はてなキーワード: 幼児期とは
結婚して子供を育てるのが幸せなんて時代はもう古い!と言われて随分経つが、それでも未だに「子供欲しくないの?」と聞かれることはたまにある。その度に私は「子供苦手なので」と返してきた。
実はこの「子供」と「苦手」の間には色々な思いが込められている。
書き殴ったので読みづらいし整理もできていないのだが、読んでいただけるとありがたい。
子供を育てると言うのは本当にお金がかかる。全部公立の安い学校に入ってくれ〜!と頼み込んでなるべく安いルートを辿った場合でも2000万円は普通に超える。そしてその2000万円をかけて育てた子供は平気で「誕生日にswitchほしい♡」とか「今日友達と出かけるから1万円ちょうだい」みたいなこと言ってくるのだ。怖すぎる。私のような低所得者からしたら恐怖の対象でしかない。
②子供の将来性が苦手!
子供には将来の夢というものがある。無邪気に「ピアニストになりた〜い!」とか「野球選手になる!」とか言ってくる。ふざけるな。どんだけ金がかかると思ってる。しかもこれの怖いところは、金をかけても才能が昇華しない場合があることだ。半端に才能があったせいで私立の名門野球部に推薦で行き、ハチャメチャな金を湯水のように使った我が子が誇り高く応援席に座る姿!!を観に行く甲子園…という夏が来るかもしれない。しかもその後、散々周りを巻き込んで打ち込んできた野球を我が子は嫌いになっちゃって一生触れないかも…というおまけまでついてくる。怖い。せめて楽しかったとか言ってくれ。
将来性とかいうあやふやなものを信じて金と時間をたっぷり使って得られるのは辛そうな我が子の姿、なんて目に遭いたくない。本当にマジで。
③子供の将来性が苦手!その2
世の中に蔓延る殺人鬼や性犯罪者やその他諸々やばい人達は何も無から湧いて出たわけじゃない。人間である以上生みの親がいる。そして産んで育ててる時、将来この子がどんな大人になるかなんて分からない。自分が良かれと思ってやってきたことが子供を無意識に苛んでいて、子供が大犯罪を犯したあとに「親に復讐しようと思った」なんて言った日にゃあもう目もあてられない。子供の恐ろしいところは自分の個性は尊重してほしいのに悪い部分は親の育て方のせいにしても許されるところだ。
子供を育てると、子供を持たない人間には分からないことがたくさん起こる。私は子供を持ったことがないので分からないが、世の中にはPTAとかいうのがあって無償で子供のために学校運営に協力しなさいよとか言われたり、学校とか言うのがあってその中で子供が他所の子供と起こした問題で民事裁判に発展したり、習い事とかいうのがあって保護者が交代で送迎したりそういう怖いことがたくさんあるんですよね…?子供のせいで人生のタスクがガン増えしていくこと、恐ろしさしかない。人生経験と言ってしまえばそうかもしれないけどでも死ぬときに「あのPTA会議の時間でもっと好きなことできたよな〜」とか謎の後悔しそうで嫌〜〜!!!
⑤子供が苦手!
