はてなキーワード: 曖昧とは
定性的な評価において付与された数値はその序列だけが問題であって、値の大きさそのものには何ら意味がない。
的な話を聞いて、そうかもと思った。
思ったんだけど、じゃあ例えば4.0の点数をつけた映画は常に3.0の作品よりも絶対的な優位に置かれるんだろうか。
じゃんけんみたくAよりもBが好きだし、BよりもCが好きだけど、CよりはAの方が好き、という複雑な関係性だってあるかもしれない。果たして序列を単純化して表せるんだろうか。
それに、0.1刻みの50段階で評価出来たとして、じゃあその50段階をフルに使う人間ってのはどれくらいいるんだろうか。
せいぜい2.5辺りから4.8辺りまでしか使わない人も少なくはないんじゃなかろうか。序列をつけるにあたって、50本を観てその全てが別の段階に収まるという事もあまりなさそうに思える。
そもそもが自分次第でどうとでも設定出来る基準で曖昧な評価をつけているのだし、なんとな〜く同じくらいの好みの度合いかな〜と感じて同じ数値を与える事だってあると思う。
不快/つまらん/普通/面白い/神くらいの五段階になんとな〜く分類して、そこから朧気に浮かんできた数字を直感的に選んでみて、その点数が基準として相対的な位置づけを探ることもあるかもしれない。某漫才大会でも「基準点」って言葉はしょっちゅう出てくる。
50段階の内で正味30段階ほどしか使わないのなら、0.1から始めたっていいし2.0からでもいい。序列の全てを等間隔にしているとも限らない。
そこの数字の選び方にはやっぱり何らかの意図が反映されてるような気もする。
尺度の使い方も明確じゃなければ尺度そのものの妥当性だって分かりはしないような状態で数字を与える評価をするのはナンセンスではあるんだけども、序列だけの問題ではないのかもしれない。
古今東西どこもかしこもやることは同じだからか次々と出てくるが、似たような事しか言わなくなったので終了
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現代社会において、生成AIはその革新的な技術で多くの注目を集めていますが、その影響力を懸念する人々も少なくありません。私たちが目にするSNS上の活動やキャンペーンの背後には、影響力を行使しようとするフリーランスのイラストレーターたちがいます。彼らは、生成AIの使用に対する反対意見を広めるために、さまざまな群衆心理を操作する手法を駆使しています。今回は、その中でも特に顕著な手法について詳しく見ていきましょう。
いやぁ〜、テキストエディタの世界、めっちゃディープでんねん!聞いてくださいよ〜。
まず、テキストエディタの心臓部、バッファ管理システムについてや。これ、単なるテキスト保持やないんですわ。例えば、Emacsのガベージコレクション機構。マーク&スイープ方式採用してて、バッファ内のLispオブジェクトを効率的に管理してんねん。これがあるから、長時間の編集作業でもメモリリークせーへんのや。
次に、レンダリングエンジン。これが曲者でんねん。Unicode標準のUAX #9に準拠した双方向アルゴリズム実装せなアカン。さらに、合字処理のためにOpenTypeのGSUB/GPOSテーブル解析も必要や。Harfbuzzライブラリ使うんやけど、カスタムシェーピングエンジン組み込んで、特殊な文字体系にも対応せなアカンのや。
構文解析エンジンも侮れまへんで。LR(1)パーサーじゃ複雑な言語構文に対応でけへんから、GLR(Generalized LR)パーサー実装するんや。これで曖昧な文法も扱えるようになるんですわ。Treesitterライブラリ使うと、インクリメンタルな構文解析ができて、巨大ファイルでもリアルタイムにハイライティングできるんや。
差分アルゴリズムも奥が深いんですわ。Myers差分アルゴリズムだけやなくて、Histogram差分アルゴリズムも実装せなアカン。大規模リファクタリングの差分表示に効くねん。さらに、セマンティック差分アルゴリズムも組み込んで、構造的な変更も検出できるようにするんや。
非同期処理システムもめっちゃ重要や。単なるPromiseやasync/awaitやのうて、Reactive Extensionsベースのストリーム処理実装するんや。これで、複雑なイベントシーケンスも扱えるようになるんですわ。さらに、アクターモデルベースの並行処理システム組み込んで、マルチコア活用した並列処理も可能にするんや。
最新トレンドもめっちゃアツいんですわ。例えば、Language Server Protocolの拡張や。単なる静的解析やのうて、シンボリックAI使うた意味解析まで可能にしてるんや。これで、コードの意図を理解して、より高度なリファクタリング提案ができるようになるんですわ。
WebAssembly統合も進化してるんや。Single Instruction, Multiple Data (SIMD)命令セットサポートで、テキスト処理のパフォーマンスが爆上がりしてんねん。さらに、WebAssembly System Interface (WASI)採用で、ファイルシステムアクセスも可能になってるんや。
AI支援機能も侮れまへんで。単なる補完やのうて、プログラム合成(Program Synthesis)技術導入してるんや。部分的な仕様から完全なコードを生成できるようになってんねん。さらに、説明生成AI組み込んで、生成されたコードの詳細な解説までしてくれるんですわ。
リアルタイムコラボレーションも進化してるんや。Conflict-free Replicated Data Type (CRDT)のカスタム実装で、ネットワーク遅延があっても一貫性保てるようになってんねん。さらに、意図ベースの競合解決アルゴリズム導入して、複雑な編集操作の衝突も自動解決できるようになってるんや。
拡張性アーキテクチャもすごいんですわ。WebAssemblyベースのプラグインシステム採用して、言語に依存せんプラグイン開発可能になってんねん。さらに、サンドボックス化されたランタイム環境提供して、セキュアなプラグイン実行も実現してるんや。
