでもいい。臭いがだいぶましになる。どんだけ水を流しても壁紙や床にこびりついているので、家の補修をするまで根本的な解決はない。とはいえ避難所に行かず家に残る選択をした場合は、都度戦うことになる。避難所に行く場合も、次に家の片付けに来た時のカビの進行を少しは遅らせられるんじゃないかなと思う。
なお当然ながら庭や道路、屋外にもヘドロが堆積している。洪水が起こる時期は大抵夏なので、晴れるとそのヘドロは一気に乾燥する。そして風に巻き上げられる。部屋の窓を開けていようものなら部屋に砂がつもる。数時間置きに掃除をする必要があるし、外にでるときはメガネやマスクを推奨する。
この掻き出した泥だが、そのまま捨てることはできない。用水路が詰まるので。
いったん積んでおいて、ホームセンターが営業を始めたら土のう袋を調達してそれに入れておく。被災後数週間後には、自治体の手筈が整い回収にきてくれるようになるはず。
床上浸水した家の車はほぼおじゃんになる。エンジンもかからないので動かすこともできない。室内のゴミと化した畳や家財道具を運ぶにあたり非常に邪魔なので早めに回収してもらう。
その車を購入した販売店に連絡がついて、車の回収と代車の申請が早めにできると一番良い。とはいえ難しい。早いもの勝ちになるし、なにより通信がしんでいる。
そんなときはJAFに連絡するという手がある。電話がだめでも、アプリをDLすればアプリから呼べる。JAFは水害で動かなくなった車も対応していて、代車の手配こそできないが、回収には来てくれる。
一昨年新車を買ったのでなんとなく入ったJAFだったが、まさかここで効いてくるとは思わなかった。なお新車泥まみれになりJAFにドナドナされていくのを見るのはつらかった。
気が動転していると思うが、車が回収される前に、免許証・めがね・保証書系・ETCカードの置き忘れがないかチェックすること。
浸水にあった家財道具は基本すべて災害ゴミ。陶器や金属類は丁寧に消毒して使い続けることもできるかもしれない。タンスや机などの木製のものや、畳などはどうしようもない。もう捨てるしかない。
上の階に運び損ねた食べ物ももちろんアウト。うちの場合、米俵が1俵まるまる1階にあり、なんとか洗って食えないか試みたけど、数日後には全部発芽しました。水に漬かったし暖かいし当然だね。。。すごい発酵臭を放ちだしたためあきらめて捨てた。
捨てるものは全部いったん室内から出す。自治体が被災ゴミ捨て場を整備してくれるはずなので、それをまって捨てに行く。このとき、謎のゴミ収集屋が出現し、親切な言葉をかけてきますが無視推奨。あとで高額請求をふっかけられる恐れがあるので。焦らず行政のゴミ捨て場を使う。
床上浸水した場合、浸水した箇所はすべていったん破壊しなければならない。床はもちろん壁も。いったん家の柱スケスケ状態にしてがっつり乾燥させる必要がある。
なぜなら、洪水によって持ち込まれた大量の雑菌がすでに家じゅうに浸透していて、カビだらけになるからだ。乾いたからいいやとか、泥を洗い流したからいいやとか、アルコールで拭いたからいいや、壊したら後が大変だしやりたくない、という気持ちになると思う。だれだって面倒なことはしたくないし、家は壊したくない。でもその家にこの先も長く住むつもりなら、これを避けては通れない。アルコールやハイターで表面を拭いた程度ではどうにもならないくらいカビてくる。まじでカビる。ちょっと雨が降って湿度があがると一日と経たずに室内に腐海が形成される。たぶんナウシカもびっくりする侵食速度だと思う。ふき取りと消毒で乗り切ろうとした家がうち含め何件かあったが、カビにやられてしまい結局みんな取り壊すことになった。
もし大工が確保できるなら、それがベスト。大工と併せてシロアリ対応業者も手配できると最高。壁と床をぶちぬいて専用の熱風おくる器具で一気に完全乾燥させるので1日で乾燥が完了する。さすがプロ。
