はてなキーワード: 関係とは
高市の敗因は蓮舫と全く一緒だよ。左右違うだけでお仲間向けの演説かまして未定の人たちの票を失った。あと強いて挙げるなら、
こんなとこだろ。
もうすぐ米国との契約が切れるのだが宇宙人はもう更新しないと言ってるので宇宙人のことが米国は発表してしまうかもしれない。
というのは万が一にも宇宙人が米国以外の国と規格外テクノロジーの独占使用権を獲得させるわけにはいかないからだ。
そうしないために宇宙人がいかに危険であるかというネガティブキャンペーンを広げて地球対宇宙人の図式を作ろうというわけだ。
知ってのとおりに宇宙人には基本的に感情がないので積極的に地球人を洗脳することが出来ない。
ただ必要な鉱物資源と哺乳類(人間)の精神波だけは必要としているので米国の要求のままに規格外テクノロジーを独占支配させていただけだ。
しかし宇宙人側としてもこれ以上の地球温暖化は座して眺めているわけにはいかないと判断し米国を切ることにしたのだ。
しかし、胸を揉むのをおそらくスキンシップだと考え、気軽に胸を揉もうとする女性が多く存在することは数々の証言から示されていますから、お互いに気軽に胸を揉み合うような関係の女性たちもそこまで珍しくないのではないでしょうか?
私はそう思います
IoTの申し子みたいな感じでSwitchBotが一時期流行って
5年目に突入してそろそろヤバくなってきてる
まず、とにかくいろんなデバイスが壊れてきてる
使用頻度は関係なく壊れているイメージで、壊れると通電しないし反応もなくなる
テレビとかオーディオ機器とかだと数百ワット使ってるのでちょっと何かあると怖いからすぐ買い替えている
ただ留守中に何か起きるとか考えると割と怖い
アプリ上では問題無く動作するのに、スマートスイッチから呼び出せないとか
前まで電波が届いてたはずなのに突然使えなくなったりとか
鍵を開けたのに実行されなくて、家に入ってから鍵を閉めたら遅延実行されて鍵が開けられてしまった
下手すると開けっぱなしで外出してしまうし閉じ込めも発生するし
って言っててすげー気になった
自分は高校までサッカーやってたけど利き足なんて誰も気にしてなかったし
みんな両方蹴れるのが当たり前、プレースキックや強めのシュートは利き足だけど
そもそもフリーでシュート蹴るなんて試合で1回あるかないかだし
DFがいるなら蹴れる方で蹴るよね
バスケやバレーだったら利き手とか大事かもしれんけどサッカーで利き足なんてFKとCKぐらいじゃないんかな
んでAI使ってというのが新世代だとしたら、現世代はどんな開発方法なの?
そして旧世代の開発方法しか持ってないで現代に残ってるとしたら
エクセルとにらめっこして開発してる人なんて既にリストラされてるか独立してるか。
旧世代の開発方法が何かは分からないけどさ、エクセルで開発できるようなもんなんて大した事ない。
ITにもいろいろあるけど、システム開発はそんなにぬるい世界じゃないような
な?
ぼざろが凄いのは音楽関係のスタッフやアニメーターの努力のおかげであって、脚本そのものはしょーもない凡作止まりだったろ?
有名作詞家が作った歌詞で作品世界の輪郭強化してもらってただけなのに、それがいつの間にか脚本の功績になってたのがそもそもむちゃくちゃなんよ
アクティブ投資で長期的に勝ち越そうとするなら、かなり勉強して試行錯誤を繰り返さないといけない上に、それでも勝てるとは限らない。
なので、働いている人は、可処分時間や勝てる見込みを考慮して、アメリカのS&P500に連動したETFなんかをメインの投資対象としてパッシブ投資するほうがコスパ良いと考える人が多い。
なんか違う。
安い給与に腹が立つってことは
本当は自分は金もっともらえるはずって思ってんじゃん。自分への評価と社会からの評価が違うからイラついてんじゃん?
そう思ってるけど個人的にイライラするだけのことを無関係な他人を巻き込んで不愉快にさせてる。それを毎日繰り返してるわけじゃん。
客観的に言ってそんな日常送ってるやつは普通にダメな奴だろ 笑
これは手取りがいくらだろうが大富豪だろうが変わらないよね。そもそも気分で不愉快になるやつと一緒に過ごすのは無理がある。これはどんな関係でもそう。
でもそれが本人の限界なんだ、それ以上求めるのは虐待なんだっていうなら。
最初からそういう「努力する才能にすら恵まれなかったダメな奴」だと思ってるっていう最初の話に戻るんだけど。
そういう人はかなり多いと思う。
蛭子能収さんは結婚して子供2人出産したあとも毎日のようにセックスされてたようで。そういう関係の方もまれにいます。
性欲が強い人は公園のトイレやビデオボックスでオナニーして発散するか、それが無理ならソープとか性風俗に行って吐くしかない。
奥さんが性風俗行くことを半ば認めたってことは凄いなと思うけど、それでセックス以外でも夫婦関係が崩れたり、子供にも知られて良からぬ方向に進まないように注意は必要かと。
cinefuk クリミア侵攻を擁護して「ワタクシはウラジーミルと同じ未来を観ている。ともに手を取り合って何処までも駆け抜けようではありませんか!」と北方領土永久献上した安倍晋三を批判するとは、貴様もしかして反日だな?
ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう、プーチン大統領。ロシアの、若人のために。そして、日本の、未来を担う人々のために。戦いが終わって、来年で75年です。冷戦の終焉(しゅうえん)からでも、30年。私たちは、1956年に、二度と互いに戦わず、相互に敵とみなさず、平和愛好、善隣の原則に立って関係を築いていくことを堅く約束しました。
ともに手を取り合って何処までも駆け抜けようではありませんか!