性能評価も厳しくなってるんですわ。起動時間は、コールドスタートだけやのうて、ホットスタートも測定せなアカン。メモリ使用量も、物理メモリだけやなくて、仮想メモリの使用状況も追跡するんや。CPU使用率は、マイクロアーキテクチャレベルの最適化まで求められるようになってんねん。レンダリング性能は、GPUアクセラレーションの効率も評価せなアカンのや。応答性は、入力レイテンシだけやのうて、知覚的な応答性(Perceived Responsiveness)も測定するんですわ。
いや〜、テキストエディタの世界、マジでディープすぎて、もう頭おかしなるで〜!こんな感じで、テキストエディタの最深部まで潜ってみましたけど、いかがでしたか?テキストエディタ、侮れまへんで〜。ホンマに。
俺は自分がつまらない人間であると大いに自負している20代後半男性。
今日も暇なので、なぜ自分がつまらない人間なのかを、下記の記事にある「ものすごくつまらない人に共通する16の特徴」に則って整理したいと思う。
https://www.businessinsider.jp/post-100566
どうも俺がつまらない人間である根幹はそこにあるような気がする。
大いに該当する。
確かASDの特徴として、「発言するタイミングが分からない」みたいな項目があった気がする。
定型の人たちは仕事の場でも飲み会でも日常会話でも、お互いに目に見えないボールをゆっくりローテーションして、ボールを渡された人(もしくは奪った人)がその場の一時的なメインスピーカーになってるように俺には見えてる。
だけどそのボールの扱いが全く分からず、ボールをパスされたのに気付かず拒否したり、いつまでもボールをパスせず持ち続けてることが多い。
飲み会とかで誰かが「増田君ってxxxだったよね?」みたいに綺麗にボールをパスしてくれたのに、「そうですね」みたいな軽い相槌だけで済まして場が沈黙したり、自分の趣味の話だと饒舌になってしまう。
振り返ると反省することばかりだけど、いざ実践となると難しい。
『あなたが話していることに興味はないけれど、礼儀として数秒ごとに頷いているだけ』というシグナルやボディー・ランゲージに気付かず、絶え間なく、べらべらと話し続ける人
俺にとっては、相手がとりあえず笑顔でいたらそれはもう肯定の表現なのよ。
その人との距離感や場の雰囲気にも依存するから、考えることが多くて俺には無理。
極端な例だけど、明石家さんまさんがゲストに「お前アホやろ!」ってつっこんだら盛り上がるけど、その逆は成り立たないじゃん。
俺はこういう場の空気やその人のキャラや距離感がよく掴めないから、人を笑わせるなんて繊細なコミュニケーションは無理だな。
うるさくてがさつな人は、自分こそが最も面白い人間だと信じ込んでいる。静かでつまらない人は、何も言わないのが一番だと信じている。自分の言葉を聞きたい人間なんていないと考えているからだ。
何も言わないのが一番だと本当に信じてしまってる。
幼少期から今まで、自分の発言を肯定的に受け入れられた経験が極端に少ないからだろうな。
発言するにしても頭に浮かんだ事をそのまま言ってしまう癖があるから、場にそぐわない発言をしがち。
私にとってつまらない人の特徴は、変化のない、単調な生活を送っていることだ。様々な経験は、週末のパブでの会話をより面白いものにしてくれる。実際、いい話題を提供できる
これも該当する。
俺はロードバイクが趣味なんだけど、ここ4年間くらいずーっとロードバイク乗ってる。
平日はローラー台に乗ってるし、週末は峠に行き、長期休暇は自転車旅行に行く。
他にことに興味は無い。
発達障害特有の、興味の範囲の狭さ、強いこだわりが色濃く反映されていると思う。
自分の発言に価値を感じられないから、自分の意見を言うことも少ないかな。
これも難しい。
昔、誰かが話した面白い話をコピーして別の場所で披露したことがあったんだけど、全く受けなかったことがある。
場の雰囲気の作り方や話し方や相手との距離感みたいな、ノンバーバルな要素のコントロールができていなかったんだろうと思う。
こういった目に見えない要素を敏感に感じ取って自力でコントロールできる人マジですごい。
俺には無理。
何かしら新しい学びを与えてくれない人が、私にとってのつまらない人
今はロードバイクしか興味がない人間だから、目新しさなんて皆無。
簡単にいうと、自分が知っていることは相手も知っているし、自分が興味あることは相手も興味があるとナチュラルに考えてしまうこと。
定型の人にとっては「そんなの少し考えれば分かるじゃん」って思うかもだけど、俺は油断するとすぐ自他境界線がぼやけてしまう。
だから例えば俺が仕事で何かを説明する時、前提知識の説明が足りないか、意識しすぎて過剰な説明になる時が多い。
殆どの人はロードバイクの話題に興味がないことに気付いたのも、ロードバイクをはじめて2年くらいの時だった。
それまでは意気揚々とロードバイクの話を職場の人にしてたなぁ。
会話に興味を持っている他人を、その会話に参加させないこと
俺の話に興味を持つ人はいないので該当しない。
アドリブに弱くて困ってる。
俺にとっては会話は、あらかじめ準備したアセットをいかに早く引き出してナチュラルに話すかどうかであるので、急に話を振られるとパニックになることが多い。
逆に定型の人は急に話を振られた時って何を考えてどう対処してるんだろう?
親が死んだら首吊ろうかなとかしょっちゅう考えるくらいにはネガティブ。
発達障害で虚勢ではなく本気でポジティブな人っているんだろうか?
基本的に幼少期から発言や行動を否定されることが多かったから、がっつり学習性無気力になってしまってる。
発達障害でも何か突出した能力があって、そのおかげで社会的な居場所を確保できていれば人生にポジティブになれるのかもしれない。
残念ながら、俺には何も突出した能力はない。
ロードバイクは好きだけど貧脚だしね。
話題のストックが少ないから、場が持たない時につい同じ話を話してしまいがち。
「多くの人が単純に、周りに自分がどう思われているか自分で想像し、その想像に合わせて行動している」
「そして多くの場合、それは実際に周りがどう思っているかとは全然違う。だが、それを考えすぎて、自身のアイデンティティーを失っている」
発達障害者として一般社会に溶け込むため、また他人に迷惑をかけないために常に自分の振る舞いが周りの人にどう思われているのかは気にしている。
周りからの視線を気にせず自己中心的な振る舞いをするようになったらお終いだと思ってる。
ASD故に他人とのコミュニケーションに摩擦が多すぎて、毎日が楽しいとは一生言える気がしない。
趣味は楽しいとは思うけど、趣味に没頭しているのは現実逃避の意味合いが強いしね。
