はてなキーワード: 発症とは
・2013年5月までを対象に6つのデータベースで検索できた無作為化比較試験7報について検討したメタ分析において、ビタミンDの摂取は、抑うつ症状 (7報) に影響は与えず、抑うつ症状のある患者 (2報) において、わずかに症状の減少と関連が認められたが、試験によるばらつきが大きく、さらなる検証が必要である (PMID:24632894) 。
・2013年4月までを対象に6つのデータベース、6月までを対象に1つのデータベース、7月までを対象に2つの会議録で検索できた無作為化プラセボ比較試験6報について検討したメタ分析において、ビタミンDの摂取は、うつの評価スコア (6報) や発症リスク (2報) に影響を与えなかったが、試験のバラツキが大きかった (PMID:24423304) 。
・2012年10月までを対象に4つのデータベースで検索できた無作為化比較試験4報について検討したメタ分析において、試験内容に問題のない2報ではビタミンDの摂取はうつ病症状の改善と関連が認められたが、生物学的問題 (ビタミンDを摂取させていない、ビタミンDを摂取させても25-OH-Dが増加していない、減少している、ベースラインの25-OH-D値を測定していないなど) を含む2報では症状の悪化と関連が認められた (PMID:24732019) 。
RCT
・70歳以上の女性 2,258名 (試験群1,131名、オーストラリア) を対象とした二重盲検プラセボ比較試験の二次解析において、コレカルシフェロール500,000 IU (10錠) を毎年1回、秋期から冬期の同じ日 (前後2週間以内) に、3~5年間摂取させたところ、精神状態 (SF-12、GHQ-12、PGI-I、WHO幸福度指数) に影響は認められなかった (PMID:21525520) 。
・季節性情動障害の医療従事者43名 (試験群22名、平均44.2±11.5歳、デンマーク) を対象とした二重盲検無作為化プラセボ比較試験において、ビタミンD70μg/日を冬期に3ヶ月間摂取させたところ、うつ症状の評価 (SIGH-SAD) 、精神健康状態 (WHO-5) 、体重、ウエスト径、血圧、欠勤日数に影響は認められなかった (PMID:25125215) 。
・健康な若年成人128名 (試験群63名、平均21.45±2.96歳、オーストラリア) を対象とした二重盲検無作為化プラセボ比較試験において、コレカルシフェロール5,000 IU/日を6週間摂取させたところ、認識機能や気分に影響は認められなかった (PMID:22073146) 。
出典元:国立健康・栄養研究所「健康食品の安全性・有効性情報」http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail44.html
20代から特に趣味もなく、仕事一筋で働いた結果、200人ほどの小さい会社だったが30歳で部長まで昇進した。
その後33歳で社長と喧嘩し懲戒解雇を食らうも、不当解雇で民事裁判を起こした。1年間に及ぶ裁判の結果、年収2年分で和解し、和解時点を持って自主的に退職ということでケリがついた。
裁判期間中に鬱を発症し、現在はほぼ引きこもり。20代から株をやっており、また上記の和解金等で現在4000万強の資産があることに加え、傷病手当金であと1年ちょっとの間、毎月40万が振り込まれるので、金銭的な心配はほとんどない。今は家賃含めて毎月10万も使わないので、貯金は増えていく一方。心の支えはお金だけ。
働く気力はもとより遊ぶ気力も無いし、長年付き合った彼女からも振られ、女っ気も全く無い。抗うつ剤が原因か、去年1年間で30kgも太ってしまい、さらに自信喪失。
今は、朝9時前後に起きて布団の中で株をチェックし、そのまま二度寝。15時前に起きて株を再チェックし食事を取る。21時ごろまで布団の中でだらだらと過ごし、22時には睡眠導入剤を使って眠りに落ちる。外出するのは週に一度の通院の時だけ。
ほんと、何もやる気が出ない。重ねて言うけど、心の支えは貯金だけ。後は前職の社長にどうやって復讐してやろうかという妄想する日々を過ごしている。
あと先週呼んでもいないのに見舞いに来やがった高校の先輩、うつは甘えだの、さっさと働けだの、俺だって忙しいだの、テンプレ的な批判を散々しやがった。さすがにウザいから、証券会社の口座見せて、4000万もあるから働く気が起きないんですよね、って言って黙らせた。余談だが。
散文だが増田ってのはこういう使い方するもんだと思っているので、遠慮なく記す。
前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。
その頃のことを思い出したのは元増田の記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かに読まれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。
今回の猫は心臓の悪化?から肺機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。
そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。
細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。
前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。
選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。
バックヤードに入って声をかけてから、就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそばの椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後からは酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。
しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫からの最後の要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。
その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ。
死も病も生きとし生けるもの、代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別な運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。
安楽死は想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚がストンと理解できた。通夜をするのだと決めた。
猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。
この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクトな姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。
やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手な欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。
寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分の状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。
翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来の香りは一切しなかった。発症してからの口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。
その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。
私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。
最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。
例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分で体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものだからだ。
だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。
その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触を仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる。
