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はてなキーワード: 参考書籍とは

2020-10-15

モテから向上による非モテ脱却を図るため、参考書籍を購読した

女性自分に足りないと思っているところを褒められると喜ぶ 頭の良い女性に賢いね、綺麗な女性に綺麗だねと褒めても響きません

 頭の良い女性容姿を、綺麗な女性は知性を褒めてあげなさい」とあった なるほどこれは一理ある

早速、職場で試すことにしてみた

隣の部署に居る同期の女性社員と話す機会があったので、何を褒めるべきか考え、おっぱいが小ぶりな子だったので「そういえば〇〇さんはおっぱいの形が綺麗だよね」と褒めてあげた

「同期だから大目にみてあげるけどそれどう考えてもセクハラだよ、私以外にそういうこと言うのやめなさいね」と注意された

理論を学んでも実践するのは難しいなあと感じされられた一日だった

2020-06-04

ゲーム作りたい場合参考書籍って何が良いんだ?

企画レベルの段階。

クソゲーでもなんでもいいんだが「面白そう」なものを作りたい。

その「面白い」ってのが難しい。

2019-06-10

anond:20190610191508

なんでこういう手合いって絶対URLなり参考書籍なり貼らないんだろう

海外での事例だとか、統計データかいって、絶対に出典上げないヤツが多いんだよな

個人的には、都合のいいところだけ切り取ってて出典上げて内容を精査されたら困るからなんだろうと思っているけど

2018-12-13

当時16歳の私から見た『涼宮ハルヒの憂鬱

私は1990年まれ高校の時にリアルタイムハルヒニコニコ動画出会った男性です。あまりアニメ全般については詳しくありませんが、私の経験の限りにおいてハルヒについて語ってみます

ハルヒは当時の印象では「わけがからないが、とにかく新時代のすごいアニメ」という作品でした。一つ一つの要素を見ると取り立てて珍しいものではないのですが、それらをアレンジするセンスと細部のクオリティがずば抜けていたと思います

まず、日常系学園ラブコメと高度なSFとを融合させたアニメが珍しかたことは記憶しています。当時の私はスクールランブルあずまんが大王にハマっていましたし、エヴァンゲリオンカウボーイビバップも大好きでした。しかし、両者の世界観が融合するような日常系アニメがあり得るとは思ってもいませんでした。その後六畳間の侵略者ニャル子さんなど似たような作品が出てきましたが、少なくとも当時の私にとっては斬新な世界観でした。

もちろん作画も素晴らしかったです。これについて私はほとんど語れませんが、日常系萌え作品であれだけぬるぬると人物を動かしたことには驚きました。それまではロボット飛行機をどれだけなめらかに動かすのかについては意識してきました。しか美少女の手足や顔を実写のように丁寧に動かすことについては、ほとんど注目していませんでした。明らかにキャラクター日常身体動作を美しく作画する流れは、けいおんやその他の萌えアニメに繋がっていったでしょう。

また、ブログや2chなどでの考察が盛んになったのもこの頃でした。ハルヒは謎が多い設定や話数シャッフルなど、視聴者探究心を刺激するギミックが多数仕掛けられていました。当時のアニメブログ上では考察記事参考書籍の一覧があちこちで見られ、2chでは解釈を巡る論争が白熱していました。その後、シュタインズ・ゲートまどマギでも同じような光景が繰り広げられることになります

さらにはニコニコ動画Youtubeの「ハレ晴レユカイ踊ってみた動画社会現象になりました。この流行高校生や大学生の社交的な人々の多くが参加したこと意味は大きかったです。これによって電車男以来続いてきた、社会におけるオタク文化容認の流れが加速することになったと思います。深夜に放送している萌えアニメが、陰気なオタクが見るものから「(女性も含めた)普通の」中高生も楽しめるものに変わる転機でした。

