はてなキーワード: お土産とは
デザイナーとかアートディレクターってクライアントの課題を解決する立場なわけ。エンブレムとかロゴは企業の顔じゃん。
「テクノロジー系企業だから先進的で、だけど人との繋がりを大事にする会社だってことを主張したい」とかさあ、「古い歴史のある旅館だってことをアピールしたい」とかアホみたいに漠然としてたりもするけど何かの要件定義があって、それを達成するためにデザイン作業をするんだよ。
もしクラが「田舎のお土産だからあんまり洗練された感じじゃなくてむしろちょっと絵心のあるおばちゃんが描いたようなダサくて素人っぽい雰囲気出したい」とか言い出したらそれを達成するためにダサいロゴ作る。これもう絵心のあるおばちゃんに頼んだほうが早くねって思いながら作る。クラがダサいものを求めてるから。
ここでいやダサいもん作るんじゃなくて適切な提案しろよって言われるかもしんないけど、それお前ら的には「どう考えてもおかしい仕様書が来てどうしようもないけど仕様通りに作るしかない……」みたいな話なんだよ。
「飲食店だから食欲を増進させるために青をメインカラーに使う」ってくらいおかしかったら仕様バグだから確認するけどさあ、明らかに子供にしかうけない商品なのに「イメージ転換のために新しいロゴを作る。今までのイメージを壊してシックで大人向けにして」とか言われたって、はあそっすかーって頷くしかないじゃん。自爆する気配しか無くても。ここで「いや、この商品には合わないしイメージ壊しちゃまずいですよ。子供向けに作ります」って返事するのが正解なの?なんでデザイナーが商品の販売戦略とかイメージ戦略にまで口出しすんの?おかしいだろ。そんなイメージ転換したら売上落ちるかもしれないですけどホントにいいんですかって確認するのがせいぜいだ。
何が言いたいのかって、持て囃されてるロゴはこの要件定義をされてないわけ。強いて言うなら日本国民が求めてたっぽい「イケてる感じ、華やかに、日本風に」に沿ってる。作ったデザイナーの独断で。そりゃウケるだろうよ。
実際のコンペ時の条件は元ページが消えてるしググってもググっても情報出なくて検索力の低さを痛感してるんだけど、何かの記事で「展開性重視、前回の東京オリンピックロゴイメージの継承、対照的なパラリンピックのロゴも作成」とか見た記憶がある。
実際、採用されたロゴを見ると華やかでわかりやすい日本らしさはそんなに求められて無かったと思うんだけど。すげえシンプル路線だし。
なのに要件を無視しておれのかんがえたさいきょうのろごでざいんをドヤ顔で出してる奴はひたすらにうざいから滅びろ。作るなら元の求められるコンセプト確認してから作れ。「多くの人で支えられている日本」をコンセプトにとか言ってるけど、それお前が勝手に必要だと思ってるだけじゃねーか。
本音とか思ってることが、なかなか言えない。人付き合いも苦手だし、人前で意見を言うのも苦手だし。
無理に言おうとすると、悲しいわけでも興奮してるわけでもないのに声が震えて涙目になって、最後は涙ぼったぼった零しながら言葉に詰まってしまう。
普段は笑いながら首振ったりうなずいたりするので精いっぱい。最近ようやく十年来の友達に、アレやりたいとかコレは嫌って言えるようになった。
高校も大学もみんなずっと一緒だったのに、さいきんになってやっとお互い興味や時間やお金ないなら断るし、断ってもいまの関係は悪くならないって、ようやく理解したけど時間かかりすぎだし理解力なさすぎる。
目下の悩みが、一応付き合っているステータスにある相手のことで、まだ知り合って1年たたないし、2人きりで出かけるようになってからなんてまだ三ヶ月もたたないし、つまり何するにしても相手がどう思うかがわからなさすぎて、相手の裏まで考えようとしてしまって、胃が痛い。
相手に誘われるのは、だいたいなんでも嬉しい。ご飯とか流行りの映画とか水族館とか、友達と行けるような程度の場所しか出かけてないけど。
さすがにパチンコとか競馬とか誘われたら困るけど、一度くらいなら行ってみても良いかなぁとも思う。
でも私からは、行きたいところがあっても、そこはちょっとって言われるんじゃないかと思うと、無難なところにしか誘えない。
近所のラーメン屋さんがおいしいらしいとか、友達に教えてもらった猫カフェが気になるとか、一人でも行ける気楽な行き先に、わたし一人でも行く予定だけどもし暇ならどう?って誘うのが精一杯。
