深夜1時、携帯も見ずにカーテンから溢れる光だけをみ見つめていると急に過去の自分と対峙する時がある。
20歳を過ぎ1人暮らしを初めて毎日夜遅くに帰宅し、寝床につく生活が当たり前になってその時間は徐々に無くなっていったが、今これを書いている瞬間、今まさに久しぶりのこの感情。
それは自己防衛の為の故なのか、それとも単純に衰えなのか。よく歳を重ねると涙脆くなると言うが今のところ全くの逆で、泣ける。感動する。映画やドラマを見ても別に自分と関係ないしと思って冷めてしまう。
ペットが死んだ時も、そりゃ生物はいずれ死ぬよなって思ったりしていよいよ自分大丈夫かな?と思ったりもする。ところで話は大分脱線してしまったが本題に入るとしよう。
俺が小学1年生に上がった時期だった。保育園を卒業した俺は当たり前のように地元の小学校に入学した。
そこがどんなところで何を学ぶ場所なのか分からなかった俺は登校日初日に通学途中、怖くなって不安になって
母親の待つ家に帰りたくなってそのまま泣きながら帰宅した。それから母に連れられ登校を試みるも俺は小学校のクラスの部屋という存在が怖かった。
今まで保育園では、時間割など無くて好きなことして好きなように時間が過ぎて、夕方になれば母親が来て帰って弟や父親と遊んで祖母が作った美味しい夕飯を見てふざけてみんなが笑ってくれてそれで良かったのに。
それなのに突然、勉強や学校生活、上級生の存在に戸惑ったし、なぜ友達や先生はそれを認めてくれなくて共感しないのだろうと不思議に思った。
時にはクラスの友達や先生が強引に俺を連れ出そうとした。訳が分からなかった。行きたくないと言うのに。
その時俺はおかしな存在として扱われているのを初めて自覚した。
大人になった今でも皆が普通や常識と言われることに疑問を持ちながら生きている。
した方が怒られないからするけど、内心そんなに呑みたきゃ自分でつげよじじい。俺が注いでやってんだぞお礼ぐらい言えないのか?と思っていること。
上座下座も意味が分からない。好きな場所座ればいいじゃん。と思うこと。
親を見る限り幸せそうには見えなかったし、子供を育てて行くことの大変さや結婚して家族を支えていくことがいかに困難だということ。別にしなくてもいいと思うし
したい人はすればいいじゃんって思うこと。
芸能ニュースが心底どうでもいいと思うこと。
顔は知られてるけど結局、他人だし話したこともないしましてや会ったこともない人のことなんて興味が湧かないこと。
主にネット掲示板を見ていると皆自分を大きく見せようとしたりいきなり見ず知らずの人を煽ったり嘲笑したりしていること。自分はその人がそう思うならそれはその人の考えや生き方なので口出しはしたくないし好きにしたらいいと思うので、アドバイスを求められない限り余計なことは言わない主義だし、逆に自分にとっても相手が何言おうが、最終的には自分がどう思うかだからどうでもいいかな。真に受けないようにしてる。
なんで皆いると思ってんだろうってこと。
いるわけないじゃん。冷静に考えて。
俺が小学校に行きたくなかった理由よりも明らかにおかしいでしょ幽霊や神様がいるなんて。
でも世間は自身のために動いてないことも知っているから、好きにすればいい、けど他人に強要するなよ何事も。
そして誰も他人の生き方を批評したり馬鹿にしたりしなくなればいい。
俺は個人が思う好きで多様な生き方を受け入れてしているし、好きにしたらいいと思う。
寝るわ。
眠いし。
元増田の意見に共感する。だが、眠りたくても眠れない。。