他人に見返りをもとめる人は、相手の都合ではなく自分の都合で物事を考えることが多いという特徴があります。
そのため、見返りがない場面では「感謝の気持ちを伝えるのが苦手なのだろうか?」と相手の気持ちを考えるのではなく「せっかく親切をしたのにお礼がなくて損した」と自分目線で物事を考え、勝手に裏切られた、損をした感じてしまうことが多々あります。
また、自己中心的な考え方に加えて、相手に対してこれまた相手の都合を無視した自分に取って都合の良い過度な期待をしてしまうことも多く、仮に相手から感謝の言葉をもらったとしても「なんだ、この程度なのか…」とがっかりしてしまうこともあります。
完璧主義であるために、挨拶したら返事をするのが当然、親切をされたら感謝するのが当然というように「○○したら当然△△するべきだ」という「べき論」で考えているという特徴があります。
もちろん、挨拶を返す、親切に対して感謝の言葉を述べるのは道徳や社会規範の面で言えば望ましい行動ですが、社会に生きている人全員がその通りに完璧に行動できるというわけではありません。
甘やかされて育ってきたなどの環境による影響で、親切な事をされてもとくになんとも思わず、感謝の気持ちすら抱かない人も世の中にはいるのです。
そんな人を前に、自分の中で思っている完璧を押し付けてもストレスは溜まる一方ですし、「どうして感謝をの気持ち伝えなければいけないのか?」と逆ギレに発展してしまうこともあります。
「自分はこんなに親切にしたのにお礼の一つも言えないなんて、あの人はとても非常識な人」
「これだけ自分が尽くしているのに、感謝の言葉一つも貰えず、なんて自分がかわいそうな人なんだろう」
と相手を非難して自分は被害者であると主張することがあります。
心理的な報酬欲しさに、相手にを非難するだけにと止まらず、周囲から同情を誘うような行動を取ったり、恩着せがましい行動を取って反感を買ってしまうこともあります。
ここまでエスカレートしてしまうと、相手としても「感謝なんてするもんか!」という気持ちになって、感謝の言葉がではなく否定や中傷の言葉が返ってきかねません。
他人の都合でモノを考えられる人間はそもそも見返りを提供することに躊躇しない。