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はてなキーワード: 全身麻酔とは

2020-09-14

エロマンガ大好きおじさん、睾丸の手術から逃げ出す

9月12日(土)、俺は、全身麻酔下で行われる精索静脈瘤(グレード3)の手術を断ることにした。

精索静脈瘤のことは、男性不妊受診した人なら良く知っていると思う。

精巣の周りの血の流れが滞ることで、玉袋の排熱がうまく機能しなくなり、

精子運動力が弱ってしまうというものだ。ご存じの通り精子は熱に弱い。

精巣のエコーと触診の後、俺はこう告知された。

左:3.6mm。右:拡張が見られる。自覚症状は全くなかった。

完治を望める治療法は外科手術しかない。保険適用自己負担は4万円。

命に係わるリスクなんて全くない、腹腔鏡による低侵襲な手術で、

盲腸切るよりもはるかにイージーだ。ひと眠りする間に治っている。

それで、俺の精子が元気になるなら、しない選択肢は無いと、理性ではそう感じている。

  †

5chとTwitter全身麻酔体験談を読んでいて、本当に気が滅入ってしまった。

過呼吸パニック気味になり、みっともなく妻の前で何度も泣いた。

 「あっという間に落ちる」

 「10数えようとして最後まで数え切らずに落ちた」

 「一瞬で落ちて、次の瞬間ベッドの上に居る」

これを、苦痛の全くない素晴らしい治療と捉えるか、それとも……

俺は、これはとても怖いと感じた。

から無意識というのがどうにも苦手だ。

 手術を受けている間の、無意識下の自分はどこに行ってしまったのか?

 目覚めた後の自分は、本当に、目覚める前の自分と同一なのだろうか?

 突然プツンと意識が途切れるのは一時的遮断ではなく、死そのものでないか

 今ここにいる自分は死に、同じ意識バックアップした他人が目を覚ましているのでは?

考え出すと、脳味噌ショートしそうになる。

 カリフォルニア火事で喪われた木々の本数だとか、

 人間の贅沢の為に毎日費やされる莫大な原油消費量だとか、

 宇宙が出来る前の何も無い世界だとか、

そういった、途方もないもの想像した時と同種の、金玉が縮こまる感覚が、ある

(これは静脈瘤によるものではない)。

手術に対する恐怖心は、弟が大病をしたこともあり、子供の頃から人一倍あって、

手術になったらどうしようと夜一人でベッドで震えて眠れないこともあった。

幸いにして、大怪我一つもせずにこの歳まで生きてきた。

から、この問いに対する結論先延ばしにしていればよかった。

その先送りのツケを、今払わされている。

いまどき、ガン告知だって、もう少しあっけらかんとしているだろう。

いい歳して、そのくらい動揺してしまった。精神的に堪えられそうになかった。

精液検査の結果は悪いものではなかった。運動率は少々低かったが。

自然妊娠不可能なほどの数値ではなかった。

医者も今すぐ手術しろとは、勧めなかった。

放置したところで、ガン化したり、命に別状のある病気でもない。

男性不妊以外では、積極的治療されることは稀という事実存在する。

から、今すぐに手術を受ける必要はない。

言い訳だけはどんどん出てくる。

結局、手術は受けないことに決めた。

  †

手術が怖いと訴える若者存在自体は珍しくもないかもしれない。

俺の場合、まず第一にくるのは無意識への惧れだ。

幼い時から、気を失う、失神することへの恐怖が半端無く強い。

30年余りにわたり肥大し続けた認知の歪みは、ちょっとやそっとで打ち砕けるものじゃない。

そうはいうが、お前は毎日キッチリ5時間寝てるじゃないかといわれるかも知れない。

正直に答えよう。俺は、睡眠を取ることさえ、怖くなってしまうことが、よくある。

実際俺は、イヤホンでASMR音声を聞き続けていないと、不安のために寝落ちすることができない。

から入ってくる音声を頼りに、眠りにつく前の自分と、目覚めた後の自分自意識

ひとつながりになっていることを、毎日自分に言い聞かせ、それで漸く、おっかなびっくり

落ちていくことができるようになったのだ。全身麻酔ではそれができない。

手術室でもASMRを流してくれたら、それも可能かもしれない。

先日は、それすら堪えられなくなった。中間過程――睡眠によって4時間も5時間も、

途絶えてしまった自分意識の屍――を想像してしまい、そのことがとてつもなく、恐ろしく

感じられたのだ。それは、死の時間のものだ。横たわるベッドはさながら棺だ。

自分という存在消滅してしまう恐怖を抱えて、どうして、赤子のように、

無邪気な安心を枕に、眠ることができるだろうか?

最近は、睡眠中1時間おきにアラームを鳴らすことで、これに対処するようにしている。

1時間睡眠ならまだ「こちら」へ戻って来られるという感覚的なものが、自分の中にはある。

3秒ルール」みたいなものだと思ってくれれば、それでいい。

ウトウトたかと思ったタイミングで、アラームが鳴る。現在の時刻をチェックする。

よし1時間は眠れた、次の1時間行くぞ、そしてまた入眠する。

これを繰り返すことで、無意識回避しつつ、朝までの時間をやり過ごす。

論理ではないのだ。

結局自分が納得できるかどうかが、恐怖を乗り越えるのに一番大事だと思わされる。

俺は、無意識下の自分まで、わが制御下に置いておきたいのだ。

全身麻酔ではそれができない。

手術室でも1時間おきに覚醒させてもらえれば、それも可能かもしれない。

(思考実験をしてみたが、30分で完了する手術なら、躊躇なく受けていたと思う)

