はてなキーワード: 問題意識とは
1.「選挙 = どの政治家が良いかのアンケート + その結果を代表者に選ぶ」だ。
〇
2.アンケートでは一定の票数を超えると一票を入れても印象も結果も変えないので、(印象も結果も結果が反映される実際の動きも変わらない以上)選挙でも意味がない。
×、論理が飛んでる。変更されない理由は与党が不利になるから変更に応じていない。
Twitterでトレンドによく上がるバズりやすい「悪」であり「叩いてよい」とされているもの。反応すれば簡単に正義心と承認欲求を満たせ、社会への問題提起をした気になれるもの。
70代後半の老人が小学校低学年の子供を轢いた時、一番火力が出る。被害者がこれより小さいと監督していない親、加害者がこれより老いていると高齢者が運転せざるを得ない社会構造に悪が分散するため。
映像が出回っている場合、ほぼ必ず運転に自信がある人が運転手の非を指摘してくるので、そのリプをあげつらうことで更なる注目を狙える。
特に内容に詳しくなくても炭治郎が「逃げるな」と言っているコマの画像を貼ればよい。これに限らず、漫画のコマを無断転載することはインプレッションを稼ぎ正義者になるお手軽な方法。
不倫と未成年飲酒が二大巨頭。批判するときは対象の芸能人の名前を入れてくとよい。トレンド検索で表示されやすく、芸能人が自殺したときにツイートを消すのが簡単になる。
一度発言が批判対象になるとマスコミも積極的に失言を報道するようになるので加速度的にバズれる。以前は森喜朗がその頂点に立っていたが、現在はデヴィ夫人が最有力。
06. 加害者の名前が報道されない事件および報道しないマスコミ
「被害者の名前は報道するのに加害者がされないのはおかしい」といっておけばバズれる。その事件がいじめによる自殺の場合、最大火力となる。
08. 24時間テレビ
「叩いてよいもの」という文脈が強力なため、普段トレンドに上がるNHKの番組で一緒に盛り上がっている人であっても指摘されにくい。
インターネットはマスコミを批判することをアイデンティティとしている。
他の事象と比べて、たばこは「喫煙者は全員クズ」ほど言ってもその主語の大きさを指摘されにくい。
他の事象と比べて、その人物側に問題があった可能性は無視されやすい。
「ベルリン市民のインタビュー画像」を載せると手っ取り早くバズれる。たいてい高齢者であるため火力に拍車がかかる。
「実行委員が『伝統がある』旨の発言をしているインタビュー映像」がある場合さらに火力を出せる。
学校に悪感情を持つものが多いTwitterでは特に有効な話題の一つ。
Twitterはいわゆる「公開処刑」をするのは好きだがされるのにはトラウマがある人間の集合体である。
確実に「学校が対応に追われている」という報道が後にされるので、「学校に迷惑をかけるのは違う」と表明すると二倍お得。
特にその現状について知らなくてもとりあえず批判しておけば問題意識を表明できる。ほかの業種よりもコミュニティが形成されているためバズりやすい。
いわゆる陽キャのアイコンとして恨みや妬みを原動力とした共感を得やすい。当事者がTwitterに少ないこともあり強力な火力となる。
「自分より社会的に下の人間がいる安心を得たい」という欲求にも訴えかけることができる。
21. 野焼き
「伝統を理由とする」「環境問題」「病弱な人への無配慮」などが相まって強力な効果をもたらす。
「悪」であると同時に、インターネットにおいてヴィーガンは馬鹿にしてもよいものという認識も定着している。
他の動物より猫は「愛されるもの」という文脈が形成されているぶん特にバズりやすい。虐待が発生している場合は最大火力となる。
周辺情報が一切なくても勝手に「父親の責任」に「悪」が集中する。
25. 子供に注意をしない親
「道路で遊ばせる」「店での注意内容を『店員に怒られる』とする」「子供のしたことだから許せと言う」などバリエーションが多岐にわたるため高頻度でバズる。
個人間のコミュニケーションの不全を社会に全体化し批判できる。一般に「乳幼児の世話」は「悪」を作り出すための最良の材料の一つ。
27. 料理を当たり前と思っている夫
個人間のコミュニケーションの不全を社会に全体化し批判できる。一般に「家事の分担」は「悪」を作り出すための最良の材料の一つ。
個人間のコミュニケーションの不全を社会に全体化し批判できる。暗に「自分は料理をしている」という表明にもなる。
個人間のコミュニケーションの不全を社会に全体化し批判できる。「趣味の物」は「ガンプラ」もしくは「モデルガン」であることが多い。
30. 誤った知識で家事・子供の世話に口をはさむ両親・義父母