子供、本当に怖い。何が怖いかというと、奴らは愛情というものを信じている。相手が自分に対して刃を突き立てることなどないと信じているあの傲慢さが本当に苦手。年齢と可愛さのせいで許されてるけど成人に言わせたら単なるハラスメントだろ…という発言も平気でしてくる。本当に怖い。
乳児期の怖いところはこっちの愛情を信じて泣くだけで自分の要求が全て通ると思ってるところだ。幼児期の怖いところはこっちの愛情を信じて超音波で泣き喚いても良いと思ってるところだ。反抗期の怖いところはこっちの愛情を信じて「親ガチャ失敗」「クソババア」と言っても殺されないと思ってるところだ。怖すぎる。こっちが狂人だったらどうするんだ。生きてられないぞ。
もちろんかつて自分が子供だったことも理解している。両親には頭が上がらない。よく私をここまで生かそうと思ったものだ。
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。
正直自分は幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子どもの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。
どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。
小さい頃から「生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。
ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気を母親には出されていた。
「あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。
母親は精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院。
特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)
母親からは妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。
他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがまま言わずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。
弟の軽度知的障害も母親の精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。
そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。
離れてからは母親との関係も改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分が一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。
問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。
子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリングが胎児エコーなどできることはなんでもやった。
今のところ子どもは健常で、幼児期の自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。
自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。
確かに自分に子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通の人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。
自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子を愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。
もし知的能力が移譲可能な世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。
幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。
頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。
今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。
親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴で社会的に成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。
ただ、今どうしても許せないことがある。
人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。
良い大人なので、連れてくるなとは言えない。
でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境で努力して手に入れたこの私の幸せな家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。
弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。
両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。
両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。
自分達には手に余る障害児育児に苦しみ、上の子の反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育ても仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。
そこに水を差すのは心苦しい。
でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず、自分だけの中にとどめておくのが辛い。
両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。
ただただ辛い。
旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。
これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。
連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。
どうしたらいいのかわからない。
● 感染症にかかりにくくなる(通院の回数が減る)
母乳が幼児期の感染症に対する予防になることについては確かな証拠があります。これはもちろん、風邪やインフルエンザ、下痢などにも当てはまります。
また、どんな量でも母乳を与えられた赤ちゃんは(まったく与えられなかった場合と比べて)、SIDSのリスクが36パーセント減少します(1)。別の調査では、部分的な母乳育児に対して完全母乳のほうが、予防効果が高くなる可能性が示されています(2)。
母乳はもっと一般的な病気を防ぐこともわかっています。赤ちゃんのすべての下痢症状の約半分と、呼吸器感染症の約3分の1を防ぐことができるのです。こうした感染症による入院を防ぐという点では、母乳の予防効果はさらに明らかです。推定では、下痢で入院したすべての乳幼児の72パーセント、呼吸器感染症による入院の57パーセントが母乳で防ぐことができると推計されています(3)。とくに2歳以下の乳幼児の耳の感染症は大幅に減り、これには赤ちゃんが母乳を飲む量と期間の両方が影響します。
小学校 → アスペへの理解度皆無のガキ共にボコられワンチャン登校拒否。運が悪いとヒマワリ学級行きで教育レベル大幅低下。
中学校 → 思春期の不安定にアスペのアンバランスが大幅加速。精神の均衡が崩壊し性犯罪者として仕上がる奴らも産まれやすい時期。
高校 → 対人関係のストレスによる学習能力低下が加速。引きこもって勉強に明け暮れたせいで人間としての成熟が未完成になるものも。
大学 → 周りと上手く付き合えずにあらゆる面で不利に。自主自立という言葉の元で突き放されがちなのでここで完全にドロップアウトするアスペ多し。
就活 → 普通に就活を始めたら詰み。普通じゃない就活を始めようとしても方法が分からなければ詰み。違和感を無視して大手や公務員に転がり込むのが実は正解。
大人 → 金という最強の手札を自力で生み出せるようになっているので意外と何とかなることも。ここまで来れた時点でもう割となんとかなんだよぶっちゃけ。
https://anond.hatelabo.jp/20211122190639
私は女性ですが、昔から陽の無神経でがさつな人達に揶揄されて育ってきたので、「陽キャ恐怖症」なところがあり、かつては増田さんのような立ち位置で友人や彼氏と接してきました。
また、そういう実例夫婦や他の実例を身をもって知ってるので、増田さんの気付きになればとこれまでの経験談をレスしました。
ブコメじゃ短すぎるので超久々の増田。はてな記法は忘れましたので見づらい点はご容赦を。
結論から言って増田さんの条件や願望を満たす女性は腐るほどいますが、断言しますが全員増田さんを搾取するモラハラ人種です。
モラハラ傾向のある人種が同じモラハラ人種を引き寄せる悪循環になってます。
(A)感情で他人をコントロールしない。人を不用意に傷つけない。他人の心が理解できて、理性的で、いついかなる時でも、極力良識を守った振る舞いが出来る。そんな人間とパートナーになれたらどれだけいいかと思いますよね?
