はてなキーワード: 落ち着けとは
かもしれない、というか当にそうなのだが。
特徴の一つとして「周囲から見ると何を考えているかわからない」が挙げられ、この障害を知らない人からしたら、ただただ取っ付きにくいタイプの人間だと思われがちで、少しでもこういった障害があることを多くの人に知って貰えたら、という願いを込めてここに書くことにした。
端的に言うと、他人に興味関心がなく社会的関係を育みたがらず一人でいることを好み、感情表現に乏しい。
以下の項目の4つ以上が当てはまるとこれに診断される。
殆どが後天性のもので育った環境や人間関係の縺れ、うつ病などの経験を通じてこのような障害が生じてしまうらしく、他の人格障害である「回避性パーソナリティ障害」「妄想性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」なども併発していることが多いらしい。
また、一見して感情的に冷めていて無関心であるように見えるが、実際には非常に感受性豊かで何か大きく感情が揺さぶられるとすぐに泣いてしまい、それを"恥"だと認識している為、他人の前では見せたがらない。
他人にどこまでも寄り添う正義感を冷ややかな目で見たり、同調して特定の人物を叩きたがる傾向のある現代社会(特にソーシャルネットワーク)においては豊かすぎる感情の露呈はやや「変わり者」と見られる風潮があり、それを"回避"するべくして無関心を装っているのかもしれない。
ここからは私の話をする。
両方において少しやりづらい点は、他人に興味関心をあまり持てない故にコミュニケーションにおいてやや近寄りがたいと思われがちなところだ。
その上、他者との対立を望まず、「波風立てない優しい人」を演じている為に、一般的に社会的弱者と呼ばれるような方や精神的障害を抱え悩んでいる方、主に年下から懐かれやすいと感じている。
そう思うのは、もしかしたら私自身の精神年齢が低いからかもしれない。
表面上では波風立てずに他の人の意見に賛同・同調したり、話が進展しない時は自分から立候補して意見を出すなどしているが、そもそも「自分の本心での考え方」が意識下にあり、その大凡がその場の空気に逆らう考え方や批判的な内容なのだ。
勿論同じ世代の人間と会話をすれば本心から同意・納得するのだが、こうして自分の本心を隠して「いい顔」をすることによってメンタルの弱い子相手には「自分はこの人に肯定されている」という気にさせてしまうのだろう。
普遍的・平均的価値観の人間からすれば私のようなタイプは「本心では何か考えがあるのにそれを表に出そうとしない」ことが感覚的に伝わって近寄りがたく感じているのではないだろうか。
また、上の項目に関しては、性的活動に対する興味と親しい相談相手以外の全ての項目が当てはまった。
家族に育てられ今もなお健在だが、今まで一度も「親孝行をしよう」という気持ちが持てなかったのである。
大人にもなれば自分の誕生日を祝われるのも気が引け、両親の誕生日も自分から祝うことはなくなった。子供の頃は、社交辞令としてそれを受け入れていた節がある。
誰にも打ち明けていなかったが、自分はなんて薄情な娘なのだろう、と何度も自分を責め立てていた。一般的に親子は仲良しであるという理解があったからだ。
シゾイドパーソナリティ障害の多くは、小児期の育ての親に冷たい態度を取られたり育児放棄をされるなど、なんらかの切っ掛けがあり他者との交流を拒むようになるらしいが、私の場合そんな大それて分かりやすく暗い過去は持ち合わせていない。
せいぜい、躾の為に押し入れに閉じ込められたり、大声で怒鳴られたりしたぐらいでそれが自分の今後の社会性に繋がっているとはあまり考えられなかった。躾だと分かっていたから。
むしろ自分の友人が悲しい過去を背負う人たちばかりで、自分は親に愛されて育ったのだと実感したぐらいだ。
何故人は喜び、悲しみ、笑い、傷つき、怒るのか?
その理屈を探るべく、クラスメイトに様々なアクションを起こし(聞こえは悪いが決して悪意はないもの)経験を得て人間が何をされたらどう感じるのか、どんな過去があればどの解釈が生まれるのか等々、自己陶酔気味に理解を深めていった。
今よくよく思い出して考えてみれば、若干サイコパスの素質はあったのではないかと思う。
自分自身の成長が遅く、それらを"恥"だと感じて回避するようになったのは高校の途中ぐらいからだった。
私はその頃ようやく、自分自身の性格が酷く醜いものだと悟り、表に出さないよう気を付けて生活するようになった。
ちょうどバイトを始める時期でもあり、結局若さ故に大人とぶつかっていくことになるのだが。
思い返せば、こうした気付きや自覚から、トラブルメーカーである自分は常に一歩身を引かなくてはならない、と抑圧を始めたことでシゾイドパーソナリティ障害は生まれたのだろう。
社会に出てからも若い時は大人とぶつかり最大のトラウマを抱え、しばしのうつ病闘病期間の末にある特定の人種との関わりがアレルギーになるなどしたが、もともと感受性と被害意識が強い為、感情を表に出せばどうなるかは火を見るよりも明らかだ。わざわざあの内容を書くほどでもないだろう。
長々と書き綴ったこの身の上話を誰が読みどう感じるのだろうか?