「乳幼児」「家事」「高齢者」「無知」の四大要素が合わさった強力な文脈を形成する。頻出は「はちみつ」で「アレルギーの対応」は特に強力。
そもそも「ケーキを三等分する」とはどういう行為を指すのだろうか。
面積を三等分すればよいだけなら、縦に2度ナイフを入れて面積を合わせても問題は無いはずだ。
形も合わせなければならないとしても、中心から円周に向かって渦を描くように切り目を入れることもできる。
しかし、「ケーキを切れない非行少年たち」で議論されている問題意識では、そうした「別解」は正解とは見なされていないように見える。
つまり、「ケーキを正確に三等分できるかどうか」という「知能」の問題ではなく、「ケーキを三等分する時に、いつの間にか社会で共有されている”普通”の切り方を選択できるかどうか」という、「社会性」の問題こそが、ここで発見された問題の本質ではないか。
絶滅を危惧してうなぎを食べない(あるいは絶滅に配慮して流通されたうなぎしか食べない)主義って「環境保護的観点が動機のうなぎ限定の禁肉食主義」と言ってしまうことも出来るのに。
うなぎ食べない派の人がある程度存在するのにヴィーガニズムが否定される傾向にあるのはちょっと不思議な気もする。
そこまでヴィーガニズムに強い拒絶が示されることはないだろうに、と思う。
結果的にやってることは似ているんだけどな。
解決を試みるために手元にあるアヒルちゃん人形と対話してみよう。
「そもそも禁うなぎ主義でありながらヴィーガニズムに嫌悪感を示している人って実在するの?」
「それはわからない。いないかもしれない。とりあえずここではいるという前提で進めよう。」
「あなたはその人に『禁うなぎ主義に賛同しているのならヴィーガニズムにも一定の理解があってもいいだろうに』と問いたいんでしょう?」
「実際そうだね。」
「うーん、改めて考えてみたけど禁うなぎ主義に賛同していてもヴィーガニズムに賛同するとは限らない……かな。禁うなぎ主義はあくまで人間中心主義的な考えだけど、ヴィーガニズムは人間中心主義と対立する考え方だから。」
「Wikipediaからの引用だけど人間中心主義ってのは『自然環境は人間によって利用されるために存在するという信念』だってさ。禁うなぎ主義者はあくまで人間に利用される資源の保護というのを目的としているんだろうね。その一方でヴィーガニズムは——ヴィーガニズムにもいろんな派閥があるけれど——動物の権利を大事にする考えだよね。」
「『ヴィーガン』という呼称にはどうしても動物の権利を大事にしていますというニュアンスが含まれてくるってことか。でも動物の権利とかそういう話ではなく、環境破壊に問題意識を持ったヴィーガンってのがいるんじゃない?そのいろんな派閥の中にはさ。そのヴィーガンとなら禁うなぎ主義は合流できる気がするんだけど。」
「たしかに実際にヴィーガンを名乗る人の中にはそういう問題意識を持った人もいるかもしれないけど……。」
「まあやっぱり合流は無理かもな。少し前に炎上狙いTwitterアカウントがトランスヴィーガンを自称しながら肉を食べてたじゃん。確かにあの釣りツイートは見るに堪えないものだったけどヴィーガンは馬鹿にしていい風潮があるからこそ釣られる人が一定数いた気がする。話はそれるけど個人的にはヴィーガンがたまに肉食べてもいいじゃんって思うけどね。0か100ではなく出来る範囲で活動するのだって意義はあるし。」
「確かに『私は禁うなぎ主義だけどヴィーガンと一緒にしないでほしい』みたいな反発はありえるかもね。」
こんなところかな。
「別の観点も考えてみよう。『ヴィーガンは主義の押し付けをしてくるから嫌い。私はうなぎを食べないけれど、それを誰かに押し付けることはしない。』という意見はどうかな?」
「いろんな反論が考えられるけど『むしろ禁うなぎ主義を他の誰かに啓蒙(=考えの押し付け)しようとしないのは何故?』ってのはどう?」
「それは他人の行動、食生活にケチつけるのはよくないことだから……みたいな返事をしておこう。」
みたいな話も気になるけどまた後で考えてみるか。
記事への反応を見てたらわかんなくなってきたので教えて。
ジャニーさんがショタ好きなのは薄ぼんやりとは知ってたけど、合意もなしにほぼ全員毒牙にかけたみたいな話でここまで酷いとは思っていなかった。
ここでジャニーさんが存命なら辞任は元より強姦による刑事罰を受けるべきだと思うんだがね。
ただ既に故人であり、加害者が既に居ない訳じゃない?当事者はとっくに不在じゃんかよ。
今後も権力者の牙が向く可能性もあるから再発防止云々も効果がない訳じゃないけどもさ。当座の問題はとっくに解消しているわけじゃん。
だから、あとは粛々と損害賠償とかに応じる程度かなと思ってたんだが、皆は違うの?