2000年代京アニは、Key作品のような男主人公ハーレムかららき☆すたけいおんのような百合日常物へと変化していきました。それは2000年代から2010年代にかけてアニメの潮流がエロゲ的な物からラノベきらら的な物、オタク的な物からサブカル的な物、男性作家原作から女性作家原作へと変化する動きと重なっているように私には見えました。そういったアニメ界の地殻変動結節点存在していたのがハルヒであり、90年代文化終焉10年代に続く新たな文化の始まりの両者を象徴するアニメだったのではないかと今にして思うのです。もしかするとハルヒのこうした両義的な立ち位置フォロワーの少なさに影響しているのかもしれません。

ちなみに2010年前後の私は一連のアニメ業界流行の変化を「男性向けアニメ少女マンガ化」だと漠然と感じ、個人的にそのことを嬉しく思っていました。というのも私はエロゲ象徴されるようなハーレム作品が苦手で、少女漫画百合が大好きだったからです。けいおん以降の百合アニメ全盛のこの10年間は私にとってアニメ黄金期でした。今後、ハルヒやその前後アニメの潮流は、どのように分析批評されるのでしょうか?近い内にどなたかが『10年代想像力』を書かれる日を楽しみにしています

2016-11-27

戦法で迷う

石田流指してると勝率いいんだけどそれは戦法が優秀だから自分で勝ったといえるのか悩む。

四間飛車はなんか四間飛車が多いので研究されてそうで指したことはない。

カニカニ銀やってみたいんだけど参考書籍が見つからないんだよなぁ・・・

2015-12-08

耳を傾けられない人たちに耳を傾けてもらうために

http://www.huffingtonpost.jp/gretchen-kelly/thing-all-women-do-that-you-dont-know_b_8735974.html

読んだ。

感想はいつもと同じ。

「耳を傾けない人のためのことばがどこにもなかった」だ。

結局のところ最初から耳を傾ける素地のある人たちのためだけの言葉

まぁそれはいい。それはもう諦めた。

問題ブコメの方だ。お前らはこんなのをいつまで繰り返す気だろうか。

耳を傾けない人の全部が全部ミソジニーなわけがない。

そんなのはまりに単純すぎるし、人間多様性をそんな風に還元できるなら、もう少し人生シンプルなはずだ。

誰かに発信しなければならない人というのは、信念を抱えた人か、過去の傷を癒せない人か、いままさに被害者としてある人間だ。

そのどれにしたって、その言葉には多くの強い主体が良くも悪くもあふれ出てきてしまうし、そういうものを歪んだり、言葉足らずだったり、狭窄しないかたちで出力出来る人は少ない。

それは個人の能力として仕方のないことだ。

でも、みんな自分のことを考えるのに手いっぱいな社会で、それらの言葉の癖をいちいち解きほぐして、本質だけに寄り添える人なんて、まずいない。

それこそ、精神時間に余裕があるとか、それ自体を飯の種にしてるとか、あるいは個人的信条を持っているとかじゃないと、無理だろう。

ましてや、男性役割を請け負うことに不満を持っている層にとってみれば、その性を理由糾弾され、「耳を傾けろ」なんてリソースを迫られたら、怒りと反感を感じるのは無理のない話だと思う。

