はてなキーワード: 頭でっかちとは
初めて「就活」のためのインターンに参加した。グループで短期間で新規事業を考えて社内のお偉いさんに提案するというもの。
採用に直結すると明記はされておらず、先輩に誘われたので「面白そうだな」というくらいの気持ちで参加した その結果、就活をすることに全くもって自信がなくなってしまった
しっかり「なんで就活ってするんだろう」という あるあるな状態になってしまった ここで私は戦えない、と思った
その理由は主に議論中の様子にある 就活のテクニックを見せつけられた、といった感じだった
「まずは仮説を立てましょうか」と数少ない情報から芯をついていないような仮説を立てて根拠となる情報を上げていく、そして気づいたらなんだかそれっぽい大枠の事業案(?)ができていた
ビジネスが専門でもないのでそこは不勉強なのだが、なんだか話は進んでいって気づいたら発表になっていた それっぽい発表になっていた
その議論は空中戦のようで全く本質に迫るものではなかった、と私は感じていたのだけどそのことを声に出せずにいちにちが終わったのでただの戯言であるがここでは無責任に思ったことを書く
ビジネスにおける本質が何かわからないけど、私は誰が幸せになって欲しいかをまずイメージすることが最優先だと考えていたので 制度や政策ばかりをつめても誰のためのものでもなくなってしまうななどと思っていた 目の前に当事者がいるのに全然寄り添えていなくて頭の中だけで考えているような、あぁエリートはこうやって頭でっかちだから と言われそうな議論だった(実際全員皆有名大学の所属だった)
全くこの議論に入り込めず端っこで議事録ばかりをとっていた私はなんだったのだろう、呼んでもらったのに申し訳ないなと思いつつなんでこんなにも感情が動かないのだろうと考えていた
まだ言語化できていないが以下に書いて見たい
一つ目は、わかりやすく使う言葉が違う みんなカタカナが大好きだ よく言われていることだからまた書きたくないけど、とにかく日本語で存在している言葉をカタカナで言いたがる、
「サムシングニューを作りましょうか、これだとシナジーありそうですね、あ〜それはブラインドポイントですね、ファーストペンギンになりましょう!、おれルーティーンワーク苦手なんで笑、それMECEですか?、これジャストアイデアなんですけど」
新しいものって言え
盲点って言え
今思いついたって言え
お願いだから、、、と思いながらお腹が痛くなって一時間に一回はトイレに駆け込んでいた これは完全なアレルギーだ 自分の言葉で語ってくれよと思った 対象から距離を取るようなその言葉遣いから、対象への愛が全く 本当に全くもって私は感じられなかった
とにかくそれっぽく、とにかく新しいこと、企業にウケそうな言葉の羅列 何にも惹かれなかった
使っている言葉だけではない、話している内容も企業ありきで本当にしんどかった で、お前は何がしたいの?と何百回も聴きたくなった 本当にお前はこれが好きなの?お前じゃなくて企業が好きなんじゃない?と (思えば就活はその企業にどれだけ気に入られるかなのだからこうなってあたりまえなんだけど)
二つ目、就活のグルワ(?)でのスキルを使いたがる 一番笑ってしまったのは、休憩後に話し合い再開しようとしたときに「今の感情言葉にして切り替えましょうか」だ もうこれは もう本当に 腹が爆発しそうになった
多分チェックインをやろうとしたんだろうけど、今 自然に始まろうとしてるんだからいいでしょ そのままやらせてくれや 全肯定の雰囲気が流れていたグループだったがこれは流石にみんなスルーしていた
三つ目、「それいいですね」でどんどん話が進んでいく 全くそれはどうなの?という発言がない 議論ではない 馴れ合いに近い (何回も言うがここで全く私は発言していないので言えることではないが、「いいですね」で案ができていく 批判的に刺せる人がいない だから議論が深まっていく感覚がない ずっと横に移動しているような感じだ 私のモヤモヤも中途半端な共感ワード、「それいいすね」で片付けられそうで嫌だったので言わなかった
四つ目、常に上から目線だ 多分これは彼らに自覚はない お前は、一体企業に対して、地域に対してなんなんだと思った そもそも部外者で受け入れてもらっている側なのにその態度はなんだ?と。「ここはポテンシャルがありますよね〜うまく使いたいっすよね」と言う言い方で疑いが確信に変わった ここはお前の所有物ではない ゲームしてるわけではないんだぞ たくさんの人たちの気持ちと歴史がここにはあるんだぞ、その想像力ないの?ともうまたここで胃がギュルギュル言い始めた。 最低限のリスペクトがない人間と一緒にやっていく自信がない 私もとても恵まれた家庭に育って大学だって通わせてもらっているから君とは同じなのだけど、どんな肩書きの人とも対等で対話がしたいと思うけどそこのところどうなの? まずは一対一の関係性を作ることからじゃないのかな 泥臭くやっている人をたくさん知っているからこそ、無責任に青写真を描ける君たちの気持ちがわからないです
議論のあとの雑談でも納得できないことばかりでカルチャーショックを受けた
マジか 本当に言ってんの? 教育機関ってなんなの?就職予備校?
