はてなキーワード: 劇場とは
自民党が悪だって感覚が分からない について。
まず、政治が劇場化した(あるいは、最初から劇場だった)、その中で大衆の意見表出や議論の場としてSNSが前景化することによって大衆の政治的な言説がエンタメとなった。そして、これが大衆のエンタメである以上、分かりやすい悪役を粉砕することにによる爽快感というのが、どうやっても必要になってくる。
その結果、左翼であれば安倍晋三に代表される「右翼」や「レイシスト」、右翼であれば「反日」や「在日」、Qアノンであれば「ディープステート」、暇アノンであれば「ナニカ」のような概念が「悪」として想定されることになった。
しかし、実際に自民党もふたを開けてみれば、利害関係者の調整の結果に過ぎず、在日韓国人や朝鮮人はほどんどが普通の生活者に過ぎない。ディープステートに至っては完全な妄想だし、「ナニカ」というのもフワッとした女性政策の充実化を求める勢力程度のものに過ぎない。
先日の、わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜 - 瀧波ユカリ / 第24話 男らしさの呪い | &Sofaの中で、斎藤環のオープンダイアローグに関する本が参考書籍として挙げられ、本作を名指ししないものの、斎藤が、オープンダイアローグの実践として妥当ではないという批判をする中で、こんなことを述べていた。
@pentaxxx スカッとしたい人には対話実践は不向きかも。だいたいモヤモヤが残るから。そのモヤモヤが変化を呼び込むんだけどね。
これは、明らかに斎藤が正しいのだが、モヤモヤした対話実践はエンタメにそぐわない。要するに面白くない。
そして、さらに言えば、明確な悪役がいない世界で、苦しみを感じている人は、何も救いがない。
はてなで吠えるサヨクも、Qアノンも、行動保守も、あるいはTERFも表現の自由戦士も、苦しみがあり、その中で敵を見つけることでギリギリの精神的安定を確保している。
どうしようもないね。
先日先行上映が始まったシャニアニ
私は現行ミリオンライブを追っているミリPであるが、シャニマスも2年ほどかなりのめり込んでやっており、アイドル園田智代子と放課後クライマックスガールズというユニットを愛しているため、初日の朝8時、劇場へ視聴しに行った。
ここから数行は本筋とは関係ない私の感想であるため読み飛ばしてもらって構わない。
視聴した感想だが、今は半引退状態だがシャニマス熱を再燃させられる、そんな良いアニメだった。懸念していたCGも本編と劇場スクリーンで見る限り、さほど違和感なく見れ、アクションシーンやライブシーンなどダイナミックな動きも多く、見ごたえがあった。
よく比較対象に上げられるミリアニについてだが、2Dになるべく近づけようとする作風であるミリアニと、3Dの良さを生かしたシャニアニという感じでどちらが良いとは一概には言えず、好みによって別れる、そんな出来となっている。
原作を準拠したキャラデザに、人数を絞ったおかげか衣装差分も各キャラに複数あり、汗をかいた時や雨に濡れた時の髪の毛差分などモデルは凝っている印象だ。
だが横顔の描写が時々怪しいときがあり、観客モブのCGもザ・ポリピクといった感じであまり出来は良くない。しかし、それを含めてもCGアニメとしては中々高クオリティとなっている。特にライブシーンは各アイドルの個性が振り付けに現れており、音響も含めてかなり良かった。
ストーリーもシャニマス初期の空気感そのままを上手く表現しており、ゲームのイベントコミュに近い感触を受けた。
クスリとなるような細かい小ネタ(飲み物がシャニマスのスタミナ回復アイテムであるソーダになっていたり、千雪のダンボールから雑誌、”アプリコット”が出てきたり等)も多く、カードイラストの再現のようなカットや表情も複数あり、既存ファンからしたら憎い演出だろう。
ユニット単独回もそれぞれクオリティが高く、好印象。個人的にはMVの撮影やトークショーでの姿などライブ以外でのアイドルのお仕事風景をじっくり見ることができたのが嬉しかった。
また推しびいきではあるが、放課後クライマックスガールズ単独回である4話は特に良く、終盤のヒーローショー、ライブシーンでは思わず手を強く握ってしまった。
総じて、元シャニPである私からするとかなり満足度の高い作品であり、2章以降も行きたいと思うような作品であった。(感想ここまで)
ではタイトルにも描いた通りなぜ感想が賛否両論で両極端になるのか、それは”あまりにシャニマス初期のコミュの雰囲気をそのまま映像にしてしまった”のと”新規視聴者にはあまり優しくない内容だった”からだ。
まず前者に関して、そもそもシャニマスのシナリオが評価されだしたのは今回シャニアニに登場していないストレイライトやノクチル等の後発ユニットがゲームに登場し始めてからなのである。
飽くまで筆者がプレイしていた時に抱いた印象なので、話半分で聞いてほしいが、後発ユニットが登場するまでの一年間のコミュは後発ユニットが出てからの所謂”攻めた”内容の話でなく、かなりゆっくりアイドルの人間性や関係性を描写していくものだった。
後者の新規視聴者に優しくないという点にもつながるのだが、それからの個別コミュやイベントコミュをしっかり視聴している既存Pなら十分楽しめる内容ではある、が言ってしまうと少し冗長なのである。
後発ユニットも初期ユニットと同じ数に増え、再序盤から刺激が強いコミュを見てきた2年目以降のユニットが推しのPからしたら初期のゆったりとした雰囲気流れるコミュは少し物足りなさがあるだろう。
今のコミュを見て期待したら思ってたのと違うといった感じか、これが1、2年目に放送されたアニメだったらもう少し評価は変わっていたであろう。
そして後者に関して
感想にも書いた通りユニット個別回はクオリティが高く、ミリアニ7話、8話やアニエムのユニット個別回と遜色ない出来だと思っている。
ではなぜ新規視聴者に優しくないのか、それは各ユニット個別回が正確に言うとイベントコミュの”2話目”に該当する話だからだ。