出来れば、私と同様に「何も感じない」で終わって欲しい。ただ、シゾイドパーソナリティ障害というものが存在すること、それを患う人間がどんな人間であるか、だけ分かってくれたらいい。
インターネットには批判をすることが好きな人間がしばしばいるようなので、私がコメント欄を開くことはないし、肯定的な意見に全身全霊で耳を傾けることもないだろう。
なぜここに書いたのかという経緯を最後に綴る。
他者への興味関心が薄く、打ち明けてどうこうされたい相手もいない。(相談相手はいるが、解決できないと私が結論付けた問題を提起したくない)
カウンセリングや心療内科の先生にすら、これらの障害・過去を「私」と結び付けられることが"恥"だと感じている。
受診したところで、気持ちを落ち着ける薬を処方されるだけなら、むしろそれだけでいい。
だけどたった一度だけ、どこかにこの思いを落としておきたかった。
残念ながらこの障害を抱えていることに対して「辛い」「悲しい」等の感情は持ち合わせていないが、心の奥底に眠る承認欲求と抑圧前の煮えたぎる反社会的な感情が私の手を動かしたのだ。
母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。
僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。
その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。
父はぶっ壊れていた。
僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージを試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。
しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。
そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事、洗濯や、子どもが病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。
父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。
一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。
あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費をほとんど持ち出してしまったこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日は地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。
中学、高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分の人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校であんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。
高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。
進学は田舎から遠い関東の大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。
結局僕は関東の大学に合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽な文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着ける空間だった。
外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学のサークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。
そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。
色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。
それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。
僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しかし自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しかし思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。
僕は自分の普段の生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたま母から電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。
とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。
結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。
しかし、施設の費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。
そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。
僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。
それから数年が経った2019年の年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。
しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。
年末になり、実家へ帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。
さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。
母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。
部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。
父はたしか僕の子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。
そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。
最後に大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。
それから半年ほど経った。コロナが流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日。
妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段の生活をおくらせてあげたかった。
しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。
とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。
葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日が告別式ということも忘れそうだった。
次の日、起きて甥っ子たちはフォートナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。
葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休みや冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢でマリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんにはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休みに大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。
おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我の治療は前頭葉があるため、簡単にはいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。
しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。
その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。
導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイクと全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフが誘導したのがおかしかった。
おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。
そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまったこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。
元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまったことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。
母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかわからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。
そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。
その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。
その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。
焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。
次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフがボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。
そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。
その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当にバラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。
しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。
しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。
スタッフに説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。
そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。
僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故で死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。
父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。
父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。
昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。
その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親の介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂、トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通の生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。
女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達とショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームのキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルのライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。
父のため仕方がない、と思いながらも、女性が毎日どれだけ苦しいかを想像をするだけでも苦しくなる。
その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分の介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分の娘。小さな頃から育てながら思うことは、この子が楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分の未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。
しかしその全ての未来を自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇にさらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。
でも、死ぬということは難しい。自分で死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さらに介護されている状態で自分で死ぬこと自体がそもそもできない場合もあるだろう。
この世には安楽死が必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度が必要。綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。
とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。
ODもリスカもしない超健全なうつ病ちゃんな私が今までのんだ抗うつ薬をなんとなくまとめて書き綴っておきます、個人的備忘録ですが誰かの参考になったら幸いです。
しかしど素人の個人的な意見だということで、そのへんはよろしくお願いします。
お願いしますというのは私はお医者さんじゃないのでこの記事は正しくないかもしれないってことです。わかりますね?
でことではい。
はじめて飲んだ抗うつ薬
飲み始めの1週間ちょいは割と吐き気がきつ
くて食欲あんまでなかったけど我慢できなくなかったのでちゃんと飲んでました
気分に対する効果は無くなかったけど1→1.5錠に増やした段階で昼も夜も無限に寝るようになってしまったためやめました。
けど問題はそこではなく37.5→75mgに増量した時なんか落ち着かないというか胸の当たりがザワザワするというかむしゃくしゃするというか、自傷行為はしなかったけど何度もしそうになるくらいモヤモヤむしゃくしゃした気分になったので、それを伝えたところ副作用だろうということで薬切り替えへ
主治医は若い人にたまに逆効果が出るみたいなことを言っていた気もします、たぶん。
びっくりするくらいなんもない
今まで吐き気やモヤモヤなど何かしら副作用あったのに対し副作用ぽいものマジでなんもなかった
けど効いてる感じも全くなかった
75mgまで増やしてもマジでなんもなかったので次の薬を試しはじめることに
今も処方されてて減薬中
ピンクでかわい〜ってテンションちょっと上がったけどイフェクサーの時のざわざわの強烈版みたいなのが襲ってきてじっとしてられず身体掻きむしったり眠れないし落ち着けないしで3日間だけ飲んでもう無理!となって即辞めた。衝動的に自分が何しでかすか分からんなと思ったくらい落ち着けなくてうっかり死にそうだった、あの副作用(?)は吐き気より数倍しんどいのでもう二度とごめんてかんじ。
今の所いちばん私に合ってるかな〜〜ていうのがこれ、今も毎日3錠のんでる
たまに手がざわざわするけどほんとにたまに。
飲む太る(食欲増進)とか言われてるけど元が痩せ型の食欲不振だったのでそのへんも相性良かったのかな
不眠はそこまでじゃなくて睡眠薬は飲んでないんですけどやっぱこれ飲むとすぐ眠くなる気はします、けど無限に寝ちゃってどうしようみたいにはなってない。けどめっちゃ寝ちゃう人も結構いるらしいよね。
あとよくネットで言われてる夢劇場、増薬直後(数日?)はやっぱ疲れる夢見たような気がする、きがするだけかもしれないけど嫌にリアリティのある夢みたら勝手にこの薬のせいにしてる(??)
