はてなキーワード: オープンとは
プロジェクトが始まる直前ぐらいになんか全体を取り仕切る市場なんちゃらとかって部署が出張ってきた。
始まった途端今までやってくれたベンダーを切って、自社内でズブズブの超大手SIerのNなんとかにコンペもなしに単独発注。
経営への言い分は「不具合が多いから」とかなんちゃら言ってたらしい。(これが後にブーメランになります)
で、結局2サイトあって、リニューアルは2021年の夏ごろ予定していたのが、一つは12月、ひとつは2022年の春予定に遅れに遅れまくっている。
この間に部長からがん詰めされ、遅れたら「なぜ遅れる?」と言われ、残業したら「残業なんか何故する?」と詰められ、鬱って倒れる人まででる始末。
挙句の果てに現場には新しい仕組みが全く共有されないままで、12月のリニューアル分が現場にオープンされたら、それまで普通に使っている機能まで勝手に削られていた。
もうマジで市場なんちゃらのトップは何も分かっていなくて自分の功名心だけで現場潰している。
ユーザ用の機能まで勝手に削っていて、お客さまに告知もしていないのに、サービス劣化している。
今のSIer、超絶大手の癖に、既存サイトのコードもDBも全部提供してもらっている癖に2年もやってて全く解析していなくて、未だに「これってどういう仕様ですか?」「今のベンダーさんに確認してもらいたいです」と逝ってくる始末。
(コードをみて、おまいらが解析しろ、糞高い金払ってるんだから、とマジでいいそうになった)
こんな恥ずかしい状態でそれまでのベンダーさんに相談しても「仕事が終わるって言われてたから、今からヘルプを言われても、もう別案件に入れちゃってます・・・ごめんなさい」と言われる(そりゃそうだ)
更にヤヴァいのが、既存ベンダーさんは同じことをするのに1本ちょっとと言っていた金額が、某Nなんとかは既に片手で収まらないレベルになっている。
もうこれって部長の利益相反か、袖の下もらってるんじゃないのか?と言いたい。
そして、12月にリリースしたサイトはバグがボコボコでてきている・・・
今のベンダーさんが不具合が多いから変えたんじゃないですか?めっちゃ完璧なものが出来るんじゃなかったんですか?とマジで言ってやろうかと思った(言ったら首になるから言えない)
今のベンダーさん、適度に安価で結構な無茶(どうしてもDB直接修正しなきゃいけないとか)もなんとかやってくれてたのに、今のNなんとかは100%やってくれないだろうし、運用回るのか・・・これ・・・
今のベンダーさんが全部が良い訳じゃなくて、たしかに不具合もあったけど、半分はこっちが超無茶なスケジュールで言ってて、テストらしいテストをしてもらう時間余裕もなかったのもあるけど、上は全部彼らの責任とかって経営にいっているらしい。
機能は劣化するし、サービスレベルは劣化するし、社内では倒れる人間がいるし、上役は良いことは俺の手柄、悪いのは部下の責任、という大和田常務を地で行く人で、さらに案件の内容が某み○ほ銀行状態になっていて、この部署からマジで離れたい。
だれか少しでもいいので慰めてくれ。
はてブでホッテントリ入りしてて、そういや近所にもあるなーと思ったのでネタ提供がてら自分の認識整理。
店の外観はド派手。もともと景観のいい通りってわけじゃないし、近隣の他の店も好き勝手なデザインをしているけど、その中でも目を引くと思う。
開店から1年くらい?閉店時間前にショーケースが空になってるので、まあまあ盛況してるのかも。ただオープンのときは行列できてたし町中でショッパーも見かけてたけど最近はそうでもないので、客足は伸びてはいないと思う。
何故か近所のパン屋さんからもらって味見した。甘くてはちみつと生クリームいっぱい使ってそうな味。ただなんか大雑把な印象だった。発酵が微妙?塩加減とかも微調整してなさそう?シンプルな食パンのほうが好きなこともあって、不味くはないけど……パン屋さんの食パンのほうが好きですねって感想を伝えた。
ちなみに最近の食パン専門店はみんな同じ味に感じる。生クリーム入れてやわらかく甘くしとけばいいでしょ、みたいな。
味はいまいち、値段は高い、ショッパーが恥ずかしいので自分で買うことや友達にプレゼントすることは絶対にないと思う。貰ったら一応食べる、かも。
typec/microが一緒に使えるマグネットケーブルよさそうやん、と思ったら別に統一規格とかがあるわけじゃないんだな。
でググったらこんな感じだった。自分はスマホを爆発させたくないのでパス。
商品のAmazonリンクが一か月後に消えてるとかのあたりも中華って感じ。