個人的には社長が白々しく知らんかったという発言をしたのは納得が行ってない。
しかしそもそもが前面に出る人じゃないから社長辞任しても株主だしどうにでもなっちゃうだろうから、辞任とか溜飲を下げるだけで解決策にもならん気がする。
人によっては事務所が潰れるまで許さんくらいの勢いで書いてる人をよく見るんだが、それが本当に必要なことなの?
ようやく被害を受けずに済むようになったタレントが、今度は職場を失って我慢のし損になればいいの??
追記1:
会社が共同正犯または幇助であるという意見は頷ける。被害者が内側にいる状況下で会社にも責任を問うべきかは意見が割れている気がする。主な論点はそこかなぁ。
同様にメディアの責任を挙げている人がいて、過去の検証は大事だし進めるべき。タレントをそのまま採用し続けていることへの批判については上と同じで被害者にダメージが行く方法だからね。
例えば過去の番組も全部配信なしね、とか。って確か配信系NGなんじゃなかったっけ。じゃぁそれすら今とあんまりかわらんじゃない。
意見の中で社名変えるというのがあり、それは別に良いけど現社長もそこまで「ジャニーズ」という名称にこだわってるとは思わないけどなぁ。名称変更によるダメージっていうほど少なくない?
タレントと会社を切り離して別会社へ移籍させるというのは流石に安直で、そんなことが一存でできるならとっくにやっているだろうという。流石に世の中そこまで単純にできてない。
まぁホリエモンはライブドア事件の際に役職取り上げられて株も強制的に売ることになったから、似たようなことだしやれなくはないのかも知れんけども。
感情はおいといて、法的根拠を鑑みるにそこまでさせる正当性がないよね。
あと一部届いてなかったから俺の意見も改めて述べるけど、この内容では過去の被害者に対して損害賠償をするのがせいぜいで、それによる金銭的ダメージと社会からの信用失墜が落とし所なのかなと思ってる。
追記2:
一部権力もたせたらやばそうな発言してる人も含めてはてな村の民度が気になるところもあったよ。スカッとジャパンコンテンツが無くならない理由なんだろうな。
なお、そのスカッとコンテンツについては、立法で「権力者による性的搾取を取り締まる懲罰的損害賠償法(通称ジャニー法案)」みたいの作ってあげると溜飲が下ろせるのかも知れんね。
本件は、大多数の発言ははやり問題意識は持っていて、許せないという思いが共通してあったことは安心したよ。こんなことは繰り返させちゃいけない。
落とし所が人それぞれ違うなぁっていうのはよくわかって大変参考になった。
このまま風化させないことで社会的責任を問うというのは大事だと思うので、この投稿も少しでも問題提起に繋がったのなら良かったと思う。
追記3:
増田プロファイルを勝手にジャニオタ女子にされてたのでそれだけはないと言わせてくれ。
俺はどっちかというとSMAPごと飯島氏を追い出したメリーにブチギレてた勢だから。
ただ功労者を追い出す権力者という構図が許せないという義憤はもつが、一方でTVもアイドルにもそんなに興味がないんだわ。
この件は単なるゴシップを超えて権力者による性的搾取という問題だから気にはしてるが、広末の不倫くらいの話だったらお好きにどうぞで流す程度にしか芸能界は興味ないんだわ。
追記4(2023/09/16):
俺は無意識に日本を侮っていたのかも知れない。こんなふうに世間が動くはずがないという諦観があったが良い意味で予想を裏切られた。自浄作用あったんだな。
TV局も徐々にスポンサー包囲網が敷かれ、タレント降板の話もチラホラ出てきた。まぁ事なかれ主義的なTV局は自浄作用は働いてない気がしているけど。
ともあれ、前時代的な対応は許されないというのが社会的に認知されてきたなぁと実感する。良いことだね。
なお、最後の「ようやく被害を受けずに済むようになったタレントが、今度は職場を失って我慢のし損になればいいの??」という疑問についても解が得られた。残念ながらこれを受け入れるしかないのだね。
新疆綿は「強制労働」による搾取があり、働いている人たちに罪はなくても結果として搾取構造の是認につながるので不買するべきである。