大工いない場合は、自分たちでやる必要がある。壁と床をぶち抜いて、柱用の消毒剤を塗ったり、地面用の消毒剤を撒く。自然乾燥の場合、柱スケスケのまま最低1カ月は乾燥させたほうがいいらしい。プロ向け工具店の店員曰く、可能なら2カ月くらいは乾燥させたいところらしい。ここで湿ったまま進むと、カビはもちろんシロアリの格好の餌にもなる。うちの場合は、1カ月待てなかったので2週間くらい乾かした後、乾燥剤を買ってきて床下にばらまいて床を貼りました。自己責任。
大工の数は限られているので、ツテがないと大工をすぐ確保するのは現実問題として厳しい。見積はとったものの2-3カ月たっても来てくれないから結局自前でやったという人は結構多い。
自前でやることに決めた場合でも、見積だけはとることをおすすめする。というのも大工の見積があれば、その後大工が来てくれなかったとしても見積分のお金を自治体が負担してくれるからだ(自治体にもよるが、そういうケースがある)。
ちなみにうちは見積すらとれず、自前修理に使った資材のレシートを保管・整理し記録をつけて役所に申請したが、びた一文もお金はもらえませんでした。かなしい。これ以上かなしむ人が増えないよう、みんなはなんとか見積まではとってほしい。
なお自前修理の際はDIY系Youtubeを片っ端にみました。プロからアマチュアの方まで。全DIY系Youtuberに感謝。
罹災証明書の取得は自治体によって細部違うが大まかにこんな感じ。被害状況の申し出をする→自治体の担当者が家を訪ねてきて実際の被害状況を確認する→被害状況が判定されその内容が記載された紙(罹災証明書)が渡される。
行政から支給されるメインの支援金は、「被災者生活再建支援制度」だ。全壊・大規模半壊・中規模半壊など被害の程度によって額がきまる。基礎支援金と加算支援金の2段構えになっているが、合計すると全壊なら150-300万、大規模半壊なら100-250万、中規模半壊なら25-100万支援がある。
大規模半壊と中規模半壊の差が非常に大きい。大規模半壊以上じゃないと保険の対象にならない、等。床上浸水なら大抵の場合大規模半壊がとれるはずなので、しっかり写真をとって、大規模半壊の判定をもらいたい。
全国からのあたたかい支援により、自治体に集まった寄付金を住民に分配してくれる場合もある。このときの分配額も罹災証明書の被害状況に応じて判断される。
ただしく罹災証明書を発行してもらえるよう、繰り返しになるが被害後の写真はしっかり撮っておきたい。
申請できるものはすべて申請する。もらえるお金は1円でも多くもらう。これが鉄則。
古い持ち家の場合、火災保険に入っていないこともあると思う。もしくは期限が切れたまま放置してしまっているとか。ハザードマップ確認してやばかったら至急確認してほしい。被災後に受け取れるお金は1円でも多いほうがいい。切実に。
多くの場合、火災保険に水災も含まれている。また家財保険もセットでついていたりあする。ただし、保険によっては水災は射程外だったり、家財に対してしか保障しない場合もあるため、読み直しておくのがおすすめ。
保険とか共済とかなにかしら入っているはず。書類を探し出して申請する。新車ならほぼ全額かえってくる。
自営業で店舗をもっている場合、店舗に対しても保険がかかっている可能性がある。水災も保障対象になっているか、どこまで保障対象になっているか(建物も含むか、商材のみか、など)もみておくとよい。
そのほか、自営業用とか特定の業種向けとかいろいろ自治体によって支援金がでる可能性があるので、情報はしっかり収集する。
もし洪水を自宅避難で乗り切っていた場合、1階の被害状況によっては避難所に行ったほうがいいと思う。
浸水により室外機が故障するので、エアコンはつかない。浄水場が浸水した場合、きれいな水は出ないし地域によっては断水している。ガスもつかない(プロパンガスを交換してもらう必要がある)。1階に台所や風呂、トイレなどの水回りがある場合、床上浸水後は流れてきたヘドロが堆積するので使えない。漂流物で窓などが壊れている場合、侵入者の可能性もある(残念ながら)。備蓄があればいいが食料がないかもしれない。
