はてなキーワード: 非常識とは
Twitterでゴマちゃんという人の、薬を飲もうとしたら子持ち様から非常識だと非難されたツイートが回ってきた。
文章が嘘松臭かったので本人を見に行くと、ホスト狂いバンギャ、ホストと真実の愛を見つけて4回結婚して、ホストクラブの酒で薬を飲んで、22歳の年下旦那は平均男性より稼いでるけどゴマちゃんはその何倍も稼いで、就職したての頃は憧れの企業で年収一千万貰って働きながらホステスもして毎晩ホームパーティーもしていました、実家も資産家でドン・キホーテに行った話をしたらドン・キホーテに行くくらい困ってるならすぐ言いなさいと大金振り込んでくれましたみたいな、とにかく全体的にウワァって感じだったのでそっと閉じた。
やばい虚言癖の人を見たと思ってたらそれが三万リツイート突破してYahooニュースになって、派生ツイートが何個か万超えリツイート突破してと話題になっているようで何度も流れてくる。
お前ら冷静に考えて、薬飲むのがマナー違反だと狂ったように注意する人なんか見た事有るんかと、大騒ぎするような話題かと言いたい。
http://www.geocities.jp/homeyohomero/homeyo.html
「あの人をほめよ」というネタだけど、2ちゃんねるのコピペネタのようにはならなかったのね。
>そこで、反論して朝日新聞をほめます。ほめたたえます。
ほめるところが全く見当たらないので、でたらめ言ってでもほめます。( ゜Д゜)
>そこで、この機会に朝日新聞をほめたいと思います。( ´,_ゝ`)
ほとんどいいことがないので、でっち上げてでもほめたいと思います。(゜Д゜)
何年か前に新卒採用をもらってサラリーマンになったのだが、向いていなかったと判断したので今夜上司に辞表を出すことを連絡しようと思う。実名のブログに赤裸々に書くと親が哀しむのでここに書く。
理由は「いい加減睡眠7時間の生活にケリをつけて休みたい」とか「思ったより金がない」とか「掲示板で論争がヒートアップしたあと明け方までバトルを続けられる生活に戻りたい」とかもあるのだが、根本は「生きていくのは好きだけど仕事をするために生きるのは好きじゃない」ということに尽きる。
俺は自分の部屋に閉じこもるのが好きで、子供のころから股間を掻いていた。小説だったり漫画だったり、RPGツクール製のでリョナゲーでシコったり形態は様々だ。シコり終わったらウェブを回ったり友達とスカイプしたりはしていたが、特に勉強をするつもりもなく、余った時間は寝ていた。そんなある日、気まぐれに新卒採用にでも送ってみようかと考えて就活した結果、まさかの内定獲得。いつの間にか社会人になっていた。
その後卒論を書いたものが幸い卒業になり、嬉しいようなものもあれば嬉しくないものもありという感じで生きてきたのだが、最近自分の限界を感じるというか、会社に向かうのが本当に苦痛になってきてしまった。
社会人デビューすると、学生のように自由に生きることはできない。億り人やスーパーハカーくらいの大御所になれば生きたい人生を生きたいように生きれるのかもしれないが(でも億り人も市場の変動にはやきもきすると言っていたっけ)、俺クラスの新卒だとそうはいかない。こちらが非常識と思ったものを強要されることもあるし、ときにはまるで違う報告書に魔改造されることもある。こちらが全く誠実と思えない上司の方便を入れないと判子を押さないと言われることもあるし、そうやって無理やり通したたものが無事にすめばまだいいが、本社による調査で二週間詰められたりりする。もちろん嘘を交えての問題先送りはサヴァイヴにて必要なプロセスだし、正直に書いたものが承認を通らないのは俺の実力不足のせいだが、一方でこういう生活を続けていて社会人を続けていく理由がよくわからなくなってきた。
よくビジネスマン向けの自己啓発として「お前は仕事がしたいのか、給料が貰いたいのか」というものがあり、「仕事がしたい」人のほうが社会に向いていると言われるが、俺は逆だと思う。「給料をもらいたい、社会的地位を手に入れたい」という人のほうが、社会人をするにははるかに向いている。彼らは上司の意見をきちんと取り入れ、報告内容を忖度し、顧客との接待飲みすらエンジョイし、貪欲に生き残り続ける。そうやっているうちに強固な人脈を持つ社会人に化けたりする。俺のように「自己実現をしたい」だけの人間はそういうモチベーションがないので、自分が正しくないと感じる方向に改竄をしてまで資料を出すという動機がない。やりたい事をやって生きていられればいいのだがこれは天才戦略で、凡人がやると居場所を失って死ぬ。そしてただの凡人だった俺は、社会人として死ぬのだ。
というわけでこれから上司に順次連絡してこのエントリを見せようと思う。これからはネトゲにでも一日の大半を使って、だらだら貯金を使い尽くして死のうと思う。両親には謝りたい
正直、産まれてきた子に罪はないが、もうこのクソ夫婦が非常識な行いをするのが目に見えすぎていてな。
このまま帰ってきてほしくない。
嫁、永久に里帰りしててくれ。
離婚して、とっとと退去してくれ。
めちゃくちゃきったねートイプー3頭も、嫁の出産入院中に限りよそに預けてんのか、今だけ静かでいいわ。
まともに世話できねーくせに、犬飼うなドアホ!!
