はてなキーワード: 入社式とは
3年前の大学4年生の4月、まだ内定がなかった。同じゼミの就職希望組は全員内定があったこともあり、相当焦っていた。大学内で会社説明会が行われる時は積極的に参加した。5月に最初に内定が出た。自分は内定が出たことにより安堵してそれ以降の就職活動はやめてその会社に行くことにした。
2年前に入社式があり、当時は社内でプログラミングし、何かシステムを作るんだなと漠然と思っていた。だが現実は違った。入社式のあった週の金曜日に大阪に行くことになった。大阪に行き面談し、客先での了承が降りればその会社が勤務先になるのだと言われた。当時は相当混乱した。IT企業に正社員で内定=社内で作業と思っていたのだ。実際に金曜日に大阪のある会社に行き面談を行った。面談で言われたことはCは出来るかということや長時間働くことは出来るかのような内容だった。自分はCに関しては大学の授業でやった程度なら出来ると答えた気がする。それ以外のことは確か元気が無さそうに否定的なことを言った気がする。正直もうほとんど覚えていない。結果その会社に行くことはなかった。
次に別の会社に面談することが決まった。2社目の面談が決まるまでは社内でCの勉強をしていた。面談ではpythonは出来るかと言われた。当時の自分はpythonをやったことはなかったが一生懸命がんばりますと言ったら受かった。2週間後からはその会社に派遣契約で行くことが決まった。そしてここは8ヶ月で終了となった。この8ヶ月間はほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。
次の会社に面接するのは2ヶ月後だった。Androidの開発のプロジェクトに参加するということで、大学の授業でJavaの勉強をしていたのでそこに決まった。だがここで主に行ったことはCentOSの環境構築とドキュメント作成だった。Javaはほとんど使わずに5ヶ月で終了となった。この会社はおそらくSES契約だった。SES契約についてはあとで説明する。ここにいた5ヶ月間もほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。
3社目はC#を使う会社だった。小規模な社内で使うツールを1から開発するというプロジェクトで技術者的に成長できるだろうと思っていた。このプロジェクトも客先での作業だった。ここで作業していて最初は忙しかったが、段々他の人の作業を待つことになり時間が出来た。時間が出来た結果、帰属意識を考えるようになった。自分はいったいどこの社員なんだろうと。自社の正社員なのだろうけど、実際に行く会社も違うし、指示を受けるのも他社の人で自社との関わりは数カ月に一度様子を見に来るのだけだった。
ここのプロジェクトに参加したときにプロジェクトの説明が書かれた紙を渡された。その紙のあるところにSES契約と書かれていた。自分なりにSES契約について調べた結果、派遣契約をせずに派遣として他社の社員を使うものなのだろうと判断した。正確にはみなさんの自身の手で調べてほしいと思う。そしてこのIT業界では殆どのプロジェクトでこのSES契約が使われていることを知った。
3社目も5ヶ月で終わった。
4社目はJavaを使い、大規模システムの一部機能の開発を行うことだった。2社目と違い、本当にJavaのしかもかなり難しい知識が必要となり、かなり勉強になった。だが、ここもSES契約で客先での作業だった。この頃になると自分は自分の働き方に嫌気がさしていた。正社員で入社したのに実質派遣という。同じフロアの別の人を見れば正社員で、しかも客先常駐せずに働けているのに何が違うのだろうと。結果は自分の入った会社が間違えていたのだと知った。そのため今月で辞めた。
ここで一つ謝らなければならないことがある。タイトルにはIT企業をやめた話とあるが、正確にはSES企業をやめた話である。IT企業をやめた話にしたほうが沢山の人が見てくれると思うからこのタイトルにした。
この業界にいたからわかるのだが、SES契約をメインの事業として収益を上げるのと、自社システムを開発して製品として売るのではまったくビジネスモデルが違う。SES契約のメインの事業は単なる派遣である。だがITに詳しくない人(別業種)からすれば全てIT企業として統一されてしまうのである。
自分はプログラミングが好きだから約3年間働くことが出来た。だが、同じ業界で自分と同じ状況で働けなくなった人を何人も見てきた。今SES契約メインの会社で働いている人は本当に今の働き方(派遣のような働き方)でいいのか考えてほしいと思う。
