はてなキーワード: 4コマとは
ここで対象にする4コマ漫画は、主にきららあたりにあるストーリーに重きが置かれた作品のことね。
起承転結があって4コマ目にオチがつく昔ながらの4コマ漫画ではないです。
https://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20210217122319_76566775514e6348.jpg
拾いものでごめんね。
もちろんこれでも面白いのだけど、どうしてもコマ割りが同じせいで話が淡々と進んでいると感じるのよね。
素人目線だけど、4コマの枠を取っ払ってコマ割りを自由に書いたほうが、コマの形や大ゴマなどの演出が加わるので表現の幅が広がるのでは?と感じてしまう。
もう1例紹介すると、仙石寛子という繊細な心理描写が特徴的で、4コマもそれ以外も描く作家がいるのね。
ここで紹介する「夜毎の指先/真昼の果て」は4コマで、「花はニセモノ」は非4コマ。
前者は2014年、後者は2015年に出版されたのでおおよそ同時期に描かれた作品です。
試し読みページを貼ってみるね。
これらを比べると、個人的には非4コマの「花はニセモノ」のほうが断然よいと感じてしまう。
印象づけたいモノローグを黒い背景の大ゴマで描いたり、吹き出しの大きさも変化があって強く印象に残る。
それと比べると、「夜毎の指先/真昼の果て」はどこか盛り上がりに欠けており、比べると印象に残りにくいという感想になってしまう。
というわけで、ストーリー性の強い漫画であえて4コマを採用する必然性ってあるの?って疑問に思っていたのだけど、あえて4コマを採用する理由があるとしたら教えてくれると嬉しいです。
ゆるキャンとかダンベルみたいな男の趣味を女子高生にやらせる系譜の作品で、
『ポケモン』をテーマにすると面白そうだと思ってるんだけどどうだろうか。
アニポケのスピンオフとかじゃなくて、現実世界の人気対戦ゲームとしてポケモンが扱われていて、
ヒロイン達はポケモン部という学校非公認の部活動でSwitchやらを持ち寄り日々ポケモン対戦に勤しむ感じ。
対戦あるあるとか懐古ネタとか不遇ポケモンいじりとかネットにめちゃくちゃ転がってるから小ネタは作りやすそう。
ヒロインごとにモチーフのポケモンみたいなのがいたりしたらグッズ展開とかもしやすそうだし、
(世代的に)初代大好きな年齢ネタでよくいじられる妙齢の美人顧問に、フルアタ好きの熱血ヒロイン、可愛いポケモンだけしか使わないゆるふわヒロインとかいたらブヒブヒ言えそう。
ガチでやれば咲とかアカギみたいにできるし、もうちょっと緩めに4コマであるあるやギャグ詰め込むだけでもどっちでも面白そう。
ごちうさの3期が終わり、『ゆるキャン』と『のんのんびより』へと続く。これから少なくとも3ヶ月先は移住先を探すこともない安泰な日々が続く。
しかし、ここから先はどうなるのか。さらに先に『まちカドまぞく』の2期があるが、1期より作風が変わると聞く。ひょっとすれば、『NEW GAME!』のようにいざこざの多い作品に変わっていくかもしれない。日常系アニメの新作がないかと不安になっている人がいるはずだ。
そういえば、アニメ化が発表されたきらら原作漫画は『球詠』だったよな。この作品を最後にアニメ化の発表がされた作品が現れなくなって1年半も経つ。
しかしながら、これからアニメ化の発表がされるきらら原作漫画が増えていくだろう。だが、それと同時にきらら原作アニメに対して「自分が期待していたものと違う!」という批判が急増していくと思う。
なぜなら、まんがタイムきららからきらら系と呼べるような日常系が減ってきているからだ。
私は日常系アニメが大好きできららの雑誌を読んでいる身だ。未来の日常系アニメが出てくることを楽しみにしていた。
しかし、私は、2018年ぐらいから、きららの編集部は日常系を冷遇するようになったと感じた。
そして、きらら編集長のインタビューを読んで、まんがタイムきららから日常系がなくなるのは確実だと確信した。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
芳文社創立70周年を迎えて。「まんがタイムきらら」編集長が考える“これからの日常系”の形
やはり、「きららといえば日常系」という風潮に対して、きらら編集部は好ましくないと思っていたようだ。
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では、まんがタイムきららについて振り返ってみよう。
2011年に『あっちこっち』、2012年に『夢喰いメリー』のアニメが放送された。「まんがタイムきららは日常系だけではない」とアピールする機会になり得たが、いずれも成功したとはお世辞にも言い難かった。特に『夢喰いメリー』は原作ファンから酷評をされている。
2013年に『ゆゆ式』のアニメが放送し、『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』へと続いた。この頃に「まんがタイムきららといえば日常系」というブランドイメージが確立された印象だ。
きららに対するイメージが確立された後も、日常系ではないきらら原作漫画がアニメ化して放送されたが、そういったアニメが日常系アニメに比べたらヒットしているとは言い難い。
一方、編集部から大きな期待が寄せられたまんがタイムきららミラクだが、けいおんやゆゆ式のような大ヒット作が現れず、2017年12月号を最後に休刊してしまった。
そして、ミラクの末期の頃から、既存のきらら系列雑誌の作風が変わっていった。