そしてその先に、平和条約の締結という歴史的使命がある。未来を生きる人々を、これ以上、もう待たせてはならない。ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。歴史に対する責任を、互いに果たしてまいりましょう。平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を、一気に解き放ちましょう。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0905eef.html
伝聞情報をもとにした最小公倍数的な内容にすぎないけど、概ね多くの人の実感と一致するのでは?
・身も蓋もないけど、目立った失点がなかったのが最大の勝因
・これまで非主流派だったので、有権者向けに「自民党は変わる=清和会(安倍派)的なものを否定する」と示すのにちょうど良かった。
・演説で自分の過ちを謝罪し、(本当に安定しているかはともかく)安定感を示したのは決して小さくない。世の有権者はパフォーマンスより安定感を求めており、それを各議員も感じ取っていたはず。
・予備選での勝因は、右派の旗頭(安倍派の生き残り)としてのまとまった支持やアンチ石破の受け皿ということでは。
・決選での最大の敗因は、結構票数が拮抗していたのに、状況を客観視できずアンチ安倍派の存在を意識した言動が取れなかったことで、アンチ安倍派以外の中立的な議員からも「危なっかしい」と思われたこと。
(潮目が読めない奴は勝負弱いし頼りにならない、という話。)
・付け加えるなら、遠因として、思想の過激さと、それを支持して集まってくる取り巻きのヤバさ。中立的な人達からすると、あんなのと一緒にされたくないということになる。
・善戦の理由としては、若くあからさまな悪人ではないので、刷新「感」を出すのにちょうど良かった、というところ。
・敗因は、菅さんがバックにいることが明らかだったため、刷新なんかできないと見透かされたこと。
・加えて、解雇規制緩和など20年遅れの議論を持ち出し、あの暗かった純一郎時代の負の記憶を呼び覚ましてしまったことも関係あるのでは。
・もともと岸田派にとっては「次の首相候補」だったので、旧岸田派やそれに近い人達(谷垣Gなど)が順当に支持した。
・外相としても官房長官としてもそこまで悪くなかったので、能力的にミソが付いていない。
・決選に残れなかったのは、多分、今回は乱戦気味で勝つのが難しいので、目的が「一定の存在感を示す」ことになったから。
・ただ、右派票は高市に流れたので、そこから支持が広がらなかった。
・総裁選前は中堅どころだったのに、一気に総裁候補として名前を売れたので、充分だと思っているのでは。
・岸田派的には林さんのサブだったはずなので、「無理に出なくても……」というのが多くの人の本音だったのでは。
・本人的には、年齢的にチャンスは多くないので、あわよくばというのと、名前を売っておこうと思った?
・もしかして我々が観測できないだけで、なんらかの党派闘争のコマだった可能性もあるっちゃあるんだろうけど、今のところ陰謀論の域を出ない。
・あれだけ首相になりたいオーラを出しまくっていたので、勝算無視で出ざるを得なかっただけで、本人も勝てるとは思っていなかったのでは。
・他の候補は応援する理由があるけど、茂木さんをわざわざ応援したいかというと、「パワハラが有名で、選挙の顔として微妙すぎるし……」ということになったのでは。
・デジタル大臣として色々頑張ってたけど、頑張りの方向性が必ずしも正解ばかりではなかったし、犠牲になるものへのケア意識がないような印象を持たれた。
時折漏れるパワハラ気質と相まって、「この人、一定数の国民から嫌われそう」と思われたのでは。
・議員含め、多くの人から「突撃隊長としてはいいけど、トップとしてはこの人についていきたくない」と思われてそうだし、麻生さんも前々からそこを不安視していたんじゃないか。
・本人にはゴリゴリの野心はなく、周囲が言うのでしょうがなく出たのでは。
・推薦人は裏切ったのではなくて、元から他の陣営からお願いして借りたものだったんでしょう。
・多くの候補が「次の総裁選」を見ているけど、この陣営については、一族レベル・数十年レベルで「将来の世代」を見ているのでは。
・その背景として、ゼロ年代的なネオリベ・極右価値観への嫌悪感。「改革」なるものに対する疑念。
・社会において、個人戦ではなく集団戦なんだという意識が浸透してきており、「その人個人の優秀さ」ではなく「集団を上手くまとめられるか」に関心が移っている可能性。
身内に重度知的障害のきょうだいがいる、いわゆるきょうだい児というやつだが、良かったと思うことなんかひとつもない。
よく周りの大人や福祉施設の人からは「障害児ちゃんがいたおかげで増田ちゃんは優しい子になれたわね〜」だとか「障害児ちゃんと大変なママを支えるために頑張っててえらいね〜」だとか言われたが、そうあってほしいって理想を押し付けられてたんだろうな。こっちの話なんて一個も聞いてくれたことないくせに。