時間が解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。
猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。
猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手な解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。
一匹目の猫は乳癌で死んだ。
腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。
最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。
最後の日、私が居間でインターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。
学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。
風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。
あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。
僕の体質の話。
2週間に一度くらいの頻度でウィークエンド頭痛に悩まされている。
いつも決まって左側頭部が痛くなり始めて「あー、来たな」と思ったら
寝ようが頭痛薬飲もうが痛みレベルが最大になるまでは引かない、やっかいな頭痛。
ガンガン痛くなるレベルまで来て初めて長時間の睡眠で治ったり、頭痛薬が効くようになる。
主に休日で寝過ぎたり、リラックスしすぎたりすることが原因で発生する片頭痛の一種らしい。
(脳の血管が拡張して当たったらいけない部分に当たって云々)
これのせいでよく貴重な休日をほぼ全日にわたって極低パフォーマンスで過ごさざるを得なくて、
なんて面倒な体質なんだと腹も立つのだが、一点だけ謎のメリットというか、
「その日のうちに頭痛が回復した場合に限り、回復後にやる気がモリモリ湧いてくる」というものだ。
前述したとおり、この頭痛から回復するためには痛みMAX時にたっぷり寝るか頭痛薬を飲むしかないのだが
「その日のうちに」という条件を満たすためには大抵の場合「頭痛薬を飲む」しか方法はない。
痛みをこらえてフテ寝して、翌日の起床時に治癒していた場合には起こらない。
休日の起床時から始まって、痛みのピークを迎える昼過ぎ~夕方ごろに頭痛薬を飲むと、3時間後には痛みが消えている。
その後、頭痛発症中の下げモードを挽回するかのごとく、なぜか気分が高揚してくる。
本来やろうと思っていたが頭痛によってできなかった事、に対するモチベーションがめちゃめちゃに湧いてくるのだ。
もしかして愛飲するナ○ンエースに何か入っているのか、とも思ったが
「前日の夜から始まって翌日に引っ張ってしまったケース」が日中に自然治癒した場合でも起こる事が最近分かった。
起床 !頭痛発生! !!!!痛みのピーク!!!! 治癒 就寝 ├────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwwwwwwwww~~~┼米米米米米米米米米米米米┤ (あー、来たな) (頭痛薬を飲む) (やる気モリモリ) (よかった。寝よう)
起床 !頭痛発生! !!!!ピーク!!!! 就寝 ├───────────────────────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwww┤ (来るのが遅い!) (つらい。諦めて寝よう) 起床(翌日) 治癒 就寝 ├~~~~~~~~~~~~┼米米米米米米米米米米米米 ┼────────────────┤ (起きてもまだ痛い) (何か自然に治った。やる気モリモリ) (よかった。寝よう)
【失敗パターン】
起床 !頭痛発生! !!!!ピーク!!!! 就寝 ├────────────────────┼~~~~~~~~~┼wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww┤ (中途半端!) (頭痛いままだけど寝るしかない) 起床(翌日) 就寝 ├───────────────────────────────────────────┤ (寝てる間に治った。いつも通りの朝だ) (頭痛いだけだった。損した)
やる気モリモリ状態でのパフォーマンスは頭痛発生前の平常時を大きく上回り、集中力が高まるのが自覚できるほど。
ロウアー期を経ねばアッパー期に入れない事を考えるとトータルの能率は然程上がらないのだが、
集中力がそのままクオリティに直結する作業をうまくこのタイミングに持ってくると、かなり捗る。
保育園へ行っている我が子がインフルエンザ発症。土日を挟むのと出来る限り周りにうつさないよう解熱後5日経ってからの登園。
その後普通に1週間以上経過。しかし先週末のお迎え時に突然園から「治癒証明書を持って来て下さい」とのお達し。
しかしかかりつけ医の受付時間は終了している。(土日は休み)まあ形式的なものだろうし連休は予定あるし週明けでもいいかと呑気に考える。
連休明け火曜日(今日)、子を夫に送ってもらう。治癒証明書については特に何も言われず。
その後しばらく経ってから「治癒証明書が無い子は登園出来ないので迎えに来て下さい」と連絡が入る。
ええーと思いつつ仕方ないので半休をとり、連休明けで大混雑のかかりつけ医へ。
かかりつけ医に首を捻られつつ(発症から2週間以上経ってるしね)治癒証明書をもらって保育園へ。
悪かったと思う所
・インフルエンザ発症時に治癒証明書が必要かどうか確認すべきだった(昨年度インフルにかかった時は不要だったと思うけど確認すべきだった)
・今日朝登園時に治癒証明書について保育士に確認するよう夫へお願いすべきだった
私は20代、男。
くも膜下出血だ。
病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。
あれからもう5年以上も経過して、父は依然として
約束(決められた時間と場所にいく等)を覚えていられなかったり、
親から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである。
今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこのタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。
決してハッピーなものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。
当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢の祖母、まだまだ10代半ばの弟)
父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生の軌道修正をすることにした。
肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
「生きても半身不随になるかも」
そう医者にいわれた。
わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。
自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、
それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。
まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類にサインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。
ふと気がつけば、手術がはじまっていた。
その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。
手術は成功だった。
術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。
パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議な感覚がしたが、それも始めだけだった。
開口一番、「おまえ、誰や?」。
ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。
発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。
うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。
悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。
この段階でまた泣いた。
聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。
怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空の人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、
「これ以上の治療はできないからリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。
絶望だった。
もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分のコントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。
その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。
父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社が事情を汲んで軽作業の仕事を与えてくれた。
もうそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。
それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。
そのタイミングで、また事がおこる。
つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社の社長さんから電話があった。
嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望は杞憂ではなかったらしい。
聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。
正直にいうと、「またか。」と思った。
世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである。
ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。
いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。
基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。
あんなに強かった父が、若い子から「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。
泣いてたらしいし。もうつらいです。
■追記
深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。
コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。
本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上の矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。
私も二人、子供がいるんですが子供に迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。
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父は元々仕事人間でプライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。
一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。
本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています。
そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。
なんとも救えない。皮肉な状況です。
お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。
嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。
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不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。
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いまのところ死ぬ気はないです。
件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑
自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、
積極的に関わって「自分の人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、
どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。
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当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分が死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。
いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています。
しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。
障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族に退職勧奨なんてするかなあ。
もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。
障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事で子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。
会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医も増田も悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。
大変だった時期もあるだろうけど、現在は障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。
行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身のメンタルケアを優先してみては。
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なるほど、そもそも後見人の概念を知らなかったので勉強します。
様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常のイベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。
タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。
「障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。
色々とご指摘、ありがとうございます。
圧倒的に競技人口が男性の方が多いで結論が出たけど男女の違いもそれなりにあるとは思う
自閉症は極度に男性型の脳になった結果共感能力が低く興奮や集中をしやすいと言う説もある
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
残金5,000円
どうしよ
はてブが増えていて驚いた…ありがとう。とにかく、体がだるくて、睡魔が取れなくて、すぐに体が横になってしまう。寝たっきりなかなか起き上がれない…。なお、昨日は一日何も食べていない。
この数年、仕事に就いても長続きしなくて不安定な生活だった。4年前まで働いていた非営利団体で、初日から間接的なパワハラに遭遇し2年間耐えてから調子が悪い。なお、パワハラに遭った人は、1人は半年、もう1人は1年でうつ病を発症し退職している。俺も1年で逃げれば良かった。3年は頑張ろうと思ったけど、結局2年で体がしんどくなって辞めた。
その後、仕事を転々としたが、昨年3月末に退職した会社を辞めてからは、新しい世界へ飛び込んでいくのが怖くなってしまった。だから、長期よりも短期であれば割り切れるだろうと去年末にフルキャストで日雇いやったり、期間限定の派遣で働いたりもした。田舎だから日雇いが毎回あるわけではないが、一時しのぎはフルキャストでお世話になろうと思う。
介護職に就く(どうしても嫌なら薦めないがね) 就職してから役所に金借りに行く(なんて名称だったか忘れたけど。なんたら貸付金?)