私の大学では起業する人もいれば就職する人もいるし、院進だっている 進路の話をするときは「就活するの?」から会話が始まる それってとても良いことだと思う、それぞれの選択肢を尊重している姿勢が見られるから
私は、勉学という生きる術を獲得するために大学に入った おかげで授業は楽しいし、学び合える仲間がいるのが最高だ そこに就職するか否かはあまり影響していない ここに就職したいから勉強する、ではなくどんな人でありたいかを考えながら学んでいる その過程で就職という選択肢がある、という認識だ
でも、彼は、就職をゴールに据えてそれまでのための大学、と言った しかも後ろめたさもなくはっきりと澄んだ顔で言っていた だから本心なのだと思う 心底驚愕したが拒絶はしない 本当に違う考え方なんだと理解した
ある子は現在就活を必死にしていて内定を獲得するために志望業界に強いゼミに入り、選考ありのインターン に奔走していた。サマーインターンだけで8社受けるらしい「就活することに疑問を感じたことある?」と聞いたら、「ない」と言われた そりゃそうだよな。就職するためにゼミ選んでるんだもん
一方私は「みんなもやってるからできるでしょ」という浅いモチベーションをもとにサマーインターンに応募し、何件が受かったがなんでやっているのかわからなくなり当日になってメンタルが爆発して吐き気を催し(他にも要因があったが)欠席した こんなんで就職できるのだろうか
一連の話を大学の先輩に話したら、「そもそもこちら側の人間はマイノリティであることを自覚しないといけない」と言われた。そうか、私はマイノリティなのか とわかるようなわからないような気持ちになった ついでに「みんなやりたいことドリブン、社会課題解決したいとかの気持ちでは生きていない そんなのごく少数 でも大きいことをやらないといけないときはマジョリティにも声かけなきゃできないから理解しようとすることは大事」と言われた わかってはいたが、あまりにも今の環境では「やりたいことドリブン」の人が多くて感覚が鈍っていた 咀嚼し切れていないがこれが現実なのだろう
安宅さんのブログが精神安定剤だ 彼らはきっと回す側だ スキルがある ただ、私は創る側になりたい 私なりに生き抜く術を探していきたい
秋葉原通り魔事件。宮崎勤の事件。ああいう事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。
母親は教育関係の仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである。
しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。
1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期
私は物心つく3歳の頃から、毎日「ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷。最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュを丸めて置いておく。
「今日のノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身、子どもを支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄な時間だったと感じる。
そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲームが禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかいう比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキルを20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。
友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻にトライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。
漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画をカッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると「私刑」である。生命活動を勉強時間に全振りすることで東大に合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。
幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館のお気に入りの本は読みつくしたし、母親の検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないかが重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美、18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。
そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有のクラスのトラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子はレベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由なお金がなかったし、バスにも乗れなった)
高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。
そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。
最近の教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会に還元したりする上ではこの能力が必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切を無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生のママを見下しながら、自分が適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いか分からなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり、就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである。
母親は上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカのコミュ障が出来上がっていたかもしれない。
ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。
20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。
「アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。
女が男からエロい目で見られるのがイヤなのと同様、俺みたいな男は女に「エロい目で見ている」と思われるのがイヤだ
「女子高生最高!舐めまわしたい!」とか言ってる奴を見たときに女が感じる不快感と「男ってまじで最低、全員去勢されろ」って言ってるやつを見たときに俺が感じる不快感は同じだと思う
そもそも視力0.3くらいしかない状態で裸眼でうろついてるから人間の性別なんて分かんねえんだよな ジロジロ見るもクソもない
悲しむべきは俺の風貌だ
小太り、肌汚い、頭でっかち、息切れしがち、汗っかき そういうキモ属性を満遍なく網羅してるせいですげー変態くさいわけ すれ違いざまにキモ…と言われたことがガチである
であるからして俺はいつも不安感を与えないよう、乗ろうとしたエレベーターを女がひとりで待っていたらふたりきりで乗り合わせないよう階段を使い、夜道で女が歩いていたら道を変えたりしばらく待ったりし、電車で女の隣が空いていても座らない(特にボックス席)、なんて涙ぐましい努力をしてる
でもなあこれ これ俺なんか悪いことしたか?と時々思うわけですよ キモく生まれたくて生まれたんじゃねえし、そのへんの女に興味なんかねえよ、男と一緒じゃ そういう気持ちで生きてんのになんで俺が気い遣って階段使わにゃならんのじゃ そういう気持ちは確かにある
いやまあ使えばいいんだろうなエレベーター
気にしなけりゃいいんだ、冤罪ふっかけてくる人なんてそうそういないだろうし、ボックス席でも隣に容赦なく座り、夜道でもガンガン後ろを歩けばいいんだ 俺にはなんの邪心もないし恥じるべきところもないわけだ
でもそうもいかねえよなあ 恐怖を与えることは事実な気がするし、それは俺としても本意ではないというか、キモがられるくらいなら多少の不便を被るほうがマシという気がどうしてもする
クソーーなんなんだこの世 男は性欲をなくせ 女は俺を気にするな
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
中学生くらいまでは絵を描いていた。
好きな漫画の模写や簡易な創作漫画を、気の合う友達と見せあったりしながら楽しく描いていた。
その頃は、友達からの称賛(お世辞も含め)も何度かあったため、自分はそこそこ絵が上手いと思い込んでいた。
高校に入り、私は絵を描かなくなった。
部活動を始めたため、それに割く時間も、友達もいなくなったからだ。
少なくとも一年生のうちは、絵だけでなく、漫画やアニメすらほとんど触れずに過ごした。
描かなくなってからしばらく経った。
とんでもなく下手くそだった。
パーツも不自然、紙を裏から透かすとズレている、同じ向きの顔しか描けない、頭でっかち…
こんなものを友達に見せ、手描きブログにあげ、いい気になっていたのか…とものすごく恥ずかしくなった。
私は克服のための練習をする気にもなれず、そのまま絵を描くことを封印した。
「絵が描きたい」と思い何度か筆を執ることもあった。だが、その度に「今でも絵が下手くそな自分」と向き合うことになり、すぐにやめてしまっている。
きっと絵が上手な人は何度も絵を描いて、その期間など越えてしまっているんだろう。