個人の能力視野には限度があるのだから

なのに発信側のひとびとがその怒りと反感さえも否定しようとすれば、もう絶対に泥沼だ。

本当は誰しもが、基本原理として、伝え方を工夫する必要がある。

尖りすぎた意見の先端を丸めて、相対化と並列化を用いて、win-winを探って。

余裕のある人だけではなく、余裕のない人が、自らの問題と地続きで考えられるように。

例えば、性的消費のグロテスクさが男性固有のものだと言われることに不快感があるひとは少なくない。

仮に性的優位が逆転した社会が来て、そこで女性男性性的に消費して、同様な問題が立ち上がるだろうと、その人は思うかもしれない。

それが嘘か本当か極論かはおいたとしても、その仮定を考慮して、言い訳することはできるはずだ。

「仮に、女性グロテスク他者性的に消費したり、男性グロテスク性的消費されようとするケースも、私はどうにかしたい」と。

社会はたくさんの言い訳で成りたっている。言い訳をたくさん重ねることで、誰しもの願いを僅かずつ叶えようとする。

その尻馬に乗っからない理由はない。

でも、さっきも言った通り、発信者が歪みをみずから相対化して、万人に届くアプローチを心がけなければならないというのも、難しい。

能力視野限界のある個人に、それを義務づけるのも、また不合理なことだ。

じゃあ誰がそれを考えなければならないか。

消去法だけど、それは発信者に寄り添おうと思った人間しかいない。

「余裕があるか、飯の種にするか、個人的信条のある人」たちに。

まりは「私たち」だ。

外側の人として発信者の声を受け止めるだけではなく、内側の人として発信者の声を擁護だけでもなく。

立ち止まって、咀嚼して、双方の立場を考えて、辺りをしっかり見渡して。

外側に向かう声そのものフィルターを通して、きちんと届く言葉に置き換える、優れた翻訳者としての役割を、私たちが担えばいいのだ。

一番の誠実さを払えるのも、払う必要があるのも、「余裕があるか、飯の種にするか、信条を持った」私たちなのだから

積極的ブログ増田解説を試みてみる。

wikiを立ち上げてよくある質問参考書籍をまとめてみる。

ブコメのより建設的でより攻撃的で無い意見に☆してみる。

良さそうな意見ブクマして、ことあるごとにそのURLを持ち出す。

伝え方の工夫を、発信者だけに任せない人の数だけ、耳を傾ける人は増える。

集合知というのはインプットだけの話ではない。

もう何十年も、耳を傾けられない人たちに対して、私たちはあまりに鈍感で、傲慢で、怠慢だった。

だけどもう、こんな繰り返しは、そろそろやめなきゃいけないはずだ。

2014-03-14

ADHDから」とか言い訳にする奴wwww製薬会社に作られ病気だし、ただ

スペック

31歳  

先週、2ヶ月勤めた求人広告コピーライター(契約社員)、契約更新に至らず、現在無職。┗(^o^ )┓

ADHDはただの努力不足論」と「脳の特性からうまく付き合っていくんやで理論」のはざまで揺れ動いている。

【経歴】

バイト派遣契約社員を転々として今に至る。

今までの職場では、「まわりが当たり前にできることができない。」ことばかりだった。

今までの仕事ミス

・「ひとつ仕事に集中しすぎて、他の仕事の締め切りに遅れる」

・「人が40分でできる仕事を一ヶ月半たっても90分かかっている」

・「人から自分仕事について聞かれるも、把握してないのでその場で即答できない、ニュアンスを違えて把握している」

など。

自分でもあやしいと思い、ADHDを疑い始め関連の本、2chのまとめ、はてなでの投稿などを読みあさる。

病院での診断は受けていないが、ADHD自己テストではナイス高得点を叩き出してた。

ジョブカフェで適性診断を受けると

営業・事務職系→E適性

クリエイター系→A適性

との診断。

アイデア系の仕事を目指してみた】

自分自身アイデアを考えたり、人を笑わせる事は昔から好きで、

から評価されることといえばユーモアセンスと企画作りくらいしかマジで覚えがない。

学生時代ビジネス立案コンペに応募するとすんなり入賞した。)