まず、2018年から2019年前半ぐらいかけて、まんがタイムきららMAX連載の未アニメ化作品が、2~3巻分の短期で、次々に連載終了していった。特に『どうして私が美術科に!?』の連載終了はきららの読者に大きな衝撃を与えた。元々、きららMAXは、前衛的な作風やマニアックなネタを扱う作品が多かったが、ミラク創刊の影響で、きららMAXは萌え要素が多い作品が増えた。ミラク休刊を期に、尖った作品が増えてきた。
さらに、『ななどなどなど』のような和気あいあいとは言い難い作品や、『RPG不動産』のようなファンタジー系の作品が増え、『奥さまは新妻ちゃん』『一畳間まんきつ暮らし!』『メイドさんの下着は特別です』のような男性読者に媚びたお色気要素が強い作品も出てきた。
そんな中で編集部からプッシュされていた印象が強いのは、きらら本誌で連載していた『甘えたい日にはそばにいて。』である。この作品は『幸腹グラフィティ』の作者、川井マコトが送る小説家の少年とアンドロイドの少女の恋愛を描いたシリアスな作品だ。
きらら作家としてそこそこ知名度があるとはいえ、アニメ化されていない作品としては破格の待遇で編集から猛プッシュされていた。3回連続でセンターカラー連載したし、1巻発売当時、アニメが放送していた『スロウスタート』との合同フェアを行った。
しかし、鳴り物入りで連載されていたにも関わらず、アニメ化されることなく3巻で終わってしまった。
そんな長期に渡る試行錯誤だったが、きらら編集部の期待に応える傑作がようやく現れた。それは『ぼっち・ざ・ろっく』である。
『ぼっち・ざ・ろっく』は、これからのまんがタイムきららを語る上で絶対に外せない作品である。
この漫画は、タイトルが示す通り、陰キャな主人公がバンドに加入してロックスターを目指す王道のロック漫画である。間違えても『けいおん!』と同じようなものを期待して見るものではない。むしろ、『けいおん!』が嫌いだった人が見るものだ。個人的には、この作品が売りにしている主人公の顔芸と陰キャネタが生理的に受け付けない嫌いな作品だ。
『ぼっち・ざ・ろっく』はとにかくすごい。単行本1巻発売日直後に重版がかかり、LINEスタンプが発売された。そして、「次にくるマンガ大賞 2019」で8位にランクインした。
おかげで、きららでは陰キャ主人公モノブームが巻き起こっている。そのブームは、荒井チェリーというきららの創刊期から連載作品を持つベテラン作家ですら巻き込んでいる。列挙すればこんな感じだ。
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』にアニメ化の話が来てもおかしくない状況だと言える。では、肝心の出来はどうなるのか。制作会社ガチャと呼ばれる風潮が強いが、それに関しては心配する必要はないだろう。
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ここからは、個人的な妄想。内情を知らないので、今後どうなっていくかは、まだ分からないことだということに留意してもらいたい。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』は、アニプレックスが間違いなく神アニメにしてくれるはずだ。きららの切り札である以上、粗末に扱われることは絶対にないだろう。作画に関してはしっかりした制作会社を選ぶし、脚本だって原作ファンからの高評価であふれかえっているので十分保証できるだろう。
それで、なぜ『ぼっち・ざ・ろっく』の話にアニプレックスを出すのか?
その大きな理由はソーシャルゲーム『きららファンタジア』にある。このゲームはアニプレックスがパブリッシャー(配信元)でドリコムがディベロッパー(開発元)である。
『ぼっち・ざ・ろっく』の連載が始まる頃は、きららファンタジアの販促に力を入れていた時期だった。それを象徴するアニメは、2017年秋季に放送された『ブレンド・S』と、2018年冬季に放送された『スロウスタート』である。この2作品は、アニプレックスとドリコム、そして芳文社が製作委員会に名を連ねている。
この頃のきらら編集部はアニプレックスを強く意識していたんじゃないのかな。特に『ぼっち・ざ・ろっく』の場合、その傾向が強く表れていると感じる。主要人物の名前は、ASIAN KANG-FU GENERATION(アジカン)のメンバーが由来だ。アジカンは、アニプレックスの親会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント所属である。ここから、作者と編集は、構想の段階でアニプレックスを意識していたのだろうと推測している。
『タイムパラドクスゴーストライター』というジャンプの打ち切り漫画には、「実は(アニメ化の)オファーだけなら、早い作品だと1話目の次点で、もう来るんだよ」というネタ画像がある。ひょっとすれば、『ぼっち・ざ・ろっく』は、比較的早い段階でアニプレックスからオファーが来ているのかも知れない。逆に、芳文社からアニプレックスにアプローチしていたのかも知れない。それだけ芳文社とアニプレックスの距離感が近いはずだ。『きららファンタジア』が配信されたばかりの頃は特に。
そういえば、こんなTwitterアカウントがあるけど、遅くてもこのアカウントが作られる前からアニメ化が決まっていたんじゃいないのかね。主人公が演奏動画の投稿をきっかけにSNSを始めるエピソードだけど、このアカウントの初ツイートが2019年8月16日、このエピソードが掲載されているきららMAX発売日は2019年08月19日である。早すぎないか。
ファンがやるにしても、フラゲでもできないだろう。最新のツイートあたりに、音楽が流れる一枚絵があるけど、この絵は作者が描いたものじゃないよね。ひょっとしたら、アニメの作画担当が描いたものかも知れない。ちなみに、Twitterは、YouTubeやニコニコ動画とは違って、JASRACと許諾契約をしてないから気をつけてね。