障害児ちゃんのおかげ?出かけた先で障害児ちゃんの癇癪が大爆発してくすくす笑われたり、じろじろと冷たい視線を浴びたりしたのも。障害児ちゃんが行けないから・障害児ちゃんが落ち着かないからとどこにも遊びに連れて行ってくれなかったのも。じゃあ障害児ちゃんを施設に預けて自分と出かけてくれと言うと、なんでそんなかわいそうなこと言うの!と怒られたことも。何をするにもどこに行くにも障害児ちゃんのことが優先で、自分の意見は無視か差別的だと詰るのも。障害児ちゃんのおかげだったのか。
障害児ちゃんは生きてるだけでえらいねと周りにちやほやされて両親にもめいっぱい可愛がられて、その横で自分は何を成し遂げても褒めてもらえなかった。どれだけいい成績を取っても、賞を取っても、いいことをしても「あんたは障害児ちゃんと違って健常なんだから当たり前でしょ」「障害児ちゃんの分ももっと頑張らなきゃ」
そうやって褒めず、放っておくくせに、期待だけはされる。障害児ちゃんができない分を。じゃあ次こそ褒めてもらおうともっともっと頑張っても、やっぱり褒めてもらえない。褒めないくせに、世間話の自慢の材料にはする。なんだ、障害児ちゃんに内心いちばん引け目を感じてるのは、両親の方じゃないか。どっちも出来損ないだなんて思いたくないもんな。褒めなくても放置してても、両親に愛されたいから勝手に期待には応えてくれる自分は、さぞ都合が良かったんだろうなと思う。
障害児ちゃんは常に監視の目が必要だから、全員が家を空けるときは施設に預けるより他無い。自分が高校生になった頃、両親はそれを可哀想がって「増田ちゃん、障害児ちゃんの面倒、見てくれるよね?」と自分に擦り付けることが増えた。
もはや土日は面倒を見ることが当たり前なので、友達と遊びたいから施設の予約を取ってくれと言うと渋い顔をされた。時には「なんで急に言うの!?施設だってお金がかかるのに!おまえは親の苦労を考えたことがあるのか!?施設施設施設って家にいられない障害児ちゃんが可哀想と思わないのか!?」とヒスられたこともある。じゃあ貴方は、みんなが明日遊ぼうねと約束を簡単にする中、障害児ちゃんのことがあるからちょっと家に持ち帰るねと言うしかない自分の気持ちを考えたことがあるのか。可哀想だと思わないのか。親は飲み会だから、友達に会うから、じゃあ増田ちゃんよろしくーと簡単に預けるくせに。
そんなこんなで、当然自尊心はボロボロになった。周りとあまりにも違いすぎるきょうだい関係、目の前で生きてるだけで褒められるのを見ながら自分はどれだけ頑張っても褒められない劣等感、意地悪な大人や無垢な子どもから受ける剥き出しの差別……。結婚願望のある人なら、身内に障害児がいることは破談理由になりやすいのにも脅える必要がある。そんな差別主義者と結婚しなくてよかったね!と親は言うのだろう。障害児ちゃんがいなければ受けなかった差別だったのに。自分はなんにも悪くないのに、障害児ちゃんがいたおかげで、その差別だけ受けて恩恵はなんにも無い。
ストレート合格率が驚くほど低かったり、姫路獨協大が薬学部の募集停止をしたりして、近年局所的な盛り上がりを見せている私立底辺薬学部。
今日はそんな底辺薬学部に通って6年目。これから国家試験を迎えようとしている私が内情を少し書いてみようと思う。
通っている薬学部は地方にある入学偏差値37.5の薬学部だ。BFではないので厳密にはFランではないが世間一般的にはFランと呼ばれる偏差値である。私が入学した頃、充足率は100%を越えていたのに、いつからか定員割れをして今では充足率も100%を切っている。
一般的に低偏差値の大学というと学力的にやばい方が多くて、ごくごく希に近所の優秀な人がなぜか来ることがあるといった印象を持つ人が多いだろう。しかし、薬学部だとそうとは限らない。弊校が地方部に立地しているのと、資格さえ取ってしまえば学歴があまり関係なくなることもあってか、地元の優秀層が毎年一定数入ってくる。割合でいうとだいたい1~2割といったところだろうか。弊校の場合、特待生枠が増えた下の代からその割合が多くなっている。県内唯一というのもあり、県内トップレベルの進学校から、あなたもっと上の大学を目指せたでしょうという人間がごろごろいる。だいたい漏れなく特待生だ。もちろん入学偏差値の低さからとてつもなく勉強ができない方も入ってくるし、その難易度の低さから脱サラして入ってくる社会人経験者や高卒認定を取得して入ってくる人もいる。恐らく学生の多様さは高偏差値の薬学部より勝っているだろう。この多様さが魔境にせしめたる一因だ。
薬学部は入学するまでの学力より、入ってからの学力が物を言う世界だ。これがFラン薬学部をさらに魔境にさせる。下克上が簡単に起こる。地元の進学校から来た特待生が成績下位層に落ちるなんてざらだし、入学時成績が下位だった子が今では上位層なんてこともよくある。私の学年なんか入試成績上位1割に設定されていた特待生の内、今でも学年の上位1割に留まり続けているのはたった一人だけだ。なんなら特待生だったのに国試怪しいなという人も何人かいる。入った時の成績でしか特待生になれないのマジでなんなのだろうな。
学力のサラダボウルになっているから上はどんどん勝手に勉強して伸びてくし、下は下で勉強についていけなくてドロップアウトしていく。弊校、単位認定がザルなので余程ことが無い限り落単なんてあり得ないのだけど、それでも単位が取れなくて留年していく人はまぁまぁいる。普通は再試にならないと言われているCBT試験(車の免許で言うところの仮免許試験みたいなやつ)でさえ1割ぐらい再試になっていたし、再試でさえ落として留年した子もいる。入学した同期の内、1割強は留年や退学などでいなくなった。6年まで来て1割強だとかなり薬学部としては健闘しているようにみえるかも知れないが、弊校は卒業試験で絞る大学だ。ここで2~3割程が消える年もある。今年はどうなのだろうね。去年が酷かっただけに今年は厳しくなるかもしれない。