今大学生でこれからIT系に行く人は自分と同じ目に合わないでほしいと思う。実質派遣なので勤務地はコロコロ変わる。3社目からは通勤時間が片道2時間を越え、まともに睡眠時間を確保することができなかった。通勤時間が長かったのもつらかったが、それ以上に暇なのがつらかった。客先での作業を例えばその月の10日に終えたとして次の案件が来月に始まるとしたらその間ずっと放置である。さらにその上に日報や週報の提出を求められれば何も書けないのである。それ以上につらかったのが、PCが用意されていなかった時である。その会社のプロパーの作業用PCの申請が遅れた結果、プロジェクト開始と同時にPCが用意されておらず、PCが無いけど定時まで客先にいてくださいと言われた時はほんとうにつらかった。PCがなければ何をしているかというと虚空を見つめるだけである。それがだいたい三週間続いた。
プロパーといえばIT業界ではプロパーはまったくプログラミングが出来ないと言われているが、自分の印象では半々が出来て、半々が出来ないという感じだった。おそらくこれはIT業界の多重下請け構造のどこらへんに客先常駐するかで変わると思う。この業界にいて未だに分からないのはプロパーはSES契約で来ている人に直接指揮命令している人って偽装請負ってわかっているのかそれとも偽装請負と知らずに指揮命令しているかってことです(本人達に聞く勇気はさすがに無かった)。自分がもしプロパーで偽装請負って知っててSES契約で来てる人に直接命令したら多分罪悪感で潰れてしまいそうと思った。
会社は怖い場所で上司は怖い人、失敗したら一生の終わりでクビになってずっと惨めな思いをするんだ…と思い続けて十数年。
そして、会社に入っても続けられるのは本当に少ない人数なんだろう。
ブラック企業だったり、人間関係だったり、自分に合わなかったり…。
自分は中学から就職は厳しいし、ゆとり社員はすぐ辞めると言われ続けてきた世代。
自分は耐え切れなかった。
働くことが怖くてうつ病にまで発展した。
涙が止まらない。
自分はあそこまでとてもいけない。
とても辛い。責められた。
クレヨンしんちゃんの野原ひろしですらエリートになってしまった。
ならそれすら出来ずにうつ病になるまで追い込んで追い詰められた自分はどうしようもないじゃないか。
自殺して楽になりたいぐらい。
親の脛かじってることでまた罪悪感に襲われる。
何かやろうとしても何も出来ない。
本当にどうすればいいんだ。
何がいけないんだ、誰に頼ればいいんだ。
40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)
まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日生まれのオヤヂです(*^_^*)・・・)
年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ
もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合が若い人に比べて圧倒的に高い。
twitterの機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。
最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。
10代20代の若い人達がちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。
次世代の生産者は若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷりの人生観を押し付ける行為は害悪以外の何物でもない。
これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。
でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。
今日は入社式で入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙な文章で申し訳ないです。
でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活、仕事、趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。
※追記
twitterは他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。
あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いていますが10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人の意見ですけど)
2017年新卒の皆様におかれましては、就職おめでとうございます。私は今日会社を辞めた17卒です。
この文章は
①就活を真面目にやらなかった
といった事について書かれており、あくまで法律バットで戦ったりするような立派でタメになる話ではありません!