昏睡への恐怖を訴える患者に対して、麻酔科Webページではこう説明されている。

 今まで麻酔から目覚めなかった患者存在しない。必ず覚醒している。だから大丈夫だ。

真っ当な説明だ、こちとら原理まで散々調べたからそれは承知している。

そう、それでも、絶対安全な「作り物の死」であっても堪えられないのだ。

思い出したが、俺はジェットコースターも楽しめない人間だが、それと同根な気もする。

ビビリの俺は、カリブの海賊からモールステップで難易度を上げていかなければならない。

幸いにして精索静脈瘤には、自費負担にはなるが、日帰り局所麻酔による治療

存在する(ナガオメソッドは良さげだがとても高額で、貯金を溜めておかないと払えそうにないが)。

どうしても自然受精が困難であればこちらも選択肢に入れることにしよう。

こうして俺は、種無し騒動回避した。

  †

一方、全身麻酔の予期不安は、一生付き纏い続ける。

一生のうち一度も手術を受けない幸運人間は稀だろう。

これから20年30年生きていれば、体中にガタがどんどん見つかるはずだ。

大病の経験こそないものの、健康には全く自信は無い。

癌やポリープが、あちこちに出来るだろう。

ドッグを受ければ、脳動脈瘤が必ず1個や2個は見つかるだろう。

祖母心臓が弱かった。心臓カテーテルを挿入しないといけないかもしれない。

そのたびに、泣きわめいて何とか全身麻酔回避する方法を探し求めるのか。

きっと俺みたいな臆病者がガン告知で取り乱し、代替療法にハマった挙句

治るはずのステージをみすみす悪化させて、全身転移の末苦しんで死んだりするのだろう。

いや、それよりも何よりも、人生終焉に待ち構えている大関門――死――、

これに対する対処法をいまだに俺は見いだせてはいない。

死こそ、人知の及ばぬ、理性の制御できない最たる存在ではないか

死ぬのは怖い――――そう、死ぬことも誰よりも怖いのだ。

妻や、まだ見ぬ子と、どれだけ輝かしい日々を送ったとしても、それはいつか終わるのだ。

偽りの喜びでしかないのだ。

俺と、その家族暮らしていた記憶は、いつの日かこの世界から消え去ってしまうのだ。

それに何の意味がある?


そうして、俺は今日も泣きながら仕事をしている。

運よく在宅勤務で顔を見られることもない。

まさに今この時も、数秒後に脳卒中で誰にも気づかれず突然死してしまう妄念が頭から離れない。

大人になれば、こんなくだらない恐怖は薄れていくものと信じていた。それがどうか。成人して以降不安は強まるばかりだ。

 膵臓癌じゃないか

 心筋梗塞じゃないか

 脳腫瘍じゃないか

まだ若いから、と一笑に付してきた最悪の可能性が、日に日に、無視できないほど大きくなっていく。

幼少期から不安感が全く緩和されていないことに、絶望しか感じない。

死の数か月、数日、数時間前、俺は更に激しく動揺し、どれだけの絶望で染められているのだろうか。

どうしてこんなにみっともない人間になってしまったのだろう。

どうして自分のことしか考えられない人間になってしまったのだろう。

誰よりも出産希望していた妻に対して、本当に申し訳が立たない。

それとも、こんなにも死に怯え、生まれてこなければとさえ思っている男が、新たな命の親になろうだなんて、烏滸がましいということなのだろうか?

2020-09-09

anond:20200909041640

前者は同じ病院耳鼻咽喉科受診中。

初回で全身麻酔時に挿管した管による過敏症の一種といわれ処方薬を使用中。

後者は患部の異変発生時に問い合わせたら再診待てといわれ、再診時にも問題ないと言われるが膿んでる様子は悪化して今に至る。

多少膿んでる様子でも傷が乾いていけば問題なくきれいに治ると言われたが、実際良くなっていないので受診の予定。

医療従事からしたら大したことないと軽視されるような状況なのかもしれないし、実際軽傷なのかもしれないが、

説明されるほど良い状態とも思えないわけで、備忘録兼ねてここにメモしている。

心遣いはありがたいです。

ただそういった文言も確かに退院時のレジュメ記載があり、確認した上で問い合わせた結果、放置しろ、よくあることだみたいなことが重なるとつらい気持ちも重なるわけで。

ずっと伝えてるけどおかしいと感じた時にどうしたらいいんだみたいな部分のケアに不信を感じている次第です。

追記:あたりがきつい文になってごめん。

シンプルにしんどいんじゃが????って伝えても今日の当番医はきっと語気を荒げたりするタイプなのでそのあたりもしんどいー!うおー!別の人にしてくれー!ておもってる。しんどい

2020-08-30

流産記録

8日

出来たかも?

喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい

検査薬 陽性

んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかいかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜

出産育児自体には前向き

でもほんおいまら

と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない


22日

初診

の子出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ

胎嚢確認、中身は確認出来ず

ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度

来週また診てみましょうとのこと

帰宅後「胎芽 確認出来ない」でググりまくる

つわり?なのか午後から気持ち悪しんどくなる日々

夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……

体がしんどい思考ネガティブになったり普段は何てことな子どもの声にいちいちイライラしてしま

つらい

翌月8?9?日

胎芽やっぱり確認出来ず

そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)

なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子ども相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。

まぁまだ確定ではないんだけど

今回はだめだったかなー、という気持ちで過ごす

子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情

誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体問題がっていうより精子とか卵子かに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さな旦那しょんぼりしてたのはちょっと切なくなった

その後すぐ旦那通常運転(喜楽)に戻ったけども

改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた

女性特有の疾病が〜みたいな保険に加入してたことを思い出す

もし処置ってことになっても保険下りそうで不幸中の幸い

診察だけでも数千円かかるから……

なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………




8日

9:00

昨夜22時〜絶飲食

お腹すいた

最後の内診で胎芽が見えないことを確認(胎嚢は3センチ

「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち

出産した時とは全然違う、狭くて殺風景な部屋。

処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望

終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす

10:00

点滴&筋肉注射

点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。

なので痛いと噂の筋肉注射はあまり痛みを感じず。

その後処置室へ

10:25

処置室へ

寒い

処置室に時計があったのでぼんやり見てた

処置どうこうより「全身麻酔意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた

10:40

処置開始

全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は

「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」

知らぬ間に数十分過ぎてた

運ばれてるんだろうなー

「捕まっててくださいね

ベッドに移動したんだろうなー

などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)

薬を嗅がされて…みたいなドラマアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる

気付いたら個室ベッドの上だった

血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)

そしてまた眠る

11:15

初めて目を開けながら喋れたのがこの時

「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」

たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた

たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず

とにかくいろんな夢を見てた

12:47

起きる

13時過ぎ

軽食

パンケーキフルーツ!!美味しそう!!!