もちろんそれ単体で話は成立しているものの、アルストロメリアの最初のお仕事、放課後クライマックスガールズの合宿などアニメ作中で語られるのみの”1話目”が意図的に抜かされている。
ではその”1話目”がどこにあるのか?既存Pならご存知だろうが、各ユニットのゲーム内最初のイベントコミュにそれが該当している。
なのでゲームをプレイしていない新規視聴者には存在している”1話目”が把握できておらず、評価が著しく下がってしまったのではないか、と考えている。
なぜこのような構成なのか?恐らくだが近々リリースされるであろうシャニマス初の音楽ゲームである”シャニソン”が関係していると思われる。
シャニソンのリリース日は1月あたり、それに対してシャニアニの放送日は来年の4月、3ヶ月の空きがある。
シャニソンで入った新規ユーザーはそれぞれ気に入ったユニットのイベントコミュ"1話目”を見て、それからシャニアニを見る。そういう流れを想定しているのではなかろうか。
またシャニアニからシャニソンに触れる新規ユーザーもそれぞれ各ユニットのイベントコミュ"1話目”を見ることができる。シャニソンがある前提の作品なのではないかと感じた。
そう考えると内容がシャニマス初期に近い雰囲気なのにも多少納得がいく。
長々と書いたがある程度前提知識がいる作品で且つ今と少し違う初期シャニマスを再現した雰囲気の作品なので感想が両極端になるのではないかと思った。
しかし、今回単独回がなかったイルミネーションスターズはイベントコミュ"1話目"になる話を幕間で描写しようとしているし、まだ全体の3分の1しか公開されていないので作品そのものに適性な評価を下すのは難しいと思われる。
2章以降の展開に期待したい。
良くも悪くも自己評価が歪んでいるように感じる。自分自身も似たような生活だったからその歪みは親による矯正が生んだものだと思うが。
地頭じゃなくて幼少期からのやらされていたお勉強の貯金がなくなって回りの子たちが頑張っただけだと思うよ。
増田が中学受験までのどこかのタイミングで勉強を放棄して自分のやりたいことをしていたらダンスで成功していたかもしれないししなかったかもしれない。
今得られているであろうもの(学歴及び進学実績、友人や彼氏、親との関係、部活(特定のスポーツ)の経験などなど)が良くも悪くも得られていなかったことは確か。
勉強嫌いも無かったかもしれないが間違いなく言えるのは学校に通っているだけで十分に学力を培えるカリキュラムは受けられなかっただろう。
増田は何のためにダンスをしたいのか。ダンスで成功したかったのか、10代のうちにステージでちやほやされるためか、煌びやかな中高を送りたかったのか。単純にダンスをやってみたかった、今の人生の否定と可能性への憧れという事以上には見えてこない、隣の芝生は青いという感覚に近いもののように感じる。
親から見て増田に飛びぬけた才能があったり、増田が成功できるまで芸を磨ける持久力があるようには見えなかったから堅実な道を強制したのかもしれない。
もし増田が自分の欲求に従って受験を蹴ってダンスを始めて現状と同じくらいうまくいっていないと感じたら、親の言う通り受験しておけばよかったと後悔していたことは想像に難くない。
表現がやりたいのであれば大学からでも全然遅くないと思う。知り合いに大学時代からダンスを始めて、大きくはないながらも色々な劇場でステージに立っているという人もいる。通っている高校にダンス部が無いから社会人サークルに入って始めてダンスの仕事をしているという子もいた。一見してわかる以上のリソースの掘り起こしができれば変われるかもしれない。
はてなに投稿するしないはさておき、まずは増田自身過去の穿り返しではなくこれからどうしたいかを考えたほうがいいと思う。
お受験はゴールではなく、その後も就職、交友関係、結婚、子ども、親の看取り色々な分岐が待っている。
考えるより本当にやりたいことをやったほうがいい。
岡田麿里監督の作品は見たことがなかったが、「あの花」が名作であることは知っていたし
チェンソーマンを見てMAPPAに興味を持っていたので、渾身の劇場作品であるこの作品を見に行こうと思った。
とは言えあまりヒットしている雰囲気はなく、ネットをふわっと見る限り絶賛している人はあまりおらず、
見どころはあるが問題も多い、というような感想が多数なのであまり期待はしてなかった。
鑑賞した結果、見どころはあるが問題が多すぎるのであまり乗れないな、という感想を抱いた。
絵作りは全体的に申し分なく、やりたかったこともわかるし作者の持ち味もわかるが、そこに至るまでに問題が多すぎる。
順に思い出しながら問題点を突っ込んでいく。
◾️冒頭いきなりギャグが滑っている
冒頭、中学生男子が狭いこたつに4人入ってワチャワチャと勉強しているというほのぼのシーンから幕を開ける。
4人組の中のお調子者が、こたつの中で屁をこき、大騒ぎしながら窓を開ける、というのが
中学生日記レベルのテンプレギャグであり、中年男性である自分が見てこの4人に親しみを持つことはできないな、と感じたが、
まあギャグが大事な作品ではないのでこんなものだろう。全然許容範囲である。
窓を開けると工場が爆発し世界に異変が起こる。時間が止まり、同じ1日を繰り返す田舎街に閉じ込められることになる。
異変が起こった時に、視聴者と同じ現実世界に生きていたはずの主人公たちがどのようにその異変を認識し受け入れていくか、
という過程を描くことで視聴者も状況を受け入れやすくなるものだが、この作品はいきなり違和感を突きつけてくる。
登場人物たちが異変をすでに受け入れており、諦念に塗れた奇妙な終わらない日常生活を続けているのだ。
徐々に明らかになることだが、時間が止まってから十年以上が経過していたのだ。
かなり挑戦的なストーリーテーリングだが、あまり成功しているとは言えない。
十年以上も外界と隔絶され肉体が変化せず、同じ1日を繰り返しているというのは相当な極限状況である。
田舎町とはいえ数千〜数万人はいるであろう街の人達が、そのような極限状況に置かれているようには見えない。