(B)そして、元増田さんの状況はわかりませんが、とにかくすきあらば人をナメて見下して嬉々としてマウンティング行為を連発。ちょっと嫌がられても「悪気がないんだから」というバリアーでヘラヘラ笑って流して許容を強要する。我慢しかねて本気で怒ってみせれば「飼い犬に手を噛まれた」と言わんばかりに醜い有害な本性をさらけ出す。
(B)寄りの人に揶揄されて傷つけられて自己肯定感がすり減った男性ほど、
「知能が高そうで強気で感情的で男相手にガンガン反論する女はろくなものじゃないから、フィクションのおバカキャラ然と語彙が貧弱で頭が弱いけどいつも大体安定して機嫌がよくて愛嬌があってニコニコしている無害そうな馬鹿の方が安心できて居心地がいい」と思いがちですが、
実は完全に逆です。
(B)みたいなモラハラ加害者に圧倒的に多い特徴は実は「頭が弱いけど大体安定して機嫌がよくて愛嬌があってニコニコしている無害そうな馬鹿」であって、
(A)のように自分に自信があるほど他人を尊重できてモラル意識が高くなり、モラル意識が高くなるほど必然的に強い自我と信念と共感性の持ち主になるので男性から見れば「感情的で男相手にガンガン反論するタイプ」になります。まぁ本来なら平穏なキャッチボールですんだはずのボールでも、投げられた側が耳目を塞いで「女からの意見いやぁああ」とグローブを投げてたら、ケガもするし相手が悪者に見えて自分は被害者って思い込みも強化されるよね。初手から男性が聞く耳を装備してないからこそ「感情的で男相手にガンガン反論」にならざるを得ないやり取りがあったり。
マウンティングするのは自分に自信がなくて劣等感が強いから他人に敬意を持てず、他人を四六時中貶めるんです。有害なヒトの防衛本能と言ってもいいものです。
向上心がないゆえに劣等感の塊である馬鹿は、自分が馬鹿に思われてることを逆手に取れば、必殺「悪気はない」「天然」「そういうキャラだから」で際限なく他人を搾取して加害できることだけは熟知しています。
馬鹿はどんな場合であっても、何が起ころうと決して「他人のための損」が出来ない人種です。
馬鹿は365日24時間いついかなる時も、助けてくれる優しい相手に全ての面倒や損をなすりつけて、自分一人が得をする選択肢を(馬鹿なりに)計算高く選び続けています。
例えば電車で旅行に行ったとすれば、必ず我先に窓際を選ぶタイプです。サイズの違う飲み物をグループに与えられれば、我先に一番大きなペットボトルを選ぶウシジマくんの宇津井タイプです。
あまり頭を使ってなさそうな天然風なのに四六時中常に一定で機嫌よくニコニコ(ヘラヘラ)しているのは、自分以外のことに無神経で相手がどう思おうと自分さえよければそれで満足で、他人の尊厳が驚くほど軽くて、人の言葉を右から左に聞き流してるからです。他人の言葉を等身大に受け止めて思案している人なら、言葉と状況に応じて表情をこまめに変えていたりします。
確かに付き合い始めや自分のメンタル面が比較的安定している時は、そういうおバカキャラでも安心できますが、当のおバカ本人は自分の周りの人間を「自分よりも下の序列にいる馬鹿」だと認識しなければ生きていけない生き物なので、一緒にいれば徐々に徐々に精神が削られていきます。
必殺技「悪気はない」「天然」「そういうキャラだから」を盾に搾取され続け、それが狡猾な嘘だとうすうす気づいていても、パートナーに馬鹿を求める人はそいつから離れられない。
そこに付け込んで相手は間違ったうぬぼれを強化して、より一層の笑顔でちくちくグサグサといたぶってきます。
限界非モテとか同性の男の馬鹿タイプを考慮すればすぐ正体がわかりそうなものですが、多分増田さんは心のどこかで「頭が良くて自己主張をする女のほうが例外。本来あるべき女は子供同然におバカ可愛い生き物で、男のプライドを癒やす最後の砦」みたいに考えてるのだと思いますが、残念ながらそんなことはありません。