オタクを含めて、何か特定の対象に肩入れする人たちが、外野である第三者の批判などに対して激怒するのかが分かった。
まず、外野の第三者じゃない人というのは、たとえばファン(消費者)とか、制作に関わるスタッフなど。こういう人たちの、批判については、内容にもよるけど、激怒して炎上とか、批判殺到とか、Colabo騒ぎみたいなことにはあまりならない。
対して、特別な関係が無い第三者、たとえばフェミニズム団体がコンテンツを批判した場合などは、大炎上騒ぎになったり、激烈な対立が社会的な影響を及ぼすことがある。
これは何が違うのか。
ファン(消費者)や制作スタッフ(労働者)の要求というのは、基本的に、単なる要求に過ぎないのであって、せいぜい交渉の材料であり、基本的に相対化できる。どんなに状況が悪くても、関係を断つ(ファンをやめるとか、仕事をやめるとか)で解決できる。法律上、使用者と労働者、制作・製造・販売者と消費者、こういった関係はあくまで対等であって、その要求はどっちが偉いとか、正しいというものではない。
これに対して、第三者による要求は、労使関係や売買関係のようなものは無いのだから、その要求は普遍的な道徳や倫理に基づくものとなる。例えば、吉野家役員の「生娘シャブ漬け」発言に対する批判は、商品の値段や味、賃金や労働環境の話のような交渉材料の話ではなく、普遍的な道徳や倫理に反するから問題視され、批判が殺到した。
しかし、この普遍的な道徳や倫理は重大な欠陥がある。それは、真に普遍的で万人に共有されているのかということは証明が不可能であり、普遍性の担保の為には逆らう者に強制をするしかないということである。
たとえば、月曜日のたわわの日経の広告問題を見てみよう。そもそも、月曜日のたわわという作品は、未成年を含む胸の大きい女性を性的にまなざすということを主題に据えた作品である。この作品のファンは、恐らく、「未成年を含む胸の大きい女性を性的にまなざすということ」に対して問題意識を感じていない。現実の街中で他人の胸をジロジロ見るのはマナー違反である、と思う人は少なくないとしても、フィクションの作中で面白おかしくネタにしたり、エロスを感じたりすることに対して、全く問題視をしていないだろう。対して、この広告の批判側は、そのように未成年を性的にまなざすこと、身体的特徴を面白おかしくネタにすること、そういったことを肯定する作品が社会に出回ることで社会のステレオタイプが助長されるかもしれないことに対して強い憤りと、普遍的な道徳や倫理への挑戦として考えてい居るだろう。
そして、先ほどから言う通り、第三者が口を出すということは、「普遍的」であることを意味する。月曜日のたわわの青色版の価格が不当に高い、と不満を持つ消費者がいたとしても、その問題意識は基本的に普遍的な物ではない。嫌なら買わなければいいだけである。しかし、第三者が未成年を性的にまなざすことを問題視するのは、「普遍的」な問題だからこそである。
この問題が「普遍的」であるならば、これを問題視しない制作者やファンの思想は矯正されなければならない。ジェノサイドが許されない、人種差別が許されない、といった考えと同様に、それは普遍的な価値観として強制されるべきであるということを必然的に含意することになる。
そして、だからこそ、ファンは徹底的な反発をする。おそらく、ファンは反対に「フィクションの中は自由であり、何をやってもよい」といった思想を普遍的な倫理・道徳として内面化しており、それは双方とも「普遍的」であるからこそ、両立不可能である。
道徳や倫理という概念は、具体的に正しさを証明することが不可能なタイプの主張である。これを理由に、直接的な関係のない相手に対して主張する場合、その主張が「普遍的」であると主張することになる。もし、普遍的ではない、個人のお気持ちだとすれば他人に対して主張することはできない。人を殺してはいけないという主張が普遍的であると信じているからこそ、加害者でも被害者でもない第三者が、人殺しに対して批判をすることができる。これが、共有できていないときに、人はその普遍性を担保するために、政治的、経済的ないし物理的力により強制するしかなくなるのであり、であるからこそ対立は無限にエスカレートするのである。