どうせ産まれた赤ちゃんも、ペットと同じ感覚なんだろうが。産まれて来る家失敗したね。かわいそうに。
旦那、居酒屋系勤務なのか、毎晩深夜にドタバタ騒音立てながら帰宅するんだけど、これが殺意レベルでうるさい。
階段の上り下りに、クローゼットの開閉、部屋のドアの開閉…全てにおいて音がでかい。
育ち悪すぎるだろ。
先々月だったか、住人のポストが前回で、外に手紙が漏れてた事があった。
N県の税務署からの封筒が入っていたんだが、これって税金払っていない人用の手紙じゃねーの?
数ヶ月に一回、やたら外のチャイムがうるさくて外見たら、家にいる上に毎日大音量でTV見てるくせにNHKの集金無視してるしさ。
うちのアパートでNHK無視してるTV保持者って、こいつん家だけだぜ?
このバカ夫婦が入居してからというもの、他の部屋の住人もイラ立っており、複数の部屋から管理会社へ苦情が入っているのが現状。
それで、管理会社もこのバカ旦那に電話連絡しているんだが、電話も注意文もずっと無視されているとの事。
マジで退去してくれ。
https://anond.hatelabo.jp/20190110103127
喋るのダメ!だけじゃなくて、
展示室では「壁沿いに行列作って順番に絵を見るもの」だと思ってる人がいて困る。
(定員数のある体験系の展示や、モナリザみたいに1作品に大人数が集中している場合は順番の意識も必要だけれども)
監視員の人が「列を作らないでください。鑑賞の順番はございません。お好きな作品からご覧ください。」って声かけしてても、なぜか順番に見ようとするのね。
監視員の人も大々的に絶えず言ってるじゃないから全員に伝わってないのかもしれないが。
展示室の入り口すぐ〜3つめぐらいまでの絵が混んでて、あとはガラガラ...とかが多い。並んでるだけで目の前の絵見てなかったりとか。
庭園美術館とか横浜美術館の、メジャーどころ(印象派とか)の展示にそういう人が多い印象。
(関係ないが、ビュッフェとかでもぐるっと並ぶ人いるけど、あれ無駄じゃない?全員が全種類を取って食べるわけじゃないのに...)
以前、展示室入ってすぐに空いている奥のものを見に行ったところ、年配の方から「抜かさないでちゃんと並んで!非常識!!」って言われた。
「私は美大卒ですが今までそんなルールは聞いたことがありません。監視員さんに確認されましたか?」って言ったら「!!(プイッ)」だったけど。
※一応書いておくけど、展示全体を逆走したりしたわけじゃなくて、いちエリアである展示"室"の話ね。
わけわかんないルール押し付けてくる人には「美大卒ですが」ってつけるとだいたい黙らせられる。
そんな風に肩書きを使うのは悲しいけど(美大卒なのは事実)、年配の方に対して「私はあなたよりも多くの展示を経験しています」と暗に伝えるためには致し方ないのかなとも思う。くだらねえ予防線ですまぬ。(にわかは来るな!美術好きしか展示を見るな!と思っているわけではないことを強くお伝えしたい)
ちなみに一番人が少なくてみんな自由に作品を見てる、かつ他人の動きが気にならないのは東京都現代美術館。あまりに人が少なくて、しかも美術関係者しかいなくてびびるけど、素敵な美術館なのでおすすめしたい。ツブレナイデーーーー(追記:今リニューアル中だけど3月に再OPENするよ!)
いつ行っても空いてるし、あの作品をもう一度見たいぞ!ってスタスタ逆走している人がいたりとか。(空いてるので全く邪魔になりません)
わいわい話しながら歩いてきた二人組がこちらの存在に気付いてスッと黙ったりトーンを落とすこともあるけど、それって別に「美術館ではしゃべっちゃだめ」って思ってるわけじゃなくて「作品に集中している誰かを邪魔しないため」に過ぎない。
あ、地中美術館とかだと、タレル部屋のベンチでだらだらおしゃべりしているだけの観光客とかがいて、それは流石に不快...作品鑑賞しないならカフェ行ってくれ!って思う。(監視員さんが注意してた。GJ!)