想像力や倫理観が未成熟で誰もが物理的に馬鹿だった幼児期とは違って、
増田さんの求める「自己肯定感の低い自分の劣等感を刺激しない、人より無能で低スペックだけど無害なおバカキャラ女」なんてこの世に存在しないんです。
馬鹿の自己保身はそれはもうバレバレで見苦しいけど、一生馬鹿はそれを繰り返すんです。
自分よりランクの下の人間なら自分を見上げてくれるなんて都合の良い幻想です。実際は仮に養ってもらっても感謝も尊敬もせず、全ての人を無根拠に見下してきます。
男女ともに自分に自信がある人じゃなければまともな尊敬や感謝や対人モラルは持つ事ができません。
だから己の心の安らぎを得るために、しっかりした女を忌避して、意識的に「普通の女」より大幅に低いスペックの見下せるペットのような女を養おうとする増田さんは
高望みというよりも、無自覚に「お互いいじめて・いじめられるだけの不毛な関係性」をピンポイントで望んでいる人に見えます。
・男性は45歳で介護士、年収はおそらく増田さんと同じ位。希望条件も増田さんと同じ。
・女性は38歳でマッサージ屋アルバイト、いつもニコニコ無神経オタク。自称お笑いとおそ松さんと忍たま好き(毒舌いじりキャラへの憧れから)。北斗の拳のハート様を150センチに縮めて黒塗りしたようなビジュアルで体型は正三角形。装いは地味。自身の年収は200万未満だが旦那を「低年収でハゲ」と女友達全員に笑顔で貶し回る。38年間実家ぐらしだけど、母が他界してからも家事は父と弟に丸投げして嫁入りするまで最後まで何もしなかった。ダメな姉を反面教師にした弟は地元のエリート企業に就職していたが、左遷で挫折したタイミングで結婚の決まった厄介お荷物姉に全力でマウンティングされたので、姉を絶縁しており結婚式にも出なかった。
その二人の結婚生活がどうなっているかというと、なかなかお察しな感じになってます。
その38歳女性とは高校時代からの付き合いでしたが基本的に「他人のために動く」ことが結婚前から出来ない人でした。
全額旦那負担で自分の実家から10分ほどの距離に家を建てさせた彼女の新居に遊びに行ったことがありますが、
その家の玄関やリビングといった共有スペースは趣味のおそ松さんグッズで埋め尽くされており、それ以外のモノは無造作に床に散らばっている状態です。
彼女はいつも15時頃に帰宅しますが、食事の支度はいつも20時以降に帰宅するという大黒柱の旦那さんが担当しています。スーパーに寄るのが難しいのでヨシケイで食材をデリバリーしてもらっています。
その遊びに行った日は招かれた客人である筆者の自分が鍋を作ったのですが、その間38歳女性は何もしないでもうひとりの40歳ニート女友人と趣味の事でダベってるだけです。
38歳女性はヘラヘラしてますが極めて劣等感が強いので、増田さんと同じように妄想で自分より下だと見做した相手だけ厳選して付き合っています。
なぜ自分がそこに居たかと言うと、彼女とは成人してから10年以上は疎遠にしていたけれどたまたま再会した際、自分は失職しており愚痴を話せる相手が欲しかったことと、他人の不幸を喜ぶ彼女にとってもお眼鏡にかなったものと思われます。
(その後、速やかに彼女の倍の年収を得られているであろう所に転職しましたが、彼女があまりに露骨にフリーターかニートであって欲しい願望をだだ漏れに漏らすので黙っていました)
家事の9割以上を旦那さんにやってもらっても、周りの人達に助けてもらうのが常態化していても、彼女は決して他人に感謝をしません。
驚くことに自分が助けられていることにすら気づいていません。
じゃあ自意識はどうなってるのかといえば、「毎日家事に追われて家庭を切り盛りしている理想の奥様」という設定の脳内妄想の嘘で存在しない記憶をでっち上げて自分を騙しています。