最初の数年は外界に出ようとしたり、ループから抜け出そうとチャレンジした人達がいて、
彼らが失敗したのを見て人々が諦めて日常を続けることにした、という経緯なのだと思う。
そのような経緯が描かれることはなく、この無茶な状況を説明するのは「自分確認票」とかいうものを人々が
毎日書かされているという設定である。演出的にもこれを毎日書いていることがかなり重要になってくる。
「いつの日か時間が再び動き出した時に、自分が変化し過ぎていると不具合が起こるかもしれないので、自分が昨日と変わっていないことを毎日確認しましょう」
ということらしいのだが、その根拠はなんとなく事情がわかっている風の言動をしている変わり者の神主がそう言ってるから、
この映画の問題点の半分ぐらいはこいつの責任であると言えるだろう。予告編を見るだけで違和感を覚えると思うが、
映画のリアリティラインにそぐわない、いかにもアニメ的なエキセントリックなキャラである。
この突飛なキャラを映画に馴染ませるために、妙にリアルな小物感を感じさせる演技が端々に入るところは面白い。
「こんな奴が現実にいたら絶対に近寄りたくないな」と思わせてくれる。
芝居がかった大仰な喋り方をした後にボソボソと独り言を言ったりするところがやばい奴感のリアリティを高めている。
最大の問題は、街の中でも変わり者として爪弾きにされていたこの男が、世界設定の根幹を握っていることである。
背後にある神道的な神秘設定の描写が非常に薄く、単なる変人の妄言が街を支配しているように見えてしまう。
小物感がリアルに強調されればされるほど、世界観が薄っぺらく見えるという問題。
こいつが単なる変人ではなく、世界の鍵を握るだけの力を持っている描写がもう少し必要だったのではないか。
十年以上自分が変わらないように毎日確認票を書かされている20代中盤の主人公たちの気持ちに感情移入するのは難しい。
街から出られないとはいえ人生経験は十数年分重ねていて、車の運転などもできるようになっているのだ。
肉体が変わらないからなのかメンタルは中学生のままで、意味もなく高い所から飛び降りたり首締めごっこをしたり、
上履きを隠したり、パンチラやブルマー姿を見て喜んだり、わざとパンツを見せてからかったり、みずみずしく痛々しい恋をしたり、
いかにも中学生な行為を続けている。どういう精神状態なのか想像がつかず、共感できない。
物語上の都合のいいところだけ成長して、中学生として見せたい部分は成長しない。随分とご都合主義の設定である。
作者の見せたい都合に引き込む演出の力量が足りていない。
女の子みたいに見える主人公。女みたいと言われるのは嫌いじゃないが男が好きなわけじゃない。
なかなか魅力的な設定だが、そこがそれ以上掘り下げられることはない。そのほかにもフェティッシュの要素がいくつも
散りばめられているがただ作者がやりたかっただけでキャラの魅力につながっていかないことは残念である。
肝試しに地味な女の子と一緒にトンネルに入ったらいきなり告白される、というシーンはこの映画で唯一笑えたシーンだったのだが、
からかわれて傷ついた女の子は心にヒビが入り、そのまま消滅してしまうという全く笑えない結末になってしまう。
実は時間が止まっているというのは神主らが仕組んだ嘘で、主人公たちは聖なる山と工場が生み出した幻だったのだ!
様々な設定の綻びも、不可解な登場人物の心理も、幻だったのなら仕方がない。すべて作者の胸先三寸である。
世界観のペラペラ感がティッシュぐらいの厚みになってしまう。絵的にも、あちこちがひび割れて今にも砕け散りそうになっている。
そこで唯一興味を繋ぎ止めてくれるのが、幻の世界で唯一実在の存在である、未来から迷い込んできた主人公たちの娘である。
濃厚なファーストキスを実の娘に偶然見られるという気まずいだけのシーンを経て、
この娘を現実界に送り返すというミッションが確定してから物語は俄かに力を取り戻し、
監督の確かな力量によって大きな盛り上がりが描かれる。
しかし、そこに至るまでのキャラと世界観の積み上げが非常に脆弱であるために、自分は置いていかれている感がしてまるで乗れなかった。
バックトゥザ・フューチャー的なカーアクションで無茶なアクションを繰り広げるものの、
まあ危なそうに見えるけど所詮は幻だし、どーにでもなるだろ・・・と思うとあんまりハラハラしない。
「幻だって生きているんだ!今を楽しんでもいいんだ!」と言われても、「・・はあ。」としか思わないのである。
最後まで出てこないので調べてみたところ、この話の原型になった、監督が以前作ろうとしていた物語に出てくる嘘つき少女と狼少女の名前らしい。
つまり睦実と五実のことを指している。監督の内部の問題でしかないので心底どうでもいい。
五実が10年間言語すら教えられずに育ったのも、「狼に育てられた少女」をやりたかった名残というだけで、設定的に特に意味はないということだけはわかった。
いや無理あるでしょその設定・・・
◾️どうすればよかったか
いやどうしようもなくね?「実は全部幻でした!」というオチに物語として説得力持たせるのは無理だよ!と最初は思ったが、
閉じ込めれた幻としての主人公たちをメタファーとして捉えるなら、共感を誘うような中学生あるある描写は抑え、
閉じ込められた違和感、脱出しようと足掻く姿を押し出した方が良かったのではないか。
「狼に育てられた少女」をやりたいのなら、五実と神機狼の関わりをもっと描くべきだった。
神機狼と佐上の関わりも、もっと神秘的に描いていれば世界観に厚みが出たと思う。
神道っぽい儀式をやるシーンが新海誠作品によくあるけど、ああいうの大事だよね。
突然失踪して終盤急に日記が発見される父親もその辺りの設定に絡められたのでは。
佐上の周囲に腰巾着みたいな面白キャラを配置して浮きすぎた佐上のクッションにするのもいいかもしれない。
TV関係者が本屋で書籍をスマホカメラで盗撮して自慢とかしてると
買ってもらうとかすれば良いのに
逆に敵を知るには本人以上に調べるってことをしていないのは
