はてなキーワード: カーテンとは
最初は18禁の薄い本を見ても感情移入ができなくなり、20年間エロ/非工口問わず妄想力が激しいオタクだったのに何も思い浮かばない。
まずいなと思いながらも、インスタント的なオナニー(安眠のためにするオナニー)ではオーガズムを感じるのでいいかと諦めていた。
だが、世の中は恋愛コンテンツであふれている。エロに直結するものは多い。
その中で恋愛にもエロにも心動かないしムラムラしない人間はどうなるか。
男女でも男同士でも女同士でも「相手を想う気持ち」が頭でわかっても心に入ってこない。
小説、漫画、映画、アニメ、ドラマ…FSDになる前は享受していたコンテンツが面白くないと本当につらい。
「私なんて女じゃない、人間じゃない」。
自分は女で人間であることは間違いないのに、なぜかそう思ってしまい、情けなくて仕方なかった。
世相からクリニックの診察室のドアはカーテンになったところが多い。
私は待合室で待っている人が気を悪くしないよう、言葉を濁しながらも自分が性的に興奮しないことを話した。
情けなくて涙が出そうになりながら。
結果は精神科でも婦人科でも「こちらの分野では問題はありません、通われている病院へご相談ください」という悲惨なものだった。
私は趣味で官能小説を書いてはネットにアップしたり同人誌にしているのだが、FSDになってからは全く書けなくなった。
妄想できないからだ。この時の男キャラはどんな気持ちなのか、女性キャラはどこをどう感じているのか、全くわからないのである。
大好きだった官能小説を読んでも機械的な作業でセックスをしているように感じて「この展開でセックスは必要なのだろうか」とセックスがメインのコンテンツに対してまでそう思うようになってしまった。
私の妄想力は終わっている。
夫にはこの悩みを話していて、治療をしようという方針になっている。いま通っている整形外科が終わったら専門の病院に行くつもりだ。
だが、夫は普通に現役で、治療が始まる前の段階でも私にエッチな気持ちを持ってくれている。
体調が悪くなく、できるときは協力できる範囲で協力している。だが、その時間は苦痛ではないものの「なぜ?」という気持ちがあふれる。
私は何も感じないし、何も心が動かないので夫がエッチな気持ちになるのが不思議なのである。
夫のことは大好きだし一緒にいると安心する。夫に優しくしたいし、喜ぶことをしたいし、一緒にいて安心してほしい。
私は夫が嫌いでも無関心でもない。夫もこんな面倒くさい私と別れずに結婚生活を続けてくれている。
愛情に愛情で応えたい。夫に対してムラムラしたい。こんな惨めな気持ちが早く終わりますように。
でも専門の病院にかかっても「あなたは持病がありますね、かかりつけの病院でまずは相談してください」と言われたらどうしたら良いのだろう。
持病がやっかいなせいか病院を受診できなかったことが過去に何度かあるので怖くて仕方がない。
【追記】
きっかけはわからないけれど、持病の薬で副作用出たのがちょうど二年前でそこから薬が変わりました。お医者さん、薬剤師さんに薬と性欲減退について相談しましたが「この量でそれは考えられない。副作用が少ない薬はもうこれしかないのでこれを服薬してほしい」とのことです。
世の中は新型コロナウイルスで一色である。2月の半ばから日本でも感染者が増え始め、2/27に全国すべての小中高校に臨時休校が要請された。ここから出来事が多いので主なものを箇条書きにしていくが、
3/24 東京オリンピック・パラリンピックの1年程度の延期発表
7/9 3か月ぶりに同200人を超える
8/1 同472人、過去最多
等々。僕の大学の講義はすべてオンライン化され、実験室を使っての実験は3月下旬以降止まっている。
いろいろなことがあった。
4月には紙の生産が追いつかなくなるというデマが流れてトイレットペーパー、ティッシュペーパー、キッチンペーパー、おむつ、生理用品の買い占めが起きた。マスクも転売ヤーが高値で売るので転売が法律で禁止された。政府は1世帯に2枚ずつ布製マスクを配布し、そのクソさからみんなアベノマスクと揶揄している。
店という店には出入口に消毒液が置かれ、レジの店員側と客側の境界に透明なビニールカーテンがたれさがっている。レジなど列に並ぶ時は足元の表示に従って他の人と1~2m間隔をあけなければならない。出入口で体温を測られる店もある。
道行く人は全員マスクをしている。していなければ非国民みたいな目で見られるし、入店を断られるケースもある。感覚過敏であるとか何か事情があってマスクができない人もいるのに…(僕もそうです)
7月頃だったか、次亜塩素酸ナトリウム溶液がウイルスに効くとかで、それをミスト発生器に入れて空間に撒こうみたいなやり方があちこちで出てきた。次亜塩素酸ナトリウム溶液は物の消毒には使えるが人体には使えない。部屋に撒いても肺炎などのリスクを上げるだけである。それなのに8月も半ばになってまだそれをやっている店を見かけて呆れかえってしまった。店に置いてある手指消毒用の液体も次亜塩素酸ナトリウム溶液だったりする。人体用ではないんだよアホが。
8月上旬、大阪の吉村知事がイソジンでうがいをした人はコロナ陽性率が低かった!とか報道陣の前で喋って、店先からイソジンが消えた。そりゃ唾液を使ってウイルスの検査をしたら口内のウイルスが一時的に減少して陰性と出るのは当たり前やろが。それをあたかもコロナの予防に特効みたいな言い方をするから狂っている。
とにかく、日本中(おそらく世界中)コロナで大騒ぎで、ちょっとしたことが人々の思考・感情を煽る。都道府県を超えた移動は自粛しましょう言うてるのに政府はGo To キャンペーンをやっている。Go To を始めてしばらくして首都圏以外での感染者数が急増していっている。もうめちゃくちゃである。
僕も帰省などせずしばらく過ごしていたが、もうこのコロナの収束の気配は見えないし両親の心配もピークに達し限界だった(注:僕にはまあまあ重い持病があり、両親は僕の介助のために頻繁に首都圏である僕の家を訪れていたが、3月以来それが途絶えていて両親は居ても立ってもいられない心情だった)ので、7月末から8月中旬まで一旦実家に帰っていた。もちろんマスクを欠かさず、三密を避け、家族以外の人と接触しないようにして。8月中旬に早々とコロナ大流行中の一人暮らしの地に帰ってきたのは、この状況下で医療機関を含む場所での各種実験を再開すると言ってきた大学のせいである。東京都の1日の感染者数が400人を超えているところでやるとか頭沸いてるんか?と言いたい。1日100人だった3月末に実験を止めておいた同じ口で何を言っているのかわけがわからない。まあこれは政府についても言えることで、4月に100人超えて緊急事態宣言を出したくせに8月に400人超えてもマジで何もしない。すべてが劣りきっている。
こんな状況がいつまで続くのか、今後どうなるかはまったくわからないが、将来のために現状をここに記しておく。
