はてなキーワード: 発症とは
「自分の嫌いなものはこの世から消えてなくなれ」という思考の人はたぶん、タバコがこの世から消えてなくなっても、エロ本がこの世から消えてなくなっても、また次の新しい嫌いなものを見つけて来ては「消えてなくなれ」と騒ぎ出すので、そのゲームには決して終わりはない。彼らにラスボスはいない。
学校や会社で、嫌いな子を見つけては、仲間を募って苛めて追い出して、標的になった子が来なくなるまでひたすら苛め抜くタイプの子っている。相手が来なくなって満足かというと決してそんなことはなくて、必ず次の標的を見つけてはまた苛め始める。そういう子の周辺では苛めは絶対になくならない。
嫌いなものを締め出すことに必死になっている人は、大切なものを守ることに夢中になれていない。彼らは大切なものをないがしろにして、好きなものより嫌いなものを優先させてしまう。「好き」より「嫌い」を優先させてしまう人はどんどん不幸になる。結局「嫌い」は人に何も与えてくれないから。
児童学生時代に発症した人はご指摘のようないじめターゲット探し行動に。
成人し発症したひとは反原発だ基地反対だ朝鮮人出て行け安倍許さないな社会行動として顕れるように思います。
自分の嗜好以外は排他する、という稚拙な感情に根ざしてる処は似ていますね。
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僕の甥はとあるロック・バンドでボーカルをやってるんだけど、最近少しだけ売れてきた。
まだ全然それで暮らせるレベルではないけど、売れないミュージシャンと名乗れる程度にはなってきてて、地方でのサーキットイベントだけど一応「フェス」と名の付いたイベントに今度出演するそうだ。
彼のクズっぷりとその悪行三昧は半端なくて、僕はそろそろ半世紀近く生きているけど、彼以上のクズを今のところまだ見たことがない。
彼の周りはもれなく彼を見捨て、二親等内の親族は全員なんらかのメンタルヘルスを患い、特に一番近い親族は人生をかなり足踏みさせられた。それはきっとその人の人生を既にそこそこ台無しにした。
彼の祖父(僕にとっては父)は、関わったストレスでとある病気を発症し、それは完治する類のものではないので身内の労働力は祖父が死ぬまでその介護に全部持ってかれる。
その彼がライブやフェスでファンを前にして、頑張ってる自分らをアピールして、過去の悪行三昧をまるで武勇伝のように語る様を想像したら、腸が煮えくり返るし、彼をどうにかしてしまいたいくらいの気持ちに駆られる。
困るのはその気持ちが聴く側の気持ちに影響することで、僕が敬愛するミュージシャンたちも一皮むけばそんな人物像なのかもしれないと想像してしまう。そうなると、これまでみたいに素直に音楽を聴くことができなくなってきた自分がいる。
彼がこれからもしもっと売れて、国民的に知られるようなレベルになることがもしあったら、きっと過去の彼の行動は全て正当化され、彼を作ってきた要素として肯定して語られるときがきてしまうだろうと思う。
そうなると僕はたぶん自分をおさえられず、彼をボコボコにしてしまうと思う。
音楽で食うってのはそんなに簡単なことではないと思うから大丈夫だとは思うんだけど、そういう日が、クズが認められる日が来ないように、彼が売れないでいてくれるといいな、と切に願ってる。
キミも適応障害になってる可能性があるので病院に行ってくださーい
精神疾患には家族内集積(遺伝的要因が関与)があって、同胞(兄弟のこと)の精神疾患、つまり家族歴ですが、それがあると発症リスクが高いんですよぉん
今朝、こんな記事を目にした。
「香り」が苦手ならアロマで取り入れて “引き算”で考える香りの哲学
https://wotopi.jp/archives/66495
記事を読んで、いろいろと残念だった。
現在ちまたで起きている香害は「柔軟剤等に含まれる有害物質による健康被害」。
単純に香りの濃さで起きているわけじゃない。
そして、被害者がアレルギーや喘息、化学物質過敏症ならアロマでも起こりうるわけで。
最近の流れは「香害がだめなら自然派のアロマで!」なんだけど、
立派なアレルギーの素にもなりうるから。(アロマによるアレルギー発症のデータは複数ありました)
きちんとした医学的データがあるの?(ほとんどデータが見つかりませんでした…私の探し方が悪いのかな?)
