はてなキーワード: まさかとは
32でやっと諦め専門分野に近いところに就職、半年後妊娠結婚して退職
妹の大学時代から国試浪人間の面倒を誰が見ていたかと言うと私が面倒を見ていた
私大の学費も出し、年金や、予備校代、奨学金なども払っていた。子供1人育てられる位は出したと思う。
なので私が結婚しても結婚式をあげるお金はなかったし家を買うお金もあまり貯められなかった
お金は帰ってこないつもりで出してるので返せという気持ちは無いがまさかここまでお金出してきたことが無駄になると思わなかった
仕事を辞めてしまったので妹の稼ぎは無いし、半年で辞めてしまったのでお金を稼ぐ大変さも知らない
国試浪人2浪目から毎年諦めろ、諦めさせろと両親妹vs私で喧嘩したが挑戦し続けたい妹とそれを擁護する両親を退けられなかった
浪人留年せず大学出て就職したお前には留年国試浪人の辛さが分からない、挑戦せず安牌な道をとったお前にはわからないと言われてきたが頭悪い方が悪いと思う
諦めがつくまで人の金で挑戦し続けられる環境があって、家族を持つ幸せも、家も買って、 おねえちゃんは子供いらなかったの?と聴いてくる妹が羨ましい
てかまさか次の職決まってないの?
強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している
そんな Rust OOP だけでGoogle検索した結果だけ出されても
Rustではtraitでインターフェース定義して、traitさえ実装してればなんでも受け入れる多態性を確保した関数を実装して、
構造体に紐づいたメソッド呼び出しを中心としたコードがRustで書かれたコードの9割だと思うけど、
それがOOPじゃなくて何?
数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである。家族が俺一人になったので、土地と建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである。
相続が終わってから、遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟の漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。
その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。
何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。
実家の本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶は脳裏から消えてしまったのだ……。
ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。
そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画。
家族で食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。
弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から、内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。
確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオを再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。
さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックスの漫画を読むことはなかった。守護月天の漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああいう精緻な絵柄のエログロが好きだった。
とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。
読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。
ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。
その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである。
~ブックライブ!から引用~
一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天の美少女とのファンタジー・ラブストーリー。 一人暮らしの中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。
つまり、主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助がシャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である。
では、さっそく始める。
読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。
あまり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。
なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。
①シャオリンが「この平和な時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン
「太助様…」
「…え……」
「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」
