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はてなキーワード: 入社式とは

2018-04-02

入社式中途採用の返事遅れるとか舐めすぎだろ。

こっちは収入無くなるっつうのに。死ね

もう学生じゃない

この日を迎えてしまった。

社会人になってしまった。

入社式、今までのどんな入学式より憂鬱だ。

一体どうなっていくんだろう。

平穏でありたい。

2018-04-01

何かを忘れていると思ったら

明日入社式

持ち物は一通り用意した。

だけど何か忘れている気がする。



鏡を見て気づいた。

髪の毛だ。

12月から一度も切ってない。

ボサボサで最悪の状態

これで人前に出るのか……。

憂鬱だ。

数年間NZ暮らし人間が驚いた久しぶりの日本

儀式ごとが多いし全部格式張ってるのがすごい

入学式だの卒業式だのもあってもいいけどめちゃくちゃ格式ばってて軍隊みたい

終業式とか始業式とか無くても良いやんけその日から普通に授業で…バカか?

日本大学自由と聞いたけどNZ高校よりも不自由だわ

入社式もきっちりかっちりしてんだろうなあやだなあ…

2018-03-31

個人経営理髪店って

何かと不安にならない?

最近就職関係引っ越してきた近場の大通り沿いに理髪店がある。

店構えも落ち着いてるしお世話になろうかなとネットで事前調査しようとしたんだけど、ヒットしない。

個人経営から検索できないのだろうか。

一気に不安になってきた。

入りづらい。

予備知識もなしに初見の店に入ることができなくなっていることに気づいた。

明後日入社式

他に探すべきなのかな?正直変な髪型にされないならここで済ませてしまいたい。

2017-12-26

IT企業をやめた話

 IT企業を辞めるまでの体験談をここに書こうと思う。

 3年前の大学4年生の4月、まだ内定がなかった。同じゼミ就職希望組は全員内定があったこともあり、相当焦っていた。大学内で会社説明会が行われる時は積極的に参加した。5月最初内定が出た。自分内定が出たことにより安堵してそれ以降の就職活動はやめてその会社に行くことにした。

 2年前に入社式があり、当時は社内でプログラミングし、何かシステムを作るんだなと漠然と思っていた。だが現実は違った。入社式のあった週の金曜日大阪に行くことになった。大阪に行き面談し、客先での了承が降りればその会社が勤務先になるのだと言われた。当時は相当混乱した。IT企業正社員内定=社内で作業と思っていたのだ。実際に金曜日大阪のある会社に行き面談を行った。面談で言われたことはCは出来るかということや長時間働くことは出来るかのような内容だった。自分はCに関しては大学の授業でやった程度なら出来ると答えた気がする。それ以外のことは確か元気が無さそうに否定的なことを言った気がする。正直もうほとんど覚えていない。結果その会社に行くことはなかった。

 

 次に別の会社面談することが決まった。2社目の面談が決まるまでは社内でCの勉強をしていた。面談ではpythonは出来るかと言われた。当時の自分pythonをやったことはなかったが一生懸命がんばりますと言ったら受かった。2週間後からはその会社派遣契約で行くことが決まった。そしてここは8ヶ月で終了となった。この8ヶ月間はほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 次の会社面接するのは2ヶ月後だった。Androidの開発のプロジェクトに参加するということで、大学の授業でJava勉強をしていたのでそこに決まった。だがここで主に行ったことはCentOS環境構築とドキュメント作成だった。Javaほとんど使わずに5ヶ月で終了となった。この会社はおそらくSES契約だった。SES契約についてはあとで説明する。ここにいた5ヶ月間もほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 3社目はC#を使う会社だった。小規模な社内で使うツールを1から開発するというプロジェクト技術者的に成長できるだろうと思っていた。このプロジェクトも客先での作業だった。ここで作業していて最初は忙しかったが、段々他の人の作業を待つことになり時間が出来た。時間が出来た結果、帰属意識を考えるようになった。自分はいったいどこの社員なんだろうと。自社の正社員なのだろうけど、実際に行く会社も違うし、指示を受けるのも他社の人で自社との関わりは数カ月に一度様子を見に来るのだけだった。

 ここのプロジェクトに参加したときプロジェクト説明が書かれた紙を渡された。その紙のあるところにSES契約と書かれていた。自分なりにSES契約について調べた結果、派遣契約をせずに派遣として他社の社員を使うものなのだろうと判断した。正確にはみなさんの自身の手で調べてほしいと思う。そしてこのIT業界では殆どプロジェクトでこのSES契約が使われていることを知った。