日記 by taka2 2021年01月18日 19時18分
一年半ほど前にマグネットUSBケーブルを導入したものの、Type Cのスマホでは使えないのが微妙に不便だったのですが、
その後 Type Cの機器も増えてきたので、充電専用なら問題起きないだろうと、充電専用のマグネットケーブルを購入してみました。
今度のは、ドーナッツ状のマグネット接点(GND)と中央のピン(Vbus)の2端子式。これでType Cスマホでの充電は問題なかったのですが、もっと問題が。
中央のVbusピンは給電ケーブル側がバネで引っ込むようになっており、よくみると開放状態でわずかにGND接点より飛び出ており、「導電性の面」に吸着するとショートしてしまいます。「金属製のストラップクリップにくっついてしまって、すごく熱くなってた」ことで気づいたのですが、その現象を再現確認してたところで、繋いでいたUSB電流計を過電流で破損させるなんてことも。
…っていうのが、一ヶ月ほど前の出来事で、以後、ショートしないように気をつけながら使ってたんですが、
今日もまたやらかしてしまいました。今回はUSB電流計を繋いだ状況でのやらかし。オープンモードで壊れたみたいでクリップは特に発熱はしてなかったんですが、またUSB電流計がゴミに…
こんなの怖くて使えないってことで、別のマグネットケーブルにするかな、と、いろいろと物色してるんですが、ショート安全性の観点でみると、ほとんどの製品構造がNGっぽい。接続検出時のみ給電するような設計なら問題ないでしょうけど、そういう製品かどうかわからない。ってことで、別の製品に手を出すにしても博打になりそう…はてさてどうしたものか…
コロナ前に献血やったことないからやってみようと思って献血ルームに行ったんだよね
役に立ってやるわーとそんな軽い気持ちだったんだけど献血ルームの人に話を聞いていたら
自分は小柄なので50kgはなかった
じゃあ200mlでと言ったらそっちはあまり推奨されてないようで、なるべく400ml欲しいと言われた
それだと無理だなと思ったら成分献血はどうですか?と言われた
詳しくは調べてください
一回血を抜かれそこから赤血球のみまた身体に返す方法で、それならできると言われたのでそれにした
ここまで書いてなかったけど実は注射が苦手で健康診断の採血では未だに刺されるところを見ることができない
でも自分の血で役に立てるならな〜と自己犠牲感に酔いつつやってみたんだけど
針を刺すところも血が抜かれるところもさほど問題なかったけど、血が戻ってくる感覚が駄目だった
自分の体にさっきまで入っていたものなのに、血がドクドクしながら再度血管を通る感触がめちゃくちゃ気持ち悪かった
気分悪かったら途中でやめられるのか分からんけどみんな対応で忙しそうだったので終わるまで耐えた
お菓子と飲み物飲んで元気になってから帰ったけど、あれ以来献血には行ってない
実際に献血やってみて思ったのは誰でも気軽にできることじゃないっていう
あれだけご協力お願いしますとオープンに呼びかけしていて、いざ行ったら誰もがみんなやれることじゃないんだよね
そして400mlもできず成分献血も気持ち悪くなってしまう自分は献血に協力しにくくて肩身が狭い
ってーか隣も挨拶回りか何かで人が居るみたいで、
とにかく人が居ないと寒くて仕方ないわ。
私もいい加減また帳簿の準備のレシートとかクレジットカードとかの経費を整理しなくちゃいけないのに目を瞑っているのにはいい加減整理しなくちゃって思うし、
ぐだぐだするんだ!ってもうお正月を延長したいこの頃のもう4日なんだけど、
今日もすっかり定食屋さんでモーニングを決め込もうと思ったけど、
まだオープンしていなかったわよ。
待つのもシャクなので
商魂たくましいお正月からやってるサンドイッチ屋さんでサンドイッチを買ってまあヒーコーでも飲みながら、
帳簿の整理をってワケなの。
本当にここの事務所というか
本当に自分のことが出来るのはこう言った時期のチャンスを狙って
とんでもないと言えばとんでもないけど、
言いすぎと言っちゃー言い過ぎなのよね。
でもそんな勢いよ。
潰れちゃうわよ?って思うのよ。
まあそんなことさておき、
おかげで寝過ぎて腰が痛いというか
腰調子良いわ~。
なんか近年腰の痛いのがあったので、
要注意ってところなんだけど
何事も限度があるって事ね。
そいでさ、
お正月特番のテレビもお笑いの見たい番組を1つだけ録画したのを観て
案外それだけだったわ。
あとは何してたっけ?
