はてなキーワード: 係長とは
匿名投稿への規制が進み、202×年 はてな匿名ダイアリーはその歴史に幕を閉じ、はてな記名ダイアリーが開始された。
増田この世から消えた。 記名式増田のみがはてなの世界には残った。
投稿数は著しく減り、内容も当たり障りのないものばかりとなった。
過去5年間の増田記名ダイアリーの各年のトップブックマークエントリは以下の通り
「牛肉は鶏肉よりやはりおいしい written by 埼玉県在住 山下源五郎 67歳」
「係長になれました written by 鹿児島県在住 等々力 功 38歳」
「セブンイレブンってなんかいっぱいあるよね written by 東京都在住 橋爪 晶乃 52歳」
「求肥って何でできてるの? written by by 鹿児島県在住 等々力 功 36歳」
「最高に美味しい蒸しパンの作り方教える written by 千葉県在住 マーク・ライニッツ 42歳」
世も末である。
取引先の一つと打合せしていると、「それはセイカンが~」とか「セイカンの者が~」というワードが度々出る。
俺のアタマの中では"性感"としか変換されず、聞くたびにモンモンとさせられていた。
そんなこんなで日々が流れゆく中、次回の打合せにはセイカン(オレアタマ=性感)の女部長が出席することになった。
30超えても童貞の俺は性感の女部長にグチャグチャにされるのかと思うと、前日から夢精が止まらなかった。
打合せ当日。
リモート打合せの出席リストに表示されていたのは「生産管理部門 部長 〇〇」という字面だった。
ちなみに、女部長はおそらく50歳前後であるとは思われるものの、ムチャ美人で聡明だった。
生管だか性感だか知らないけど、とにかくグヒャグヒャにされてみたかった。
(余談)
同じ取引先の話。
「それはカダイの〇〇が~」というワードもちらほら聞くことがあった。
課題?
その会社が扱いに困ってる課題の人物なのか?とか思ってたんだけど、どうやら「課長代理(課代)」のことだったみたい。
要するに係長のことか。
みんなが思ってる斜め上でヤバいので共有する
物が無くなるとかの不祥事が滅茶苦茶多い
絶対に社員しか入れないような場所に保管してある物が普通に無くなる
紛失届出して警察入れてちゃんと事件化しましょう、と言っても誰もやらない
やったって誰も得しないし会社も得しない
結果、泣き寝入り・・・というか泣いてないからただただ寝て放置してる
それを知ってる奴が多いのか知らないけど物が無くなることが多すぎる
例えば職場にコーヒーメーカーを置きましょうとかいう話があったとすると
実際に置かれるまでは何も言わないくせに設置されると
とか言い出す
まぁそれぐらいならいいとして、そいつの席から遠くに移動させても
とか言い出して病院行って診断書取ってきてコーヒーメーカー撤去させる奴がいる
異動させようにも何を言われるか分からないのでずっと同じ職場にいる
仕事は全く出来ない
不祥事があって処分したとしても下手したら直属の部下ですらその事実を知らない
当然ながら周りの人達は全く知らないし知りようが無い
インターネットでバズるようなちゃんとした考え方をしている人が上層部にほぼ居ない
そして何も考えずに仕事している人が本当に多い
何か申請をするときに印刷した様式に捺印して持ってくるように言われたので
「なぜ捺印がいるのですか?」
と聞いても答えられない人ばかり
「捺印がないと監査で指摘される」
「でもこっちの申請書は捺印要らないし監査でも要らないと言われていますよ?」
とかそういうのばっかりで捺印することに抵抗がないし考えてもいない
捺印した書類を綺麗にパンチで穴を空けてファイルすることを頑張ってたりするし
別に普段は監査も滅多に入らないし、入っても電子ファイルしか見ないのに
本当に不祥事が多い
新聞沙汰になるような大きな不祥事があっても上司は処分されないし
異動になったから処分で降格なのかな?と思ったら普通に昇進だったりする
まぁ本当にその上司が不祥事に関わっていたわけじゃないから分からなくは無いんだけれど
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。