シャオが歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和な現代でそんな行為に需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。
ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記の台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。
このあたりは、まだだるかった。物語の登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。
別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代のラブコメは高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。
②ルーアンの計略によりシャオが太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける
「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」
ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオは現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。
この場面は気に入っている。シャオの気持ちも、太助の気持ちもリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。
このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助がシャオに愛情を意識する場面が出てくる。
ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。
以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。
③シャオと山野辺が一緒に温泉に入っているシーン
「なあ シャオ…」
「…………」
「シャオ?」
「はい?」
「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」
「翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」
(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)
うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写がリアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん。意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。
なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。
この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件やイベントが起こって、太助とシャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである。
基本は、太助~シャオの関係性がメインだ。この作品のうまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情もガッツリ描いてる。
この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンがふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である。
④-1太助が高速道路を自転車で走行中にタイヤがバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン
「………え 太助様!? 太助様太助様!! 太…助様あ… ……う…」
「あ…あの小璘さん…」
「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」
「あ…いや まさかそんなあ」
「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対許さない!!」
「…………」
「太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」
「小璘…………あんた」
④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン
「なあ…ルーアン」
「はい!?」
「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」
「………… あんたあのおじょーちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」
「――…」
「…………」
「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分の気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」
気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞のひとつである、
心か
みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。
漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。
俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事の現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスしたか記録を付けるとか……同じ会社の女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。
でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。
20年以上前の漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。
しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品の創作とかしたことないからわかんないけどさ。
⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン
「なんだかね………私 太助様ととってもお話したかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」
「……シャオ」
太助とシャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまりに絶望的な事情なのだ。
あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会でかぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。
この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。
大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアンが台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である。
ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。
文量の都合で2分割。
次に続きます。
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怖い夢
川崎の通りにカザグルマ+カメラとカザグルマ+MAC10をくっつけた物体が人知れずいっぱい刺さる
それは陽動で航空機がおとされる。それの落下物で橋ごと俺は潰された。これが2周目くらいで3周目で対策。バイクに乗った怖い奴らとかが事前に場所を特定して壊した。戦時下だったので日本軍の同じ機械と挿げ替わってた。カザグルマ部分を壊せばすぐに電気なくなって止まる
主犯が味方?だと思ってた女性の集団で、色んな髪色の個性ある人ら。
黄色髪が航空機を落とすのでめっっちゃ嫌がらせして出動口(普通に外に出る時にも使う)に滞在して全力で押し戻すなどして時間を稼いだ。(ここで小指が異常に伸びるやつと顎が伸びるヤツの、俺を巡った争いが起こる…!顎が敵で、俺の動きを察知してる、まさかお前もループの中にいるのか?顎が伸びて自在に動かせるのに?)
ピンク髪が〇〇って何?が口癖で、水って何?の次に腹をぶん殴って、これかーと笑うマッドサイエンティストで、ピカチュウと同じ声優。こいつが恐ろしいカザグルマMAC10を散布して起動するんだけど、バイク川崎バイクで対抗できるんで怖くない
青色がスナイパーで、裏拳で日本軍のカザグルマをぶっ壊してて草
平和運動で日本軍の対空やら航空やらが弱ってたので女性テロリスト集団も所属してる民間ドローン屋さんとかが全力でがんばってた
航空機が落ちる前に甘い小麦の種が落ちてきてあたりが白くなり、甘くかつ怖かった。戦時下で食糧難だった。宇人がいた
死んだらどんな感じか、普通に身体に穴あいてて、無力感、あー終わるんだでも他の人を助ける行為すらできない、苦しいの耐えてたら終わりってかんじ
数年前結婚して、ありがたいことに今年に入って身籠ることもできて、、という矢先に旦那の母が癌になった。体調不良で受診、検査したら偶然見つかったらしい。偶然見つかって良かったというわけではなく、旦那の話を聞く限りでは結構進んでいそうとのこと。そりゃ体に不調が出てるんだから初期段階じゃないよな。
血が繋がって無いとはいえ、私の第二の母であり、ショックだった。半分部外者のような私が首を突っ込んでいいか迷いつつ、旦那と一緒に病院へ同行。
検査結果を説明されながら、「癌って言葉が出てこないけど、もしや癌では無い?」と思っていたら、その後の入院時書類にしっかりと○○癌と書かれていた。
入院する義母を病棟で見送り、旦那と2人で病院付近のご飯屋さんへ。
「いやー、まさかねー、熱出たと思ったら癌かー。」と冷静を装っていた旦那だけど、帰宅してしばらくしたら実感が湧いてきたのか、急に泣き出した。
こういう時に気の利く一言も言えずにすまんなと思いながら、背中をさする事しかできなかった。
これからの検査で細かいことは決まっていくんだろうけど、医者の口ぶりからして軽いものではないことと、癌の5年後生存確率を見ると気分が落ち込む。
普段は母の文句しか言わない旦那だけど、物心もつかないうちに父親と死別して母子家庭で育っているので、そりゃあショックだろうなと。
今の所それほど困るような悪阻もなく、能天気にこのまま出産するのかーと思っていた矢先だったので、どうしたものか。
そんな時、TVerで夜明けのラヴィットを見ていたら木曜日の振り返りで、父を亡くした男性からのおたよりが読まれていた。あの時父と一緒に笑いながら見た嶋佐OASISにlive foreverを演奏してほしいという内容だ。