スイッチにダウンロードして遊んでないゲームを始めたら眠れなくなっちゃって、
6時間やってもまだ塔の半分も登れてないのよ!
まあそんなことはさておき、
ブクマ300ぐらい叩き出す増田を1つか2つ書けたらなって思うのと、
積みコンテンツをなんとか消化する!って
なんか毎年言ってるような気がするけど、
これヤバいわよ。
読みたい放題のコースには言っておきながら最初の1ヶ月で読むのに燃え尽きちゃったのもあるし、
もう読まなくて月額取られているならまったくアマゾンの作戦の手の中に入っているようで、
最低でも月に2~3冊は読まないとって感じなのよね。
録画してあるHDDの中身も消化したいし、
もちろん買ってあんまり遊んでないゲームも遊ばなくちゃと思うの。
なんだかこれ毎年言ってるような気が知るのよね。
あと30分!って延長延長していたら銭湯の時間終わっちゃってたりし、
あちゃぱーって感じよね。
取り戻せない時間のもったいないようなことがないようにって今年の目標の一つとして掲げたいわ。
本当にあっと言う間にまたこれ
ゴールデンウィークが来てお盆休みが来て寒くなったと思ったら、
気が付いたらもう12月!ってことだけは避けたいじゃない。
もう今年の目標は
整理整頓!
時間大切に!
の3つを掲げて
急に整理整頓って出てきたけど、
いやこれマジだからね
逆も叱り
相反するものなのよ。
なんてね!
たぶん7日までは新年の初心表明は何回でもやってもいいってルールみたいなのでコロコロたぶん変わるわ。
うふふ。
仕方ないわね。
ここのところ温かみに欠けるので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
トラ!トラ!トラ!狙い撃ちよ~
トラ!トラ!トラ!勝負よ~
なんだか今年はこの曲がかかりまくるような気がします!
この時期ってさ、
そんで年明けて
カレーのルーをか買うとお節に飽きたヤツか!って思われかねないし
迫る7日は七草粥!
これらの食材を当日に買うと、
なんだかその日に対してもの凄く張り切ってる人だと思われるのよね。
だから最低でも3日前ぐらいにそれぞれの食材を涼しい顔して買っておけるのはそのぐらいの期間開けなきゃ買えないわよね。
そんなことより、
ふと思ったんだけど、
あんまり初詣にお寺って私の中にそう言った文化がなかったもんだから
例の二礼二拍手一礼ってやつ。
お寺だとどういうバージョンでやったらいいのか
ふと直前になってもう引き下がれないところで気が付いたの!
これ幸いと前の人を真似てみて事なきを得た感じがセーフなんだけど、
そういえば、
人は日々勉強ね!
でもしかし、
もう早くない?
お正月三が日がもうよもう!
まだ私年越しうどんもお節に飽きる前というか
そもそもとしてお節食べてないかーらーのーお節に飽きた体裁で食べるバーモンドカレーに
結局お休みの日に
人は変わらないのよ。
昨年の目標だったドラクエVをクリアするってのもとうに忘れてお話進められてないし、
今その話をして思いだしたけど、
ゼルダの伝説も結局オープンワールドすぎて何をして良いのか分からなくて、
木を倒して谷に橋を渡して渡る往復をしていたし、
一向に序盤の序盤の序盤である
4つの祠のうちの何もかも見付かってなく、
なんだか最初のステージを脱出するための空飛ぶアイテムすら手に入れていないところで、
さんざんなぜんぜんプレイしてないゼルダの伝説のことも思い出したわ。
詰まれてないけど、
ダウンロードした覚えも無い私が買ってダウンロードしているはずのゲームとかあって、
こんなのあったんだ!?って
いったいどうなっちゃってるのよ?ってところよね。
現状維持ってのが一番何でもないようなことが幸せだったと思うように
私も今年のロードを512章ぐらい綴っていきたいところよ。
しかし、
お休み中の処理をパパッとパパがイヤがルほどの勢いでこなして、
そうそう!聞いてよ!