「いつもネガティブ」の項目でも述べたけど、何か能力があって社会に居場所があれば楽しいと思えるのかもしれない。
俺には無縁だな。
なんでコンドームって言わないんだろ
前友達に、使い差し(というニュアンスの言葉、記憶が曖昧)で良かったらゴム上げるよ って言われて
ふたりは気にしてなかったんだけど、横で聞いてた別の友達がなんかツボってた
スキンも言わなくなった
元々ゴムは素材そのものであるし、素のゴムが日常で使われてなかったか
なんでコンドームって言わないんだろ というシーンがたまにあるけど
裁判所は予備罪が増えると判断つかなくて困るという判例も読んだ覚えがある
えー事務所構えて名簿盗んできたり詐欺マニュアル用意したら詐欺予備罪じゃないの? しかし裁判所では通用しない(法律がないから
酔いつぶれた女の横で男がパンツ脱ぎはじめたら、それはパンツに蜂が入ったかもしれないが、そうでなければ準強制わいせつも予想しうるから、触ってなくても予備罪になりうるはず(しかしこれも法律がない
落とし穴を掘るスコップを買うのは罪にならない、犯罪準備認定可能な範囲は曖昧だから認定しないという、ドイツのナチス系の法律家が言ったもんだ
そんな怪しげな説より、むしろ李下に冠を正さずの実践を推進すべき
leave no room for scandal;
自然言語が曖昧さを許容しており、特に日常会話においては全ての前提を常に提示することが実質不可能であるから、
書いていないことを含意する人と含意しない人が存在して区別できない以上は、書いていないことを読み取る人が出てくるのは仕方ないだろ
立民・米山隆一氏「抗議したのは蓮舫氏ではなく私」問題視した投稿の「無礼な」点も説明
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5c56f5e8b94cefcb2ee2dc43d9373317b55f623
内容的に事実無根や誹謗中傷で訴えるのは難しいと弁護士の米山はわかってただろうから「無礼」という曖昧だが効果的な点から攻めたのか…
※注:長い
先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記)から離れるために、私はTwitterのアカウントを削除した。
ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。
Dさんとは、近からず遠からずな趣味を共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手の場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似を自覚してから、彼女にストレスを感じるたびに母へのトラウマやストレスもフラッシュバックするという悪循環があった。
離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。
あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言をきっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルがヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。
その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手をターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。
第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。
何より、DさんがAの粘着や監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。
ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチや誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなものに悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。
また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSのアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言をブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシーや心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。
Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易な判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカーの粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針の相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互の割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者を攻撃したいから」と、マウント・承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケートを考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。
Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的な社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分の感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物でしかなく、私の自他境界の曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。
いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女を相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれてしまう状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。
以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。
そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分がカバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手の知識を食えるのでお得」といったツイートをしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当なツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。
もちろん、彼女としては軽い気持ちのつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当な交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。
それでも、他人の言動に対して積極的かつ軽率に対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。
つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。
こうした経過があって、私は自分の精神的健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。
話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気も必要だったように感じている。
Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。
私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。
おしまい。
A5版を縦に二つ折りにしたカラフルなチラシが郵便受けに入っていた
聖体パンの特売日とかイエスの磔体験イベントのご案内とかそういうんじゃなくて、教会組織の紹介や信徒のショートストーリーが書かれてるっぽい
書かれてるっぽいと曖昧なのは、チラシに書かれた全文が外国語で書かれてて読めないからだ
アルファベットで書かれており、英語なら昭和の中学生レベルでギリ読めるが、angなんて冠詞・接続詞は知らない
パッと見、aで終わる単語が多いから、イタリアやスペイン、ポルトガルといったラテン語系の言語に見える
なんでこんなものが俺の家に?
「とにかく手がかりが欲しい!英語はないか、英語は!」と目を皿のようにして探していると、あった
Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
ものみの塔かよ!!
なんでこんな言語のチラシを寄越してきたし
も、もしかしてこれは・・・バベルの塔が建設される前の言語で書かれてるんじゃないのか!?
俄然、興味の沸いた俺は書いてある単語を手当たり次第にググってみた
手あたり次第と言ってもまあ2、3の単語をググった時点で、答えは出た
配る国を間違えてやしないかと思ったのだが Printed in Japan とか書かれてるし、日本で印刷したチラシをわざわざフィリピンまで持っていくとは考えにくい
なんでこんなものを配ったんだろう?
成人向け動画共有サイトでエロ動画を検索していても、自分が望んでいるシチュエーションのエロ動画がヒットされにくいという問題がある。(「あの恰好であの体位でしている動画が出てこない」とか。)
Danbooruなどの二次絵に特化したサイトだと、静止画という特性上、1場面しか表されていないため、的確に画の状況をタグ付けして内容の特徴を浮き彫りにしやすい。
しかしエロ動画サイトの動画となると、動画内には場面が何場面もあり、カットやシーンによって画の特徴が変わりやすいから、
もしエロ動画視聴ページでDanbooruみたいにタグ付けをやろうとすると 示唆してるタグとシチュエーションがまちまちになって来たり(※)、もしあえて動画内の全特徴を列挙すると タグの数が膨大になる可能性がある。
なのでアップロードされた動画には、動画タイトルや動画説明と、タグでは 演者とか 主なシチュエーション(どういう設定物のAVか)とか 付けられる属性や情報が少なく、ざっくりしている。
それで「検索ではそれっぽい動画の候補は出すからあとはその中から自分の目で確認して」となる。
(※どういう事かというと例えば、「トップビュー」「正常位」「騎乗位」…… というタグが付いてたとして、動画を見ると「トップビューの騎乗位と、女側視点の正常位」の内容だった。期待した「トップビューの正常位」にならない訳で。)
多分「YouTubeの検索機能がゴミ」「ニコニコ動画の検索の方が使いやすい」と言われるのは、そういう都合なのだろうと。
ニコニコ動画なら、MAD動画とかゲーム動画とか趣旨が分かりやすい動画が多いだろうから、タグを中心とした検索がうまくいくが、
YouTubeとかになると、掴み所のないカットが多かったりする動画も割とあるわけで(日常のスナップ動画や 長回しの動画とか ライブ配信とか)、タグ付け的に一概には括れないのだろうと。
YouTubeの検索機能がAI的に検索結果を提示しているのは、そういう曖昧な動画にも対応できるようしたためなのだろうと。(「広告的な動画を検索結果に挟む」という商業的な都合を除く。)
ニコニコ動画にあるような趣旨が分かりやすい動画を探し求めてる利用者は、YouTubeが意図してる検索機能の目的と合ってない。
(余談だが、ネットでは「YouTubeの検索機能が使いづらい」とか目にすることがあるが、エロ動画共有サイトについてはそういう話があんまり上がって来ない印象がある。
自分はSNSをやってないし5chとか深入りしてないので、エロ動画サイトの検索機能に皆どう思っているか知らないが、皆不満に思っていないのか?)
