切れたんで続き
インタビューを見るに、この脚本家はとにかく「母性」が描きたくなくて意図的に寅子を毒親にしたらしい。
あと恐らく「一般的な男女の恋愛」も嫌いだと思う(同性愛やその他セクマイは大好きみたいだけど)
そういう人が、「最初の夫と死に別れて一人で子供を育て、後に再婚した」
「家庭裁判所で多数の非行少年少女を更生させた、少年たちに真摯に向き合い心を開かせるのが得意で三淵マジックと言われた」
二度も結婚してるからそれなりに恋愛も描かなきゃならない(恋愛感情なしの打算婚を二度もする、ってのはドラマ的に共感されないだろう)
家裁で働いているからには少年少女と向き合わせなければならない。
なのに脚本家はそういうのを描きたくない、と来た。
これが夫がずっと生存しているなら「本人は子供が苦手だけど夫がフォローする」設定に出来るし
子供に関わる仕事をしていなければ子供と向き合わせる必要もない。
結婚だって若い頃一度するだけならもっと描きやすかっただろう。
なのに何でこんな題材を選んだ。
NHK側が提示したモデル候補数人の中から選んだそうだけど、他にもっと適したモデルがいなかったのか。
三淵嘉子を提示する時点で、NHKとしては「主人公の母性で少年たちが更生していく」話を期待していたんじゃないのか。
そもそもここまで史実を無視して自分が描きたいものをぶちこむ人だとオリジナルにするべきだったかもしれないが。
弁護士ならひたすら依頼人の味方でいいが、裁判官はどちらかに肩入れも出来ないし
守秘義務あるから抱えてる案件に対して同じ案件に関わってる同僚以外と語る事もできない。
ドラマ的に「映える」場面が作りにくい。
終盤の大きな裁判も、原爆裁判は寅子は史実通りの判決文を読み上げる汐見の隣に座ってるだけ(せめて史実を無視して寅子に判決文読ませては?)
尊属殺はそもそも直接的な関わりもなしで、どちらも「弁護士の」よねの方が明らかに活躍していた。
花江と並んで「寅子とは対称的な生き方」をする女性として作られたというよね。
つまり「仕事も結婚出産もする女」「結婚出産して家庭に生きる女」「結婚出産はせず仕事に生きる女」なわけだ。
更に「恵まれた育ちの寅子と花江」に対して「恵まれない育ちのよね」という対比もある。
でもこの時代に女が「仕事だけして生きる」「女の力だけで生きる」のは無理があるので、
でも恵まれない育ちなので身内設定には出来ない(というか父親が虐待親だし)
という事で若い頃はカフェ燈台のマスター、戦後は轟がよねサポートキャラとして設定されている。
となるとゲイ設定が都合が良い。
という事で(多分)轟はゲイになった。
ただ脚本家の主義主張の為だけで実はゲイでしたとやってるわけではなく、物語上の必要性があってゲイである。
マスターも裏設定でゲイじゃないかと思う。上野だし(上野は戦前からゲイタウンでもある)
因みによねと涼子はアセクシャルという設定もあるらしく、涼子が離婚したのもそのためだとか。
(ってかキャラ全員に裏設定ありそう。最後まで結婚しなかったキャラはもしかして…)
でもこういう構図って結局「同性愛者を都合よく利用している」ことでもあるんだよね。
自分を性的に求めてこないが助けてはくれる、イマジナリー「女の理想の男」感というか。
「NHKの朝ドラという注目度が高い放送枠で同性愛者を取り上げる意義」はあると思うが、描かれ方が「ゲイ=女にとって都合が良い男」ってのはどうなんだろうか。
その辺がもやもやした。
当初は面白く見ていたのに最後の方はもはや「ここまで来たからには最後まで見てやる」という義務感で見ていた。 何がそんなに引っかかったのか、という事をここでまとめて書いてみ...
長すぎて途中で切れてるから続き書け いい加減増田は長すぎると切られるって覚えろ。増田強者になれ
すまん、確認画面じゃ全部入ってたんだけどなー
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「人間は多面的」で終わる話じゃん お前はバカですか?
ひどい作品だったと思うけど、というかそう思うからこそ、なのにどうしてこれだけの世間的注目作品になった(それこそ、はてブでもホッテントリが多かった)かが気になるな。結局...