それまでに機械問屋居酒屋タクシーコールセンターパチ屋店員と職を転々としてきたが

仕事内容は毎回ダメダメで周りからは呆れられていた。

そこで「好きを仕事にしてみよかー」と思い、某有名講座を受講、

以前から興味があったことと自分の適性が活かせそうなコピーライター仕事を探し始めた。

クリエイティブ系の仕事は専門の学校出た人だけがなる」と思い込んでいたので

そういった業界での就活は初めてである

講座の課題を集めたものや、コンペに応募した作品をまとめ製作会社に片っ端から応募する。

そして講座受講から17ヶ月目、

念願かなって今年の1月契約社員で、求人広告製作会社コピーライター職になる。

コピーライター仕事につくも、2ヶ月で契約更改ならず】

「やっとアイデアを活かせる仕事や!ADHD気味のワイのちからを発揮できるんや!」

と意気揚々入社する。

しかし先週、2ヶ月目で契約更新に至らず、今は無職┗(^o^ )┛

理由は2点。

①「製作スピードが圧倒的に遅い」

→、自身給料分の制作ができない

②「言われたこと、やろうとしてたことをすぐ忘れてしまう。途中で何かがあると、やろうとしてたことを忘れる。」

→優先準備を組み立てられない。差し込みで入った緊急度の高い案件に集中しすぎて他の仕事の締め切りを覚えていない。

→でかいミスに繋がる

ほかにも、「人の話が本当に聞こえない、言ってることがわからない」「すぐ焦る、パニックになる」など。

付箋を色分けしてタイムスケジュールをとる、メモしながら話を聞く、など工夫したが

抱える案件が多くなるにつれて焦り、パニックになっていった。

振り返ってみて自分努力不足や仕事の取り組み方が悪かったように思える。

求人広告作りはアイデア云々よりも製作スピードが重視される業界

アイデア勝負たかったんだから首は気にしない、とは考えられない。

どんな仕事でもつきまとう、

「締め切りを守ること」等の必要不可欠なことができなかったことに

「他の仕事でもやっていけるのか」と将来にビビる。┗(^o^ )┛

【思うこと】

同級生友達は第二子が生まれたり、都内新築高層マンションの一室を買ったりしている。

自分年収240万程度の非正規雇用

そして、私は無職おっさん┏( ^o^)┛

ADHDからと」どこかで諦め、成長しない自分不安感と諦めを感じている。

ADHDの人は仕事ができない自分絶望を感じて鬱になりやすい傾向があるらしい。

アドラー勇気づけや事実を受け入れる心がけでなんとか前向きにやっているが。

┏(^o^ )┓

一方、ADHD気質でも、自分特性理解し、うまく社会適応しているひともいる、はず。

NLPとか引き寄せの法則を使って、自己暗示や失敗を繰り返すパターンからの脱却を

身に付ける必要がある。

マジで社会でやっていくにはもっと工夫しなければ…。

同じADHDの人の稼ぎ方として個人でアフィリエイト等で稼いでる人のまとめをよくみる。

自分のペースで働ける生き方をしたほうがいいのか。

また、自分にできるのかと考えてしまう。

【これからの身の振り方】

もう一回企画系の仕事チャレンジしてみる。

バイトで食いつなぎながら、企画系のコンペに応募したり、Web勉強、今持っているWEBサービスアイデアを個人で作ってみる。

個人でやっていくか、作品集を作って就職するか両方の可能性を探りつづける。

最悪「もう無理ポ」となったら、、、そん時考えよう┗(^o^)┓┏(^o^)┛┗(^o^)┛┏(^o^)┓

ADHD

参考書籍

それって、大人のADHDかもしれません (アスコムBOOKS) 星野仁彦

図解 よくわかる大人のADHD 榊原 洋一、 高山 恵子

大人のADHD認知行動療法<本人のためのワークブック> S・A・サフレン、 坂野雄二 (2011/12/1)

めざせ!ポジティブADHD あーさ山下 裕史朗/水間 宗幸

ササッとわかる最新「ADHD対処法 (図解 大安シリーズ) 榊原 洋一

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) 星野仁彦 (2010/1/30)

おっちょこちょいにつけるクスリADHDなど発達障害のある子の本当の支援

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方 ジョン J. レイティ、

さあ、どうやってお金を稼ごう?―LDADHDの人のための将来設計ガイド 就職活動

  1. キリンコの翻訳系5−6冊

10冊位

webで参考になったもの

KAMONのたとえ話シリーズ 発達障碍編 ~ADHDって、脳みそのどこが動かないの? 車に例えて考える。

http://togetter.com/li/504789

セルフヘルプ

アドラー心理学書籍

NLP

苫米地英人の本

引き寄せの法則

2013-06-10

他人を叱るスキル

他人を叱ることが業務上必要という時があるわけだけども、当然できる人とできない人がいる。

これはスキルと言うより、キャラなんだなーと思うようになってから自分にはできるようになる気が全くしない。

正確にはやればできる、というか昔は躊躇わずにやってた。ところが丁寧に論理立てて叱っても、何故か確実に相手に怖がられて嫌われた。もしくは凹まれて辞められた。強く言ったらそうなるし、弱く言ったら伝わらない。そんな失敗体験から自分は叱るのに向いてないのではと思い、他人を叱ることができなくなった。