元々見栄っ張りのホラ吹きではありましたが、精神の均衡を保つ見下しのマウントのため人に結婚生活をノロケたくて仕方がない、
でも結婚生活はほぼほぼ意味のない嘘で塗り固められているため、病的な虚言症状とサイコパス化が爆速で進行しました。
一例に、彼女は「晩のおかずに味噌汁と肉じゃがを作った」といったので、「じゃあ今度遊びに行く時食べさせて欲しい」と言ったら、二人で食べたので一口も残っていないと言いました。
(絶対に嘘だ)と内心思いながら「じゃあ目玉焼きでもいいので何かおかずで手料理を食べたい」と言ったら、私が鍋料理の準備を全部済ませた後でレトルトのグラタンを出してきました。
そのレトルトのグラタンすら全部旦那さんに作ってもらっていたのか、分量めちゃくちゃで信じられない程まずい代物になっていました。
買い出しで近所のスーパーにでかけたものの、彼女は日頃行きなれて居る風を精一杯装っていましたが、牛乳や惣菜の配置もわかっていませんでした。
後で全部料理は旦那さんがやっていたのだと判明しましたが、日々自意識が壊れて嘘を嘘で塗り固める彼女の膨大な脆弱な嘘の一つを私がつついてしまったことで彼女は怒り狂って私に誹謗中傷の限りを尽くして一方的に絶縁してきました。
彼女は言っちゃなんですが、私の全人生の中で最も容姿も魂も醜悪で病的な有害モンスターに成り果てていました。
ちなみに絶縁直前の会話で、小遣い制にして旦那さんには月2万円を渡しているそうだけど、余らせてくるので楽でいいと自慢していましたが、その口で「自分は生涯最大の贅沢な暮らしをしているので幸せだから友人なんかいらない」と捨て台詞を吐いていました。
あと彼女は事あるごとに「旦那さんを無趣味のつまらないコミュ障男」と言っていましたが、旦那さんは相当深いレベルの邦画マニアでしたが(DVDラックで一目瞭然)彼女にそれを理解する教養が無かったのと旦那さんが遠慮して黙っていたのとそもそも彼に関心が無かったため「つまらない男」という見下し評価に落ち着いたそうです。
長くなったけど、増田さんみたいな男性でも結婚できた一例を紹介ました。
でもお互い不幸に見えるよ。
※追記
「加害しない・されない関係」だけ望むなら、自立しているバリキャリ系の中から選ぶのが一番効率的で確実だと思います。
ですが失礼ながら増田さんの年収ですと、増田さんの望む馬鹿タイプの女性からは徹底的に見下されます。そして確実に相手からマウントされます。
それだけは断言できます。
現にその38歳モンスター元友人も、自身は200万円そこそこのフリーターで黒いハート様などなどを棚上げして、散々その旦那さんをハズレ層の低収入ハゲだと見下して結婚を渋っていました。
振る気100%でしたが、結婚相談所担当者の説得で渋々結婚したら、家を買ってくれて家事を全部やってくれるので「これなら他の女にマウントできる!」という希望を抱き、旦那さんの存在価値をそこだけに見出している格好です。
年収400万円台以下の男性でも(家事分担は大前提としながら)謙虚さをもって露骨に見下さず必要としてくれる価値や可能性を見出すのは、仕事をして自分で自分を養える女性ぐらいなものでしょう。
でも問題はそんな女性を目の前にすると初対面であっても、増田さんは精神の均衡が崩れてプライドが悲鳴をあげて感情的になってしまう。劣等感が刺激されて耐えられない。
女性恐怖症だけど男たるもの女の上に立ちたい(女にだけはそのように接待してもらいたい)。だからそんな屈辱を味わうくらいなら、有害無能モンスター相手でもいいから下方婚を望むのをやめられないというのがオチです。
消耗してすり減って最後に何も残らなくなっても、自分がそれを選ぶならそれも人生なのでよいのではないでしょうか。