もしこれから新たなエロ動画共有サイトができるとして、検索精度を上げていたなら、動画のチャプターごとにタグ付けができるようなサイトの作りになってるとか?。。。
自分はポルノやAVとかのエロサイトにあまり詳しくないから、過去にそういうエロ動画サイトがあったかは知らないが、そういうDanbooruみたいにタグ付けできるエロ動画共有サイトは需要はあるのかもしれないと思った。
ちなみに自分は、元々エロは二次元派(インピオ・ケモノ)であるがアラサーになり、2年前から本格的にPornhubのようなエロ動画サイトも覗くようになった程度のユーザーです。(児童ポルノ動画は見てない。)
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定義が曖昧になることで、誰が支援を必要としているかが不明確になり、支援の効果が薄れる可能性があります。明確な定義があることで、具体的な支援対象を特定しやすくなり、効率的な支援が可能です。広範な定義は、実際に最も必要とされる支援が届かないリスクを増大させます。
リソースは限られているため、分散させると各個人への支援が薄くなり、結果として全体の支援効果が低下します。特定の対象に集中した支援が必要な場合、広範な支援は逆効果となる可能性があります。限られたリソースを最も効果的に利用するためには、優先順位を明確にし、特定のニーズに対して重点的に支援することが重要です。
3. ステレオタイプの強化について
概念の拡大により、男性全体が弱者として見られるリスクは現実的です。ステレオタイプは根強く、教育や啓発活動だけでは完全に払拭できないことがあります。このような誤解は、支援を必要としない男性に対しても偏見を生む可能性があります。支援対象を明確にし、誤解を防ぐことが重要です。
特定の問題に焦点を当てすぎると、他の重要な社会問題が見過ごされる可能性があります。すべての社会的問題に対してバランスの取れたアプローチが必要であり、特定の問題に過度にリソースを投入することは他の問題解決を遅らせる可能性があります。全体的な社会の公正さを追求するためには、優先順位をつけたリソース配分が重要です。
5. 実効性の欠如について
広範な定義に基づく対策は実効性に欠けることが多く、具体的な問題に対応するためのリソースが不足することがあります。具体的な支援策を講じるためには、明確な問題定義が不可欠です。包括的なアプローチでは、特定の問題に対する集中した対策が難しくなるため、実際の支援効果が低下するリスクがあります。
自分はセクシー田中さん事件の調査報告書を両方読んでるんだけど、大企業同士でさえスタートが曖昧なままに仕事が開始される現状が書かれていたよ。
その形がベストだと思う。
最終的な双方の納得があればいい。そこに至らなければ関係が続かないのも、それはそれで世の中のあり方だ。
私は友人や家族だろうと、たとえ数百円だろうと仕事ならカネをもらうべきだと考えてる。
だが増田さんの友人同士ではカネのやり取りはしないポリシーも、それはそれでリスク回避のためにはいい思想だと思う。
この節の反省の納得感が高い。まるで私自身が同じ人生を歩んだように読めてしまった。
烏滸がましくて失礼だが、たぶん、同じ結論に至るだろうと思う。
LINEの既読無視とか、それをフォロワーと陰口とか、探りを入れるために実験する強引な手段とか、匿名ダイアリーで晒す(批判の意図はないにしても)とか、まぁ、うーーん、と思うけど、あらゆる場所に誠実さがあるわけではないし、人生は複雑だ、と思った。
「私はAを許さない」という覚悟の読み方は色々あると思うけど、「自分自身の意思で責任をもってAとA的価値観を私の世界から締め出す」と読みました。