断られても、一人で行って、楽しかったよってLINE送っておしまいだとおもうし。いまのところ幸いにも断られたことはないんだけど。
そうじゃなくて、自分の趣味の映画を見に行きたいとか、夏だし花火見に行きたいとか、某テーマパークに行きたいとか、なんかそういう。
花火とかテーマパークなんて、人混み苦手だし、絶対自分一人じゃ近寄れないから一緒に行けたらいいのにって思うけど、興味ないとか行きたくないとか言われたら、そのあと何か誘ったりする度に全部断られるんじゃないかって思っちゃって、行きたい雰囲気を出すことすらできない。
ご飯とかのお会計のこともどうしたら良いのか正直よくわからない。友達相手に奢ったりなんて何かのお祝いくらいでしかしないし。
いつも、出すからいいよ、って言ってくれるけど、本当に出してもらって良いのかわからない。本心からそう言ってるのか、私が年下だから懐事情に気を遣ってくれているのか、本当は出して欲しいけど男だしと思ってるのか。わかんなくて、いつも半分用意して受け取ってくれるまで差し出したまま待ってる。
なんか世間的にはそういうのスマートじゃないらしいっていうのは薄々気がついてるし、そこでありがとうごちそうさまですって笑っていられるのが普通なんだろうけど、ありがとう?ごちそうさまです?でもそれってなんか図々しく思われたりしない?って思う。
という葛藤を踏まえた上で。
仕事帰りに偶然会って駅前の新しくできたカフェ入って、暑いねお盆開けたね人多いねおいしいお土産もらった、とかなんかいつものしょーもない話して、でも楽しいなーって思ってたのに、帰るかってときに、急にどっか行きたいとこないの?って聞かれて、全力でキョドった挙句に相手に聞き返すとかいうよくわかんないことして、お茶代も2人で二千円もしない額だったせいで、こんな金額分ける方が面倒臭いでしょ、って受け取ってもらえなくて、ごめんなさいありがとうございます、とは言えたけど、動揺しすぎて、血の気が引く感じがして、家に帰ってお風呂入るまで指先すごく冷たくて、なんでか知らないけど泣いてた。
今度あったときにどんな顔してればいいのかわかんないし、なんかそつなく対応できなかったの思い出してますます挙動不審になりそうだし、こんなこと続けてたら会うのもつらくなりそう。
なんかもうこれ以上何をどうしていいかわかんない。友達にもここまでのことは相談できそうにないし。
「行きたいところ?笑われちゃいそうだから内緒❤」とか「あんまりおごられたことないから困っちゃうよぉ(´・ω・`)」とか、さっとその場で言えるような可愛げのある生き物だったらもっと生き易かったのに残念過ぎる。家帰って冷静になると、ああしたらよかったこう言えばよかった、って反省ばっかりで、楽しさが薄れて、どんどんつらさが上回って、眠れなくて、また泣きそうで、つらい。
店員の女の子がゆかたを来て接客するし、たくさん話しかけてくるので前職のおじさんたちのお気に入りで、よく部の飲み会などで使っていた。
食べ物は特別美味しいわけでもないけどまずくはないので安定感がある。
帰りにはゆかたの女の子がほんのおみやげです、といってお通しでつけた味噌と同じものをお土産でくれる。
前職のときは私は独身で家で料理なんてほとんどすることもなかったし、
なんとも思ってなかったし、前職でよく塚田農場にいってたことすら忘れてた。
あれから2年経って、私も結婚した。結婚式も新婚旅行にも行ってないのであまり結婚を実感するタイミングはなかった。
昨日、夫と出かけた帰りにホルモンがたべたいね!と盛り上がって目の前にあった塚田農場にノリで入った。
あぁむかしよくきたなぁと思ってきゅうりに味噌をつけて食べた。
帰るときにエレベーターを待っていたらゆかたのお姉さんが慌ててでてきて、
「これどうぞ!」と例の味噌をくれた。
ありがとうございます、といって乗ったエレベーターで、「あしたこれ食べようかぁ」と普段通りの会話をした。
翌日の昼にオクラとおろしを冷たいうどんに乗せて、余ってた豚バラを例の味噌で炒めてそれも乗せた。
家が広くなったので、料理をすることが楽しみで、食べてくれる人がいるので料理をすることが楽しみで、そしたら塚田農場の味噌ってこんな風に使われるんだぁって思った。
そんだけ。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
しかしそのことを公言すると必ず女性から人間じゃないかのような扱いを受ける。
みんななんでそんなにディズニーランドが好きなんだ?