維新の議員さんの件でまた騒がしくなっているウィシュマさんの事件ですが、こう、メディア等の問題設定に違和感があるわけです。
人が亡くなっているわけですし、直接的な原因としては入管の不手際があるわけで、入管の体制の見直しは待ったなしだと思うんですが、本当にそこだけをクローズアップするのでいいんでしょうか。その点では、件の議員さんの問題意識は正しいと思います(まあ、追求するのはそこじゃねえだろ、というのはあるのですが)。
ということで、改めて入管の調査報告書を読んだので私見を述べたいと思います。
亡くなった方を悪く言うのは気が引けるんですが、ウィシュマさんはかなり「やって」ます。
・留学ビザで入国して、学校に行かなくなった(本来ならその時点で帰国しないといけない)
・在留資格を延長する目的で、難民の事由に該当しない内容で難民認定申請を行った
・その申請内容が虚偽だった
・申請が不許可になったので逃げた(意図的にオーバーステイした)
オーバーステイ、事由に該当しない難民申請、偽造在留カード使用はそれぞれ単体でも在留を却下されるやつです。ウィシュマさんがどこまで理解していたかは不明ですが、在留資格を得られる可能性はほぼなかったと言えます。
その他にも怪しい部分がたくさんあります。同情的に語られる恋人からのDVですが、不正確な話が色々あります。
まず、ウィシュマさん逮捕の時点でBさん(報告書の記載にならいます)とは恋人関係ではありませんでした。Bさんの話によると、逮捕の8ヶ月ほど前には既に関係は解消しており、Bさんは別の女性と交際していました。その後も同居は続けていたという話です。その上、逮捕の3ヶ月前にはウィシュマさんが仕事をやめたことで、Bさんが家賃や生活費を全て出していたそうです。恋人でもない人の生活費を面倒見るというのは、一般的なDV男とはだいぶん印象が違います。
しかもBさんは暴力を振るったことがあるとは認めつつ、一方的なものではないと証言しています。ウィシュマさんから体当たりされている動画や、投げつけられたコップや破られたパスポートといった物の写真を残していました。刑務所からウィシュマさんに送った手紙にも、よくけんかをしたという内容が書かれています。
もちろんそれだけでDVがなかったという確証は持てないんですが、Bさんは逮捕の2日前にウィシュマさんから復縁を迫られたとも証言しています。DV加害者に復縁を迫るなんてことあるのかな、という疑問もDVの存在を疑わせるわけです。
また、Bさんはウィシュマさんと同じ日に、ウィシュマさんの密告によりオーバーステイで逮捕されています。DV加害者から逃げようとしている時に相手を刺激するようなことするかな、という点も大いに疑問です。
ちなみに、Bさんから脅迫的な手紙が届いたというエピソードは、ウィシュマさんの密告だと気付いたBさんが怒って書いたものです(Bさんは偽造在留カードを2枚、本人名義と他人名義のものを持っており、警察は他人の方の名義まで知っていたということなので、まあ分かりますよね)。つまり、手紙による脅迫はウィシュマさんのオウンゴールに近いものです。密告すれば恨まれるに決まってるじゃないですか。
余談ですが、ウィシュマさんはBさんへの手紙には誰が警察に通報したか分からないと書きつつ、入管への仮放免申請の際は「彼氏は、私のせいで警察に捕まったと分かったようで」と書いています。
この手紙の脅迫をもってウィシュマさんは帰国できないと言っていますが、これも怪しいです。というのも、Bさんとの手紙のやり取りは10月に行われているのですが、支援者と面談した12月の時点ではまだ帰国するつもりだったからです。その時点ではBさんが障害になるとは考えておらず、在留に気持ちが傾いたためそれを利用したとしか考えられません。
家族についても不思議な点が多いです。ウィシュマさんは家族からの連絡は途絶えている、だから帰国したらお寺に行くと話していました。またBさんは逮捕の後、入管の施設に収容され、11月に仮放免を受けています。この時ウィシュマさんの母親に電話してウィシュマさんを助けてほしい、妹に自分の電話番号を伝えてほしいと話したそうです。しかしウィシュマさんの家族から連絡はなかったそうです。