こんなことをうだうだ書く暇があったら練習すればいいと言われれば本当にそれまでだ。正論である。
自分の下手くそな絵を見ること、そんな自分と向き合うこと。どちらからも逃げているだけだ。
わりと多趣味な方であるので、絵の練習よりも楽しめる娯楽がいくつもある。だから余計に気が進まないのだ。
私にとっては絵を描くことも娯楽であるので、別に練習してまで上手くなる必要もない。
ただ、絵が上手に描けたら楽しいだろうなぁ…と思う。
Androidのはてブアプリで、タブの並び替えをしたら読みたいものが読めるようになったという話。
もう2年くらいAndrioidのはてブアプリを使っている。ブクマ数は2000を超えたが、面白くなくなっていた、ヘッドラインには政治の話ばかり出てくる。俺の尊敬するはてブエンジニアたちは一体何をしているんだ。もっとウェブの話とか言語の話とかギークなネタをヘッドラインに載せてくれよ、と思っていた。アベガーもウヨくんもうんざりだ。目にしたくない。フィルタとかかけられないのかと思って設定をみたら、「タブの並び替え」という項目があった。デフォルトでは新着→一般→おすすめ→世の中→政治と経済→暮らし→、、、と並んでいる。なんだこりゃ。そりゃあ政治の話ばっかり目につくわけだ。並び替えた。新着→一般までは変えられないが、その後をテクノロジー→学び→おもしろ→、、、に変えた。はてブが生き返った。知的好奇心を刺激して雰囲気エンジニアな気分にさせてくれるはてなが帰ってきた。 Webページも作ったことないしGitHubだってみたこともないけど、エンジニアっぽい単語で頭でっかちにさせてくれる、俺の好きなはてブが生き返ったのだ。こんな簡単なことなら最初からやっときゃよかったと思う。
人狼ブームなんて時代はとっくに過ぎ去っていて、安定したジャンルを確立してから随分経つ、くらいの時期だったと思う。
人恋しいしオフ会でも行ってみるかーって探してたら、たまたまその人狼会が目に留まったんだ。
人狼ゲームには長いこと薄っすら興味があったし、参加してみることにした。
何の準備もしないのはさすがに不安なので、事前に基本ルールだけ予習。
といってもゲームの流れや役職の種類、能力を一通り読んだだけで、実際にゲームやってる様子を見たりとかプレイログ読んだりとかは全然してなかった。
こんだけプレイ人口の多いゲームだし初心者でもそれなりに楽しめるだろう、
役になりきるの楽しそうだし勝ち負けに拘らず気楽に参加してみよう、
という考えで。
これが大失敗だったんだ。
何を今更と言われるかもしれないが、人狼は騙し合いのゲームだ。
そんなことはつゆ知らず、オフ会当日。
多分20〜30代くらい。
プレイ歴の割合は、バリバリのプレイヤー、ライト層、初心者がそれぞれ均等にいる感じ。
初心者歓迎!の言葉に嘘は無く、最初に主催者の丁寧なルール説明があり、まずは一回やってみましょうって流れに。
早速バリバリ勢がすごい勢いで場を仕切り出した。
互いの意見の隙を突き、畳み掛けるようなマシンガントークで場の支配権を奪い合うバリバリ勢たち。
何だこれ……誰が何を言ったとか全然覚えらんないし、大体語気強すぎない……?尋問かよ……思ってたのと違うしなんか怖いわ……。
もちろんあくまでゲームなので、本気で相手の人格を攻撃してる訳じゃない。
分かっちゃいるが、目の前で繰り広げられる論戦に若干縮み上がっていた。
自分が議論やディベート慣れしてない人間ってのもあるだろうけど。
そんなことを考えてるうちに、あっという間に1ゲーム目が終了。
終始置物状態だったが、主催者は自分を含めた初心者組にあたたかい言葉をかけてくれた。
この時は、自分でもまあ一回目だしこんなもんだよねって思っていた。
内心嫌な予感はしていたけれど。
ゲームは次々と進んでいく。
他の初心者組は、果敢にも攻めた発言にトライするようになっていった。
未だにどう振る舞えばいいか分からず、ずっと沈黙を守っているのは自分だけだった。
ところで、人狼ゲームの参加者は積極的に自分の役を演じることが求められる。
例えるなら、バスケでゲームの流れを把握しつつあえて遠くでボールを待ち構えるのと、運動が苦手でプレイに参加できず端の方で突っ立ってるのが全く違うのと同じだ。
後者はやる気のない奴、役立たず、協調性の無い奴と見なされ、運動部の連中に散々こき下ろされる。
そう、妙に具体的な例え話から分かる通り、人狼ゲームでどうしていいか分からずフリーズし続ける状況が、自分の人生の数々のトラウマとばっちりリンクしてしまったのだ。
本当、お前どうして参加したんだよ。
話を戻すとして。
いい加減他の参加者の視線が痛い……気がする。何か言わなきゃマズい……。でもタイミングが掴めないし、第一何を言えばいいのかさっぱり分からない……。
そんな時、慣れてるっぽい参加者が話を振ってくれた。
チャンスだ!とおどおどしながら懸命に答えた。
席の近い美人の女性に「素直だね〜クスクス」って笑われた……。
これはご褒美……じゃないんだよな……。
悪意が無いのは分かっていたけど、学生時代カースト上位の女子に馬鹿にされまくったトラウマが蘇り、めっちゃ心に刺さった。
その後も、気遣われて話を振られても自分のロールを分かってない発言を連発し、場を凍りつかせまくった。
もう帰りたいです……。