熱中症のリスクや衛生面の問題、安全性、食料確保の観点から、貴重品をもちこんで避難所で寝泊まりするのは良い選択のはず。1階が主要な生活スペースだった場合、家に残るより避難所のほうが生活環境が良い可能性が高いし。洪水の翌日には災害用の中継車がきて無料インターネットが解放されたし、洪水から数日後には自衛隊が避難所に風呂を設置してくれていた。1週間くらい後にはコインランドリー車(トラック型のやつがある。このとき初めて知った)も来てくれて洗濯ができた。また、食料については支給があるため心配の必要はないし、衣服についても支援いただいたものをいただけるチャンスがある(着の身着のままか、数日分しかもってこないので、衣服はすぐ足りなくなる)。
加えて、避難所にいると自治体の支援情報がすぐ入ってくる。テレビは哀しい哉、災害から1週間もたてば全く取り上げてくれなくなるので、自治体の情報は自分でなんとかして取りに行かなければいけない。その点避難所は掲示板などで支援情報がまとまっているので便利である。
そして家の片付け・補修が終わるまでは、昼間は家に帰って泥の処理、夜は避難所で休む、という生活がしばらく続く。友達とか親戚とか避難所生活した(そしていまも仮設住宅に住んでいる)ので、避難所のこともそのうち書けたらいいなと思う。
ただの愚痴です。
今年は社会人になってから6年目にして初めてお盆休みを頂いた。
お盆休みがもらえると決まった時から恋人と車で2時間くらいの所に行く計画を立てていて、ぎりぎりまで行くか行くまいかで迷ったもののありがたいことにまん防もクソもないド田舎なので結局行くことにした。
当日は私が運転して行った。
実際施設に行ったらコロナの影響で入場制限がかかっており、1時間ほど待ちが出ると言われた。
恋人にどうするか聞いたらぶっきらぼうに別にいいと言われたので、改めて予約をして一旦車に戻った。
車内に戻ってから、何か意にそぐわないことがあって気乗りしないならキャンセルしよう、別の場所に行くのも手だし!と提案したところ、前回のデートの食事の際と今回の施設の受付時に私がスタッフさんの応対を嫌がり、自分に押し付けた事が気に食わなかったそうで、そこそこ怒られてしまった。
正直ここまできてそんなこと!?と思ったところはあったし私としてはそんなつもりがあったわけじゃなかったが、嫌な思いをさせてごめんと謝り、今日の所はこの施設をキャンセルして別の所に行きませんか、例えばショッピングモールとか!と提案をしたがもう遅かったらしく、好きにすればの一点張りだったのでどこに行っても楽しめなさそうと判断し、泣く泣く来た道を戻った。
原因が私なのであまり文句は言えないし勝手に舞い上がっていただけと言われればそれまでなのだけど、私は初めてのお盆休みにとてもワクワクしていた為、凄く悲しかった。
家についてからお互いに謝り仲直りはしたのだけど、その後ガソリン代や高速代が返ってくることはなかったし、お詫びにご飯をごちそうするね!とかももちろんないのでちょっとモヤモヤした。
前々より、猫を飼おうと思い、年齢も家族構成もまって、まって、問題ない環境まで整えた。
コロナ後でも1人が完全在宅可に仕事が切り替わったので猫を迎えると決めた。
家は数名で住んでいるから空けても1時間2時間、仮に長期不在なら鍵を渡して猫の面倒もみてもらえる。
ただ1つだけ拘るとしたら子猫が良い猫エイズキャリアではないという条件。
子猫といってもよちよちではなく親から別れて大丈夫な生後3か月~半年くらいがざっとした希望だ。
必要なら2匹までなら一緒に迎えてもいいと思った、もちろん1匹でもいい。
ネットで調べて近くの団体をピックアップ春夏生まれがいるであろう
ところが最初に足を運んだ団体1つめは先着順ではないといいつつ
全部決まってまして~と相手にもしてくれない。