また、詳細について濁している部分もあり、全てが事実に基づくという保証は出来兼ねますのでご了承ください。
********
3月から早期入社して働いていたものの、内情の無茶苦茶さから試用期間中の退職を電話で伝え、晴れて既卒となった。
無職の空は明るかった。私は今、何者でもない。
今聞いている、坂本慎太郎の「幽霊の気分で」という曲が身体に凄く馴染む。
何の考えも無しに空気に流されて就職活動を行ったところ、当然の如く落ちに落ち続ける。
人の話にも耳を貸さず、闇雲に動くことを勝手に努力だと思い込んでいた。愚かだった。
秋口にようやく一つの会社から内定が出て、焦りと安堵から就活を完結させてしまう。
入った会社は所謂B to Bの中小企業で、土日もあるしここならまあ大丈夫だろう、サラリーマン頑張るぞ、と高を括っていた。
大間違いだった。
まず、出社当日。社長にマンツーマンで魂のメッセージを送られ1日目が終わる。
何かがおかしいけど、よくある心得の話だな!と思う。ほぼ定時で終了。
2日目、3日目、4日目、少しの勉強を含めた魂メッセージは4日で合計「39」時間。既に定時の概念が崩壊し始める。
社会人の残業なんて当然だとは思うけど、研修の段階でこれはおかしいのではと思う。
「土曜日」に入社式。新卒者は私一人のため、極めて簡素な形で終わり、すぐに会議が開始され、置いてけぼりになる。
分からない事は聞くべき!とは思うものの、幾ら何でも説明や研修が無さすぎる。
1日休んで次の週は、独りで10年前の名簿の整理と営業ルートのリスト作成。終わらなければ仕事は帰れない!と言われ頑張る。
しかし、数千件のリスト整理なんて到底終わる筈がない。ここから8時〜9時コースに。
(終わったので帰ります、と言って帰った日に陰口が飛び交ったから気をつけた方がいいよ、と先輩に翌日伝え聞いた)
ディテールを書くと諸問題が発生し兼ねない為、ここについてはボカす。
しばらくこれを続ける内に、このままこの会社で一人前になったら殺されると思い、退職を決める。
2分ほどの電話で、それは呆気なく決まった。
さて、今までこれを読み進めた方は、仕事の内容的には研修がゼロでは無いわけだし、ワンマン経営や中小ならよくある事と考えられるかもしれない。
・就業規則を見せてくれない(口頭でガーッと説明されるのみ、細かい点はボカされる)
・マイナンバー、年金、保険、振込口座の提出が一切求められない
給与形態も、みなし残業制であることすら私は知らず、人から伝え聞いた。
逆に何の書類もないから逃げられる!とポジティブに退職を決められて良かった、とすら思う。
給与は貰えないかもしれないけれど、ダメ元で振込口座だけ退職届と合わせて送ってみることにする。
もっとも、最初から存在していない扱いを受けるかもしれないが。
説明義務は会社にあれど、確認不足は労働者の責任でもあるだろう。
私はここまで来て初めて、自分の愚かさと就活の重要さを痛感した。そして学習した。
既卒という不安な、茨の道に進むとしても、去年よりは間違いなく建設的な職探しが出来るだろう。
言わば「ブラック企業へのインターン」という戦場体験は良い勉強になったと思う。
こんな会社は恐らく星の数ほどあるだろうし、生活を考えると逃げられない人もいるだろう。
しかし、私のように特に枷が無い、もしくは枷がまだ緩い方は、今すぐに逃げ出すべきだと思う。今すぐ、今日にでも。
卒業式ー。
悲しいほど綺麗なままの卒アル。
卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木で写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。
そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。
そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。
私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。
成人式ー。
誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院でスタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。
テレビをつけると成人式の話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。
入社式ー。
本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。
真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。
もう10年近く前、私が最初に入社した会社の同期に、すごい美人がいた。
A子と呼ぶ。