私がK市を退職する時点で係争中だった。判決はどうなったのだろう。もはやどうでもいい。考える価値もない。
彼は、当時40代後半の職員だった。建築系の部署で働いていた。働きぶりは有能で、能力評価ではどの項目も標準以上だった。
そんな彼が、なぜ問題職員だったかというと――性格だ。後に性格ではなく、脳機能の障害の一種であることが判明するのだが、とにかく苛烈な性格だった。
キレたい時にキレ散らかし、毒を吐きたい時に吐き、暴力を振るいたい時に振るい、不謹慎なことを言いたい時に言い、不埒なことをしたい時に埒をあけていた。かと思えば、機嫌がいい時、常識的な発言をする時、的確な助言や指示を行うこともあり、そのおかげか、これまでトラブルを起こしても小さい処分で済んでいたようだ。
ある年の春だった。
建築系の部署には珍しく、大学を出たばかりの女の子(Sさんとする)がC郎さんの部署に配属された。ただ一人の女性職員だ。そのほかは男性である。
その子の働きぶりは良好だった。10コ上の先輩(Aとする。男性。既婚)に付いて回り、仕事をひたすらに覚えていった。パワポの腕に覚えがあり、デザインセンスが抜群だと査定資料に書いてあった気がする。
精一杯頑張る子だった。愛想もいい。新人にふさわしい活発さで、気立てがよく、イベントや研修会の仕事もそつなくこなした。仲間受けも上司受けもいい。花見などの親睦行事にもよく出ていた。
……年末になる頃だった。そんな彼女の指導役だった10コ上の先輩であるAが、あろうことかSさんに手を出していたことが判明した。きっかけは人事課への匿名の投書と証拠写真(※こういう文書は大抵、職員からの密告である)で、隣の市にあるホテル街で手を繋いでうろつく2人の姿が写真に映っていた。
こうとなっては対応せざるを得ない。人事課の女性職員の付き添いとともに、Sさんを面談室に呼んで話をしたところ――Sさんとの行為に及んだのは、Aと、Aの隣の席のBと、島の奥側に座っているD係長と、Bの向かいに机が位置するC郎さんの4人に及ぶことが判明した。特に、C郎さんは(状況は省略)無理やりにSさんとの事に興じ、埒を明けていた。
さて、どうしたものか。ここまでの不倫案件は前例のない事態であるため、賞罰を扱ったことのある職員5、6人の間でも意見が割れた(賞罰の扱いが難しい案件については、人事課以外でいい意見を出せそうな職員も話に入れる)。
結論を述べると、4人ともに厳重処分(全員、3ヶ月間の減給10%。D係長はそのうえ1ヶ月の停職。Aは僻地に出向。Sさんは事務系の部署に異動。本当は免職処分にもできたが、替えの効かない専門職の部署だったので考える必要があった)となったのだが、C郎の態度があまりに酷すぎた。
何を言ったかは伏せるが、反省の色が全くなく、Sさんを無理やり行為に誘ったにもかかわらず、「Sが悪い」「なぜ俺がこんな目に」「合意の上だろう」と宣っていた。
Sさんの代わりに来た年配の女性職員がいたのだが――ミスの多さに頭にきたC郎は、彼女の頭を分厚いファイルで殴打したのだ(いわゆるキングファイル)。
周りの職員がすぐにC郎を取り押さえようとした。さらにキレて怒鳴り散らすC郎を、その階にいた市民や業者が冷たい目で見ていた……と報告書に書いてあった。
ほかにも、C郎は過去にもこうした問題行動(突然キレたり、非常識な性的発言をしたり、ふてくされたり)を起こしてきたという。
この暴力事件の指導面談の時のC郎は、上に述べた報告とはうってかわって物静かだった。やはり、その時々によって気分が変わるようだ。
「今回、C郎さんは傷害という罪を犯しました。過去に、何度も職員や企業や市民を傷つける発言をしていますね」
「必要だからやった。非常識でもなんでも、やるときはやらねばならない。嘗められたら負けである。本人を傷つけてでも、罪になることでも、組織のために必要なこともある」※私のメモには方言があったので、標準的な言葉に直している。
「嘗められようと負けようと、人として不適切な言動をしてはいけません。カチンときても我慢しないと。みんな見てるんですから。特に私達は公務員です。公務員は24時間法律を守って生きていく必要があります。水清ければ魚棲まず、といったことは組織にも当然あろうとは思いますが、今回のC郎さんはあまりにもひどい」