例えばBTTF?T3?なにそれ?洋画なんか一切見ないって人がUSJに行っても楽しめるとはあんまり思えないだろう?
なぜその程度のことで残念な人、恋愛対象外みたいな扱いを受けなきゃならないのか。
数えるくらいしか行ったことはないが、そこで感じたイメージを列挙する。
キャラクターと世界観に興味が無いと一切楽しくないアトラクション多すぎ。ハニーハントの何も起きなさと言ったら。
出来てすぐくらいに運悪く当時の彼女と行ってしまい、5時間待って乗ったクソみたいな記憶。
ジェットコースターも富士急やらに行けばもっと気軽に激しい物に乗れる。
・異常な混雑
子供騙しのアトラクションでもすぐに乗れるならそれなりに楽しいだろうが、行列が全てを打ち消す。
あんなに並んでこの程度かよ。
・何もかもが高い。
まだ付き合ってもいない女性とディズニー行こうって話ししてたら宿泊費・お土産代合わせて50万以上払わされそうになった。
もちろん話は流れたが。
そしてそれに付き合って行く男は本当にディズニーランドを楽しめているのか?
謎すぎる。
私には父方に伯母と叔母がいる。
母方には伯母がいたが、もうなくなってしまった。
今回出身地に父方の祖母に会いに帰ると、
祖母と一緒に暮らしている叔母はもちろん、最近二人目の孫が生まれた伯母もいた。
私はこの二人がどうも苦手だ。
なにか人生に必要な格言を残したりとか言うパワフルな人格ではないが、
出すぎたところもなく素直な性格をしていると思う。
母と祖母の確執なんていうものは見たことが無かった。特段仲がいいというわけではないが、嫁姑としては最高レベルの関係性だ。
ただこの祖母の娘二人はとんでもない。
まず伯母は、私の父とは若干年が離れている。
彼女は長男である父親に愛情を取られたというコンプレックスがあるようだが、自分も結婚し、娘二人を生んでいる。
思い通りにならないと気がすまない点と、壊滅的な要領の悪さだ。
まず思い通りにならないと気がすまない、というのは、若干彼女のコンプレックスに関係がある。
自分が一番に愛されるべきであると思っているので(驚くべきことに、彼女より30歳ほど若く、遠く東京からわざわざ里帰りしている私がいるにも関わらずだ)
すべて彼女の予定に合わせようとする。
もう老齢で脚の弱い祖母が歩くのしんどくなっても、彼女には関係がない。
祖母に手を貸すこともせず(それは小間使いの私の仕事なのだ)、彼女自身のスケジュールが押している、とわめくのだ。
私にはクソほどの興味も感じられない行事のために、私は連れまわされ、蚊に刺され、荷物もちをさせられるのだ。
そして彼女は行事に参加しているお友達への差し入れを渡せなかったからということで「お土産に」と私に下げ渡すのだ。
失礼ではあるが、祖母を立ててお礼を言って受け取ったが、そこからそのお土産に関する自慢話を聞かされたのは本当にうんざりした。
二点目の要領の悪さ、というのは一点目を読んでいただければわかると思うが、まず計画性が無いところに端を発する。
一日に何を終わらせ、どういう段取りでやるか、という方向性がなく、ひたすら自分のやりたいことを優先させてしまう。
やりたいこと自体も要領よくできるわけではないから、どんどん計画が後ろ倒しになってゆく。
結果やりたかったこともやらなければならなかったことも明日へ先送りになる。
そういう人なので、こちらの都合などは完全に後回しにされてしまう。
ただ、彼女の面倒くささは巧妙に隠されていた。ほかならぬ父の手によってである。
彼女は一家の末っ子であり、常に甘やかされて育ったのであろう。
50をとうに過ぎているにも関わらず、同僚の子供(小学生)をからかって遊び、それを嬉々として報告してくるような人格をしている。
そしてなんと驚きのバツ2.5である。0.5は内縁関係だった分だ。
にも関わらず私に速く結婚しろ、女は男がいてナンボ、男に愛されてこそ幸福、という人生観を押し付けてくる。