「風邪に効く」「殺菌作用がある」とか、効能が書いてあるけど、
たいてい書かれているのは「~と言われています」の伝聞の形。
こんなあやふやな物をホイホイと家に取り込んでいいのかと思う。
私も昔はアロマをかじってみたけど、学べば学ぶほど、いろいろ疑問が湧いてきて
結局離れてしまった。
「良い匂いを嗅いで気分が良くなる」程度の話なら、殺菌作用とか言わなきゃいいのにと思う。
あと、やるなら自室でだけやって欲しい。
万人にとって良い香りというのはないし、体調悪い人にとっては
吐き気があるのに目のまでアロマスプレーなんか散布されたら地獄だよね。
そして、あまり着目されていないけど、
特にネコちゃん飼っている人は大切なネコちゃんの命削るようなもんです。
下手すると死んじゃうから…。
わかる。
わしも結局共依存だった。実家出たのに26でうつとされて(実際には単なる過敏)、うつ~双極性障害2型~再発症~40にして発達の偏りあり(障害ほどではない)ってことになった。
今は契約社員で何とかやってる。
この国の精神科医師の一部(大部分?)は本当にダメなんだけど、そいつら呪ったところで仕方ないしな。
実家を出なよ。
俺もこのままだと親を殺すか自分が自殺するかになりかねんとおもって、カウンセラーにも相談してアパート借りた。
お金は厳しいけどなんとかなってる。
あおれと、あちこちに話すること。友達とか理解がありそうな職場とか、恩師とか。家関係以外で。
最終、親の人生は親の人生、自分人生は自分の人生。自分ができること、自分が楽しいと思うことをやって、仕事はしんどいこともあるけど、そういうもんと割り切って。
自殺してしまいたいのはわかる。本当は自殺したくないのになぜか死にたくなる。そういう時はしんどいのだkし、とにかく誰かに話して、適当にさぼりんさい(さぼりなさい:思わず広島弁)
命あってなんぼやし、それで首になるのならその程度の会社だよ。
とにかく、よく寝て、お風呂の湯舟でしっかりあったまって、肉(安い鶏肉でOK)と6Pチーズと卵(1日3コ)をガンガン食って、パンにもバターをたっぷり塗って食べて脳みそに栄養送って、その辺適当に散歩して(人目が気になるなら適当にタクシーで1メータ分移動して)それから自殺の件は考えよう。
タイトルの通りなんだけど、私の親は統合失調症で、激しい被害妄想や独り言がある。薬を飲んでいて安定はしているので入院こそしていないけど、話せばおかしいことは分かる。(私が生まれる前は数年入院していた。)
私自身は何かの間違いで生まれてしまったような気がずっとしていて、正直なところ卑屈な気持ちを捨てきれない。親と自分は違うことは知ってるし、親がもし犯罪者だとしても子供は犯罪者ではない。親の状況がどうであれ、私自身が卑屈に思うことはないことは理論としては知っている。だけど、遺伝という名の強力な呪縛があることも分かっている。仮に私が逆の立場なら結婚には慎重にならざるを得ない。(特に私は親の病気を間近に見てきたからというのもある。)
私がもし統合失調症になったらと考えるとパートナーを酷く苦しめることにもなるだろう。するとやはり統合失調症の子供である自分は結婚を諦めるべきなのだろうか。
■追記
優生保護法ってありましたよね。生活に支障をきたすような遺伝子の持ち主なら生殖能力を取り除きましょうというやつです。もし今もその法律が有効なら、私は生殖能力を取り除かれたかもしれません。
私の友人で競馬ファンがいます。その友人はよく言うのですが、結局は血統がすべてで、ダメな馬からは良い馬は生まれない、人間も同じ、と。
一方で優生保護法を突き詰めようとしたら人類の歴史に名を残す人がたくさんいたと言う事実もあります。アインシュタインやケネディーの子供や親族には統合失調症の人がいます。
また片親が統合失調調で子供が統合失調症になる可能性は10%弱です。親が統合失調調でなくてもなる可能性は1%です。割合は高いですが、発症の可能性はそこまで高くはありません。
病識があればなんとかなる。
おれも27歳で発症して6年くらい療養してたけど、いまは正規の職にも就いて結婚もして子どももできた。
そういう事例もあるので、いまはのんびりしてたらいいよ。