あと、「変な解説つけてる奴ww」って言ってる人がも多いけど、私はあれ逆に好き。
作者の経歴とか作品の年代間違っちゃってるのはまあ資料見てるわけじゃないからしゃーないよねって思うのと、作者の意図と受け手の感じ方の"齟齬"がアートの面白い部分だと思ってるから、その人の解釈なんだな〜程度に思って聞き流してる。
作者はエロティックな表現をしているつもりでも、見る側にとってはプラトニックに感じられたり、その逆とか。
私はこう思ったけど、あなたはこうなんだ!みたいな会話が楽しい。映画もそうだけど、見終わった後の感想戦が一番好きかもしんない。
いろんな解釈が生まれるてくるからこそ作品鑑賞って楽しいよね!逆に"ただひとつの解釈の正解"があったら、ここまでアートは存続しなかったと思う。
この日記の対象読者は恋愛経験の少ない30歳以下の男性のみです。それ以外の方は時間の無駄なのでブラウザバックしてください。
●
誰かに読まれることを想像すると恥ずかしさで死にそうですが、何らかの形でアウトプットしなければ心が潰えてしまいそうなので、今の心の内を書き残そうと思います。
恋愛・婚活初心者。2ヶ月間、心の一部を占めていた彼女と別れてしまい、とにかく辛い気持ちでいっぱいです。彼女はとても女性的で、ユーモアに溢れた魅力的な方でした。
出会いのきっかけはマッチングアプリでした。4歳年下の彼女と毎日メッセージを交わすこと約2週間。彼女の提案で実際に逢ってみようという話になり、その後はおよそ週1回のペースでデートをしました。4度目のデートで自分から告白をしてOKを貰い、一緒にマッチングアプリを退会し、手を繋いで駅まで歩きました。幸せなひと時でした。
しかし、5度目のデートで彼女に会うと、彼女は終始退屈そうでした。微妙な空気のまま、4時間足らずで解散。その2日後、彼女からLINEで、やっぱり告白にOKしたことは取り消したい、と言われました。敢えて気にしないようにしていた、彼女が別れ際に放った「お疲れ様でした」という言葉の違和感が、頭に蘇りました。
彼女と最初で最後の電話をしました。なぜ取り消すのかと理由を尋ねると、今はやはり自分の趣味に集中したい、というような意味のことを言いました。実際に彼女は多趣味で、宿泊旅行を含む予定や様々な友人との約束が頻繁に入っており、忙しそうでした。無論、単にそれらに優先するだけの魅力が僕になかったことを、オブラートに包んで伝えてくれたのでしょう。恋愛偏差値低めな僕のことをあまり傷つけず、後腐れなく(彼女にとってもリスク低く)別れられ、告白OK自体を無かったことにすることで「元カレ」という立場さえ与えない、という言葉選びの巧みさに彼女らしさを感じました。彼女は文才に恵まれるとともに、相手の心を慮ることのできる、とても知的な方でした。そんなところが好きでした。
彼女は、電話で「本当に良くして頂いて」と僕に言いました。これが真の理由なのかもしれません。僕は、彼女の行きたいであろう場所をデートスポットとして提案し、ディナーの予約では彼女の苦手なものを先立って抜いてもらうようお願いし、それらの代金も全部持っていました。結局のところ、いい人だけど、それだけだったのでしょう。彼女との距離を縮めることではなく、上手に “接待” することが目的になってしまっていたのかも知れません。彼女は、最後まで僕に対して丁寧語でした。
今の僕の気持ちは、彼女を失った喪失感もさることながら、自分を否定されてしまったという挫折感(人間としての魅力の無さや、彼女にときめきを与えられない男性としての魅力の無さ、という、自分でも漠然と分かっていた事柄を明確に突きつけられたことによるショック)、2ヶ月間彼女のことだけを考えてきた努力が無に帰してしまったという徒労感(これは僕がもうすぐ30歳を迎えるという婚活に対する危機感から来るものだと思います)、そして、最後のデートでの自分のちょっとした言葉選びや態度が彼女の心を閉ざしてしまったのだろうなという反省と後悔が大きな部分を占めています。
最後のデートで、僕は何を誤ったのか。自分の中にはいくつか心当たりがありましたが、それらが正解なのかどうか、分かりません。堪えきれずに電話で彼女にも聞いてみましたが、はぐらかされてしまいました。もしかすると、最後のデートに来た時点で既に彼女の心は決まっていて、僕にそれとなく気づかせるために敢えてそっけない態度を取っていたのかな、とも思います。これまでパンクチュアルだった彼女が、最後のデートに理由なく10分遅刻して来たことの違和感を、僕は今まで見過ごしていました。
最後の電話を終えた後、僕は彼女のLINEを非表示にしました。結局一度も使われることがなかったメールアドレスや、一緒に撮った写真などのデータは、普段目につかないところにバックアップしてから削除しました。全てを完全に削除する勇気は、まだありません。彼女がクリスマスにプレゼントしてくれたマフラーは、どうすれば良いのかわかりません。身に着けてみると、彼女と一緒にいるかのような多幸感を与えてくれていたはずのマフラーが、今は自分の首を絞めてくるかのようです。
幸いなのは、彼女とLINE以外のSNSで繋がっていないことです。彼女が何をしているのか、これからどうするのか、全く分かりません。いつか彼女とマッチングアプリで再び出逢ってしまったらどうしよう、という一点だけが不安です。
●
ここまでの文章を自身で客観的に読み返すと、恋愛話としてはあまりにも単調で、ありふれていて、馬鹿馬鹿しい、読んで損した、と思われるのだろうな、と思います。たったの2ヶ月、5回逢っただけの相手だろう、どれだけナイーブなのか、と。こんなレベルの失恋は高校生や大学生のうちに経験しておくべきだったのだろうなとも思います。僕は学生時代に自分の趣味を優先してしまった(あるいは、それに逃避してしまった)ばかりに、仕事ではそれなりに成功したものの、十分なコミュニケーションの経験を積むことができず、恋人はおろか友人さえ両手で足りるほどしかいません。その代償を今払っているのだと思いますが、結婚というゴールに至るまでにそのツケがどれ程残っているのか分からず、ただひたすら怖いです。何遍こんな辛い思いを繰り返さねばならないのでしょうか。人間的魅力、男性的魅力とは何なのか。この答えを見つけて自分を磨かない限り、何度やっても同じ結果になる。そのことに薄々気づいてはいますが、今から何をしたら良いのか見当がつきませんし、相談できるような人もいません。一方で、誰かがありのままを受け入れてくれるのではないか、という甘い期待をしている自分がどこかにいて、そんな向上心のなさに自己嫌悪を覚えます。