父によって彼女の面倒くささが隠されていたのは、父も彼女と同じような性格をしているからだ。
ただ、最後の0.5の男がとんでもない異常者であり、寝ている父に馬乗りになって殴りかかってきたというすごい出来事で(父は撃退に成功して、警察沙汰になった)
父の目が半分開き、彼女が異常だということに気がついたことから、自分自身もおかしいのではないかと思い始めた。
確かに父も異常な部分があるが、それ以来私がいやだといったらちゃんとやめるようになった。
そんな男とはもちろん付き合いたくないし、そんな男でも好かれていたほうがいいというのは私は間違いだと思う。
今回帰省したときに、祖母がなにか食べたいものはあるかと聞いたので、お刺身が食べたいと答えた。
ただそれは叔母によって却下されてしまった。その前日、祖母が私のために買っておいてくれたお刺身を食べたからだった。
家にあるもので食べよう、と私がフォローしてその場は収まった。
「ほら、こんなおいしいものを食べさせてもらって!贅沢娘!本当にわがままな子なんだから、もう!」
と満足そうに言うのだ。
そしてこの叔母のもっとも厄介なところは、みんなに愛されている幻想を抱いているところにある。
散々私に嫌なことをいい、力でねじ伏せて、いじめてきたにも関わらず、私にも好かれていると思っている。
ばかだなぁ。祖母のことが好きで祖母を立てているからいい顔しているだけにきまっているのに。
老い先短い祖母に、これ以上叔母のことで悲しんでほしくないだけだ。
結局、身内のところに里帰りしたのにどっと疲れてしまった。
私は祖母を介護するのはかまわないが、50過ぎのおばさん二人の介護までしたのだ。
疲れて当然である。
帰りがけ、祖母は私にお小遣いをくれた。一万円だ。
実際に私の姉がドイツに住んでた頃、ドイツ人の男と15年ほど付き合ってたんだけど、
そいつが突然家を建て始めたから、ようやく結婚か!と期待してたら、
「今度、結婚するんだ。妻ともどもよろしくね」と言われたそうだ。姉が40を幾つか過ぎた頃の話。姉は出産を諦めた。
しばらくして、バチが当たったのか、その男は大病して、普通の生活はできなくなったらしい。
確認は取ってないが、もう生きていないかも知れないとのこと。
一方の姉は、直後に帰国し、すぐに語学力を活かせる仕事で活躍し、若い男を侍らせ毎日楽しく飲んで遊んで過ごしている。
結婚は諦めて無いそうだが、若い男達にはただの楽しいおばさんとしか思わていない、と私に愚痴をこぼすのだが、実に充実している表情だ。
私はだいぶ遅かったものの運良く結婚でき、子供がいるのだが、姉は我が子を自分の子供のように可愛がる。
いつでも子供が今必要そうなものを事前に調べ、お土産として持ってくる。そして子供相手に真面目に遊ぶ。
その誰に対しても誠実な姉の姿を見ていると、あのドイツ人の顔が思い浮かび、呪いのような憎悪がこみ上げるが、
姉は、小さい頃から可愛かったあんたとそっくりな子供にしょっちゅう会えるし、
好き勝手遊べるこんな生活も悪くないと豪快に笑うので、呪いの詠唱は途中でモゴモゴと立ち消える。
幸せの定義は一つでは無いが、最低限、相手を敬えない人間とは絶対に幸せになれない。それだけは言える。
姉に、50になろうが60になろうが構わないが、お互いが尊敬し合える相手が現れる事を祈る。
勿論あなたにも。
「おみやげだお」
とだけ言ってもらったんけどこういうのって、
「ディズニーランド行ったの?」
「何乗ったの?」
「楽しかった?」
とか聞いた方がいいのかなと思って、試しに
「ディズニーランド行ったの?」
って聞いたら、目を潤ませて、
「はい!」
って言われたけど、その後、話が続かなかった。
あ、そうそう、シュレッダー本体にミッキーのシール勝手に張るなよ。
「かっわいー これで作業効率アップだぉ」
とか言ってるから、
って言ったら、ふてくされながら
「んなわけないもん…いっぱい入るんだからあ。」
「ギョギョギョ!」
じゃねーし。
詰まった紙を必死に取り除こうと…
っておい!