と言うお薬遍歴でした
抗うつ薬は徐々に増薬、減薬しなければならなかったり1週間以上飲み続けないと効果がわからなかったりとなかなか時間がかかります。
私の主治医はわりと早いペースで薬の合う合わないを見極めて変えてくれた(ている)と思います。それでもやっとマシかな?と思った今にたどり着くまでヨユーで半年以上かかってます。本当に、年単位です。ぱっと飲んでふわふわラリってるようなイメージは当てはまらないです。(抗不安薬にはそういうすぐ効くのもあるだろうけど私は抗うつ薬しか処方されてないし飲んだことないのでわからんですけど!けど飲んでない人からしたら違いなんてわからんよな!……トホホ)
効かない薬をずっと飲み続けてると、自分は病気じゃなくて甘えだからなにも効かなくて生き方がダメなんじゃ……とか、もう私に合う薬なんてなくて一生この希死念慮を抱えて生きていくんだ……みたいに考えがちです。効かないくせに薬代かかるし毎日飲むのダルいしほんとにむり。。。。な気持ちになったりしてました。
今やっとちょっとだけ人間に戻りつつある私ですが、それでもまあゴミクズ社会不適合者だし希死念慮が全くなくなったわけでもないですけど、けど、どん底だった時よりマシになりました。
マッチングアプリで婚活中のオタクのクソデカ感情、聞いてください。
(概要・注意事項)
・私→会員制マッチングアプリで婚活中。メッセージで会話をして受け答えができるようだったらすぐにLINE通話や飲みに出るフットワーク軽めのやつ。
・私→他人とコミュニケーションに精神力と体力を削られるタイプ。学生時代にお客さんと会話をするバイトをしていたので(水系ではない)、コミュニケーションにうるさめかもしれない。
・「女性→男性」視点です。男性→女性にも同じことが言えるかもしれないし、男性→女性特有のしんどい要素も多くあると思うので他の人が増田に書いてくれるはず。
① 性欲タイプ
趣味や仕事の話を全くせず、会話が終始「●●ちゃんといちゃいちゃしたいな」「飲んだ時に甘えてもいい?」のやつ。論外。
私がやってるアプリそれなりに料金かかってるんだし、そういう性欲案件でよければ●in●erとかでよいのでは?
緊急事態宣言中に一度だけLINE通話をした。通話時間中、終始自分の仕事やライフスタイルの持論を語り続けるやつだった。4時間話した中で私が発話をしたのは30分もなさそう。後半1時間は相槌を打ちながらスマホを遠くにおいて漫画読んでた。自分の仕事やライフスタイルの持論は延々と語る癖に、私について何も聞いて来ない。相手に全く興味を持たない人種。
会話の終盤、
彼「(延々と持論)~~~あ、もう夕方だね。時間大丈夫?ほかに話すことある?」
私「あの、私について聞きたいこととかないんですか?」
彼「えー……いくつ?」
私「●●歳です。彼さんは●●歳なんですよね?しっかりしてるのにお若いですよね(※ちょっと年上)」
彼「いや、若いって言われるのは好きじゃなくて、~~~~~~~(ここからまた30分ほど持論)」
用事があるからと電話を切った。その後LINEのメッセージが入る。
彼『ありがとう!すごく楽しかった!やっぱり人と話すのはいいね』
二度と連絡しなかった。
ご飯とか飲みに行った時にたまにいるタイプ。②のやつほど持論を語りすぎることはないけれど、自分から話題を振れず受け身な受け身なタイプ。無口とはちょっと違う。喋るけど会話運びをしない。
例えばこんな感じ。
私「お仕事は何をやってるんですか?」
私「すごいですね!大変ですか?」
彼「そうですね。大変だけどやりがいがある仕事ですよ。面白いですし。」
(一瞬の沈黙)
私「忙しいの大変そうだけどすごいです!」
私「職場は家の近くですか?」
こういうパターンの飲み(私は接待と呼んでいる)はきつい。きつくない女性もいると思うけど、もともとコミュニケーションが苦手だからとにかくきつい。端的に言うとつまらない。私についてまったく聞かない訳ではなく、聞かれたときや聞かれなくても自分の話をしてみるけど、だいたい相手のリアクションが「そうなんだ」の一言で終わるのできつい。あと私は割と相手の話を聞きながら褒めるようにしてるけど、相手から褒められるわけでもないのできつい。接待とか就職の面接してる気分になる。
もしかすると↑のような会話の運び方で相手側が「面接を受けているみたい」「矢継ぎ早に質問されて息苦しい」と不快に思っているかもしれないが、だいたい飲み会の後に「すごく楽しかったです!また行きましょう!いつにしますか?」と連絡が来る。そりゃ自分に興味を持ってもらって話を聞いてもらって要所要所で褒めてもらえたら楽しいよね!だったらせめて少しでも飲み代を多く払ってくれ(ひどい)!