「わかってはいるが、現実はそういうわけにいかない。杓子定規に捉えるべきではない。後輩への指導として、やるべきことはやらないといけない」
「昔はそれでよかったかもしれないが、今は」
「どれだけ時代が変わっても同じだ。それに、私は実際に結果を出している。私が基本設計を手掛けた公共施設は5つ以上ある。十分K市に貢献している。建築の弟子だって何人も育ててきた」
「今は関係ありません」
「なぜなのか? わからない人だ」
平行線だった。埒があかない。他の職員にも聞き取ったところ、やはり若手の頃から感情的に不安定なところがあるようだ。
慎重に議論を重ねたところ、C郎に下された処分はA夫と同様の諭旨免職だった。依願退職しなければ懲戒免職処分を行う。だが、依願退職を受け入れれば年度末での退職を認め、退職金も満額出すというものだ。
C郎には、建築技師としてのキャリアがあった。民間でも使える資格を多数保持している。事務吏員の場合は、この年で辞めることになれば当然露頭に迷うが、彼の場合は再就職が可能であると元転職エージェントの視点から判断した。
C郎さんを切るべきか切らないべきか、幹部の間で幾度も話し合いの場が持たれた。が、これまでの不良行為があまりにも多すぎた。
C郎は労働組合に加入していなかったので、組合からの反発はほぼなかった。ただ形式的に、「職員に対する威圧行為であり、許容されるものではない」との文書での通知があった。
度々になるが、労働組合がここまで形骸化した組織であると知って失望することがよくあった。彼らはいつもそうだ。「当局は〇〇弾圧の意図をもって」「〇〇攻撃には屈しない」「労働者がよりよく働いていけるための権利を」などと、いつも組合の広報や定期総会で息巻いているが、実際に行動に出ることはない。
昔は知らないが、私が居た〇年間では、職員側への不利益変更(職員定数や給与の削減)を行っても強硬手段でブロックされたことはないし、彼らが出した申入書の要求事項をすべて拒否したとして、特段何も言ってくることはなかった。
繰り返しになるが、彼らはあくまで政治団体なのだ。〇〇党などの上位団体に献金を納め、メーデーといった形で政治活動への労働力を提供し、そのほか票の取りまとめを行うことで自らの政治的意図を実現するための政治的アクターである。
その機能の補完的な一部として、職員同士による互助的、連帯的な機能を有している。そのことをわかっている職員は、労働組合に加入しない意思を貫いていた。全体の2割ほどだったろうか。
さて、C郎は自分で弁護士を探してきて、法廷で決着をつける道を選んだ。私が退職する時点で未決着だった。とっくに決着は付いているだろうが興味はない。
最後に、C郎がどうしてあんなに異常な行動を取っていたのか説明する。一言で表すと、『障害』だった。彼の異常行動は『性格』に起因するものではなく、(詳細説明は避けるが)脳の一部に異常があって、脊髄反射的にその人が思ったことを即、言葉や行動に移してしまう。そんな障害があった。だから、ミスが多い女性職員の頭をキングファイルで殴るといった行動を取ってしまった。
もっと早く言ってくれればよかったのに。
法廷ではなく、せめて面談の時にそれを告白していたら、こちらとしても配慮することができたのだ。私は、能力が低いという理由だけで職員の免職処分を決めたことはない。能力があろうとなかろうと、仕事への意欲が皆無だったり、他者を傷つける言動を行ったり、組織にとって不名誉となる行為(主に犯罪)をしたり――そういった、能力よりも、もっと深いところに問題がある者に限って組織から駆逐する。それが私のポリシーだった。
(蛇足1)
どれだけいい成果を挙げたとしても、違法行為やハラスメントをしていいわけではない。当人に起因する、組織に対するプラス効果によってマイナス効果を相殺することはできないのだ。プラス3とマイナス2が併存することはあれど、相殺して1にはできない。プラスはプラス、マイナスはマイナスとして在り続ける。
われわれはすべて、誰かが眼を開けてくれなければ、目を閉じて世の中を歩き廻っている傾きがある。