いわゆる「ブサイク・デブ」って世間で言われるほど需要がないわけじゃないです。増田さんのような人は男女共にいるので、安心して見下せて他の異性に相手してもらえなさそうな逃げられないパートナーが欲しいんですよね。だから出会い交際結婚の可能性なら普通に充分にあります。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496597015318
https://www.pixiv.net/artworks/94094648
自分は過去に北海道で産まれ、幼児期から東北に住み、就職を機に上京し、今も東京に住んでいる。
血の繋がらない父(義父)が家事をしている様子はなかった。
義祖母はいつも母をイビり、また義祖父はいつも呆けた表情をしていた。
今思えば、父に捨てられたかあるいは事故等で無くなりシングルマザーになった母を、義父が身売りのように貰い受けた再婚だったのだろう。
家族の面倒事をすべて引き受けさせられていた母。
仕事の他、家事家計はもとより、自分を含め3人の子供達(種違いの妹と弟)の子育て。
義父は気難しく子育てには非協力的で、機嫌がいい時に相手をしてくれる程度だった。
義祖母も血の繋がった孫には甘いが、血の繋がらない私には厳しかった。
義祖母は15年ほど前から寝たきりになり、そして痴呆症になった。
既に私の顔も名前も忘れていた。
学生の頃、クソババアと呼び喧嘩したが、正真正銘の糞(を垂れ流す)ババアと化していた。
そのクソババアの糞を片付けていた母。
イビってきた姑の介護という苦行。
幼少期、甘えたがる私に対する母の口癖は、「自分のことは自分でやりなさい」だった。
その言葉を重ねるなら、「自分のクソは自分で片付けろ」になる。
コロナによる緊急事態宣言が出ていた頃、義祖母が無くなったと連絡を貰った。
義祖母の死は、悼むより、母にとっての負担が減ったことに対する安堵の気持ちが大きい。
このタイミングはチャンスと捉え、葬儀のための帰省は自粛した。
先日「今度の正月、同窓会があるから帰省しない?」と旧友から誘いを受けた。
中年になった同級生の女性たちに再開したとき、きっとアッコちゃんの姿を重ねるだろう。
今思えば、長男なのに実家を出るときの引き止めがほとんど無かったのは、家との血の繋がりが無かったのと、母が義父達を説得してくれていたのだ。
家制度や男尊女卑が母の人生を搾取した結果として、家族はバラバラになり、私は東京で自由を謳歌している。
(義父に対し愛想をつかした妹と弟も、今は実家を出ている)
義父にも早く死んで欲しいという気持ちがあることは、否定できない。
最終的に主張したい事としては、母及び同様の苦労をしてきた女性たちに対する感謝と労いの気持ちと、今度は私達の世代が家父長制をぶち壊し搾取階級もぶっ殺してやるよという決意である。
うちもにた傾向なんだが、どうもこの系統の鬱や統失は「発達障害の2次障害」っぽい気がしてる。
ASD(自閉症スペクトラム)の発達障害傾向がある人は、軽度だと一見「正常」に見える。自分でもそう思っているけど、生きづらさが非常に強い。生きづらさと性質の違いにより精神的に疲弊して2次障害を発症するが、そこで発達障害ではなく鬱や統失の薬物治療になると、根本解決出来ずに積んでいく。
周囲で生きづらさで鬱や統失になっている人はASDかもしれない、早くわかれば手が打てることもあるかもしれない。わたしは下記の書籍でそのことを知った。
https://note.com/kyodo_shinpai/n/n85f5e54d6f9e
これを見て思った。
思春期になって父親を蛇蝎の如く嫌いになる女性は幼児期に父親にされていたことの意味を知ったことによってそうなるのではないか。