気持ちを切り替えて前に進もうと、再びマッチングアプリに登録しましたが、このままのやり方で相手が見つかるのか、分かりません。いいね!が来ると、一瞬だけ自己肯定感が回復して彼女のことを忘れられますが、メッセージの返信が1時間来ないとひどく憂鬱になる、というジェットコースターのような気持ちの揺れが続いています。この3日間は、彼女のことを考えたり、泣き腫らしてしまったりして、夜は殆ど眠れませんでした。月曜日から仕事がちゃんと勤まるのか、心配です。
●
文章をしたため、推敲に集中することで、心が整理されて少しだけ楽になりました。この日記を公開するのは、こうして経験を共有することで誰か1人でも人生の参考にしてくれれば嬉しい、という承認欲求の現れですが、彼女にいつかこの日記を見つけて読んで欲しい、という僕のとても幼いエゴのためでもあります。今日だけ、悲劇のヒロインのように振舞うことを、どうか許してください。エピファニーのこの日に、あなたの人生がより幸せなものになることを祈っています。僕も幸せになれるよう頑張って生きてゆきます。
●
《2019/01/07 追記》
想像していたよりも遥かに多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。数箇所、表現を微修正しています。
多くの方に励ましやコメントをいただいて、涙が出ました。また、このような極めてプライベートな事柄をコンテンツへ昇華することについて、彼女には(当然ながら)何の断りも入れていないので、彼女のことは非難しないであげてください。あくまで僕の主観をもとにした記述です。
敬語を使っていたのか、というご指摘について。すみません、これは「丁寧語」と書くべきでした(本文は直しました)。ただ、僕から彼女へは徐々にフランクな口調へ移行していたつもりなのですが、彼女は最初のメッセージから最後の電話まで殆ど丁寧語、さん付けのままでした。2、3度目のデートで「そろそろやめよ?」とか「〇〇って呼んで欲しいな」というように伝えても良かったかな、と思っています。この反省は “次” に生かします。
無理に結婚しなくてもよいのでは、というご指摘について。幸い両親や親戚からのプレッシャーは無く、少し前まで僕もそう思っていました。ただ、先輩や同期の子供たちを見ていてとても愛しく思うのと、やはり両親には家庭を持ったところを見せて安心して貰いたいな、という想いが高まり、婚活を始めました。踏むべきステップがもう少しあるのではというご意見も当然あるかと思いますが、残された時間もそう多くはありません。もうちょっとだけ、このまま頑張ってみたいと思います。
エピファニーはきもい、というご指摘について。夜のテンションで書いたので、ごめんなさい。
●
《2019/01/07 追記 その2》
自分のブログでは400ブックマークも頂いたことがないので緊張しています。誰にも自慢できないのが残念ですが、自己肯定感が満たされる上に色々な観点からコメントを頂けて勉強になる増田は素敵ですね。このためにはてなIDを取得した甲斐がありました。でも、本当に彼女の目に触れてしまいそうです。
文章に書き下して客観視したことで想像以上に気持ちの整理がつき、一晩寝たら何故あんなに悩んでいたのか既に分からなくなりました。マフラーはただの熱を帯びる布に戻り、寒い思いをせずに出勤して仕事始めができました。それなりに高級なもののようなので、この冬は大切に使わせてもらおうと思います。
5回しか逢っていない女性と別れて泣くのは重すぎる(anond:20190107082818)、というご指摘について。僕自身、こんなに感情が揺さぶられたのは久々なので驚いています。対象読者以外の方には青臭すぎて理解できない、ということかと思います。ちょうど長期休暇の時期だったので、仕事に逃避できず考え込んでしまう時間が長かったことも、熱量が高くなってしまった一因かなと思います。この日記で伝えたかったのは、人生の選択肢を広く持つためにも、対象読者の皆さまは同じ思いをしないで済むように早めに動き始めた方が良いよ、ということです。また、自己憐憫というご指摘は、悲劇のヒロインと自分でも書いている通りで、反論の余地がありません。「彼女にいつかこの日記を読んで欲しい」と書きましたが、僕が彼女の立場だったら「やっぱりこいつと別れて正解だったな」と感じると思うので、全体的にはご意見に同意します。
マッチングアプリよりも結婚相談所の方が向いているのでは、というご指摘について。選択肢として考えてはいますが、なにぶん口下手なのと、経験値がモノを言う分野だと思っているので、いきなり限られた数の相手と対面からスタートするお見合いや婚活パーティーの類よりも、多数の相手と事前にメッセージで相性を確認しつつ関係性を深めてから逢えるアプリの方が向いていると現時点では考えています。実際に、アプリではかなり幅広くマッチングさせて頂いていて、色々なバックグラウンドの方とメッセージを交換することで雑談力や話題のストックが鍛えられました。また、彼女と初めて逢ってから告白するまでの間に、他の女性と電話をしたり、お逢いしたりしたこともありました。所謂同時進行なので、これを快く思わない方がいらっしゃるであろうことは承知しています。綺麗事かもしれませんが、その方々とお付き合いする可能性がゼロだったわけではないということをご理解いただければと思います。告白後には同時進行は一切していなかったことを念のために申し添えておきます。