『きららファンタジア』は、リリース開始期に多くのトラブルに見舞われて短命で終わるとささやかれていた。しかし、そんな悲観的な予測を超えて、2020年の12月にリリース3周年を迎えた。それを記念してメインクエスト第2部がリリースされた。これから、またアニプレックスのきらら原作アニメが増えていくのだろう。そのトップバッターは『ぼっち・ざ・ろっく』になるに違いない。
ビジネスは出だしが肝心だ。アニプレックスと芳文社は『ぼっち・ざ・ろっく』にまんがタイムきららときららファンタジアの命運を賭けるつもりでいるに違いない。それ故に、アニメスタッフは錚々たる顔ぶれがそろうし、宣伝にもかなり力を入れるはずだ。
具体的には、『鬼滅の刃』のプロデューサーを担当した高橋祐馬、『紅蓮華』を作曲した草野華余子、「チカっとチカ千花っ」で大きな反響を読んだ中山直哉が名を連ねることになるだろう。ロック界の重鎮たちも出てくるんだろうね。アニメーション制作はufotableが最有力になると考えている。次点は、A-1 PicturesとCloverWorksだ。
ぶっちゃけ、このアニメに鬼滅の刃のスタッフが集うことすらあり得ると思う。宣伝映像の冒頭に「鬼滅の刃のスタッフが送る」というナレーションを添えるだけで、誰もが飛びつくに違いない。まさに鬼に金棒。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』はアニメファンはおろか一般人ですら唸らせる出来になり、アニプレックスと芳文社が望んだ通り大ヒットするに違いない。そして、「きららといえば中身のない日常系」というネガティブイメージを抜本的に改善していくだろう。
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これがどれくらい当たるのか。答え合わせは2021年1月19日から始まるだろう。まんがタイムきららMAXの発売日だ。その次の月の2月25日は『ぼっち・ざ・ろっく』の単行本3巻が発売される。その間に、重大なニュースがやって来るはずだ。
いずれにせよ、きらら編集部にとって『ぼっち・ざ・ろっく』はまんがタイムきららを変える大きな存在だということには間違いない。
実際、ごちうさ3期に放送されたきららMAXのCMで紹介された作品は、ごちうさときんモザとこの作品だけだった。新型コロナウイルスのせいかもしれないが、はっきり言って、きららMAXの未アニメ化作品は「『ぼっち・ざ・ろっく』以外は雑魚」という扱いなんだなと感じた。それだけ、『ぼっち・ざ・ろっく』の注目を集めるのに必死なのだろう。
私はきららの雑誌を読んでいて、日常系が減ってきていると感じていた。
きらら編集長のインタビューを読んで、きららから日常系が消えていくのは確実だと痛感した。
きらら編集部は『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』がヒットしたときから、「きららといえば日常系」のイメージに危機感を持っていたのだ。
きららの編集長はインタビューで「多様性」という言葉を使っていたが、我々が持つきららに対するイメージに対して、作者も編集もプライドが許さないのも大きな理由の一つなのだろう。そりゃそうだよな。自分たちで一生懸命作って世に出した作品を、きららというだけで、萌え日常系と言うだけで「中身が無い」とか「低俗だ」とかと酷評されたら誰だって傷つく。そんなイメージを払拭したくなるのは当然の話だよね。
10年以上前から受けてきた屈辱を晴らそうと、長期に渡る試行錯誤の結果、『ぼっち・ざ・ろっく』という今後のきららにふさわしい作品が表れた。あとは、大ヒットを目指してアニメや宣伝に力を入れていけばいい。そして、『ぼっち・ざ・ろっく』に続く「中身のある作品」を出していけばいい。そうすれば、まんがタイムきららから「中身のない日常系」は駆逐されていくだろう。
だから、私は言いたい。
2020年6月29日、ノウェムちゃんの専用装備追加が告知された。
その事に関して軽くバズったツイートがTLに流れてきて、オクトーくんがノウェムちゃんにブローチを渡しているスチルのスクショを見て、ノウェムちゃんがとてもかわいかったから、気になり始めた。
それから数ヶ月して、容量に余裕ができたからインストールして、少しずつプレイすることにした。
経済的余裕が無いから課金はあまりできないし、いっぱいリセマラしてノウェムちゃんを引いて、別衣装のノウェムちゃんの為に天井分の石も溜めた。
ノウェムちゃんの、オクトーくんの事を取り戻そうとする真っ直ぐな姿勢に惹かれた。
ノウェムちゃんはユイちゃんの人となりを知った上で良い子だと思っていて、ユイちゃんに対して「諸悪の根源、〜」などと言うのは違和感があった。(個人的にユイちゃんいじり普通に見てて不快で、推しであるノウェムちゃんがその一因である事は純粋に嫌だったし)
脚本に言わされた感あるなと思って、だけどそれでもノウェムちゃんにとって失った物があまりにも大きくて、だから口を突いて出てしまったのだと思えば激しく解釈違いって程でも無いのかなって、受け入れられない程では無かった。
でも、そうじゃなかった。
ノウェムちゃんはオクトーくんがいなくても結構平気そうだった。
何故か魚を食す事にご執心だし、オクトーくんの記憶を取り戻そうって事に必死でもない。
全部のセリフを確認した訳ではないけど、今までのノウェムちゃんを思うと不自然なくらいにオクトーくんの話題は挙がらない。
ツイッターやスレッドなどで、彼氏持ちとか中古とか言って敬遠されがちだから、逆にオクトーくんの事を喋らせなかったのかな?