規模が小さめのようだから、他の団体の譲渡会に行ってみた今度は沢山の条件を並べられた。
そして、その場で個人情報バリバリの同意書?みたいなものも足を運ぶ度に書かされた。
それでも1度目はお断り、次回の会にまた来てくださいと言われた。
話はしてくれるようなので、その団体の譲渡の会に数回足を運びようやく約束を取り付けた。
先方の話も活動にも理解できる内容だから、言われたものの購入、条件もすべて揃えた。
譲ってもらえる猫と会って早1か月・・・いまだに我が家に猫は来ない。
相手は企業ではなくNPOでボランティアが頑張っているのは理解する。
手間が多すぎる。
無理なら、最初から譲れない人の細かい条件を記載をしてほしい。
当方は、数年前に猫の飼育経験があり18まで育てたことがある。
ネットを見ると飼育経験が無いとダメ、一人暮らしはダメ、同棲カップルはだめ、
小さい子供のいる家はダメ、家を空けてはダメ、そして、どの団体も生態販売に反対をしている。
猫を不幸にしない為っていうのも理解できる、大変だなとも思う。
飼っている猫を、途中で捨てる人間は最低だ不幸な猫は減ってほしい。
でも・・・大きな声では言えないが、たぶんもう保護団体からは猫は貰わないと思う。
このさい、団体に寄付金つんだら、直ぐ譲渡くらいなら良いかもしれないが・・・。
もしも次迎えるなら、そんな団体が嫌うペットショップにするかもしれない。
でも今回の数十回のやりとりを経て思う。
保護団体の命を救うポリシーは応援したい、きっと変な人が貰おうとした事例もあるのだろう。
不幸な猫も沢山いて、きっと救ってきたのだと思う。
仕事をしている身としては、貴重な休日を何日も何日もつぶされ。
未だに手元に来ない猫が本当に来るのか大きなゲージ
電車に誰も乗ってなかったわよ。
つまりそう言うことよ。
まあ私はここの事務所はあんまりそう言うの関係ないから来るときは来るってだけだけど、
あまりにも暇というか、
でさ、
操作もまだおぼつかないまま
私は飛び込み前転をするかの如く
まだレヴェル1の若葉ファイタータマネギ戦士と言ったところかしら。
目の前に敵が操作できなくて、
美味く応戦できないの!
でね
ぜんぜん操作が思った通りに操れないけど、
まぐれで敵チームの人をやつけたら、
私ごときの若葉ファイターのタマネギ戦士にやられるなんてよほどのものね。
10年早いわよ!
って今日から始めたばっかりの人に言われるこの屈辱を味わいなさい!って言いたいわ。
基本やられっぱなしなんだけど
なんとかレヴェル4ぐらいまで言ってお小遣いも貯まってきた頃で
色々なギアやブキを買えるわけなの。
いわゆる、
ここで装備していくかい?ってあの武器屋のマスターが言ってくれるカッコいいセリフキター!って感じで、
私は新しいブキと洋服とかいろいろ買い込んで装備してまた戦場カメラマンの渡部陽一さんのゆっくり解説しそうな勢いの飛び込み前転でインターネッツの人たちとまたチーム戦を繰り広げるのよ。
でもブキを新しく新調したところで
やっぱりぜんぜん打たれるばかりなの。
でも、でもよ。
あのロボットバクダンが私の敵を取ってくれてやられる間際にロボットバクダンを2発お見舞いしてやったのよ。
私が死んでもロボットバクダンがしばらく歩いて敵チームの人に歩いて向かって炸裂してくれるから
私の敵を恩で返すよう仇のように敵討ちをしてくれたの。
やったー!って
なんかブキいろいろあるけど、
どれも一長一短あってなんか上手く使いこなせないわ。
でね、
チーム戦で疲れたら
いきなり初戦ボスのパン焼くトーストのお化けのボスが倒せないのよ。
倒し方は分かるけど、
パンが焼けたよ!って出てくる瞬間ペンキを塗って以下になって泳ぎ登っていく一連の操作ができないの!
頭では分かっているのに頭では分かっているのに、
全然登れない前前前世の呪いでもかかってるのかしら?って思うほど登れないの。
でね、
あの焼きたてパン!