名のあるハガキ職人では?と思うほど、おたよりの文章が構成に優れていて、泣いてしまった。少し違うが旦那のことも重ねて泣いた。
おたよりの男性と同じく自分もニューヨークが好きだ。カッコつけることなく、いつも自然体のコンビで。できすぎているくらい感動するおたよりに対しても、背伸びして良いコメントを出そうとする気もないところが良かった。本人達はできないだけというかもしれないが。
演奏後も、「めっちゃ歌わさせてもらいました」という嶋佐に、「なんかまたスタジオがひとつになってたな」とコメントしてやや滑りする屋敷。
最高だった。
嶋佐がただやりたくてやったoasisの真似が、周りの演者を泣かせて感動させて、そして苦しみの底にいる人間のよすがになる。
普段から、感動とは程遠いことしか言わないニューヨークに、励まされてるファンがいるんだなと改めて思い知らされたラヴィットだった。
夜の町を締め付けるように冷たい風が吹いていた。ジョーンズとその相棒野村は、サイレンを鳴らしながら現場に急行した。
「同人エロ小説家の井上龍之介の遺体が一人暮らしの住居で発見されたらしい」
若手の野村は戸惑いを隠せなかった。
二人は現場に到着すると、がらんとした部屋の中に散らばる同人誌の原稿に目を奪われた。ベッドの上には井上の死体が横たわっていた。
「遺体に大きな外傷はなさそうだ」
野村が死体の周りを見渡す。ジョーンズはPCに目をやり、ディスプレイに表示された文章を確認した。
「うげぇぇっ!?」野村は顔を覆い、猥雑な文章に身を震わせた。
「なるほど...」
「えっ?なんですってジョーンズさん?」野村は困惑した表情を見せる。
「いくら変態でも普通おしっこをコーラと表現しない。おしっこがコーラ色で泡立つ理由、分かるか?」
「はぁ?コーラ色ですって?それは...」
「多くの場合、腎臓疾患の症状だろう。こういうアマチュア作家はプロと違って、取材を徹底せずに自分の経験だけで書くんだ」
「つまり、この記述は作者自身の体調、つまり腎臓障害の症状を表していた、ということですね」
「多作に没頭するアマチュア作家は、しばしば自身の健康を顧みず、症状にも気づかない。だから徐々に悪化し、気づかぬうちに重症化していった」
「結果としてこの猥雑な小説に、自らの腎疾患の症状が表れてしまった。まさか、自らの死を暗示するようなエロ作品になるとは...」
野村は無念そうに首を振った。
「同人誌執筆に没頭し過ぎて健康を失い、気づけば死に至ってしまう…か。皮肉なものですね。芸術への探究心が、あまりに深く突き進みすぎてしまった、といったところでしょうか」
ベテランのジョーンズも頷き、この不可解な事件の真相に思いを馳せた。
私の好きな人達、どうしてみんなバラバラになってしまうんだろう。
本当は、新しい推しができた喜びを文章にまとめたくて、ちょっとずつメモを残していた。まとめきれないうちにケンティーの脱退が発表されてしまったのだ。
好きになってたった3ヶ月での出来事で、久しぶりにできた推しGの存在に最高潮に盛り上がってはしゃぎまくって調子に乗っていた最中だったから。期間は短いけどショックはとてつもなく大きかった。
毎日のようにCDやコン円盤を買い漁り、過去映像をチェックして、Twitterのアカウントも作って。fmkn二次創作に出会ったあたりで本格的に沼にはまった気がする。一般でチケットを手に入れて、ドーム公演にも参戦した。執着の強さが自分でもやばいと思いつつ、結局大阪両日とも参加した。久しぶりの大型会場でのコンサートで、若くかわいいお客さんもいっぱいいて、ちょっとびくびくしながらも同時にわくわくして。まるで二次元の存在みたいだったSexyZoneって実在するんだ!って思った。ドームの通路にはライブ機材が無造作に置かれていて、SexyZoneの名前が書かれていた。次のコンサートではこの名前も変わるのかな、なんて思って見ていた。
今回はドームだけどきっとある次のツアーではアリーナのチケット取りたい!と無邪気に願っていた。
TOKIOもV6も、今も活動してくれているメンバーがちゃんといるけれど、やっぱり昔と同じ熱量では追えなくなっていたから。若いグループにはまってあと何年もずっと追いかけていける!キラキラした宝石を愛でるみたいに応援していこう!って思って、ワクワクが止まらない日々だった。
今となっては、もっと早くセクゾを知りたかったと思う。デビュー時はなんて幼いのかとちょっと引いていた記憶がある。その時の印象のままずっと来ていて、WOWOWでケンティーの映画番組を見かけたときも、子供にこんな番組やらせるの?なんて失礼なことを思っていた。
TOKIOのことがあって、V6のことがあって、ここ数年はジャニーズの情報を追うのが辛くなって、大型音楽番組もろくに見ていなかった。
事務所問題がなかったらもしかして今回の脱退もなかったのかもしれないけれど、事務所問題があったからこそ応援のつもりで若手Gをチェックするよになって、それでセクゾに、中島健人に出会ったのだった。
知らずにいたらこんなに苦しんではいなかっただろうけど、知って悔やんではいない、今のところ。それくらい中島健人という人は魅力的だ。
発表後しばらくは苦しくて、わざと嫌いになろうと苦手なところを探したりもした。でも結局無理だった。むしろ発表前よりも彼のことを知りたくなり、好きな気持ちが強くなっている気がする。
VIVANTを見てノコルが良かったから、なんとなくジャにのを見始めた。並行して、キンプリとか若手の動画を見るようになった。ささやかな応援のつもりで。
ジャにので唯一知らなかったのが風磨君だったんだけど、ちょっと無礼なキャラクターが気になった。顔が好きなタイプだったのもある。
同じタイミングで聡ちゃんがDASHに初登場して、あまりの良い子さに感動してしまった。推しの太一くんの反応が良かったから余計にかもしれない。
リプモンのCM騒動も忘れられない。作品そのものが素晴らしかったから、失われることにファンは怒りを表してもおかしくないのに、ナイフには花束を、