というか、それくらい根底的にはオクトーくんの事どうでもいいなら2部でオクトーくんを追っかけるのも不思議だね〜。
初心者だからまだ星3にできてなくて絆ストーリー最後まで読んでないけど、4話が現実における騎士くんとの話らしいじゃん。
通常版のノウェムちゃんの絆ストーリーで現実では面識が無いって言ってなかった?
それともメインストーリーのもーっと後の話で、現実に普通に帰れるようになったから、悩みがなくなって平然と思い出づくりに打ち込めるし、騎士くんと現実で会うこともできるのかな?
オクトーくんに向けるそれが恋愛感情では無くても誰よりも大事な存在なんだと思っていた。
友達より家族より大事って言ってたノウェムちゃんの事が好きだったから。
だから単純に推しがなんかだいぶ信念弱々な感じにされたのも普通に辛いよね。
ネネカさんの、オクトーくんがいないから貴方がノウェムを支えてあげてって、それでオクトーくんがいなくてもノウェムちゃんがなんか普通に楽しそうなことの説明をできた気にでもなってるの?
ネネカさんは、別にノウェムちゃんとオクトーくんへの関係性にそんな詳しくないだろうから、何ならブローチの事も知らないだろうから、本心からノウェムちゃんを心配したが故にそう口にしても仕方ないと思う。
でも事実として違うでしょ、代わりに支えられる人なんていないから、だからノウェムちゃんはどうしてもオクトーくんを取り戻したいんだと思ってた。
オクトーくんがいなければノウェムちゃんは何かしらを楽しんではいけないって訳じゃなくて、ただオクトーくんがいないと何だって心から楽しめないからノウェムちゃんにオクトーくんが必要だったんじゃないのかな。
通常版絆3話だってラジラジやダイゴやマサキに励まされてみんなに支えられていることを実感した上で絶対にオクトーくんを取り戻すぞ!って決意する話だったし。
ところでノウェムちゃん、改変後の世界で多分一番世話になってるラジラジや、何だかんだで仲良いダイゴに対しての方が騎士君に対してより絶対情あるし、ラジラジやダイゴにデレる方がまーだマシだったとすら思う。
なんていうか、ペコリーヌは実装させたいし、本編における重要ポジションだから正月イベントには妥当っていう理由で、なんというか数合わせの為に連れてこられた感じだなって。
多分ライターが変わったらしいことにも原因はあると思うけど、キャラクターの同一性を安定させることもできないし、整合性も取れないならなんで実装したのって言いたくなっちゃう。
本当に、こんなの見せられるくらいならずっと実装されない方がよっぽどよかったと思う。
最近始めたばかりだから1年以上ノウェムちゃんの再登場を待っていた人の気持ちは理解できないからこう言えるのかもしれないし、課金してない人間はコンテンツに偉そうに口出しする権利はないだろうけど。
ノウェムちゃんにかわいいお洋服着て欲しいなって思ってたし、事実衣装も立ち絵も星3絵も口調もかわいいと思う。
だって、それらを含めてノウェムちゃんをかわいいと思ってたから。
でもなんだか、ただノウェムちゃんのガワを被ったノウェムちゃんのようなもののようで気持ち悪さすら感じる。
なんでこんな話になったの?なんでこれがムイミ (ニューイヤー)として実装されてるの?運営はわたしが思っていた以上にノウェムちゃんの事が大事ではなかったんだな。運営にとってノウェムちゃんとオクトーくんをカップリング推ししたり、ノウェムちゃんの中身を直向きに愛している人間なんていないも同然なんだろうな。って。
公式と解釈違いって時、今までだったら自分がこの子の事を知らなかっただけなんだって思ってきたけど、これだけは本当に辛い。
オクトーくんのこと大好きなノウェムちゃんが大好きだと思っていたけどそもそもそんな子はいなかったって事になるから。
ノウェムちゃんの好きなところで、騎士くんのこと好きにならないっていう信頼もあったし。
それはまあノウェムちゃんにだって羞恥心はあるだろうけど、それでも騎士くんに赤面するノウェムちゃんが見たかった訳はない。
なのに、あの世界で騎士くんを好きにならない女の子は大衆的に価値はないからノウェムちゃんも問答無用で騎士くんに赤面する女になる。
drstでLove∞Destinyでまゆちゃんの夢プロデューサーが苦しんでた時はどこまでも対岸の火事だったけど、自分がその立場になってみるとこんなに辛いんだなぁ。
(どっちもcygだ…)
潘さんがノウェムちゃんのこと大事にしてるのは微笑ましいなと思うし、最初は困惑していたように思う人達もある程度は自分なりの解釈を見つけて落ち着いてるように思う。