テレビ放送が見られなくなってCMを流す企業が少なくなって来てるのが
アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。
我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。
アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない。
だから、主にこの文章はおっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。
何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。
まずは簡単に自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファンの通称)だ。
アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである。
もちろん仕事はフルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。
仕事関係者も見ているTwitterで一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)
そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。
今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである。
このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。
「ウマ娘は競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリが複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん。
若いころはOSのアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSのアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。
身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。
ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネの存在がものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。
さあこれで第一の難関である「インストール」をクリアしたわけだ。
インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。
そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー+音ゲーで構成されているゲーム)
もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!
ゲームシステムの解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベントの解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。
つまり、よき先輩マネがいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。
ストーリーは無料で最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分の時間だけである。推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。
掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドルが自分の過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である。
ストーリが完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドルが個性的で実に良いのである。
「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前や音楽記号(キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しかも声優の仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれのおっさんでも151匹程度は覚えただろ?
1/10だ。
メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生~20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒で入社してくる子たちと大差ない。
つまりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ、過去の自分と対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ。
そして、彼らには我々おっさんが仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。
そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間の問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。
さぁ、そんな各アイドルのキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。
あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。
映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCをはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。
子持ちのおっさんなら子どもの授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境で勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。
では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。
しかし!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出と音楽と舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者に感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙に感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事に感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。
故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。
話を戻す。
ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。
「個性的な16人」と前述したが、立ち絵のストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。
意味が分からないかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。
ストーリーにダンスの描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブの仕事がマジ凄い。
それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。
私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。
彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。
つまりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。
しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである。
故に20回くらいは普通に超えてしまうものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこからが本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋とかいうな。
ムビナナに通っていると、自分の精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。
ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情に支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。
それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。
だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか。公衆衛生の観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度の適応対象とすべきだろう。厚生労働省は仕事しろ。
言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。
楽曲提供は小室哲哉やヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者の運用をできるのがアイナナだ。
故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からのアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。
このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲をリリースしてきたという実績がアイナナなのである。
書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間も時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。
何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。
その後はこちら
予算規模と言われるとそれまでだが、冷静に考えるとよくわからない
ある原作(小説でも漫画でもよい)があり、それを映像化しようと考えた時、
映画・劇場アニメよりも尺が長いTVドラマ・TVアニメはより原作を忠実に再現する、精緻に映像化できるはずである
そのため、予算を抜きにしたあくまで制作フォーマットで考えると、
長尺のTVドラマ・TVアニメが映画と比較して下扱いになるのはよくわからない
原作者にとっては変な編集がなされる映画よりもドラマ・TVアニメ化の方が嬉しいということはないんだろうか?