選り好みというわけではないが、介護は無理だった。俺が住んでいる地方では、介護は給与等の条件面だけを見れば、昇給賞与もあって給与も比較的高いのだが、施設見学に行った時に施設内を充満する臭いがどうしてもだめだった。
履歴書は買えるが、問題は写真。焼き増し用のCDはあるが、現像すると高い。団体職員の時、生活困窮者のフォーラムを覗いたことがあるが、貧困者が再就職にあたってネックなものの中に、履歴書の写真代があるそうだ。確かに高いもんな。かといってプリクラじゃ絶対落ちるし。
というわけで、履歴書が必要なくても就業できる可能性のある、フルタイムの派遣で働くことも視野に入れている。それも、給料が月2回支払われるところ。どこで働くかと言われたらちょっと答えに窮するが、昔に携帯業界で働いていたから、また携帯業界に戻るかな…とも思っている。
昨日母親に相談した。不在だったが、昨日中に折り返しの電話があり留守電に録音があった。「母もお金がないです。大家さんに、『実家に帰ります。滞納している家賃は払います』と言って逃げてこい。携帯電話がつながらないとか、そんなことは私の知ったことじゃない」と吹き込んであった。
日雇い、来週末まで案件なかった…。実家に帰るガソリン代を使うなら、日雇いバイトのためにガソリン代を使うよ…。
フルキャスト、日雇いの仕事の案件が出てこない…。この時期ってそんなに案件ないのか…?
姉が鬱だ。
発症したのは前職。元々その気があったらしいが、人間関係や仕事のストレスで悪化し退社した。
現在は幸いなことに鬱に理解のある会社と縁があり、姉が働きやすい環境になるようサポートをしていただいている。
しかし転職してから数年は通院と環境変化で回復傾向にあった姉が、ここ2年程悪化の傾向をたどっている。
月の半分は元気に通勤し、残りの半月は朝から泣きわめき、部屋からでることすらままならない。
というのも、姉は部屋から出て来ず、調子のいい時などにそれとなく話を聴くと怒って閉じこもるので会話ができない。
両親は健在だが、定年退職をしており「鬱ではなくただの甘えなのでは?」と考えがちなため、大部分は姉を尊重し追い詰めないようにしてはいるものの、疲れた時などにふとその考えに近い言葉を発するので、姉との衝突が絶えない。
私は姉の通院している病院が原因の一つではないかと思っている。
その病院は、長期間予約が取れない他の医院より比較的自由に予約ができ、患者に余計な事を言わず聞かず、患者が望む薬をそのまま処方している。
私たちも鬱に向き合うのが初めてなので、家ではどのように向き合うべきかと助言を求めた事があるが
「本当に患者のことを心配しているなら自分で調べているはず。医者に聞くとは患者に鬱病だというレッテルを貼って喜びたいだけだ」
調べてはいるものの、自己流の向き合い方で悪化させてはまずいからプロからのアドバイスを聞きたかったと言っても取りつく島もない。
この医者はヤブなんじゃないだろうか…と思って姉に転院を勧めているものの、本人にとっては居心地のいい病院らしく転院する気がない。
逆に「転院して急に病院行きたくなっても予約とれなくて行けなかったらアンタのせいだからね!」と言われてしまい困っている。
通常の病気と違い、精神科医は患者によって合う合わないがあり、評判のいい医院がその患者に合うとは限らないため、無理強いするのはいけない、というような記事も見かけたので無理に変えさせるのはまずいんだろうか?と二の足を踏んでいる状態だ。
仕事で悪化したのか?と思い聞いてみても現在の会社も居心地がよく、業務内容も合っているため、やめる気はないようだ。
しかし月の半分は鬱により出社ができず、いくら理解があるとはいえ給料は出勤日数に見合った額しか支払われない。
そのため常にお金がなく、また家も私もそんなに裕福ではないのでサポートにも限度があり、常に金欠という部分も悪化の一つなんだろうとは思う。