わたしだってかわいい新しいノウェムちゃんだって喜びたかったな。
星3ホームセリフや絆4話までしっかり読めば少しは変わるかなぁ。
せめて4コマとか、メインの続きとかでこの件に関してなんとか補足になるような事、言ってくれたらいいな…。
もし次の別衣装が出るとしたら、その時はオクトーくんのことが大好きなノウェムちゃんだと嬉しいなぁ。
これ以上解釈違いが続いたら、本当にもー二度とやらんと思う。
なんかさ、内容っていうより、美(少)女が持つ「格」というか「価値」で勝負してる感じがある
お前ら尊い尊い言ってるが、ブサイクなオッサン2人が同じことやってて同じ尊さを感じるのか?というところに疑問が残る
美(少)女属性を消費してまーす!中身はどうでもいいでーす!って姿勢が感じられる作品(きららの4コマとか……)ならまだ許しやすいんだが、4コマじゃねえ大袈裟なコマ割りで「硝子のように繊細な世界」みたいなノリのことをやってるやつが一番嫌いなんだよな うつくしい関係性!とか言ってるが結局うつくしいのは顔なんじゃねえのか?という疑念がつきまとうから
とにかく顔を良くしないでほしい
いや、それを言うと恋愛要素とかそんなに無いような話でもその気持ちは生じる とにかく意味もなく登場人物の容姿を盛るやつ、アレすげー嫌なんだよな
校内一の美少女とか髪型を整えたらモデル級とかそういう設定が出てきた時点でかなり嫌になる 学年最低レベルのブサイクって設定じゃなくていいから、せめて並くらいにしてほしい
理想はあたしンちなんだよな みかんはパッと見で美少女じゃないし、吉岡くんも「十人並み」と評しているが、読者としてずっと見ていると愛着が湧くくらいのかわいさはある
あれでしょあれ アレが理想なんすよ
可愛いお人形さんと可愛いお人形さんが仲良くしているよ!うれしいね!ってえ感じのする百合漫画は気色悪いし、それをみて「関係性が〜」つって喜んでる奴らも気色悪い 顔だろ顔
中学の頃から腐女子でずっと二次創作をしており、pixivやらTwitterやらでアカウントを転々としつつ、オンライン上のみで活動をしてきた。
描く絵は一枚絵ばかりであり、漫画は簡単な4コマくらいしか描かなかった。
イベントでは買い専に徹し、自分が同人誌を作れるという発想も無く、「漫画や本を作る=とても大変なこと」だと考えていた。
しかし、3年ほど前に某ジャンルに強くハマり、初めて私は「推しカプの本を作りたい」と感じた。
そのジャンルは知名度は高いが、女性向けとしてはマイナー寄りであった。
だが、活動している人はそこそこいた。というより想像よりたくさんいて喜んだ覚えがある。
最初は今まで通りオン専で活動するつもりだったが、自分の作品が今までより良い反応をもらいやすいとだんだん感じるようになった。
今思えば、手前味噌だが私の画力が当時のジャンルの中でも中の上くらいだったことと、貴重なカプ者としてありがたく思ってくれる人達がいたことが理由だと思う。
その時の私は良い評価をたくさん頂けたことで自己評価が高まっていた。
今の自分なら漫画も描けるのではと思って制作した推しカプ漫画も、無事多くのブクマやいいねが頂けた。
丁度ジャンルに来て1年くらいだったと思う。
同人誌の作り方を調べ、とあるイベントを目標に計画を立てて制作を始めた。
しかし、本の執筆は自分が想像していたように大変なことだった。
ネットにあげていた漫画は所詮1〜2pほどであったが、こちらは一気に10倍のボリュームを描くことになる。
上手くまとめないとページが足らなくなったりグダグタになったりする。話の流れで苦手なアングルも描くことになる。などなど…
描いている最中で何度も「本当に面白いのか」「この絵おかしいけど直せない」と虚無に陥りながらなんとか描き続けていた。
自分の絵が嫌いになりそうにもなった。
一方、私が本を作ろうと思い立った半年ほど前に新規の人がジャンルに来ていた。
その人は私と同じオン専であった。しかもTwitterのみでしか活動していない様であった。(以下Aとする)
Aとは私のアカウントをフォローしてくれたことをきっかけに相互となり、絵をいいねしあってたまにリプを送るくらいの仲となった。
彼女の描いた絵は私と同じくらいの評価をされていた…と最初は思っていた。
彼女の絵は、私における「今回は特に反応が貰えたな!」と感じる量のいいねやRTをコンスタントに稼いでいた。
さらにフォロワーもじわじわ増えていき、いつの間にか私の何倍にもなっていた。
私が思う以上にAは絵が上手かった。
私が苦戦しながら原稿を描いている間もAは絵の投稿を続けていた。