 3社目も5ヶ月で終わった。

 4社目はJavaを使い、大規模システムの一部機能の開発を行うことだった。2社目と違い、本当にJavaのしかもかなり難しい知識必要となり、かなり勉強になった。だが、ここもSES契約で客先での作業だった。この頃になると自分自分の働き方に嫌気がさしていた。正社員入社したのに実質派遣という。同じフロアの別の人を見れば正社員で、しか客先常駐せずに働けているのに何が違うのだろうと。結果は自分の入った会社が間違えていたのだと知った。そのため今月で辞めた。



 ここで一つ謝らなければならないことがある。タイトルにはIT企業をやめた話とあるが、正確にはSES企業をやめた話であるIT企業をやめた話にしたほうが沢山の人が見てくれると思うからこのタイトルにした。

 この業界にいたからわかるのだが、SES契約をメインの事業として収益を上げるのと、自社システムを開発して製品として売るのではまったくビジネスモデルが違う。SES契約のメインの事業は単なる派遣である。だがITに詳しくない人(別業種)からすれば全てIT企業として統一されてしまうのである

 自分プログラミングが好きだから約3年間働くことが出来た。だが、同じ業界自分と同じ状況で働けなくなった人を何人も見てきた。今SES契約メインの会社で働いている人は本当に今の働き方(派遣のような働き方)でいいのか考えてほしいと思う。

 今大学生でこれからIT系に行く人は自分と同じ目に合わないでほしいと思う。実質派遣なので勤務地はコロコロ変わる。3社目から通勤時間が片道2時間を越え、まともに睡眠時間を確保することができなかった。通勤時間が長かったのもつらかったが、それ以上に暇なのがつらかった。客先での作業を例えばその月の10日に終えたとして次の案件が来月に始まるとしたらその間ずっと放置であるさらにその上に日報週報の提出を求められれば何も書けないのである。それ以上につらかったのが、PCが用意されていなかった時である。その会社プロパー作業PC申請が遅れた結果、プロジェクト開始と同時にPCが用意されておらず、PCが無いけど定時まで客先にいてくださいと言われた時はほんとうにつらかった。PCがなければ何をしているかというと虚空を見つめるだけである。それがだいたい三週間続いた。

 

 プロパーといえばIT業界ではプロパーはまったくプログラミングが出来ないと言われているが、自分の印象では半々が出来て、半々が出来ないという感じだった。おそらくこれはIT業界多重下請け構造のどこらへんに客先常駐するかで変わると思う。この業界にいて未だに分からないのはプロパーSES契約で来ている人に直接指揮命令している人って偽装請負ってわかっているのかそれとも偽装請負と知らずに指揮命令しているかってことです(本人達に聞く勇気はさすがに無かった)。自分がもしプロパー偽装請負って知っててSES契約で来てる人に直接命令したら多分罪悪感で潰れてしまいそうと思った。

 長くなりましたが最後に言いたいことはSES企業は滅んでいいよってことです。               おわり

2017-04-19

BBC日本企業をディスってる

BBC日本企業凋落を報じた。

これは日本語版だけど、英語版は先週すでに報道されてる。

入社式に潜入取材してるシーンがあって、こんなこと言ってるのに、周りは誰も何も思わなかったのか?

2017-04-04

社会適応出来ない

うつ病を患っている。平成生まれ

小学生の頃から大人になって働くことが怖かった。

会社は怖い場所上司は怖い人、失敗したら一生の終わりでクビになってずっと惨めな思いをするんだ…と思い続けて十数年。

就職活動をしている友人達が何人もいる。

沢山の会社に行っては履歴書を出して頑張っている。

そして、会社に入っても続けられるのは本当に少ない人数なんだろう。

ブラック企業だったり、人間関係だったり、自分に合わなかったり…。

そしてまた次の職場を探して就活をするんだろうな。

自分中学から就職は厳しいし、ゆとり社員はすぐ辞めると言われ続けてきた世代

自分は耐え切れなかった。

働くことが怖くてうつ病にまで発展した。

入社式映像ニュースで流れて心が折れた。

涙が止まらない。

自分はあそこまでとてもいけない。

就職会社社会も全てが恐ろしすぎる。

とても辛い。責められた。

それでも会社に入らないと普通生活すら送れないらしい。

いい会社に入ってもマイホームを買えないかもしれない。

クレヨンしんちゃんの野原ひろしですらエリートになってしまった。

ブラックじゃなければいい。ブラックでも働ければいい。

お金をもらえればいい。生活ができればいい。

ならそれすら出来ずにうつ病になるまで追い込んで追い詰められた自分はどうしようもないじゃないか

自殺して楽になりたいぐらい。

でも自殺する勇気もない。

なんで自分はこんなことになってしまったんだ。

親の脛かじってることでまた罪悪感に襲われる。

何かやろうとしても何も出来ない。

本当にどうすればいいんだ。

何がいけないんだ、誰に頼ればいいんだ。

もっと気楽に生きたかった。

2017-04-03

肛門がぽわんとあたたかい。

インドカレー屋(たいていネパール人がやっているけれど)に行くと激辛を頼んでしまう性分。

今日下痢入社式

インドカレー屋に行ってはいけない日、それは入社式の前の日である

40超えてtwitterやってるジジババ

40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)

まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日まれオヤヂです(*^_^*)・・・

年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ

次にユーモア若い人に比べて圧倒的にない。

もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合若い人に比べて圧倒的に高い。

twitter機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。

最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。

1020代若い人達ちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。

次世代生産者若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷり人生観押し付け行為害悪以外の何物でもない。

これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。

でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。

今日入社式入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙文章申し訳ないです。

でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活仕事趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。

趣味twitterならもう知らん。

※追記

twitter他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。

あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いています10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人意見ですけど)

入社式を終えたばかりですが、退職しました。

理由は、男性上司に「花見手ブラで来い」と変態プレイ要求されたからです。

新卒女子社員非常識上司だと思い辞めました。

入社式の日にブラック企業退職した17卒の話

2017年新卒の皆様におかれましては、就職おめでとうございます。私は今日会社を辞めた17卒です。

この文章

就活を真面目にやらなかった

コンプライアンス確認しなかった

③その結果ブラック企業入社して即退社

といった事について書かれており、あくま法律バットで戦ったりするような立派でタメになる話ではありません!

モデルケースとして斜め読みして頂ければ幸いです。

また、詳細について濁している部分もあり、全てが事実に基づくという保証は出来兼ねますのでご了承ください。

********

3月から早期入社して働いていたものの、内情の無茶苦茶から試用期間中退職電話で伝え、晴れて既卒となった。

無職の空は明るかった。私は今、何者でもない。

今聞いている、坂本慎太郎の「幽霊の気分で」という曲が身体に凄く馴染む。

2016年

何の考えも無しに空気に流されて就職活動を行ったところ、当然の如く落ちに落ち続ける。

人の話にも耳を貸さず、闇雲に動くことを勝手努力だと思い込んでいた。愚かだった。

秋口にようやく一つの会社から内定が出て、焦りと安堵から就活を完結させてしまう。

入った会社所謂B to B中小企業で、土日もあるしここならまあ大丈夫だろう、サラリーマン頑張るぞ、と高を括っていた。

大間違いだった。

まず、出社当日。社長マンツーマンで魂のメッセージを送られ1日目が終わる。

何かがおかしいけど、よくある心得の話だな!と思う。ほぼ定時で終了。

2日目、3日目、4日目、少しの勉強を含めた魂メッセージは4日で合計「39」時間。既に定時の概念崩壊し始める。

社会人残業なんて当然だとは思うけど、研修の段階でこれはおかしいのではと思う。

土曜日」に入社式新卒者は私一人のため、極めて簡素な形で終わり、すぐに会議が開始され、置いてけぼりになる。

からない事は聞くべき!とは思うものの、幾ら何でも説明研修が無さすぎる。

1日休んで次の週は、独りで10年前の名簿の整理と営業ルートリスト作成。終わらなければ仕事は帰れない!と言われ頑張る。

しかし、数千件のリスト整理なんて到底終わる筈がない。ここから8時〜9時コースに。

(終わったので帰ります、と言って帰った日に陰口が飛び交ったから気をつけた方がいいよ、と先輩に翌日伝え聞いた)

ディテールを書くと諸問題が発生し兼ねない為、ここについてはボカす。

しばらくこれを続ける内に、このままこの会社で一人前になったら殺されると思い、退職を決める。

2分ほどの電話で、それは呆気なく決まった。

淡々と、しか恨み節の効いたありがたいお言葉を頂戴して。

後は社員証と退職届を出せば、全て正式に終わりだ。

さて、今までこれを読み進めた方は、仕事の内容的には研修ゼロでは無いわけだし、ワンマン経営中小ならよくある事と考えられるかもしれない。

しかしこの会社

就業規則を見せてくれない(口頭でガーッと説明されるのみ、細かい点はボカされる)

マイナンバー年金保険、振込口座の提出が一切求められない

・裏紙に知らない人の履歴書などを使用

etc(込み入った話の為割愛)