どのくらい美人かといえば、男を連れていても、「初見だけど一目惚れした!」と飲食店の店員が乱入して告白してくるくらい。
素っぴんでさえ佐々木希よりも神々しい。
その場にいるだけで、空気が華やぐ。
A子には、身なりに関して思い切りの良さがある。
はじめてあった時は入社式の時。
お尻まで届く長い髪だったのに、次の週にはショートカットになっていた、
A子は1度も髪を染めたことがないという。
ピアスをあけたこともないという。
私は毎朝前髪に悩み、髪色を変えたらオシャレになれるかなと思ってジタバタしたりするのに、A子はたぶん、そういう悩みがないんだろうな。
もちろん、A子だってオシャレに興味はあるのだろうけど、似て非なる悩みだと思う。
私は、どうにかしてマイナス100をゼロに、あわよくばプラスにできるかの悩み。
A子はお母さんと洋服を共有するという。
どんな服を着たってかわいい。
A子がRV車を運転したらセレブに見えるし、コンパクトカーを運転しても都会的でスマートに見える。
少し前に、FBでA子とつながることができた。
A子は証明写真のような無表情で正面からパシャリしたものをLINEやFBのプロフ画像にしてる。
実物がもつオーラのようなものはないが、そんな写真なのに十分すぎるくらい美しい。
A子はまだ独身だった。
恥ずかしい話だが、A子より先に結婚したことを誇らしく感じる自分がいた。
女の本性は、ホント醜い。
A子は、勝ち負けなんかじゃなくて、純粋に恋愛できるんだろうなと思うとうらやましい。
一方で、あれだけ美しすぎると、好まざる男も惹きつけるだろうから、それほどイージーモードではなくて、だからまだ独身なんだろうなともおもったり。
もう、誰かと比べたりせず、夫と子供を大切にして生きていこう。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
元増田と同じような感じで、自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。
当時ノートPCを買うにあたってさんざん悩んだ中で選んだ機種を発売していた会社にした。
私は仕事を通した自己実現なんてすぐにあきらめたし、社会を良くするというような使命感はあまりないけど、使命感を持っているフリをして動かざるを得ないのがこの社会である(ドラッカーにも企業の社会的責任についてはいろいろ書いてあるんでね)。
ただ私生活では、質素な生活をしている妻と子供に迷惑をかけなければいいって感じなので、最悪転職先が見つからないままこの会社をやめてもなんとでもなると思っている。そういう意味では生活レベルが上がっている他の人達よりずいぶん特殊な存在なんだろうなと思う。
でも就職活動ではその会社の製品の好きなところをひとつひとつ丁寧に話していったらなんだかOKだったし、そのあと会社内でも特にやりたいことをバリバリやってる感じじゃないのに普通に成果が上がってるようだしいろいろ辛いこともあるけど殆ど惰性で働いているようなもんだ。
日々、会社に行きたくない思いつつ、会社休む理由を考えるのすら面倒だから出勤してるし、遅刻すると謝るの面倒なので定時にちゃんと出勤できてる。
それで金使うのも面倒なのでじわじわ溜まってくる。
事業部が切り離されて売られるとか、事業部閉鎖とかそういうリストラは頻繁にあるんで、そこはうまい立ち回りが必要だという話だ。もう面倒なのでいっそリストラしてくれと思っているがなかなかされずに継続勤務である。
将来の夢なんて要らないんである。
https://job.nikkei.co.jp/2016/open/enterprise/search/02.html
これ埋めるだけでいいならそんなの1時間もあればできるだろ?
それすらやりたくないくらい興味がない会社なの?
そりゃそんなところを受けにいくだけ時間の無駄だしもし受かっちゃったら入社式からなにやら全部が時間の無駄だぜ?
人気のある企業は、男女比で男が多い学校の上位カーストの女子みたいなもので、
付き合えば他の男に自慢できるからって理由で後先考えずに「つきあおうよ」って言ってくるバカな男がたくさん来ている、
みたいな状態なわけ。
あなたがモテ女子だったとして、そういう男とあっさり付き合ったりするのか?
まず「私のどのへんが好きなの?」って思うのは当然の疑問だろう。
(B) 「おっぱいが大きいところです!!」
(D) 「女の子なら誰でもいいんです!!」
(A)よりも(B)のほうがよい答えだと思う女子も居るかもしれない。
でもあまり居ないと思う。そのへんは相手を調べないとわからないってこと。それくらいやってよ。
だいたい「付き合って何するんですか?」「どういうお付き合いをするんですか?」「趣味が合うか」「価値観が合うか」とかそのへんが気になるはず。
下記(A)(B)(C)の男子が居たとして、(B)や(C)を選びたい女子が果たして居るのか?