ま〜ん(笑)発祥(発症?)の地なんJは前身の野球ch時代から十年以上広島のファンや広島県民を原爆だのケロイドだのムチャクチャな言葉を使って馬鹿にし続けて、もちろん非難の声は大量に上がったけれど今なお勢いを失っていない。
俺ほどじゃないけど辛そうだな。俺は高校まで普通(普通というのが何なのか俺はいまだによく分からんが)の人間で、彼女もいた(半年足らずで別れたが)。でも大学で鬱病を発症して地元の精神病院に入院したら、先天性のアスペルガー症候群だったよ。ショックすぎて、今は家族以外ほとんど誰とも会話してないし、友達は全て絶縁した。話したくないし。高校の時なんか生徒会にいて、割とコミュニーケーションできてる方って思ってたんだけど、たしかに時々気付いたら話さなくなっていった人とかいたし、そうだったのかもと思わなくもない。まあお前に比べたら俺はまだマシかもな。取り敢えず俺も早く親の脛を齧るのをやめたいが、今は外に出るのが億劫で当分無理そうだ。
僕は27才の男性。今までの人生の中で異性と恋愛をしたことがない。また、風俗を含めてセックスの経験も一切ない。
何でこうなったのか自分でもよく分からない。小学校、中学校、高校、大学と、全て共学の学校にいたが異性に対して恋愛感情を抱けなかった。
もちろん、異性に好意を持つことはあったが自分の中で恋愛感情に発展することがなかった。大学生の時には女性の人数が男性よりも多いサークルに所属し、女性の友人も少なからずいた。しかし、知人、友人という関係性が恋人という関係性に変質することは遂になかった。
大学を出てからはしばらく東京で働いていたが、持病の双極性感情障害が悪化し、2年前から寂れた田舎の実家で療養している。とは言うものの病気はそこまで重症ではなく、今は炭酸リチウムを1日2錠だけ飲んでいる。
僕は子供の頃から感受性の強い性格で、他人の感情に極めて敏感だった。常に周囲の反応が気に掛かり、叱られたり、注意されたりする度に、心が病んでいった。完璧主義の面がある一方で、興味の対象が移ろいやすく、1つの物事を長期的に成し遂げることが困難だった。
実は高校の頃にこの病気を発症し、高校1年生の時点で留年し、そのまま退学している。家で引きこもりながら、高認を取り、大学受験をした。はっきり言って、受験勉強は何もしなかった。いや、「しなかった」と言うより「出来なかった」に近い。とにかく長いスパンで、計画的に勉強を続けることが苦手なのだ。塾も2,3ヶ月で辞めたし、予備校も通信教育もまったく続けられなかった。今でもそうなのだが、机に向かって集中力の要る作業を長い時間続けることが、本当に難しい。一方で移動中の電車や自動車の中や、テレビのCMの時間と言った細切れの空いた時間に、英単語を覚えたり、読書をしたりするのは問題がなかった。その傾向は今でも変わらない。
大学受験の時は暗記科目がまったく分からず、ほぼ白紙回答だったと思う。それでも、受験先が低偏差値の所だったので一発で合格できた。今でも基礎学力が自分にないことに強いコンプレックスを持っている(学歴コンプレックスはあまり強くないと思う)。
とは言え、高校1年までの成績が悪かったわけではない。小学校、中学校の頃は成績は良かったし、高校も地元で評判の進学校に通っていた。数学は苦手だが語学、暗記科目は得意だった。高校の時に模試で県内上位に入ったこともある。まともに学習行動ができない性分だったので、なぜ自分の成績が良かったのか、未だに分からないでいる。
最近は昼間でも寝ていることが多く、自分磨きもできていない。何度かハローワークに行ったが、受付でパニックになってしまい、何も出来ずに帰ってしまった。ひきこもりの人が集まるような場所が近くにあり、10回ほど通ったが、この1年はご無沙汰になってしまっている。皆、定職を持っていて、無職の自分が惨めに思えたからだ。そこからの事務的なメールはしばらく続いたが、今年の春先にはそれも途絶えた。
唯一、まともに出来ていることは、夕食を家族に振る舞うことだ。簡単な料理だけではあるが、夕食は毎日私が作っている。鍋物、煮物、炒め物、パスタの中から2,3品調理し、両親と3人で食べている。得意料理はカレーライスと麻婆豆腐。これからは魚料理にも挑戦して、レパートリーを増やすつもりだ。