さて、私が新卒で勤めていた会社は若々しい社風で知られており、よくも悪くも調子に乗った社員がそれなりにいた。すでに時効と思われるので、当時の記憶をそのまま辿ってみる。
具体的な仕事としては、飲食店や小売店に飛び込み営業をかけて自社求人誌に情報を載せてもらうのだが(追記:もうわかった人もいるだろうが、旧リクルートジョブズだ。問題のある行動が多い分社のひとつであり、近年同じく問題を起こしたリクルートキャリアとともに本社に合併された)、契約条件の交渉の時に調子のいいことを言って相手を騙したり(上司と話をさせろと言われてもブロックする)、人事関係だと、面接を受けに来た転職希望者を鼻で笑って次の質問に移る(時間がないから早く切り上げたい)。そんな連中が同期に何人も居た。
十数年後、私が営業所長に昇進した時には、そういった連中は駆逐されていた。悪行は長続きしないことを30半ばにして知った。今でも肝に銘じている。だが、彼らは別の意味で会社の役に立っていた。若手の営業所員が調子に乗った言動を取った際、その駆逐された連中の末期を語って聞かせることで、組織の癌の発生を抑止する役割を暗に果たしていた。
(蛇足2)
C郎さんの裁判の結果は見ていないが、障害を抜きにしてもK市敗訴の線が濃厚だ。明らかに能力不足や人格に異常がある職員でも免職処分にすることは原則できない。民間における解雇規制、従業員をクビにするのが「相当難しい」とすると、公務員の場合は「不可能に近い」となる。
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/politics/452874/(東スポ)
橋本徹氏が大阪市長の頃に、勤務査定が著しく低い職員数名をクビにしたという記事だが、クビにされた職員が抗わなかったからできたことだ。職員側が何らかの事情で弱っていた、あるいは生きる力に欠けていたからできた。裁判に持ち込めば職員側が勝訴していただろう。それくらい公務員を免職させることは難しい。
ではなぜ、こちらが負ける公算が高くてもC郎に対する裁判の道を選んだのか? それは、他の問題職員をけん制するためだ。「C郎は度重なる指導にも従わず、挙句の果てには傷害事件を起こして免職処分になった。あなたも同じことをすればこうなる」というメッセージを全職員に対して発したのだ。
これにより、問題職員の側にいる連中に対して――まともな態度で勤務する姿勢がない人間の末路はこうなる、馬鹿なことをすれば相応の顛末が待っていることを伝えた。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/060600020/(日経ビジネス)
次は民間企業の例だ。数年前に㈱カネカという企業で労使の育休トラブルがあった。増田の諸兄なら覚えておられることだろう。
㈱カネカで実例のなかった男性社員による育休取得を行うことで、マイホーム購入やわが子の保育園入園など、子どもを育てる準備を整えたばかりの人がいた。その彼に対し、育休復帰直後に地方出向(※彼は断った後に退職している)を命じたカネカがネット上で袋叩きにあった事件だ。
上にあるのは、カネカが事件後に発したIRである。これを読んだハイレベル増田民の方々は、おそらくこう思われたことだろう。「これは現役社員へのメッセージでもある」と。
現役社員に対して、カネカは裏のメッセージを伝えている。「育休を取りたいなら取っていい。彼と同じ運命をたどる可能性はあるが」という、表にできない本音だ。
なお、IRの中味自体も信ぴょう性がないことに注意すべきだ。ここに書かれていることは、カネカの外部から確認できるものではない。カネカ内部の細かい部分の意思決定(男性社員への処遇の理由など)は調査を受けてもバレようがないため、IRに嘘を書いている可能性もある。いや、外部から確認できない時点で嘘ではない。『カネカにとっての真実』である。
https://president.jp/articles/-/25254(プレジデント)新卒1年目で解雇された地方公務員の主張