(B) 「OKをもらうことだけ考えてたので、その先のことは…何も考えてません」
(C) マトはずれな回答ばかり言う男子
一昨日の大雨に降られ、仕事場でカッパを借りて自転車で帰った。
帰宅途中にバイトの面接に寄らなきゃいけなかったから、iPhoneの地図アプリを頼りに目的地へ急いだ。
もう駄目だと思った。
帰ろうと自転車に乗ると後輪にどうも固い感触がある。
パンクしていた。
面接場所から家までは通常自転車で30分ほどだったが、40分かかった。
自棄で併設のパン屋でいくつかパンを買い、荒々しく食べながら帰路を歩いた。
実はこの日、2/11ぶりの2月中2日目かつ最後の一日オフだった。
他の日はずっと何かしらのバイトをしていた。
オフのままだったら、あるところに電話をして、面接に行って、帰ったらゲーム三昧の予定だった。
それも叶わなくなり、少し早く家を出て、先に自転車屋に寄った。
「あー、これはタイヤごと変えないとだめですね。」
3900円かかった。
そして面接を挟んで今度は家で調べておいたiPhone修理屋に向かった。
店主はいなかった。
店を出て、行けそうなところでピックアップしていた他の修理屋に公衆電話から電話した。
電車を乗り継いで20分ほどの距離のところならこれからでも修理してくれるらしい。
一応、携帯キャリアショップにも寄って、正規修理でいくらかかるかも確認しておいた。
7700円だそうだ。
非正規修理屋に一度預けたが、その周辺で暇つぶしできそうな場所はなかった。
そこから20分歩いて隣の駅のショッピングモール内のヴィレバンで暇をつぶし、タイミングを見て預けた店に修理料金を聞く電話をかけた。
「13800円ね。データは無事だよ。」
バックアップがなかったので13800円を払うと決め、銀行に行った。
残高は数百円になった。
来月に引っ越す予定がある。
もちろん縁もゆかりもない。
もう面倒臭い。
バイトをこれだけ増やそうとしてるのも、引っ越し費用のためだった。
でも、もう元手も何もない。
母にそう言ったら「安定しないからダメ。一度正社員になってビジネスマナーを身につけろ」と言われた。
ビジネスマナーなんて書籍やネットでいくらでも知ることができるじゃないか。
安定なんて正社員でも怪しい世の中じゃないか。
週に5日も働けば十分やっていけるんじゃないか。
引っ越しに伴ってなかなか会えなくなるだろう友達とも遊ぶ約束をした。
「何かしたい事や行きたい場所があったら教えて!」
メールの返事はどいつもこいつも「ぐだぐだしゃべれればいいかな~。」だった。
「怪我がこわいから。」「自分にはできない。」と全員に頭から断られた。
誰も代替案も出してはくれなかった。
どうしてこうも協力する姿勢のない連中だろう。
こんな人たちと会わなきゃいけないのか。
引っ越しをする気力も湧かないし、先に就職した友達には「未来は明るいよ!」と言われたがそんなことはない。
まず引っ越せない。
仕事にやる気を出せない。
誰にも会いたくない。
そして修理したiPhoneには昨日からずっと今まで来なかった迷惑メールがひっきりなしだ。
ただただ、悲しい。
追記。
ギリギリまで会社から連絡がなかったので引っ越し時期の確認といって電話した際の話では、
入社式後~3日目までは全体研修、4日目以降は配属先での研修と言われた。
つまり一般的なビジネスマナーなんてのはその3日の間にやるんじゃないだろうか。
しかも内定書に「ビジネス実務法務検定やビジネス会計検定各3級程度の自習をしておくこと」と記載されており、
会社側に社会人としての教育をしてやろうという意思はないといえるのではないか。
そう推察される中、一般的なビジネスマナーを身につけるためにも正社員になれ、とはどういうことなのか。
理解に苦しんでいる。
iPhoneが使えなくなったと分かった瞬間から、見つけたコンビニ全てで地図を見せてもらい話を聞いた。
関東の南側のくせに田舎なもんで、携帯が役に立たなくなって一番最初に見えたのは大きな中古車販売業者だった。
いかんせん仕事場から面接場所までの距離が20km弱あったんだ。
終業17時、面接時間19時で、2時間あれば多少道に迷っても自転車で間に合うと朝判断していた。
今回の状況でできることはやったと思う。
遅れたことは本当に申し訳なかったし、自己責任としかいいようがないけれども。
でももう絶望の真っただ中だ。
このまま死にたい。
今年で30歳になった。
人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。
ミニバスに所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。
確かに僕は運動神経がとても悪かった。
小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。
僕は成長が人より遅かった。
中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。
その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。
周りを見返したくて、必死に勉強した。その結果、地元北海道の進学校に入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。
唯一得意だった勉強もダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル、浪人もしたが結局志望校に合格は出来なかった。
顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県の大学に入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。
就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接官からは憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社の説明会を受けた。経営陣の考え方、会社のビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月に東京のベンチャー企業に就職が決まった。
一人一人が会社にインパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的に発言した。会社からの評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢を評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代は承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランクの評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。
生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。
覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強をしまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人に就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分の人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。
大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事に忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブの主任からの評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。
最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。
そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいことに出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。
だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。
どうしようも出来ない、自分が情けない。
誰か僕を助けてください。
http://anond.hatelabo.jp/20140804000142
この奥さんが他人に思えなかった。
自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。
本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。
高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。
大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。
活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。
部のために骨身を惜しまず動いた。
一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。
でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。
周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。
いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。
周囲の人間は自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。
何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格だから」と受け入れて、ひとつの個性として尊重してくれている。
周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。
周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。
このことに、4年かかってやっと気づいた。
同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。
大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。
としばらく思っていた。
しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。
ここの会社は毎年の恒例行事で地域のお祭りに新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。
わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。
入社式では新入社員代表であいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。
わたしはそのことに、全く気付かなかった。
やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。
ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。
その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。
テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。
わたしは2ちゃんの顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず、淡々とその新しい内容の練習を続けていた。
それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。
同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。
けれど問題はそんなことではない。
学生時代からの課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。
周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。
そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。
ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。
「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。
あたかも最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。
親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。
仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手に解釈していたが、これもそうではなかった。
上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。
周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。
わたしは2年持たずにその会社を辞めた。
「その会社と自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。
けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気の会社でもなかった。
いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。
本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。
その上司が結構なろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。
けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。
孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。
そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。
はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業の問題点だと考える人もいるのだろうと思う。
しかし現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本の会社しか勤め先がないのだから、適応するしか選択肢はないのだ。
と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。
自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。
当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。
新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏がリストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。
この、一社目の退職から二社目に就職、うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。
と公衆の面前で怒鳴られたりした。
気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。
要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである。
自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。
努力の方向が間違っていたのだ。
「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的に自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。
しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。
朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。
正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。
その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。
この部下には本当に恵まれていたと思う。
また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。
わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的に和解できた。
これは錯覚ではなく、本当にうちの担当の仕事はうまくいっていた。
そんで今、燃え尽きかけている。
こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。
平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わずに自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛で病院に通うことが増えた。
比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。
わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。
当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。
丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。
また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。
この繰り返しだ。
もうなんか、わからない。
今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。
この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。
でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。
いや、一度だけ言ったことがある。
マニュアルに従わない人に対して
「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」
という内容のことを言った。
彼女の返答は
「今まではこれでうまくいっていたんです」
だった。
その
「うまくいっている」
というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は
「うまくいっていない」
それで十分だと思う。
彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。
それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。
わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。
こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。
わたしの場合、年下なら、まだ許せる。
年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。
奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。
うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。
「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。
「仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。
でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。
学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか。
それがわたしの自己評価だった。
「役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。
そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。
自分が自分でいられているというアイデンティティ?自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。
今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。
彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものだから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである。
叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観で他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待のほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくまで事務的に淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。
やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。
少なくとも子どもは産むべきではない。
今日帰ったら、彼に話そう。
なんとなく迷っていたことに決心がついた。
わっ、とお互いの似通ったところを見つけあって、その内容でパーンと花火のように盛り上がれ。
それができれば合格だ。もう何も考えるな。
多少の不満はあっても目をつぶれ。考えたら負けだ。
さっさと中田氏して子供つくって「できちゃった」のちょい前を計算して両家に挨拶にいけ。
挨拶が終わったあとにできたことがわかれば、両家もそこまで嫌な顔はしない。
さあ式の相談だ。
今持っている金はいくらか、両家は援助してくれるのか、
条件が狭まっているほうが物事ってのは強引にガリガリと進む。
いいか、結婚式はやるもんだ。
やらないのがかっこいいとか勘違いしているヤツ、テメーはダメだ。
学校を卒業したら卒業式、会社に入ったら入社式。そういうもんだ。一切悩むな。
彼らの前で人生の主役に一回なっとけ。それが後々効いてくる。
ここまでで半年が怒涛のように過ぎ去る。
両家のジジババがお祭り騒ぎだ。本人たちは大変でも周りはニコニコしてくれる。
その事実を受け止めてカラーバス効果についてふたりで話し合え。
子供のことで盛大にけんかしろ。お互いの体調や犠牲にしたもののことで罵り合え。
そして絶対に仲直りしろ。
それを繰り返せ。週に一回、三日に一回、いや毎日でもかまわない。
けんか→仲直り→けんか→仲直り……このサイクルが夫婦をつくる。
このサイクルが夫婦をつくる。