それが見せたくて詰まらせただろ。
見え見えだぞ。
俺のミッキーが
「今夜はボクのエレクトリカルパレードがあるよぉ あは」
だってさ。
東京の本社や顧客へ出張する時に良く買うお土産をリストアップしてみた。
翌日までに食べきる&個装でなくてもOKなら、千鳥屋のみたらし小餅
http://www.chidoriya.jp/osaka/
得意先への手土産など、個装で安くて、真面目なものなら、花御堂
http://fukujyudou.shop26.makeshop.jp/shopdetail/002000000005/
東京にもあるというが、雷おこしも食べたことある奴少ないだろ。
http://www.daikoku.ne.jp/product/pro_01.asp
ちょっと品を変えて持っていくならば、けし餅
「今日、あなたの為に朝一でお土産を買って持ってきましたよ」感を出したいなら、出入り橋のきんつば
ただし、これは当日限りなので、渡す先の状況がわからない場合は微妙かもしれん。
甘さ控えめなんで、一人で2つ3つくらいはパクパクと食べれるから人数は気にしなくてもいい。知らんけど
お土産に使える=ちょっと日保ちするものは京都や神戸から取り寄せる
ものが主体になる。(東京でも手に入るけど)芦屋のアンリとか。
どうしても大阪で、そこそこ日保ちするのでとなると串団子かきんつば辺りかな。
有名店が何個かある。ニセブームでよければロールケーキとかあるけど、
大阪の中ではちょっと作られたブーム感があってバカにされがち。
そんな土地柄だから、胸張って京都や神戸のものを土産に持って帰っていいんだよ。
アンリのフィナンシェはほぼ外れなく喜ばれるし、会社で配りやすい。
あと、東京からの土産で東京ばななを持って来られるとだいたい皆がっくりして
子供に学校を休ませて家族旅行、あげくにはディズニーランドなどに行って笑顔でクラスにお土産を配る家庭まである。まったくもって信じられない。
学校を休んだからといって勉強が遅れるとは言わない。いくらでも復習はできる。そうじゃなくて、学校は集団生活で規律やルールを学ぶのも大事な目的なのに、平然とズル休みを子供に取らせるその神経が理解できない。
学校を休めるのは、体調不良(病欠)、部活動や課外活動の公欠、忌引き、などの理由のみである。それ以外はただのズル休みだ。こういう事を言うと、「旅行も大事な勉強だ」とか「子供の休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」とかワケの分からない反論をしてくる人がいる。
「旅行も大事な勉強」、それは間違いない。行けるならなるべく行った方が見識も深まる。しかしズル休みをしてまで行く事を子に教えるのはいかがなものか。
「子供の休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」、知らん。子供の休日に合わせて休暇を取れないような職業についたあなたの責任でしょ。あなたが休みたければ有給をとればいい。それは法律でも社内規定でも認められたれっきとした「お休み」だ。しかし、学校を旅行に行くために休むのは、どこにも認められていない。単なるズル休みである。
親が平然とズル休みを子供に教えたりするから、欠勤の報告をメールでしてきたり、平然と会社に遅刻したり、就活で親を引きつれてくるような常識外れな若者が育つのだと思う。個性や経験は大事だが、それを大義名分にしてルールから外れていいというわけではない。社会や属する組織には、集団生活を送るためのルールや枠組みがある。それを守って、その上で個人を表現し、経験を重ねるべきだ。
百歩譲って休んで旅行に行ったとして、せめて子供に「本来は褒められた行いではない」という事を教えられない親は、親失格だと思う。丸々一週間くらい休んだ後に、何の遠慮もなくクラスメイトにお土産を配りドヤ顔で思い出話をするような、そんな子供は、育てないようにしよう。