最初は私もAの絵をありがたくいいねしていたが、そのうち彼女の存在が私の自信に影を落とすようになっていった。
話は戻るが、なんだかんだで原稿は完成し、サークルとしてイベント参加することを達成した。
私の本を買いに来てくれる人がいたこと、今までネット上でしか知らなかった人達と実際にお会いできたこと、差し入れをいただけたことなど、嬉しいことがいくつもあった。
本の感想をくださる方もおり、喜びのあまり何度も読み返した。本をきっかけにフォローしてくれる方もいた。
何もかもが初めての体験であり、イベント後も1人ずっと感動していた。
また、同人誌の執筆など自分にはできないと考えていたため、自分やれば出来るじゃん!と自信がもりもり湧き出ていた。
そんな時にふとAのTwitterアカウントが目についた。そのフォロワーやいいねRTの数の多さに、途端に自尊心が急降下した。
自分はpixivやTwitterをまめに更新し、本を作ってイベント参加もした。
なのに彼女はTwitterでしか活動せず絵を上げるくらいで呟きも少ないのに私よりずっとずっと多くの評価をされている。
そこが私には許せなかった。
私は必死で漫画を描いてたのに。特に締め切りのない絵を描き散らしてるだけで。調子に乗ってるんじゃねーぞ。とも感じた。
Aは絵を描いているだけで調子もクソも無いのにそう感じていた。
そのうち、この感情はAだけでなくオンライン上の狭い範囲でしか活動していない人全てに向かうようになった。
今まで仲良くしていた人達の活動履歴を探り、オフライン活動のある人としか仲良くしないようになった。
評価の量は自分の技量の問題であるし、本を作ろうと思ったのは自分で決めたことで、それで苦労をしたのも自分の技量のせいである。
Aを含めた「オンライン上でのみ活動する人々」には何も関係のないことである。
なのに私は彼らのことを「オフライン活動をする度胸のない奴ら」だと感じている。
ヨガと同じく人口が多いからいろんな人がいて然るべきなんだけど
第5位:SPA!とかが喜びそうな男が好き過ぎるメンヘラの存在
第4位:BLポルノ・原作改変に感覚が麻痺していつでも垂れ流す腐女子の存在(非格闘派)
第3位:ミサンドリストでホモフォビアでミソジニストで女性の権利についてネットで語りたい既婚腐女子と婚活腐女子の存在
第2位: BLポルノ・原作改変に感覚が麻痺していつでも垂れ流し+萌えエロに積極的に食って掛かる腐女子の存在(格闘派)
わざわざテニプリBL同人作家を呼んでジャンプでテニプリ4コマ描かせたのは
フツーにそういう意図があってだと思うがの。いくらでも寝かせている作家はジャンプならいるやろ
別に犯罪じゃ無いので私企業の依頼を断る必要はタイツと同じく無いと思ってるが
「杜野凛世って主人公好き好きキャラが、他作品に出向というNTR展開でシャニマスプレイヤー発狂wwww」ってだけじゃないんだよって話
そもそも良い年したおっさんが、主人公=俺なんて視点持てると思うか?
違うんだよ俺が嘆いているのは、凛世が俺ではないシャニPと「また」すれ違ってしまったことなんだよ。
杜野凛世は「すれ違う恋」をテーマに作られたキャラクターだと思う。
凛世は想い人としてシャニPのことを大切に思っている。
一方でシャニPはあくまでアイドルとして凛世を大切に思っている。
そこはわかるんだよ。
だけどさ、そこには凛世の気持ちが無いんだよ。
凛世は一人の女の子としてシャニPのことが好きでずっと一緒にいたいと思ってる。
だけど凛世はシャニPのことが好きだから、自分の意思とは違うことでもシャニPの願いを叶えてしまう。
そして何よりも悲しいのがシャニPの願いは他でもない凛世のためだってことなんだよ。
だけどスタマスに出向したということは、「アイドル」杜野凛世としてシャニPと離れたことが確定している。
それは一人の女の子のささやかな願いが叶えられなかったことを意味する。
結局シャニPと凛世は交わることなくすれ違うということを、俺はまざまざと見せつけられてしまったんだ。
その4 前編
第4章ーいろいろと、他ー
女性幸福度1位。 一方、男性の幸福度が上がることは許されないですか?
俺はネットでいろいろと見てきたよ。
うたプリや浦島坂田船のセルビデオグラムが劇的な売り上げ見せて、
その一方で中国・韓国・朝鮮民主主義人民共和国・野党及び党員・議員・野党系論客者・野党派へのヘイトスピーチ数が
ネット掲示板も既存マスメディアも雑誌も男性の行動を必要以上に抑圧、戒めるような事ばかり書いて発信してるかいけないんだよ!