それでも、毎朝「自分が仕事に行けないのはお前が自分を職場に送らず車に乗っていくからだ(姉は免許がなく、姉の出勤時間に合わせると私が遅刻をする)」と言われるのがそろそろきつい。
朝は泣き喚いていた姉が、私が帰る頃には部屋で楽しそうにネットの友人と話しながらゲームをしているのを見てため息をつく親を見るのもつらい。
何から手をつけるべきか、見当がつかなくて困ったな、というはきだし。
今日で4日目。右膝と膝周りが痛い。具体的に言うと、膝から下の内側の筋肉がひきつれる。膝から上は、裏側から尻にかけてつっぱってる。痛み止め(バファリン)を追加で飲んでるんだけど、ずっと痛い。
痛みって緩和出来ないのかな?
痛くって狂いそうだ。
あと仕事休んでるんだけど、1回目の薬が合わなくて、2日目にはまた病院へ。追加の薬渡されたけど、膝や周囲は痛いまま。いつになったら行けるのかわからないのが凄く不安。
経験者居ませんか。
親が統合失調症の場合、子供が発症する可能性は10%位とのことです。採用する会社も親が統合失調症だと分かっていたら採用を取りやめないでしょうか。それは差別ですか、区別ですか。
付き合って5年の彼がいる。同じ会社の人で二つ上の人。アラサーです。
美味しい店とかをたくさん教えてくれたり、まめで優しい人柄で、だんだん好きになっていった。
最近、それとなく結婚の話をすると暗い顔をするので、私と結婚したくないものだと思っていたのだけど、何度かそんなこんなをしているうちに彼からタイトルのことを伝えられた。
統合失調症という病気らしい。帰り道に急いでインターネットで調べてみたけど、とても重い病気のようで怖くなってしまった。親が病気で子に遺伝する可能性もは10%くらいで、中学生くらいから30代くらいまで発症する可能性があるらしい。孫に遺伝する可能性は5%位で、一般人の発症率は1%とのこと。
彼が5年も付き合ってきて教えてくれなかったのはずるいと思うけど、私のことが本当に好きで仕方がなかったからと言っていた。私側に判断が求められてる状況になってる。
どうにかできる問題ではないので、ちょっと参ってしまいそうです。同じような境遇の方や、結婚した相手方に精神病の親戚がいる方はいらっしゃいませんか?よかったらアドバイスください。
食べ物なら甲殻類がひどくて、一口食べたら発熱、蕁麻疹、胃腸炎が起きる。
花粉症もひどくて、シーズン初めにはアレルギー反応で高熱出るし、ずっと微熱状態、鼻水くしゃみで気管支炎も発症する。
ネコ飼いの人が「アレルギーだけど、がんばってたら大丈夫になった」的な発言をしているのを見かけるけど、そんなネコ愛じゃ耐えられないほど私は症状がひどく出ている。
ネコ飼いのコートに近づいただけで、くしゃみが止まらない程度にはひどい。
「ネコアレルギーなんで、猫カフェはご遠慮します」と誘いを断ったら、人非人を見る目で非難された。
「猫カフェの猫は綺麗にしているから」と無理やり連れていかれて、カフェでくしゃみ連発してたら冷たい目で見られた。
翌日発熱して休んだら「その程度のことで」とかげ口叩かれた。
上司のホームパーティーに呼ばれて訪問したら多頭飼いだった。(事前にネコがいる告知なし)
リビングまで入って今更「ネコがいるんで、失礼します」とは言えず、出来るだけ隅っこで小さくなっていた。
「にゃんこが出ちゃうから窓開けられないの、ごめんね我慢してね」と言われて、エアコンの下に避難した。
ネコは構おうとする人間を厭うらしく、全く近寄らない私の周辺に避難してくるので、私はまた逃げ場をなくした。
「あらあら、にゃんこ達は私さんのことすきなのね。少し我慢して相手してあげて。満足したら離れるから」と、笑っていわれた。
その間もくしゃみと鼻水と涙で目は真っ赤だった。
翌日曜日は、熱を出し、予定を取りやめざるを得なかった。