視聴者から見ても2時間の濃密な体験ができる映画と比べると、1クールや2クールで作品世界をゆっくり楽しむ楽しみ方もあり、どちらが上とは一概に言えないはずだ
なんか内部事情に詳しいユーザーが英語のフォーラムでコメント書いてる。本当かどうかまではわからん。
以下、機械翻訳
理由は
1. IMAXジャパンは、観客の安全と安心を確保する自信がないと言っている。
2. #バーベンハイマー論争の最中、ユニバーサルとワーナー・ブラザースは裏ルートを開いた。詳しい話は聞いていないが、WBはオッペンハイマーの公開は "致命的 "だと言っている。
3. IMAXのスケジュールは年内いっぱい。(2024年3月まで)
全く話題になってないがそれも当然と言えるミュータントタートルズの映画新作
評論家筋の評価が高く一般人には知られてない、みたいな扱いだが、俺に言わせると評論家筋の誉め方がなってないと思う
曰くディズニーピクサーみたいな3Dアニメじゃないのがいい、ジャパニメーションみたいなセルルックじゃないのがいい、
じゃあ何なのっていうと「アメコミの描線のままアニメートしてるようなビジュアルが良い」という
ゆうてディズニーピクサーの3D人形の上にレンダリングでグラフィック付けてる感じじゃん、NHKEテレ見てたら大体なんとなく見慣れる範囲じゃん
日本のセルアニメみたいに画一的じゃないって、あんたら日本のアニメを映画館にかかる劇場版でしか見てないだろ、
日本はTVアニメシリーズが中核で劇場版はやや外というかオマケ扱いの歴史が長いからな、劇場版史観で日本アニメ語るなや
映画館でカミサマ活動を流したら評価マイナスになるけどTVだったら盛り上がるだろ、日本アニメってそういうもんなので
あと、はっきし言って「マンガの絵柄をアニメに取り込む」歴史なら日本は数十年ずっとやってるからな。そこを指してスゲーは全然誉めポイントと違うぞ
タートルズのいいとこはそこじゃねえ
で、タートルズの良い点
劇場版で何をやるのかと思ったら何もやってない、TVと同じだ、むしろそれがいい、というやつだ
映画にするんだから作画をグレードアップしなきゃいけないんでしょ、ということで、とりあえず意味ないけどドローン飛ばすシーン作って角度とか変えてみました、
という「映画だから気張らなきゃ」に対するアンチが楽しい、みたいな代物
まあ、そういう主張するにはタートルズ作画はちょっと気合が入ってるんだけど
作画スゲー、で語れない魂のとこがある、あるのだ
DavinciResolveのプラグイン「りぞりぷと」がMac版に対応した
立ち絵+合成音声による解説や劇場動画ってのは日本独自の文化なんだけど、アプリの関係で日本人のWindowsユーザーにしか普及していない
それが「りぞりぷと」のMac対応でブレイクスルーが起こっている、と思われる
暫定的にMacでも使えるようになったし、海外の人がちらほら使いだしている
Davinciは何でもできる反面、単純なアニメーション効果を手軽に行う手段が少なく、大量の図形を配置するなども苦手だ
そこはみんなわかっているけど、有料プラグインや簡単なTipsばかり
なのでりぞりぷとのような立ち絵やちょっとしたアニメに対応する無料プラグインは本当にまれな存在だと思う
Davinci自体は決してYMM4やAviutilに迫るものではないのだけど、そういう日本人好みにカスタマイズされたものじゃなく
Davinciという世界で使用実績のある汎用的なソフトで使えるというのが大きいと思う
人生を変えるほどに大きな影響与えてくれた本は少なからずある。この本がなければ読んでいなかったならば、現在の私はないと言い切れる本も数冊ある。ところが映画にはそれがない。もちろんテレビにもない。
確かに面白かったと言える映画もある。テレビ番組もある。ただしそれだけである。あー面白かった。それだけなのだ。
映画に熱狂する人々を見るに、どうやら私の理解が及んでいないところがあるようだと思い。意識的に多くの映画作品に触れるようにしてきたのだが、結局のところ結論はそういうことである。人生を変える映画などと言うものはない。