ところが不思議と同じように叱っても嫌われないキャラというのが存在するのを見る。理由を分析してみたが、容姿性別、声、性格などの多分に先天的な要素が大きいようで、俺には真似るのは難しいと思った。具体的に言うと美人女性が多い。

叱ることが経験で上達させられるスキルだったとしても、現在自分は失敗が許されない立場におり実地で試し続けることができない。

叱れるキャラになる方法ってもの存在するのだろうか。参考書籍などを探してみたい。

2013-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20130322031333

参考になった。

確かに、参考書籍を読んで写経という流れよりも、参考書に書いてある問題を自分なりに考えて、間違いを修正するという、トライ&エラーの方が学習効果が高いという実感はあった。

その実感と照らし合わせると、なるほどと思う内容が多かった。

デバックについては、なし崩し的に身に着けているところが多いと感じたので、人に聞いたり調べたりしてみたい。

続きがあるようなので期待してます

http://anond.hatelabo.jp/20130322031333

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2012-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20120321142049

Fラン大学論文も見ていましたが・・・

論文は 『頑張って勉強したこと』を書くものじゃないので『頑張って勉強したこと』が書かれていたら削除しろというのは当然のことだと。

それは、参考書籍のドコドコを参照 もしくは 参考文献一覧に書くだけ でよいかと。

論文に書くのは 『未発見の新しい事実』や 『既存事実に対する追実験考察)の結果』などだ。

 

※ただし、『未発見の新しい事実』は必ずしも成功である必要はない。XXという方法では成功しない。もしくはXXという方法考察実験理論 等々)には価値はなかった。も未発見事実である

※Fランのたかだか学部生でも、僕はこんな事を『頑張りました』って書いてきたら全削除だと思われます。それはBlogにでも書いて下さい。

2009-10-05

id:y_arimこと有村と申します

http://anond.hatelabo.jp/20091004223806

増田有村有村有村と叫ぶんだ そしたらはてな最強リア充有村(喪服ちゃんとカップル)が話を聞いてくれるよ! 」「はてなアイドル有村さんに相談しようそうしよう」などというトラックバックを見かけたので。まあ、同じようなことを考える三十男のお節介と思っていただければ。

といっても「きついこと書くからね」(http://anond.hatelabo.jp/20091004184935)というトラックバック記事に付け加えることはあまりないのですが、とりあえず参考書籍を紹介しておきます。

毒になる親 ――一生苦しむ子供

スーザン・フォワード著 講談社プラスアルファ文庫

上記記事で「あなたのお父さんがやっていることは「虐待」という名前が付いている」に始まり、家庭環境(この本では『機能不全家族』という専門用語で書かれています)について書かれている段落がありましたが、その内容を本1冊かけて詳述しています。ご自分がどういう境遇にあるかの把握に役立つことと思います。