食べ物アレルギーの人にアレルゲンとなる食べ物を出すことは「人を殺す気か」とまで非難されるのに、ネコアレルギーについてはそこまで糾弾されることはない。
ネコ動画を見ているからといって、実物のネコに近寄れるかというと別問題だ。
そこまでやって女の子が生まれてきたとして、その子に発達障害があることが判明したらどうなるんだろうな
さらに統合失調症は小児期の発症は珍しく、好発年齢は思春期〜20代前半くらい
家系的に負因はかなり強そうだし
発達障害および統合失調症の遺伝的要因を持つ元増田が子供を産む以上、どんな検査をしようと一般よりも障害のある子を産む確率は高く、絶対安全な方法はない
子供の障害が発覚したときに「あのときの7万円返せよバカ!」って言って子供を張り倒さなきゃいいけど
まあ全てを受け入れる覚悟があるなら産めばいいんだよ
パニック障害と鬱と発達障害がミックスされてしまってもうどうしようもない。
特にパニック障害。突然症状が出るの本当やめてほしい。朝起きる→家を出る→駅のホームで突然の不安感。息が荒くなって呼吸が苦しくて胸が痛くなる。
自宅でパニックが発症すると、鬱も出てきて動けなくなる。一日中ベッドで寝てしまう。食事が摂れなくなる。
本気で治したいけど、本当に治るもんかね?
化学物質過敏症になると、生活面とかいろいろ困難なことが増えますが、
私中心に食生活が変わったら、血液検査の結果がすこぶる良いのだ。
農薬が多かったり、なんかまずいものが入っている食べ物はいち早く私が反応するので、
売る側がいくらごまかしたり、隠したりしても、反応して舌から血が出てしまうので分かっちゃいます。
最近は食べ物を調達する所が決まって来たので、血だらけになることも減りました。
ただ、そうやって決まっていても、突然商品が柔軟剤臭くなって、注文出来なくなることも…。
今、ちまたではファブリーズや柔軟剤による浮遊した有害物質が空気中にどんどん増えている。
結局、マイクロカプセルってPM2.5と変わらないんじゃないだろうか?
そんなのが肺に入り込んで、延々と香り続けるって、恐ろしい。
肺は洗えないのだから。
中国では巨大な空気清浄機を建設しつつあるとニュースに出ていた。
それなのに、今の日本では自ら大気汚染物質を作り出して、お店で売って、さらに空気中に増やしている状態。
そのうち「COPD(慢性閉塞性肺疾患)」を発症する患者が爆発的に増えるだろう。
そうなっても国や企業は「因果関係がわからないから」と謝罪すらしないだろう。
今までがそうだったように。
だから、消費者自身が賢くなって使わないという選択をしていかないと、
もうこの国はダメだろうと思う。
今、すでに化学物質過敏症になっている人は不幸かも知れないけれど、
そして、発症する前に知識を得て対策出来た人はもっと幸せかも?
ダウン症候群(ダウンしょうこうぐん、英: Down syndrome)は、体細胞の21番染色体が通常より1本多く存在し、計3本(トリソミー症)になることで発症する先天性疾患群である。
多くは第1減数分裂時の不分離によって生じる他、減数第二分裂に起こる。新生児に最も多い遺伝子疾患である。
症状としては、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度の知的障害が特徴である。
平均して8-9歳の精神年齢に対応する軽度から中度の知的障害であるが、それぞれのばらつきは大きく、
現時点で治療法は存在しない。教育と早期ケアによりQoLが改善されることが見込まれる。
ダウン症は、ヒトにおいて最も一般的な遺伝子疾患であり、年間1,000出生あたり1人に現れる 。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
3本ってなんだ?と思った人の為に。