子供を風呂に入れて2人とも立てば、父親の股間の位置に子供の顔が来る。そこで魔が差すこともあるだろう。そもそも子供は好奇心の塊なので自分にはない股間にぶら下がるそれを不思議に思い自分から触りたがる。
おしめを変えるときに魔が差すこともあるだろう。
幼稚園から不登校で大学に行ったというエッセイマンガを読んでる
引きこもりがいるので何か参考になるかなと思ったが、役に立たなさそう
学校に行きたくなかった理由も明記されてない、著者が振り返っていないので、ただただこんな子供・こんな家庭もあるんだなという感想しか持てない
テーマとしては幼少期から不登校でもちゃんと社会に適応できるよ、という不登校の子供を持つ人への勇気づけのような感じだろうか
自分もコミュニケーションも集団生活も苦手だし、好んで学校や会社に行くたちではない
けれどだからって家にいて自分だけで社会に出る段取り付ける才能と力があったとは思えない
嫌々ながらも集団生活をこなすことで慣れて、うまく関わっていけるところもあったのではと思う
生きてくには人と関わらざるを得ないのに、幼児期・少年期にその機会を敬遠して、子供の自主性に任せて良いものだろうか、子供に任せて幸せになれるだろうか
この話ではたまたまの成功例でしかなく、このマンガを信じて子供に学校行かせない選択をしたら、大半の親が後悔するだろうと思う
親戚の引きこもりは学校に行くのを嫌がって、それが中2 その後高校も大学も職業訓練も支援施設にも行くのを拒み、30半ば
最初はいろいろ試した両親も、何をしても嫌がる子供に諦め、いつか気持ちも変わるかもしれないからと、無理強いはいけないと許容することで本人の気持ちが良い方に向かうことを望んだけど
結局こうなってしまった
自分の人生では結婚と子育ては必須だと子供のときから考えていて
自分の子供はかわいいし、子育てをしているから得られる幸せもあったけど、「子育て」あんまり好きじゃないなぁ
子育て好きな人って保育士になったり、教師になったりするような人だと思う
子供に対しては、今は小さいから親のことめっちゃ愛してくれてるけど、成長したら友達や恋人やテレビに出てくるアイドルに夢中になり、親は空気みたいになるのかなあと思ってる
自分自身がそれほど自分の両親を好きじゃないため、子供が成長して自分でものを考えるようになったとき、私と子供が仲良しじゃなくてもそれはそれでしょうがないよな。人間だから相性あるもんなって考えてる
たまたま、あの両親のあいだに生まれたから私はあの人たちの子供になったけど、私はあの人たちをニンゲンとして好きじゃないんだよね。赤の他人だったらあの人たちとお付き合いしたくないわ。でも、世の中にはもっともっとひどい毒親がいるから、あの人たちはまだましな方の親だなって考えてる
だから、私の腹からでてきたからといって、子供に好かれなくてもしょうがないよな。親子といえど他人だしって考え方
自分の子供が不幸にならないように全力でサポートするけども、子供の人生は子供のものだから好きに生きてほしい。ずっと元気で幸せでいてほしい
子育ては面倒だしダルいけど、自分の人生になくてはならないもので、そして二人目の子供がほしい(双子だったらどうしよう。キャパオーバーだぞ。でも、双子を授かる可能性なんか低いんだから大丈夫大丈夫と言い聞かせてる)
四人家族が理想なんだよね。子供が成人したら家から出ていって小梨夫婦(二人暮らし)に戻るのが理想
子供あり夫婦って小梨夫婦の状態が味わえるのかなと思うと贅沢な気が
子育てってなんだろう。幼児期と小学生、中学生、高校生の子育てじゃ全然違うだろうし
今はまだ小さいから衣食住だけサポートして、倫理観はあんまり教えてないからある意味らく。人間に倫理や道徳を教えるのって難しいし、面倒だし