一方、ウィシュマさんが亡くなった後すぐに来日していることからも、本当に家族と関係が悪かったとは考えにくいです。ただ、留学ビザが1年3ヶ月だったことは知っていたと思うのですが、2年過ぎ、3年過ぎても帰って来ないウィシュマさんについて何も思わなかったのでしょうか?ウィシュマさんが日本で滞在している間、連絡は取っていなかったのでしょうか?来日した後でウィシュマさんと知り合ったBさんは母親の連絡先を知っていたのに?何かトラブルがあったのでしょうか。よく分かりません。
入所後の病院に連れて行って欲しいという要望についてもなかなか厳しいものがあり、ある時点までは仮放免のためのアピールだったと考えざるを得ない部分があります。2月1日の看護師面談の記録に、看守にはなぜ病院に連れて行ってもらえないのかと主張する一方で、看護師には病院に行きたくないと語ったとあります。2月1日は、嘔吐を繰り返していたため共同室から単独室に移動したタイミングです。つまり、その時点での「病院に行きたい」はただのアピールだった可能性があるということです。2月中旬には自力でトイレに行けないほど歩けなくなっていので、おそらくそこまで至っていれば本当に病院に行きたいと思っていただろうと思われます。アピールなのか本気なのか、看守が見誤ったのはオオカミ少年的な事情が感じられるのです。
というわけで、入所時にオーバーステイや在留カード等の諸々でそもそも印象が悪いところに、支援者との面談で帰国の意思が覆り、病院に連れていけとアピールと始めた、というのが実態だろうと思うわけです。これで本当に具合が悪くなったタイミングを見極めてきっちり対処しろというのはなかなか負担が大きいだろうなと思うんですよね。なので、今回の議論の中で見かけた、予断をもって当たることのないよう収容所の運営は別組織にした方が良いと言う意見は、ある程度的を得ていると思ったりします。
・ウィシュマさんに「(体調不良を)アピールした方がいい」と伝えていたこと
・これまで大量に仮放免の身元保証人になっており、その20%以上で取り消しになっていること
ウィシュマさんにとって、この支援者と出会ったことは不幸だったとしか言えません。報告書を読んでも、なぜこの支援者がウィシュマさんに在留を勧めたのか、さっぱり分かりません。12月16日の面談記録に「日本で生活したいなら支援するので仮放免申請等を行ってはどうか」と助言したと残っています。出会っていなければ、ウィシュマさんは帰国できていた可能性があります。入管は帰国の準備を進めていたからです。
当時はコロナ禍対策のまっただ中で、スリランカへの航空便は全便停止していました。そこで臨時便に乗ってもらおうとしたのですが、費用の問題が立ちはだかります。運賃に加え、帰国した際は一定期間隔離されるためその宿泊費を自費で出す必要がありました。ウィシュマさんは手持ちのお金がなかったためさまざまな方法が検討されたのですが、そのさなかに支援者と出会い、帰国しないと言い出してしまったのです。
議員さんは、ウィシュマさんがハンガーストライキをして亡くなったのではないか、支援者がそれをそそのかしたのではないかと言って炎上しました。私もハンストではないと思うのですが、支援者の影響はあるだろうという見解は同じです。
私はどちらかと言うと、報告書に出てきた身体化障害(身体症状症)のたぐいではないかと思っています。体の機能には異常がないのに、悪いところがあるという本人の思い込みで本当に具合が悪くなってしまうというものです。ウィシュマさんが体調不良を言い出したのは1月の中旬で、支援者と1月20日の面談記録に「入管は体調不良者について何もしない。病院に行って体調不良を訴えないと仮放免されない。仮放免されたいのであれば、病院が嫌いでも病院に行った方がいい」「仮放免されたいので,絶対病院に行く」という内容の会話があります。これによって「病院に行かなければ」という思いが生まれ、行けない期間が長くなるにつれ焦りに変わり、強迫観念になってしまったのではないかな、と。こればっかりは想像の域を出ませんが。