業者やサクラだったのでは、というご指摘について。これは明確に否定しておきます。月定額数千円のマッチングアプリで、相手と5回も真面目にデートしていたら大赤字です。少なくとも、彼女がデートやプレゼントに費やしてくれた時間とお金はそれ以上です。
セックス(しようと)しろ、というご指摘について。相手に意識させろ、という意味であれば、「最近スマホ変えたんだけど、これ凄く綺麗に撮れるから一緒に撮ろ!」と言って肩を寄せてセルフィー、という程度のボディタッチはしていました。このあたりもやはり経験値が求められる感じがあり、自然にこなせるようになるまで時間がかかりそうです。艶のある話をしろ、という意味であれば、殆どできていませんでした。あるいは、もっと直接的な意味で仰っているのであれば… それは、告白する前段階で相手にそこまで想って貰えるほどのルックスやテクニックやセクシーさを持った方向けの助言なのかな、と思います。
あと、文章を褒めてくださる方もいらっしゃって、驚いています。普段は技術書しか読まない完全な理系なのですが、恋愛は表現力を高めてくれるのだなと思います。
●
《2019/01/07 追記 その3》
様々な方にご助言いただけて大変嬉しいです。ついに追記パートの方が長くなってしまいました。
仕事を終えて皆さまのブックマークコメントを読んでいたらどんどん冷静になってきて、本文の自己陶酔感が恥ずかしくなってきました。昨日書いた文章のはずなのに、中学生時代のノートを開いてしまったかのような感覚です。「彼女を失った喪失感」などと書きましたが、僕の中の彼女への気持ちは、まださほど大きく育っていなかったのだ、涙の理由は全く別のところにあったのだと、改めて気づかされました。
「人としてはいい人だし、真面目そうで色々な条件も合う…清潔そうでもある…けどセックスする気になれない!!みたいな人かなと思う」(anond:20190107131655)というご指摘について。女性目線でのコメントありがとうございます。かなり腹落ちするご意見でした。ただ、これを単に相手との相性の問題として片付けてよいのか、あるいは男性的魅力の底上げが必要なのか、必要なのだとしたらどうすればよいのか… など悩みが尽きません。この観点で今行っているのは香水を付けることくらいです。僕は嗜好などに女性的な面があるので(文章にすると気持ち悪いですね)、アピールを抑えめにしようかな、とか、美容室へ行って髪型を変えてみようかな、などと思いました。結婚相談所だとアドバイザーの女性の方にこういうカウンセリングもお願いできたりするのでしょうか。お勧めしてくださる方が多いので真剣に考えたいと思います。
自分にばかり原因を求めるのは良くない、というご指摘について。改めて冷静に考えると、彼女はデートで少し選択肢を間違えたくらいで一旦OKした告白を急に取り消すほど非常識な方ではなかったかなという思いに至りました。影響力の強い身内から年末年始に「長男は止めておけ」と言われたとか、如何ともしがたい外的要因の可能性はいくらでも考えられそうです。そう思うと、また少し気が楽になりました。
結婚をゴールと捉えない方がよい、というご指摘について。少し表現が雑でしたが、結婚(書類を提出する作業)の前後が連続的である、ということは理解しているつもりです。
●
《2019/01/07 追記 その4》
anond:20190107162510 の説明に、すごく納得しました。彼女の話ぶりとも完全に当てはまっているように思います。そういうことだったのか、と感動して思わず泣きそうになりました。彼女は、正式に付き合うことになれば僕の接し方が変わるのではないかと期待していたのですね。こういったことが直感的に理解できていないことがコミュ障たる所以なのだろうと思います。言語化していただいたことに感謝します。そのまま引用させていただきます。
「彼女は多趣味で、宿泊旅行を含む予定や様々な友人との約束が頻繁に入っており」ってあるけれど、友人が多い人は「旅行に行くときはこの友人」とか「悩んでいて話を聞いて欲しい時はこの友人」というようにどんな友人かによって付き合い方を変えていると思う。増田とデートしているときに、増田がどんな人か知りたかったけれど、尽くしてくれるばかりで人となりがわからずに、どんな付き合い方をすれば良いかわからなかったんじゃないかな。それを彼女なりに表現したのが「本当に良くして頂いて」なんだと思う。人となりがわからないから、イマイチ打ち解けられずにずっと丁寧語だったんだと思う。彼女は同じ人と深く付き合うよりも、多くの人と浅く付き合いたい。もう彼女がそういう人間関係を構築してしまっているので、今更変えられない。一方で、増田はもっと彼女と深く付き合いたかった。
彼女は上記のようなことを直感的にわかっていたけれど、うまく説明できなかったんだと思う。もしくは、わかっていたけれど、詳細に説明するには彼女のことをいろいろと話さないといけないので、デートを5回しただけの相手にそこまでしたくなかったのかもしれない。
●
《2019/01/07 追記 その5》
5回しか会ってない相手に対して距離感がおかしいのでは(anond:20190107183800)、というご指摘について。彼女への思い入れで泣いていたわけではなかったことは上の追記に書いた通りです。なお、対象読者以外の方は「5回デートした相手に振られた30歳男性」を「生まれて初めてちゃんと告白した相手に10日で振られた15歳高校生男子」くらいに希釈してお飲みいただくと良い塩梅の甘酸っぱさになるかと思いますので、お試しください。
ひとまず、この記事の更新はここでおしまいにしたいと思います。アドバイスやコメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。大きな進捗があったらまた投稿させていただきます!