(まとめと持論)
②と③に言えるのはひとえに「相手に興味を持っていない」ことだ。相手に興味があれば、相手のことをもっと知りたいと思えば相手への質問も出てくるし、その分自分のことも話したいと思って面白い話もでるはず。コミュニケーション得手不得手はあるけど、アプリは職業や趣味とか相手の事前情報がいくらでもあるんだから、とにかく相手に興味を持ってみるとよい。会う段階で相手のことが好きではなくても、相手が好きかどうかを判断するためにも相手を知らないといけないから。
あとアプリのプロフィールに「会話が無くてもいい、落ち着ける相手を希望」と書いてても、せめて1回目くらいは自分のコミュ力を100~120%発揮してほしい。恋愛や結婚で「飾らない、等身大」みたいなワードは重要だけど、婚活はいわばプレゼンで、自分をいかによく見せるかが重要じゃないか?最初から等身大の恋愛をしたいのなら、付き合いが長い幼馴染や同僚を探そう。
もちろん②と③みたいなコミュニケーションをとられてもしんどくない女性もいるし、なんなら相手が全くしゃべらなくても構わない女性もいるので、そういう人に会えるといいね…。私もそういう女性になりたいね…。
お互い話題を振るとかそういうことを考えず話が尽きないのが理想で、そういう相手に出会えることも少なくはないけど、だいたい友達で終わるかフラれちゃうね…。こんなとこで増田でマスかいてクソデカ感情を発散させてないで自分磨きがんばろうね…。
(ツッコミ想定問答1)
Q. そんなに文句言うんだったら自分もコミュニケーション受け身に徹すればいいじゃん
A. せっかくお互い貴重な時間とお金を使うのに、沈黙が多くて楽しくない飲みにするのは本意ではない。だったら無理してでも楽しいほうがいい
(ツッコミ想定問答2)
Q. そもそも婚活アプリとかやってる時点で相手のコミュ力はお察しでは?
A. 紹介したタイプは約6割で、4割くらいはめちゃくちゃ会話弾むコミュ力ある人がいる
(ツッコミ想定問答3)
Q. こういう思考で婚活してるから増田主は結婚できてないのでは?
A. うしろ
年間定額を国に納めてでも子供を生みたくありません。
家族が、というより周りの人間ほとんどが子供を持つことで人生が豊かになると考えていますが、私は全くそう思いません。子供が無条件に好きだったり老後の面倒を見てもらいたかったりと、様々な理由があることは分かっていますので、この考え方自体を根こそぎ否定する気はありませんが、私は無理です。心から子供が苦手なのです。
突然意味の分からない行動をする、言葉が通じない、四六時中意識を子供に向けていないと危ないことをしてしまったり、人に迷惑を掛けてしまったりします。
悪阻は苦痛ですし出産自体は痛いに決まっていますし、お金が掛かります。大学時代に奨学金を借りているので、それの返済もあります。休職・離職していつ戻れるか分からない状況が続くなんて、考えるだけで不安が凄いです。
育児体験の漫画やエッセイを読んでも、夜中は寝られず、お風呂にもゆっくり入れず、買い物に一人で行くのも困難、落ち着ける時間がないと苦しかった話しか見たことがありません。
苦しくなかった話として挙げられるのは決まって「子供が自分の指を握ってくれたときは幸せだった」とか「初めて言葉を話したときは感動で涙が出た」とかだけじゃないですか。その幸せに対して苦痛の割合が大きすぎませんか、と毎回思います。
あと何より子供が苦手だからと断っているのに「自分の子供だったら可愛いと思えるに決まっている」と押し付けてくる恋人と家族に嫌気がさしています。
生むのも育てるのも私なのに、何故私の意見は有耶無耶にしてしまえるのか。もしも本当に生んで、可愛いと思えなかったら?むしろ逃げ出したいとすら思ってしまったら?怖くて仕方がないんです。子とはいえ人は人。人の人生を支えることに自信がありません。
少なくとも私は嫌な育て方をされた覚えしかありません。いつも姉と比べられては努力が足りないからと言われて、やりたくもないことを姉がやりたいと言っているからやらされて、早く両親から解放されたいと思うばかりの人生でした。
それなのに子供にとって良い育て方が出来る自信などあるはずがありません。子供に、子供時代の私と同じ思いをさせてしまったらどうしようと考えてしまいます。
子供を生まず老後の面倒は誰に看てもらうんだ、と言われるとゾッとします。皆自分の老後のために子供を生むんですか、と。私は貴方の老後の世話をするために生まれてきたんですか、と。
子供がいないと老後は生きていけないなんてことはありません。そもそも介護が必要になる歳まで生きる気もありませんし、万一生き延びてしまったとしても、介護施設を利用します。そこで働いている人も誰かの子供なんだぞと言われたら、ぐうの音も出ません。ですがそれは仕事ですので、「生んでやったんだから介護をしろ」というのとは違いますから…。
ここまでお読みくださった方には分かる通り、私は子育てに向いていません。生むべきではない人間です。
それを妊娠・出産の良さを語ってくる人に分かってもらうにはどうしたらいいんでしょう……。
皆様のご意見をひとつひとつ拝見しました。個別にお返事ができず申し訳ありませんが、こちらの追記を持ってお返事とさせていただきます。
まず、優しい反応がたくさんあり、とてもほっとしました。嬉しかった、とはまた違いますが、否定しないでくださったことがすごくありがたかったです。
また、何度もコメント等で申し上げている通り、子供自体が嫌いなわけではありません。「心から子供が苦手」とだけ書いてしまったからか誤解されているようなのですが、正しくは「心から子供と接するのが苦手」です。分かりにくい書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
例えば、ファミレスやスーパーで子供が泣いていたり叫んでいたりするところを見ても、大変そうだなとは思いますが迷惑だとは思いません。(親が怒鳴り付けて怒っている場合などは少し迷惑と思ってしまいますが、そうしなければならないんだろうな、という理解もあります)