入管の扱いが悪いから体調を崩したのだ、という考え方もありますが、個人的にはそちらには否定的です。8月に入所してから4ヶ月間は健康に過ごしている点と、体調を崩し始めた後の1月29日にウィシュマさんは看守、支援者のどちらにも「入管での生活は快適で、ストレスは感じていない」と話しているからです。もっとも、ウィシュマさんは病院が嫌いだったようなので、行きたくないから嘘をついた可能性も否定はできません。仮放免のために病院に行きたい、でも嫌いだから行きたくない、そういうアンビバレントな精神状態もストレスになっていたのかもしれません。もし嘘だったのであれば、嘘をつく癖が悪い方向に働いたと言うべきでしょう。いずれにせよ、精神的な問題を抱えていたのであれば、支援者の助言は影響していたと思います。
ウィシュマさんの仮放免申請は2回提出され、1回目は不許可、2回目は亡くなったため判断なしという結果でした。2回目は許可の方向性だったものの体調が著しく悪いため保留というステータスだったのでともかく、1回目が不許可だったのは半分支援者のせいです。
今回身元保証人になる予定だったS3さんという方は、2015年1月から2021年3月までの間に47件の仮放免で保証人になっています。そのうち10件で、逃亡等の理由で仮放免取り消し処分になっているのです。約21%にあたるので、同期間の全国の仮放免取り消し率(約6%)の3倍以上です。さらに保証人になった後、仮放免された当人を近隣に住まわせないという暴挙に出ています。名古屋入管の話なので多分愛知県にお住まいだと思いますが、なぜか対象者が兵庫県に住んでいるケースもあったようです。身元を保証する気があるのか疑われたのも無理ありません。また今回のケースでは特に、ウィシュマさんが在留希望に転じたのは支援者の影響なので、支援者と暮らしたらより帰国させるのが困難になるのではないかと考えていたようです。
要するに、「この人に預けると退去強制が執行できなくなる可能性がそこそこ高い」と思われていたということです。仮放免はあくまで帰国までの間収容所の外で暮らせるという制度なので、帰国しないぞと頑張られては困るわけです。
結局、ウィシュマさんは支援者の助言により仮放免を求めて帰国をやめ、支援者の負の実績により仮放免を受けられなかったわけです。ウィシュマさんが入国管理の制度についてどれだけ理解していたかは分かりませんが、仮放免を在留許可と勘違いして帰国を思いとどまってしまったのであれば、これほど不幸なことは無いと思います。ウィシュマさんは日本で働きたいと思っていたはずですが、仮放免は就労不可なので生活費の全てを支援者に頼ることになり、思っていたような生活はできないんですよね。
あと、ヒアリングの途中で調査チームへの協力を拒否した点も印象悪いです。
悪い条件が相当重なっていたこともあり、個人的には入管に対してかなり同情的なのですが、それでもこんな形でウィシュマさんが亡くなって良いはずがありません。私の思う問題点は1つだけです(そこから色々派生するんですが…)。
・歩けないほど衰弱してるなら病院に連れていけ。
そこそこ元気だった人が2週間ほどの間に歩くことすらできなくなったのを目の当たりにして、緊急性を感じないのは感覚が麻痺しています。さすがにそこは擁護できません。いくら2月19日の段階で3月4日に精神科を受診することが決まっていたからと言って、その間に寝たきりになって関節を動かすリハビリを始めるに至ったら、精神科では不十分だと分かりそうなものです。
報告の体制が徹底されていない点は調査でも指摘されていましたが、看守の自己判断で報告義務のある内容が報告されないほど規則が形骸化しているのであれば、事故を防げるはずがありません。そういう意味では、これは防げた可能性が十分にある事故です。若干繰り返しになりますが、健康管理に関しては独立チームを作って運用した方が良いのではないかと思います。
この事件をどうすれば防げたかということを考えた時、実際のところ事件は3年前から始まっており、入管は最後の最後なんですよね。入管だけを責めてどうにかなる問題ではないんです。簡単にまとめると、こんな感じでしょうか。
・入国する外国人の皆さんに、適法に滞在してもらう(不法滞在者にアメを与えない)
・支援者は収容者にやみくもに手を差し出さない(身元保証人には欠格条項を作るべきでは?)