両親は共働きをしているが二人とも正社員でないので、収入はきわめて低い。このままの生活で私や両親の将来が大丈夫なのかと不安になる。母は「将来の当てがあるから心配するな」と明るい調子でいつも僕を慰める。しかし、貯蓄もなく借金だらけの我が家のどこに当てがあるのだろうか?何度尋ねても具体的な答えはない。うっすらとした不安がぼんやりとした日常の中で少しずつ重なっていく。
最近、童貞いじりや精神病患者、ひきこもり、生活保護受給者へのバッシングが世間で流行っているようだ。僕のような存在は世間から馬鹿にされ、見捨てられても仕方のない存在なのだろうか?この一年程は、家族と精神科医、スーパーやコンビニの店員以外と会話したことがない。何でもいいから僕に対する誰かの反応が欲しい。このままだと気が狂いそうだ。
いやほら、昨今の騒動で童貞童貞童貞って文字が並んでるとさ、問題の当事者たちよりも彼らの方が傷ついているんじゃないかって。そう思うと、何か書かなきゃって思ったんだ。
だからこれ以降このワードは使わない。タイトル含め4回も書いちゃって悪かったな。
おれもそうだからわかるんだけどさ、なんていうか、すごくつらい。
所詮性行為をしたことがないだけなんだよ。なんだけど、なんだけど、あのーなんていうかさ、そういうパートナーがいるって、どこかそれが当たり前なんだっていう印象あるじゃない。
それがおれにはいない。そう、いないんだよ。
飲み会の席で「彼女いないの?」「いたことはあるの?」「もしかして童貞?」何度も嘘をついた。その場しのぎの受け答えなんていつだってしてきたけど、この嘘だけはついた場所、回数さえ覚えている。
咄嗟になんとか切り抜けたと安堵した直後、たかだかひとつの行為の経験がないだけで恥ずかしがる自分の弱さとか、普段は明るく豪快に振る舞う自分とのギャップとか、聞いてきた相手はどう思ってるんだろうとか、両親はどう思うんだろうとか、自分は何かおかしいんじゃないかとか、自慰にふける自分の姿をなぜか第三者の視点で見てて気持ち悪いなって思ったりとか、モニターにふと映った自分の醜い顔とか、おかあさんごめん、せっかく学校まで出してくれたのに人並み程度に彼女もできなかったよとか、じゃあ風俗に行ってやるって思って財布見ても金がなかったりとか、こんなことを聞いてくれる人もいないこととか、そういうものが全部津波のように押し寄せてくる。
ちょっとだけ自分語りしてもいいかな。おれ、昔からウルトラマンとかヒーローものが大好きだったの。命をかけてもみんなを守る、そういうのがかっこよくって、おれもあこがれのヒーローたちに恥ずかしくないように生きようと思ったんだ。だから、いつだってみんなの役に立とう、みんなを笑顔にしよう、そう思って生きてきた。そうしていれば、いつかそれを見ていてくれる人がきっといるんだって信じていた。振り返って思うと、いいように使われてきたこともあった。でもそれでも、それはおれの決めたことなのだから、すごくつらかったけど、すごくどうでもよかった。いつかきっと、これさえあればよかった。
ある日、ある女性と出会った。「みんなのために動けるってすごいね」って言われた。ああ、こういう瞬間のために生きてきたんじゃないかなって、そう思った。やっぱりつらくていやだったんだけど、生きてきて良かった。すごく仲良くなった。うれしかった。たのしかった。たのしかった。ふと疎遠になったと思ったら、おれの親友とつきあっていた。別にいいじゃない、そういう仲になりたかったわけじゃない、もちろん嘘だ。性行為なんてしたいわけじゃなかった、嘘だ、彼女と考え得るすべてのことを共有したかった。大好きな二人が一緒になったんだ、おれもうれしい、うれしい、うれしいはずなんだよ。おかしいんだよ、なんでなんだろうね。
その後とある病気を発症してしまった。一生直らないし、常に苦痛が伴うし、遺伝するらしい。休日にデートとか、結婚して子供を作るとか、もう考えられなくなった。
おれは、たとえどんな結末を迎えようと、おれの選択を何より誇りに思う。誰も思ってくれないから、おれが思う。おれは誇り高い。おれは最高だ。上に書いたエピソードを、「彼女の作り方」「モテテク指南」みたいなものに合わせて考えると、いろいろ失敗はあったはずだ。でも、おれの選択だ。おれが選びとった結果だ。誰にも偉そうに評価されてたまるものか。