地方公務員の例になる。今は有料記事になっていて途中までしか読めないが、要約すると、「四国にある本山町が、社会人適性の低い職員を試用期間で解雇した」というものだ。公務員のクビを切ることは普通は不可能であり、この本山町も、「今しかない」と決死の思いで断行したのだろう。
裁判に訴えれば、この男性は免職を回避できたのではないかと感じる。試用期間においても解雇権濫用法理が適用されるからだ。困った時に誰にも相談しなかったり、相談相手を間違えたり、相手の言うことを鵜呑みにすると彼のようになる。身につまされる記事だった。
2021/1/4 これ以下(約500字)を修正
参考先としたブログを書かれた方が、当項の内容が正しくないものと認識されていることがわかったため修正します。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
この項の要約(抜粋)は次のとおり。
・〇〇商事とか、〇△重工とか、△△電工とか、誰もが知っている一流企業にあっても、上で述べた本山町のような社会的間引きを行っている。適性のない人間を採用してしまった場合、組織としての非を認め、当人に退職を促す。
・K市の採用試験では、一流企業を辞めて試験を受けに来る人を疑ってかかる慣習があった。それも当然であり、採用後のハズレ率が7割を超えているからだ。たとえ一流企業の出身であっても、社会的間引きに遭う人間が活躍できるほど公務員業界は甘くない。
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211127202908
40にして避妊せず
50にして我が子の孤立を知る
60にして将来を疑う
70にして夫を見届ける
80にして
私が働きだしてから数年後のある日、父が死んだ。
仕事からの帰り道、電車に乗っていると突然親からメールが入った。
倒れたらしい。
ひとまず職場の上司に連絡を取り、数日ほど休めるかを確認した。
「お前が居なくても案外仕事は回るから。ぶっちゃけお前の仕事ってどれも頭数合わせだし必須じゃないんだわ」
オブラートに包みきれていない言葉の隙間からチクチクとした苦味が心に残ったことだけを覚えている。
現実を突きつけようとすれば自然とそうならざるを得なかっただけなのかも知れない。
どうにも使いにくかった有給を折角だからと多めに申請して、私は実家へと帰っていった。
親が倒れたと言われても、そもそも倒れる理由が特に思い当たらなかった。
それは私の個人的な気まずさから年に1度顔を合わせるかどうかだったからなのもあるし、父が元々身体があまり丈夫でなく合うたびに新しい体調不良のパターンを聞かされてて慣れてしまっていからだ。
年々、折れかけた柳のような弱々しい老人となっており、生と死の境界にはとっくに立っていたのだろう。
戻ったときには父は死んでいた。
突然死である。
珍しいことではないらしい。
私は少しだけ泣いた。
産まれてきたことや育ち方のよくなかったことへの後ろめたさから来る涙だった。
父の死を前にしても、私の両親に対する感覚はそこから変化することが出来ていなかった。
前々から両親のどちらかが死んだときのための準備は進められており、母のスマホに入っていたスマホのメモどおりに進めるだけで準備は滞りなかった。
規模も小さめにした。
顔と名前が一致しない親戚たちに片っ端から声をかける元気は私にはなかったし、母はやかましい場所が苦手だった。
祖父母の葬儀をやった馴染みの葬儀屋に頼むと話はレールの上をトロトロと進むように簡単に軌道に乗った。
父・母の兄弟だけを呼んだが、彼らの子供、私の従兄弟が誰も子持ちだったので意外と人数は多くなった。
初めて見る姪の不審そうな顔を見て、自分が幼少期に曽祖父の葬儀に参加したときはこういう顔だったのだろうと思い出す。
それと同じ程に、今、自分とこの子達には距離があるのだと理解した。
最近はどこも親戚づきあいが薄くなってきたというのは非常に結構だが、元々血の繋がりを遠ざけがちだった自分などはいよいよ親類の中にあっても限りなく透明に近い存在へとなっていた。
年が3つ下の従兄弟が結婚してから5年ほど、いい加減自分もいい年齢だが、誰も「結婚は?」と聞かなかった。