を合言葉のようにして、嘆きはしつつ感謝を述べていたのを見て、それにケンティーが花瓶で返したやり取りを知って、泣いてしまった記憶がある。
メンバー4人中3人のことがここまで気になっているんだから、応援のつもりでFCに入ろう、なんて思っていた。ちょうど改名が発表されていたから、今は大変だろうから新G名が決まって落ち着いたらね、って感じで。
事務所バッシングがひどい頃で、テレビが辛かったから家では常にYouTubeを見るようになっていて、そこで本建のMVなんかも見てたんだけど、そこにCDTVの映像が流れてきたのだ。
そのパフォーマンスに魅了されてしまった。多分その場でFCの入会手続きをしたと思う。あの自信満々で不遜なまでの微笑み。妖艶さ。歌唱力の高さ。指先の動きまで美しくて。そこから本当に沼だった。メンバー全員方向性の異なるビジュアルの良さといい、波乱に満ちたグループの歴史といい、ふまけんというシンメの関係性といい。まるで少年漫画のようで、二次元オタクの心に物凄く刺さったのだ。
でも、はまって早々に、グループへの不安というか不満も生まれていた。
まずGの供給がないこと。Gの関係性や人となりを知ろうとしても手段がない。それもあって、CDの特典映像を集めまくっていたが、過去のものを見ると、このGあんまり仲が良くないのでは?と思わざるを得ないやり取りがたくさんあった。見ていてヒヤヒヤするような雰囲気は、仲が良いのは当たり前のトキブイしか知らなかった身にはちょっと衝撃だった。検索すれば氷河期などがサジェストに上がってくるし、でも今は仲悪くないんでしょ?と思いたかったが、ホメうそでも時々不安になるような会話があったりして。心から安心して見ていられる感じではなかった。その辺を、二次創作でごまかしていた気がする。妄想の中ではfmknはとても仲良しだったから。
JGRの動画をみて、ボケが放置されるのは不仲な訳じゃなくて通常営業なんだって知って、ちょっと安心した記憶があるけど、それくらい不安感が漂うGだと思っていた。
不安のピークは年末年始だ。年越しになんの供給もないあたり、このGは大丈夫なんだろうかって新規のくせに泣きたいくらい不安になっていた。
だけどまさか、セクゾの象徴みたいなケンティーがGを抜けるとは想像していなかった。FCの文章を途中まで読んで、一瞬風磨君が辞めるのかと思ったくらいだ。
でも確かに、ケンティーがいなくなるかも、という考えも浮かんだことはあった。彼は映画を愛していて、映画に関わっている先輩達の退所が相次いでいたから。彼も同様の理由でいつか事務所を離れてしまうんじゃないかって。
こんなに早く、少し違う形での離れ方だとは思わなかったけど。不祥事でもない、事務所を離れるわけでもないんだから、きっとずっとマシなんだろうけど。
私のFCの好きなメンバーは風磨くんだ。トニセンの写真を買ったときついでのつもりで買ったのも風磨君の写真だった。顔が好きなのは風磨くんだし、最初にセクゾを意識したのはジャにのだったし、そんな理由だったと思う。でもいつの間にか推しはケンティーになっていた。
決定的なきっかけはもう思い出せないけど。ドーム映像のビジュアルや歌声が良かったからか。パブイメと全然違うビリヤードが愉快だったり、けんしげひーの打ち解けたやり取りが可愛かったりしたからかも。でもたまたま加入していたWOWOWの影響は大きかったと思う。なんとなく見た映画番組で、映画への愛の深さ、英語力の高さ、物怖じしない強さ、礼儀正しさ、溢れる好奇心、知らなかった魅力が詰まっていて。物凄く惹きつけられた。この人の努力が報われる世界であってほしい、なんてモンペ思考になってしまうくらい。
でも、Gにいたまま世界に出て、Gを世界に紹介してくれるんだろうって信じていた。
そして彼が抜ける理由も多分この番組のせいだ。せい、っていうのはよくないかもしれないけど、Gにいる彼が好きな人間にとっては、この番組には複雑な気持ちがある。彼が最も輝く場所であり、Gから彼を奪ったとも言える存在だ。もしこの番組がなくても努力家の彼は、また違うルートで羽ばたいていたかもしれないけれど。
Gの関係性にも悲しみを感じる。トキブイの別れてのときは、いろんなパターンがあったけどどの時も、メンバー間の愛情を疑ったことはなかった。山口君の時でさえ、いやあの時こそ一番強く、深く揺るがない愛情を感じた。でもセクゾは違う。メンバー間の繋がりが脆くて儚いものに見えてしまう。Gの歴史を考えたら仕方ないのかもしれないけれど。でも、もし何かが違っていたら、もっとGが上手く機能していたら、Gにいたままでいてくれたんじゃないかって、新規ながら思ってしまう。
飛ぶ鳥を落とす勢いて売れてきた風磨くんは、これからはケンティーともっといい関係になるだろうって期待していた。それなのになんで離れてしまうんだろう。逸材揃いのこのGの魅力が、もっと世間に知られて欲しかった。そうならないうちに形を変えてしまうのがあまりにも悲しい。
世界で活躍する中島健人が見たい。でもグループでメンバーと一緒に活動する中島健人も、もっとずっと見ていたかった。
どっちも強い本心だ。あと本当にちょっとでSexyZoneは終わってしまう。
新規オタクの短い夢も終わってしまう。これから過去の作品を遡っていくのを本当に楽しみにしていた。次のコンサートでは中島さんのうちわを作ってみたかった。
上でも書いたようにケンティーのことはすごく好きだし応援したい気持ちがあるけど、アイドルはGにいてこそ、と思っているので、同じように推せるかは分からない。最推しがいなくなった新Gのことも同様だ。
きっと辛いから見るのをやめて、そのうち離れていってしまうかもしれない。
今は全く分からない。
本当は仲が良くはないと思うシンメの絆を、それでもちょっと信じたいという諦められない気持ちもあって。
季節の変わり目でメンタルもぐちゃぐちゃだ。その記録として殴り書きした。
まさかとは思うが全区間の調査掘削が終わる前に他のトンネル全部掘っちゃう気か?