でも、それとは別に、最初に書いた苦しみはいつだって感じている。これって社会が作っている「空気」というやつなのかな。そういうものの苦しみは、自分がいかに自分を誇っていても感じる。何度も書くけど、つらい。でもそういうつらさを、感じなくてすむような社会を作っていこうって、そういう連中がいるらしい。なんかさ、そういうの、嫌いじゃないんだよね。
前にエマ・ワトソンのスピーチが批判されたことがあった。要は「俺たちの見方ヅラしてるけど、お前いかにも男性的な男とつきあってておれにはやらせてくれないじゃないか」みたいな話だ。正直、わかる。だってつらいんだもん。自分で自分を傷つけるようなことを何度も頭の中で繰り返して、もう何も考えられなくなってるんだから。でも彼女は「私はあなたの仲間で、一緒につらい社会をなくしていこう」って言ってるらしい。言ってること自体は悪くないと思うんだ。
だから、おれはあなたの仲間だ。あなたっていうのは、エマ・ワトソンとか、もっと言うと、はあちゅうとか、田端信太郎とか、これを読んでいる人の仲間だ。こういう問題こそ、えらそうな連中にだけ任せておいてはいけない。#metooだ。でもその一方で、おれはおれだ。誰よりも誇り高く、誰よりもおれが信じる人間だ。自分のことを、たった漢字二文字で表現されることには、何が何でも抵抗しようという者だ。同様にあなたがそのように評価されることも断固として受け入れる気はないのだ。
おれは誰か?おれは、おれだ。何人たりともおれを言葉で縛ることはできない。でも約束しよう、おれはおれやおまえの仲間だ。いいたいことはそれぐらい
長らく非正規で働いてきたが、紹介予定派遣を経て、カフェやレストランを運営するチェーンの本社にマーケティング職で就職した。
ソーシャルメディア戦略の一環として、マーケティング担当が各ブランドのtwitter運営担当になった。
自分はカフェチェーンの公式アカウントを担当することになり、季節のおすすめメニューなどをつぶやいていた。
上司は部内で運営しているtwitterアカウントのすべてに目を通していて、指示というか、個人的な好みを押し付けたような細かい注文が多く、若干、マイクロマネジメント気味だったように思う。
昨年の秋のメニューとして、牡蠣のアヒージョを紹介したとき、これにはパンが付いてくることを知らせたくて、
そしたら土曜日(休日)の午後に上司から携帯に電話がかかってきて、すごい剣幕で、家に来いといってきた。
外出中だったので、戻るまでに時間がかかるというと、いくら時間がかかってもいいから、来いと言われた。
結局、夜になってから上司の部屋に訪問することになったのだが、中に招じ入れられて、正座させられて、iPadを見せられた。
「なんなんこのバケットって?」
上司に詰め寄られて、それはフランスパンのことだと説明すると、
「それはバゲットだ。バゲットは「細い棒(baguette)」の意味のフランス語だが、お前の書き方だと、アヒージョがbucket、つまりバケツに入ったサイズで出てくると誤解されるだろうが、どうしてくれるんだ」などと、激昂された。
すぐに自分のスマホを使って文言を訂正したが、上司は腹の虫がおさまらないらしく、服を脱げといってきた。
彼は冷蔵庫からストロングゼロの缶を出してきて、「飲ませろ」といった。
コップに注ごうとしたら、手首をつかまれて、全裸になった自分の腹にストロングゼロをかけられた。
「牡蠣のアヒージョは海産物だから、海産物で落とし前をつけろ、わかめ酒だ」などといって、下腹部をストロングゼロごと執拗に舐められた。
その後はどうしていたか、あまり記憶がなくて、気がつくと高熱を出して自分の部屋で倒れていた。
苦労して得た職を失うのがこわくて、その後も出社したが、上司の姿が視界に入ると、身体が固まって、脂汗が出て、気分が悪くなって、トイレに行って吐いたりした。
それなりの規模の企業だったので、コンプライアンス委員会があり、通報した。
その上司のやりかたには、いささか行き過ぎたところもあったかもしれないが、フードビジネスにたずさわっているものがバゲットをバケットを混同することは言語道断であり、上司の対応は必要な指導の枠を逸脱するものではないということだった。
上司が飛ばされるどころか、自分がマーケティング職を離れて、ファイリングの整理をする部署に変わったので、そのまま流れで退社した。