理解されていると安心すれば良いのか、気を使われていると感謝すれば良いのか。
父の死から10年、私はいつか転職を、出来ればクリエイティブにプログラマー辺りで……と思いながらもダラダラと同じ仕事を続けていた。
私より遅く入った高卒の人でも、センスや人間力が根本的に上だと感じた人は既に係長になっていた。
父が死んでからは好きにやっていた母だったが、いよいよ様々なものが曖昧になりつつある。
私は私自身の面倒を見るのでいっぱいいっぱいだし、母も同じような人間だったので「母が駄目になった時、どうにかする方法はないね」とたまに相談している。
流石に気がかりなので年1だった里帰りが最近は半年未満の周期になっている。
私が働き出した頃、両親が気にかけて遊びに行くと言っていたときの気持ちがわかる。
この感情は責任感の枠組みに入れるのが一番似合っているのだろう。
「最近は老人ホームもいい感じらしいけど、やっぱり知らない人と集団生活ってのはね」
そうなのだ。
その血を昔は呪いだとと思ったが、今はそのおかげで辛うじて母と繋がっているとも思う。
何故繋がっているべきなのか、これもやはり、責任感なのだろう。
絆という漢字は、家畜を繋ぐための縄を意味する言葉として産まれたらしい。
この連載は取り敢えずこれで終わり。
オチは?って言われても困る。
「増田さんは話しかけづらいです。それと不潔です。頼みごとをしてもなかなかやってくれなくて困ってるんです。あと不潔です」
「増田さん?(ニヤニヤしながら)無能かつ自意識過剰な痛い人ですね。仕事遅いしいつも間違ってるし。遅くまで残ってるけど、単なる残業手当泥棒ですよ。あんなクルクルパー、よく当社に潜り込めましたね。あの人の採用を決めた人事もバカ丸出しですね。それかコネでも使ったんですか?」
「はあ。いやー増田さんのことはよく知りませんけどね、あまり話はしませんね。でもいきなりしゃべりだすからビックリしますよ。何言ってるかわかんないし話は通じにくいですねー。どうなんですかね、一方的にいきなり怒り出すみたいなこと聞きましたけど」
「社会人として基本的な知識や常識が欠けています。勉強の跡、努力の痕跡など何もありませんが、努力しているように装ったり、成果を誇張する小細工がミエミエです。痛いですよ。見ているこっちが気恥ずかしい。全体を見ようとせず、他人への配慮を見せず、報連相は当然ガン無視で、仕事は全然できていませんね。だからヘルプも入ってあげたし、助言もたくさんしてあげたのに、まったく生かそうとしていません。でもそれを当たり前だと思っている節があります。何様なのでしょうか。正規の手順を無断で簡略化してトラブルを起こしたり、楽をしようとして滑稽なことをやったりなどなど繰り返していますから、後輩の教育には害悪です。組織にとって有益な行為は皆無で、組織を円滑性を保つよう自主的に動いたり、上司の苦労を推し量って自分から進んで工夫していくとか、そういう配慮は見せません。まったくもって自己中心な人で、迷惑そのものです。自分が嫌われているという事実もその理由も増田さん自身は理解してないんじゃないですか?何事も増田さん自身が悪いのに、いつも他人のせいにしてばかりです。あといきなり休みすぎ。前もって言ってほしいですし、自分だけでなく周囲にも様々な事情があることや、他人が他人をカバーする苦労の様子など、少しは気にかけてほしいです。もうここまでくると、誰よりも一番かわいそうなのは彼の顧客ですよ」
「よくない噂はなんとなく聞いていたけど、あそこまで何もできない子だとは思わなかったね」
「もう無理だろ。まもなく鉄槌が下る。見てる人は見てるよ。待つしかない。好きにやらせといたら?指導なんか無理だし無駄。言っても何も聞かないじゃん。何度言ったことか。腹立たしいだけだ。もう直に話をする気にもならん。無能のお守りも仕事のうちだと思うしかないわな。それにしても背中から撃たれるのは勘弁だな」
「(腕組みして壁にもたれて)無理だろ」
僕の周りは充実している人ばかりだ。
交渉上手で顔が広い係長は、いつもいろいろな部署から上位職者自らが訪れてきて新規案件を依頼されている。
知恵者で人当たりの良いA君には、常に相談を持ち掛ける人が尽きない。