ただ、その短い間に見ただけでも「大変そうだな」と思ってしまうようなことが、毎日朝から晩まで続くと考えると、どうしても私には耐えきれないと思います。「母親になれば耐えられるよ!」と言われても、自分のことだから分かるんです。
それから、分かってもらいたいと思うのは傲慢だという指摘をいただきました。それについては仰る通りだと思いますし、恋人とは次に会ったときに話し合い、お別れをしてきます。(大切なことは面と向かって話したいので。いつになるか分かりませんが…)
両親からは、そこそこの愛は貰っていると思います。ただ愛情の向け方が私には合わなかっただけです。勉強も運動も出来ず取り柄がなかった私に、諦めるのでなく厳しく接することが正解だと思っていたと言われたことがあります。確かに、両親が諦めないでくれたおかげで、当時行ける高校がないと担任に言われたことのある私なのに、そこそこ名の知れている大学まで通えて、就職も出来ました。それは感謝しています。
けれど、いつも両親を怒らせないようにと張り詰めながら過ごしていた子供時代は、愛など微塵も感じたことがありません。両親は私のことが嫌いなんだと思っていた時期もあります。
正しい子育てなんてないのでしょう。大体の流れは同じでも、性質や物の見方・考え方は子供であっても「人それぞれ」です。
私の育て方ひとつで、子供は幸せにも不幸せにもなります。そんな風に他人の人生を背負うなんて、到底私には不可能です。度胸も覚悟もありません。
生んでみればわかるなど言われても。もし子供を生んで「子育てが辛い、やめたい」などと言えば、「母親失格」や「じゃあ何で生んだんだ」と責められるのでしょう。やるせない思いでいっぱいになります。
案ずるより産むが易しと言われても、私は身長が低く、母曰く出産にリスクがある体型ですし、慢性疾患もあり毎日薬を呑まなければなりません。出産は皆同じ条件ではないのに、易しと言われても、不安なものは不安です。
「子供がいれば一人前になれる、生まなければ一人前になれない」とのコメントもいただきました。本当にそうでしょうか。生んだだけで一人前ならば、虐待で子供を殺した親ですら一人前になってしまいます。けれど、世の中的には、そうではないですよね。
正しくは「子供を生み、きちんと育てて、ちゃんとした大人にすることで一人前になれる」じゃないでしょうか。(私はそうは思いませんが、一人前になれると主張したい人は、です)
「子供がいれば幸せになれる」なんて考えも、きっとこれから先持たないと思います。子供は親を幸せにするための道具ではありませんし、子供がいなくても幸せな過ごし方だっていくらでもあります。
妊娠・出産・子育てで何年も辛い思いをするのが嫌なだけでなく、子供に辛い思いをさせかねないことも嫌なのです。無条件に幸せになる親も子もいません。親だけが幸せでも、意味はありませんし。
女性として生まれてきたからといって、子供を生まなければならないという考えは人間が有性生殖をする生物である限りなくならないと思います。
ですが、自分の人生を決められるのは結局自分自身だけです。他人に従わなければならない義務などありません。「女として失格」でも「人間として失格」でもいいです。私のせいで不幸になる可能性のある人はいない方がいいんです。
子供が好きで、生みたいと思う人は生めばいい。生みたくない人は生まなければいい。どちらも個人の選択で、誰かに強制される必要はないです。
自分でも何を書いているか分からなくなってきました…。長文・駄文で申し訳ございません、お読みいただいた方には心より感謝申し上げます。
(お金貰ってでも、では? という指摘をいくつか受け取りました。書いた当初は「子供を持っていない女性からお金を取るという制度ができても」という意味でした。勢いで書いてしまったことと、二度書き直したことにより、本来の意味を失っておりました。申し訳ございません。)
いろんなお気持ち表明が盛んだ。
私もお気持ち表明してみる。
コロナ禍でみんな少なからずこのひとのここ嫌だとか今まで親しかったけど話してたらなんか疲れるとかそういうことにだんだん気づき初めて、その次は習慣を変えたり趣味をしたり自分で自分の機嫌をとっていくことへシフトしている人が多いと思う。
私もそう。
4月5月は家にいるしかないのでもっぱらtwitterやゲームをしたり映画などを見ていた。
でもなんか最近twitterみて疲れてきた。ちょっと気になることを書き留める。
どうぼやかしてもどのゲームかバレると思うのだけどあるソシャゲ界隈での二次創作やファンの民度をめぐって日夜炎上、ボヤ騒ぎをみている。
愚痴垢:絵や小説が伸びないでも相互のあいつはのびてる、いいねじゃなくてリツイートしろ、日常のツイートもいいねしろ、日常のツイートは反応するくせに絵や小説に反応してくれない相互なんていらない、顔カプだろ、●●なんてありえない、175うざい、自分は175じゃない(根拠にしたい画像)など。
上記の方々は本当にお疲れさまですと思う。あとネットから離れたらちょっとラクになるのでは?と老婆心が顔を出してしまう。
ときにはわざわざ検索までして自分の不快なものを見て勝手にイラついてて、ヒートアップしている。
決めつけんな!とメンチ切ってるわりには「こいつ〇〇」と決めつけてて特大ブーメランぶっかましてて
愚痴自体存在していてもいいし誰だって愚痴りたくなるのはわかるけど、たえず人の悪いところ、なにか動きのあるアカウントをターゲットにしてボヤ起こしてるのはなんだかな、と個人的に思う。トラブルは当人同士でしか解決できないのでは?(例えば、トレ●ク擁護か!と変な方向に読み取る人がいるかもしれないけど、擁護じゃなくて「お前の出る幕はない」ってことだよ。落ち着けよ)
いいかい、愚痴垢自体はあってもいいと思うけどトラブルにのっかってるやつは片っ端からアカウントチェックしてあなたのFFもあなたも先行ブロックしてるからね、ってことですよ。(私見)
交わることがないと思うけどなんかの事故で交わりたくないしお互いのためですよ。
ファンアートタグの乱用:ルールが明確にわからない人も多いと思う。私も実際間違えているかも知れない。
・下ネタ
・グロ
・カプ要素
・夢要素
・あとなんか見る人を選ぶようなもの
のあるものに関しては避けたほうがよいのでは?