以来、正社員の仕事はみつからず、現在に至っている。パニック症候群を発症したらしく、毎日定時に電車に乗って出勤することができなくなり、できる仕事が限られるようになった。
当然、収入も限られ、日払いバイトが終わると、松屋の持ち帰り牛丼をコタツで食べながら、スマホのテザリングでYouTubeからアニメを見て、ストロングゼロを飲むことが人生の唯一の楽しみになっている。
こうした生活があとどれくらい続くのか、状況が改善するのか、見当もつかない。
将来が不安に感じられることもあるが、ストロングゼロのアルコール成分がすぐに脳にまわって、最近はあまり物事を深く考えることができなくなっている。
ただ、バゲットをバケットと呼ぶことは、ハラスメントに勝る大罪らしいということはおぼろげに考えながら、混濁した意識が完全に消えるのを待っている。
気にしても仕方ないことなんだけどさ、自分の家庭環境を考えると一般的な家庭ってどんな物なんですか。
色んな人生があるから片親や施設育ち、養子縁組とか色々あると思うんだ。
両親だけど喧嘩が絶えなかったり、片親だけど健やかに育てて貰ったり、DVを受けていたり。
多少喧嘩もあるけど両親共に愛情を持って育ててくれた(当時は分からなかったけど成人してから愛情に気付く、みたいな)のが層が一番多いんですか?
喧嘩や悲鳴が絶えなくて幼少期は不安とともに過ごした、みたいなのはマイノリティーなんでしょうか。
というのも私が物心つく頃にはすでに発症していてため改めて気にすることはありませんでしたし、本人も理解していないようです。
精神疾患には詳しくないのですが統合失調症なのかな?と思っています。
斜向かいの住人がカーテンの隙間から監視しているからカーテンは開けちゃダメ、隣家の旦那さんが車で後をつけてくる、母を駅まで送迎する際は時間をズラして別の場所で合流してから送り届ける、とか、たぶん普通はしませんよね。他人の家庭は分からないから想像しかできませんが。
うちでは家庭電話が掛かってきても受話器は取りません。近所の人がイタズラで無言電話を掛けてくるからです。(市外局番を見て取る・取らない電話を判断しているようです)
まあ、そんな母なので自分は幼少の頃から色々なことを「吹き込まれて」きました。子供ながらそれは可笑しいと思いつつも、父は自営業で殆ど顔は合わせなかったため、基本は母の庇護のもと母に対する嫌悪感と諦念とごちゃまぜになった感情をどうすることもできず、物に当たると怒られるので自分を殴ってSなんだかMなんだか分からないストレス解消をしたりしてました。
何と言いますか、普通なんてない事も分かっていますし、誰かのケースがそっくりそのまま私に転化できる訳でもありません。
でも、隣家に対して怒鳴り散らす母を見ると、なんか、上手く言えませんがいつも不安になります。
いずれは結婚して子供も欲しいですけど、子供がこんな目に合うなら結婚したくないし、伴侶が見つかってもああなってしまうなら、やはり結婚はしたくありません。
なんというか、家族ってこんな感じなんですか。
高齢化社会ですし介護や痴呆症は珍しくないと思いますが、これは珍しくない なのか よくある事 なのか、自分ではよく分からないんです。
皆さんの家庭ってどうなんですか。
妻の連れ子の事なのであまり他人である私が介入できないのだが・・・
(自分の子供じゃないので激しいのも親子の絆とも思えてしまう。子供本人からSOSがなく二人の関係が良好なので)
短気な母親を持つ小学生の話だが、私の実体験と比較して以下の点が気になるが虐待なのか教育なのか分からない。
1. テストの点数が100点じゃないと怒られる(怒鳴られたり、叩かれたり)
2. 世間的にそこまで悪くない事でも母親が嫌だと怒られる、怒鳴られる、稀に叩かれる
(私と比較した場合なので世間的という表現が間違っているかもしれないが)
3. 母親の好き嫌いが激しく、嫌いな母親の子供と遊ばせない(子供の交友関係=親の関係)
4. 自分が悪くなくても(例えば兄弟の過失なのに)いきなり疑われ怒鳴られ、叩かれ、突き飛ばされる
5. 嫌い、ムカつくとかネガティブ発言を母親が毎日の如く言う(周辺や子供に対し)
物的証拠(流血事件にもならないし、あざも出来る程ではない)が精神的には影響しているのではないか?