本日の午前中は足裏の筋肉痛のため低山ランニングごっこはお休みしてお散歩に切り替え
図書館に本を返しその足でワークマンに行きイボつき軍手を確保、12組399円はたぶん安い
その足で某スーパーに行きお野菜の陳列を勉強させてもらいつつお買い物
今日は麻婆、明日は魚、明後日はどうしようかと悩んでいたところ
チャプチェ!!黄色野菜とキノコ入れられて変化球にええやんけ!ということで購入
今日は特売日で客も多く森に紛れるがごとく忍び込む
みんなしっかりと働いており目を細め「ようやっとる」ウンウンと頷く
にしても微妙な距離感の店員がワイを認識して目が泳ぐ感じめっちゃ面白いなw
レジしてもらってる最中にレジヘルプ要請の店内放送が流れたと思ったら
まさかの店長がワイが会計してもらってるレジにヘルプで入ってきて
ワイの姿を認識して「あっコイツは」ってなって目が泳いでお互いよそよそしくなる感じバチクソおもろかったわwwwww
んで
店を出た時におもくそ別スーパーの店名が入った袋を持ってたことに気づいてワロタwww半分喧嘩売ってもうたでwww
うはwwおkwwwww敢えて店長が入って来るって持ってんな俺www明日の勤務が楽しみwwwwまあ何事もなかったようにスルーされるだろうけどよww
というわけで午前の部は終わり!
この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会のトラウマを思い出したので書く。
新卒で就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人材派遣を行う人材派遣会社だった。
当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社の看板も、営業網も使えていた。
それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。
だからか、当時入社するプロパーの入社式はそれはそれは華々しく行われていた。
いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。
プロパー新人が記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。
派遣会社の事務所長から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。
簡単で事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である。
課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。
周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。
15インチスクエア液晶とDELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。
当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。
それから数日して、プロパー新入社員が挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月のお盆明けからだが、と聞かされた。
何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。
すごいね。
元グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって。
すごいね。
そうして彼らプロパーの新人が新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。
忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というものが存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事の特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。
このように同じ職場のメンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである。
いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。
さて、この内容を何故標記の増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったからである。
時は流れて8月。プロパー社員の新人が正式に職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である。
今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会と忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。
私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。
そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。
なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事で必要だから」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである。
偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。
今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。
ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットである。もっと具体的に言うとこの増田、はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。
そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。
みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。
さて、その後だが、元グループ本社のブランドが使えなくなり、営業網から外され、元グループ会社が格安で担っていた間接機能を自分でやらなければならなくなり赤字に転落。
元グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社が転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれ、プロパー社員のボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社の組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件の改悪、激変が続く事になる。
当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単なビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。
同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社の系列のグループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社)からではなく、他の派遣会社からの人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社の機能に依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。
さらに賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外のEMSに出されるようになっていった。
しかし、プロパー社員と派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統、食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。
ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラは黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である。
そのタイミングで、元グループ会社本社が最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。
そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社のグループ内向け派遣会社であるからである。
かつて敷地内にあった派遣会社の事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。
そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社に正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。
もちろん、断った。
会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業の工場で地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。
だから自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。
さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。
そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足のタイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。
引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社がグループ本社に吸収合併される事が決まった。
本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社の正社員になることができた。神風が吹いたと言える。
そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢の新入社員一年目が、悪夢のホテルでの夜が頭をよぎるのである。
だからみなさん、相手の所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから。
また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである。
頑張ってほしい。