共依存かもしれない ・・・他人やモノで自分を満たそうとする人たち

ケイ・マリー・ポーターフィールド著 大月書店

最近読んだ本です。「10代のセルフケア」というシリーズ名のとおり、本来はあなたの年代に向けて書かれています。

長くなりますが、以下のような共依存の人の行動や気持ちの特徴」チェックリスが冒頭にあるので引用します。

  • 人からよく思われたり、好かれたいので、いつも一生懸命何かをしている(しようと思っている)。
  • しばしば、自分は人より劣っていると感じる。
  • なにかうまくいかないと、たいてい自分のせいだと思う。
  • 失敗をしたら、人からきらわれるのではないかと心配だ。
  • 自分は何ひとつまともにできないと思う。
  • どうしたら人が幸せになるかわかるけど、自分幸せになるために、なにが必要かはわからない。
  • 自分がどう感じているか気づく前に、友達や家族から自分の思っていることを言い当てられることがある。
  • 本当に思っていることを口に出すのは、たいていの場合危険だと思う。
  • 異なる意見を言ったら、相手は自分を好きにならないと思う。
  • いざこざを起こしたくないので、本当に思っていることを口に出さないようにしている。
  • 人生を生き抜く最善の方法は、何があってもにこやかな笑みを絶やさないことだ。
  • 誰かが怒ったり、議論をはじめたりするといごこちが悪い。
  • 自分の願いを聞いてくれると、その人は何か見返りを求めているのだと思う。
  • 何かをしてもらうより、してあげるほうが気分がいい。
  • 誰かにほめられても、その言葉をうのみにはできない。
  • 人から何かしてもらう必要はないと思っている。
  • 誰かと親しくなることは、自分にはとても大変なことだ。
  • デートをしたり、友だちと仲良くしていると、ふとだまされているような気分になる。
  • 他の人を幸せにするために、自分がしたくもないことをしていると、しばしば思う。
  • もう好きではない人とでも、以前のままの関係にとどまっている。
  • 今までの人間関係は、ほとんど自分が傷ついて終わった。
  • 他の人の問題を解決することは、自分責任だと感じる。
  • 友だちや家族自分をあてにしていると思う。
  • 風邪うつるように、人の気持ちがうつってしまうことがある。
  • もっともこわいことのひとつは、人から拒絶されることだ。
  • ほとんどの友だちが、自分の助けを必要としていると思う。
  • 一人でいるのは大きらいだ。
  • 自分人生が他人の気持ちや望み、要求に支配されているように思う。
  • 自分のしてほしいことを人にしてもらうには、その人をうまく操るか買収するしかないと思う。
  • 自分人生をよくするには、友だちや家族をとりかえるしかないと思う。
  • 気楽に楽しむことはとてもむずかしい。
  • リラックスすることがなかなかできない。
  • やるべきことをやるための時間が十分ない。
  • 自分は誰よりも悩んでいると思う。

引っかかる点が多ければ、この本は読む価値があります。やはり、「自分自分未来を選ぶ」ことについて書かれています。

もうひとつ、終わりのほうに書かれた共依存から回復した人の権利」引用。つまり、以下の権利を自覚できないでいるのが共依存状態であり、それを回復するのはあなた自身なのです。

  1. あなたには、ありのまま自分でいて、自己肯定感を持つ権利があります。
  2. あなたには、自分自身の考えを持ち、自分自身の価値観を築く権利があります。
  3. あなたには、人や自分を傷つけるつもりでなければ、その価値観に基づいた選択をする権利があります。
  4. あなたには、自分の気持ちを持って、それを表現する権利があります。
  5. あなたには、自分の要求を認め、それが満たされるように人に求める権利があります(相手にも断る権利があることを知っておきましょう)。
  6. あなたには、人間として尊重される権利、話を聞いてもらえる権利、愛される権利があります。
  7. あなたには、精神的、感情的、身体的、霊的な境界を設定する権利があります。
  8. あなたには、失敗をする権利があります。
  9. あなたには、質問をして学ぶ権利があります。
  10. あなたには、変化し、成長する権利があります。

2009-01-18

毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)

■「毒親といふもの、 (と自己責任論)」

http://anond.hatelabo.jp/20090117102440

を書いた増田です。

◆導入・指針・要約

「常に親の都合やニーズ子供のそれより優先する自己中心的人間で、愛情というものが決定的に欠けている」 = 毒親。

  我が家の場合、母はアグレッシブな毒親、父は育児不参加。 

そんな家庭で、軽度の近親相姦をされたりしながらサバイブしてきました。(軽く触れますが、詳しくは↑で)

高校では、毒親による毒親のための毒家族宗教からの脱却を図り、健全人格を作り直しました。

  ・・・・でも、まだ序章です。

「あなたは生きる価値がないのよ」というメタメッセージたっぷり吸って育てられたので、僕の潜在意識は「僕は生きる価値がないんだ・・・」と死にたがっている感じ。

大きく差し支えます。まともな人間関係を維持するのにも、何らかの労働をするのにも。学業にも。

毒親による精神的な影響を断ち切らないといけない。

   そしていつかは「今日はカッコウと毒親がにぎやかだなあ、いとおかしや・・・」程度にまで、心を防衛する術を身に着ける必要がある。

毒親と対決して「勝つ」。毒親を扱った本「毒になる親」「不幸にする親」には、そうすることが かつて蹂躙された人格の復権に大いに貢献するといっていました。

(注意:ご自身が毒親と対決される場合、長期的で綿密な計画を立てる必要があります。思いつきで勝てる相手ではないので、専門家か、関連する書籍で味方を作ってからにしてください。)