まあ当たり前っちゃー当たり前の休日なんだけど、
そしたらどうなるか分かる?
幸いサンドイッチ屋さんは商魂たくましく3日から開いてオープンしているという素晴らしさで飢えを凌ぐことが出来たけど、
おかげでなぜかパン屋さんなのにお年賀のお正月台所スポンジをいただいちゃったわ。
餅がモチーフ!ってそれを言いたかったのかしら?ってふと思ってしまったわ。
あーあよく寝た!って思って起きたらまだ今日だった!って感じがお正月って感じで
本当によく眠れたわ!って思うし、
逆に寝過ぎなのも逆にダメだったりするわね。
あ!
ちなみにまだ年賀状は書いていないので、
この感じラッパーみたいじゃない?
アンサーって言ってるだけでラッパーって随分都合の良い話かも知れないけど、
年明け早々
ズーン!!!
短時間でパパッと処理して出るために、
そう思っていたけど寒さ厳しい津軽海峡のようで
結局「天城越え」か「津軽海峡冬景色」なのかどっちだったのかしら?見なかったけど
どっちを歌う勝って言う賭けのオッズが高かったのはどっちだっけ?
逆に色々な媒体とかあってそれでも30パーセントをキープしているのも凄くない?って思うし
もうまた視聴率がアップして120パーセントぐらい行くんじゃないかしら?って思うんだけどね。
そろそろ温かい
矢野顕子さんの食べ物シリーズの3品を美味しく食べたい気持ちを持って
なにか美味しいものでもありつけたら良いわ。
うふふ。
縁起が良いじゃない?
まさしく新年にふさわしい感じね。
鉄は熱いうちに打て!って言うけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺みたいに趣味の合う友達がいない奴がボードゲームを遊ぶにはボードゲームカフェより、オープン会と呼ばれる地域の公民館で個人がやってるサークル活動に参加する方が都合がいい。
今月は新しいオープン会を探しては遊んでいたのだが、初めて気分が悪くなるような参加者に出会ったのでここに愚痴を書く。
また、遊んでいるゲームの悪口をゲーム中に言う。そのゲームの持ち主もいるというのに。
ゲーム後も説明が悪く終了条件を勘違いしてたので負けた、あと1ターンあれば俺の勝ちだったのでお前(1位だった人)の勝利は偽物だ、みたいなことを言う。
その後は同卓にならないように逃げ回っていたが、楽しい場でなぜこんな不愉快な思いをしなければならないのだとモヤモヤしていた。ここで吐き出せて良かった。
その人以外はみんな親切だったのでまた参加したいが、不愉快な人がまた来るようであればまた逃げ回りなが遊ぶことになる。残念だ。
20kg以下のプレートを複数枚つけるより25kgを内側につけたほうが安定するな。最初からそろえておくべきだった。
ナイロン製に比べて安定性・耐久性が良い。トレーニングベルトも皮にしておくべきだ。
フレンチプレス用に買ったけど、取り回しが楽なので鏡の前にもっていってスクワットのフォームを確認したりするのに便利。
デッドリフトはこれだけでいいんじゃないかと思うほど有用だった。ファーマーズウォークという体幹最強種目もできる。オープンデッドだとフロントスクワットができるらしい。
パラレルグリップの懸垂がやりたくて購入した。可動域がパラレル以上ではやく買っておくべきだったな。慌てて吊り輪買わなくてよかった。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
彼はとある擬人化作品のキャラで、めちゃくちゃ顔が良くて、料理が上手で、先輩に報われない恋をしている。
先輩は彼がゲイであることを執拗にいじってくるし、性指向をオープンにしているので周囲のキャラからもよくネタにされる。
周囲のキャラたちは擬人化元の年齢を反映すると百年以上生きている設定であるから、明治生まれのキャラが一昔前の価値観で性指向について語ってしまうこと自体は仕方がないかもしれない。
だが、どうしても推しキャラが性指向というプライベートな部分をいじられているのがかわいそうになってしまう。
また、キャラ自身の生まれに関係なく、キャラのセリフを書いているのは作者である以上、作者自身がわざわざいじるためにこの性指向の設定をつけたのでは?という気持ちもしてしまう。
作者が描きたいBLのためにモノに設定を付け足して、持て余したか性癖が変わったから投げて別のキャラを作っているように見える。