だからきらら関連など男性向け萌えに入るのを恥ずかしがる様な風潮になってしまうし、
ジャンプ系や特撮系、ロボット系など男性向け"燃え"に浸かることにも見えない形で心にバイアスかけられてしまう…
それに、女性が年齢制限がかけられてない過激なBL本を何のバイアスも無く嗜好出来て、
一方で男性はきんいろモザイクの様な肌色成分が主軸ではないほのぼの美少女4コマどころか
ゆるキャンの様な絵柄的に萌え路線とは一線を画すほのぼの漫画ですら読むことを申し訳なく思わなければならない…
どこが男女公正なんだよ。
その風潮の結果が日本における嫌中朝韓野ヘイト発言数の男性率の多さの原因の一つじゃねえか。
それでエネルギーの行使先が叩きやすいと思われる近隣アジアとかへの怒りの言葉に使われてしまうんだよ。
夏はあまりパッとしなかった反動で秋は良さげなアニメが多すぎてチェックしきれないゾ
永吉昴と『ビギナーズ☆ストライク』が好きだ。けど語り合える友達がいない。からここに書き散らそうと思う。
わざわざこのためにはてなの垢も作った。えらい。
最初に断っておくがわたしはミリシタ2周年ぐらいからミリオンに触れ始めたにわかPだ。グリー時代は全然知らないし、なんならミリシタ内でも未読のコミュもある。
もしかすると先輩Pからすると「こいつ何言ってんだ?」「解釈おかしすぎワロタ」的なところもあるかもしれない。
でも全部知らなきゃ語っちゃダメか? いやそんなことはない。はずだ。不快なところがあったらごめん。
あとはてな記法とやらもよく知らん。読みにくかったらごめん。
永吉昴と『ビギナーズ☆ストライク』の魅力について語る前に、ここまで何を言ってるのか全然わからんという読者(いるのか?)のために、まず少しく基本的な情報を共有しておく。
有識者の同僚諸賢におかれては★印あたりまでスキップしていただくとよろしいかと思う。
〇永吉昴とは?
バンダイナムコエンターテインメントの展開する『アイドルマスター ミリオンライブ!』に登場するアイドルのひとり。
すぐ「すっげー!」って言う素直でボーイッシュなキャラクター。かわいい。尤もアイドルはみんなそれぞれにかわいい。
永吉昴のソロ曲。野球をモチーフに、全体的に元気な曲調で瑞々しい恋心を歌った曲。
ミリシタ内でしか聞いたことのない方にはぜひフルで聞いてみてほしい。フルを知らないとこのエントリ全然わからんと思う。
〇ミリシタとは?
『ミリオンライブ!』のスマホゲー。詳細はググってほしい。9月末からフェスだから始め時だよ☆
他、わからない単語は適当に検索してほしい。ていうかわかるPしか読まんだろたぶん。
そろそろ本題に移ろう。
★
『ビギナーズ☆ストライク』の魅力は、ズバリ次のフレーズに凝縮されている。
"素直にならなくちゃ なんにも変わらない ホントのライバルは ヨワムシなわたし"
(出典:http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=k-140430-185)
この部分がわたしはもーほんと素晴らしいと思う。この1節のためにこの曲はあるといってよい。
尺の都合があるとはいえ、この部分がミリシタに実装されなかったのは残念至極というほかない。
さあではこのフレーズの一体どこにそれほどの魅力を感じているのか?
先述のように、ミリシタにおいて昴は基本的にボーイッシュなキャラクターとして描かれることが多いが、そればかりではなく、実はかわいらしさ・女性らしさといったものへの憧憬を持っている。
例えば4コマ『あとひと押し』ではかわいい服に惹かれながらも自分からはなかなか一歩を踏み出せない姿が見られるし、オフショット『かわいいに必要なもの』ではまさにド直球で「かわいいってなんだろう…」と思い悩む。
(少し話がそれるが、わたしの思うに『かわいいに必要なもの』は、一見安易に性的なネタに逃げているように見えて実はしっかり昴の心情を表現している見事な一コマだ。おふざけでなく真剣に眉を寄せているのが肝だ。
例えば亜美真美ならおふざけ全開で胸に詰め物をするだろう。この違いは亜美真美が頭空っぽとかそういうことではなく、昴がボーイッシュな自分と風花さんのような女らしさとの間に乖離を感じていることに起因するものだ。
『あとひと押し』は正直なところ4コマ目が若干解釈違いで、わたしが作者なら「そ、そこまで言うならしかたねーなー!」みたいなセリフで喜ばせるところだ。「入ってみたかった」とはっきり言わせるのは違う。『あとひと押し』というタイトルならなおさら)
このボーイッシュさと女らしさのせめぎあいというのが、永吉昴の大きな魅力のひとつだとわたしは思っている。このせめぎあいはすなわち子供らしさと大人らしさの葛藤であり、15歳の彼女の成長痛といってもよい。
アイドルとしてのみならず、一人の人間として女として、子供から大人へ成長しつつあるアイデンティティの揺らぎが描かれるところが、多くのアイドルの中で昴を昴たらしめている大きな特長である。
翻って『ビギナーズ☆ストライク』の歌詞を見ると、全体としては「いま観戦してる試合に出てる”彼”、前から思ってたけど素敵だな~…でも告白する勇気は出ないんだよな~…でも…思い切って告白しようかな…!」みたいな歌詞なわけだが、つまり言いたくても言えず、心の中でつぼみのように大事にしている恋心をいざ伝えんと歌ったもので、要するにいままさに子供から大人へ一歩踏み出そうという歌詞なのだ。