他の薬学部の雰囲気を知らないから一般化できないけど、バイタリティーが無い人間が多い。バイタリティーに満ちあふれているとは言い難い私でさえ、バイタリティーに満ちあふれていると言われる。バイタリティーがないからかチャレンジングな人間が少ない。入りたいサークルが無いという理由でサークル活動をしない子が多い。ないなら創ってしまえばいいのに。学年全体にやんわりと「企業なんか......」という空気がはびこっていて、企業志望の人間が超少ない。学歴フィルター以前の問題だ。今年なんか数少ないチャレンジングな人間はほとんど院進するか医学部再受験だよ。
バイタリティーが無いばかりか体力も無い人間が多い。「講義疲れたから帰る~」 「今から勉強するの疲れてむり~」 「一日4時間が限界、10時間なんでできない」国試を迎える学年なのに平然とこのようなことを言う人が多い。国試厳しそうな人間ほどこのような傾向が強い。講義疲れたと言ってもたがが2コマだけである。なにをふざけたことを抜かしているのか。この1年間の勉強の出来で生涯年収が1000万から変わってくるのだぞ。
大学も大学で結構酷い。パンフレットには4年次から研究室配属がされ6年次まで研究ですと書いてあるのに、蓋を開ければ実質5年次の実習に行っていない半年間だけだ。詐欺である。5年次以外の時間なにをしているのかというと対策講義だ。4年ならCBT対策だし、6年なら国試対策である。隙あらば講義といわんばかりに講義が所狭しと設定されている。最近では5年次にも国試対策が浸食してきている。弊薬学部の研究が活発でなく5年次に遊んで堕落する人が多いかららしい。知らんがな。正直言ってクソである。こっちは研究に勤しみたいのだよ。ビジネスの都合なのは十分承知しているけど、ここは小学校か。大学なんやし自己責任で片付けろよ。対策講義なんて先生方の自己満みたく感じる。国試対策の方は少なからずありがたみを感じているけど、CBT対策に関しては完全にそうだったと思う。対策講義を受けるべき層はかなりサボるし、受けなくても余裕な層には冗長しい。ぶっちゃけそんなことさせるぐらいなら4年からバリバリ研究させた方がもうちょっと成績もマシになると思う。
ここまでつらつらと書いてきたが、底辺薬学部での生活はその人の主体性と関わる人間に大きく左右されるように感じる。冗長しい対策講義も、逆に言えば恐ろしい程手厚い学習サポートと捉えば大きなメリットである。入学してくる学力層も富んでいるから賢い子と仲良くなって勉強を教えてもらったり、その子からモチベーションを得たりすることも出来る。けど最終的には当人の主体性がなければこれらは全て得られない。主体性がなければ、ただただ一千万超えの学費と6年という時間を溶かすだけだろう。
初めて参加したけど、たった1個関係得るために他の人のキャラのクソ長いCS読み込んで自分からリプライとかしなきゃいけないのが死ぬほどめんどくさい しかもお迎えからリプライほぼ返ってこねえし 中学生みたいな絵のオバサンばっかだし
こんな長文読む人いるだろうかと思って投下したけど大勢読んでくれたみたいで感謝。
ブコメに少しだけ返事
穂高先生の一件で漏れてる視点としては、当時、女性弁護士なんて道がそもそもなかった時代に、子ども生んだあと弁護士に返り咲きなんて可能性は一切あり得なかった現実があるとも思うわ。今では想像もつかんと思うが
寅子の場合戻れるかどうかは雇用主の雲野が再雇用するかどうか次第だし、そこで寅子から頼まれたとして雲野が拒否するようなキャラには見えなかったけど。
(結果的にその後事務所の経営が悪化して雇えない状態になったがそれは結果論に過ぎない)
この話に共感してた人たち、自分の経験(恐らく一般会社員だった自分が出産で辞めて再就職先が見つからなかったという経験)
を寅子に重ね合わせてるんだろうけど前提が全然違うだろ。
久保田先輩が「仕事も家庭も満点を求められる」と言っていたけど、それもあくまで久保田の話であって寅子は家庭が0点でも家族皆許容してたし
出産後も家事も育児も何もしなくても多分誰も文句言わなかっただろうし、実際再就職後にそうしていても家族も「世間」も誰も何も言わなかったわけで。
新潟転勤の際にようやく花江がブチ切れたのだって「家事育児をしないから」じゃなくて「何も出来てない自分を自覚すらせず優未を連れて行こうとしたから」だし。
この辺は恐らく雲野を後に原爆裁判で再登場させるつもりだったから悪役に出来なくてブレたんだろうと思っている。
ここで雲野を使い捨てる予定で悪役にすれば、具体的には「産んだら戻ってくるからまた雇ってくれと頼む寅子に対して子供いる女が働くのは良くないと言う」とかにすれば
寅子の絶望がよく伝わったと思うんだけど。
実際は雲野は最後まで理解あるキャラのままだったし、資格があるんだから戻ればいい等の台詞(何でこれ入れた)もあるせいで
寅子が「戻ろうと思えば戻れる余地はあったのに勝手に切れて辞めて行った」ように見えた。