●
《2019/01/08 追記》
職員会議の議題『生徒が“白”以外のマスクを着用するのは華美かオシャレか?』→30分話し合った結果『中学生らしく白のみ使用可』となった
https://togetter.com/li/1303452
マスクの色なんてなんでもいいに決まってるし、制服の着こなしだって自由であっていい。
でもなぜ学校がマスクの色を指定したりするのかって、今の社会が原因じゃないのかと思っている。(学校も社会の一部だが、便宜上そう表現する。)
就活なんかを考えたら分かりやすいと思うんだけど、みんな同じ格好で、言動までビジネスマナーやら何やらで決まっていて、大体が誰が決めたかも知らないルールで統一化されている。
でもその統一されたものからズレたらダメなんでしょ?人となりを見極めるにしても、最初はその常識みたいなものをクリアするのが大前提みたいな所があるじゃん。
学校としては最低限、子どもがそこの競争で蹴落とされないようにしておきたいって考えがあるんじゃないのか?だからそういう意味でマスクの色を白に指定したりするってことは理解できる。元の話の学校がそういう意図が無いにしろ、マスクに限らずルールを決める学校には潜在的にそういう意識があるじゃないかと。
例えば面接受けにきた就活生とか、取引先の社員とかに、金髪・長髪でピアスやらアクセサリージャラジャラで腰パンの人が来たら一般的にはその時点でアウトになる。
そういう人でも仕事をちゃんとこなすなら問題は何もないのにって思うけど、でも世の中は基本的にそれを許さないし、非常識と評価してるんじゃないかと。
それともマスクの色自由にしろって言う人は、なんとも思わない?
ばからしいよな、みんな大学生になったら染毛したりアクセサリーつけたりして華美に着飾って、自由な格好をして、最終的に就活の時はビジネスのスタイルになる。したい格好できない世の中ってことでしょ。
もちろん職によってはそれが可能だろうけど、マイノリティじゃん。
年賀状書いてた時に思ったんだけど、住所を縦書きで書く時に番地とかマンションの部屋番号を漢数字で書くのすごく分かりづらくない?
プリントアウトすると見やすく収まるけど、手書きだとどうしてもうまくレイアウトできない。
でも非常識だと思われても良いから数字並べて書くようにしてる。
マンションの部屋番号が202号だったら
202
号
のように書いてる。
二
○
二
号
は長くなるし読みづらい気がする。
一
二
番
と書くのが本来は正解という情報を見たものの、手書きだとややもすると
三
番
十
二
番
派の人もいると思う。
番
で通してる。
多少間違ってたりどこか一部が誤読されても郵便番号、住所、名前から正しいところに配達されるんだろうけど、少しでも見やすくなればと思って伝統に対して無駄な抵抗をしている。
もうやめた、やめました。
元々出す習慣なんて無かったけど、働き始めたり結婚したりのライフイベントをきっかけに出すようになった。
出したくて出してるんじゃないから、一言メッセージ添えるのも億劫で、喪中などを機に徐々にフェードアウトしていく作戦をとってきた。
奏功し、最近は来た年賀状だけに返すようにしているんだが、「俺が返すから翌年も来るのでは?」と気付いた。
とはいえ、世の風当たりはまだまだ強い。
デジタルだなんだと言っている人でも、年賀状に関してはなぜか「いや、出すでしょ」みたいな顔してくるし。
妻も毎年100通単位で年賀状出すタイプだから、俺は非常識人のように見られるし。
ADHD持ちは、決められた手順をそつなくミスなくこなすということができない。
いろいろな手順全てにおいてミスが許されない年賀状作成は本当に鬼門だ。
安全作業の講習のように何度も指差し確認をしないと正しく印刷されない。
③手書きメッセージ→印刷だけでは味気ないので、一言添えなければならない気がして、
書いてみるが、これが最悪。当然に誤字脱字はあるし、何回も何回も
「去年は・旧年は」と書くべきところを、「今年は・本年は」と書いてしまう。
修正テープという訳にはいかないので、たったこれだけの間違いでも新しい年賀状を
作成しなければならない。しかも一生懸命書いても字は下手。悲しいほどに。
④複合技→「宛名を間違えていたので印刷すると、差し込む方向を間違えていて、
また新たに印刷をかけなければならない」・「折角刷り直した年賀状で誤字脱字をやらかす」
④が襲いかかってくると、本当に自分はダメ人間だという意識に苛まれ、
世間の普通の人は難なくこなしているけど、本当に僕にとっては、
年賀状は苦痛なんだ。もうSNSもあるし、ペーパーレスの時代なんだから、
習慣は本当に無くなって欲しい。少なくとも止めた時に、
出したい人は出す。出さない人は本当に何のプレッシャーもなくださなくていい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12427123825.html
自分には全く馴染めず、どういう齟齬があるのかを考えて答えが見えた。
結論として、生きる目的をお互いに共有したいタイプの人間と、生活の相互扶助の相手を探すための婚活との食い合わせが悪いのだ。