とはいえ「勇気を出して告白しよう!」という曲ならぶっちゃけいくらでもある。が、『ビギナーズ☆ストライク』の場合、もう一つ注目すべきところがあって、それがさきほど引用したフレーズなのである。
思い出してほしい。昴はボーイッシュなキャラクターで、普段の一人称は「オレ」である。しかし『ビギナーズ☆ストライク』に「オレ」は登場しない。昴が、曲中たった一度だけ心情を吐露する一人称、それが「わたし」なのである。
この「わたし」のおかげで、『ビギナーズ☆ストライク』は、ボーイッシュではあるのだけれども決してそれだけではない、「オレ」ではない、恋する女の子としての昴を見事に表現することに成功しているのである。
「こっそり隠したラブサイン」→「欲張りなオモイが泣き出しそう」→「告白してみよう…かな?」→「ホントのライバルは ヨワムシなわたし」なのである。ここに至るまで「わたし」は登場しない。ぜひフルで聞いてみてほしい。
正直に言うと、ミリシタ内で初めて『ビギナーズ☆ストライク』を聞いた時には、まあありがちな自己紹介曲だな、くらいにしか感じなかった。なんだか歌詞もわかるようなわからんような、まあ野球を恋の歌に落とし込むとなると難しいんだろうな、程度の認識だった。
初めてフルを聞いて『ビギナーズ☆ストライク』の良さに気づけたのは6月のライブ一挙放送でのことで、まあそんなわけで何が言いたいかっていうとその節は運営さん素敵な企画をありがとう。可能ならまた一挙とかやってくれると嬉しいです。あとマスピ実装待ってます。あの大団円感が好きです。歌い分けもお願いします。おわりです。
https://anond.hatelabo.jp/20200715133957
最近、商業BLの良さっていうのは手短に完結することなんじゃないかという気がしてきた。基本的に続刊は出ない前提なのか、単行本一冊で終わるように全力で話を畳みにかかる。
私は漫画といえば終わりの一向に見えてこない連載漫画ばっかり読んできたので、ちゃんとオチがついて終わる漫画というだけで尊いと思ってしまう。えっ、もしかして、私の意識低すぎ?
とある地方の男子高校生カップルの一年間を1話につき大体4コマで描いた漫画。前回紹介した『オールドファッションカップケーキ』の作者のデビュー作。
4コマ漫画かぁ……萌えられるのかそれ? とちょっと不安だったんだが、読んでみたらとても良かった。シマもなつおも可愛い可愛い。何周も読めてしまう。なんなら一周目よりも二周目以降の方が萌えるかも。正月太りでもっちもちになってしまうなつおがことのほか可愛い。
高校受験と大学受験の間のちょうどいい時期をのびのびと過ごしながらも、将来のことを考えると辛くなってしまうシマが切ない。
ヤクザBL。ヘマをしてほとぼりの冷めるまで逃避行生活をすることになった若頭の片岡に、運転手として同行する小田島には片岡暗殺のミッションが課せられていた、という話。海沿いを町から町へと車で逃避行するロードムービーのような感じ。
ヤクザものといってもそんなに殺伐とはしていない。ヘマをやらかして逃亡生活中なのもあって、ヤクザらしいことはあんまりしないのである。行く先々での人情エピソード中心。
片岡が魅力的でいい男なのである。魅力的でいい男なのに、冒頭で唐突に小田島をレイプするのが物凄い謎行動だけど……。女には優しいのに何でだ。
江戸時代BL。確か時代は江戸後期で陰間茶屋ブームがとっくに去ってしまったくらいの頃の話。陰間上がりの百樹と元火消で笛吹きの卍が下町の長屋でイチャイチャな日常を送るさまを描いた漫画。主人公達が普通に月代・ちょんまげで果たして萌えられるのかと不安に思いつつ読んだら、とても良かった。
絵がすごくいい。1ページ1ページがアート。江戸時代の風俗をかなりマニアックに描いている。
お百と卍の仲睦まじさは見ていてほっこりする。あと卍のビジュアルがすごくいい……めちゃカッコいい……。
本作は三巻まで出版されている。
これまた江戸時代BL。こちらは寛永年間が舞台。リアル指向の『百と卍』とは逆に、本作は時代劇! って感じの時代劇。なのでメインカプは都合よく月代を回避しているのである。少年漫画と青年漫画の中間くらいやや少年漫画寄りの作風かな。
かつて凄腕の暗殺者として恐れられていた、現・剣術指南役の間宮刀爾郎の元に訪れた青年一馬。一馬は間宮に弟子入りを志願するが、間宮は弟子を取らない主義だと拒絶する。散々食い下がって下郎として間宮の元に置いてもらうことになった一馬だが、実はかつて間宮に殺された男の息子だった。父の仇討ちと家の名誉挽回の為に挑む一馬を間宮は受けて立つことに……。
ストーリー重視でしかも絵がすごく良い。背景もよく描き込まれていて凄い。非常によく出来た少年漫画といった趣きなのだが、BLなので普通に18禁ガチムチぶつかり稽古シーンは入ってくる。
こういうまとまりの良い少年漫画のようなものってそれ自体が希少だと思うので、腐女子でなくとも男同士の18禁ぶつかり稽古シーン平気な人は読んでみると良いかもしれない。