お気に入りのアンパンマンの靴をはき、母に髪をツインテールに結ってもらい、今はもう歩けない祖母も一緒に、この家の前で家族写真を撮った。
みんな笑顔で、わたしも笑顔で、弟はなにもわからないような顔をしてベビーカーに乗っている写真。
17年をここで過ごしてきた。
リビングのソファーで弟と飛び跳ねながら遊んだ。古い携帯電話で家の写真をたくさん撮った。
冬には和室にコタツを出して、父が作った親子丼をみんなで食べた。
きらきら光るちいさなクリスマスツリー。みんなで飾り付けをして、わたしがわがままを言って、夜ご飯はクリスマスツリーの明かりだけを灯して食べた。
何度も何度もピアノのレッスンを休んで、母を泣かせてしまった玄関。
仕事に行く父を母と一緒に見送って、いってきますのキスをした。恥ずかしかったけど、うれしかった。
家族全員で、同じ部屋で並んで眠っていた。枕元にはおもちゃがたくさん並んでいて、弟はいつも夜になるとレゴブロックで遊んでいた。
少し開いたカーテンが怖くて、寝る前には必ずしっかりと閉まっていることを確認した。
片頭痛持ちのわたしが、夜中じゅう唸っているとき、父と母は部屋を暗くして、廊下の明かりだけを灯してわたしの看病をしてくれた。
わたしの部屋は、もともと、弟と二人の部屋だった。わたしの机の反対側に弟の机があった。
よく一緒に、シルバニアをしたり、絵をかいたりして遊んだ。とても楽しかった。
弟が小学生になってしばらくして、部屋が分かれた。
弟の部屋は、家族全員で寝ていたあの部屋になった。
それからは、リビングでみんなで寝ていたけれど、いつの間にか一緒には寝なくなった。
ずっと変わらないと思っていた。
この家も、この部屋も、わたしや、父や母や弟も。
だけど、17年たった。
リビングにソファーはもうないし、コタツも壊れて出さなくなった。クリスマスツリーの飾りつけもしなくなった。
ピアノのレッスンは辞めた。父と母も、もういってきますのキスをしていない。
わたしと弟はもう遊ぶことはなくなって、食事の時間に顔を合わせるくらいだ。
そして、みんなばらばらの時間に、ばらばらの場所で眠っている。
エアコンのある17年を、わたしはこの部屋で過ごすんだろうか。
あと何回の夏を、この家で過ごすんだろうか。
その間にどれだけのことが変わってしまうんだろうか。
変わっていくことが、今はとても怖い。
もう外はかなり 暗くなった。
空は暗いと薄暗いのあいだほどで、隣の団地のシルエットがレースのカーテン越しに曖昧に見える。団地の外廊下の灯りがポツポツ点いている。
外は暑いだろうが、冷房のきいた部屋の中にいると実感がわかない。いや、通勤の行き帰りは確かに暑かったし帰って来たのはついさっきなのだが、冷房の風が直撃するソファで麦茶を飲んで体が冷えてしまえば、あっという間に外の暑さを忘れてしまう。
セミが鳴いている。
昔住んでいた所ではもっとうるさく昼も夜も鳴いていたが、ここではストレスになるまでは鳴かない。一応、夏の記号としてセミもご用意しましたよ、という感じだ。
コロナで上映が伸びたりディズニーが配信でムーランやるとか言ったりして映画館いるいらない話が盛んだ。
俺は年間100以上映画館に行くそこそこの映画好きだと思うが、もう映画館は要らないんじゃないかと思う。
というのもコロナで映画館いけなくなってから整えたホームシアターがまじ快適だから。
プロジェクター、スクリーン、スピーカーで3万以内の安セットから始めたがびっくりするぐらい画質も音質も良い。ちゃんとした遮光カーテンで暗闇にすれば本当集中できる。
そもそも映画館の隣の逆ガチャが嫌いだった。1900円払って携帯チカチカさせたり遅れて入ってきていつまでも喋ってるアホが隣だとクソ萎える。家だとそんなことはない。
今映画館は一つ空席が基本だから良いかと思いきや、こないだ一つ開いてる先の連れと喋ってるやつがいてげんなりした。
もちろんスターウォーズやアベンジャーズなどの話題作では拍手がおこったり、コメディ映画をみんなで笑って楽しむのも好きだった。
でもあまりにも映画館で見ることによるマイナスが大きいし、ホームシアターのクウォリティも高いので配信に切り替わっていって欲しい。
最初は映画館でもやるし、配信でも同価格でレンタルという並行みたいな感じで進んで欲しい。レンタルは一度再生し始めたら巻き戻せないとかの仕様でも良いと思う。
SE。リリース前はたまに会社に泊まることがあるくらいの忙しさ。東京の日本橋のあたりにある会社で、そこそこ大きい会社の子会社だった。
辞めたのはもう6年くらい前だけど今でもこの季節になると思い出すんだよね。お盆くらいに泊まった時の話。
まず、うちの会社には男女別の救護室があって、簡易ベッドみたいなのがあった。でも使ってる人みたことなくて、まれに会社に泊まる時もデスクで仮眠とったり、レジャーシート持ってきて寝てる人もいた。(椅子を並べて寝てる人はいなかったw)
お盆くらいの時期で人が少なくて、その時も泊まりだったんだけど、バッチ処理うまく行ったから次3時間後だなー寝るかーってなって、先輩寝袋(w)入ってアラームかけてさっさと仮眠とりはじめたのね。自分も寝とこ思ったんだけど体がすごくだるかったから横になろうと思って、で救護室の存在思い出したから使ってみた。
前に書いた通り使ってる人全然見たことないからきったないんだろうなーと思ったんだけど普通にきれいで、毛布はちょっと埃っぽかったけどダニがいそうな床で寝るよりはマシかと思って寝始めた。疲れてたからかすぐ寝て、ハッと起きた。アラームかけ忘れた、やべえ今何時だって。でも体が動かなかった。金縛りだ!今までなったことなかったからワクワクしつつ、本当に体が動かないので困ってた。理系人間なんで、金縛りは体より先に脳が起きちゃったときに起こるって知ってたし、お化けいると思ってなかったから怖くなかった。
でも、救護室のカーテン(入り口がドアじゃなくてカーテンで、室内で区切られてるだけみたいな感じ)の下に爪先がこちらを向いてる靴を見つけてこれはやばいのでは???と思って目を瞑った。怖くて目が開けられなかったwあーーー人生で初めて見てしまったかもしれないーーーと思いつつ、これからどうしようどのタイミングで目を開けよう、目を開けて目の前にいたらどうしようなんて考えてたんだけど、まぁ目を開ける勇気がなく時間がすぎていった。このまま寝ちゃえばいいんじゃね?先輩いるし仕事の方はどうにかなるだろって思って、目を開ける勇気は持たずそのまま寝ようとしたら遠くの方でアラームの音がなった。はっとしてつい目を開けたらさっき見た位置に靴はなかった。体が動くので、靴を履いてエイヤでカーテンを開けてデスクに戻った。先輩がいて安心した。
その後なんか見たとかはないんだけど、あれはなんだったんだろうなーって思い出してた。