それどころか、気持ち悪い、人を洗脳する意図を持ったとしか言いようのない作品が少なくない。トップガンマーヴェリックとか、そもそも前作品の無印トップガンからしてそうである。臨場感を持って劇場で上映される映画作品、何が善で何が悪なのか、浅薄な善悪二元論を唱えるような映画が多くなっているようにも思われる。アメリカ映画に多いような気がする。気持ち悪い。
あんなんじゃダメだよ~。ヒガシをトップに据えてよ、僕は知りませんでした、つって、んんなわけねえじゃんっての。嘘つくんじゃねーよ。
小学生でも分かるような嘘つくような人間を社長にして、再出発しますってよ。次は何を盗むつもりだよ。嘘は泥棒の始まりって言うんだよ。
ジュリーの涙も、そう、ジュリーはさ、顔が怖すぎんのよ。まずさ。まず。だから反省してるように見えねえのよ、怒ってるように見えちゃってしょうがないっての。
画にはなるんだけどよ、2人とも。絵にはなる。でも、だめだっての。顔が怖いんだから。
そんでさ、ジャニーズ事務所再建?だっけ。再建のための秘策だけどよ。
まず、ばぁぁ~~んとタレントを社長にすんだったらよ、僕は性被害者でした、って大声で号泣しながら言える人じゃなけりゃだめでしょう。
ジャニーさんを許しませんって、そこで言わねえとよ。そりゃ本心は複雑なんだと思うんだけどさ、ジャニーさんにしゃぶられました。しゃぶりました。
掘りました。掘られましたって言わねえと世間様は、信用しないって。まずはそこからだよ。事実認定を外部機関がするしないなんて、たいした問題じゃないんだよ。
そりゃしてるに決まってんだからさ、大切なことはさ、それをきちんと本家本丸のジャニーズ側が受け止めてます、ってメッセージを出すべき何じゃねえのかってことだよ。
そうやって世間様に許されるかどうか、が重要なんだから。実際の運営体制とか、反省とか再発防止とか、そんなの、どうでもいいわけ。ほとんどの人にとっては。
重要なのは、このジャニーズちんしゃぶり劇場が劇的な終わり方を納めて、新しい門出を目撃した、っていう感慨が重要な訳じゃん。
だからよ、やられました、って社長を据えて、これからはもうこんなことは許しません。って言えば、へー、すごいことをいう人が社長なんだな、ってそう思わせたら勝ちな訳じゃん。
だからさ、事実は別にして、キンキの剛とか、病気療養になったのも性被害が原因でした、とかさ嘘でいいからそういうことにして、話作っちゃってさ、そういう方向性で社長になったら、みんな、同情するじゃん。
そう。世間の怒りには同調しちゃって同情にもってけばいいんじゃねえのかなあ、ってことだよ。
前情報は劇場でやってた特報のみ。そこから得た印象としては「岡田麿里が脚本監督やるらしい」ってことと「なんか陰鬱な感じのパッとしなさそうな謎映画だな」ってことだった。
なぜ見に行くことにしたのかと言えば、「岡田麿里の新作だから」だ。特段岡田麿里が好きなわけではないが、true tearsやとらドラ、あの花は面白かったし、花咲くいろは、凪あす、ここさけ等々なんだかんだ岡田麿里が絡む作品を見ていたので、とりあえずいってみるかという感じで行った。
で、結論から言うとこの映画は怪作だった。今年一番の怪作といえば『君たちはどう生きるか』だが、この作品も引けを取らないように思う。
以下その理由をのべる。
丁寧な作画でよく動く。思いのほかアクションシーンがたくさんあってどれもしっかり動いている。近年流行りのフォトリアルな背景ともよくマッチしていて美しい。めちゃくちゃ金かかってそう。
ちょっとネタバレになるが、つまりこれはたくさん伏線が張られていて後で回収されたり、作品世界における重要な真実(=設定)が後々になるまで隠されているタイプの物語ということだ。頭の弱い人だと序盤の地味なくだりで脱落する。
これぞ岡田節なのだろう。キショかったり、意味不明だったり、一周回って笑えてくる、関係性、セリフ、展開がこれでもかと突き付けられる。ぜひ高校生カップルにデートムービーとして見に行って欲しい。
これはつまりマーケティングの問題だと思うのだが、この映画を誰に向けて、どう売りたかったのかがよくわからない。
上で書いたようにこの映画はとてもお金がかかっている(ように見える)。その割には話が複雑でエンタメ性が低いためマスウケを狙っているようには思えない。