(辞書的な結婚の定義は、まず第一には共同生活の合意だ。実際の社会でも恐らくそうだろう)
自分が求めているのは、生きる目的の共有だ。相手が死ぬまでにやりたいことに自分も協力する関係。そのために日々の暮らしを助け合う。
だから知りたいのは生きる目的であって、現時点での年収や年齢の重要度は非常に非常に低い。
どれだけ非常識な目的でも、それを可能にする知性(その中枢は推論能力)と感情の振幅のコントロール(根底はフィジカルのコントロール)ができていれば長期的には可能なはずなので、現在の達成度も気にしない。
生きる目的を共有していない相手との共同生活にはプラスの影響を望めない。
翻って婚活は生活扶助の相手の選別とすれば、年収や年齢が第一条件となるのは至極当然である。離婚が不可能な時代であれば地縁や家柄という逃げられない条件で縛るために近親者や紹介者主導で固めることもあったが、現代では離婚も可能なので現時点での年収や若さが最優先となる。
セクハラだって一般的にこれだけよくない事件があったら、一発アウトな発言はしないじゃん(するならもうその感覚が一人で生きる奴のもの)
で少しまずい発言の場合だったら相手から微妙な反応がある。その時に誠実に謝って直せば許される
人間関係ってそんなもんだろ。気づかず悪いことしてたら向こうの反応見て直して気をつけながら楽しく過ごす
だからなるべく非常識な対応を取らず、相手にきちんと向き合う態度を見せれば相手への負荷は一方的でなくなる
向こうだって気づかず失礼あるし。確認しながら付き合ってくんだよ
相手への負荷について?満足してるって何度も何度も言葉で表現されてっから
結局コミュ力ない奴排除か〜ってやつは、一発アウトのラインの見極めも出来ないやつか相手の様子みながら合わせて行こうって意識のないやつなんだよ
どちらの奴も異性と離れて生きてけばいいだろ
他人に見返りをもとめる人は、相手の都合ではなく自分の都合で物事を考えることが多いという特徴があります。
そのため、見返りがない場面では「感謝の気持ちを伝えるのが苦手なのだろうか?」と相手の気持ちを考えるのではなく「せっかく親切をしたのにお礼がなくて損した」と自分目線で物事を考え、勝手に裏切られた、損をした感じてしまうことが多々あります。
また、自己中心的な考え方に加えて、相手に対してこれまた相手の都合を無視した自分に取って都合の良い過度な期待をしてしまうことも多く、仮に相手から感謝の言葉をもらったとしても「なんだ、この程度なのか…」とがっかりしてしまうこともあります。
完璧主義であるために、挨拶したら返事をするのが当然、親切をされたら感謝するのが当然というように「○○したら当然△△するべきだ」という「べき論」で考えているという特徴があります。
もちろん、挨拶を返す、親切に対して感謝の言葉を述べるのは道徳や社会規範の面で言えば望ましい行動ですが、社会に生きている人全員がその通りに完璧に行動できるというわけではありません。
甘やかされて育ってきたなどの環境による影響で、親切な事をされてもとくになんとも思わず、感謝の気持ちすら抱かない人も世の中にはいるのです。
そんな人を前に、自分の中で思っている完璧を押し付けてもストレスは溜まる一方ですし、「どうして感謝をの気持ち伝えなければいけないのか?」と逆ギレに発展してしまうこともあります。
「自分はこんなに親切にしたのにお礼の一つも言えないなんて、あの人はとても非常識な人」
「これだけ自分が尽くしているのに、感謝の言葉一つも貰えず、なんて自分がかわいそうな人なんだろう」
と相手を非難して自分は被害者であると主張することがあります。
心理的な報酬欲しさに、相手にを非難するだけにと止まらず、周囲から同情を誘うような行動を取ったり、恩着せがましい行動を取って反感を買ってしまうこともあります。
ここまでエスカレートしてしまうと、相手としても「感謝なんてするもんか!」という気持ちになって、感謝の言葉がではなく否定や中傷の言葉が返ってきかねません。
これは昔作ったau walletカードを再び使おうとふと思った一年くらい前の話。
au walletはauが提供しているデビットカード。デビットカードはざっくり言えばクレジットカードの読み取り機で使えるキャッシュカードみたいなもので、au walletはじぶん銀行というKDDIと三菱UFJ銀行が提携するサービス上に口座から引き落とされる仕組みになっている。
僕は学生時代に父と一緒にauとキャリア契約を結んでおり、電子決済に興味もあったためau walletはサービス開始直後から使い始めた。
しかし大学卒業後いろいろありauのキャリア契約を解除し、プライベート用にmineoのドコモ回線を契約して使っている。
じぶん銀行やau walletのIDはキャリア契約を解除しても利用可能なためmineoと契約してからもしばらくは使ってはいたが、ポイントサービスの使い勝手の良いLine payやクレジットカードの楽天カードを使うことが次第に増えて、au walletの存在は忘れかけていた。