フルーツほんとにありがたかった。水分万歳

しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー

痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む

食後診察

出血を抑えるために挿入していたガーゼを取る

本日処置終了

帰宅

お腹すいた

保険会社に電話

休日を挟むので数日後速達発送する、とのこと

こちらで用意するもの診断書保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…

帰宅後の様子

1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)

ごはん旦那オムライスをいつもどおり食べられた

でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝

翌日

再診

出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可下り

昼は外食で済ますが、食後駐車場までの道のりで倒れそうになる

貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー

翌々日

寝て過ごす

昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む

術後は大人しく身体を労ろう…と再確認

翌々々日

あれー身体かるーーい!と思って朝から家事バタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ

しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった

しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…

以降、まだ家事を頑張ると息切れはするものの、術後すぐの「どうやって生きていこう…」みたいな動けない絶望感はない。

2020-08-03

小陰唇縮小手術を受けた

小陰唇縮小手術を受けて、ほぼ全工程終わったのでレポートする。

【手術を受けた理由

ずっと小陰唇の大きさが気になっていて、下着ストッキングで締め付けられると痛かった。

自転車も乗りにくい。

擦れて痒みもあった。

トイレで小が飛び散るのが最悪。

初めてボーナスが全額支給されて、一括で受けられる程度の額だったことが最終的な決断理由

あと在宅勤務中にやったほうが楽そうだと思った。

病院選び、費用

ずっと病院は色々探していたが、同様の手術の口コミ等が良い、女性医師のところにした。

CMとかやってる大手は避けた。

カウンセリング

評判通り、頭の良さそうな話し方の女性医師カウンセリングを受けた。

サバサバしているが、話はわかりやすく、疑問や不安にも親身に答えてくれた。

とても気に入ったし、さっさとやってしまたかったので、3日後に手術を決めた。

早いし一括で払うしで、受付のお姉さんにガチ目に心配された。

費用

副皮の切除、麻酔、薬など込みで40万円くらい。

少し相場より高いが、手術中に静脈麻酔で眠らせて欲しかったので良し。

若干安くなるので、経過の写真学会資料等に使われるモニタープランにした。

もちろん顔や名前は出ない。

【手術当日】

手術は昼なので朝から飲食普通に空腹だった。

かなり緊張しながら病院へ向かった。

歩きやすい靴で、しめつけない服装ノーメイクでということだったので、

コンビニに行くみたいな服で行った。

術前に何故かとても待たされた。

着替えて、荷物ロッカー的なところに預け、自分で手術台に乗った。

BGMは何がいいか聞かれたが、特に思いつかなくて困った。

足を固定して消毒等をしてもらい、テレビでよく見る心拍数が出るモニターがついた。

緊張で心拍数が早くて恥ずかしかった。

静脈麻酔を打たれ、すぐにフワフワし始めた。

エヴァエントリープラグみたいな幻覚を見てから記憶がない。

次に目が覚めたのは、切ったところを縫っている最中だった。

局所麻酔が効いているので感覚は全くない。

尻が蒸れて気持ち悪く、ぼんやりしていて動いてしまったので、尻の下のシートを取ってもらった。

縫っているのが頭上のライト金属部分に反射して少し見えたので、動物のお医者さんを思い出した。

ぼんやりしていると、縫い終わったので切ったものを見るか?と聞かれ見せてもらった。

まあ肉だなあという感じだった。

その後は休憩室に自力で移動し、トイレも行き、出血が止まったので痛み止めを飲んで帰された。

だいたい来院から4時間だった。

【術後0日目】

帰りの電車の中で段々創部が痛くなってきた。

しかし何を思ったかパン屋パンを買って帰った。

かなり痛くて動けず、寝そべるか正座(創部が当たらなくて良い)で過ごした。

止血用のナプキンガーゼの圧迫が少し怖かった。

夕飯を何とか食べ、痛み止めを飲める時間になったので飲んだ。

トイレに恐々行ったら死ぬほど痛くてちょっと泣いた。

風呂にはまだ入れないのでそのまま寝た。

【術後2〜7日目】

痛み止めを飲めば普通生活がある程度できた。

在宅勤務中で本当に助かった。

風呂はかなり怯えながら入ったが、そこまで滲みなかった。

寝返り階段などで足が動くとひきつれて痛かった。

3日目くらいまでは、まだ血が出るのでナプキンをつけて生活した。

4日目は美容院に行ったりできた。

塗り薬を塗るのが怖かった。

【術後8日目〜3週間】

入浴(浸かる方)が解禁されたが、怖くて14日目くらいまではシャワーのみで済ませた。

経過観察で病院に行ったが、15分くらいで終わった。

縫合した糸が、ポロポロ取れ始めた。

溶ける糸って面白いなーとか思っていた。

取れた糸の残りが皮膚に当たるのでちくちくした。

さぶたが痒い感じで痒いので、冷やしたりして誤魔化した。

【術後1カ月】

糸は見えている部分は全部取れた。

痒みは風呂上がりに少し感じる程度になった。

日常生活は全く通常通りになった。

塗ったところは固くなっているが、これから柔らかくなっていくらしい。

むくみほとんど取れた。

【術後の感想

人生初手術だったが、静脈麻酔など面白い体験もできた上、煩わしく思っていたものが取れたので、とてもスッキリしている。

トイレでも飛び散らないし、締め付ける衣服問題ないし、痒みもない。

若い方が術後の経過が良いらしいので、早めに受けてよかったと思う。

唯一気になる点は、もともとの厚みが左右で違ったため、切除後も左右で厚みが違うこと。

元の悩みに比べたらあんまり気にしてないけど。

自分でも終わってスッキリしたので、記念に書き残した。

追記 8/6未明

なんかすごい伸びてびっくりした。

いくつか質問や訂正があったので、追記しておきます

しれっと誤字も直しました。

麻酔について

受けた麻酔全身麻酔じゃなくて静脈麻酔というやつ。

完全に全身の力が抜けるか、意識が無くなるだけかの違いらしい。

途中覚醒するのも事前に説明されていた。

・なぜ自分の小陰唇が大きいことに気が付いたか

高校生くらいから、自転車に乗るとなんか痛いなとは思っていた。

大学アトピーになり、皮膚と皮膚が擦れる部分が痒く、掻いてしまうせいで余計に伸びた。

それで、皮膚と皮膚が当たってるから痒いんじゃないか?と思い、これを小さくする方法無いのかな?と考えて検索したところ、自分の小陰唇が平均より大きいらしいということに気がついた。