寅子自身がそれに批判的ではなく、逆にノリノリで調子こいて天狗になってたからね。
これも最初はそういう構図を批判的に描いてたんだよ。「明律大は女子部や女子学生をただの客寄せパンダとしか考えていない」とか
「婦人弁護士様と祭り上げられてるのは男がどんどん徴兵で取られていく中で人手不足を女で補おうとしているだけ」とか。
当時はそこに主人公たちが気付いて不快感を示していた、でも女が上に行くにはそれも利用しなければならないので割り切ろうとしていた…という描写だと思っていたけど、
後で考えたら「気付いていたのは周りの人間だけで寅子は無自覚、んで自分はそれに乗っかって喜んでしまうタイプ」だったんだなと。
或いは脚本家は最初はその辺も丁寧に描いていたけど中盤から「調子こいた寅子」を描く方を優先したので上手く描けなくなった、か。
あと雲野と同じく桂場多岐川ライアンのおじさん上司組も悪役にしたくない、ってのもありそう。
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切れたんで続き
インタビューを見るに、この脚本家はとにかく「母性」が描きたくなくて意図的に寅子を毒親にしたらしい。
あと恐らく「一般的な男女の恋愛」も嫌いだと思う(同性愛やその他セクマイは大好きみたいだけど)
そういう人が、「最初の夫と死に別れて一人で子供を育て、後に再婚した」
「家庭裁判所で多数の非行少年少女を更生させた、少年たちに真摯に向き合い心を開かせるのが得意で三淵マジックと言われた」
二度も結婚してるからそれなりに恋愛も描かなきゃならない(恋愛感情なしの打算婚を二度もする、ってのはドラマ的に共感されないだろう)
家裁で働いているからには少年少女と向き合わせなければならない。
なのに脚本家はそういうのを描きたくない、と来た。
これが夫がずっと生存しているなら「本人は子供が苦手だけど夫がフォローする」設定に出来るし
子供に関わる仕事をしていなければ子供と向き合わせる必要もない。
結婚だって若い頃一度するだけならもっと描きやすかっただろう。
なのに何でこんな題材を選んだ。
NHK側が提示したモデル候補数人の中から選んだそうだけど、他にもっと適したモデルがいなかったのか。
三淵嘉子を提示する時点で、NHKとしては「主人公の母性で少年たちが更生していく」話を期待していたんじゃないのか。
そもそもここまで史実を無視して自分が描きたいものをぶちこむ人だとオリジナルにするべきだったかもしれないが。
弁護士ならひたすら依頼人の味方でいいが、裁判官はどちらかに肩入れも出来ないし
守秘義務あるから抱えてる案件に対して同じ案件に関わってる同僚以外と語る事もできない。
ドラマ的に「映える」場面が作りにくい。
終盤の大きな裁判も、原爆裁判は寅子は史実通りの判決文を読み上げる汐見の隣に座ってるだけ(せめて史実を無視して寅子に判決文読ませては?)
尊属殺はそもそも直接的な関わりもなしで、どちらも「弁護士の」よねの方が明らかに活躍していた。
花江と並んで「寅子とは対称的な生き方」をする女性として作られたというよね。
つまり「仕事も結婚出産もする女」「結婚出産して家庭に生きる女」「結婚出産はせず仕事に生きる女」なわけだ。
更に「恵まれた育ちの寅子と花江」に対して「恵まれない育ちのよね」という対比もある。
でもこの時代に女が「仕事だけして生きる」「女の力だけで生きる」のは無理があるので、
でも恵まれない育ちなので身内設定には出来ない(というか父親が虐待親だし)
という事で若い頃はカフェ燈台のマスター、戦後は轟がよねサポートキャラとして設定されている。
となるとゲイ設定が都合が良い。
という事で(多分)轟はゲイになった。
ただ脚本家の主義主張の為だけで実はゲイでしたとやってるわけではなく、物語上の必要性があってゲイである。
マスターも裏設定でゲイじゃないかと思う。上野だし(上野は戦前からゲイタウンでもある)
因みによねと涼子はアセクシャルという設定もあるらしく、涼子が離婚したのもそのためだとか。
(ってかキャラ全員に裏設定ありそう。最後まで結婚しなかったキャラはもしかして…)
でもこういう構図って結局「同性愛者を都合よく利用している」ことでもあるんだよね。
自分を性的に求めてこないが助けてはくれる、イマジナリー「女の理想の男」感というか。
「NHKの朝ドラという注目度が高い放送枠で同性愛者を取り上げる意義」はあると思うが、描かれ方が「ゲイ=女にとって都合が良い男」ってのはどうなんだろうか。
その辺がもやもやした。
https://anond.hatelabo.jp/20240928135408
当初は面白く見ていたのに最後の方はもはや「ここまで来たからには最後まで見てやる」という義務感で見ていた。
何がそんなに引っかかったのか、という事をここでまとめて書いてみる。まとめと言いつつまとまりはない。
「妊娠して倒れた寅子が穂高に仕事やめろと言われ、勤め先の事務所に妊娠をバラされて辞めさせられた」件。
ネットでは未だ賛否両論のようだが、あれはそもそも穂高の真意が分かりにくかった。
「母親になるからには二度と仕事に戻らず育児に専念すべき」と考えていたのか、
「今は仕事を続けられる体調ではないから辞めるべきだが、産んで落ち着いた後に仕事に戻ればいい」と言う意味なのか?