私はファンアートタグは「原作の公式アカウントがみるかもしれない」という見解なので、上記の要素が含まれているものは少々ひやっとしながらスルーしている。
ちょっとこれはアウトなのではと思うのはファンアートタグとカプ名タグ、異性化タグ、グロ注意を一緒に使っちゃってること。
これはよいのか…???と思いながらもどうすることもできないのでリツイートもいいねもできないでいる。
頼む、
いいねをさせておくれ
リツイートをさせておくれ
公式も見るかもしれないようなタグぶら下げていながらちん●ん、おっ●いが出てるものはさすがに拡散できないよ。
とまあおここまで書いて気づいたのだが私も相当疲れているのでしばらくネット見ないでいるほうがいいのかもしれないな。
コロナが収まる気配ないのでここでパワー使うのものちのちよくないかもしれない。
公式の画像を転載したアイコンを使用しておきながらの〇〇(ゲーム名)速報という半ば炎上に加担しているアカウント:アイコンそれでいいの?
公式アカウントにメンテのたびに詫び石よこせと強気なリプする人:配るか配らないかは公式が決める。黙ってなさい。
サ終しろとアカウント名にまで表記してるのにばっちりとイベントまでプレイしてイベントストーリーにケチつけている人:疲れてるの?ちゃんと寝な。
色々書いたけど、他人をどうにかしようとしたい人が多いなってざっくりと感じます。
それってとても無駄なことだと個人的には思うのでそういうの見かけたらブロックかミュートしてます。
とにかく疲れているので何事もほどほどに、でやっていこうと思う。
単刀直入に言うと、タイトルにある「ガチャで人の推しが出た時に謝る文化」を、私はどうしても理解・共感できなくて困っている。
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【主な登場人物】
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数年前の引越しを機に、私は日本全国から人が集まるような場で生活を送ることとなった。その中で有難いことに、共通の趣味を持つ人にも出会えた。その中の1人が、Aであった。
共通の履修ジャンルに加えて腐の趣味もある(しかも一部推しカプまで共通している)貴重な人材ということで、あっという間に距離は縮まり私たちは友人となった。
一緒に推しジャンルのライブに行ったり、某アニメショップで買い物をしたり。住んでいる場所が近いこともあり、オタ活を共にすることも多くなった。
しかし過ごす時間が増えるにつれ、同じオタクでも微妙に価値観が合わないというか、そういった違和感が生まれ始めたその中でも1番モヤモヤするのが、前述の通り「ガチャで人の推しが出た時に謝る」文化である。
最初にこの違和感を感じたのは、何気ない会話の中。とあるソシャゲでのガチャ云々の話で、AがAの友人であるB(私とは面識は無い)のSSRを引いたというものであった。
Aは「何気なく10連したらBが狙ってた推し来ちゃって、もう申し訳なくてさ、BにLINEで『ごめん出た』ってスクショ送ったらもうその時の反応が面白くてw見てこれw」と言ってLINEのトーク画面を見せてきた。
この時、私は「なんでAは謝ったんだ?」という疑問が浮かんだ。
私は「ガチャのスクショを送る=自慢」という認識だった。(今までの私の交友関係の場合、ガチャ運が良かった時に友人にスクショ自慢を送ったり送られたりしても「すごい!」「おめでとう!」「羨ましい!」とお祝いムードになるか、報告が地雷のタイプが相手なら黙っておくかが普通だった)ので、「謝るならスクショを送らなければ良いのでは?」と感じたのである。
Bは、自分が推しガチャ失敗した時の他人の出ました報告が地雷なタイプ人なのかと思ったが、トーク画面を見ても特に荒事もなく会話が普通に進んでいる。
そういうタイプの人もいるんだな、という感想でこの場は終わった。
しかしこれ、価値観が違うことも相まって、自分が実際にやられると非常にムカつくのである。
私は数あるジャンルの中でも特に熱を入れている某ソシャゲがある。決して大手のジャンルではないが大好きなソシャゲだ。
その中にある、とある私の最推しのSSRカード。当時は年齢による課金制限で「出るまで回す」が出来なかったため、限られた万単位の金をつぎ込んでも出なくて泣く泣く諦めたカードである。ちなみに私は未だに持っていない。
それを最近、どうやらAが引いたらしい。しかも通常SSRよりも更に確率の低い、いわゆる箔入りのSSRである。
TwitterやってればSSR出ました箔入り出ましたのガチャ報告なんて散々見るから、ガチャで当てたことに対して特に思うところは無い。だから今回も「まじか、すげー」くらいの気持ちだった。
ここまでは良かった。
例のガチャ報告ツイートの最後を見ると、「〇〇(私の名前)ごめんね!!ww」という一文が添えられていた。
なんで謝った? なんでわざわざ私を名指しする必要があったんだ?