・なぜ小陰唇が小が飛び散る原因だと気づいたか

手術について説明している病院HPを読んでいて、小の飛び散りが解消される、という記述があった。

これだ!!!となった。

水撒きをするホースの先をを潰して持った時みたいに、小が広がってしまうのは私の小陰唇が邪魔をしているからだと気が付いた。

サバサバしているが…のこと

個人的に、

サバサバしたお医者さん=あんまり話を聞いてくれない

という印象があったので、

サバサバしてたけど親身だった、と記述した。

でもサバサバしてる人で親切な人も沢山いるので、書き方がよくなかったと思います

すみません

保険適用について

保険適用は、一部婦人科施術してもらった場合できるという噂を聞いた。

しかし、手術に不慣れな医師より、高くても慣れてる医師の方がいいかなと思った。

今後保険適用になったら良いよね。

確定申告について

医療費控除については調べたが、美容整形基本的対象外なので無理そうかなと思った。

沢山お読みいただいてありがとうございました。

2020-07-30

中期中絶をした話

おはようからおやすみまで、どうもツイ廃です。


ツイッターで低用量ピルや緊急避妊薬、望まない妊娠などの話題が上がるたびに思い出す数年前の出来事

私は中期中絶をした。


7月29日NHKの「おはよう日本」で

予期しない妊娠で苦しむ女性と緊急避妊薬を薬局で購入できるようにとの活動特集され、

ツイッターで様々な意見が飛び交っている。

その様々な意見を見ている中で、

中絶をした人の体験談などはあまり聞かないかイメージで語っている人も多いだろうが」

というような文章を目にした。


そもそも中絶という選択肢に直面しない限り、中絶について調べもしないだろう。

そして中絶という選択肢に直面し調べた私でも、体験談などはあまり見られず、病院やまとめのサイトばかり見ていた気がする。

体験談が少ないのであれば書かせていただこうではないか

このブログバズるかどうかなんてさっぱり分からないが、より多くの人に、そして困ってる人に一例として読んでもらえたら嬉しい。


なんとなく偉そうな感じになってしまったが、本当にこの当時はどうしようもない人間だったので

読んでて不快感を覚える人もいるかもしれない。

現代社会の闇がかなり見える文章になるかもしれないが、ご了承願いたい。


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大学2年生の冬。

私はパパ活をしていた。

それもいわゆる「本番あり」のものだ。

普通にアルバイトもしていて、大学生の一人暮らしとしては苦しくないぐらいの給料は貰っていた。

ただ、物欲無限で、もっとお金が欲しかったのだ。


出会い系も使っていたが、一番多いのはツイッターだった。

いつものようにDMでやり取りをし、日時と場所を決め、その男の人と会った。

ゴムを付けてセックスをし、相手がイったため私もぼんやりのんびりしていたらまた相手が挿入してきた。

ぼんやりしている時にゴムを捨てていたのはなんとなく見ていた。股の感覚もいつもとなんだか違う。


慌てて「ねえゴムは??ゴムつけてるの???」と聞いた。

相手からの返答は有耶無耶ものだった。

絶対に付けていないと思い、相手を蹴飛ばす勢いで拒否したらさすがに離れた。

その後シャワーを浴び、股もいつもより念入りに洗いホテルを後にした。

この時慢心せずに産婦人科に行きアフターピルを貰うべきだったのだが

パパ活をしているという後ろめたさと、直接的に中に出された訳ではなかったので大丈夫だろうと考えていた。

産婦人科に行ったことが無かったため心理的ハードルも高かった)