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僕は高校3年生(男)だ。
今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的な勉強をほとんどしていない。
代わりに、大量のネット上の記事とブログと無料の音楽と漫画とヤフコメとはてなブックマークと増田を摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分と関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。
僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大の理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在の体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。
起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーでChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分とネットを見る以外に何もしたくない自分が綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態。現実からの逃避。
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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京の男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。
それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生が大学受験を意識する様子が目立ってきた。
高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキストを自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。
ここら辺から、勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範に齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃんと勉強していた。
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そうしているうちにコロナが流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか。
学校が休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。
しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強のストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。
日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。
学校がGoogle Classroomを使い始め、zoom配信や動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。
ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。
更に、zoomやGoogleClassroomを使うためにパソコンやスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合、ネットを開きはてブや増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。
こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。
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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強をブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みとはてブと増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強をサボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。
この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。
最初は勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。
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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。
確かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。
しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しい日であると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。
登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。
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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。
友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初は順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。
7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホでブログやら何やらを見てしまった。
当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日はだるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。
・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。
罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。
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そこからの堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強の約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。
▼学校の課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる
▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる
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こうやって家に籠って自堕落な生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分の思考や言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。
「今日はだらけていてもしょうがないが、明日からは毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・だから、今スマホを見てもいいんだよ」
みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。
言うまでもなくこれは未来に責任を押し付けて現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。
僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃんと勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。
あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月にアンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DSは今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~
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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神はもっと健全で勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。
他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年生まれ元司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます。
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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分の気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづつ
やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメもトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。
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キスを見かけた友人が主人公以外のつるんでる奴らが揃ってるとこで「あいつら付き合ってんの?」って聞いてるとこは言うんだ!?ってびっくりした。あとはちょっと古いBLテンプレであんま刺さることなくさらっと全話進んだ。
やっぱ増田下手だな。好きな部分もあるけど全体通して下手だな…って思う。
あと作画ところどころ気になる。塗りとかはなんとか慣れた。
キスして欲しい〜のシーンはちょっと萌えた。奥手な受けのドキドキ接触って王道だねー。今最推しの自カプがそんな系統だからいいなってなった。前ジャンルのとき見てたらほーんで終わってるかも。
ピークは付き合った日のカーテンシャッて閉めたところだなあそこうわ!うわ!先公手ぇ早って笑ってしまったもん。ああいう攻め好き。
絶賛育休取得中の20代男です。
モヤモヤしたことがあり吐き出したかったのでここに自分の考えを投下します。
先日、妻と子供(生後2ヶ月くらい)と私の3人で某ショッピングモールに買い物へ行った時の話です。
買い物中に子供がぐずり始めたため授乳室を探したところ、ベビールームなる部屋を見つけました。
ベビールームに入ろうとした際に、入り口少し上あたりの表示プレートに「女性専用」と書かれている紙が貼ってあることに気が付きました。
入り口横あたりにも「男性は入らないで下さい」と張り紙されており、さらにその横には「オムツ替えされる男性は多目的トイレを利用して下さい」との案内がありました(若干表現はうる覚えで微妙に違うかもですが、大体このような内容だったように思います)。
妻が居たので特に問題なく授乳はできたのですが、自分としては「なぜ?」と思いました。
ベビールームの部屋全体は外から簡単に見える構造になっており、ミルクを作るための給湯器も確認できました。
それぞれの授乳室はカーテンで仕切られておりプライベートは確保されているように思います。
おそらく過去に男性が誤って授乳室の部屋に入ってしまうなど何かしら問題があったのかもしれませんが、男性入室禁止で解決するのはジェンダー差別だなと感じました。
もし自分が一人で訪れた際に、男性という理由でこの便利な空間が利用できず多目的トイレの利用を強要されるのは不平等だなと。
某ショッピングモールはネット上にお客様相談箱のようなサイトが用意されていたので、そちらに今回の件についての改善の要求を送りました。
そしてなんとなく某SNSにベビールームと女性専用が写っている写真と共に「なぜ男性は利用できない。。」のコメントを添えてアップしました。
しばらくしてから何人かの女友達から、覗いてくる男性がいる、まだまだベビールーム足りてなくて仕方ない部分もあるよね、みたいなコメントが届きました。
え、仕方ないのこれ?
それなんか差別じゃない?