なんとも思っていなかったガチャ報告のツイートが、最後の名指しの一文のせいで一気にイラっときた。
数分後、AからLINEの通知がきた。「すみませんでした」の一言と共に、Twitterでみたガチャ報告と同じスクショが添えられていた。
Twitterだけに留まらず、なぜわざわざLINEしてきた。謝る気なんて微塵もないくせになぜ謝るんだ。
私って沸点こんなに低かったんだ……とどこか頭の中で他人事のように考えながらも、苛立ちが余計に増していた。謝罪の一言がただの煽り文に見えて仕方がなかった。
こういった報告が何度かされるようになる度に、私は謝る気なんて無いであろうAの「ごめん」に、自分宛じゃないツイートであっても見かける度にイラつくようになってしまった。
ガチャとは別の例だが、今挙げたソシャゲとは別ジャンルのブラインド商品を一緒に買った際に、Aが私の推しを当てたことがあった(私は自分の推しでもAの推しでもないキャラだった)。その度にAは「なんかごめんね、〇〇(私)が引いたのがウチの推しだったら交換したんだけど、ね……?」的なことを言ってくる。私は交換してくれなんて一言も頼んでいないぞ。
(まあ一緒に買い物をするとどちらが何を買って推しが出たか出なかったかはその場でわかるからまだしょうがないのかもしれないけど…)
いまの一連の流れを読むと「推しが出なかったことに嫉妬してるだけじゃん」と思われそうだが、私はAが私の推しを当てたことに苛立っているのではなく、その報告に"謎の謝罪"が入っていることが非常に腹立たしいのである。
とはいえ私も人間関係のコミュニティが多少広がったとはいえ、この「謝罪文化」に今まで触れてこなかったから今は拒否反応がでているのかもしれない。
ここまで読んだ人には「こんな小さいことで何をww」と笑われているのかもしれない。でも自分でこの苛立つ感情を処理出来れば、字書きでもない私がこんなお気持ち長文なんてわざわざ書かない……というか自分がお気持ち長文を書く日が来るなんて思ってもいなかった……
Aには悪気は無いだろうから、ここで私が「謝ってくんじゃねえ!!」と激情をぶつけてもそれはただ私がAに私の価値観を押し付けるだけになってしまうので、書き殴って気持ちを落ち着けることにした。
とはいえ冷静に考えても、現時点でこのガチャの謝罪文化は絶っっっ対に共感できないから正直やめてほしいのが本音だ。
それぞれのオタクとしてのあり方、価値観。共感は出来なくても理解はして、冷静でいられるような大人になりたいなあ。そう思った未熟なオタクのお気持ち長文でした。
全く一緒の発想・体験してるわ。マンションとか賃貸とか調べまくったけど、マジで集合住宅気をつけたほうがいい。
中古は詳しくないから、新築のマンションとか賃貸で経験を書くわ。自分と同じ苦しみを経験する人が1人でも減ってほしい。
一番役に立ったと思うのは、新築マンションのチラシをとっておくこと。一旦新規契約が打ち切られると、インターネット上の図面とかも全部非公開になるし、過去の値段さえ乗らないから、紙が重要な情報源になった。
後は資料請求すると、営業から電話かかってくるから、そこで具体的に躯体について聞いておくこと。
こっちも予算とかスペックに合ってるなら買う気があるし、向こうは売りたいしでいい情報交換ができるよ。
あとは、パンフレットとか広告を見ていくと、マンションのメーカー?とか販売会社によって、重要視してるポイント違うから(立地とか防音とか)そこで会社を絞っていった。
重要視しているポイント以外はちゃんと記載していないから、たくさん見るとわかってくる。
間違っても仲介会社は信用しないこと。マジで糞だから一言も信じるべきじゃない。
普通に嘘言って契約を取り付けて、その後に間違ってたことをぼかして伝えてくるから、ほんとに後悔してる。1回や2回じゃない。
販売会社の公式サイトとか、過去の公開情報とかで図面掲載してることもあるから、そこから読み解いて地雷物件は避けるようになった。
思い返すと、この違和感は10代の頃からあった。気のせいかとも思ったが、何十年も経過した今でも続いている。
鏡や写真で見た自分もだが、外見的な部分もだが内面的な部分でも違和感を覚える。
ある程度わかりやすく言うと「着ぐるみの中から外の景色を見ている」という状態。
一番近い感覚としては、映画「マルコヴィッチの穴」のように自分が他人の肉体に入っているいるような感じ。
自分の視界から見る肉体(特に手と腕)は自分のモノとは思えないし、行動面も自分の意思とは違う行動をよく起こしてしまう。
立場だったり肉体的な物理的な痛みだったり、自分が苦しい状況でも確かに苦痛には思うものの、どこか他人事のように思ってしまう自分がいる。
顔に関しても他人の顔に思えてならないし、鏡を見る度にちょっとした驚きというか一々軽いショックを受けてしまう。
これは自分の顔の出来に満足してないとかそういう美醜な話ではなく、自分の顔とはどうしても思えない。(だから仮に整形しても納得はしないと思う)