それからひと月ほど経ち、とあることに気が付いた。

生理が来ない。

しか学校アルバイト(割と力仕事系)(とパパ活)で忙しく、生理周期も安定していなかったためとりあえずスルーした。


そしてこの頃から何とも言えぬ気持ち悪さを感じるようになった。

食欲はあるが、胃が固形物を受け付けない。量も食べられない。

しかし腹は減るのでゼリー豆腐をすする毎日

アルバイト先の人たちにも「最近なんか胃が気持ち悪いんですよね~」などと呑気に喋り、

季節柄もあり胃腸炎なんじゃない?と色んな人に返されていた。

もちろん胃腸炎などでは無く、立派なつわりだったのである


そして春になり、大学3年生になった。

相変わらず体調が思わしくなく、友達何の気なしに上記事情を話していたら

冗談半分で食べづわりなんじゃない?と言われた。

血の気が引いた。生理も来ていない。


その日の帰り道、意を決してドラッグストア妊娠検査薬を購入。

駅のトイレ検査をし、見事に陽性。

泣きそうになりながら電車産婦人科を調べ、直近で予約をした。


初めての産婦人科。内診で妊娠検査をし、やはり陽性。

しか中絶が出来ない病院だったため、検査のみでその日は帰宅


後日、初期中絶可能産婦人科へ。

しかし週数が経ち、中期中絶の時期に入ってしまっていたため別の病院を紹介される。


そして紹介された産婦人科へ。

週数としては確か12週とかで、なるべく早く手術を、とのことだった。

その場で2週間後に入院が決まり費用入院時に全額支払い。

金額は65万円程度。

貯金があるわけもなく、母親に泣きながら電話をした。

決して裕福では無い家庭で、私が行きたい大学に行かせてくれて、一人暮らしをさせてくれた親に

なぜ自分はこんなことをお願いしているのだろう。

本当に本当に自分が情けなくて、こんなことになった自分が悔しくて、涙が止まらなかった。

母親は優しく話を聞いてくれ、すぐにお金を手配してくれた。

母親は、頻繁に男と遊ぶ姉を見て、ずっと「遊ぶのは構わないけど妊娠だけはしないようにね」と笑うように言っていた。

こんな絶望的な親不孝を自分がするなんて。


問題中絶同意書だった。

医者事情もやんわり話し、父親の欄は無しではできないか交渉したが

少しでも連絡が取れる可能性があるならサイン貰ってきてくださいと言われた。


タイミング的にも心当たりがあるのは生で入れてきた男だけだったので、ツイッターDMを送った。

中絶などという単語はもちろん出さず、また会いたいんだけどどう?的なものを。

無事会えることになり、当日待ち合わせ場所に向かうと想定とは違う男がいた。

実は原因のセックスの際、もう一人の男と合わせて3人でホテルにいた。

このもう一人は会った後にDMが送られてきたのだが、私は原因の男の別垢か何かだと勘違いしやり取りをしていたのだ。

その場で原因の男にDMを送ってみたが、返答は無かった。

しかし私としても後が無いため、申し訳なく思いながらもなんとか説得しそのもう一人に同意書へサインを貰い帰宅した。


同意書を提出し費用を払い、個室に通される。

入院は5日間で、1日目の朝に入院、3日間かけて子宮口を拡張、4日目の午後に強制出産、5日目の午前中に退院

子宮口の拡張のために、棒を少しずつ入れていった。

1日目はなんとも感じなかったが、3日目ともなると生理痛のような重たい感覚が広がり

元気など1ミリも出なかった。

4日目の強制出産は、全身麻酔で眠っている間に終わっていた。

重たい感覚が無くなり、やっと解放された安堵でご飯をめちゃくちゃおいしく感じた。


そして退院1週間後に経過観察。

子宮妊娠のための膜(うろ覚え)も破れておらず、再度妊娠可能問題なし。

もし万が一この膜を傷つけてしまったらもう妊娠できない可能性があることは事前にきちんと説明を受けていた。


そして中期中絶退院して終わりではない。

強制出産」と書いた通り、中期中絶あくま出産であり、死産扱いになる。

火葬病院が手配してくれるので、私は遺体は一度も見ていない。

しか死産届を役所に出すのは私の仕事だ。

これも父親名前を書く欄があるため、同意書と同じ男の情報を書いた。


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以上で一連の話は終わりのはずである

どこかに自分で記録を取っていたわけでもなく、うっすらとした記憶だけで書いているので順番や細かい部分は違う可能性はある。

嫌なことは大抵寝たら忘れる人間であることが裏目に…。


そして少しだけ補足や余談。

・産むという選択肢は無かったのか

→無かった。親の金学校に通っているし、卒業してくれとも言われていたし、相手が正確に誰かも分からないし、好きでもない人間DNAを持った子供を産もうとは私は考えられなかった。予定外の妊娠で産む人は、その勇気と決意を尊敬します。

費用について

最初に65万円を払ったが、社会保険国民保険出産一時金を申請できるため40万ぐらいは戻ってくる。当時は父親扶養に入っていたため、申請が通ってお金が振り込まれたかは私では確認できていない。


私はこの出来事日常的に気に病んだりすることは無いが、影を落とすことは不意にある。

先日親知らず相談歯医者に行った際、麻酔したことはあるかと聞かれた。

病気の手術はしたことが無かったため即座に「無い」と答えたが、直後に中絶の際に麻酔していたことを思い出した。

何の手術?などともし聞かれたら…と考えてしまい訂正することもできなかった。

それと産婦人科の問診票には、妊娠経験と回数を記入する欄がある。

こればかりは嘘を付けないので、今後産婦人科にかかる際は「1回」と書かなければいけない。

中絶以来産婦人科にはかかっていないが、今後望んだ妊娠でかかったりした際にも

「1」という数字が付きまとうのは苦しい。


とても仲が良くて信頼のおける友人たちにはこの話をしているため、たまに「彼氏とやっていたら途中でゴムが外れていた」などの相談が来る。

その際には迷わずアフターピルを飲め、産婦人科に行け、と言っている。

生理が来ないことに怯えて生きるのは本当につらい。そのまま怯えて待っていたら妊娠する可能だってある。

だったらアフターピルを飲んで安心を手に入れた方が良いのだ。


今は彼氏がいて、付き合い始めの頃にこの話はしている。

もし次に付き合う人がいたとしても、この話を受け入れてくれる人でないと出産はできないなあ。

きっと妊娠して産婦人科に通っている最中に、妊娠経験があることが分かってしまうと思うから


ちなみに中絶パパ活からは足を洗ったが、風俗では働いた。

今はそれも完全にやめ、正社員として働いている。


色々と意見もあるかもしれないが、あくまで一例であり、そして恐らく一番自業自得な例だと思っている。

ゴムを付ける約束はしていたのに生で入れてきた男も悪いと思ってはいるが、私も十分悪いことをしている。

2020-07-29

たか・・・手術中の女性患者わいせつ容疑医師逮捕

やっぱやってんだよな~

>県警や病院の発表では、大野容疑者福山市病院で勤務していた今年1月下旬助手として加わった手術中に、全身麻酔抵抗できない状態だった30歳代女性患者下半身を数回触った疑い。容疑を認めているという。

大野容疑者は2017年4月から今年3月まで同病院で勤務。手術に関わった職員大野容疑者行為を目撃し、報告を受けた病院診療行為から外した上で、今年2月に県警に刑事告発していた。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200728-OYT1T50264/

2020-07-24

anond:20200724150348

全身麻酔経験談によると

薬打って数を数えて目を開けたら手術が全部終わってるそうだから

そんなもんかなと

anond:20200724150348

一回しかやったことないけど全身麻酔みたいに眠るように逝けたよ

2020-07-21

追記オタク人格が手術で変わった

追記

コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。

よく臓器移植ドナー記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?

推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。

変わった人格でも楽しく生きてるよ。

あと、そもそもオタク治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。



5年前、ある病気入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活リハビリをしているうちに色々なもの自分の中で変わっていったので記録しておく。

推しキャラの傾向の変化


まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。

それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。

Twitterアカウントも変えた。友人からジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。

漫画ばかり読んでいたがこれ以降ゲームも出来るようになった。

読書傾向


術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。

病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。

今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。

入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。

それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。

今では尖ったもの面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いか流行るんだよね…。

嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。

これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?