そんなこんなでオフ会は終了。
この後メシ行く人〜とワイワイ盛り上がる彼らから、逃げるように帰宅した。
まとめると、
・それだけなら興味を失って終わりだったが、ゲーム内容と相性が悪すぎて、要らんトラウマを増やしてしまい涙目
ってことです。
つい最近、「人狼初めてやった時慣れたプレイヤーに馬鹿にされまくって人狼嫌いになったわー」って話を見かけて、ああ合わない人はトコトン合わないゲームなんだな……って思ったので、トラウマ供養も兼ねて吐き出すことにした。
これだけは言っておきたいが、自分が参加した人狼の会のメンバーは本当にいい人たちでした。
初心者にもちゃんと配慮してたし、右も左も分からないカモをいきなり吊ろうとする人たちじゃ無かったし。
ただ自分の順応性の無さと場違いさが想像をはるかに超えていただけで…。
おわり。
タイトル以上のなにかがあるわけではないけれど。
二か月に一度の頻度でどうしようもなく、人肌を合わせたくなる(=セックスしたくなる)。
直近の周期に恋に落ちた。
もうすっかり行きつけになりつつある風俗街がある。
その店は回転式のお店で、5分間×3回女の子を見て触って、その後本格的なプレイができるシステムだ。
5分×3回のうちに気に入った子がいたら指名料を払って指名できる。
もうすっかり行きつけになりつつあるので、初めて来たと答えると5分間×3回転から5分×4回転になることを知っているため今回も何度目かの初来店となった。
5分間のうちにできることは、キスや服の上からのおさわりだけで、互いにパンツを脱いだり脱がしたりしてはいけないのが基本ルールだ。
基本ルールではあるけれど、サービス旺盛な嬢においてはその限りではない。
今回の1回転目はそんなサービス旺盛な嬢だった。
目隠しをしたままに、ズボンを脱がされ、パンツの中に手を差し伸べられ、いじられた。
嬢がふくよかでタイプではなかったのが幸いで、何とか5分間を手コキだけでフィニッシュすることはなく耐えた。
高い金を払っているので、無駄打ちはできない。
2回転目の嬢は、金髪セミロング細身で、タイプど真ん中だった。
1回転目の嬢の別れ際の最後の一言「次の子は新人だから優しくしてあげてね」が脳裏をよぎった。
2回転目の嬢は
反応も好みだった。
好みど真ん中ではあったものの何とか5分間をフィニッシュすることなく、耐えることができた。
高い金を払っているので、無駄打ちはできない。
3回転目。清純な感じの子だった。風俗で出会って清純も何もないが。
制服が紺のワンピースタイプだったのが清純ぽさを演出していた。
学生時代を想起させる制服姿にそりたち、白の咆哮を上げるには準備ができすぎていた。
それでも、何とか5分間をフィニッシュすることなく耐えることができた。
高い金を払っているので、無駄打ちはできない。
4回転目
プラのホック数とおっぱいの大きさは比例するというソースの曖昧な情報を信じ切っている素人童貞にはあつかいきれない巨乳ギャルだった。
ソースの曖昧な情報によって、勝手に興奮度を増すのが素人童貞のつらいところである。
高い金を払っているので、無駄打ちはできない。
2回転目と4回転目で迷った。
ただただ性欲を発散させる目的で風俗に来る素人童貞としては、必要最低限のお金で性欲を発散させることを信条にしていた。
ただ、2回転目の嬢が忘れられない。
2回転目の嬢を指名した。
指名料2000円は、人類にとってはちっぽけな金額かもしれないが、素人童貞にとっては大きな金額だった。
入念にしごいてもらって、挿入して5秒で果てて、帰路についた。
最寄り駅に送ってもらった黒色のアルファードの後部座席で不意に2回転目の子がよぎった。
センター試験で良い点を取って、二次試験対策をして頭の良い、評判のいい大学に入ろうなんて思うな。
休憩時間に試験会場で周りを見てみろよ。お前の学校の奴、よその学校の奴、周りと話したりしてリラックスしてる奴ばかりだろう?
お前みたいに「人とつるんで集中する時間を減らしてるFラン大学志望の奴らばっかりだな」 なんてことはないんだよ。きちんと勉強もコミュニケーションも出来る奴はいるし、少なくともそいつらは人との良好な関係を築ける奴なんだよ。
お前の努力は無駄だよ。お前が独りよがりな効率の悪い方法で死ぬ物狂いで勉強したって、色んな人と一緒に効率的なやり方を見つけて協力し合ってる奴には追い付けないんだよ。
そうやって、人間の基礎から逃げていたって、勉強もできない。人と良好な関係を築く事もできない。その癖変なプライドだけはついて俺は学歴があるなんて思うようになるだけなんだ。
そんな頭でっかちで人とまともに関われない奴が大学で、社会でどうなるか分かるか?
いい大学に入るなんて事はちゃんと友人がいて、人と良好な関係を築けて、人間性が良いという土台があって初めて価値が出るものなんだ。
お前がやってるのは砂の上に城を建てようとしてるのと一緒なんだ。
一番立派なのは友達がいて、初対面の人とも仲良く出来て、人間関係を構築出来て社会に馴染めるって事が、人間の基礎の部分が一番大切なんだよ。
だから受験勉強を理由に閉じこもるなんてやめて、誰かと一緒に話したり、遊んだりしろよ。お前はそれを受験競争から逃げた負け犬とか思うかもしれないけど負け犬はお前なんだよ。何もしてない癖に偉そうにして、これからも何もなし得ないお前は惨めな負け犬だよ。