中国の生産現場に2回出張した。1回目はタンブラーを買っていったが評価は普通だった。
2回目に行くとき、何が喜ばれるか実験の意味も兼ねて、100円均一で色んなものを5,000円分ほど買いお土産として持って行ってみた。
以下、評判が良かったものと所感。
首かけタイプや、タッチペン付きのストラップ、クリーナー、イヤホン。
他にはiPhone専用だがUSB充電ケーブル、保護フィルムなど。
これらは、スタッフで取り合いになるほど評判が良かった。近年中国の発展に伴いスマホが大ブームだが、
これらのような周辺機器はそんなに充実していないらしく、使い勝手が評価されたようだ。
2位 工具
多機能ドライバー、ラバーコーティングの軍手、ペンチ、ノギス等
これらは私の環境が、生産現場である事もあるだろうが、同じく人気があった。
ともかく中華製品に比べ品質が良い。これは私自身が強く感じている事だが、中国製のものは最悪だ。
日本製も現地で売っている事は売っているが、クソ高くてあんまり使われる事は無いようだ。
3位 ステーショナリー
これも2位と理由は同じである。現地のそれとは品質の差が雲泥である。
だが日本ブランドはともかく、100均でも多くの物はmade in chinaであり、逆輸入という事になる。
なぜ本土に流出していないかという謎はダイソーが大企業たる理由であろう。
4位(圏外)
・清掃用品(固形洗浄剤やブラシ等)…自ら清掃、そんな習慣は中国には無い。
・整理用品(ペン建てや名刺入れ等)…自ら整理、そんな習(ry
・ステッカー(子供用からギャグ系等)…たくさん余って放置されていたので私が回収した。
・消臭剤(置くタイプ)…クサヤ豆腐の前では全ての臭いは無と化す。
・ペンライト(Made in China) …そもそも点かなかった。ふざけんな。
海神区は発展を遂げた。もちろん、住民は増えない。こんな場所に住んでも幼稚園も小学校もないし病院もないし、その辺は東京都にくっついているわけで、隣接する江戸川区におんぶにだっこである。江戸川区には屋内型温水プールもあるのだ。高校生以上は210円で入れるよ。しかしそうではなく、複合ビルに住所を移す企業が増えたのである。一流企業こそ動かなかったが、中堅規模の企業や、新興ベンチャーのいくつかがN氏の交渉力もあって地所を移してくれたのだ。
第二の転機は、そうして移転した企業のひとつに、総合メディア商社トラメイトが含まれていたことからはじまった。
このころ海神区は寄付の半額をお米券などでお返事していたのだが、当然ながらこんな埋立地でお米などとれるわけではないのである。お米券は全国共用のお米が買えるチケットだが、これは海神区が区の予算で購入していたのだ。
しかし、移転してきた企業からは様々な提案があった。おかえしは海神区の特産であるところの私の企業の製品で送り返しませんか? というものである。
あたりまえだ。彼らはそういう接触を求めて本社の位置を変更したのだから。
N氏もこれに答えて「お返しが選べる海神区のふるさと納税」システムを構築。Amazonの欲しいものリストのように選べるお土産は海神区の新しい顔になっていた。
いわく
「大規模なものです」
効果は一瞬で現れた。
ふるさと納税は、納税ではなくなった。いやまあ、言葉は納税だが最初から寄付だったのだ。しかし寄付ではなく節税として使われてきた歴史があった。それが地元グルメの通販に姿を変え、再び節税となり、おもしろお土産自慢になり、いま、まさに欲望の宝くじとなった。
ふるさと納税をすると海神コインがもらえるのだ! 500海神コインで一回の抽選が茶ができます。SSRがでるとコンサートに行けるよ!
しかもN氏の狡いところは、税収の大部分をチャリティーとか何とか言って国連へ寄付してしまっているのだ。そんなところで金をがめつく絞らないでも、イベントの実行委員会の本部は複合ビルの中にある事務所なのである。使用料や企業からの税収で、海神区の財政は健全なのである。ああ、いや、こんなに利益が出るのは自治体としては不健全かな?