服装・その他生活


元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれ生活は本当に幸せだった。

今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。

ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。

ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。

ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズ坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである

アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集フィギュア一期一会なので買ってしまうが。

もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。

からタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。

今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。

書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?

とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、

麻酔で寝てる間に脳みそいじられたんじゃねえの?」

その発想は、なかったな…

2020-07-14

せん妄について聞きたい

例の事件について。

URLかめんどうだからわーっ!と思っていること書く。ただのメモ

医療従事者でも何でも無く、ただのエンジニアなので変なところあるでしょう。

せん妄って全身麻酔だと必ず起こすことなの?

父が全身麻酔をした時は無かった。

父は高齢に入るのかな。その時は60代でした。

N=1のことなので、まあ珍しかろうといったところなのでしょうか。

でも、父だけで無く母も高齢でいつお医者さんのお世話になるかわかないし、

自分だって唐突病気になった、事故にあったと全身麻酔うけることもあるでしょう。

と、いうことでせん妄って全身麻酔だと必ず起こすの?

特定のものだけではないの?

この事件使用したものってどんな麻酔なの?

と、素人ながら疑問に思って少し検索とかした。

ツイッター医者の人っていっぱいる。医クラというみたい。

その医クラの方はそこには疑問を持っていないようなのでアレ?そんなもの?と疑問。

拡散されているツイッターを見ると、ケタミン使用されていると書いているが、どうやら間違いで

笑気+酸素セボフルレンが混ざったGOSと呼ばれるものと、

ジクロフェナク座薬の併用とのこと。(一次ソース医療従事しか見れない。残念。)

これ何だ?わからん(当たり前)

これがせん妄に貢献しているって考えみたい。

それとは別に訂正はあったものの元ツイート拡散されてしまったケタミンが相当強い麻酔っぽく(副作用淫夢があると)それでせん妄間違いない!となっているのか、

それとも反応している人たちもケタミンではないことわかっててそう言っているんだろうかと考えている。

HUFFPOSTの記事で、今回の麻酔薬で起こる可能性は低いと思う、と麻酔医が語っている。

偽物でなければ間違いないことの一つなんだろう。

ただ、術中に使った他の薬剤でせん妄になったかもとも言っており、

これだけじゃなんともいえん!が見解なのでしょうかね。

それと同時に色んなところで「科学的」という言葉を見る。

女性の胸にある唾液を脱ぐったガーゼから抽出した液を検察が捨てたことにより

再現性が無くなり証拠では無くなったことに対する言葉です。

検察ってやばいね。(前から信用できなさそうなのはわかっていたけど)

ただ、その「科学的」という言葉せん妄になったかどうかには使われないんだ、ということに疑問。

麻酔って、たくさん種類があるかと思うのですが、

それにより変わらないの?とか(これはHAFFPOSTの記事により変わることがわかった)

麻酔の量とか、性別体重とかヘモグロビンとか知らんけどいっぱいパラメーターがありそうですが

そこで論じられないのは 何故なのか。ここも気になっている。

判例文にはあるのかも)

雑すぎん?

ツイッターで色んな人があげている体験談、凄く貴重ですが、科学か?と言われると

科学に付随するものだがそれ自体科学ではない」、と言えるのでは?

前提が無いし、そもそも今回の事件だと同じ麻酔の種類を使用して初めて比較ができるのでは?

と考え出したら止まらなくなった。

せん妄絶対条件として繰り出される仮定社会問題とかでは無いですからね、今回。

なので科学的な証拠必要となれば、麻酔自体にも目を向けるべきでは?と考えています

麻酔なんて科学じゃ無い!という感じだったらごめん。そんなことないと思うけど)

他にも今回主な争点になっているところではないけれども

女性の顔が写っている写真を数十枚撮り、警察事情聴取される前に全部消しているとか

あ、怪しい〜〜〜〜〜!みたいな気持ちはある。気持ちね。

あとにきびを潰したり、髭触った後に手洗い、消毒をせず触診したとか

き、汚ね〜〜〜〜〜〜〜!みたいなお気持ちもある。

これに関して被告が勤めていた医院特に言及ないのも嫌だな。

近所にあっても不潔かもしれんという思いはある。(注意している文くらい載せて!)(安全管理という言葉がそうってこと?)