どうやら脚本家は前者のつもりだったらしい?けれど、
(「資格があるのだから後で戻れるだろう」と言った台詞もあったので)後者の意味にも取れるし
ネットの反応を見ていても後者の意味に取った人が多かったと思う。
実際仕事を続けられる体調ではなかったのだから、一旦辞めろという穂高の言う事は普通に正論だ。
妊娠出産で死ぬ事も珍しくない時代に寅子の態度はナメ過ぎている。死んでもいい覚悟だというのならともかくそんな認識もないようだったし。
なのに寅子が激怒して完全に辞めてしまい、よねに対しても二度と戻るつもりはないと啖呵を切ったのが当初意味が分からなかった。
(後でどうやら脚本家としては前者のつもりだったらしい?というのを知った)
でも前者ならもっと前者だと分かりやすく示すべきで、視聴者の大多数が勘違いしたのは脚本の荒さ故でしかない。
この時はその後の戦争激化→家族が続々死亡→日本国憲法、という怒涛の展開もあり何となく皆忘れていたのに
穂高の退官パーティーで寅子がこの話を蒸し返して場をぶち壊す暴挙に出た上
謝りもせず、結局穂高が大人の対応で納めて(というようにしか見えなかった)そのまま死んでしまった辺りから
寅子が理解できないという声やドラマ自体への批判も増えてきたように思う。
あれも脚本家が「親子喧嘩なんです」と言い訳してたが、そもそも親子じゃないし。
若者がやってるならともかく30半ばで他人を疑似の父親扱いしてあの態度、というのなら幼稚すぎ&甘えすぎだろう。
「社会的地位を得るための契約結婚」だったはずなのに突然夫に「恋をして」セックスして妊娠。
普段全く恋愛感情に疎い寅子が突然そうなったのでポカン。発情期になった動物じゃないんだから…
別に子供を産む事を誰かに強制されたわけでもなければ頼まれたわけでもないのに
そのせいで仕事を辞めて怒ってるからそもそも妊娠しなきゃ良かったじゃん自業自得だろともなる。
うるせえ史実で産んでるんだから産まなきゃならねえんだよ!ってのは分かってるけど
どうせ「結婚してない女は信頼できない」の後には「子供がいない女は信頼できない」が来るんだから
いっそ「社会的地位を得るための出産」にしてしまえばまだ自然な展開になっただろうに。
それならその後子供に関心がなくてはると花江に丸投げする展開も納得がいく。
「自分で望んで産んだ」割にその後子供に関心がなさすぎなんだよね。
最終回で「人が宣う地獄の先にこそ私は春を見る」と米津の歌が流れたが、どこが地獄なのか最後まで分からず。
裕福で理解ある両親の元に生まれ、勉学でも大した苦労もせず悩みは精々生理が重い程度、
社会的信用のために結婚しなきゃならんとなったら究極の「理解のある彼くん」たる優三が結婚してくれ、
家庭と仕事の両立や義実家との関係に苦しむ周りの女たちを尻目に
いつまでも実家住まいで家事は家族が全部やってくれて夫が天涯孤独故に義実家も存在しない生活。
生活費を稼ぐ必要もなく父親が養ってくれるので、仕事を辞めようと思えばすぐ辞められる生活。
上記の穂高の件も、妊娠して初めて「いくら金と理解ある家族がいようが妊娠出産だけは自分一人でやるしかなく思い通りにもならない」
事に直面してキレたんじゃないか?と思えるくらいの恵まれ人生。
戦中戦後は苦労したもののそれはこの時代の人ほぼ全員がそうだし、
その後の再就職先では周囲から可愛がられチヤホヤされて家事育児はやはり他人任せで仕事だけしてればいい生活、
子供と二人で新潟行ってもなぜか大した苦労もせず仕事と家事育児を軽々両立し、
その後はイケメン金持ちエリートと再婚して向こうの家族ともなんか知らんが上手く行き、
どんどん出世し子供も最終的にお母さんのお陰で幸せと言う子に育って人生最高!で終了。
なんか地獄の要素あったか?そりゃこんだけ恵まれた人生なら最高だろうよ。
地獄だったのは周りの女たちだろうよ寅子じゃなくて。
学生のうちは「成績が良い」「難しい試験に受かった」というだけで「優秀な子なんだな」と思えた。
でも就職後は仕事っぷりはろくに描かれず、周囲からただ優秀だと言われるだけ。
家裁で非行少年や家庭の問題を担当する仕事をしているのに自分の子の事すら理解してないし、
女性たちから「姑との関係が」「夫から離婚されたら生きていけない」などと言われてもピンと来ない、
終盤とってつけたかのように美佐江の娘を説得して救うという展開を入れていたが、
今までの積み重ねがないので突然そういうの入れられてもと思った。言ってる内容も薄っぺらかったし。
そもそも裁判所で雇われた理由は「女がいればGHQが喜ぶから」で、正規の採用試験を得て選ばれたわけでもなく
その後芸能人にラジオで紹介されて有名人になったのも「女だから」。
上司のおじさん達(桂場や多岐川やライアン)に可愛がられるのも結局「女だから」。
なので段々「大して仕事も出来ないのに男ばっかの職場で可愛がられてる姫」に見えてくる。
「女性差別と闘っている女」なのではなくむしろ「『女』を利用してのし上がる女」じゃないのかこれ。
寅子の親友兼兄嫁であり、寅子とは対称的な生き方(女学校を出てすぐ結婚して一生専業主婦)をする女性として
脚本家が「もう一人の主人公」くらいに力を入れて描いていたという花江。
脚本家曰く「働く女の裏には花江のようにそれを陰で支える女が不可欠だが、
そういう女が世の中で透明化されたりバカにされているのが腹が立つ」ので花江をメインの一人にした、
あくまで「望んでそういう生き方をしている女性」として描いたんだそうな。
女学校時代の花江は確かに結婚に憧れていて、自ら望んで卒業後すぐ結婚したが
あくまで寅子の兄が好きで「好きな人と結婚する」のが憧れという子だった。
なのにその結婚した主な理由たる夫は戦争でさっさと死んでしまい、後は未亡人として只管家事育児をするだけの生活。
それで家事や育児を楽しんでやっているのならまだしも、当初は上手く行かず姑(寅子の母)とモメたり寅子に嫉妬したり
私なんて女中みたいなものとか、(自立出来る寅子と違って)私の老後は誰かに世話にならなければいけないと自虐してみたりと
その立場を心底楽しんで納得しているように見えない。
そもそも、育児は(自分の子だけではなく寅子の娘まで自分の子と同様に世話をし可愛がっていたくらい)好きだろうけど
「家事を終えた後居間で休みながら家族が幸せそうな姿を見るのが好き」とは言ってた気がしたが。
家族が好きで家族の生活を成立させるために家事は行うけれど、家事そのものは別に好きではないんじゃないかと思う。
寅子が法律の勉強や法律に関わる仕事そのものが好き、というのとは対照的に。
子供たちの成人後も結婚相手が皆寅子のようなバリキャリだったため「自分と一緒に家事をしてくれる専業の嫁」もおらず、
年をとってもずっと一人で息子世帯の家事&孫育てまでやる状態になっていた(途中から寅子の娘が手伝うようにはなっていたが)。
他に趣味があるわけでもなければ、友人がいたり遊びに行くような描写もなくずっと家事育児だけ。
そもそも「本人が幸せって言ってるから幸せなんだ、だから何でもかんでも頼ってやらせていいんだ」ってのが?