そしてオタクウケを狙っている感じでもない。キャラデザが地味でパッとしないので若い子の興味は引かないだろう。
また、ファミリーやカップルが見るような映画でもない。だってあの怒涛の岡田節なのだから。
実際、平日夜の回にいたのはくたびれたオジサンと自分の2人だけだった。
この映画が売れ線狙いのエンタメ作品じゃなかったとして、じゃあ何をテーマにしたどういうジャンルの映画にしたかったのかがわからない。
これも少しネタバレになるが、中盤から終盤にかけてプロットツイストが畳みかけてくるのでストーリーはわりと面白い。しかし世界観とキャラ設定が複雑で感情移入できない。
一応泣きどころのようなシーンも用意されているのだが、複雑な設定と岡田節がノイズとなって感情移入するのが難しい。
男と女。親と子。生きるとは何か。色んなテーマやメタファーがあるので考察するのは楽しいかもしれない。
でも単一の解釈が可能なほどの一貫したメッセージ性はないように感じた。逆に言えば人によって着目する点が変わりうるので色んな批評ができそう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4e31d9a7afc6316be31c6f868f9362febc2bcbb
阪神タイガーズの本拠地は西宮にあり、優勝パレードを大阪都心部か神戸市内でやるべきかという論争が話題になっている。
大阪の阪神ファンが阪神タイガーズを自分たちのものにしていることに対して、言いたいことはわかるよ。
「昔は大阪タイガーズだった」「西宮市一帯は摂津国で事実上の大阪」「親会社であるH2Oリテイリングの本社は大阪」など。
この論争は戦後一貫して続いているらしいが、正直言って大阪人もうんざりしている。
なので大阪の政財官業界も、この論争が始まってからなのかははっきり言えないが、兵庫県内に大阪人がよく使う大規模施設を作らなくなっている傾向があるのではないか。
戦前は、大阪の財界が阪神甲子園球場や西宮球場、宝塚劇場などを兵庫県内に作ってきた。
1.千里ニュータウン(1961年)
戦前は大阪人が多く住む場所は阪神地方(西宮・芦屋地区)であったが、戦後は豊中・吹田の千里丘陵を開発して関西随一の中流・上流階級の大阪人が住む場所に発展した。
大阪に移住する東京人の人達も、どこに住みたいかといえば阪神地方ではなく千里丘陵の方がいいという人が多い。
2.長居スタジアム(1964年)
今は使っていないがセレッソ大阪の本拠地であった長居スタジアム。
ガンバ大阪の本拠地である吹田スタジアムと共に、どちらも大阪府内に本拠地を置いている。
やはり甲子園球場が兵庫県内にあることの反省なのか、阪神タイガーズ並みの人気を持つプロサッカーチームの本拠地は大阪府内に設置することになった。
3.大阪城ホール(1983年)
大阪城公園内に建っている関西最大規模の多目的アリーナである大阪城ホール。
プロアーティストの関西エリアのライブは大阪が独占することになり、これは当然といえば当然の話でしょう。
4.インテックス大阪(1985年)
東京ビックサイトと幕張メッセに次ぐ規模を誇る国内第3位の国際展示場。
狭い神戸港ではなく、広大な埋立地である大阪南港に作ったのは、これも当然だろう。
大阪空港の国際線分離のための関西空港であるが、当初は神戸沖に造成する計画だったのは有名な話である。
しかし「新空港は甲子園球場とおなじく兵庫県のもの」とうるさく言われるのを嫌ったのか、神戸沖ではなく泉州沖に作った。
6.USJ(2001年)
西の東京ディズニーランドを目指して、桜島に建設されたUSJ。
東京ディズニーランドは千葉県浦安市にあるが、当の千葉県民は「ディズニーは千葉県のもの」とは言わない。
施設の性格上、尼崎市内に作られてもいいような気がするが、これも兵庫県のものにされるのを嫌ったのかわざわざ大阪市内に作った。
「甲子園球場は大阪人のものか」問題を解決する方法が一つだけある。
それは現在の甲子園球場を大阪市内に移転してしまうことである。
これによって阪神タイガーズは名実共に大阪人のものとなり、兵庫県人も納得するだろう。