他にもこの医院麻酔使用する時、患者副作用とか説明してないの?とか考えたりもした。

まあこの医院行くことないので無駄な疑問でしたけど。

後、専門家への不遜な態度という記事も見たけど、

それだけじゃ専門家様の言うことは絶対!という宗教しかなかったので判例文見ないとわからないだろうな、と思いました。

あ、もう一個。

検察に残っている唾液付着したガーゼ証拠にはならないと再検査してないようだけど、これには「その通り」としているのはなぜだろう。うーむ。

疲れてしまったのでここまで。

もっと世間科学に対して考えてくれるといいね…。

2020-07-11

anond:20200711230439

内視鏡全身麻酔→いつのまにか開腹手術の麻酔が切れ意識がもどった瞬間やね

痛みは最もお手軽な絶望

2020-06-03

不妊

子供が欲しくてお見合いしてまでして、好きではないけど生理的に無理ではない人と結婚した。

いざ子作りと思ったらできなくて、産婦人科言ったら男性不妊だった。

勃起不全、社性障害精子無力症

今のところ女性側に明確な不妊原因はない。

夫も泌尿器科に行ってるけど、ずっと運動率は10%前後。一向に改善してないのに主治医は、これならいつでも子供ができますよと、無責任なことを言うらしい。

から夫も自分責任だって思ってないし、なんならもしも子供が出来なくてもお互いさまだし仕方ないとかいう。

いやいや、あなた由来の原因がほとんどです。

本当は夫要因の不妊ってわかった時点でなぜか急に夫が無理になったのでもはや妊活とかどうでもいい。

体外受精にならまだ希望はあるだろうけど、もう夫のために仕事しながら一週間病院通って、全身麻酔して、命の危険冒してまでってなってる。

今はコロナのおかげで不妊治療自体を中断することを推奨されてるのでこのまま有耶無耶にしたい。

2020-06-01

全身麻酔から生還した

先日、全身麻酔での手術を終えた。

全身麻酔自体人生で3度めなのだが、今回は術前検査心電図に所見があり

日常生活での動悸息切れ自転車に乗れるか山歩きができるか等々の

追加問診を受けたりしていたので、よもや目が覚めないのではないか

手術前夜の病院食(餃子)が最後の晩餐になりやしないか

若干心配をしていたのだが、術後は無事に目が覚めた。

これまでの手術では麻酔から覚める時にえらい勢いで肩を叩かれたので

何だこのやろうという気持ちで目を覚ましたものだが、

今回は手術のライトが目に入り「まぶしっ」と思い覚醒した。

その後「増田さーん」と声をかけられ、肩パンなしに意識・呼吸確認

気管チューブを抜いて、身支度を整えられて手術室を出た。


肩叩く必要ないんかい


ちなみに3度めの全麻手術にして、初めて尿カテを経験した。

カテーテルを抜いた後の排尿痛が一番きつかったかもしれない。

優しく出し入れして欲しい。

2020-04-25

女性につまらないことを聞いた

30代後半で独身で同い年で同じ派遣社員で真面目で下ネタ嫌い系の女性に、

トイレで大っきい方したときもちろん流しますけど、

流れなかったり便器が汚れて二回目流さなきゃとかだから

流れてく自分のうんち、見届けてから上蓋閉めますよね」。

その人は真面目な女性優等生なんだけど、

そのとき僕には「ウォシュレット使ってますけど、

濡れたお尻を拭くのと同時に、ちゃんと汚れが落ちてないか

2、3回拭いてもトイレットペーパーに少し汚れるし、

その時はもう一回水洗いするか、諦めます」と言った。

僕は歩きながらやエレベーターの中でもおならをすることがある、

っていうかするんだけど、女性もおそらくそうなんだろう。

ただそういうことを「言わない、話題にしない」だけで。

高校生の時、全身麻酔の手術をしたとき、事前に浣腸で便を出しておかなきゃいけない。

トイレの個室で壁に手をつき、若い看護婦さんからから浣腸された。

それはいいけど、「出たら流さずに呼んで下さいね」「ええっ」

ちゃんと出たか確認しなきゃいけないの。私は慣れてるから」。

こっちが慣れてないんだ。して、トイレットペーパーでちょっと隠れるようにして、

看護婦さんうぃ呼んで、看護婦さんは便器内を見て確認した。

最初優等生は、部屋に男性が居てもトイレはドアを開けたままするんだって

実家住まいでそんな状況会ったんですかと聞いたら、妄想だった。

でも、お腹が緩くて音が出るときはしないんだろう。

2020-03-29

anond:20200329081121

それは人工心肺じゃない?心臓も停止した人のためのやつ?

人工呼吸器は、酸素送るまでのやつだと思う

一回だけ、気管挿管経験ある。全身麻酔した後、なかなか意識もどらず、増田さん起きてくださーい、と顔ぺちぺち叩かれて、目覚めたら直ぐに気管挿管の管抜かれた。急に外すもんだから喉傷つけられて、しばらく喉痛かった。あれくらいなら人工呼吸器の類いだと思う。

2020-03-27

中絶して1週間後に中出しされた

先週、中絶した。

妊娠8週だった。どうしても産むことができなかった。子どもは、まだ子どもともわからないものだったけど、心拍がはじまっているところだったという。

中絶手術は、全身麻酔から痛くないと聞いていたけど、麻酔が覚めてから今まで体験したことのない激痛に2時間ほど悶絶した(子宮が急激に収縮したせいらしい)

手術から1週間は性行為しないでください、という医師言葉をきっちり守り、彼は1週間後に誘ってきた。

わたしは彼を喜ばせたいから、いいよとすぐに言ってしまう。

まだ血が出てるけど、まぁできなくはないかなって言ったら喜んでいて、そんなに嬉しいならよかった、と思った。

行為はやっぱりまだ痛くて、ヒリヒリとか鈍痛とかしたけど、耐えられないほどじゃなかったから、気持ちいいふりをしてあげた。

そうしたら、そうしたらですよ。まさかの中で出しやがったんですよ。

「え、だめなの。血が出ているって言うから大丈夫だと思って」って。

いや、血が出ているのは手術してまだ出血しているからで、え、聞いてたよね?隣で聞いてたよね?

生理なんてくるわけないじゃん。

6日前に子宮から胎児を掻き出したんだぞ、胎盤ごと。

見ただろ。人になりかけた赤い塊も。

なんかもう信じられなくてとっさに責めることもできず、ばかだねえ私たちって笑ってしまった。

馬鹿なのは確か。女中絶させてすぐさま中出しする馬鹿と、人ひとり殺してすぐ、そんな男を許してしま馬鹿

ふたりとも死ねばいいのに


で、今日アフターピルをもらいにいくとき

さすがに情けない。またお金もかかってしまうってこぼしたら、割り勘だからいいじゃんって、言われ。ついでにピルもらってきなよって、言われ。

は?

は?

はあああああああああああ??

うそでしょ?? そんなこと、マジで思って言ってんの???

