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自分は過去に北海道で産まれ、幼児期から東北に住み、就職を機に上京し、今も東京に住んでいる。
血の繋がらない父(義父)が家事をしている様子はなかった。
義祖母はいつも母をイビり、また義祖父はいつも呆けた表情をしていた。
今思えば、父に捨てられたかあるいは事故等で無くなりシングルマザーになった母を、義父が身売りのように貰い受けた再婚だったのだろう。
家族の面倒事をすべて引き受けさせられていた母。
仕事の他、家事家計はもとより、自分を含め3人の子供達(種違いの妹と弟)の子育て。
義父は気難しく子育てには非協力的で、機嫌がいい時に相手をしてくれる程度だった。
義祖母も血の繋がった孫には甘いが、血の繋がらない私には厳しかった。
義祖母は15年ほど前から寝たきりになり、そして痴呆症になった。
既に私の顔も名前も忘れていた。
学生の頃、クソババアと呼び喧嘩したが、正真正銘の糞(を垂れ流す)ババアと化していた。
そのクソババアの糞を片付けていた母。
イビってきた姑の介護という苦行。
幼少期、甘えたがる私に対する母の口癖は、「自分のことは自分でやりなさい」だった。
その言葉を重ねるなら、「自分のクソは自分で片付けろ」になる。
コロナによる緊急事態宣言が出ていた頃、義祖母が無くなったと連絡を貰った。
義祖母の死は、悼むより、母にとっての負担が減ったことに対する安堵の気持ちが大きい。
このタイミングはチャンスと捉え、葬儀のための帰省は自粛した。
先日「今度の正月、同窓会があるから帰省しない?」と旧友から誘いを受けた。
中年になった同級生の女性たちに再開したとき、きっとアッコちゃんの姿を重ねるだろう。
今思えば、長男なのに実家を出るときの引き止めがほとんど無かったのは、家との血の繋がりが無かったのと、母が義父達を説得してくれていたのだ。
家制度や男尊女卑が母の人生を搾取した結果として、家族はバラバラになり、私は東京で自由を謳歌している。
(義父に対し愛想をつかした妹と弟も、今は実家を出ている)
義父にも早く死んで欲しいという気持ちがあることは、否定できない。
最終的に主張したい事としては、母及び同様の苦労をしてきた女性たちに対する感謝と労いの気持ちと、今度は私達の世代が家父長制をぶち壊し搾取階級もぶっ殺してやるよという決意である。