いやあの焼きたてパンを恨む前に私がポンコツ操作を繰り広げるものだから
ゲームのコントローラーと一緒に身体が動くダサいやつを地で行くように私もやってるわけなのよ。
でさー
チーム戦で背後に敵に回られたとき、
ぐーってコントローラーを後ろに回しても身体が回ると画面が見えなくなるから、
うわ!私の状況も今このマルチーズ犬のようになってないかしら?って
かの一世を風靡した、
年収低すぎお姉さんや
あーあ。
またやられちゃったわって。
レヴェル1のヤツが来たぜ!最悪だな!って同じチームの人たちは文句一つ言わずに私と一緒に戦ってくれるのも
不思議と私をスプラトゥーンが受け入れてくれているかのように思えるわ。
たぶんみんな自由にしゃべれるなら
お前何やってんだよ!って言われかねないこのご時世、
またスプラトゥーンでも生きづらい世の中の縮図にならないだけまだマシだわ。
まあとにかくまだ私はひよっこ新米若葉ファイターのタマネギ戦士なので、
お小遣いもいろいろ貯めて
スマブラで見た!ってここで進研ゼミのこの問題やった!って感じが出てて、
これが憧れのあのステージだったのかー!って思ったのよ。
でね、
本当に落ちたらアウトなところも普通に進めるわけ。
要は落ちて自滅しちゃうって事なんだけど、
柵作っとけよ!って思ったわ柵を!
あんまりステージがどうなってるのか分からないからとりあえず飛び降りてみました!って軽いのりで飛び降りたらやられちゃったわ。
私が復活するまでの間チーム戦が不利になってしまってゴメンなさい!って謝りたいぐらい。
旧暦の七夕祭りやってるところを探して短冊にお願いを書いて吊したいところよ。
うふふ。
そばとそーばだけにね。
一晩じゃ味が薄いようなお茶っ葉が足りないのか分からないけど、
ごくごく飲んでる瞬間は味を感じないのよね。
ふっとしたときに味が来るのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
コロナ前はイベントに参加したりSNSで出会った県外のオタク達と遊んでいたが、今はそれができない。
職場は派遣社員というだけで距離を置かれるし、同じ部署は男性しかいないため、とても気を使われる。雑談しても私に興味ないのか、私が聞いてばかり。虚しくなる。
地元の人間が多いインスタ垢でもコロナ禍で誘うのを避けてるようだ。
私も初対面の人と会うのは怖い。
彼氏はもちろんいない。マッチングアプリは面倒になってやめてしまった。
人が好きなわけじゃないし、寂しがりやなわけじゃないけど、突然、自分は孤独でどうしようもない人間なのでは?と思えてくる。
寂しいからと遊べる友達はいない。通話はできるけど……そういえば、コロナが流行ってから私は一度も友達と会っていない。
寂しい。だからといって友達たちがいる関西や関東には行くことができない。いつまでこの生活が続くのだろう。
誰かと楽しくお喋りしたい。それだけなんだけどな。
# 検査万能論
# 子供は感染しない、なっても重症化しないし、子供から親にはうつらない
# 家庭内感染が最も多いんだから、飲食店を止める必要はない!
# 重症にならないと入院できない!!(まぁもういないとは思いますけど
# そもそも軽症の人が病床を逼迫していたのだからこれは大歓迎!!
考えていることを文字にするのは大切だとわかっているけど、自分で自分の思考が幼いとか、いわゆる中二病くさいとか、そういう恥ずかしさもあって、なかなか実行できないでいる。それでさらに心理的なストレスというか心理的な状況が悪化して、手がつけられないような状況になることを繰り返している。今も悪い。
外形的な環境は関係なく心理状態が悪いんだ、と自分で自分に言い聞かせているが、けっしてそんなことはないことは自分が一番良くわかっている。もし今とてもたくさんお金を稼いでいて、しかも人から尊敬されるようなことをしていたら、もし今文句のつけようのないような奥さんとか家族なんかがいて、幸せに暮らしていたら、自分の心は決してこのような文章を書くような状態には陥っていないと思う。
オリンピックを見ていても何をしていても、結局は現実逃避をしていて、その結果現実はさらに悪くなるということを何回も繰り返している。なんとかならないかなーと思いつつ、自分がアクションを起こさないことにはなんともならないことはよくわかっている。それができないでこの一年間、心は一時期に比べてストレスが少ない状態であったにもかかわらず、やはり一定のうつ状態からは抜け出せずにひたすら苦しんでいた。