ピルはいいこともたくさんあるけど、副作用もある。

毎日決まった時間に欠かさず飲んで、太ったりむくんだり吐き気したりして、それでこいつは、そんな苦労も知らないまま、気持ちよく中出しを楽しむんだなって思ったら、

ぜったい、ぜったいに飲めないと思った。

自分の身の安全のためだとわかってる。

もう人殺しをしないためだとわかってる。

人間関係すべてがフェアであるべきなんて思わないよ。

男女関係なんてだいたい、非対称性を孕んで維持することくらい、わかってる。

でもこれはもう、耐えられない。

正しいとか正しくないとか、知らん。平等とか不平等とか、知らん。

でもとにかく、もうこれ以上は、一歩たりとも耐えられない。耐えられなくなってしまった。


またひとりぼっちになるのだろうか。

それがやっぱり人ひとり殺した罰なんだろうか。

2020-03-15

流産した

アラサー結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかからなかった。

最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。

その後不妊治療病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。

しかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。

そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍確認胎児サイズ問題なく、母子手帳交付。ここまでくれば流産確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。

子供名前を考えたり、マタニティウェア用意したりしていた。

しか妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院エコーを見てもらったら、赤ちゃん心拍は止まっていた。

その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。

医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。

旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。

会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那夜勤なので泣きながら仕事へ。

自分も少し落ち着いた後、職場本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。

翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11から手術になった。旦那はずっと個室で待機。

処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。

目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮エコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。

病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。

手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。

金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、

帰宅し、マタニティウェアや母子手帳お腹赤ちゃんがいますストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。

もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。

赤ちゃん、短い間だけど母親にしてくれてありがとう。この間のエコー写真母子手帳はしっかり大事に保管します。

2020-02-05

流産記録

8日

出来たかも?

喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい

検査薬 陽性

んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかいかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜

出産育児自体には前向き

でもほんおいまら

と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない


22日

初診

の子出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ

胎嚢確認、中身は確認出来ず

ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度

来週また診てみましょうとのこと

帰宅後「胎芽 確認出来ない」でググりまくる

つわり?なのか午後から気持ち悪しんどくなる日々

夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……

体がしんどい思考ネガティブになったり普段は何てことな子どもの声にいちいちイライラしてしま

つらい

翌月8?9?日

胎芽やっぱり確認出来ず

そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)

なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子ども相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。

まぁまだ確定ではないんだけど

今回はだめだったかなー、という気持ちで過ごす

子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情

誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体問題がっていうより精子とか卵子かに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さな旦那しょんぼりしてたのはちょっと切なくなった

その後すぐ旦那通常運転(喜楽)に戻ったけども

改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた

女性特有の疾病が〜みたいな保険に加入してたことを思い出す

もし処置ってことになっても保険下りそうで不幸中の幸い

診察だけでも数千円かかるから……

なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………




8日

9:00

昨夜22時〜絶飲食

お腹すいた

最後の内診で胎芽が見えないことを確認(胎嚢は3センチ

「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち

出産した時とは全然違う、狭くて殺風景な部屋。

処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望

終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす

10:00

点滴&筋肉注射

点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。

なので痛いと噂の筋肉注射はあまり痛みを感じず。

その後処置室へ

10:25

処置室へ

寒い

処置室に時計があったのでぼんやり見てた

処置どうこうより「全身麻酔意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた

10:40

処置開始

全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は

「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」

知らぬ間に数十分過ぎてた

運ばれてるんだろうなー

「捕まっててくださいね

ベッドに移動したんだろうなー

などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)

薬を嗅がされて…みたいなドラマアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる

気付いたら個室ベッドの上だった

血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)

そしてまた眠る

11:15

初めて目を開けながら喋れたのがこの時

「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」

たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた

たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず

とにかくいろんな夢を見てた

12:47

起きる

13時過ぎ

軽食

パンケーキフルーツ!!美味しそう!!!

フルーツほんとにありがたかった。水分万歳

しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー

痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む

食後診察

出血を抑えるために挿入していたガーゼを取る

本日処置終了

帰宅

お腹すいた

保険会社に電話

休日を挟むので数日後速達発送する、とのこと

こちらで用意するもの診断書保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…

帰宅後の様子

1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)

ごはん旦那オムライスをいつもどおり食べられた

でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝

翌日

再診

出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可下り

昼は外食で済ますが、食後駐車場までの道のりで倒れそうになる

貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー

翌々日

寝て過ごす

昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む

術後は大人しく身体を労ろう…と再確認

翌々々日

あれー身体かるーーい!と思って朝から家事バタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ

しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった

しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…

以降、まだ家事を頑張ると息切れはするものの、術後すぐの「どうやって生きていこう…」みたいな動けない絶望感はない。

2020-01-30

anond:20200130195412

そういやワイは東南アジア入院から全身麻酔手術にまでなったことある

まあそういうのは間違いなく外国人向けの入院病棟スイートルーム地元お断り総合医コンプレックスみたいな感じだし、日本とは逆方向の格差社会振り切れっぷりを目の当たりにしたという意味では経験値が増えたのかも知らん

2019-12-04

独立国 和歌山

anond:20191203002224

和歌山の特異性の根源は色々ある。

和歌山城を中心とする徳川信仰

今もなお市シンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民意識に深く刻みこんでいる。

高野山

言わずと知れた日本仏教聖地空海平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院成田山新勝寺高野山真言宗の一流派根来寺(和歌山岩出市)の下部組織に過ぎない。

熊野古道

神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山平安時代から信仰対象として貴族朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。


住友金属和歌山製鉄所。

かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。

野球

現在の県立桐蔭高校前身和歌山中学が今で言う甲子園選手権第一大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校現在智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。

トルコとの友好。

明治時代トルコエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係現在も深く繋がっている。

松下幸之助

Panasonic創業者の生誕地。

明石家さんま

生誕地。

がんばれ前畑の前畑秀子

生誕地。

華岡青洲

世界初の全身麻酔による手術。

紀伊國屋左衛門

豪商。生誕地。

パンダ

白浜アドベンチャーワールド

梅。

紀州南高梅

みかん。

有田みかん

醤油

発祥の地。

L'Arc-en-Ciel

hyde生誕地。

コブクロ

事務所所在地

ドレスコーズ

志磨遼平生誕地。

小林稔侍

生誕地。

ガンダムSEEDbelieve

玉置成実生誕地。

このように、和歌山県は自慢ポイント県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州南端山間部に囲まれ大阪奈良から隔離された地理的要因もあるのだろう。

そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。

書き初め自虐的だったが書いている途中で自慢になるという不思議

2019-11-29

全身麻酔の手術するんだけど

医療ミスとかおきて死ねいかなぁ。

もしくは手術中にニンジャがきて「イヤァー!!!」とか俺の身体を掻っ捌いてくれないかなぁ。

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