このシステムの素晴らしさは、ありとあらゆるジャンルに応用が利くということだった。チャリティーという武器を振りかざし、海神区は芸能ジャンルへも踏み込んでいった。
海神区には小学校も中学校も高校もないのだが、深夜アニメの舞台となった海神区には小学校も中学校も高校もあるのだった(ただし名前は全部「学園」になっていて学校ではない謎の教育施設っぽかった)。
いつの間にか複合ビルにはFM局「うみがみラヂオ」まで開設され、しかもこれは江戸川区や葛飾区だけではなくインターネット経由で全国に視聴者がいるのだった。
海神区発信のイベントは一年間4クール12か月52週の週末を埋め尽くした。若者やオタクばかりではない。
30000海神コインでは千葉県とコラボした梨狩りに参加できたりして50歳以上の有閑なみなさまに健康とレジャーと出会いの機会を提供していたのだ。
海神区はクールジャパンの代名詞として世界にとどろき、納税という行政参加はついに娯楽と、そして何よりライフスタイルと一体化した。人々は自らが自らの収入の一部を預けるという行為がダイレクトに地方自治体の挙動に影響を与えているという実感をかみしめた。
それは、アイドルのコンサートに参加して空気を共有する、自分たちがこのアイドルを育てている、その実感にお金を払っているファンが得ていた高揚とまさしく同じものだった。
いつも和菓子屋に対して思うことがある。
年配の方や家族にお土産用に買いたいときに、和菓子詰め合わせを探すのだが
「最中5個セット」とか「どら焼き10個セット」といった同じものを何個も詰めあわせたセットが多い。
だ れ が そ ん な に 同 じ も の ば か り 食 べ る ん で す か ?(ドラえもん?)
そう思って、いつもわたしはバラ売りを箱詰めにしてもらうのだが、それが結構厄介。
「そのお菓子の組み合わせを入れられる箱はございません」みたいなことを言われたり
「箱に合うように何種類か(もうなんでもいいから)詰め合わせてください」って言ったら「お客様のご希望のものを箱詰めします」とか言われて「じゃあこれを」って言ったら「それは難しいです。」みたいなことを言われたりする。(だからテキトーに入れてくれって言ってるんだよ)
そもそも和菓子の一つ一つがとても美しくて、美味しくても(例えば生菓子のように)、
プレゼント用の箱にカスタマイズできなかったりと、集合体として美しくなければ意味がないと思う。
高級な和菓子ってたいていお土産用のために買い、自分用には滅多に買わないと思うのだけれど(わたしだけ?)
それがプレゼント用に最適じゃないとはどういうことなんだろうと思う。
極論、箱に詰めやすいように和菓子一個一個の形を統一してしまうべきではないのか。
会社で午後に「おやつ!たべて」といって裸の状態の豆大福を差し入れしないでください。
要りません基本言えないし裸の状態だと持ち帰ったり保留できないんで食べる以外選択肢ありません。
「お疲れ様!どうぞ!」ってお茶とかコーヒーとかいただくの、困らないけどいらないです。
要りません基本言えないしその場で飲む場合が多くてしたらうだうだ話すことになるのでもう帰らせて。
一人暮らしだからなめられてんのか、ごはんを作って持ってこられるんだけどほぼいらないです。
苦手なものとか食べたくないものとかあるし他人の作った素人飯はやっぱり好みによるし。
ほんといらない!!
後の二人はお金を払わずに済んだタフな人たちらしい。俺はザコなので4万5千円払ってしまった。「騙された!」と怒る気持ちはもとよりなく、自分の愚鈍を情けなく思うばかりだ。この損失は勉強代としてこの先の人生で減価償却していこうと思う。あとこの記事で一人でも被害から守ることができたらその人の損失を肩代わりできたという気休めにもなる。
感想については、最初にリンクした記事と全く同じなので、そのまま引用しよう:
男性のお茶の解説のうまいことうまいこと。あれは熟練の技だった。日本で茶道の解説員として店をたてれば、お茶の試しのみ&解説で一回6,000円でも結構需要がありそうな気がするほどの見事さ。もし、男性がアフターフォロー役だったら、彼のトークで別のものを買わされていた可能性があるほどのうまさ。風貌は荒俣宏風だったので(女性曰く27歳とのこと。30代中盤~後半の風貌だった)、まさかこの人が騙すとはとという感じだった。
あんなに英語ができて、あんなに会話がうまい人たちなのに詐欺まがいの仕事しないといけないとは、二人組の女性が言っていたセリフ「中国は貧富の差がすっごく激しい。上海は本当の中国じゃない。お金持ちの街だ。」「中国は不公平だ。大都市で働きたくても働くためのIDが取れない」というのがそのとおりなのだなぁと思った。
うん、騙されたのにあの二人がそれほど悪く思えない。彼らはプロで私はまごうことなきカモだったという感じ。私は今後も騙されそうだ。気を付けよう。
皆も気をつけてね。はぁ。