女子校に男の人が入学できないとか、制服男女で分けるとか、入試の点数配分男女で傾斜かけるってのと今回の件の根本的な問題は一緒じゃない?
この高校には男性は入ってはいけない、この制服は男性は着てはいけない、この大学に男性は通りづらい、みたいな感じでこの部屋には男性は入ってはいけないってのはジェンダー差別が入ってるのでは。
部屋関連で、例えばトイレのことでジェンダーがあまり叫ばれないのは、基本的にはどこでも男女同じ数のトイレが設置されてるからだよね(まあ会社とかで女性のトイレが少ないってことがジェンダーとして問題提起される気もしますが)。
ベビールームも、公共施設で「女性」が子供にミルクを与えたりおむつ替えするための部屋として設置されたのなら、それはジェンダー差別では。
男性が公共施設で授乳やおむつ替えをすることはほとんどないことが前提になってるよね。
もし誰もが男性も普通に授乳すると思っている社会なら、普通に男女が利用できる、もしくは男女同じ数のベビールームが設置されているはず。
ベビールームは女性のためのものなので男性は給湯器もない多目的トイレで授乳やってねっていうのは、バスは白人のためのものだから黒人は自転車使って移動してねってのと理屈は一緒では(なんかもっといい例ありそうだけど)。
マジョリティは白人なので、白人は黒人に何か危険なことをされるかもしれないから一緒に乗りたくない、黒人に襲われて怖い思いをした白人のことを考えるべき、などの意見が通ってしまう。
マジョリティな女性が怖い思いをしたからマイノリティな男性を排除するってのは、黒人差別の構造と似てるのでは。
現状の問題は男性が覗いてくることで、男性入室禁止すればとりあえずその問題は解決〜ってやり方は、場当たり的な解決法で、ジェンダーの維持に貢献してしまってる。
これは問題かと。
場当たり的な解決をずっとやってるといつまで経ってもジェンダーはなくならいよね。
もちろん男性が覗いてくるのが怖いってのはわかるし、それは絶対阻止すべきとは思うのだけど、防ぐのならもっとジェンダーを考慮した仕組みを作るべきでは。
カーテンに鍵付けるとか。フロアごとに男女分けるとか。監視カメラの設置を強調するとか。プライベートな空間以外は外から丸見えにするとかとか。
男性が育児しやすい環境整備を男性・女性ともにもっと寛容になって欲しいす
女性だけが生理や出産の痛みを経験し、母乳をあげることができるってのは事実で、育児について完璧に平等にするのは無理だとは思うのだけど、だからって育児の現場から男性を排除するやり方は間違ってるのではと
今回の件は、ジェンダー差別が絡んでいて、ジェンダーを考慮してない対処法をとってるのが良くないので、その辺も考慮しながら少しずつ改善できたらいいなと自分は思っているんだけど、なんかSNSのコメントとのやり取り(主に女友達との)を通して、あれ、自分の考え間違ってるのかなーという気になった。
今回の件は差別ではないよーってコメントもあったんだけど、そのコメントはマジョリティ(女性を変態・うっかり男性から守るべき)の意見でマイノリティ(公共施設で男女共に授乳できる環境を整えるべき)のことは現状仕方ないってことで片付けてるんからそういう意見になるんじゃないなーと思った。
暇な人ご意見ください。
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わかる。
街はハリボテで、「入れない場所」は実は構築されてなくて、何も無いコンクリートや生木のままっていう妄想はよくする。
関連して、電車は自分が存在しない時間には動いてないとか、車も自分がカーテンを閉めると実際には走っておらず、その音だけが窓に向かって出力されている、とかの妄想も。
あと、これは誰でもする妄想だと思うけど、テレビで見るニュースは実際に起きてなくて、映像として造られたものでしかないとかの妄想もかな。
他には、自分以外の人間は「俳優」で、彼らは自分のみを観客とした演劇を演じているんだという妄想もする。
これはNPCとは違って、私が、例えば「友達」や「先生」と認識してる人間は、全て自分に演劇を見せることで生計を立てる「俳優」だということ。
つまり、「友達」はそういうシナリオだから私と親しくしているだけで、「先生」はその教科に熟知しているわけでなく、脚本に書かれたセリフを口にしているだけという意味ね。
だから、彼らは私から離れれば、「今日のセリフ多かったな~」とか言いながら、次の日のセリフを覚え、演出指導を受け、終われば私の知らない本当の生活に戻っていく。