原作漫画自体はたまにチェックしているが、未だにゲイいじり自体は無くなっていないし、むしろいじり以外に出番のないキャラになってしまっていて、とても悲しい。
別にキャラがどんな性指向を持とうがそれは自由だが、擬人化作品で何も元ネタのない性指向の設定をひたすらいじられる役って、もうちょっと何とかならないのか……。
いまは舞台化に精を出しているが、さすがにゲイいじりネタがキャスト付きで堂々と行われるのはヤバそうだし、彼に舞台キャストが回ってくることはきっと無いだろうと思う。
交際時代は彼氏の話は一切していなかった(同居する家族かどうかという括りだとしても、親兄弟の話も一切していなかった)人が
数年前に見つけたADHDの女性のブログに勝手に同士のような感情を持っていた。そのブログは日々の生活の愚痴やライフハックをつぶやくブログで、ブログ主は新卒で就職した会社をやめたあとは、アルバイトや単発の仕事で食べていた。収入は10万前後で食べるものにも困っていて、医療費(薬代)の高さを嘆いたり、ものをなくしたり、ミスをしたりといったこともよく書いていた。正社員は諦めているようだった。
俺がそのブログを見つけたのは自分がADHDだという診断が下り、自分の生活や生き方に困っていたときのことだった。そのときの俺は収入10万円未満で実家ぐらし、親とは衝突してばかりだった。障害や新卒で入った会社をやめたことによる親との軋轢で一人暮らしをしたいと思っていた俺は、同年代で収入は同程度だが一人暮らしゆえ苦しい生活のうちなどを書いたブログ主のことを応援していた。彼女はADHDの診断を受けてから長いらしく、投薬や暮らしの工夫などはADHD新米の自分には読んでいて勉強になった。
2年くらい前からブログの更新が途絶え、最初のうちは頻繁に更新を確認しにいっていた自分もそのうち存在そのものを忘れていた。今日、ふと思い出してブラウザのお気に入りからそのブログを訪ねてみると、ブログの記事は更新されていなかった。ブログにはツイッターアカウントが載っておりそちらを見てみると今も稼働していた。前はほとんど見ていなかったが、ブログ主は元気にしていただろうかと思い、ツイートを少しずつ読んでいくと、あるツイートで彼女が結婚したと書いていた。お相手は婚活アプリで見つけたらしかった。結婚後のツイートは惚気も愚痴もなく淡々としていてそこから結婚生活への彼女の感情は読み取れなかった。けれど一言、自分が結婚できたことが意外だと書いてあった。
30歳、障害持ちの非正規社員、既婚。きっともう、彼女は賞味期限の切れたキットカットで空腹を凌ぐことも将来の収入を気にして夜、滅入ることもないのだろうなと思った。コンサータとストラテラの高さを悩む記事も収入を増やしたいけど働く気力がでないという記事を書くこともないのだろうなと思った。
一方で、自分はあのころの念願だった一人暮らしをしている。資格を取得してなんとかオープンで仕事に就いた。けれど仕事は大変で料理をする気力もなく毎日サプリと炭水化物で腹を膨らましている。部屋は通販のダンボールとゴミで荒れて、体質ゆえADHD薬を飲めない代わりに抗うつ薬を飲みながら生活している。当然、恋人はいない。仕事を長く続けられそうはないので今も暖房代をケチってフリースにウルトラライトダウンを着てこれを書いている。
もし自分がブログ主のスペックだったら、30歳、ADHD、非正規で月収10万円だったら、恋人はできるだろうか?結婚できるだろうか?そう考えると気持ち悪くなってツイッターを閉じてブックマークを解除した。
嫉妬ではなく、ある時点において同様のステータスだったはずなのに現在ではまったく違う境遇にいることにめまいがしている。
インテルとMicrosoftだけでなく、アメリカ企業って新しい規格なりを作る時は、十数社が入っていたりする。
発表された時には日本企業は入っておらず、開発開始が遅れてしまい、製品が不安定だったり、市場投入時期が遅れたりする。
日本の場合、企業間提携はたしかにあるのだけど、どちらかというと囲い込む傾向にある。
もちろんアメリカも企業間で競争しているわけなのだけど、自社内に囲い込むのと、オープンにするのとの判断がわかりにくい。
日の丸半導体時代に国家プロジェクトでも、個別企業に持ち帰って各々が競い合ったわけで、おそらくそれが日本では普通だろう。
日本の国内企業同士を競争させて、国際的な競争力を、というのが今までだったが、