と、コンプライアンス面がハチャメチャに崩壊していた。

給与形態も、みなし残業であることすら私は知らず、人から伝え聞いた。

逆に何の書類もないから逃げられる!とポジティブ退職を決められて良かった、とすら思う。

給与は貰えないかもしれないけれど、ダメ元で振込口座だけ退職届と合わせて送ってみることにする。

もっとも、最初から存在していない扱いを受けるかもしれないが。

タイムカード写真を同封してやろうかしら。

説明義務会社にあれど、確認不足は労働者責任でもあるだろう。

私はここまで来て初めて、自分の愚かさと就活重要さを痛感した。そして学習した。

既卒という不安な、茨の道に進むとしても、去年よりは間違いなく建設的な職探しが出来るだろう。

言わば「ブラック企業へのインターン」という戦場体験は良い勉強になったと思う。

こんな会社は恐らく星の数ほどあるだろうし、生活を考えると逃げられない人もいるだろう。

しかし、私のように特に枷が無い、もしくは枷がまだ緩い方は、今すぐに逃げ出すべきだと思う。今すぐ、今日にでも。

退職に辺り知識の糧となったネットの諸記事や、転職へのアドバイスをくれた多くの友人たち、そして決断を受けてくれた両親。

全てに感謝してズレた軌道修正するために頑張ろうと思う。

4月3日午前11時、ブラック企業天国日本によせて

2017-04-02

入社式である性交の祭典である

明日入社式である

かくいう私もある企業入社してしまう。

うっかり会社員になどなってしまう!

それにしても入社先だ。

なぜこのようにも自分の性分とはかけ離れた場所を選んでしまったのだろう。

懇親会に行ったとき絶望してしまった。

頭が痛い。

皆声がでかいのだ。

目がやられた。

内定者のフェイスブックまばゆい

だがしかしだ。

もはやイケてるみなさまの観察を楽しむことに決めたのである

懇親会の時点であの乱れ様だ。

明日入社式である

かくいう私もおこぼれを頂戴する可能性が無きにしもあらずということもないことはないだろうと考える自分もいるのではないだろうかと思っている。

とにかくだ。

社長によるフィスト講習を楽しみに今日は寝るのである

2017-02-12

卒業式

卒業式の日。成人式の日。入社式の日。

いつだってイベントごとの日は両親をがっかりさせた。

卒業式ー。

悲しいほど綺麗なままの卒アル

卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。

そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。

そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。

私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。

成人式ー。

これも、身内だけの、小さなさな儀式

誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院スタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。