もちろん、そんな演劇が演じられている意味はわからないけれど、そう考えると、自分はその演劇に対して唯一の観客かつ唯一の無知な存在で、寂しいけれど特権的な気分が味わえる。
がん検診を社内や顧客へ推奨している立場としては、重要性は重々理解している。
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そもそも、子宮頸がん検診に恐怖感を持ったのは初回の印象が悪過ぎたからだ。
経験したり調べてもらうとわかるが、検査の部屋に入ると可動式の椅子に座らされて、自動的に股が開くようになっている。カーテンがかかってこちらからは姿が見えない医師に、オープンになった下半身を見せるのだ。
何の説明もなく股がオープンになる。向こうは年齢も性別もわからない医師がいる。恐怖でしかなかった。
当然のように「はい、入れますからね」と言われる。そこで中年の女性がいると初めてわかった。
冷たい器具が肌に触れて膣の中に入ってくる。驚きで私の体は膠着した。
そうすると、器具が死ぬほど痛い。柔らかい内臓に硬い金属が入る。下手したら傷つくと思い、頭が真っ白になる。
「力入れると余計痛いですよ」と言いながら医師はゴリゴリと進めていく。
痛みと恐怖でパニックになりそうだったが、震えながら耐えた。
検査は終わり、私は下着とズボンを履いた。横に生理用ナプキンが置いてあったその意味を、そこでようやく理解した。出血はしていなかったが、その日はうまく笑えなかった。
職場に戻り、先に検診を受けたバンギャの後輩が「あれ、マジでレイプじゃないっすか」と話してくれて、心が少し軽くなった。
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ネットで予習をしてリラックスすれば痛くないと知り、心の準備をして臨んだ。
結果として、2回目は全然痛くなかった。
カーテン越しで顔は見えなかったが、最初に簡単な挨拶をしてくれて、まだ若い女医だとわかった。
器具を入れる前のジェルも温かく、アレッ?入ったの?というくらいだ。
奥を擦る時に少し痛みが走った。前回のトラウマが甦り、体が硬くなった。
「大丈夫ですよ」と器具を入れる手を止めて、手のひらで下腹部を優しくトントンとしてくれた。先生の手はあたたかった。
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名前を呼ばれて、検査室に入った。挨拶をしたら、ぶっきらぼうな中年女性の声が返ってきた。
3回目なので流れもわかっていた。リラックスリラックス…と心の中で唱えた。
「はい、じゃあ入れますね」と言うのと同時に医師は器具を挿入した。
痛い…やばい、これは痛い…と体が膠着した。
「力入れると痛むので、力抜いてください」と言われ、「あ、はい、すみません」と言うが私の頭はやめて欲しいと思っていた。
潤滑剤のようなものを足して医師は先ほどと同じ速度で挿入する。私の体はガチガチで異物に対して閉じてしまっていた。
その時、医師は私に面倒臭そうに言った。
「あ、あります…」
私だって早く検診を終わらせたい。子宮頸がんは二十代でも発症リスクがあることも知ってる。
医師は軽くため息をついて「じゃあ、細いものでやります」と言って器具を変えた。
今度は痛くなかったが、私の心はズキズキと痛んでいた。
その後、指を入れた触診があった。生理痛はどうですか?等の問診で受け答えはできたが、膣内で蠢く指が不快でしかなかった。
終わって、椅子に引かれたペーパータオルの上に潤滑剤が溢れてるのを見てて、後輩が言ってたことを思い出した。
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たぶん、また数年後に子宮頸がん検診を受けるだろう。
次回は医師に自分から「通常の器具で痛い思いをして来たので、細い器具で検査をお願いします」と伝えようと思った。
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三浦さんのファンだったわけではないけれど、ドラマに出ていればかっこいいなあと素直に思うくらいには好きだった。
訃報を知って泣くくらいには好きだった。
三浦さんではないけれど、自分にも好きな俳優さんはいるので、三浦さんのファンの方の悲しみは計り知れない。
ただただ、三浦さんのご冥福をお祈りします。
本題。