auとの契約解除から2年近くたったころ、家計簿アプリのZaimとau walletカードが同期できることに気がついた。日々Zaimへの書き込みに疲れていた僕はその機能を活用しようと財布の隅からau walletカードを取り出した。(今ではLine payカードもZaimで同期可能だが、当時Zaimが対応しているデビットカードはau walletだけだった。)
しかし困ったことにパスワードを忘れてしまっていたためにZaimと連携できなかった。
パスワードの再設定はauユーザーのキャリアメールアドレスから行う仕様になっているが当然僕はもつそんなものを持っていない。再設定の質問も答えが思い出せなかった。
「『パスワードを忘れた場合』から申請を送ってキャリアメールから再設定しろ」という風なことが書かれた凡庸なFAQを読み落としがないか舐め回すように読み、Google先生に様々なキーワードを打ち込んだのち、考えあぐねた僕はauのカスタマーセンターを電話をかけた。カスタマーセンターにおられるプロフェッショナル様はFAQを代読なされたのち言葉尻は丁寧に「そういった話はキャリアショップでやれ」ということを仰った。
この時点で僕はもう諦めモードであったのだが、ものは試しとショップに駆け込んでのだ。
そこでの対応は案の定というべきか、「auユーザーでないのならログインは行えません。」の一点張り。こちらの話を聞いていたかも怪しい。auのキャンペーンで鬼ちゃんに扮する菅田将暉そっくりの髪型をきめた、そんなちょけた若い男の店員に軽蔑の眼差しを向けられつつ僕は諦めて逃げ帰るように店を出た。
でもねau walletはキャリア変更しても使えるってアナウンスしているわけじゃないですか。(https://www.au.com/support/faq/view.k1451327106/)
これってau walletの利用を認めているってことでしょ?だったらユーザーページ見れるように手配してくれると考えてもおかしくはないでしょ?それでショップに足を運ぶのってそんな非常識なことなんだろうか。
そりゃキャリアを辞めた以上カードに機能制限がかかるのはわかるけど、ユーザーページであるMy auがau walletを閲覧できないまま何の補償もせず門前払いして放置するってどうなの?デビットカードって金融商品だよね?
パスワードを忘れたらもうMy auにはログインできないというならはっきりアナウンスしておいてほしいし、こんな朴訥な運営をしているならauキャリアを解約した時点でau walletも使えないようにした方がいいのではないだろうか。
そして僕が一番気がかりだったのは店員の態度だ。僕がその時点でauと契約していないことから彼らは「auとキャリア契約を結んでないなら俺の客ではないし」という態度だった。でもau walletを所有している限り僕はau walletというサービスを使うことを許されたれっきとしたauユーザーだ。FAQに書いてあるような根本的なことをなぜ彼らは理解していない?キャリア契約解除済みのユーザーがMy auにログインするにはIDの代わりに「(使用していた電話番号)_(解約した日の年月日)」を用いるのだが、そのことも把握していない様子で、何度もIDを聞かれて参ってしまった。
今振り返っても彼らは僕に「auユーザーでもないのに乗り込んできた情弱」とレッテルを貼り、自身のau walletへの勉強不足を棚に上げて検討違いの回答を繰り返していたように思えてならない。
これって僕が悪かったのか?何が悪かったんだろう。
大した買い物もしない癖によく考えもせずau walletカードなんかこしらえたこと?
情強ぶってコスパがどうとか言って天下の3大キャリアからMVNOに乗り換えたこと?
スマホのアプリとカードを紐付けしたいなんて些細な理由で電話問い合わせやショップのカウンターに相談しにいったこと?
自分の欲求をこれ以上なくわかりやすく単刀直入に説明するだけのコミュ力が僕に備わっていなかったこと?
「au解約してもmy au使えるっていってるけど、パスワード忘れたら本人確認できないしもうログインできません再発行の対応も致しかねます。」なんつう変な状況作り出したのはauの落ち度だし、客がそういう問題抱えているということを理解できなかったのは店員の落ち度だよね。まあ店員はどうせバイトとか派遣とかで、ろくにauの商品なんて使ったこともないだろうから責めるのは酷だろうけどね。
でもこれってauが自分の落ち度を認めなきゃ客は納得できない状況ではあると思うんだよね…それを客を馬鹿にして追い返すってさあ…誠心誠意謝れってわけじゃないけど「すみません」の一言くらい言えないもんなのか?今更何言っても仕方ないけどさ。
元増田のもとに意味わからんことおっしゃるお客様が連日訪れるのは想像に難くないけど、実のところ増田もそんな詳しくないんでしょ?せいぜい「iPhoneはアップルが作ってること知らないなんてありえねー」っめマウント取るのが関の山なんじゃないの?中にはそういう店員が取りこぼしてる人もいるかもしれないってことを少しくらいは考えてあげればいいのにと思った土曜の朝。