テレビをつけると成人式話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。

卒業式の時感じたあの予感は、あながち間違いではなかった。

入社式ー。

本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。

真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。

これからも、何かイベントごとがある度に、家族を悲しませるだろう。そして何より私自身が挫折し、絶望しなければいけない。

華やかなイベントの裏にこうした人種もいたのだということを、記録に留めておく。

2016-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20160618211423

自分就活が辛すぎて落ちまくって、もう自分世界から必要とされてない人間だ、このまま春になったらきっと死ぬと思ってた。

職無しのまま卒業し4/1を迎え、一斉入社式ニュースを布団の中で見た時に「あれ、死ななかった」と思った。

その後しばらくして新卒中途関係ない中小求人就職し、大企業やらベンチャーやら経て今は幸せに働いてる。

意外と世界は終わらないし、意外と死なないと思えばしんどい時もなんとかなった。

企業工数分の人手が欲しいだけで、誰の事も真に必要とはしていない。

大丈夫だ、意外と死なない。職を得る事への渇望や怨みはいつか力になる。生き延びる事を願う。

2016-04-23

美人友達

もう10年近く前、私が最初入社した会社の同期に、すごい美人がいた。

A子と呼ぶ。

どのくらい美人かといえば、男を連れていても、「初見だけど一目惚れした!」と飲食店店員乱入して告白してくるくらい。

素っぴんでさえ佐々木希よりも神々しい。

その場にいるだけで、空気が華やぐ。

A子には、身なりに関して思い切りの良さがある。

はじめてあった時は入社式の時。

お尻まで届く長い髪だったのに、次の週にはショートカットになっていた、

A子は1度も髪を染めたことがないという。

ピアスをあけたこともないという。

私は毎朝前髪に悩み、髪色を変えたらオシャレになれるかなと思ってジタバタしたりするのに、A子はたぶん、そういう悩みがないんだろうな。

もちろん、A子だってオシャレに興味はあるのだろうけど、似て非なる悩みだと思う。

私は、どうにかしてマイナス100をゼロに、あわよくばプラスにできるかの悩み。

A子のオシャレは、純粋気分転換だと思う。

A子はお母さんと洋服を共有するという。

どんな服を着たってかわいい

A子がRV車を運転したらセレブに見えるし、コンパクトカーを運転しても都会的でスマートに見える。

少し前に、FBでA子とつながることができた。

A子は証明写真のような無表情で正面からシャリしたものLINEFBプロフ画像にしてる。

実物がもつオーラのようなものはないが、そんな写真なのに十分すぎるくらい美しい。

A子はまだ独身だった。

恥ずかしい話だが、A子より先に結婚したことを誇らしく感じる自分がいた。

その自分に気がついたとき、どうしようもなく自己嫌悪した。

勝ち負けなんかじゃなく、好きだから結婚したのに。

女の本性は、ホント醜い。

A子は、勝ち負けなんかじゃなくて、純粋恋愛できるんだろうなと思うとうらやましい。

一方で、あれだけ美しすぎると、好まざる男も惹きつけるだろうから、それほどイージーモードではなくて、だからまだ独身なんだろうなともおもったり。

もう、誰かと比べたりせず、夫と子供を大切にして生きていこう。

ダサいおばさんになっても、幸せならばよいのだ。

2016-04-03

新入社員挨拶がキツい

勤めているのが小さな会社なんで、入社式新入社員全員が自己紹介をするんだけれど、

ピントがずれたことを語りはじめたり、引いてしまうほど滾っていたり、

上手いこと言おうとして滑っていたり、逆にあからさまにテンプレで浮いちゃったり、

毎年そういったものが必ず何人かいるのに、ツッコミというかフォロー役もいない状況で喋らせるもんだから胃が痛くなる。

皆こういうのって微笑ましいとか思って受け止められるもんなの?

2016-04-01

今日は、入社式なんてやってるけど、

リーマン・ショック経営悪化して

20代で転職した身からすると興ざめするわ。

2015-11-08

四季を感じるのが好きなんだけど

春だと花見入学式入社式新生活

GWだと行楽地へピクニック

梅雨だと紫陽花や雨

夏だと海、花火BBQプール

秋だと紅葉ハロウィン

冬だとイルミネーションクリスマススキー、雪

こういう四季を感じることがすきで、

四季を感じるイベントに参加したり、そうでなくても散歩しながら四季を感じるだけで満たされる

四季を感じるのが趣味だと言ってもあまりまわりの人に伝わらないので、何かよい言い回しがあれば教えてほしい

四季を感じられる日本に生まれて本当によかったと思う

2015-08-14

就活解禁時期をいじれる人たちへ

就職活動を終えた大学生です。

今年は解禁時期が大幅に遅れましたが、学業に支障きたしまくりでした。

学校全然行けませんでした。

学費一年生のころと同額払っているのに。

単位は足りてます

でも来年卒業だし、この先生の話聞いてみたかったなーとか思う授業たくさんありました。

卒論だってかまってる暇が全くありませんでした。

就職活動って卒業後に解禁じゃダメなんでしょうか。

新卒一括採用自体システムですけど、少なくとも卒業後にしません?

人事部の人たちだって面接やってるおじさんたちだって嫌だったでしょ???疑問に感じてたでしょ???

大学側もなんか言って欲しいです。言いなりじゃないですか。

どう考えても弱い立場にいるのは学生です。守ってください。

たとえば、

卒業後の4月に解禁

10月内定式から新人研修

翌年4月入社式

とかどうでしょう

お願いしま!!!

いい加減変えましょうよ!!!

2015-03-10

適当に生きすぎている

http://anond.hatelabo.jp/20150305021937

旧帝理系男で勤続17年。

元増田と同じような感じで、自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。

就職先を決めるときには特に何かやりたいこともなかったのが、

当時ノートPCを買うにあたってさんざん悩んだ中で選んだ機種を発売していた会社にした。

私は仕事を通した自己実現なんてすぐにあきらめたし、社会を良くするというような使命感はあまりないけど、使命感を持っているフリをして動かざるを得ないのがこの社会である(ドラッカーにも企業の社会的責任についてはいろいろ書いてあるんでね)。

ただ私生活では、質素生活をしている妻と子供迷惑をかけなければいいって感じなので、最悪転職先が見つからないままこの会社をやめてもなんとでもなると思っている。そういう意味では生活レベルが上がっている他の人達よりずいぶん特殊存在なんだろうなと思う。

でも就職活動ではその会社製品の好きなところをひとつひとつ丁寧に話していったらなんだかOKだったし、そのあと会社内でも特にやりたいことをバリバリやってる感じじゃないのに普通に成果が上がってるようだしいろいろ辛いこともあるけど殆ど惰性で働いているようなもんだ。

日々、会社行きたくない思いつつ、会社休む理由を考えるのすら面倒だから出勤してるし、遅刻すると謝るの面倒なので定時にちゃんと出勤できてる。

それで金使うのも面倒なのでじわじわ溜まってくる。

事業部が切り離されて売られるとか、事業部閉鎖とかそういうリストラは頻繁にあるんで、そこはうまい立ち回りが必要だという話だ。もう面倒なのでいっそリストラしてくれと思っているがなかなかされずに継続勤務である

将来の夢なんて要らないんである

さてここからもっと適当である

学生企業研究を求めるのは企業側の教育放棄なんじゃねーのばーか


企業研究そんなに大変なのかと思ったけど

https://job.nikkei.co.jp/2016/open/enterprise/search/02.html

これ埋めるだけでいいならそんなの1時間もあればできるだろ?