しかし、不意にやってくる、数年前に亡くなった妹関連で未だに怒りが湧いてきて、どうにか発散しようとネットを開いたところに、三浦さんの訃報を目にして心が完全にひしゃげた。
もう今日は使い物にならないだろう。
妹は数年前に自殺した。
なんとなく、確証もなく老後2人で縁側に座って話してるのかと思ってた。けどそんなことなかった。
殺人や事故だったら殺した犯人を憎めたけど、自殺は殺した犯人も被害者も同一人物だから憎しみも悲しみもごちゃ混ぜになる。
今でも妹のことを思って泣くことはあるし、体がだるくて動けなくなる。
その他色々、本当に色々、大袈裟にではなく、自殺の前と後では生活、性格、人生の全てが変わる。
本当に自殺は最悪だ。
序盤に書いたが、妹の自殺について、私にとって悲しみよりもずっと残るのは憎しみだ。
ずっと妹のことを思って泣いていたかった。
けど、醜く心に残ったのは怒りの方が強かった。
そして怒りの感情の方が長く残る。
死んだ妹に対して怒りはない。
自殺なので遺書もまああったが、正直なところどう思ってたのかなんて、誰にも分からない。
何故死んだのか、何故私に言ってくれなかったのか、とかはもういない人間に対して怒るのは疲れた。
私が憎い相手は2人いる。
1人目。妹の友人。
妹は母親が嫌いだった。
私は特に好きでも嫌いでもなかった。
なので妹の意見には同調できなかったが、妹の友人(Aとする)はそんな妹の気持ちをわかってやれたらしい。
それでもこのメールは見せないでくださいとか、私だけが妹のことをわかってる、みたいなそんな内容だった。
葬式にもAは来た。
私は受付をしていて、両親が参列者の相手をしていた。
妹に対しての、学生時代の旧友がくれた手紙などはあったけど、母親に対しての手紙。
嫌な予感がして母親から取り上げると、妹が母親を嫌っていたことがつらつらと書かれていた。
注釈しておくと、妹は母親を嫌っていたが、母親は妹のことを格別嫌っていたわけではなかった。
なので、妹の死に対して本当に母親は悲しんでいた。
私は親元を離れて暮らしていたので話に聞く程度だったが、会えばいつも泣いていたし、葬式でもずっと泣いていた。
そんな母親に対して「あなたの娘さんはあなたのこと嫌ってましたよ」なんて手紙を渡すか?
妹は嫌いだったかもしれないけど、私はそんなに嫌いでもない母親だ。
妹の遺品を整理して、妹の葬式の準備をして、毎日妹の死に触れて、妹が二度と帰ってくることのない実家に暮らしている母親に対して、葬式に来ただけの人間がそんなことするか?
本当に腹立たしかった。
手紙を渡すだけ渡してAはさっさと式場を出たらしい。
本当に憎らしかった。
妹の葬式に行くこと、母親に手紙を渡そうとしてることなどツイートされていて、憎しみが重なるばかりだった。
憎ければ見なきゃいいといえば本当にその通りだ。
本当に本当に憎い。
Aは愛しき友人のために、憎き母親へ一矢報いていい気分だっただろう。
Aにとって母親は、死んだ妹の仇敵だったけど、母親は私の母親でもある。
恨みつらみの手紙を送られて、精神に異常でも来たして後遺症でも残したらどうするつもりだったのだろう。
フィクションなら友人の復讐を遂げられて良かったかもしれない。
けれどここは現実だ。
Aにとっては自身の物語の重要な登場人物だった妹の仇をとって満足だっただろうが、モブの私や母親にも物語がある。
モブだと見なされた人間もちゃんと生きて家族がいて仕事があって人生がある。
妹が死んだ後のエピローグは最悪だ。
その患者は妹が亡くなったのとほぼ同じ年齢だった。
それだけでうわっと思ってた。嫌だなと思ってた。
カーテンを開けると、その患者はもりもりとご飯を口いっぱいに含ませ食べていた。
はあ?と思った。
けれど、それだけで、ふつふつと怒りが湧いてきた。
指導者が話しているのを横で聞いていただけだったが、ずっと私はその患者が憎くて睨んでいた。
なんで妹は死んだのに、お前は元気に生きて飯食べてるの?
別に妹のことは直接関係はない。本当に理不尽だし、本当は生きてて良かったと思うべきである。
しかし私は今でもあの女がもりもりと飯を食べている姿が脳裏に焼き付いて憎い。
私はそんなに人を憎まない性格だった。と思う。
Aと比べて、私や家族が何かされたわけではない。
けれど妹が死んで、生きている人間が不意に憎たらしく思うことが増えた。
認知の歪みだと思う。
自分でも理不尽だとわかっているけど、感情がそう思ってしまうのだから、どうしようもないのだ。
妹は見つけた時もう死んでいたのに?
妹は初めての自殺行為だったのに?
妹は死にかけた朝にご飯を食べることもなかったのに?