温和なBさんへはたとえ仕事の話でなくても、癒しを求めて雑談にくる人が絶えない。
それを僕は、僕の周りにだけ広がる静かな空間で聞いている。
今日も充実している。
動かしている彼らは輝き、頼りにして寄ってくる人も楽しそうで、
活発そのものだ。
僕はその場にいることは求められていない。
求められていないので、そのまま静かに過ごす。
僕は僕なりに行うことが課せられている仕事があるので
それを遂行する。
そんな言葉など全く聞こえていないかのように自分のなすべきを成す。
今日が終わった。
いつも通りに周りは充実していて、僕は静かだった。
明日が来る。
明日もきっと、周りは充実していて、僕は静かだろう。
俺も最初はそう考えたのだがTogetterにも書かれているけど
「Cの次に背が低い人」は誰なんだと聞かれたらやはりBだと答えてしまうんだよね
「次」は「Cよりも背が低い人の中で一番背が高い人」になっちゃうんだよね
日常生活で「係長の次に地位が低い人」なんて使い方はあんまりしないと思う
なんで背の高い人を上位にしてしまうのかは考えて見れば謎ではあるけど
衆議院選挙の候補者が公示されたので有権者として自分の選挙区の候補者をなんとなく確認してみた。
最近この選挙区に引っ越してきたので全然知らなかったが、この選挙区凄くないか?
自民党44歳の鈴木氏と立民党38歳の中谷氏の若手候補一騎打ち。いずれも現職候補である。(衆院解散したから正確には前職か)
前に住んでいた選挙区の候補者が自民の当選回数だけが自慢の老いぼれジジイと、共産党の婆さんと、希望の党の素性も分からない奴だっただけに余計に驚いている。
前回の衆院選では「何なら全員落ちてくれ!」と思いながらも義務感で投票に行ったが、今回はきちんと2人の主張や実績を確認して投票しなければいけないという責任感すら生まれている。
神奈川7区が熱いと書いたのはこの2人の候補者が若手現職だということだけではない。
2人の経歴が完全に真逆なのだ。
大蔵省入省
福岡国税局勤務、ジョージタウン大学フェロー、ニューヨーク副領事、厚生労働省職業安定局出向(係長職)などを経て2005年8月に退官
(Wikipediaより)
いや、こんな絵にかいたようなエリートがいる?と言う位のエリートである。
なんならエリート過ぎてちょっと庶民の感覚わかります?という点で投票をためらってしまいそうなレベルだ。
しかし、経歴もさることながら政治家になってからも一目置かれているようで、この若さにして外務副大臣と財務副大臣の職を経験している。
どれくらい有能なのかはわからないが、岸田首相と同じ開成出身であり、今回の総裁選で影響力を発揮した麻生派であることだけでも今後の要職も期待できるのではないかと思ってしまう。
一方で立憲の中谷氏の経歴。
貧困な母子家庭で育ち、11歳の時に両親が離婚。埼玉県、東京都、大阪府、神奈川県と転居を繰り返し、幼稚園2園、小学校4校、中学校2校に通学。
公立中学校卒業後、一度就職するも挫折し通信制の高校を卒業後、専門学校で柔道整復師の資格を取得。その後慶應義塾大学経済学部通信教育課程に進み、デジタルハリウッド大学大学院を首席で修了、DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士。gumiの創業に参加。執行役員を経て、顧問に就任。
(Wikipediaより)
本人のWebサイト等を見るとヤンチャ時代があったと書いてあったり、ちょっとヤバ目な若者集団との写真があったりと「おぉ・・」と思わせるところはあるものの、中卒で一度働いてから大学院まで出てgumiの執行役員・27歳で県議会議員という這い上がり人生は本や映画にするなら圧倒的に鈴木氏より面白いものになるだろうし、こちらの方が人間味がありそうで良いと考える人も居るだろう。
正直今回もこの2人の若手候補者に当選してほしいし、何ならどちらかは私の前住んでいた選挙区で出てほしい。そしたら簡単にトップ当選するのにと思ってしまう。
全国にどんな候補がいるのか調べたわけではないが、少なくとも神奈川選挙区の中では最も面白くて、注目すべき選挙区だろう。
そんな選挙区で1票を投じられる喜びを感じている。