それすらやりたくないくらい興味がない会社なの?

そりゃそんなところを受けにいくだけ時間無駄だしもし受かっちゃったら入社式からなにやら全部が時間無駄だぜ?

人気のある企業は、男女比で男が多い学校の上位カースト女子みたいなもので、

付き合えば他の男に自慢できるからって理由で後先考えずに「つきあおうよ」って言ってくるバカな男がたくさん来ている、

みたいな状態なわけ。

あなたモテ女子だったとして、そういう男とあっさり付き合ったりするのか?

まず「私のどのへんが好きなの?」って思うのは当然の疑問だろう。

(A) 具体的な性格とか趣味が一致してるとか云々

(B) 「おっぱいが大きいところです!!」

(C) 「たくさんの男子モテてるところ!!」

(D) 「女の子なら誰でもいいんです!!」

(A)よりも(B)のほうがよい答えだと思う女子も居るかもしれない。

でもあまり居ないと思う。そのへんは相手を調べないとわからないってこと。それくらいやってよ。

だいたい「付き合って何するんですか?」「どういうお付き合いをするんですか?」「趣味が合うか」「価値観が合うか」とかそのへんが気になるはず。

下記(A)(B)(C)の男子が居たとして、(B)や(C)を選びたい女子果たして居るのか?