・・・最初の一手を打って見ました。


◆最初の一手

「親の『言語運営能力』ひいては『思考力』の低さが、(もしかすると無自覚に)支離滅裂な行動に走らせていて、育児に際してとても有害であった。今現在もそうである。」

ということを冷静に母親に言ってみました。 参考書籍や、↑のエントリーでいただいたコメントにとても勇気付けられて助かりました。 ホントにありがとうございます。

◆毒親の背景

前のエントリーでは書いていなかったこと。

虐待されて育った母、父ともに元チャイニーズorz(ちなみに俺の国籍日本中国語カタコト。あたまン中は完全に日本人。)

・母父ともに北京に住んでた。過激な政治抗争の焦点となって、家に暴徒や政府の人が襲ってきたり、

・母の家、書を政府の令で燃やされたらしい。

・母、家での親による虐待政治的な居心地の悪さから身一つで脱中・来日。25歳くらいのことかな・・・?

・両者とも、それから日本語を覚えた。

ジリ貧だった。

・・・今考えてみると盛り込むべきだったかも・・・すみません。

・・・同情はしてます。

というか、経済的な支援をしてもらってる段階で僕は親に感謝すべきなのでしょう。  その件に関しては・・・。

でも、これ以上性的虐待をされるのも、うつになるのも、死にたくなるのも、2年で35キロやせるのも、願い下げ。

◆母はいつも言うこと為すことが支離滅裂だったのに、自覚症状がない。

毒親に関する本をいろいろ読んでみました。

↑のエントリートラバで紹介してもらった交流分析の本も読んでみた。id:masuda_oyuriokokさんありがとう

いくつかある典型的な毒親の特徴のひとつとして、

・「支離滅裂な言動で子供を混乱させる」

・「そして情動的な追い討ちをかけて服従させる」

・「感情的で、24時間末期のかまって君状態」

・「本人にはその自覚がまったくない」

というのがあげられていました。

我が家もこれが当てはまるような・・・

20代後半で日本語を取得した両親は、日本語が怪しい。 ものすごく怪しい。

コンプレックスなんでしょう。逆鱗みたいな感じです。

送ってくるメールのすべてが、日本語崩壊してる。日常会話も怪しい。

せめてネタで「・・・でアルね」とかいってくれれば笑えるものの・・・

むしろ、アグレッシブな毒親はコンプレックスの塊です・・・

さて、そんな本人は今では日本語で思考してるらしい。

言語は思考・思索の礎だ」というのなら、そんなに危険なことはない。

思考の車輪が、幼稚園児が書いた車の車輪みたいなものでは・・・考えが支離滅裂になりやすくなる可能性がある。

・・・恐ろしいことに本人は(コンプレックスも手伝って)それを認めることはありえない。


◆よろしい、ならばセンター試験だ。

母親言語運用能力論理思考能力を点数化してみる。

その毒性に対する免疫をつくり、毒親を毒親として扱う情報収集の一環として、母親論理思考力を点数化してみます。

・・・というか、それを受け入れるのかを見てみる。 拒否されたら、「拒否した」という事実が残る。

センター現代文は、「論理思考能力」を図るにはとても便利。昨日、国語を受けてきたしね。さっき、現代文センター過去問母親に渡しました。

実際にやれば母親論理思考力を測れる。 現代文の100点中、50点でも出れば諸手をあげて喜ぼう。

・・・俺は理系だけど、国語得意科目。 センターなら満点狙う。

・・・化学に関しては触れんでやってください。

本人はものすごい勢いで拒絶していました。 さすがアグレッシブお母さん。

これが、僕の、初めての反逆。

これでいいのかあまり自信はありませんが・・・・

そしてもうすぐ、毒親から離れての一人暮らしが始まります。 寮で一緒だった友達が近くにいるので心強い。

なんとか「離れて暮らす」ところまでこぎつけることができました。

点数が出たり、大きな進展があったら、また。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

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