人と会っていないし人の情報を得てもいないのに、嫉妬し、執着し、落ち込むことばかり繰り返していた。人と劣等感と優越感で勝負しても必ず負けて心がとんでもなく傷つく。そしてそれをわかっていながら何もできず、やはりうまく生きられない。
極度の人に対する気の遣いようというか、臆病さがあり、それによって配慮をすることで得をしてきた面ももちろんあるが、自分に余裕がない状況になるたびに人からの連絡を無視したり、不義理をしてすべき連絡をできなかったりという面で損のほうがよほど多い。もっとしぶとくならなければ生きていけないとわかっているが、自分の性質なのでなかなか治すことができない。
この世に対して深い恨み、無力感、絶望感を抱いているのに、死ぬこともしない。
死ぬことができないのには2つ理由があって、1つ目には家族が気の毒ということと、2つ目には一度自殺しようとしてできなかった経験から少し自分の自殺能力に疑問があること。自分が死んだあとには自分にとっての世界が存在しないから家族のことなんて考えても仕方ない、と頭ではわかっているが、やはり自分が死んだことを知らされる親、姉、祖父母、おばのことを考えると、さすがに申し訳ないと思ってしまい、極限のストレス状況ではない今の状況ではなかなか踏み切るところまでいかない。家族はみんな、自分が東京で出世することやお金持ちになることを望んでいるわけではなくて、単に元気で暮らしてくれたらいいと思っているだろう、ということもある。もし出世やお金持ちになることを希望しているのであれば、それは明らかに自分の能力では不可能なことなので自殺したほうがいいということになるが、そうではないのであれば、生きていたほうがいいということになる。自分としてはもちろん、生きていることそれ自体が本当につらく、耐え難い苦しみの連続でしかないので、死ぬほうが百倍楽なのだが。家族が、自分に対して元気に暮らしてくれればいいと期待すればするほど、自分は自殺に踏み切れず元気がなくなり、不幸が重なっていくという一種のパラドックスというか皮肉的状況にある。
常に強い劣等感に苛まれ、かつ何をしても絶対にうまくいくことはないという強力な固定観念があるので、生きることはただ辛い。どれだけ辛いかは本当に筆舌に尽くしがたい。生きているだけで、針の山を無理やり歩かされているような気持ちがする。自分としては、生きるのに向いていない遺伝子や個体というのもやはり一定割合のエラーの一つとして生物群の中に出てくることはまったく不自然ではないし、それが自然淘汰として自殺することも合理的と思う。それができないからつらいのだ。毎秒毎秒、塗炭の苦しみ。それも何にもつながらない苦しみだから余計に苦しいと感じる。何か成功に向けての苦痛とか終りが見えている苦痛ではなくて、ただ出口のない、無駄な、理解もされない苦痛。
高校のときに倫理の授業で「絶望は死に至る病」という本を習ったが、自分はそれを聞いて、机に落書きで「死に至らない病」と書いた。そうかんたんに死ねないから絶望というのは更に強いのだ。もし死ねるなら、絶望はそこまでひどくはない。元の本の趣旨は、絶望というのは人を死に追いやるほどの強力なもの、という意味が込められていると習った。しかし自分の感覚としては、死ねないからこそ絶望は更に深まり、もっと強力に襲ってくる。夜が明ける前が一番暗いし、日が沈む前が一番太陽が輝いているように、死を手前にしたところが一番しんどいのではないかと思う。勇気があって飛び込んでしまえる人はいい。その度胸もなく、かつ自分をうつ状態から引き戻す力もなく、絶望的なリンボーで永遠に苦しみ続ける感覚。それが16歳か17歳のときだっただろうから、少なくとも12,13年以上、自分は絶望にかこまれ、死ぬより苦しい思いを毎日、これでもかというほど味わって生きてきたことになる。もちろんそんなことは自分だけではないからそれを美化するつもりはない。また、幼い心で何か死ぬことを美化していたという面があったのか、と今振り返って反省してみるが、けっしてそんなことはなかった。死ぬことは当時から最悪の選択肢であり、人生における敗北であり、弱者の逃げでしかないことはよく理解していた。それでもなお、あまりに人生は辛く、とにかく敗北でも弱者でも逃げでもなんでもいいから死にたい。考えというよりも、感覚として死ぬことを求めている。のどが渇いたり、性欲がたかまったりするのと同じように、本当にもう無理でつらすぎるから死にたい、なんでもいいから死にたい、という強い希死念慮。それが間断なく、24時間365日襲ってくる。もしそれが抑うつ状態や軽度のうつ病の症状であったとするなら、12歳頃の子供の時から今まで、人生の大半、3分の2程度まではうつ状態であったということになる。自分としてはこれがうつ状態とは思っていない。それが平常。