・入管はちゃんと被収容者の健康管理をする(というよりも、緊急時の判断の訓練をする)
そのためにも、入管の対応を責めるのは良いとして、ウィシュマさんを無辜の被害者として祭り上げてはいけないと思うのです。適法に滞在している外国人の皆さんに対して失礼ですし、「日本は不法滞在者にも優しい」なんてメッセージを出してはいけないんです。不法滞在者や施設の収容者が増えれば、それに応じて動的に人員を増やせるわけではないのですから、当然事故は起きやすくなります。
ウィシュマさんは不法滞在者であった。しかしその命が入管で失われるようなことがあってはいけないのだ。この事故を繰り返さないためには、そういう論調こそが重要なのではないでしょうか。
増田でこの話題が盛り上がるのも何回目かって感じだ。去年俺が書いたのもプチバズってたし。
デジタルトランスフォーメーションっていうと「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」が定義だそうだ。これを日常業務レベルまで落として話すと「人間がやらなくてもいい作業を割り出してそれを何らかの技術を用いてコンピュータにやらせる」こととなり「そういうことに積極的な雰囲気の企業文化に変えようぜ」ということになる。
経営者のITに対する理解と知識はぶっちゃけそんなに無くてもいいんだよ(程度問題はあるが)。必要なのは「省力化」による「コスト削減」または「自動化」による「ミスの削減・予防」をどんだけ本気でやる意識があるかどうかってところ。強いて言うなら「ITはイニシャルもランニングも金がかかる」という点だけ理解していてくれればそれでよい。
大事なのは経営者もいち従業員も、日頃から業務に問題意識持ってて「これって何とかならないのかなー」とか考えてること。
わかりやすいのがペーパーレス化とかだが、例えばワークフローのペーパーレス化って要するに「承認プロセスの効率化」がキモだから、システム化したら効率落ちたとかにならんように皆で考えないといけない。将来の効率化のために今は手間暇かけて頑張ろうって話。
純粋に紙の伝票とかをやめようぜって話ならそれによって保管スペースの維持管理費を下げるのが目標で、そのためには皆ちょっと手間かけようよって話になる。
※書類のペーパーレス化ってのは実務レベルだとぶっちゃけあんま効率化にはならないので、効率化としてペーパーレスしたいって目標が間違ってると思う。
なおここで手間暇かけて改善を考えるような労働者は実はレアであり大半の人間は「今までこれでやれてきたんだからいーじゃん」となり、そんくらいの消極的態度ならまだマシで、なんなら変革の妨害をし始める。
という前提を多くの人が共有できていないようなので、啓蒙のために書く。
まず、テロリズムとは、terror(恐怖)に由来し、暴力を用いて威圧や恐怖を与えることで政治的・宗教的な目的を達成しようとする行為である。
それでは、山上徹也は恐怖を利用して何らかの目的を達成しようとしたのだろうか?例えば、「統一教会を潰さなければ、次の首相も死ぬ」といったことや「民間人も同罪だ、覚悟しろ」といった発言があったのだろうか?
山上を支持する者たちは、支持しなければ自分たちにも危害が及ぶかもしれないという恐怖から支持しているのか?
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やそれに関連する議員を批判する者たちは、さらなるテロへの恐怖から批判しているのか?
そんなことはない。主に同情や問題意識から来るもので、テロ(恐怖)に屈したり、迎合したりすることとは無関係だ。
仮に山上の事件をきっかけに統一教会と距離を置く政治家がいたとしても、それは山上を恐れるからではなく、世論を恐れるからである。
山上の供述によれば、母親が統一教会に傾倒し多額の寄付をした結果、家庭の生活が苦しい状況になり、教団への恨みから教団の広告塔である首相を狙ったというだけだ。
どう見ても怨恨によるもので、政治家が被害者だから全てテロだと言うのはおかしい。痴情のもつれで刺された場合もテロだと言うのか?
事件の背景が根深いとしても、事件自体はただの怨恨殺人であり、市民を恐怖に陥れるようなものではない。
身近に迫る死の恐怖も感じていないのに、テロには屈しない!やテロに迎合するな!などと偉そうなことを言うのは間違っている。
賢明な増田諸氏は、この事実を心に留めておくことが重要である。
改めて言う。
山上徹也の事件は個人的な怨恨に基づくもので、市民の恐怖を煽り意識を縛り付けるようなものではなく、テロリズムとは全く異なる性質のものである。
犯行のきっかけとなった社会問題は根深く、議論・対処に値するものであるが、決してテロリズムの文脈で語られるべきものではない。
覚えておきましょう。
Colaboの件については、交付金の使いみちはしっかり管理すべきだと思う一方で、あの件で元気に主張している一団の大半が「Colaboを叩きたい」が先にあり、その口実に不適切会計をここぞとばかりに持ち出しているだけの拗らせミソジニーにしか見えないため、あの連中と一緒だと思われたくないという思いから賛同の声を上げづらいと感じている。
先日の岸田首相爆撃未遂事件も同様で、「その真因からきっちり検証すべき」という側にも、「そんな検証はテロを正当化することになる」という側にも、狙われたのが立憲や共産党首だったら同じことを言うか?という点で大いに疑わしい人が多いように思えて(同じことを言える人も多いと思うが)、どちらの側にも付きづらい。
追記)
子ども家庭庁のポスターも同様だな。表現や論点に議論の余地があるのは分かるが、声が大きい人の他の発言を見るとやっぱり拗らせミソジニー的な人が多い。本当に純粋な問題意識から批判してる?という気持ちになる。