(A) それなりに自分の好みをついた回答をしてくる男子

(B) 「OKをもらうことだけ考えてたので、その先のことは…何も考えてません」

(C) マトはずれな回答ばかり言う男子

というわけで元増田必要なのは夢とかじゃなく、モテる技術だと思うよ。

2015-02-25

春は悲しい 追記

一昨日の大雨に降られ、仕事場でカッパを借りて自転車で帰った。

帰宅途中にバイト面接に寄らなきゃいけなかったから、iPhone地図アプリを頼りに目的地へ急いだ。

突然画面が黄色地のバーコード柄になった。

浸水だと気付いたときにはもう見知らぬ道にいた。

バイト面接には30分も遅れ、ひたすら謝り倒した。

もう駄目だと思った。

帰ろうと自転車に乗ると後輪にどうも固い感触がある。

パンクしていた。

面接場所から家までは通常自転車で30分ほどだったが、40分かかった。

帰宅後、スーパーまで20分歩き除湿剤を買った。

自棄で併設のパン屋でいくつかパンを買い、荒々しく食べながら帰路を歩いた。



翌日、自転車を押してまた別のバイト面接に向かった。

実はこの日、2/11ぶりの2月中2日目かつ最後の一日オフだった。

他の日はずっと何かしらのバイトをしていた。

オフのままだったら、あるところに電話をして、面接に行って、帰ったらゲーム三昧の予定だった。

それも叶わなくなり、少し早く家を出て、先に自転車屋に寄った。


「あー、これはタイヤごと変えないとだめですね。」


3900円かかった。

そして面接を挟んで今度は家で調べておいたiPhone修理屋に向かった。

店主はいなかった。

店を出て、行けそうなところでピックアップしていた他の修理屋に公衆電話から電話した。

電車を乗り継いで20分ほどの距離のところならこれからでも修理してくれるらしい。

一応、携帯キャリアショップにも寄って、正規修理でいくらかかるかも確認しておいた。

7700円だそうだ。

非正規修理屋に一度預けたが、その周辺で暇つぶしできそうな場所はなかった。

そこから20分歩いて隣の駅のショッピングモール内のヴィレバンで暇をつぶし、タイミングを見て預けた店に修理料金を聞く電話をかけた。

「13800円ね。データは無事だよ。」

データがなくなって7700円、データありで13800円。

バックアップがなかったので13800円を払うと決め、銀行に行った。

今月の携帯代10000円と電気代10000円を引き出した。

残高は数百円になった。




来月に引っ越す予定がある。

家賃は安いが遠い場所だ。

もちろん縁もゆかりもない。

現在フリーター自分の、就職に伴う引っ越しだった。

もう面倒臭い

バイトをこれだけ増やそうとしてるのも、引っ越し費用のためだった。

でも、もう元手も何もない。

いまの職場はすごく楽しい。ずっとここにいたい。

母にそう言ったら「安定しないからダメ。一度正社員になってビジネスマナーを身につけろ」と言われた。

ビジネスマナーなんて書籍ネットでいくらでも知ることができるじゃないか。

安定なんて正社員でも怪しい世の中じゃないか。

フリーターになって一年、なんとかかんとかやってきた。

家計は火の車だったが、週に3日しか働いていなかった。

週に5日も働けば十分やっていけるんじゃないか。

正社員の魅力がわからない。



引っ越しに伴ってなかなか会えなくなるだろう友達とも遊ぶ約束をした。

「何かしたい事や行きたい場所があったら教えて!」

メールの返事はどいつもこいつも「ぐだぐだしゃべれればいいかな~。」だった。

自分は「スケートがしたい。」と言った。

「怪我がこわいから。」「自分にはできない。」と全員に頭から断られた。

自分だって小学生以来だ。

どうしてこうもチャレンジ精神のない連中だろう。

誰も代替案も出してはくれなかった。

どうしてこうも協力する姿勢のない連中だろう。

こんな人たちと会わなきゃいけないのか。


引っ越しをする気力も湧かないし、先に就職した友達には「未来は明るいよ!」と言われたがそんなことはない。

まず引っ越せない。

仕事にやる気を出せない。

誰にも会いたくない。

そして修理したiPhoneには昨日からずっと今まで来なかった迷惑メールがひっきりなしだ。

ただただ、悲しい。


追記。

就職先は動物園職業飼育員になる。

ギリギリまで会社から連絡がなかったので引っ越し時期の確認といって電話した際の話では、

入社式後~3日目までは全体研修、4日目以降は配属先での研修と言われた。

まり一般的ビジネスマナーなんてのはその3日の間にやるんじゃないだろうか。

しか内定書に「ビジネス実務法務検定ビジネス会計検定各3級程度の自習をしておくこと」と記載されており、

会社側に社会人としての教育をしてやろうという意思はないといえるのではないか。

そう推察される中、一般的ビジネスマナーを身につけるためにも正社員になれ、とはどういうことなのか。

理解に苦しんでいる。


面接場所地図印刷していなかったが、住所は記憶していた。

iPhoneが使えなくなったと分かった瞬間から、見つけたコンビニ全てで地図を見せてもらい話を聞いた。

関東南側のくせに田舎なもんで、携帯が役に立たなくなって一番最初に見えたのは大きな中古車販売業者だった。

コンビニはしばらく走っていかないと見つからなかった。

いかんせん仕事から面接場所までの距離が20km弱あったんだ。

終業17時、面接時間19時で、2時間あれば多少道に迷っても自転車で間に合うと朝判断していた。

今回の状況でできることはやったと思う。

遅れたことは本当に申し訳なかったし、自己責任しかいいようがないけれども。

励ましの言葉をかけてくれた方、ありがとう

でももう絶望の真っただ中だ。

このまま死にたい

2014-11-02

評価されない人生

今年で30歳になった。

人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。


まり小学校

ミニバス所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。

確かに僕は運動神経がとても悪かった。


小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。

僕は成長が人より遅かった。


中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。

その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。


周りを見返したくて、必死勉強した。その結果、地元北海道進学校入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。


唯一得意だった勉強ダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル浪人もしたが結局志望校合格は出来なかった。


顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県大学入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。


就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接から憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社説明会を受けた。経営陣の考え方、会社ビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月東京ベンチャー企業就職が決まった。


一人一人が会社インパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的発言した。会社から評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランク評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。


生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。


覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強しまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。


大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブ主任から評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。


最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。

そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいこと出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。


だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。

どうしようも出来ない、自分が情けない。

誰か僕を助けてください。

2014-08-04

子育てについての自分の中の大きな不安

http://anond.hatelabo.jp/20140804000142

この奥さんが他人に思えなかった。

自分と重なるであろう部分が多く、自分ちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。

本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。



高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。

大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。

活動の内容そのものより、自分組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。

部のために骨身を惜しまず動いた。

一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。

でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。

周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。

いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。

周囲の人間自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。

何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格から」と受け入れて、ひとつ個性として尊重してくれている。

周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。

周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。

このことに、4年かかってやっと気づいた。

それから新卒内定した会社就職した。

同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。

大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。

としばらく思っていた。

しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。

ここの会社は毎年の恒例行事地域お祭り新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。

わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。

入社式では新入社員代表あいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。

わたしはそのことに、全く気付かなかった。

やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。

ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。

その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。

テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。

わたしは2ちゃん顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず淡々とその新しい内容の練習を続けていた。

それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。

同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。

けれど問題はそんなことではない。

学生時代から課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。

周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。

そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。

ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。

「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。

たか最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。

少ししてから部署の中でも居心地が悪くなり始めた。

親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。

仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手解釈していたが、これもそうではなかった。

上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。

こういう周囲の空気感みたいなのも、当時は理解できなかった。

周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。

わたしは2年持たずにその会社を辞めた。

「その会社自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。

けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気会社でもなかった。

いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。

本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。

その上司結構ろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。

けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。

孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。

そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。

はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業問題点だと考える人もいるのだろうと思う。

しか現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本会社しか勤め先がないのだから適応するしか選択肢はないのだ。