考え出すとぐるぐると、どうしようもない。
認知の歪みがわかっていても矯正することもできず、顔も覚えていない相手に今日まで怒りを抱いてしまう私がいる。
自殺は全てを狂わす。
不幸の行き着いた先の選択だ。
深く関わりがない、知っているだけの人間ももれなく全員不幸へ道連れにする最悪の選択だ。
深夜1時、携帯も見ずにカーテンから溢れる光だけをみ見つめていると急に過去の自分と対峙する時がある。
20歳を過ぎ1人暮らしを初めて毎日夜遅くに帰宅し、寝床につく生活が当たり前になってその時間は徐々に無くなっていったが、今これを書いている瞬間、今まさに久しぶりのこの感情。
それは自己防衛の為の故なのか、それとも単純に衰えなのか。よく歳を重ねると涙脆くなると言うが今のところ全くの逆で、泣ける。感動する。映画やドラマを見ても別に自分と関係ないしと思って冷めてしまう。
ペットが死んだ時も、そりゃ生物はいずれ死ぬよなって思ったりしていよいよ自分大丈夫かな?と思ったりもする。ところで話は大分脱線してしまったが本題に入るとしよう。
俺が小学1年生に上がった時期だった。保育園を卒業した俺は当たり前のように地元の小学校に入学した。
そこがどんなところで何を学ぶ場所なのか分からなかった俺は登校日初日に通学途中、怖くなって不安になって
母親の待つ家に帰りたくなってそのまま泣きながら帰宅した。それから母に連れられ登校を試みるも俺は小学校のクラスの部屋という存在が怖かった。
今まで保育園では、時間割など無くて好きなことして好きなように時間が過ぎて、夕方になれば母親が来て帰って弟や父親と遊んで祖母が作った美味しい夕飯を見てふざけてみんなが笑ってくれてそれで良かったのに。
それなのに突然、勉強や学校生活、上級生の存在に戸惑ったし、なぜ友達や先生はそれを認めてくれなくて共感しないのだろうと不思議に思った。
時にはクラスの友達や先生が強引に俺を連れ出そうとした。訳が分からなかった。行きたくないと言うのに。
その時俺はおかしな存在として扱われているのを初めて自覚した。
大人になった今でも皆が普通や常識と言われることに疑問を持ちながら生きている。
した方が怒られないからするけど、内心そんなに呑みたきゃ自分でつげよじじい。俺が注いでやってんだぞお礼ぐらい言えないのか?と思っていること。
上座下座も意味が分からない。好きな場所座ればいいじゃん。と思うこと。
親を見る限り幸せそうには見えなかったし、子供を育てて行くことの大変さや結婚して家族を支えていくことがいかに困難だということ。別にしなくてもいいと思うし
したい人はすればいいじゃんって思うこと。
芸能ニュースが心底どうでもいいと思うこと。
顔は知られてるけど結局、他人だし話したこともないしましてや会ったこともない人のことなんて興味が湧かないこと。
主にネット掲示板を見ていると皆自分を大きく見せようとしたりいきなり見ず知らずの人を煽ったり嘲笑したりしていること。自分はその人がそう思うならそれはその人の考えや生き方なので口出しはしたくないし好きにしたらいいと思うので、アドバイスを求められない限り余計なことは言わない主義だし、逆に自分にとっても相手が何言おうが、最終的には自分がどう思うかだからどうでもいいかな。真に受けないようにしてる。
なんで皆いると思ってんだろうってこと。
いるわけないじゃん。冷静に考えて。
俺が小学校に行きたくなかった理由よりも明らかにおかしいでしょ幽霊や神様がいるなんて。
でも世間は自身のために動いてないことも知っているから、好きにすればいい、けど他人に強要するなよ何事も。
そして誰も他人の生き方を批評したり馬鹿にしたりしなくなればいい。
俺は個人が思う好きで多様な生き方を受け入れてしているし、好きにしたらいいと思う。
寝るわ。
眠いし。
小さい時から持ってる病気の合併症であまり耳がいいとは言えず。いつも聴力検査に引っかかってたけど、25の時に会議室での会話が聞き取れないことを自覚して、悩んで27歳の時に左耳だけ補聴器導入。
元増田の言うとおり、聞き取りの能力は補聴器導入後すぐによくなるわけじゃない。音は聞こえるようになるけど、それが「言葉として意味をなす音」になるのはやっぱりそれなりに集中して聞かないと聞き取れない。
今一番不安なのは病院の待合室や会議室での会話、あと車内の会話。増してこのご時世、コロナでみんなマスク+アクリル板やビニールカーテン越しだから尚のこと聞き取りにくい。言葉っていうより、自分の名前の音監で判断してる。補聴器がなければ、音感で判断するってこともできない。
今はとても技術が発展していて、アプリで軽い音調節ができたりする機種もある。
それと、消費税非課税だよ。高い買い物だし、導入後も定期的に調整必要だけど、あるととても生活に奥行きがでる。電車やオフィスの中が騒がしければ補聴器のスイッチ切ってしまえば静寂もすぐ手に入って、King ◯が出てるS◯ny製ワイヤレスイヤホンのCMのスイッチ入る前みたいになる。