それをやりがい搾取と言うんじゃなかったっけ?
脚本家は「私は専業主婦の事もちゃんと理解して尊重してます」とばかりに意識高い事を言っていたけども
結局のところこういう描き方しか出来ない。
いやまあ分かるんだよ、今時「家事そのものが好き」な女性なんて視聴者の大多数が共感しないだろうし
幸せそうで人生に満足している専業主婦を描いたらヘイトを食らいかねないってのも。
(そもそも演者の力で何とかなってるキャラだと思う、下手な俳優がやったら嫌われてたかもしれない)
それよりは働く女に嫉妬もすれば引け目も持っていて自虐もするリアルな専業主婦を描いた方が共感されるってのも。
でも寅子を初め他の女キャラたちがエリートだったり自分が好きな事を好きなようにやってる人たちが多い中で
くすぶってるリアルなありがち専業主婦像を描いて「私は彼女たちの事尊重してます、彼女たちはあれで幸せなんです」と言われてもな。
意識高い脚本家インタビューさえなければ気にならない程度ではあるんだけどな。
そういや最終回では推定80代くらいでもまだ生きていて、何故か寅子の娘に介護されていたが
「お母さんが大好きだから自分がお母さんの世話をするんだ」と言っていた息子たちはどこへ行ったのだろうか。
母親が動けるうちは家事や孫育てを散々やらせておいて年食って要介護になったら寅子の娘に丸投げしたのか?
そういや花江のひ孫も寅子の娘が世話していたが、これも花江の息子の子供の子供だろうに丸投げ?
寅子の娘、優未。
「(母親にとって都合が)良い子」なのか、それとも「毒母のせいで歪んだ子」なのか。
脚本家がどういうつもりで描いていたのかが分からないまま、最終回では寅子と抱き合って幸せだと言って終わったが
とにかくハッピーエンドで終わらせなきゃならねえんだよ!とばかりに取り繕ってる感がした。
父親は早死にし母親に放置され、義理の伯母である花江に・花江の息子たちと一緒に育てられた、という生育環境を考えると
「大人や男子に媚びて取り入るのは上手いが、同世代の女子とは仲良くできない子」であるという設定は説得力があった。
「寅子の前では『いい子』を演じている子だったが、母子二人で生活していくうちに『いい子』の仮面が取れて寅子と何でも本音で話せる子になった」という事になっていたが
それもまた「いい子の演技」なんじゃねーの?「何でも本音で話しているという演技が上手い子」になっただけでは?という感じがした。
寅子の再婚時も再婚相手の男やその義母に取り入り可愛がられるようになる一方で、相手の子供(特に同性である娘)には嫌われるというのもリアリティがあった。
再婚時に相手の子供から良く思われていないのを不安に思った寅子に対して「私は不安はないの。だってお義父さんはお母さんの事が大好きだから」と言っていたのも、
実際相手の子供の前で再婚相手やその義母にベタベタして可愛がられてるのを見せつけていたのも
要するに「相手の子供から父親を私たちが奪ってこちらの味方につければいい」って考えてるって意味だよね…優未、恐ろしい子…と思ったけれど
こういった描写の受け取り方が脚本家の意図通りなのか、脚本家はそのつもりはないのにこちらがそう邪推しているだけのかが分からない。
そうやって「周りの大人にとって都合が良い子」をしながらかわいがられて生きていたのに、
大人になって突然院を辞めフリーターになったのは遅れてきた反抗期かモラトリアムか何かか?と思ったら
最終的には色々な仕事を掛け持ちしながら花江の介護と他人の子供の世話をしていたのもよく分からない。
それも全部好きでやってると言いつつ自分の人生失敗だったかもと自虐し出すのは花江と同じパターンだが。
つーかモデル通り「研究者になりました」じゃだめだったんだろうか。
再婚相手の子たちも終盤は人生迷走してたので、「子供が親の望み通り順風満帆な人生になった、じゃ面白くないから展開ひねらせた」だけかもしれないが。
花江に家事育児丸投げ状態から新潟転勤になり、優未は置いていけと言われる中で連れて行って全て自分でやらなきゃいけない状態に。
なのに大して苦労せず。今と違って便利な家電もサービスもろくにない時代に。
仕事内容はほぼ描かれなかったが、支部長というのはそんなに楽な仕事なんだろうか。
「子供がいるから定時で帰らなければならないのに仕事が終わらない」「大事な予定が入っていて絶対に休めない日に限って子供が熱を出す」
令和の子持ち様じゃあるまいし、支部長という立場だから同僚に丸投げじゃ済まない仕事も多々あると思うんだが。
実際夜中に部下が令状貰いに来る描写があったが、でも毎日定時で帰れて家事の時間も十分に取れるんです、ってか?