主に外形的な要因で、時折、希死念慮が薄くなる躁状態のときがあったが、これがまともな人間の普通の状態にあたるのだと思う。自分にとってはそれは本当に数少ない異常状態で、絶対に長続きすることはなかった。神様が慌てて帳尻を合わせてきて、その小さな成功を取り消して、その後には2倍、3倍の失敗と苦しみを必ず与えてきた。
心の問題から離れて、外形的なほうで、なぜ人生は常にうまくいかないのかという点について。人生がうまくいきさえすれば、外形的になにもかもが思い通りに行けば、自分の心の問題はかんたんに解決すると思う。劣等感でひどく歪んだ性格や強い希死念慮、うつ状態が平常状態というおかしな心理的な特性を考えてもやはり、希死念慮に至るきっかけは常に外形的なことだったと思う。例えば部活でもっと活躍できれば、体育で体がもっと動けば、受験がもっとうまくいけば、就職が失敗しなければ、もっと女の子にモテていれば、もっと友人に恵まれていれば。外形的な、というのはそういうことを指している。
もともと自分は能力も低く、外面から見てもさほど恵まれていないし、それらを磨くという努力も怠ってきた。それが一つの原因としてなにもうまくいかない、という無力感や絶望感をコツコツと毎日休みなく蓄積してきた。そもそも自分は長期的な努力が苦手だ。かんたんに言えば怠惰だ。それにもともと持っている才能や外見やスキルもないから、当然うまくいくはずがない。世の中は持って生まれたもので勝負しないといけないという意味で公平で、結果においては公平公正ではないから、当然勝者は常に勝ち続け、敗者は常に負け続ける。有るところにはなんでもあるが、ないところには、本当に、徹頭徹尾、なにもない。本当に何もない。もちろんそれが世の中のあり方だし、みんなそれを前提に生きている。それに文句をつけるのは筋違いだ。
また、2つ目の理由として、何かしらの才能のかけらとか持って生まれたものがあって、そこの上にきちんと努力をして、成功確率を5割とか、ある程度のところまで高めても、運によってそれが左右されることももちろんわきまえている。運というのはなかなかくせもので、見た目上の確率が5割でも、実際には10割負け続ける、いわゆる持っていない人も世の中にはたくさんいる。そしてこれまでの人生から統計的に考えて、自分がその一人であることも疑いようがない。絶対に、何をしても、うまくいくことは有り得ない。少しでもうまくいきかけると、神様が慌ててやってきて失敗にする。それだけを繰り返してきた。でも、もちろんこれも同様に世のあり方だから、それに文句を言っても仕方ない。それはつまるところ天に唾するということであって、この世そのもの、というのは変えようがない。世の中すべて、というのはそれを感覚で捉え、見ている自分自身そのものだから、この世のあり方に文句をつけるのは自分の命に対して文句をつけるのと一緒。
そして自分は、何をしても、決してうまくいくことは絶対にない、ということを何度も味わった失敗からかんたんに学び取り、また世の中のあり方に文句をつけることは自分自身に対して文句をつけることと同じであることもまたかんたんに学び、その場合、死ぬことが唯一の正解だということも学んだ。死ぬことが一番の正解という考えに最終的に至ったのが16歳か17歳のときだったはず。その時の絶望は今でもよく覚えているし、また残念ながら今でも考えはなんら進歩しておらず、その後何回もの挫折や失敗を繰り返して、むしろ確信は深まっている。
死んだ人だけが良い人間で、生きている人間はみんなどこかおかしい。頭がとても悪いか、人のことをなんとも思っていないか、とにかく人の心を持っていない人間。本当に良い人間はみんな自殺してしまった。狂ったような響きだが本気でそう信じている。
自分のような人間は生きていても何も為すことはないのだから、さらっと死んでしまうのが一番なのだ。本生まれてきたのが不幸だったと割り切るしかない。なにかうまいことや響きのいい言葉を言おうという意図ではなく、本心から、生まれてきていいことは何一つなかった。
人生で得たもの。毎日のようにやってくる鈍くて絶対に消えない心理的苦痛と、死ぬことが唯一の解決なのに死ねない無力感、というか絶望感。