別に顔がある程度不出来でもいいんです。納得できれば。
洗顔や化粧品を使って呼吸を含めたトラブルになったアレはアレルギー反応
物質が肌に浸透しないからこそアレルギー反応は起きる。容易に浸透したら死ぬ☠️
肌の層を書いてみるよ
🌟肌の層🌟
[表皮]
平均約0.2ミリ(角層>顆粒層>有棘層>基底層)
↓
[真皮]
(乳頭層>乳頭下層>網状層 と付属器:血管、神経、皮脂腺、汗腺)
↓
頭部/額/鼻は約2mmと薄め、大部分は4mm~9mm
湿疹や裂傷/すり傷の無い元気な状態の肌なら、アレルゲン(小麦/カビ/ダニ/細菌/ウイルスその他いろいろ)が皮膚に付着してもブロックして終わり。何も起こらない
逆に、湿疹や裂傷/すり傷とかある荒れた状態の肌だとアレルゲンが[表皮]の有棘層までやってくることがある
有棘層には変なヤツが来ていないか見張っているランゲルハンス(Langerhans)細胞ってのがいて、
「穏やかじゃねぇな、落ち着けよ?」とかのんびり構えてたら人は死ぬ。異物に慈悲はない
ここから先は説明は不要やろ?花粉症や食物アレルギーなどとざっくり同じ話だから
食べて出るアレルギー反応が『経口感作』、皮膚の「異物絶対殺すマン」によって起こるアレルギー反応が『経皮感作』やで!!!
ほんまもんの毒ならそういった症状が出るわけですな。 経皮毒とか言っている連中の言っているような「毒」の侵入は証明されたのかな?
これは、昨年の話である。
A、B、C、Dの4人は32歳のオタクで腐女子で、10年以上の付き合いがある仲間たちだ。
今日の集いは久々の4人の再会で、予めオシャレなカフェやレストランに行くと話していた。
32歳。「いい大人」と言われる年齢だ。
そんな妙齢になったのだから、私たちは当然、オシャレな服装をしなければならない。
女友達と会うこと。それは一つの儀式であり、現代における戦いであり、マウンティングして自身の優劣を確認できるチャンスなのだ。長年の付き合いでも絶対に気は抜けない。世間では、そう言われている。
私はきちんとした服装で着飾り、待ち合わせの場所へと向かった。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツ、着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
犬の散歩中かよ。犬連れてないけど。
こんないでたちで「私はオタクだけどオシャレに気を遣う方!」とか思っている。もはや手に負えない。
正直もう無理、と思った。一緒にいたくない。恥ずかしい。帰ってほしい。
なのにAは堂々としている。全く恥じる様子もない。なんなの空気読めないの?
とにかく恥ずかしかった。
ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等等等…。
推しにすべてを捧げて貯蓄すらしてないらしい。
いいね、何も考えずに生きられる人は。
何も考えずにオタク生活を満喫してるなんて信じられない。もう32歳なのに。
私よりみすぼらしい姿で、貯蓄すらないのに、32歳なのに、推しのことをキラキラしながら話すんじゃないよ。
まったくもって目障りだ、と思った。
レストランで食事をしたあと、Aはアニメショップで大量買いをした。
もう見てるこっちが恥ずかしいし情けない。32歳なのに。
鏡ちゃんと見てる?お肌汚いよ?
お肌ってね、32歳にもなるとちゃんとお金かけないとキレイにならないの。
こちとらデパコス通ってお金も時間もかけてきちんとスキンケアしてるわけですよ。
なのに未だにプチプラ?ありえなくない?ヒューマンステージ低くない?
Aが終始、少女のようなふるまいで推しについて楽しそうに話すのである。
推しがかっこいいだの可愛いだの、小声ではあるがキャッキャウフフうるさい。
落ち着け。いい加減落ち着いてくれ。私たちはもう大人なのだ。32歳なのだ。
なんでそんなに楽しそうなんだよ。
なんでそんなに昔と変わらずいられるんだよ。
私は変わってしまったのに。
親には「早くあんたの晴れ姿が見たい」的なことも言われるし、自分が病気になるリスクも高くなってくる年だし、親の病気や介護の問題だってあるし、将来どうなるかわかんないし。先が不透明な時代、貯蓄すべきだよ。だって、自己責任なんだよ。何があるかわかんないんだよ。
32歳で、収入のすべてをオタ活に使ってんじゃねーよ。
そんなの非常識だよ。
子供のように楽しそうなAが許せなかった。
「もう32歳だし、年相応の服装をしよう。容姿に気を遣おう。いい加減落ち着こう。もうオタ活なんてやめてしまおう」
そう決意して、がんばって変わった自分がばかみたいだった。
大人の女性は、メイクもネイルも肌もしっかりと手入れをすべきなんだ。
「いい加減メイクくらいしなよw」
「服装は常にきちんとしなよwだらしない服装なんて許されないよw」
「オタ活なんてやめていい加減落ち着きなよw恥ずかしいよwww」
私たちは、大人として、妙齢の女性として、世間から求められている姿でいるべきなのだ。