と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。

自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。

当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。

新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏リストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。

この、一社目の退職から二社目に就職うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。

「そんなに死にたいなら死ね!」

公衆の面前で怒鳴られたりした。

気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。

要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである

自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。

努力の方向が間違っていたのだ。

「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。

しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。

朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。

正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。

その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。

この部下には本当に恵まれていたと思う。

また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。

わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的和解できた。

これは錯覚ではなく、本当にうちの担当仕事はうまくいっていた。

業績も上がり、会社から表彰されたりもした。

そんで今、燃え尽きかけている。

こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。

平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わず自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛病院に通うことが増えた。

比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。

前の部署は、本当に「打てば響く」人材ばかりだった。

わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。

当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。

丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。

また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。

この繰り返しだ。

もうなんか、わからない。

今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。

この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。

でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。

いや、一度だけ言ったことがある。

マニュアルに従わない人に対して

「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」

という内容のことを言った。

彼女の返答は

「今まではこれでうまくいっていたんです」

だった。

その

「うまくいっている」

というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は

「うまくいっていない」

のです、という説明が、彼女にはもう理解できなかった。

結局、さらに上の人間を呼んで直々に話をしてもらった。

それ以降彼女は、マニュアル通りのことしかしなくなった。

自分で考えて発展的に動くことを意識的にしなくなったのだ。

それで十分だと思う。

彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。

それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。


わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。

こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。

わたしの場合、年下なら、まだ許せる。

年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。

奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。

うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。


「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。

仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。


でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。

わたしは常に「役割」の中で自分を評価してきた。

学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか

それがわたしの自己評価だった。

からおのずと、他人もそのように評価する癖がついた。

役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。

反対に、「役割」に忠実でない人間を強く軽蔑してきた。

学生時代なら、学業部活動

社会人なら仕事だ。

そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。

役割」に沿う振る舞いができないと、自分を強く責める。


それしか、わたしのよりどころはなかったからなんだと思う。

自分自分でいられているというアイデンティティ自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。

自己評価を外部に依拠するしかないのが今の自分だ。


今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。

彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである

叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待ほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくま事務的淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。


やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。

少なくとも子どもは産むべきではない。

今日帰ったら、彼に話そう。

なんとなく迷っていたことに決心がついた。

2014-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20140723000250

趣味でも経験でも性格でもなんでもいい。

わっ、とお互いの似通ったところを見つけあって、その内容でパーンと花火のように盛り上がれ。

それができれば合格だ。もう何も考えるな。

アナに求婚したハンス王子のごとくソッコーでプロボーズしろ

多少の不満はあっても目をつぶれ。考えたら負けだ。

さっさと中田氏して子供つくって「できちゃった」のちょい前を計算して両家に挨拶にいけ。

挨拶が終わったあとにできたことがわかれば、両家もそこまで嫌な顔はしない。

さあ式の相談だ。

マタニティドレスを着られる結婚式となれば条件が限られる。

腹が出る前に済ますか、出てからますか、

今持っている金はいくらか、両家は援助してくれるのか、

空けられるスケジュールはいつか。

条件が狭まっているほうが物事ってのは強引にガリガリと進む。

いいか、結婚式はやるもんだ。

やらないのがかっこいいとか勘違いしているヤツ、テメーはダメだ。

学校卒業したら卒業式会社に入ったら入社式。そういうもんだ。一切悩むな。

規模は問題じゃない。家族だけでもいい、友人を呼んでもいい。

彼らの前で人生の主役に一回なっとけ。それが後々効いてくる。

ここまでで半年が怒涛のように過ぎ去る。

残りは出産準備だ。付き合い始めて約一年で初の子供ができる。

両家のジジババがお祭り騒ぎだ。本人たちは大変でも周りはニコニコしてくれる。

その事実を受け止めてカラーバス効果についてふたりで話し合え。

カラーバス効果については自分でぐぐれ。

子供のことで盛大にけんかしろ。お互いの体調や犠牲にしたもののことで罵り合え。

そして絶対に仲直りしろ

子供の寝顔を挟みながら仲直りしろ

それを繰り返せ。週に一回、三日に一回、いや毎日でもかまわない。

けんか→仲直り→けんか→仲直り……このサイクルが夫婦をつくる。

いいか、大事からもう一度言うぞ。

このサイクルが夫婦をつくる。

これが結婚だ。くだらねえ理想にすがってんじゃねえ。勘違いすんな。

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