と思い観察していると連れ子は神経質で常に周り(親)の目を疑いながら行動しているように思える。
部分ハゲになったり、自殺願望がたまにあるそうだが発症のタイミングが怒られた時ではないので
外部環境の影響かもしれないし、具体的日頃の生活がどこまでこういった症状に関与しているかは不明。
はてな匿名でろくな記事書いたことなかったけど、自分の今の気持ちを何らかの形で残さねばと思ったので書く
母親が亡くなった知らせを父親から受けた。突然死であまりの唐突さに今もよく実感が湧いていない。
うちの母親は自分が小学生の頃から鬱病を何度も発症して、その度に発狂していた(病気の時以外は、家事はしないが普通だった)。
小学生の頃は虐待されてたし、中学生の頃は親戚の家で暮らしていた時期もあった。
それがあって高校は寮のあるところに逃げたし、最近は警察のお世話になるくらい酷かった。
弟はいじめられることもなかった(仲が良かった)ので離婚するのは嫌がっていたが、警察沙汰になったのが応えたらしく最近ようやく離婚の話に持っていくことになった(最初からそうしろよ)。
その矢先にこれ。まだ葬式をやってないから?実感が湧いてないから?全く悲しくならない。
将来母親の面倒を見るのは嫌だと親戚の前で言ったからだろうか。母親のせいで貯金が無く、大学に行けるか分からないことに対して「俺の人生を邪魔するな」と思っていたからだろうか。母親が犯罪を犯すことで経歴に傷がつくことを恐れていたからだろうか。
思うというのは、当時はその病気の存在を知らなくて確定はできないから。
しかし、調べてみると症状が当時の自分に酷似しているのでまず間違いないと思う。
「家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面・状況では話すことができなくなる症状が続く状態のことをいう。 幼児期に発症するケースが多い」
だそうだ。
私も家庭では普通に話していたが、学校ではうまく話せない、声が出ない状況だった。
原因はわからない。
この病気の怖いところは、話せない以外に特に障害がないので「ただの大人しい子」として認識されて周りが気づかないことだ。
私も親や友達、教師に気づかれることなく、自分でもなぜ話せないのかわからず一人で苦しんでいた。
少し話すことがあると「増田がしゃべった!」と囃し立てられたり、一斉に注目を浴びたりするので余計に話しづらくなる。
それに、高校生くらいまでは明るくて面白い方が友達はできやすい(一般的には)ので、話さない私に友達はほとんどできなかった。
大学に上がってから価値観の合う大切な友達もできて、恋人もでき、今はそれなりに幸せだ。
しかし、後遺症なのかトラウマなのかいまだに人前で大きな声を出すことができない。
コミュニケーション力が重視される就職活動ではこれが大きな枷になった。
最近になって場面緘黙症の存在を知った時、あの頃知って治療できていたらどれだけ生きやすくなっていただろうと私は泣いた。
周りに大人しい子がいたら少し気にかけて欲しい。
もしかしたら一人で理由もわからず苦しんでいるかもしれないから。
力になってあげてください、お願いします。
その通りとしか言えないのだが
それは、トランプが演説でパールハーバーに言及したことが日米関係の対立を煽ってるというようなものだと思う
世の中、ゼロかイチだけではないのだよ
一致する部分もあれば、不一致する部分もある
この前のトランプが来日した時の会談だって「一致部分は多かったが、不一致部分もあった(特に貿易面で)」訳で
逆に言えば、「アメリカは日本にある程度の自主性を認めている(=日本は完全にアメリカの属国というわけでも無い)」という話しだし
正直、私自身も原爆は酷いと思うし、残念ながら(?)その面では米国を許してはいない
でも、アメリカ軍の技術を発症とするインターネットは使うよ?それとこれとは別の話だ
自分が敵意を見いだせる対象をこの世から排除しきるまでこの世の人間がお互いに悪意を抱きあってると信じる世界観の人間は相手にするのに無限の時間がかかるので相手にしません。
でも、「良かれと思ってやったことが酷い結末になった」ということは良くある話で、善意の性質も悪意の性質も両方認め、許容し、理解した方が良いのではないでしょうか?
それに、小心者の方が長生きすると思うんですよ