優未は3年間の赴任中一切体調を崩さないしケガもしない丈夫な子だったのか?腹は壊してたが。
昭和の陰湿な田舎という設定のはずなのに、東京から来てなんだか裕福そうで言葉も違う子供が友達も作らず孤立してても
いじめのターゲットにならない小学校の治安も良すぎる。昭和の小学校こんな平和じゃないだろ。
「母子家庭の仕事と育児の両立の苦労」がまるで描かれていない。せいぜい一日だけ飯作れなくて代わりに菓子食っただけ。
「優秀な寅子はその気になれば苦労せず仕事と育児が両立できる。苦労してる現実の母子家庭は母親が無能だから」とでも言いたいんだろうか。
当初は小学校低学年の優未を家に長時間一人で放置し家事をやらせるのも、この時代なら当たり前かもしれないが今の価値観だと虐待なのに
このドラマは普段は今の価値観で動いてるのでここだけ当時の価値観では違和感がある。
稲がいながら何故か毎日雇おうとしないのも意図がわからない。史実だと家政婦雇ってたのに。
花江がはるの死後一人で家事するのに苦労するという描写があった後にこれなので
「花江が専業主婦なのに家事に苦労していたのは無能だから。優秀な寅子は楽々仕事と家事を両立できる」とでも以下略。
私は専業主婦の事理解と尊重してますという脚本家のドヤ顔は何だったんだろうか。
ネットが揉めに揉めた夫婦別姓展開。ろくにドラマを見てない人が絶賛し、ろくにドラマを見てない人が叩いていた。
お前らドラマ見てからもの言えや、という事で見ていた立場から書くが
寅子も自分で言っていたけど、そもそも「お互い経済的に自立していて子供もおり新たに子供を作る予定もない」のに結婚する意味ある?
いや現実のこの時代の人ならあっただろう。死別とは言え独身のままでは生きづらいとか、
未婚の男女が頻繁に会っているだけでふしだらだと言われるとか(特に裁判官なんて堅い仕事の人間なら尚更)あっただろうし。
でもとらつば世界はずっと独身だろうが未婚の男女が同居してようが(よねと轟は周囲にどう思われてるんだか)誰も何も言わず平気なのに結婚する意味ある?
いやうるせえ史実で結婚してるんだから結婚しなきゃならねえんだよ!ってのは分かるが。
結局恋愛脳的理由しかなかったのか、「寅子さんの夫を名乗りたいから」「私も航一さんの妻を名乗りたいわ」なんて言ってたけど
航一はともかく、寅子そんなキャラだったっけ?
まあ優三の時みたく新潟編最後に突然発情したのでそこでキャラ変わったのかもしれない。
でもって同姓にしたくないから別姓にするために事実婚、という史実無視の超展開になったが
いやうるせえ脚本家が夫婦別姓ネタをねじ込みたかったんだよ!ってか?単にそれだけであんな不自然展開?
モデルの三淵嘉子は再婚時に相手の姓に変えた(から「三淵」嘉子)けど不満も葛藤もあったっぽいので
同じように「最終的に相手の姓に変えたが不満も葛藤もあった」と描けば十分問題提起になったと思うんだが…
そもそも作中では事実婚してその後何の問題も起きなかったので、これだと「じゃあ別姓にしたけりゃ事実婚でええやん」にならない?
折角同性婚と絡めて「結婚しなければ二人の関係は死んだ後残らない」とか言ってたのに、事実婚でええやんになったら同性婚も必要なくなるような?
しかし親の突然の恋愛脳に振り回されて他人と同居するはめになった子供たちがかわいそうである。
これも現実のこの時代の価値観なら「子供の事なんかいちいち考えなくて当然、子供は親に黙って従って当然」だけど
就職するまで人生の半分近くを女子校で過ごしたので、社会に出て男性とまともに関われるか心配していた。
だが蓋を開けてみれば、勤務先のホワイト(笑)企業では、そもそもセクハラ防止の名目で私的なアプローチが禁止されていた。そんな環境でどうこうしようと考える野蛮人もおらず、その気もないのに誤解されるような行動を取る人もないので、男性社員とは非常に適切な距離感が保てている。たまーに忘年会など大勢での飲み会がある程度だ。
一方で同性たる女性相手の場合は、仲良くもないのに食事に誘ってきたり、部署が違うくせに何の責任感か面倒を見ようとしてきたり、とにかくパーソナルスペースというものが侵害される。距離感などない。いちおう善意によるものと思われるので、なおのこと最悪だ。
男性もいる場では、ただ女であることが交流の理由になってしまうらしい。気持ち悪い!!!!!
女子校では「女だから」という理由で交友関係が発生することは絶対になかったので知らなかった。女しかいなかったので当然のことか。
いや、もちろん私にも友人はいる。休日に遊ぶ同期もいる。しかしそれはじわじわと、探り探りお互いにプライベートを開示し、友人になったからだ。きっかけが職場だったというだけ。
事実として、異性間には性別の壁が存在する。存在する以上、良し悪しはともかく、常識のある人間がその壁を越えてこようとすることはまずない。「自称・常識人」くらいの人との距離感は保たれる。
これが同性になるとどうだろうか。壁の中を「自称・常識人」が徘徊しているのだ。我々を遠ざけるものは何もないどころか、同じ壁の中にいるというクソみたいな同胞意識が付与される。
世の中に、色々なきっかけで異性にネガティブな感情を持つ人がいることは重々承知だ。その人たちは性別の壁など話にならないヤバい奴と邂逅してしまったり、あるいは家族などの否応なく距離を詰められる環境にあったりしたことだろう。それを否定する気はない。